母たち
小林多喜二
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弟が面会に行くとき、今度の事件のことをお前に知らせるようにと云ってやった。
差入のことや家のことや色々なことを云った後で、弟は片方の眼だけを何べんもパチ〳〵させながら、「故里の方はとても吹雪いているんだって。」と云った。するとお前は、「そうだろうな、十二月だもの。──こっちの冬はそれに比べると、故里の春先きのようなものだ。」と云ったそうだね。弟は困って、又何べんも片方の眼だけをパチ〳〵させて、「故里の方はとても嵐だって!」と繰りかえしたところが、お前が編笠をいじりながら、突然奇妙な顔をして、「お前片方の眼どうした? 神経痛にでもなったのか?」と云ったので、弟は吹き出すわけにも行かず、そうだとも云えず、とても困ったそうだ。──その手紙を弟から貰って、こっちでは皆涙を出して笑ったの。
ところが、本当に今年のこっちの冬というのは十何年振りかの厳寒で、金物の表にはキラ〳〵と霜が結晶して、手袋をはかないでつかむと、指の皮をむいてしまうし、朝起きてみると蒲団の息のかゝったところ一面が真白にガバ〳〵に凍えている、夜中に静かになると、突然ビリン、ビリンともののわれる音がする、家をすっかり閉め切って、ストーヴをドシ〳〵燃しても、暑いのはストーヴに向いている身体の前の方だけで、後半方は冷え冷えとするのだ。窓硝子は部厚に花模様が結晶して、外は少しも見えなくなった。外を歩くと、雪道が硝子の面よりも堅く平らに凍えて、ギュン〳〵と何かものでもこわれるような音をたてる……。所謂「十二月一日事件」の夜明頃などは、空気までそのまゝの形で凍えていたような「しばれ」だったよ。
あの「ガラ〳〵」の山崎のお母さんでさえ、引張られて行く自分の息子よりも、こんな日の朝まだ夜も明けないうちに、職務とは云え、(それも「敵方の」職務だが)やって来て、家宅捜索をするのに、すぐ指先がかじかんで、一寸やっては顎の下に入れて暖めているのを見るに見兼ねて、「え糞ッ!」という気になり、ストーヴをたきつけてやったと云っている。
監獄にいるお前に「お守り」を送ることをするようなお前の母は、冬がくると(この寒い冬なのに)家中のものに、二枚の蒲団を一枚にさせ、厚い蒲団を薄い蒲団にさせた。なかにいるお前のことを考えてのことなのだ。それでも、母が安心していることは、こっちの冬に二十何年も慣れたお前は、キットそこなら呑気にいれるだろうと考えているからだ。前の手紙を見ると、お前はそこで毎朝六時に「冷水摩擦」をやっていると書いていたが、こっちでそんな時間に、そんなことをしたら、そのまゝ冷蔵庫に入った鮭のようにコチコチになってしまうよ。
家へ来たのは朝の五時。やっぱり妹が一番先きに眼をさましたの。そして母を揺り起した。母が眼をさますと、何だかと訊いたので、「ケイサツ」と云うと、母はしばらく黙っていたが、「兄が東京で入っているんだも、モウ何ンも用事ねえでないか?」と云った。妹はそれにどう返事をしていゝか分らなかった。
母はブツ〳〵云いながら、それでもお前が「四・一六」に踏み込まれたときとはちがって、平気で表の戸を開けに行った。それは女ばかりの家で、母にはお前のことだけのぞけば、あとはちっとも心配することが無いからである。戸が開くと、一番先きに顔を出したスパイが、妹の名を云って、いるかときいた。そのスパイは前から顔なじみだった。母は「いるよ。」と、当り前で云ってから、「あれがどうしたのかね?」と問うた。スパイはそれには何も云わずに、「いるんだね」と念を押して、上がり込んできた。
