『十八時の音楽浴』の作者の言葉
海野十三
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この書は、僕の科学小説集の第三冊目にあたる。
この前、同じ版元から『地球盗難』を刊行したが、これは意外に好評であった。この『地球盗難』はその後、三夜連続のラジオドラマとして放送され、更に好評を博した。それでいよいよ待望の科学小説時代が来たらしいと思ったわけであったが、途端に日中戦争が始まり、出版界は大動揺を来たした。読書界も、急に落着を失い、或いは方向転換をしたり、或いは廃刊や出版止があったりして、それ等のことはどっちかいうと意味なく騒ぎを惹きおこし、そして拡大した。戦争前、今こそ科学小説時代が約束されたと僕が思ったのもほんの束の間のことで、編集者の狼狽でもって、意味もなく、この約束もどこかにけし飛んでしまったというような形だった。
僕にいわせるなら、あのとき科学小説時代の約束が反古になるべき何等本質上の理由はなかったと思う。いやむしろ、本質的には、あのとき科学小説が一段と栄えてしかるべきであったと思う。渡洋爆撃への驚嘆、快速戦車部隊への刮目、敵の空襲や迫撃砲や機関銃に対する悲憤、それからまた軍需品製造への緊張、科学戦時代を迎えて青少年といわず老幼男女を問わず国民全体を科学教育することへの逼迫などと、あらゆる材料が読書界を科学小説時代へ持ってゆくための好条件であったのだ。しかも事実はそれに反して、科学小説時代はついに来なかった。純文芸の復興や、卑猥小説の擡頭などの計画とともに、十把一からげの有様で、ついに科学小説時代の件もがらがらと崩れてしまったのである。これでは本質的には何とも説明のつけようがない。味噌も糞も見分けがつかないほど、編集者が大狼狽した結果であるというしかいいようがない。科学小説にとっては、まことに不運なことであった。
尤も僕は、今日の編集者が、どれだけ正しく科学小説を育て得られるか、その点について予て大きな疑問を持っている。僕の結論をはっきり先に述べると、今日の編集者は、科学が普及しない時代に教育をうけた人達であり、また科学畑から出た人がほとんど見当らないところからいって、本質的に科学の味がわからないのである。だから科学物を取扱うためには、非常な勉強が入用だ。この勉強が嫌いな編集者だと、ついに科学小説的色盲となる虞れがあるようにおもう。
それに反し、科学小説をたいへん悦んでくれ、そして科学小説の味を理解してくれるのは青少年層だ。この人達は、科学が普及した今日の時代において教育され、そして科学隆興の中に刺戟をうけ、科学というものに大きな興味をもっている。だから科学小説がその嗜好に投ずるのである。
いかにこの青少年層が科学小説に対し熱意をもっていてくれるか、それは恐らく今日の多くの編集者も知らないし、多くの作家も知らないところであろうが、実に熾烈を極めている。この青少年たちが次の時代において大人になり、そして大人の小説を読むようになったとき、果して今日のような非科学的な環境で非科学的な会話のやりとりをする小説を悦んで読むであろうか。そう考えると、今日のように保守的といわんよりは退嬰的な、そして勉強の足りない編集方針を延長していったのでは、必ず早晩大きな破綻を生ずるにちがいない。これを避けるには今から大事なところへ石をうっておく必要があると思う。
いつの世においてもそうであるが、小説の鑑識にかけては、作家や編集者や批評家よりも、読者の方が一層スマートである。この事実を忘れていてはもの嗤いになる。
だいぶん話が硬くなった。このへんで、硬い話の筆を置くこととし、次にこの書に収めた作品についてすこしばかり作者の感想を綴らせてもらう。
巻頭の『十八時の音楽浴』は「モダン日本」の増刊に発表したものである。人間の意志というものが、将来こうした科学手段によって監理される日が来るであろうことを示唆したもの。今日世界各国が極秘のうちに研究していると伝えられる怪力線とか殺人光線とかいったものは、人を殺し、自動車や飛行機のエンジンを停めるにとどまらず、さらにこうした方向へも進出する日が来るであろう。
