高野聖
泉鏡太郎



第一


参謀本部さんぼうほんぶ編纂へんさん地図ちづまた繰開くりひらいてるでもなからう、とおもつたけれども、あまりのみちぢやから、さはるさへあつくるしい、たび法衣ころもそでをかゝげて、表紙へうしけた折本をりほんになつてるのを引張ひつぱした。

 飛騨ひだから信州しんしうえる深山しんざん間道かんだうで、丁度ちやうど立休たちやすらはうといふ一本いつぽん樹立こだちい、みぎひだりやまばかりぢや、ばすととゞきさうなみねがあると、みねみねいたゞきかぶさつて、とりえず、くもかたちえぬ。

 みちそらとのあひだたゞ一人ひとりわしばかり、およ正午しやうごおぼしい極熱ごくねつ太陽たいやういろしろいほどにかへつた光線くわうせんを、深々ふか〴〵いたゞいた一重ひとへ檜笠ひのきがさしのいで、図面づめんた。」

 旅僧たびそうういつて、握拳にぎりこぶし両方りやうはうまくらせ、それひたひさゝへながら俯向うつむいた。

 道連みちづれになつた上人しやうにんは、名古屋なごやから越前えちぜん敦賀つるが旅籠屋はたごやて、いましがたまくらいたときまで、わたしつてるかぎあま仰向あふむけになつたことのない、つま傲然がうぜんとしてものないたち人物じんぶつである。

 一体いつたい東海道とうかいだう掛川かけがは宿しゆくからおなじ汽車きしやんだとおぼえてる、腰掛こしかけすみかうべれて、死灰しくわいごとひかへたから別段べつだんにもまらなかつた。

 尾張をはり停車場ステーシヨン乗組員のりくみゐん言合いひあはせたやうに、不残のこらずりたので、はこなかにはたゞ上人しやうにんわたし二人ふたりになつた。

 汽車きしや新橋しんばし昨夜さくや九時半くじはんつて、今夕こんせき敦賀つるがはいらうといふ、名古屋なごやでは正午ひるだつたから、めし一折ひとをりすしかつた。旅僧たびそうわたしおなじすしもとめたのであるが、ふたけると、ばら〳〵と海苔のりかゝつた、五目飯ちらし下等かとうなので。

(やあ、人参にんじん干瓢かんぺうばかりだ、)と踈匆そゝツかしく絶叫ぜつけうした、わたしかほ旅僧たびそうこらねたものとえる、吃々くつ〳〵わらした、もとより二人ふたりばかりなり、知己ちかづきにはそれからつたのだが、けばこれから越前ゑちぜんつて、ちがふが永平寺えいへいじたづねるものがある、たゞ敦賀つるが一泊いつぱくとのこと。

 若狭わかさ帰省きせいするわたしもおなじところとまらねばならないのであるから、其処そこ同行どうかう約束やくそく出来できた。

 かれ高野山かうやさんせきくものだといつた、年配ねんぱい四十五六しじふごろく柔和にうわな、何等なんらえぬ、可懐なつかしい、おとなしやかな風采とりなりで、羅紗らしや角袖かくそで外套ぐわいたうて、しろのふらんねるの襟巻えりまきめ、土耳古形とるこがたばうかむり、毛糸けいと手袋てぶくろめ、白足袋しろたびに、日和下駄ひよりげたで、一見いつけん僧侶そうりよよりはなか宗匠そうしやうといふものに、それよりもむしぞく

(おとまりは何方どちらぢやな、)といつてかれたから、わたし一人旅ひとりたび旅宿りよしゆくつまらなさを、染々しみ〴〵歎息たんそくした、第一だいいちぼんつて女中ぢよちう坐睡ゐねむりをする、番頭ばんとう空世辞そらせじをいふ、廊下らうか歩行あるくとじろ〳〵をつける、なによりもつとがたいのは晩飯ばんめし支度したくむと、たちまあかり行燈あんどうへて、薄暗うすぐらところでおやすみなさいと命令めいれいされるが、わたしけるまでることが出来できないから、其間そのあひだ心持こゝろもちといつたらない、こと此頃このごろながし、東京とうきやうときから一晩ひとばんとまりになつてならないくらゐ差支さしつかへがなくば御僧おんそう御一所ごいつしよに。

 こゝろようなづいて、北陸地方ほくりくちはう行脚あんぎやせつはいつでもつゑやすめる香取屋かとりやといふのがある、もと一軒いつけん旅店りよてんであつたが、一人女ひとりむすめ評判ひやうばんなのがなくなつてからは看板かんばんはづした、けれどもむかしから懇意こんいものことはらずとめて、老人夫婦としよりふうふ内端うちは世話せわをしてれる、よろしくばそれへ。其代そのかはりといひかけて、をりしたいて、

御馳走ごちそう人参にんじん干瓢かんぺうばかりぢや。)

呵々から〳〵と笑つた、慎深つゝしみふかさうな打見うちみよりはかるい。


第二


 岐阜ぎふでは蒼空あをそらえたけれども、あとにし北国空ほくこくぞら米原まいばら長浜ながはま薄曇うすぐもりかすかして、さむさがみるとおもつたが、やなではあめ汽車きしやまどくらくなるにしたがふて、しろいものがちら〳〵まじつてた。

ゆきですよ。)

やうぢやな。)といつたばかりでべつめず、あふいでそらやうともしない、此時このときかぎらず、しづたけが、といつて古戦場こせんぢやうしたときも、琵琶湖びはこ風景ふうけいかたつたときも、旅僧たびそうたゞうなづいたばかりである。