明け方の寒さで、どの特高の外套も粉を吹いたように真白になり、ガバ〳〵と凍えた靴をぬぐのに、皆はすっかり手間どった。──お前の妹は起き上がると、落付いて身仕度をした。何時もズロースなんかはいたことがないのに、押入れの奥まったところから、それも二枚取り出してきて、キチンと重ねてはいた。それから財布のなかを調べて懐に入れ、チリ紙とタオルを枕もとに置いた。そういう動作をしているお前の妹の顔は、お前が笑うような形容詞を使うことになるが、紙のように蒼白だった。しかし、それは本当にしっかりした、もの確かな動作だったよ。特高が入ってきて、妹を見ると、「よウ!」と云った。妹は唇のホンの隅だけを動かして、冷い表情をかえしたきりだった。妹と特高のその様子を見た母の顔は急に変った。そして、口のあたりをモグ〳〵と動かした。が、何故か周章てゝ両手で、自分の口を抑えた。妹はその母をチラッと見ると、横を向いた。──その朝、この年とった母は何んにも云わなかった。たゞ、「寒くないか?」と云ったことゝ、愈々連れて行かれるときに、妹の顔を見て、「あ──あ、お前もか!」と云ったきりだった。
母はこの前の、お前の時のように、今度は泣かなかったよ。だが、母はおそろしく無口になってしまった。誰か何かをしゃべっても、たゞ相手の顔を見るだけで、口をきかないの。そして、そうでなくても小さい母は、モット小さくなってしまった。
山崎の「ガラ〳〵のお母さん」のところへ行ったのも、やはり同じ時間だったそうである。このガラガラのお母さんは、前からその朝来ることが、分っていたかのように、「それ、秀夫や、来たど! 起きるんだ。」と云って、息子を揺り起し、秀夫さんが入口でスパイと何か云っている間に、ガリ板を手早く便所の中に投げ捨てゝしまった。そして「サア〳〵、何処ッからでも見てけさい!」と云って、特高を案内したそうである。お前には、「サア〳〵何処からでも見てけさい!」と云ったあのお母さんを直ぐ思い出すことが出来るね。スパイの連中が帰りがけにストーヴのお礼を云ったら、「そッたらお礼ききたくもない。それよりお前さんらサッサとこの商売をやめねば、後で碌でもないことになるよ。」と云ったので、秀夫さんまでそれには笑ってしまったそうだ。──ところが、秀夫さんの方が何かと云うのに舌が口にねばり、乾いたせき払いをして、何時もとちがった声を出し、下り口に立っても、お母さんが靴を出してやらないと妙にウロ〳〵したり、帽子をかぶるのを忘れて、あわてたそうよ。
夜が明けてから、お前が可愛がって運動に入れてやった「中島鉄工所」の上田のところへ、母が出掛けて行ったの。若しも上田の進ちゃんまでやられたとすれば、事件としても只事でない事が分るし、又若しまだやって来ていないとすれば、始末しなければならない事もあるだろうし、直ぐ知らせなければならない人にも、知らせることが出来ると思ったからである。争われないものだ、お前の母は今ではこういうことに気付くのだ。──母がたずねて行くと、薄暗い家の奥の方で、進ちゃんのお母さんが髪をボウ〳〵とさせ、眼をギラ〳〵と光らせて坐っていた。母が入ってきたのを見ると、いきなり其処へ棒立になって、「この野郎ッ! 一歩でも入ってみやがれ、たゝッき殺すぞ!」と大声で叫んだそうだ。母は何が何んだか、わけが分らず、「あのね…………」と云い出すと、「畜生ッ! 入るか⁉」と云って、そこにあったストーヴを掻き廻す鉄のデレッキを振りあげた。母は真青になって帰ってきた。
この冬は本当に寒かったの。留置場でもストーヴの側の監房は少しはよかったが、そうでない処は坐ってその上に毛布をかけていても、膝がシン〳〵と冷たくなる。朝眼をさますと、皆の寝ている起伏の上に雪が一杯ふりかゝっているので吃驚するが、それは雪が吹きこんできたのではなくて、(それもあったが)夜中に空気中に残っているありとあらゆる湿気がみんな霜に還元されるのである。なかのものは次々と凍傷を起して行った。
お前の母ばかりでなしに、沢山の母たちが毎日のように警察に出掛けて行ったが、母はそこでよく子供を負んぶした労働者風のおかみさんと会った。最初はどこの係りにやってくるのか分らなかったが、そのうち特高室で待っているところへ、そのおかみさんが入ってきた。それで同じ事件の人だということが分った。──帰りに一緒になって、母が色々なことを話そうと思い、お前や妹の母だという事を知らせた。すると、急に眼をみはって、マジ〳〵としながら、「んじゃ、お前さんが伊藤のお母さんかね。」と、荒ッぽい浜言葉で云って、「んか、んか」と独りうなずきをした。それはまるで人を見下げた、傲慢な調子だった。そして帰りに一緒になることにしていたのに、そのおかみさんはさッさと自分だけ先きに帰って行ってしまった。背中の子供は頭が大きくて、首が細く、歩くたびにガク〳〵と頭がどっちにも転んだ。
