犬神娘
国枝史郎
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一
安政五年九月十日の、午の刻のことでございますが、老女村岡様にご案内され、新関白近衛様の裏門から、ご上人様がご発足なされました際にも、私はお附き添いしておりました。(と、洛東清水寺成就院の住職、勤王僧月照の忠実の使僕、大槻重助は物語った)さて裏門から出て見ますると、その門際に顔見知りの、西郷吉之助様(後の隆盛)が立っておられました。
「吉之助様、何分ともよろしく」
「村岡様、大丈夫でごわす」
と、二人のお方は言葉すくなに、そのようにご挨拶なさいました。その間ご上人様にはただ無言で、雲の裏に真鍮のような厭な色をして、茫とかかっている月を見上げ、物思いにふけっておられました。でもいよいよお別れとなって、
「ご上人様、おすこやかに」
と、こう村岡様がおっしゃいますと、
「お局様、あなたにもご無事で。……が、あるいは、これが今生の……」
と、たいへん寂しいお言葉つきで、そうご上人様は仰せらました。
行き過ぎてから振り返って見ましたところ、まだ村岡のお局様には、同じところに佇んで、こなたを見送っておられました。
それから私たち三人の者は、ご上人様のご懇意の檀那で、御谷町三条上ルに住居しておられる、竹原好兵衛様というお方のお家へ、落ち着きましてございます。
すると有村俊斎様が、間もなく訪ねて参られました。
吉之助様と同じように、薩州様のご藩士で、勤王討幕の志士のお一人で、吉之助様の同士なのでございます。
「さて上人の扮装だが、何んとやつしたらよかろうのう」
と吉之助様はこうおっしゃって、人並より大きい切れ長の眼を、ご上人様へ据えられました。
すると側にいた俊斎様が、
「竹の笠に墨染めの腰衣、乞食坊主にやつしたらどうかな」
と、眉の迫った精悍な顔へ、こともなげの微笑を浮かべながら、そう吉之助様へおっしゃいました。
「それには上人は立派すぎるよ。神々しいほど気高いからのう」
「なるほど、優しくて婦人のようでもあるし」
「高僧の姿そのままで、駕籠に乗って行くが無難じゃろう」
「途中で疑がわれて身分を問われたら?」
「薩摩の出家じゃと申せばよか」
「それにしては言葉がちとな」
「師の坊は幼少より京都におわし、故郷に帰らねばとこう申せばよか」
「なるほど、上人の京訛りも、そう云えば疑がいなくなるじゃろう。それでもとやかく申す奴があったら、この有村たたっ切る」
「痴言申すな!」
と吉之助様が、その瞬間に恐ろしいお声で、こう俊斎様を叱咤なされました。
「月照上人は近衛殿から、俺が懇篤に頼まれたお方じゃ! それに俺には義兄弟じゃ! 安全の場所へおかくまいするまでは、上人の身辺で荒々しい所業など、どうあろうと起こしてはならぬ! それを何んじゃ斬るの突くのと! もう汝の力など借りぬ! 俺一人で送って行く! 帰れ帰れ、汝帰れ!」
力士陣幕に似ているといわれる、肥えた大きなお躰を、いつものんびりと寛がせて、子供に懐かれるような優しいお顔を、たえず長閑そうに微笑させておられる、そういう吉之助様ではありましたが、たまたまお怒りになりますると、雷が落ちたと申しましょうか、霹靂が轟いたと申しましょうか、恐ろしいありさまでございました。
(いったいどうなることだろう?)と、私は小さくなって見ていました。
でも何んともなりませんでした。吉之助様に対しますると、弟のように柔順な俊斎様が、
「これは俺がよくなかった。軽卒な真似など決してせぬ。帰れといわれて帰られるものではなし、一緒に上人を送らせてくれ」
と、こう穏かに詫びましたので、吉之助様の怒りも解け、
「俺も少し云い過ぎたようじゃ」
と、気の毒そうに云ったからでした。
この間ご上人様は何もおっしゃらず、透きとおるほど白いお顔の色、和尚様と申そうよりも、尼君様と申しました方が、いっそう似つかわしく思われるような、端麗柔和の上品のお顔へ、微笑をさえも含ませて、争いを聞いておられました。これは吉之助様のご性質や、俊斎様のご性質を、知りきっておられたからでございまして(争いの後には和解が来る)ことを、見抜いておられたからでございます。
ご上人様を上等のお駕籠にのせ、私たち三人がご警護して、竹原様のお家を出ました時、東の空は白みはじめ、涼しいよりも少し肌寒い風が、かなり強く吹いておりました。
二
駕籠の前方半町ばかりの先を、俊斎様が警戒して歩き、吉之助様が駕籠側に附き、私がその後からお従いする──といった順序で歩いて行きました。坊主負いにした風呂敷づつみの荷物を、揺り上げ揺り上げ従いて行く私の、眠りの足らない眼にも町の辻や角に、捕吏らしい人影の立っているのが見えて、心がヒヤヒヤいたしましたが、眼にとめて駕籠を見送るばかりで、誰何するものとてはありませんでした。平然と歩いて行ったからでしょう。
こうしてとうとう京の町を出はずれ、竹田街道へさしかかりました。と先を歩いていた俊斎様が、足早に引っ返して参りまして、
「捕吏らしい奴ばらが十二、三人、向こうの茶屋に集っておるがな」
と、吉之助様に囁きました。
「さよか」と吉之助様はおっしゃいまして、しばらく考えておられましたが、「轎夫、この駕籠を茶屋の前で止めろ、人数の真ん中へ舁き据えてくれ」とこのようにおっしゃってでございます。
私も驚きましてございますが、俊斎様も驚いた様子で、首を一方へ傾げましたが、でも何んともおっしゃいませんでした。(西郷どんは大相もない人物、考えがあってやることだろう)と、こう思われたからでございましょう。