『ヒルミ夫人の冷蔵鞄』は「科学ペン」に発表したもの。作者としては、わりあいに好きなテーマであるが、ただ紙数の制限から、書き足らぬのが残念である。こういうものをがっちりと書けば、科学小説の面白さが誰にもわかってくれると思う。
『生きている腸は「週刊朝日」に発表したものである。これは一見はなはだ荒唐無稽であるけれど、これでなかなか示唆に富んだ未来小説だと作者自身はひとりでおそろしがっている次第である。
『宇宙囚第一号』は「科学主義工業」に発表したもの。これに関して、某紙上に共鳴者が現れたことは、作者のよろこびとするところであった。
『見えざる敵』と『軍用鮫』と『時間器械』との三つは、「新青年」に発表したもので、ナンセンス的科学小説である。
こういうものを書いているときは、作者も至極たのしい。
『月世界探険記』は「少年倶楽部」で落第し、その後何とかいう雑誌から原稿をねだられて出したもの。向こうでも心得たものか、いまだに原稿料を払わない。二三度人を介して談判したが、埒があかない。そのうちに面倒くさくなって、そのままになっている。こういう目にあうと、すっかり不愉快になって、その次からあまり見知らぬ雑誌から注文されると、原稿料のことはともかく、またあのような不愉快な目にあうのかと思い、ペンがうごかなくなる。それではお互いに不便であるから、その次からこの不愉快さを防ぐために、原稿料を下さるなら書きましょうといってやると、怪しい雑誌や新聞なら、そのとききっと「当社ではそのような規程がありません。そういうことを要求される作家にはこっちからお断りします」などと、当初原稿料をねぎったことも忘れて、大変な権幕で返事をよこす。そこで原稿を書かないですむようになる。この方が、さばさばして、大いによろしい。その後、すべてこの手によって、不愉快から未然にのがれることにしている。『月世界探険記』は僕にそういうことを発見せしめた作品である。
『暗号数字』は「現代」に発表したもの。これをつくるために、かなりの日数を要した。作者としては、これも好きな作品の一つである。これを長編に書いて、謎を次へのこしてゆくようにすると、一層おもしろいだろうと思う。
この小説につかってある「虫喰い算」について、僕は相当趣味をもっていて、目下毎月「モダン日本」のカラー・セクションに、その宝玉のような問題をちびりちびりと出している。たいへん読者からの反響があって、雑誌が出ると、その問題を謄写版に刷り、同僚たちにくばって、早く正しく解く競争をやっているという投書があったりして、はなはだ愉快である。
『人造人間事件』は、「オール讀物」に発表したものである。こんなことも実際やろうとおもえば実現できることであるから、識者は注意を要する。
『空気男』は「モダン日本」に十ヶ月連載した科学小説で、総枚数わずか十枚あまり。一ヶ月の分量がたった一枚ぐらいというミニチュア連載小説である。それだけのものである。
『地球を狙う者』は「日の出」に発表したもの。大衆雑誌が、近来こうした科学小説を註文してくれるようになったことは、たいへん悦ばしいことであり、そしてまた一大進歩というべきである。春は遠からず。但しこの小説も、長編として行きたい構想のものであるから、この紙数では物足りない。
『新学期行進曲』と『電気玉手箱』と『新聞社見学』と『文化放送演芸──電気』とは、ともに放送の台本である。そしていずれも昨年JOAKから全国中継で放送されたものである。
底本:「海野十三全集 別巻1 評論・ノンフィクション」三一書房
1991(平成3)年10月15日第1版第1刷発行
初出:「十八時の音楽浴」ラヂオ科学社
1939(昭和14)年5月5日第1版第1刷発行
※「海野十三全集 別巻2」(三一書房)の「作品目録」では、「宇宙囚第一号」は「宇宙女囚第一号」となっていますが、底本のままとしました。
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年6月14日作成
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