上田の進ちゃんのお母アは、とう〳〵気が狂ったとみんなが云った。お前がこっちにいた時知っているだろう、「役所バカ」と云って、五十恰好の女が何時でも決まった時間に、市役所とか、税務署とか、裁判所とか、銀行とか、そんな建物だけを廻って歩いて、「わが夫様は米穀何百俵を詐欺横領しましたという──」きまった始まりで、御詠歌のように云って歩く「バカ」のいたのを。ところが上田のお母アは、午後の三時になると、きまって特高室に出掛けて行って、キャンキャンした大声でケイサツを馬鹿呼ばりし、自分の息子を賞め、こんなことになったのは他人にだまされたんだと云い、息子をとられて、これからどう暮して行くんだ──それだけの事を文句も順序も同じに繰りかえして、進は腕のいゝ旋盤工で、これからどの位出世をするのか分らない大事な一人息子だからと云って、大きな蒲団を運んできたり、暖かい煮物の丼を大事そうに両手にかゝえて持ってきたり、それを特高が拒ばもうがどうが、がなり立てゝ、無理矢理置いて行く。そして次の日には又マントを持ってきたり、手袋を持ってきたりする。特高室は上田のお母アの持ってくるもので一杯になってしまった。警察では「又、気狂いババが来た」といって取り合わなかった。それでもお母アは平気だった。──あまりやかましいので、一度特高室で進と面会をさしてやった。息子が係りの刑事に連れられて、入ってきたのを見るや否や、いきなり大声で「こン畜生! この親不孝の馬鹿野郎奴!」と怒鳴りつけた。刑事の方がかえって面喰らって、「まあ〳〵、こういう時にはそれ一人息子だ。優しい言葉の一つ位はかけてやるもンだよ。」すると、くるりと向き直って「えッ、お前さんなんて黙ってけずかれ!」とがなりかえした。ところが、その進が右手一杯にホウ帯をしているのを見付けて、「どうしたんだ?」ときいた。「ん、しもやけだ。」と進が返事をすると、見ている間に、お母アの眼がつり上がって、薄い唇がピリピリと顫え出した。「さ、警察の人ッ! どうしてくれるんだ? 人民を保護するとか何ンとか、口ではうまい事云って、この大事な息子の身体をこんなことにしてしまって、どうする積りなんだッ! さッ!」特高たちは、あ、又始まったと云って、自分たちの仕事にとりかゝって、見向きもしなかった。
検挙は十二月一日から少しの手ゆるみもしないで続いた。そっちにいるお前はおかしく思うだろうが、残された人達が「戦旗」の配布網を守って、飽く迄も活動していた。然し、とう〳〵持って行き処のなくなったその人達は最後に、重要書類と一緒に家へ持ってきた。もうやられているので、二度も「ガサ」が無いだろうと云うのだ。六十に近いお前のお母はそれをちアんと引受けた。淋しいだろうと云うので、泊りにきていた親類の佐野さんや吉本さんが、重ね重ねのことなので、強こうに反対した。だが、お前の母は、「この仕事をしている人達は死んでも場所のことなどは云わないものだから、少しも心配要らない。」と云った。
山崎のガラ〳〵お母さんが時々元気をつけに、やってきてくれたが、このお母さんの前だと、お互の息子や娘のことを話して、お前の母はまるで人が変ったようにポロ〳〵涙を流した。山崎のお母さんというのは相当教育のある人で、息子たちのしている事を、気持からばかりでなしに、ちアんとした筋道を通しても知っていた。「息子が正しい理窟から死んでも自分の仕事をやめないと分ったら、親がその仕事の邪魔をするのが間違で──どうしてもやらせたくなかったら、殺せばいゝんでね。」そんな風に何時でも云っていた。それに生来のガラ〳〵が手伝っていたわけである。山崎のお母さんは警察に行っても、ガン〳〵怒鳴らなかったが、自分の云い出したことは一歩も引かなかったし、それを条理の上からジリ〳〵やって行った。