茶屋というのは立場茶屋のことで、町から街道へ出る棒端には、たいがいあるものでございます。
そこへ駕籠が据えられました。
と、不意に吉之助様が、
「あんまり早く起こされたので、わッはッはッ、この眠いことはどうじゃ。渋茶なと啜らんと眼が醒めんわい」
と、大きな声で云われました。
すると隙かさず俊斎様が、
「俺は酒じゃ、冷酒じゃ。こいつをキューッとあおらんことには、腹の虫めがおさまらぬげに」
と、これも大声で云われました。
捕吏らしい様子の者が十二、三人と、早立ちの旅人らしい者が五、六人がところ、土間にも門口にも門の外にも、ごちゃごちゃ入り混んでおりまして、茶屋は混雑しておりました。
駕籠は門口へ据えられたのでした。
往来を警戒するかのように、捕吏たちの多くはその門口に、かたまって立っていたのでしたが、その真ん中へ駕籠を据えられ、吉之助様や俊斎様に、そんなような態度に出られましたので、疑惑を起こさなかったばかりでなく、むしろ飽気にとられたような様子で、駕籠から離れてしまいました。
そこで私たち三人の者は、駕籠をその場へ舁き据えたまま、土間の中へはいって行き、上がり框へ腰をかけました。
と、この茶屋の娘らしい女が、茶をついだ湯呑みを盆にのせて、人混みの中を分けるようにして、ご上人様の駕籠の方へ歩いて行きかけました。
その時声が聞こえましたっけ。──
「ちょいと娘さん妾へおかしよ。……妾の方が近間だよ。……代わってお給仕してあげようじゃアないか」
綺麗な張りのある声でした。
門口に近い柱に倚って、甲斐絹の手甲と脚絆とをつけ、水色の扱きで裾をからげた、三十かそれとも二十八、九歳か、それくらいに見える美しい女が、そう云ったのでございます。痩せぎすで身丈が高く、抜けるほど色が白い、眼は切れ長で睫毛が濃く、気になるほど険があり、鼻も高く肉薄で鋭く、これも棘々しく思われましたが、口もとなどはふっくりとして優しく、笑うと指の先が沈むほどにも、左右に靨が出来るという、そういう眼に立つ女でした。
「ではおねがいいたします」
茶屋の娘がこう云い云い、差し出した盆を片手で受け取ると、その女はそれを持って人を分けて、門口の方へ行きました。
ご上人様の駕籠に近寄ったのでした。
何がなしに不安を感じまして、私はハッといたしましたが、吉之助様も俊斎様も、同じように不安を感じられたと見えて、顔を見合わせましてございます。
といってどうすることも出来ませんので、私たちはじっと見詰めていました。
駕籠へ近寄りますとその女は、何か云ったようでございます。すると駕籠の扉が細目に開いて、ご上人様の手が出ました。湯呑みを取ろうとなされたのでしょう。女の手にしても珍らしいほどの、白い細い柔かい、指の形などのいかにも上品な──とんと形容しようもないほどに、お美しいお手でございました。
と、どうでしょうそのご上人様の手先を、甲斐絹の手甲の女の手が、ヒョイと握ったではございませんか。
(あッ)と私が思いましたとたんに、吉之助様が腰を上げました。手を刀の柄へかけながら。
三
その次に起こった出来事といえば、ご上人様が手を引かれたことと、それについて女が半身を泳がせ、駕籠の扉へもたれかかり、扉の間から顔を差し入れ、ご上人様のお顔を見たらしいことと、その拍子に湯呑みが盆から落ちて、地面へ茶をこぼしたことでした。
吉之助様は門口まで突き進んでいました。
でももうその時にはその女は、湯呑みと盆とを両手に持って、こちらへ引っ返して来ていました。
「とんだ粗相をしたってことさ」
土間へはいると伝法な口調で、でもいくらか恥じらった様子で、こうその女は申しましたっけ。
「妾ア湯呑みをひっくりかえしてしまったよ……。お給仕されることには慣れているけれど、することには慣れていないんだねえ。……姐さんあんたから上げておくれよ」
で、わたしはホッといたしまして、胸をなでおろしましてございますが、不意にその時わたしの横手で、
「おいどうだった?」
という男の声が、囁くように聞こえましたので、そっとその方へ眼をやって見ました。
四十そこそこらしい旅姿の男が、ご上人様へお茶をあげた例の女の側に、佇んでいるではございませんか。合羽を着、道中差しを差し、両手を袖に入れている恰好は、博徒か道中師かといいたげで、厭な感じのする男でした。三白眼であるのも不快でした。
「駕籠の中のお方はご婦人だよ」
これが女の返事でした。
ご上人様を京都から抜け出させて、薩摩へ落とすよう計らいましたのは、近衛殿下なのでございます。井伊様がご大老にお成りになられるや、梅田源次郎様や池内大学様や、山本槇太郎様というような、勤王の志士の方々を、追求して捕縛なさいまして、今後も捕縛の手をゆるめそうもなく、そこで以前から勤王僧として、公卿と武家との仲を斡旋したり、禁裡様から水戸藩へ下されましたところの、密勅の写しを手に入れて、吉之助様のお手へお渡しになったりして、国事にご奔走なさいましたところの、ご上人様のご身辺も危険になられました。それを近衛様がご心配あそばされ、吉之助様にお頼みになり、ご上人様をどこへなと安全なところへ、お隠匿いなさろうとなされましたので。最初はご上人様の知己の多い、奈良へでもということでございましたが、意外に捕吏の追求が烈しいので、薩摩へということになったのでございます。