 敦賀つるが悚毛おぞけつほどわづらはしいのは宿引やどひき悪弊あくへいで、其日そのひしたるごとく、汽車きしやりると停車場ステーシヨン出口でぐちから町端まちはなへかけてまねきの提灯ちやうちん印傘しるしかさつゝみきづき、潜抜くゞりぬけるすきもあらなく旅人たびびと取囲とりかこんで、かまびすしくおの家号やがう呼立よびたてる、なかにもはげしいのは、素早すばや手荷物てにもつ引手繰ひツたぐつて、へい有難ありがたさまで、をくらはす、頭痛持づゝうもちのぼるほどこられないのが、れいしたいて悠々いう〳〵小取廻ことりまはし通抜とほりぬける旅僧たびそうは、たれそでかなかつたから、さいはひ其後そのあといてまちはいつて、ほツといふいきいた。

 ゆき小止をやみなく、いまあめまじらずかわいたかるいのがさら〳〵とおもち、よひながらもんとざした敦賀つるがまちはひつそりして一すぢすぢ縦横たてよこに、つじかど広々ひろ〴〵と、しろつもつたなかを、みちほどちやうばかりで、ある軒下のきした辿たどいたのが名指なざし香取屋かとりや

 とこにも座敷ざしきにもかざりといつてはいが、柱立はしらだち見事みごとな、たゝみかたい、おほいなる、自在鍵じざいかぎこひうろこ黄金造こがねづくりであるかとおもはるるつやつた、ばらしいへツつひを二ツならべて一斗飯とうめしけさうな目覚めざましいかまかゝつた古家ふるいへで。

 亭主ていしゆ法然天窓はふねんあたま木綿もめん筒袖つゝそでなか両手りやうてさきすくまして、火鉢ひばちまへでもさぬ、ぬうとした親仁おやぢ女房にようばうはう愛嬌あいけうのある、一寸ちよいと世辞せじばあさん、くだん人参にんじん干瓢かんぺうはなし旅僧たびそう打出うちだすと、莞爾々々にこ〳〵わらひながら、縮緬雑魚ちりめんざこと、かれい干物ひものと、とろろ昆布こぶ味噌汁みそしるとでぜんした、もの言振いひぶり取做とりなしなんど、如何いかにも、上人しやうにんとは別懇べつこんあひだえて、つれわたし居心ゐごゝろさとつたらない。

 やがて二かい寐床ねどここしらへてくれた、天井てんじやうひくいが、うつばり丸太まるた二抱ふたかゝへもあらう、むねからなゝめわたつて座敷ざしきはてひさしところでは天窓あたまつかへさうになつてる、巌丈がんぢやう屋造やづくりこれならうらやまから雪頽なだれてもびくともせぬ。

 こと炬燵こたつ出来できたからわたしそのまゝうれしくはいつた。寐床ねどこう一くみ同一おなじ炬燵こたついてあつたが、旅僧たびそうこれにはきたらず、よこまくらならべて、のない臥床ねどこた。

 とき上人しやうにんおびかぬ、勿論もちろん衣服きものがぬ、たまゝまるくなつて俯向形うつむきなりこしからすつぽりとはいつて、かた夜具やぐそでけるといてかしこまつた、様子やうす我々われ〳〵反対はんたいで、かほまくらをするのである。ほどなく寂然ひつそりとしてきさうだから、汽車きしやなかでもくれ〴〵いつたのは此処こゝのこと、わたしけるまでることが出来できない、あはれとおもつてしばらくつきあつて、して諸国しよこく行脚あんぎやなすつたうちのおもしろいはなしをといつて打解うちとけておさならしくねだつた。

 すると上人しやうにんうなづいて、わし中年ちうねんから仰向あふむけにまくらかぬのがくせで、るにも此儘このまゝではあるけれどもだなか〳〵えてる、きふ寐着ねつかれないのはお前様まへさま同一おんなしであらう。出家しゆつけのいふことでも、おしへだの、いましめだの、説法せつぱふとばかりはかぎらぬ、わかいの、かつしやい、といつかたした。あとくと宗門しうもん名誉めいよ説教師せつけうしで、六明寺りくみんじ宗朝しうてうといふ大和尚だいおしやうであつたさうな。


第三


いま一人ひとり此処こゝるさうぢやが、お前様まへさま同国どうこくぢやの、若狭わかさもの塗物ぬりもの旅商人たびあきうど。いやをとこなぞはわかいが感心かんしん実体じつていをとこ

 わしいまはなし序開じよびらきをした飛騨ひだ山越やまごえつたときの、ふもと茶屋ちやゝで一しよになつた富山とやま売薬ばいやくといふやつあ、けたいのわるい、ねぢ〳〵したいや壮佼わかいもので。

 づこれからたうげかゝらうといふの、朝早あさはやく、もつとせんとまりはものゝ三ぐらゐにはつてたので、すゞしうちに六ばかり、茶屋ちやゝまでのしたのぢやが、朝晴あさばれでぢり〳〵あついわ。

 慾張抜よくばりぬいて大急おほいそぎであるいたからのどかはいて為様しやうがあるまい早速さつそくちやのまうとおもふたが、まだいてらぬといふ。

 うしてその時分じぶんぢやからといふて、滅多めツた人通ひとどほりのない山道やまみち朝顔あさがほいてるうちけぶり道理だうりもなし。

 床几しやうぎまへにはつめたさうな小流こながれがあつたから手桶てをけみづまうとして一寸ちよいとがついた。

 それといふのが、時節柄じせつがらあつさのため、可恐おそろしわるやまひ流行はやつて、さきとほつたつじなどといふむらは、から一めん石灰いしばひだらけぢやあるまいか。

(もし、ねえさん。)といつて茶店ちやみせをんなに、

このみづはこりや井戸ゐどのでござりますか。)と、きまりもわるし、もじ〳〵くとの。

(いんねかはのでございす。)といふ、はて面妖めんえうなとおもつた。

やましたのはうには大分だいぶ流行病はやりやまひがございますが、このみづなにから、つぢはうからながれてるのではありませんか。)