ケイサツでは上田のお母アはちっとも苦手でなかったが、この山崎のお母さんには一目おいていたらしい。山崎のお母さんに比らべると、お前の母は小学校にも行ったことがないし、小さい時から野良に出て働かせられたし、土方部屋のトロッコに乗って働いたこともある純粋の貧農だったが、貧乏人であればあるほど、一方では自分の息子だけは立派に育てゝ楽をしたいと考える、それに貧乏に対して反撥する前に、貧乏に対してどうしても慣れあいになり勝なのだね。だから、プロレタリアの解放のために仕事をやって行こうとするお前たちのことが分るのだが、何んだか自分の楽しい未来のもくろみが、そのためにガタ〳〵と崩されて行くのを見ていることが出来ないのだよ。こんな気持をもっているから、警察ではお前の母は一番おとなしくて(!)しっかりしているというので「評判が良い」の。──今度のことでも、お前の母の表面の動作ではなくてその心持の裏に入りこんでみたら、それは只事ではないということはよく分る。だから頼りになりそうな山崎のお母さんと話し込むと、正体がないほど弱くなってしまうの。
窪田が二十日程して釈放された。すると、直ぐ家へやって来てこんなに大衆的にやられている時に、遺族のものたちをバラ〳〵にして置いては悪いと云うので、即刻何処かの家を借りて、皆が集まり、お茶でも飲みながらお互いに元気をつけ合ったり、親密な気持を取り交わしたり、これからの連絡や対策や陳情、そういう事について話し合おうということになった。皆も賛成だった。窪田さんは山崎のお母さんの家にして、日と時間を決めて帰って行った。──こんなに弾圧が強く、全部の組織が壊滅してしまったとき、この遺族のお茶の集まりだって又新しく仕事をやって行く何かの足場になるのではないか、さすがしっかりものの窪田さんがそんな風に考えてのことらしいの。
その日は十人位の母たちや細君が集まった。ちっとも知らない顔の人もいたが、引張られて行ったときのことや、面会に行ったとき息子たちのことで、すぐ話がはずんで行った。お前の母はそういう話の一つ一つに涙ぐんでいた。誰が話すことも、それは誰にとってもみんな自分のことだった。山崎のお母さんは林檎や蜜柑を皿に一杯盛って出した。母が何時か特高室で会ったことのある子供を負んぶしていたおかみさんが、その蜜柑の一つを太い無骨な指でむいていたが、独言のように、「中にいるうちのおど(夫のこと)に一つでも、こんな蜜柑を食わせてやりたい……!」と云って、グズリと鼻をすゝり上げた。お前の母はこの前の様子とまるで異う態度にびっくりした。──と、この時今まで一口も云わずにいた上田のお母アが、皆が吃驚するような大きな声で一気にしゃべり出した。「んだとも! なア大川のおかみさん! おれ何時か云ってやろう、云ってやろうと思って待っていたんだが、お前さんとこの働き手や俺ンとこの一人息子をこったら事にしてしまったのは、この」と云って、お前の母を突き殺すでもするように指差しながら、「この伊藤のあんさんのお蔭なんだ。あんさんがこっちにいたとき、よく息子の進とこさ遊ぶに来る来ると思ってだら、碌でもないことば教えて、引張りこみやがっただ。腕のいゝ旋盤工だから、んでなかったら、どんどん日給もあがって、えゝ給料取りになっていたんだ。」──それは他の人もそッと持っていた気持だったので、室の中が急に、今迄とは変ったものになった。──「そればかりで無いんだ。この前警察から出てくると、俺もう吃驚してしまった。ケイサツの裏口から頭一杯にホウ帯した進が巡査に連れられて出てくるんでないか。俺どうしたんだと夢中になって、ガナった。進奴こっちば向いて、立ち止まったが、しばらくキョトンとしてるんだ。こら、お母アだ! と云うと、ようやく分ったのか、笑ったよ。ところが、ついていた巡査が立ち止まっちゃいかんと云って、待たしていた自動車の中に無理矢理押し込んでしまったんだ。俺くやしかったよ! それから俺毎日ケイサツさ行って、お前えら俺の息子ば殴ぐったんだべ。