竹田街道の立場茶屋の変事も、何事もなく済みまして、無事わたしたちは伏見に着きました。それから船で淀川を下り、夕刻大坂の八軒屋に着き、上仲仕の幸助という男の家へ、ひとまず宿をとりました。わたしたちが大坂におりましたのは、二十四日まででありましたが、この間に鵜飼吉左衛門様や、そのご子息の幸吉様や、鷹司家諸太夫の小林民部輔様や、同家のお侍兼田伊織様などという、勤王の方々が幕府の手により、続々捕縛されまして、ご上人様追捕の手も厳しくなったという、そういう情報がはいりましたので、これはうかうかしてはいられないというので、その夜のうちに薩摩へ向けて立とうと、土佐堀の薩州邸下から小倉船に乗り、漕ぎ出すことにいたしました。一行はご上人様と吉之助様と、俊斎様と私とのほかに、薩州ご藩士の北条右門様との、この五人でございまして、三人のお方が駕籠を警護し、私だけが半町ほど先に立って、あたりの様子をうかがいながら、纜ってある船の方へ行きました。おりから晴れた星月夜で、河岸の柳が川風に靡いて、女が裾でも乱しているように、乱れがわしく見えておりましたっけ。と、一木の柳の木の陰から、お高祖頭巾をかぶった一人の女が、不意に姿をあらわしまして、わたしの方へ歩いてまいりましたが、
「重助さん、ご苦労だねえ」と、こう云ったではありませんか。
わたしはハッとなりドキリとして、早速には言葉も出ませんでした。
「あのお方の手、綺麗だねえ」
「…………」
「綺麗な手のお方をお送りして、重助さん遠くへ行くんでしょう」
「…………」
「だからご苦労と云っているんだよ」
「女ってもの変なものでねえ、男の何んでもないちょっとしたことに、くたくたになってしまうものさ。たとえばその人の足の踵が、桜貝のような色をしていたというので、旦那をすててその人と逃げたり、その人が笑うと糸切り歯の端が、真珠のように艶めくというので、許婚をすててその人と添ったり、おおよそ女ってそんなものだよ。……あの人のお手、綺麗だねえ」
「…………」
「八百八狸も名物だけれど、でも四国にはもっと凄いものが、名物となっている筈だよ。犬神だアね、犬神だアね」
「…………」
「でも犬神もこんなご時勢には、ご祈祷ばかりしていたんでは食えないのさ……。犬の字通り隠密にだってなるのさ。……取っ付きとさえ云われている犬神、こいつが隠密になったひにゃア、どんな獲物だって逃がしっこはないよ」
四
わたしとその女とは突っ立ったままで、話しているのではありませんでした。わたしが河岸の方へ歩いて行くので、その女が従いて来て、そう小声で話しかけるのでした。
「でもねえ」とその女は云いつづけました。「そういう女が裏返ると、かえって力になるものでねえ。……綺麗なあの手に触れてからというもの、わたしは、そうさ、犬神の娘は。……それはそうと、ねえ重助さん、向こうにどんな奴が集っていたって、船頭の奴らが何をごてようと、心配はいらないからそう思っていておくれ。……それからねえ重助さん、わたしたちのお仲間犬神の者は、四国は愚か九州一円に、はびこっているんだから安心しておくれ。福岡にであろうと薩摩にであろうと。……じゃア重助さんさようなら、折りがあったらわたしのことを、手の綺麗なお方へおっしゃっておくれよ。……でも重助さん解ったかしら? わたしって女誰だかわかって?」
「へい、竹田街道の立場茶屋で。……」
「ああそうさ、あの時の女さ。……では重助さんさようなら」
こういうとその女は私からはなれて、先へ小走って行ってしまいました。
(このことは吉之助様や俊斎様へ、お話した方がよいだろうか? それとももう少し封じておこうか?)と、思案のきまらない心持ちで、私はノロノロ歩いて行きました。
するとすぐに駕籠に追いつかれました。
距離がはなれていたためか、私とその女とが話していたことが、吉之助様たちには解らなかったらしく、どなたも何んともおっしゃらなかったので、わたしも黙っておりました。
わたしたちは進んで行きました。
すると柳の老木があって、濃い影を地に敷いておりましたが、そこに十数人の人がいて、こっちをじっと窺っていました。それがどうやら捕吏らしいのです。
「どうしよう?」と俊斎様が囁かれました。
「かまわん」と吉之助様がおっしゃいました。
「船はもう眼の先にある。面倒になったら叩っ切れ」
「斬ってはならんとおはん申したが。……」
「時と場合じゃ、今はよか。……斬り払って上人を船に乗せるのじゃ。乗せてしまえばこっちのものじゃ」
「斬りたいの。久しく斬らん」
「そういう心がけで斬ってはよくない」
「フ、フ、フ、なるほどそうか」
捕吏らしい人影の前まで来ました。
にわかにそいつらが動き出し、五、六人が飛び出そうといたしました。
するとさっきの女の声でした。
「妾アお供の露払いの奴に、たった今謎をかけて確かめてみたのさ。人違いだよ捨てておきな。駕籠の中にいるなア女だよ」
地面に近い二尺ばかりの宙に、小指で朱を捺したような赤い火が、ポッツリ光っておりましたっけ。例の女がしゃがみこんで、煙草を喫っていたんですねえ。
とうとうわたしたちは船の纜ってある岸まで、無事に着くことが出来ました。
そこでご上人様を駕籠から出し、真っ先に船へ乗せまして、わたしたちもつづいて乗りました。
「上人船へお寝なされ」
そう吉之助様がおっしゃいました。
云われるままにご上人様が、つつましく船底へ横になりますと、吉之助様は自分の羽織を脱がれ、その上へ素早くお着せになり、
「さあ船夫いそいで船を出せ」
「駄目ですよ、出せませんねえ」
と、不意に一人の船夫が云って、
「なアおいお前たちそうじゃアないか」と、仲間の方へ顔を向けました。
するともう一人の若い船夫が、
「こんな深夜に坊様を乗せて、船を出すとは縁起が悪い。そうともよ船は出せねえ」と、合槌を打つように云ったものです。
「黙れ」と俊斎様はお怒りになり、鋭いしかし窃めた声で、「ぐずぐず申すとその分には置かんぞ。これ早く船を出せ!」