うでねえ。)とをんな何気なにげなくこたへた、うれしやとおもふと、おきなさいよ。

 此処こゝ先刻さツきからすんでござつたのが、みぎ売薬ばいやくぢや。また万金丹まんきんたん下廻したまはりには、御存ごぞんじのとほり、千筋せんすぢ単衣ひとへ小倉こくらおび当節たうせつ時計とけいはさんでます、脚絆きやはん股引もゝひきこれ勿論もちろん草鞋わらぢがけ、千草木綿ちくさもめん風呂敷包ふろしきづゝみかどばつたのをくびゆはへて、桐油合羽とういうがつぱちいさくたゝんで此奴こいつ真田紐さなだひもみぎつゝみにつけるか、小弁慶こべんけい木綿もめん蝙蝠傘かうもりがさを一ぽん、おきまりだね。一寸ちよいとると、いやどれもこれも克明こくめいで、分別ふんべつのありさうなかほをして。これがとまりくと、大形おほがた裕衣ゆかたかはつて、帯広解おびひろげ焼酎せうちうをちびり〳〵りながら、旅籠屋はたごやをんなのふとつたひざすねげやうといふやからぢや。

(これや、法界坊はふかいばう、)

 なんて、天窓あたまからめてら。

おつなことをいふやうだがなにかねなかをんな出来できねえと相場さうばきまつて、すつぺら坊主ばうずになつても矢張やツぱ生命いのちしいのかね、不思議ふしぎぢやあねえか、あらそはれねもんだ、ねえさんねえ、あれ未練みれんのあるうちいぢやあねえか、)といつてかほ見合みあはせて二人ふたり呵々から〳〵わらつたい。

 年紀としわかし、お前様まへさんわし真赤まツかになつた、んだかはみづみかねて猶予ためらつてるとね。

 ポンと煙管きせるはたいて、

なに遠慮ゑんりよをしねえでびるほどやんなせえ、生命いのちあやふくなりや、くすりらあ、其為そのためわしがついてるんだぜ、なあねえさん。おい、それだつても無銭たゞぢやあ不可いけねえよはゞかりながら神方万金丹しんぱうまんきんたん、一てふびやくだ、しくばひな、坊主ばうず報捨はうしやをするやうなつみつくらねえ、それともうだおまへいふことをくか、)といつて茶店ちやみせをんな背中せなかたゝいた。

 わし匆々さう〳〵遁出にげだした。

 いや、ひざだの、をんな背中せなかだのといつて、いけとしつかまつつた和尚おしやう業体げふてい恐入おそれいるが、はなしが、はなしぢやから其処そこよろしく。」


第四


わし腹立紛はらだちまぎれぢや、無暗むやみいそいで、それからどん〳〵やますそ田圃道たんぼみちかゝる。

 半町はんちやうばかりくと、みちきふたかくなつて、のぼりがいつしよよこからえた、弓形ゆみなりまるつち勅使橋ちよくしばしがかゝつてるやうな。うへながら、これあし踏懸ふみかけたとき以前いぜん薬売くすりうりがすた〳〵つて追着おひついたが。

 べつ言葉ことばはさず、またものをいつたからといふて、返事へんじをする此方こツちにもない。何処どこまでもひとしのいだ仕打しうち薬売くすりうり流盻しりめにかけてわざとらしうわし通越とほりこして、すた〳〵まへて、ぬつと小山こやまのやうなみち突先とつさき蝙蝠傘かうもりがさしてつたが、そのまゝむかふへりてえなくなる。

 其後そのあとから爪先上つまさきあがり、やがてまた太鼓たいこどうのやうなみちうへからだつた、それなりにまたくだりぢや。

 売薬ばいやくさきりたが立停たちどまつてしきり四辺あたりみまはして様子やうす執念深しふねんぶかなにたくんだか、とこゝろよからずつゞいたが、さてよくると仔細しさいがあるわい。

 みち此処こゝで二すぢになつて、一すぢはこれからぐにさかになつてのぼりもきふなり、くさ両方りやうはうから生茂おひしげつたのが、路傍みちばたかどところにある、それこそ四かゝへさうさな、五かゝへもあらうといふ一ぽんひのきの、背後うしろうねつて切出きりだしたやうな大巌おほいはが二ツ三ツ四ツとならんで、うへはうかさなつて背後うしろつうじてるが、わし見当けんたうをつけて、心組こゝろぐんだのは此方こツちではないので、矢張やツぱりいままで歩行あるいてはゞひろいなだらかなはうまさしく本道ほんだう、あと二らずけばやまになつて、それからがたうげになるはず

 ると、うしたことかさ、いまいふそのひのきぢやが、其処そこらになんにもないみち横截よこぎつて見果みはてのつかぬ田圃たんぼ中空なかそらにじのやうに突出つきでる、見事みごとな。根方ねかたところつちくづれて大鰻おほうなぎねたやうな幾筋いくすぢともなくあらはれた、そのから一すぢみづさつちて、うへながれるのが、つてすゝまうとするみち真中まんなか流出ながれだしてあたりは一めん

 田圃たんぼみづうみにならぬが不思議ふしぎで、どう〳〵とになつて、前途ゆくてに一むらやぶえる、それさかひにしておよそ二ちやうばかりのあひだまるかはぢや。こいしはばら〳〵、飛石とびいしのやうにひよい〳〵と大跨おほまたつたへさうにずつとごたへのあるのが、それでもひとならべたにちがひはない。