さ、いッくらでも殴ぐれ、今お前えらば訴えてやるからッて怒鳴ってやった。んでも、何んぼしても面会ば許さないんだ。それから裁判所へ廻ってから面会させてもらったら、その時はホウ帯ば外していたがどうしたんだと訊いたら、看守の方ば見て、耳が悪かったんだと云うんだ。俺、うそこさッて云ってやった。それから話していると、まるでトッチンかんのことばかり云うんでないか。お前何時頃出れるか分らないかときいたら、ハイお母さん有難うございますッて云うんだよ。俺びっくりしてしまった。これ、進や、お前頭悪くしたんでないかッて云ったら、お母アの方ば見もしないで、窓の方ば見たり、自分の爪ば見たりして、ニヤ〳〵と笑うんだ……。」そこまで来ると、上田の母は声をあげて泣き出した。そして、しゃっくり〳〵云った、「ケイサツが進ばバカにするほど殴ぐったんだ。俺ケイサツば訴えてやる。キット訴えてやる! それに、」と云って、又お前の母をにらみながら、「俺の息子に若しものことがあったら、お前さんの息子ばうらんで、うらんで、うらみ殺してやる!」──窪田や山崎のお母さんが中に立って、上田の母にわけを云い、理をつくして話してやったが、そんな事は耳にも入れないのだ。「ドロ棒したとか、人をゴマ化したとか、そんなことならまだいゝ。警察で云っていたよ、進らのしたことはこの日本の国をブッ倒そうとしている恐しい罪だって、それをみんなお前さんの息子や山崎の息子などからだまされてやったんだってよ!」──これでも分ったが、警察では、お前の母や山崎のお母さんなどには、お前さん達の息子のしたことはドロ棒したとか、強姦したとかいう罪とちがって何も恥かしがることはないと云っていながら、労働者のおかみさん達には、それは世の中で一番恐ろしい罪で、みんな学問のある悪者にだまされてやったんだと云って、(殊にこっちでは)運動をやっているもの達の間に離間策を講じているのだ。窪田さんや条理の分った山崎のお母さんたちが、一生ケン命に、だまされるどころか、丁度その反対で、上田や大川たちの搾取の生活を解放するために、伊藤や山崎などが先頭に立って、一身を犠牲にしてやっているのだと云ってきかせても、一向にきゝ入れないのだ。──大川のおかみさんは、私はだまされたという程にも思わないが、警察に入れば直ぐその日から食えなくなるような夫を、何んだって引き入れてくれたかと、そればかり口惜しいと云うのだった。中にいる夫に蜜柑どころか、この寒さに足袋さえ入れてやることが出来ない。ところが、お前さん方になると、入った人が出てくるまでどうにか食って行けるだろうし、色んなものが充分差入も出来るから羨やましい。面会に行ったら、食えなくなったら仲間の人に頼んでみれ、それも長続きしなかったら、親類のところへ追い出される迄転ろげこんで居れ、それも駄目になったら、男さ身体売ったってえゝと云うんです。そして手の甲を蟹の鋏のように赤く大きくふくれ上らせているの。大川のおかみさんも終いには泣き出してしまった。この前見たときよりも、赤坊はもっと頭が大きく、首がもっと細くなって見えた。そして赤坊らしくなく始終眉をしかめていた。
公判はこの九月から始まった。公判のことについては、その大体はもうお前も知っていることだから、詳しくは書かない。「共産党被告中の紅一点!」というので、毎日新聞がお前の妹のことをデカ〳〵と書いた。検事の求刑は山崎が三年、お前の妹が二年半、上田と大川は二年だった。それで、第一審の判決は大体の想像では、みんな半年位ずつ減って、上田と大川は執行猶予になるだろうということだった。上田のお母アはすっかり喜んで、お前の母にもあまりひどい事は云わなくなってきた。
判決の日に、みんな隣りの地方裁判所のあるH市まで出掛けて行った。──裁判長が判決を下す前に、「被告は今後どういう考か? これからも共産主義を信奉して運動を続けて行く積りか、それとも改心して、このような誤った運動をやめようと思っているか?」と訊く。それによって、判決が決まるわけである。そこへ来ると、傍聴に来ているどの母たちも首をのばして、耳をすました。