こうおっしゃって刀の柄へ、もう手をかけておられました。
でも船夫たちはますます図太く、
「へえ、斬るとおっしゃるので。ところがあっしたち斬られませんねえ。水の上ならこっちが得手で、刀を抜いてお斬りになるのが早いか、あっしたちが水へ飛び込むのが早いか、物は験だ、やってごらんなせえ」
「水へ飛び込んだらいよいよ得手だ、船なんかすぐにもひっくりかえして見せる」
と、こう口々に云うのでした。
「よか、まアまアそう申すな」
吉之助様は穏かに云われて、小粒を三つ四つ懐中から出され、
「これで機嫌を直してくれ、約束の他の当座の酒手じゃ」と、なだめるように申したことです。
五
ところがどうでしょうそうあつかっても、船夫たちは云うことを聞こうとはしないで、
「酒手が欲しくて云っているのではごわせん、深夜に坊さんを乗せるってことが……」
「船に坊主は禁物でしてね」
「それに深夜の坊主と来ては……」
「坊主は縁起が悪いんで」
と、どうしたものかだんだん声高に、坊主坊主とそう叫んで、岸の上の方を見上げるのでした。
さすがの吉之助様もこの様子を見られて、これはいけないと感じられたのでしょう、チラッと俊斎様へ眼くばせをされ、素早く刀の柄へ手をやられましたが、その時岸の上に女の姿があらわれ、
「船頭さん模様変えだよ、その人たちには用はないのさ。早く船を出しておあげ」
と、綺麗な声で云うのが聞こえて来ました。申すまでもなく例の女なのです。ところがどうでしょうそう云われましても、
「姐ごのせっかくのお言葉ですが、あっしたちゃア姐ごに頼まれたんではなく……」
「藤兵衛の親分さんにご依頼受けたんですからねえ……」
「現在坊主が……」
と口々に云って、船夫たちは諾こうとはしないのです。
「お黙り!」と女は癇にさわったような声で、「このお綱がいいと云ってるのだよ、そうさいいから船をお出しって……」
「しかし姐ご、現在坊主が……」
「餓鬼め!」
とたんに女の片手が、髪の辺へ上がりました。
「ギャーッ」
まるで獣の悲鳴でした。
最初から頑強に反対していた船夫の、三十五、六の肥り肉の奴が、そう悲鳴して顔を抑えましたが、体を海老のように曲げたかと思うと、船縁を越して水の中へ真っ逆様に落ち込みました。わたしの見誤りではありません、その男の左の眼から銀の線のようなものが、星の光にキラキラ光って、突き出されているのが見えたことです。小柄かそれとも銀脚の簪か? いまだにわたしには疑がわしいのですが。
「出せ船を!」
「出さねば汝ら!」
「同じ運命だぞ、命がないぞ!」
見れば吉之助様と俊斎様と、そうして北条右門様とが、抜き身を差しつけ船夫たちを取り巻き、そう叱咜しておられました。
グ──ッと船は中流へ出ました。
茅渟海の真ん中へ出ました時、ご上人様は一首の和歌をしたため、吉之助様へお目にかけました。
難波江のあしのさはりは繁くともなほ世のために身をつくしてむ
こういう和歌でございます。上は御大老井伊直弼様の圧迫、下は捕吏だの船夫などの迫害、ほんとにご上人様のご一生は、さわりだらけでございました。
さてわたしたちを乗せた小倉船は、八昼夜を海上についやしまして、事なく下関へ着きましたので、とりあえず薩摩の定宿の、三浦屋というのへ投じました。十月一日の午後のことでございます。その翌日でありましたが、「藩の事情を探らねばならぬ」と、このように吉之助様は仰せられ、薩摩へ向かってご発足なされました。それから幾日か経ちました時に、俊斎様はご上人様を連れられ、竹崎の地へおいでになり、同志の白石正一郎様のお家に、しばらくご滞在なさいましたが、さらに博多に移りまして、藤井良節様という勤王家のお屋敷へ、お隠匿いなさいましてございます。そうしてご自身におかれましては、吉之助様のご返辞の遅いのを案じて、薩摩へ帰って行かれました。
どうでしょうこの頃になりますると、ご上人様追捕の幕府の手が、いよいよ厳しくなりまして、行くところに捕吏らしい者の姿が、充ち充ちておるというありさまであり、その人相書も各地に廻されていて、これを捕えて申し出る者には、恩賞は望みに任すとまでの布令が、発布されておるというありさまなのでございます。それでご上人様におかれましては、博多の地に滞在しておられましても、福岡ご城下の高橋屋正助という、侠商の別荘にひそんだり、斗丈翁という有名な俳人の、五反麻という地の庵室へかくれたりして、所在をくらましておられました。
六
さてこの頃のことでございますが、ある日私は五反麻を出、福岡ご城下へ用達しに行きました。そうして夕暮れになりました頃、斗丈様の庵室へ帰ろうと思って、その方へ足を向けまして、ご城下はずれまで参りました。歩きつかれておりましたので、道端の石へ腰を下ろして、しばらくぼんやりしておりましたっけ。この辺は人家もたいへんまばらで、その家々も小さなもので、全体がみすぼらしく眺められましたが、私の眼の前にある家ばかりが、一軒だけ立派で宏壮でした。巡らされてある土塀も厳めしく、その内側に立っている幾棟かの建物も、やはり厳めしく立派でした。でもそのうちの一棟が、とりわけ高く他の棟から抽んで、しかもその屋根に千木を立て、社めいた造りに出来ているのが、不思議に思われてなりませんでした。それにその屋敷全体が、どうやら無住の空家らしく、雨戸も窓も閉ざされていることも、何か心にかかりました。この日の最後の夕陽の光が、猩々緋のように華やかに、千木の立ててある建物の雨戸にあたって、火の燃えているように見えているのへ、わたしは無心に眼をやりながら、つかれた膝の辺を撫でていました。
「おや?」