 もつと衣服きものいでわたるほどの大事おほごとなのではないが、本街道ほんかいだうには難儀なんぎぎて、なか〳〵うまなどが歩行あるかれるわけのものではないので。

 売薬ばいやくもこれでまよつたのであらうとおもうち切放きれはなれよくむきへてみぎさかをすた〳〵とのぼりはじめた。

 ひのきうしろくゞけると、わしからだうへあたりへしたき、

(おい〳〵、松本まつもとみち此方こつちだよ、)といつて無雑作むざふさにまた五六

 いはあたま半身はんしん乗出のりだして、

茫然ぼんやりしてると、木精こだまさらふぜ、昼間ひるまだつて用捨ようしやはねえよ。)とあざけるがごとてたが、やがいはかげはいつてたかところくさかくれた。

 しばらくすると見上みあげるほどなあたり蝙蝠傘かうもりがささきたが、えだとすれ〳〵になつてしげみなかえなくなつた。

(どッこいしよ、)と暢気のんきなかけごゑで、ながれいしうへ飛々とび〴〵つたはつてたのは、呉座ござ尻当しりあてをした、なんにもつけない天秤棒てんびんぼう片手かたてかついだ百姓ひやくしやうぢや。」


第五


前刻さツき茶店ちやみせから此処こゝるまで、売薬ばいやくほかたれにもはなんだことは申上まをしあげるまでもない。

 いまわかぎはこゑけられたので、先方むかう道中だうちう商売人しやうばいにんたゞけに、まさかとおもつても気迷きまよひがするので、今朝けさちぎはによくた、まへにもまをす、図面づめんをな、此処こゝでもけてやうとしてところ

一寸ちよいとうかゞひたうぞんじますが、)

(これは、なんでござりまする、)と山国やまぐにひとなどはこと出家しゆつけると丁寧ていねいにいつてくれる。

(いえ、おうかゞまをしますまでもございませんが、みち矢張やツぱりこれを素直まツすぐまゐるのでございませうな。)

松本まつもとかつしやる? あゝ〳〵本道ほんだうぢや、なにね、此間こなひだ梅雨つゆみづてとてつもないかは出来できたでがすよ。)

だずつと何処どこまでもこのみづでございませうか。)

なんのお前様まへさまたばかりぢや、わけはござりませぬ、みづになつたのはむかふのやぶまでゞ、あと矢張やツぱりこれと同一おんなじ道筋みちすぢやままでは荷車にぐるまならんでとほるでがす。やぶのあるのはもとおほきいおやしき医者様いしやさまあとでな、此処等こゝいらはこれでも一ツのむらでがした、十三ねんぜん大水おほみづとき、から一めん野良のらになりましたよ、人死ひとじにもいけえこと。御坊様ごばうさま歩行あるきながらお念仏ねんぶつでもとなへてつてくれさつしやい)とはぬことまで親切しんせつはなします。それ仔細しさいわかつてたしかになりはなつたけれども、げん一人ひとり蹈迷ふみまよつたものがある。

此方こつちみちはこりや何処どこくので、)といつて売薬ばいやくはいつた左手ゆんでさかたづねてた。

(はい、これは五十ねんばかりまへまではひと歩行あるいた旧道きうだうでがす。矢張やツぱり信州しんしうまする、さきは一つで七ばかり総体そうたいちかうござりますが、いや今時いまどき往来わうらい出来できるのぢやあござりませぬ。去年きよねん御坊様おばうさま親子連おやこづれ順礼じゆんれい間違まちがへてはいつたといふで、はれ大変たいへんな、乞食こじきたやうなものぢやといふて、人命じんめいかはりはねえ、おツかけてたすけべいと、巡査様おまはりさまが三にんむらもの十二人じふにゝん、一くみになつてこれから押登おしのぼつて、やつとれてもどつたくらゐでがす。御坊様おばうさま血気けつきはやつて近道ちかみちをしてはなりましねえぞ、草臥くたびれて野宿のじゆくをしてからが此処こゝかつしやるよりはましでござるに。はい、けてかつしやれ。)

 此処こゝ百姓ひやくしやうわかれてかはいしうへゆかうとしたが猶予ためらつたのは売薬ばいやくうへで。

 まさかにいたほどでもあるまいが、それ本当ほんたうならば見殺みごろしぢや、みちわたし出家しゆつけからだれるまでに宿やどいて屋根やねしたるにはおよばぬ、追着おツついて引戻ひきもどしてらう。罷違まかりちがふて旧道きうだうみな歩行あるいてもしうはあるまい、ういふ時候じこうぢや、おほかみしゆんでもなく、魑魅魍魎ちみまうりやうしほさきでもない、まゝよ、とおもふて、見送みおくると親切しんせつ百姓ひやくしやう姿すがたえぬ。

し。)

 思切おもひきつて坂道さかみちつてかゝつた、侠気をとこぎがあつたのではござらぬ、血気けつきはやつたではもとよりない、いままをしたやうではずつとさとつたやうぢやが、いやなか〳〵の憶病者おくびやうものかはみづむのさへけたほど生命いのち大事だいじで、何故なぜまたはつしやるか。

 たゞ挨拶あいさつをしたばかりのをとこなら、わしじつところ打棄うつちやつていたにちがひはないが、こゝろよからぬひとおもつたから、そのまゝに見棄みすてるのが、わざとするやうで、めてならなんだから、」

宗朝しうてう矢張やツぱり俯向うつむけにとこはいつたまゝ合掌がツしやうしていつた。

それではくちでいふ念仏ねんぶつにもまぬとおもふてさ。」


第六


「さて、かつしやい、わしはそれからひのきうらけた、いはしたからいはうへた、なかくゞつて草深くさふかこみち何処どこまでも、何処どこまでも。

 すると何時いつにかいまあがつたやまぎてまた一ツやまちかづいてた、此辺このあたりしばらくのあひだ広々ひろ〴〵として、前刻さツきとほつた本街道ほんかいだうよりつとはゞひろい、なだらかな一筋道すぢみち