そっちから派遣されてきたオルグの、懲役五年を求刑されていた黒田という人は、立ち上って、「裁判長がそのような問いを発すること自体が、われ〳〵*****を**するものである。******というものは後で考えていて間違っていたから**するというようなものではないのだ。それは**されている労働者農民が、その**の**から**を**するための***なものなのだ。われ〳〵は****もこの**を***ものではないことを、全われ〳〵同志を代表して云っておく。」と叫んだ。この時、傍聴していた若い男が拍手をして、法廷の外へ引ずり出された。「他人のことまで云わなくてもいゝ」裁判長はそう云って、次に山崎に同じ質問を発した。山崎は立ち上がると、しばらくモジ〳〵していたが、低い声で裁判長の方に向って何か云った。裁判長は白い髯を噛みながら、「本当にやめる心積りか?」と訊きかえした。「そうです、考えるところがあって……。」山崎は頭を伏せたまゝブツ〳〵と云った。今まで眼をみはり首をのばしてきいていた山崎のお母さんはガクリと首を胸の前に落してしまった。そしてお前の母にも誰にもものを云わずに、外へ出て行ってしまった。お前の母はオヤと思って振りかえると、その眼には涙が一杯にたまっていた。上田のお母アは自分のことのように喜んだ、「山崎の息子さんは執行猶予で出るよ!」──次はお前の妹だ。「私は今でもちっとも変りません。*********心積りです。」とはっきりと答えた。裁判長は苦りきった顔をした。妹はそして椅子に坐る拍子に、何故か振りかえって、お母さんの顔をちらッと見た。母は後で、その時はあ──あ、失敗ったと思ったと、元気のない顔をして云っていた。横に坐っていた上田の母が、「まア、まア、あんたとこの娘さんにもあきれたもんだ」と、母に云った。「お前さんも心配の絶えない人だ!」、そう云われて、お前の母は思わず「本当に……!」と云った。そして母は涙を一生ケン命こらえていたそうである、それからようやくのことで、「矢張り仕方がないんでしょう。」と云った。
上田の進さんの番になると、お母アは鼻をぴく〳〵さした。骨組の太い上田が立ち上がると、いきなり、「われ〳〵の同志であり、先輩である山崎君の*****に私は**を***ものである。もはや山崎は同志でもなく、先輩でもない!」と前置きをして、自分は山崎のように学問もないが、私自身が*****いる********として、****この*******積りだと云った。「えゝ?」上田のお母アは突然大声をあげて叫んだ、「こら、進! お前えお母アば忘れたのか?──あ、あ──この野郎! 畜生!」そして立ち上がってしまった。廷丁や巡査が馳けつけて来て、大声で叫んでいる上田のお母アを法廷の外へ連れ出してしまった。上田は然し振りかえらなかった。だが、後から見ると、頭を深く深く、垂れていた。
最後は大川だった。彼は何べんうながされても、なかなか云わなかったが、自分の家があまり困っているので、外へ出たら運動をやめて働いて行きたいと云った。大川は港湾労働者で、仲仕をしていた。おかみさんはそれを聞くと、お前の母に少し気兼ねしたように、抱いていた自分の子供に頬ずりをした。
窪田さんはこう云っているの。──監獄では大体にやっぱり労働者出身のものが、******して、*****ている。ところが、外では丁度その反対になっている。これはどうしても直さなければならないッて。お前は今運動が一番進んでいる中心地にいる。今度はこっちのことをどう考えるか、お前の手紙を待っている。
底本:「工場細胞」新日本文庫、新日本出版
1978(昭和53)年2月25日初版
初出:「改造」改造社
1931(昭和6)年11月号
※疑問箇所の確認にあたっては、「定本 小林多喜二全集 第六巻」新日本出版社、1968(昭和43)年6月30日を参照しました。
入力:細見祐司
校正:富田倫生
2004年11月16日作成
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