とわたしは思わず云いましたっけ。
その雨戸が細目に開いて、そこから手が一本あらわれて、何かを庭へ捨てたようでしたが、すぐにまた引っ込んで、雨戸もすぐにとざされたからです。
(あの屋敷、空家ではなかったのか)この意外さもありましたが、しかしそれよりも雨戸の間から出た、白い細い上品な手──肘の上までも袖がまくれて、二ノ腕の一部をさえあらわした手が、見覚えあるように思われたことが、わたしに「おや」と云わせたのです。
(ご上人様のお手に相違ないんだがなア)
女にもなければ男にもない、何んともいえず綺麗で上品で、勿体ないほど優美のご上人様のお手を、たとえ遠くから瞥見したにしろ、わたしとして見違えることがあるものですか。
(あれはたしかにご上人様のお手だ。……でもしかしご上人様があんなところにおられる筈はない)
この疑惑に苦しんで、わたしはしばらく途方にくれていました。と、その時わたしの背後から、咳をする声が聞こえて来ました。
ふり返って見ますると五十歳ぐらいの、墨染めの法衣に黒の頭巾をかむった、気高いような尼僧様が数珠をつまぐりながら、しずかに歩いておるのでした。
「尼僧様」とわたしは声をかけました。「突然失礼ではございますが、あれに見えます土塀のかかったお屋敷は、どなた様のお屋敷でございましょうか?」
すると尼僧様はわたしを見、それから屋敷の方へ眼をやりましたが、
「あああのお屋敷でございますか、あれは世間普通のお方とは、交際もしなければ交際ってもくれない、特別の人のお屋敷なのですよ」
と、大変清らかな沈着なお声で、そうお答えくださいました。
「世間普通のお方と交際わない、特別のお方とおっしゃいますのは?」
「それはねえこうなのです。そのお方が何かを欲しいと思って、それを持っている人を見詰めた時、その人がそれを与えればよし、与えない時にはその人の身の上に、恐ろしい災難が落ちて来るという……」
「ああではとっつきなのでございますね」
「そう、ある土地ではとっつきと云い、あるところでは犬神ともいいます」
「犬神⁉」とわたしは思わず叫びました。「あの女も犬神だった!」
竹田街道の立場茶屋や、土佐堀の岸で逢った例の女のことを、忽然思い出したからでございます。
「でもあの屋敷はずっと長い間、空家になっているのですよ」
と、そう尼僧様が云いましたので、わたしは尼僧様の方へ眼をやりました。尼僧様は歩き出しておりました。
「いえ、ところが、雨戸が開いて、たった今綺麗な手が出たのです」と、私は云い云い腰を上げました。
でも尼僧様は何んにも云わないで、わたしのことなど忘れたかのように、少し足早に五反麻の方へ、歩いて行っておしまいになりました。
それでもわたしはなお未練らしく、眼の前の屋敷を見ていました。すると土塀の正面の辺に、頑丈な大門がありまして、その横に定式の潜門がありましたが、その潜門が内側から開きまして、一人の男が出て来ました。
(やはり空家ではなかったのだな)こう思いながらわたしはその男へ近寄り、
「ちょっと物をおたずねいたします」と、こう声をかけました。
「何んですかい?」とその男は云いましたが、わたしの顔をすかすようにして眺め、変に気味悪く笑いました。
七
その笑った男の顔を見て、わたしはヒヤリといたしました。竹田街道の立場茶屋で、「おいどうだった?」とお綱という女に向かい、声をかけたところの男だったからです。
「何か用ですかい」とその男が云って、もう笑顔を引っ込ませ、怪訝そうに訊きかえしました。
「いいえ……ナーニ……なんでもないんですが……お見受けしましたところあのお屋敷から……」
「あの屋敷がどうかしましたかな?」
「いいえ、ナーニ、何んでもないんですが……空家だと思っておりましたところが、あなた様が潜門から出て来られたので。……それに綺麗な手が見えたりしましたので……」
「綺麗な手? なんですかそいつは?」
「千木の立ててある建物から──建物の二階の雨戸から、綺麗な上品な手が出ましたので……」
「ナニ、千木のたててある建物から、綺麗な上品の手が出たんだって」と、その男はひどく驚いたように云って、その建物を振りかえって眺めましたが、「何を馬鹿らしいそんなことが。……お前さんあそこはあらたかな所でね、ある一人の女の他は、誰だってはいれねえところなのさ。……はいったが最後天罰が……だが待てよ、そこから手が出た? とするとあの女の手なんだろうが、俺らあの女とは今しがたまで、別棟の主家で話していたんだ」
後の方はまるで独言のように云って、もう一度その男は振りかえって、その建物を眺めましたが、
「馬鹿な、そんなことがあるものか! ……それはそうとオイ重助さん、五反麻の生活面白いかね」
「え?」とわたしはギョッとしましたが、「へい……何んでございますか」
「あのお方たっしゃかい」
「え? へい……あのお方とは?」
「ご上人様のことよ、しらばっくれるない」
「…………」
「アッハッハッ、まあいいや。……おっつけお眼にかかるから」
云いすてるとその男は飛ぶような早さで、町の方へ走って行きました。
道々考えにふけっておりましたので、斗丈様の庵室へ行きついた時には、初夜近い時刻になっていました。小門をくぐろうといたしました。
と、どうでしょう手近のところから、呼子の音が聞こえて来たではありませんか。
「おや!」と思わず云いましたっけ。
と、生垣と植え込みとによって、こんもり囲まれている庵室を眼がけて、数十人の人影がどこからともなく現われ、殺到して行くではありませんか。
(捕吏だ!)と私は突嗟に思いました。(ご上人様を捕えに来た捕吏たちだ!)