 心持こゝろもち西にしと、ひがしと、真中まんなかやまを一ツいて二すぢならんだみちのやうな、いかさまこれならばやりてゝも行列ぎやうれつとほつたであらう。

 ひろでもおよかぎり芥子粒けしつぶほどのおほきさの売薬ばいやく姿すがたないで、時々とき〴〵けるやうなそらちひさなむし飛歩行とびあるいた。

 歩行あるくにははう心細こゝろぼそい、あたりがばツとしてると便たよりがないよ。勿論もちろん飛騨越ひだごゑめいつたには、七に一けんに五けんといふ相場さうば其処そこあはめしにありつけば都合つがふじやうはうといふことになつてります。覚悟かくごのことで、あし相応さうおう達者たツしや、いやくつせずにすゝんだすゝんだ。すると、段々だん〴〵またやま両方りやうはうからせまつてて、かたつかへさうなせまいことになつた、ぐにのぼり

 さあ、これからが名代なだい天生峠あまふたうげ心得こゝろえたから、此方こツち其気そのきになつて、なにしろあついので、あへぎながら、草鞋わらぢひも締直しめなほした。

 丁度ちやうど上口のぼりくちあたり美濃みの蓮大寺れんたいじ本堂ほんだう床下ゆかしたまで吹抜ふきぬけの風穴かざあながあるといふことを年経としたつてからきましたが、なか〳〵其処そこどころの沙汰さたではない、一生懸命しやうけんめい景色けしき奇跡きせきもあるものかい、お天気てんきさへれたかくもつたかわけわからず、まじろぎもしないですた〳〵とねてのぼる。

 とお前様まへさまかせまをはなしは、これからぢやが、最初さいしよまをとほみちがいかにもわるい、宛然まるでひとかよひさうでないうへに、おそろしいのは、へびで。両方りやうはうくさむらあたまとを突込つツこんで、のたりとはしわたしてるではあるまいか。

 わし真先まツさき出会でツくわしたときかさかぶつて竹杖たけづゑいたまゝはツといきいてひざつてすわつたて。

 いやもう生得しやうとく大嫌だいきらひきらひといふより恐怖こわいのでな。

 其時そのとき人助ひとたすけにずる〴〵といてむかふで鎌首かまくびげたとおもふとくさをさら〳〵とわたつた。

 やうや起上おきあがつてみちの五六ちやうくとまた同一おなじやうに、胴中どうなかかはかしてくびえぬが、ぬたり!

 あツといふて飛退とびのいたが、それかくれた。三度目どめ出会であつたのが、いやきふにはうごかず、しか胴体どうたいふとさ、たと這出はひだしたところでぬら〳〵とられてはおよそ五分間ふんかんぐらゐすまでにがあらうとおも長虫ながむしえたのでむことをわしまたした、途端とたん下腹したはら突張つツぱつてぞツと毛穴けあな不残のこらずうろこかはつて、かほいろへびのやうになつたらうとふさいだくらゐ

 しぼるやうな冷汗ひやあせになる気味きみわるさ、あしすくんだといふてつてられるすうではないから、びく〳〵しながらみちいそぐとまたしてもたよ。

 しか今度こんどのは半分はんぶん引切ひききつてあるどうからばかりのむしぢや、切口きりくちあをみびてそれ黄色きいろしるながれてぴくぴくとうごいたわ。

 われわすれてばら〳〵とあとへ遁帰にげかへつたが、けばれいのがるであらう、たところされるまでも二とはあれまたはせぬ。あゝ前刻さツきのお百姓ひやくしやうがものゝ間違まちがひでも故道ふるみちにはへびうといつてくれたら、地獄ぢごくちてもなかつたにとりつけられて、なみだながれた、南無阿弥陀仏なむあみだぶついまでも悚然ぞツとする。」とひたひを。


第七


はてしいからきもゑた、もとより引返ひきかへぶんではない。もとところには矢張やツぱり丈足たけたらずのむくろがある、とほくへけてくさなかけたが、いまにもあとの半分はんぶんまとひつきさうでたまらぬから気臆きおくれがしてあし筋張すぢばると、いしつまづいてころんだ、其時そのとき膝節ひざふしいためましたものとえる。

 それからがく〴〵して歩行あるくのがすこ難渋なんじふになつたけれども、此処こゝたふれては温気うんき蒸殺むしころされるばかりぢやと、我身わがみ我身わがみはげまして首筋くびすぢつて引立ひきたてるやうにしてたうげはうへ。

 なにしろ路傍みちばたくさいきれが可恐おそろしい、大鳥おほとりたまごたやうなものなんぞ足許あしもとにごろ〴〵してしげ塩梅あんばい

 またばかり大蛇おろちうねるやうなさかを、山懐やまふところ突当つきあたつて岩角いはかどまがつて、めぐつてまゐつたが此処こゝのことであまりのみちぢやつたから、参謀本部さんぼうほんぶ絵図面ゑづめんひらいてました。

 なに矢張やツぱりみち同一おんなじいたにもたのにもかはりはない、旧道きうだう此方こちら相違さうゐはないから心遣こゝろやりにもなんにもならず、もとよりれツきとした図面づめんといふて、ゑがいてあるみちたゞくりいがうへあかすぢ引張ひつぱつてあるばかり。

 難儀なんぎさも、へびも、毛虫けむしも、とりたまごも、くさいきれも、しるしてあるはずはないのぢやから、薩張さツぱりたゝんでふところれて、うむとちゝした念仏ねんぶつとなんで立直たちなほつたはいが、いきかぬうち情無なさけな長虫ながむしみちつた。