そう思った私を裏書きするように、
「方々捕吏だ、捕吏でござるぞ!」と叫ぶ、斗丈様の狼狽した声が聞こえて来ました。
それに続いて聞こえて来たのは、戸や障子の仆れる音、捕吏たちの叫ぶ詈り声などで、その捕吏たちが庵室へ駈け上がり、奥の方へ乱入して行く姿なども、影のように見えました。わたしは夢中で走って行きました。
でも庵室の縁の前まで行った時、抜き身を揮って喚く北条右門様や、鞘のままの大刀を左手に提げ、右手で捕吏たちを制するようにしている、わたしの見知らない若いお侍さんや、顔色を変えている斗丈様、そういう方々によって警護され、しかし大勢の捕吏たちによって、奥の部屋から引き出されたらしい、ご上人様の法衣姿が、勿体なく痛々しく現われて来ました。
(ああとうとうお捕られなされた?)
と、私は眼をクラクラさせ、地面へ膝をついてしまいました。
そういう眩んだわたしの眼にも、ご上人様の片袖を握っている男が、竹田街道の立場茶屋で逢い、そうしてたった今しがた、怪しい屋敷の前で逢ったところの、例の男であることがわかりました。
何んという無礼な男なのでしょう、その男は不意に手をあげて、ご上人様の冠っておられた黒の頭巾を、かなぐりすてたではありませんか。
「あっ」
わたしも驚きましたが、捕吏たちもすっかり胆をつぶし、叫んだり喚いたり詈ったり、座敷から庭へ飛び下りたりしました。
突然笑い声が爆発しました。
右門様が抜き身を頭上で振りまわし、躍り上がりながら笑ったのでした。
「ワッハッハッ、思い知ったか!」
「だから拙者申したのじゃ」と、右門様の笑い声に引きつづき、総髪の大髻に髪を結い、黒の紋附きに白縞袴を穿いた、わたしの見知らないお侍様が凛々しい重みのある澄んだ声で、そう捕吏たちに云いました。
「人違いじゃ、粗相するなと。……平野次郎国臣は嘘言は云わぬよ。……月照上人など当庵にはおられぬ。……これなるお方は野村望東尼殿じゃ。……福岡において誰知らぬ者とてはない、女侠にして拙僧の野村望東尼殿じゃ。……和歌の会催そうそのために、望東尼殿も拙者も参会したものを、月照上人召し捕るなどと申して、この狼藉は何事じゃ」
内外森然としてしまいました。
おおおおそれにしても何んということなのでしょう、ご上人様と思っていたそのお方は、さっき方怪しい屋敷の前で、わたしが物を訊ねましたところの、尊げな尼僧様でありましたとは。
八
這々の態で捕吏たち一同が、斗丈庵から立ち去った後、わたしたちは奥の部屋へ集まりました。野村望東尼様や平野国臣様が、この夜斗丈庵へ参りましたのは、お二人ながら勤王の志士女丈夫なので、同じ勤王家のご上人様を訪ね、国事を論じようためだったそうです。このことはよいといたしまして、わたしたちにとりましてどうにもわからない、一大事件の起こっておりますことを、庵主斗丈様の口から承わり、わたしたちは驚いてしまいました。というのはこの日の昼頃から、ご上人様のお姿が、庵から消えてしまったことなのです。
「庵の内は申すに及ばず、庵の外の心あたりを、くまなくおさがしいたしましたが、どこにもおいでござりませぬ」
こう斗丈様はおっしゃるのでした。
誰もが一言も物を云わず、不安と危惧とを顔に現わし、溜息ばかり吐いておりました。
とうとうわたしは我慢出来ずに、思っていることを云ってしまいました。
「お城下外れにある犬神の屋敷に、どうやらご上人様は監禁あそばされておると、そんなように思われるのでござります」
──それからわたしは出来るだけ詳しく、例の屋敷の建物の一つから、ご上人様の手だと思われる手が、雨戸の隙から出たということを、四人のお方に申しました。四人のお方は半信半疑、まさかと思われるようなお顔をして、黙って聞いておりましたが、
「ああそれだからあの時重助さんは、あんなことをわたしに訊いたのですね」と、望東尼様が仰せになり、「まさかそのような犬神の屋敷などに、ご上人様がおいでになろうとは思われませぬが、といってここに思案ばかりして、無為におりますのもいかがなものか。……せっかく重助様がああおっしゃることゆえ、ともかくもそこへ行って探ってみては?」
「それがよろしい」と平野国臣様が、すぐにご賛成なさいました。
「疑がわしきは調べた方がよろしい」
「では拙者も参るとしましょう」こう右門様もおっしゃいました。
斗丈様ばかりを庵へ残し、わたしたち四人が五反麻を立って、犬神の屋敷へ向かったのは、それから間もなくのことであり、後夜をすこしく過ごした頃には、屋敷の前に立っていました。
「まず拙者が」と云いながら、北条右門様が土塀を乗り越し、内側から潜り戸をあけましたので、わたしたちは構内へ入り込みました。
「静かに! ……いる、誰かいる。……それも大勢いるらしい」
植え込みの間を分けながら、千木の立っている建物の方へ、わたしたちが数間歩きました時、囁くような声で国臣様は云われ、にわかに足を止められました。
「北条氏、北条氏、貴殿には望東尼様を警護されて、ゆるゆる後からおいでくだされ。……重助おいで、わしと先駆じゃ」
そこでわたしは国臣様とご一緒に、先へ進んで行きました。手入れをしないからでありましょう、植え込みは枝葉を林のように繁らせ、雑草は胸まで届くほどにも延び、それが夜露を持ちまして、手や足に触れる気味の悪さは、何んともいいようがありませんでした。
「重助、あぶない、伏せ、地へ伏せ!」
国臣様が小さいお声で、でも叱咜なさるかのように、振りかえってそうわたしにおっしゃいましたのは、十間ほど進んだ時でした。