 其処そこでもう所詮しよせんかなはぬとおもつたなり、これはやまれいであらうとかんがへて、つえてゝひざげ、じり〳〵するつち両手りやうてをついて、

まことみませぬがおとほしなすつてくださりまし、なるたけお昼寝ひるね邪魔じやまになりませぬやうにそツ通行つうかういたしまする。

 御覧ごらんとほつえてました。)と我折がを染々しみ〴〵たのんでひたひげるとざつといふすさまじおとで。

 心持こゝろもち余程よほど大蛇だいじやおもつた、三じやく、四しやく、五しやく、四はう、一ぢやう段々だん〴〵くさうごくのがひろがつて、かたへたにへ一文字もんじさツなびいた、はてみねやまも一せいゆるいだ、悚毛おぞけふるつて立窘たちすくむとすゞしさがみてくと山颪やまおろしよ。

 をりからきこえはじめたのはどツといふ山彦やまひこつたはるひゞき丁度ちやうどやまおくかぜ渦巻うづまいて其処そこから吹起ふきおこあながあいたやうにかんじられる。

 なにしろ山霊さんれい感応かんおうあつたか、へびえなくなりあつさもしのぎよくなつたのでいさあし捗取はかどつたがほどなくきふかぜつめたくなつた理由りいう会得ゑとくすることが出来できた。

 といふのはまへ大森林だいしんりんがあらはれたので。

 たとへにも天生峠あまふたうげ蒼空あをぞらあめるといふひとはなしにも神代じんだいからそまれぬもりがあるといたのに、いままではあまがなさぎた。

 今度こんどへびのかはりにかにあるきさうで草鞋わらぢえた。しばらくするとくらくなつた、すぎまつえのき処々ところ〴〵見分みわけが出来できるばかりにとほところからかすかひかりすあたりでは、つちいろみなくろい。なかには光線くわうせんもり射通いとほ工合ぐあひであらう、あをだの、あかだの、ひだがつてうつくしいところがあつた。

 時々とき〴〵爪尖つまさきからまるのはしづく落溜おちたまつたいとのやうなながれで、これはえだつてたかところはしるので。ともするとまた常盤木ときはぎ落葉おちばする、なんともれずばら〴〵とり、かさかさとおとがしてぱつと檜笠ひのきがさにかゝることもある、あるひ行過ゆきすぎた背後うしろへこぼれるのもある、其等それらえだからえだたまつて何十年なんじうねんぶりではじめてつちうへまでおちるのかわからぬ。」


第八


心細こゝろぼそさはもをすまでもなかつたが、卑怯ひけふやうでも修業しゆげふまぬには、恁云かういくらところはうかへつて観念くわんねん便たよりい。なにしろからだしのぎよくなつたゝめにあしよわりわすれたので、みちおほきに捗取はかどつて、づこれで七もりなかしたらうとおもところで、五六しやく天窓あたまうへらしかつたえだから、ぼたりとかさうへまつたものがある。

 なまりおもりかとおもふ心持こゝろもちなにでゞもあるからんと、二三ふつたが附着くツついてそのまゝにはれないから、何心なにごゝろなくをやつてつかむと、なめらかにひやりとた。

 ると海鼠なまこさいたやうなくちもないものぢやが、動物どうぶつにはちがひない。不気味ぶきみ投出なげださうとするとずる〴〵とすべつてゆびさきすひついてぶらりとさがつたはなれたゆびさきから真赤まつかうつくしい垂々たら〳〵たから、吃驚びツくりしてしたゆびをつけてじつとると、いま折曲をりまげたひぢところへつるりと垂懸たれかゝつてるのはおなじかたちをした、はゞが五たけが三ずんばかりの山海鼠やまなまこ

 呆気あつけとられてる〳〵うちに、したはうからちゞみながら、ぶくぶくとふとつてくのは生血いきちをしたゝかに吸込すひこ所為せゐで、にごつたくろなめらかなはだ茶褐色ちやかツしよくしまをもつた、痣胡瓜いぼきうりのやうな動物どうぶつ此奴こいつひるぢやよ。

 にも見違みちがへるわけのものではないが図抜づぬけあまおほきいから一寸ちよツとがつかぬであつた、なんはたけでも、甚麼どんな履歴りれきのあるぬまでも、此位このくらゐひるはあらうとはおもはれぬ。

 ひぢをばさりとふつたけれども、よく喰込くひこんだとえてなかなかはなれさうにしないから不気味ぶきみながらつまんで引切ひツきると、ぶつりといつてやう〳〵れる暫時しばらくたまつたものではない、突然とつぜんつて大地だいぢたゝきつけると、これほどの奴等やつら何万なんまんとなくをくつてわがものにしてやうといふところかね用意よういはしてるとおもはれるばかり、のあたらぬもりなかつちやはらかい、つぶれさうにもないのぢや。

 と最早もはえりのあたりがむづ〳〵してた、平手ひらてこいると横撫よこなでひるせなをぬる〳〵とすべるといふ、やあ、ちゝしたひそんでおびあひだにも一ぴきあをくなつてそツとるとかたうへにも一すぢ

 おもはず飛上とびあがつて総身そうしんふるひながら大枝おほえだしたを一さんにかけぬけて、はしりながらまづ心覚こゝろおぼえやつだけは夢中むちうでもぎつた。

 なににしてもおそろしいいまえだにはひるつてるのであらうとあまりことおもつて振返ふりかへると、見返みかへつたなんえだらず矢張やツぱりいくツといふこともないひるかはぢや。

 これはとおもふ、みぎも、ひだりまへえだも、なんことはないまるで充満いツぱい

 わしおもはず恐怖きようふこゑてゝさけんだするとなんと? 此時このときえて、うへからぼたり〳〵と真黒まツくろせたすぢはいつたあめからだふりかゝつてたではないか。

 草鞋わらじ穿いたあしかふへもおちうへまたかさなり、ならんだわきまた附着くツついて爪先つまさきわからなくなつた、うしてきてるとおもふだけみやくつてふやうな。おもひなしか一ツ一ツ伸縮のびちゞみをするやうなのをるからとほくなつて、其時そのとき不思議ふしぎかんがへきた。

 おそろし山蛭やまびる神代かみよいにしへから此処こゝたむろをしてひとるのをちつけて、ながひさしいあひだくらゐ何斛なんごくかのふと、其処そこでこのむしのぞみかなときはありつたけのひる不残のこらずつたゞけの人間にんげん吐出はきだすと、それがためにつちがとけてやま一ツ一めんどろとの大沼おほぬまにかはるであらう、それ同時どうじ此処こゝひかりさへぎつてひるもなほくら大木たいぼく切々きれ〴〵に一ツ一ツひるになつてしまうのに相違さうゐないと、いや、まツたくのことで。」


第九


およ人間にんげんほろびるのは、地球ちきう薄皮うすかはやぶれてそらからるのでもなければ、大海だいかい押被おツかぶさるのでもない飛騨国ひだのくに樹林きはやしひるになるのが最初さいしよで、しまいにはみんなどろなかすぢくろむしおよぐ、それだいがはりの世界せかいであらうと、ぼんやり。

 なるほどもり入口いりくちではなんこともなかつたのに、なかると此通このとほり、もつと奥深おくふかすゝんだら不残のこらず立樹たちきはうからちて山蛭やまびるになつてやう、たすかるまい、此処こゝ取殺とりころされる因縁いんねんらしい、取留とりとめのないかんがへうかんだのもひと知死期ちしごちかづいたからだといた。

 みちぬるものなら一あしでもまへすゝんで、世間せけんものゆめにもらぬどろ大沼おほぬま片端かたはしでもかうと、覚悟かくごきはまつては気味きみわるいもなにもあつたものぢやない、体中からだぢう珠数生じゆずなりになつたのを手当次第てあたりしだいむして、りなどして、あしんで、まるをどくるかたち歩行あるきした。

 はじめのうちは一まはりふとつたやうにおもはれてかゆさがたまらなかつたが、しまひにはげつそりせたと、かんじられてづきづきいたんでならぬ、其上そのうへ用捨ようしやなく歩行あるうちにも入交いりまじりにおそひをつた。

 すでくらんでたふれさうになると、わざわひ此辺このへん絶頂ぜつちやうであつたとえて、隧道トンネルけたやうにはるかに一りんのかすれたつきおがんだのはひるはやし出口でくちなので。

 いや蒼空あをそらしたときには、なんのこともわすれて、くだけろ、微塵みぢんになれとよこなぐりにからだ山路やまぢ打倒うちたふした。それでからもう砂利じやりでもはりでもあれとつちへこすりつけて、とうあまりもひる死骸しがいひツくりかへしたうへから、五六けんむかふへんで身顫みぶるひをして突立つツたつた。

 ひと馬鹿ばかにしてるではありませんか。あたりのやまでは処々ところ〴〵茅蜩殿ひぐらしどのどろ大沼おほぬまにならうといふもりひかへていてる、なゝめ谷底たにそこはもうくらい。

 づこれならばおほかみ餌食えじきになつてもそれは一おもひなれるからと、みち丁度ちやうどだら〴〵おりなり、小僧こぞうさん、調子てうしはづれにたけつゑかたにかついで、すたこらげたわ。

 これでひるなやまされていたいのか、かゆいのか、それともくすぐつたいのかもいはれぬくるしみさへなかつたら、うれしさにひと飛騨山越ひだやまごえ間道かんだうで、御経おきやうふしをつけて外道踊げだうをどりをやつたであらう一寸ちよツと清心丹せいしんたんでも噛砕かみくだいて疵口きずぐちへつけたらうだと、大分だいぶなかことがついてたわ。つねつてもたしか活返いきかへつたのぢやが、それにしても富山とやま薬売くすりうりうしたらう、様子やうすではとうになつて泥沼どろぬまに。かはばかりの死骸しがいもりなかくらところ、おまけに意地いぢきたな下司げす動物どうぶつほねまでしやぶらうと何百なんびやくといふすうでのしかゝつてには、をぶちまけてもわか気遣きづかひはあるまい。

 おもつてあひだくだんのだら〴〵ざか大分だいぶながかつた。

 それるとながれきこえて、とんところながさ一けんばかりの土橋どばしがかゝつてる。

 はや谷川たにかはおとくと我身わがみ持余もてあまひる吸殻すひがら真逆まツさかさま投込なげこんで、みづひたしたらさぞいゝ心地こゝちであらうと思ふくらゐなんわたりかけてこはれたらそれなりけり。

 あぶないともおもはずにずつとかゝる、すこしぐら〴〵としたがなんなくした。むかふからまたさかぢや、今度こんどのぼりさ、御苦労ごくらう千万せんばん。」


第十


到底とてつかれやうでは、さかのぼるわけにはくまいとおもつたが、ふと前途ゆくてに、ヒイヽンとうまいなゝくのがこだましてきこえた。

 馬士まごもどるのか小荷駄こにだとほるか、今朝けさ一人ひとり百姓ひやくしやうわかれてからときつたはわづかぢやが、三ねんも五ねん同一おんなじものをいふ人間にんげんとはなかへだてた。うまるやうではかく人里ひとざとえんがあると、これがためにいさんで、えゝやつといまもみ

 一けん山家やまがまへたのには、まで難儀なんぎかんじなかつた、なつのことで戸障子としやうじしまりもせず、ことに一軒家けんや、あけひらいたなりもんといふでもない、突然いきなり破椽やぶれえんになつてをとこ一人ひとりわしはもうなん見境みさかひもなく、(たのみます、たのみます、)といふさへたすけぶやうな調子てうしで、取縋とりすがらぬばかりにした。