わたしはすぐに地へ寝ました。
寝たまま見ている私の眼の前を掠めて、二人の男が木蔭から飛び出し、左右から豹のように国臣様を目がけて、組みついて行くのが見てとられました。
つづいてわたしの眼に見えましたのは、飛鳥のように国臣様が飛び退き、瞬間片足を蹴上げたことと、それに急所を蹴られたのでしょう、一人の男が呻き声をあげて、あおのけざまに仆れたことと、しかしもう一人の男の方が、もうその時は国臣様の体へ、背後からしっかり組みついたことと、でもその次の瞬間に、その男は振りはなされ、振りはなされたとたんに国臣様によって、おそらくあて身をくわされたのでしょう、これも呻き声をあげながら、地に仆れたことでした。
「重助来い!」
「へい」
「向こうだ!」
木立のあなた遙かの向こうに、ぽっと火の光が射していましたが、その方へわたしたちは走って行きました。
千木のたててある建物が立っていて、その門の戸があいていて、そこから火の光が射していて、その前に十数人の人影がいて、何やら叫んでおります姿が、わたしたちの眼に見えました。
そうしてそれらの人々の背後に、丘のような蘇鉄の植え込みがあり、その蔭へわたしたちは走り込み、彼らの様子をうかがいましたが、屋内の様子に気をとられていたからか、彼らはわたしたちに気づきませんでした。
九
彼らは捕吏の一部でした。さっきかた斗丈庵へ押しよせて来た、その捕吏の一部でした。そうしてその中に例の男──竹田街道の立場茶屋や、この屋敷の門前で逢い、斗丈庵では望東尼様の頭巾を、かなぐりすてましたところの例の男がいて、それが屋内に呼びかけていました。
「お綱、出て来い! ヤイ下りて来い!」
でも屋内からは返辞がなく、森閑としておりました。
「来ないか、来なければ俺が行くぞ!」
またその男は叫びました。
しかし依然として屋内からは、何んの返辞もないらしく、森閑としておりました。
「行きな、親分、とり逃がしたら事だ」
「姐ごは心変わりしたんですぜ。……今ではあべこべに敵方で。……ですから親分踏み込んで行って……」
集まっている捕吏の口々から、そういう声々が叫ばれました。
「うむ、そいつは知ってるが、ここは迂濶にはいれない、あらたかなところになっているのだからなあ」
「あらたかもクソもあるものですかい。あっしたちの手入れの先廻りをして、お尋ね者を連れ出して、かくまっている姐ごじゃアありませんか。よしんばそいつが親分の情婦にしたところで……」
「そうともよ、見遁がせねえなあ」
「そいつを愚図愚図しているようなら、目明し文吉の兄弟分、三条の藤兵衛とはいわせませんぜ」
「うるせえヤイ!」と藤兵衛という男は、突然怒り声をひびかせましたっけ。「そうまで手前たちにいわれちゃア。……お綱、いよいよ下りて来ねえか、よーしそれじゃアこっちから行く! ……手前たちここに待っていろ、俺ひとりで踏み込んで行くから」
藤兵衛という男の勢い込んで、門口から屋内へ駆け込んで行く姿が、すぐにわたしたちの眼に映りました。と、その後しばらくの間は、ひっそりとしておりました。でも俄然「わーッ」という声が、門口に群れている藤兵衛の乾児──捕吏たちの間から湧き起こり、つづいて蜘蛛の子を散らすように、四方へ逃げ出したという意外な出来事が、惹起されたではありませんか。
「重助、行こう、さあこの隙に!」
国臣様が走り出しましたので、わたしもついて走りました。
しかし千木のある建物の、その門口まで走りついた時には、わたしも国臣様も「あッ」と叫び、思わず足を止めてしまいました。
肩から捥ぎ取られた男の片腕が、まだ血を捥げ口から吐きながら、土間にころがっているからです。
「怯けるな、行け!」
と国臣様が叫び、はじめてお腰の刀を抜かれ、左の袖で蔽うようにされ、上がり框からすぐに二階へ、ゆるい勾配につづいている広い階段を、飛ぶようにお駈け上がりなさいましたので、夢中でわたしも駈け上がりました。階段をあがりきった時でした、笑うとも嘲けるともたしなめるとも、どうともとれるような不思議な気味の悪い、鬼気を帯びた嗄れた女の声で、
「まだ懲りぬか! ここへ来てはならぬ!」
と、そういうのが聞こえて参りましたが、つづいて何かが投げつけられました。
「…………」声も出されずわたしはへたばってしまいました。肩から捥ぎとられた片腕が、わたしの胸へあたったからです。
へたばったままで顔を上げて、奥の部屋を見た時のわたしの恐怖は! おお何んと云ったらいいでしょうか! ともかくもわたしの一生を通じて、忘れられないものでございました。
一匹の巨大な白犬が、人間の男を抱きすくめ、その喉笛を食い裂いているのです。
犬神の娘のお綱という女が、巫女の着る白い行衣を着、裾まで曳きそうな長い髪を、顔や肩へふり乱し、両腕を捥がれて呼吸絶えているらしい藤兵衛という男を両手で抱きすくめ──後で聞いたことではございますが、この藤兵衛という目明しは、梅田源次郎様その他の志士を、あらゆる姦策をもって捕えました結果、自分も志士方に惨殺された、有名な京都の目明し文吉、この男の兄弟分でありましたそうで、そうしてお綱の情夫だったそうで、そうしてご上人様を捕えようとして、京都から浪速、九州と、つけ廻して来た男だったそうでございます。──その藤兵衛という男を抱きすくめ、その藤兵衛という男の咽喉を食い裂いた、血だらけの口、血だらけの顔を、藤兵衛という男の肩ごしに、わたしたちの方へ向けながら、怒りの眼を光らせている様子は、全く白犬が人間の男を、食い殺しているとそういう以外、いうべき言葉はありませんでした。古び赤茶け、ところどころ破れ、腸を出している畳の上には、蘇枋の樽でも倒したかのように、血溜りが出来ておりました。おお血といえば行衣姿のお綱の、胸から腹から裾の下まで、血で斑紋をなしているのです。血で縞をなしているのです。この凄まじい光景には、さすがの国臣様も怯えましたものか、抜き身を頭上にふりかぶったままで、進みもなさらず退きもなさらず、小刻みに肩を刻んでおられました。でもわたしはこういう際にも、ご上人様はどこにおられるかと、座敷の四方を見廻しました。おおご上人様はおられました。遙かの奥に古び色ざめた、紫の幕が下げてあり、金襴縁の御簾がかけてあり、白木ともいえないほど古びた木口の、神棚が数段設けられてあり、そこに無数の蝋燭が、筆の穂のような焔を立てて、大きな円鏡の湖水のような面を、輝かせながら燃えていましたが、その前の辺に俯伏しになられ、凄まじい惨酷な光景を見まいと、両の袖で顔を蔽われて、月照上人様はおられました。
でもどうしたらそのご上人様を、この恐ろしい犬神の祈祷所から、連れ出すことが出来るでしょうか? ただわたしは喘いでばかりおりました。
十
と、その時わたしの横を、しずかにしっかりと通って行く、人の気配を感じました。わたしたちの後から上がって来られた、野村望東尼様でございました。(あッ、あぶない!)とわたしは驚き、声をあげようとしました時には、もう望東尼様はご上人様の側まで、足を運ばれておりました。何がその次に起こったでしょう? 吠えるような声をあげながら、抱きすくめていた男の死骸を投げ出し、犬神の娘が猛然と、大切な餌のご上人様を奪い、つれ出そうとする望東尼様に向かって、躍りかかろうといたしました。でもその瞬間に二人の人が──国臣様と北条右門様とが、抜き身をさしつけて立ちふさがりました。
と、訓すような憐れむような、しかし凛々しい望東尼様のお声が、すぐに続いて聞こえて来ました。
「女の心は女が知る、お前様のお心持ち、この望東にはよくわかります。しかし月照上人様は、お前様一人のお方ではござりませぬ。この日本みんなのお方でござります!」
犬神の娘の慟哭する、犬の悲鳴さながらの声を、千木のたっている建物の、二階の部屋に聞き流して、ご上人様をお守りして、その屋敷から脱け出しましたのは、それから間もなくのことでございました。
斗丈庵へ帰られてから、ご上人様はおっしゃいました。
「今日の昼頃奥の座敷にいると、さも悲しそうな女の声で、ひっきりなしにわしを呼ぶのじゃよ。そこでわしは行ったのじゃよ。夢のような心持ちでのう。……はッと人心地のついた時には、あの祈祷所に坐っていたのじゃよ」
「あのお綱という犬神の娘は、何をご上人様になされましたので?」
「ただわしの手をしっかりと握って、撫でたりさすったりしたばかりじゃよ」
「ご上人様には一度雨戸をあけて、お手を出されたようでございますが?」
「あまり撫でられたりさすられたりしたので、手がどうかなりはしないかと思って、あの娘が階下へ下りて行った隙に、陽にあてて手を見たまでじゃよ」
──考えてみますれば犬神の娘が、犬神の法力でご上人様を、斗丈庵から誘い出したばかりに、斗丈庵で捕吏にとらえられるところを、お助かりなされたのでございます。
でもその後におけるご上人様の、おいたわしいお身の上というものは! 何んと申してよろしいやら、涙あるばかりでございます。
「旅衣夜寒むをいとへ国のため草の枕の露をはらひて」という、望東尼様の惜別の和歌に送られ、平野国臣様に伴なわれ、もちろんわたしもお供をし、吉之助様のご消息の遅いのを案じ、薩摩をさしてご上人様が、福岡の地をご出立なさいましたのは、同じ年の十一月一日で、薩摩のお城下に着きましたのは、同月十日でございました。
するとどうでしょう薩摩藩の情勢が、吉之助様たちのご努力にかかわらず、佐幕論に傾きまして、ご上人様を薩摩藩でかくまうことを、体よく拒絶ったばかりでなく、国境いにおいて斬殺する目的のもとに「東目送り」という陰険きわまる法を、あえて行なうことになりました。
義に厚く情にもろい吉之助様が、なんでご上人様を見殺しにしましょう。その結果が十一月十五日の夜、ご上人様と吉之助様とが、恋人同志のように相擁され、薩摩潟にご投身され、吉之助様は蘇生なされましたが、ご上人様はそのままお逝去りなされた、あの悲劇になったのでござります。
「大君のためには何かをしからん薩摩の瀬戸に身は沈むとも」これがご辞世でございます。
でも、おおおお、わたしといたしましては、それもこれも犬神の娘の、狂気じみた恋にひきずられて、はいったが最後恐ろしい運命が、落ち下るという犬神の祈祷所へ、ご上人様がおはいりなされました、その結果ではあるまいか? ……いえいえ、いえそんなことが!
でもやはり私には……。
底本:「怪しの館 短編」国枝史郎伝奇文庫28、講談社
1976(昭和51)年11月12日第1刷発行
初出:「講談倶楽部」
1935(昭和10)年9月増刊号
※「叱咤」と「叱咜」の混在は底本通りにしました。
入力:阿和泉拓
校正:多羅尾伴内
2004年11月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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