御免ごめんなさいまし、)といつたがものもいはない、首筋くびすぢをぐつたりと、みゝかたふさぐほどかほよこにしたまゝ小児こどもらしい、意味いみのない、しかもぼつちりしたで、ぢろ〴〵と、もんつたものをみつめる、ひとみうごかすさい、おつくうらしい、けた持方もちかたすそみぢかでそでひぢよりすくない、糊気のりけのある、ちやん〳〵をて、むねのあたりでひもゆはへたが、一ツのものをたやうにばらふとじゝ太鼓たいこつたくらゐに、すべ〳〵とふくれてしか出臍でべそといふやつ南瓜かぼちやへたほどな異形いぎやうものを、片手かたてでいぢくりながら幽霊いうれいのつきで、片手かたてちうにぶらり。

 あしわすれたか投出なげだした、こしがなくば暖簾のれんてたやうにたゝまれさうな、年紀としそれて二十二三、くちをあんぐりやつた上唇うはくちびる巻込まきこめやう、はなひくさ、出額でびたひ。五がりびたのがまへ鶏冠とさかごとくになつて、頷脚えりあしねてみゝかぶさつた、おしか、白痴ばかか、これからかへるにならうとするやうな少年せうねんわしおどろいた、此方こツち生命いのち別条べつでうはないが、先方様さきさま形相ぎやうさう。いや、大別条おほべつでう

一寸ちよいとねがまをします。)

 それでも為方しかたがないからまた言葉ことばをかけたがすこしもつうぜず、ばたりといふとわづかくび位置ゐちをかへて今度こんどひだりかたまくらにした、くちいてることもとごとし。

 かうふのは、わるくすると突然いきなりふんづかまへてへそひねりながら返事へんじのかはりにめやうもれぬ。

 わしは一あし退すさつたがいかに深山しんざんだといつてもこれ一人ひとりくといふはふはあるまい、とあし爪立つまだてゝすこ声高こはだかに、

何方どなたぞ、御免ごめんなさい、)といつた。

 背戸せどおもふあたりでふたゝうまいなゝこゑ

何方どなた、)と納戸なんどはうでいつたのはをんなぢやから、南無三宝なむさんばうしろくびにはうろこへて、からだゆかつてをずる〴〵といてやうと、また退すさつた。

(おゝ、御坊様おばうさま、)と立顕たちあらはれたのは小造こづくりうつくしい、こゑすゞしい、ものやさしい。

 わし大息おほいきいて、なんにもいはず、

(はい。)とつむりげましたよ。

 婦人をんなひざをついてすわつたが、まへ伸上のびあがるやうにして黄昏たそがれにしよんぼりつたわし姿すがたかして、(なにようでござんすかい。)

 やすめともいはずはじめから宿やど常世つねよ留主るすらしい、ひとめないとめたものゝやうにえる。

 いひおくれてはかへつてそびれてたのむにもたのまれぬ仕誼しぎにもなることゝ、つか〳〵とまへた。丁寧ていねいこしかゞめて、

わしは、山越やまごえ信州しんしうまゐりますものですが旅籠はたごのございますところまではくらゐございませう。)」


第十一


「(貴方あなたまだ八あまりでございますよ。)

其他そのほかべつめてくれますうちもないのでせうか。)

それはございません。)といひながらたゝきもしないですゞしいわしかほをつく〴〵た。

(いえもうなんでございます、じつ此先このさきちやうけ、うすれば上段じやうだんへやかして一ばんあふいでそれ功徳くどくのためにするうちがあるとうけたまはりましても、まツたくのところあし歩行あるけますのではございません、何処どこ物置ものおきでも馬小屋うまごやすみでもいのでございますから後生ごしやうでございます。)と前刻さツきうまいなゝいたのは此家こゝよりほかにはないとおもつたからつた。

 婦人をんなしばらかんがへてたが、わきいてぬのふくろつて、ひざのあたりにいたをけなかへざら〳〵と一はゞみづこぼすやうにあけてふちをおさへて、すくつて俯向うつむいてたが、

(あゝ、おまをしましやう、丁度ちやうどいてあげますほどおこめもございますから、それなつのことで、山家やまがえましてもよるのものに御不自由ごふじいうもござんすまい。さあ、かくもあなたおあがあそばして。)

といふと言葉ことばれぬさきにどつかりこしおとした。婦人をんなおこしてつてて、

御坊様おばうさま、それでござんすが一寸ちよつとことはまをしてかねばなりません。)

 判然はツきりいはれたのでわしはびく〳〵もので、

はい、はい。)

いえべつのことぢやござんせぬが、わたしくせとしてみやこはなしくのがやまひでございます、くちふたをしておいでなさいましても無理むりやりにかうといたしますが、あなたわすれても其時そのときかしてくださいますな、うござんすかい、わたし無理むりにおたづまをします、あなたはうしてもおはなしなさいませぬ、それ是非ぜひにとまをしましてもつて有仰おツしやらないやうにきツねんれてきますよ。)

仔細しさいありげなことをいつた。

 やまたかさもたにふかさもそこれない一軒家けんや婦人をんな言葉ことばとはおもふたが、たもつにむづかしいかいでもなし、わしたゞうなづくばかり。

はいよろしうございます、何事なにごと仰有おツしやりつけはそむきますまい。)

 婦人をんな言下ごんか打解うちとけて、

(さあ〳〵きたなうございますがはや此方こちらへ、おくつろぎなさいまし、うしてお洗足せんそくげませうかえ。)

(いえ、それにはおよびませぬ、雑巾ざうきんをおくださいまし。あゝ、それからもしのお雑巾ざうきん次手ついでにづツぷりおしぼんなすつてくださるとたすかります、途中とちう大変たいへんひましたのでからだ打棄うつちやりたいほど気味きみわるうございますので、一ツ背中せなかかうとぞんじますが恐入おそれいりますな。)

う、あせにおなりなさいました、ぞまあ、おあつうござんしたでせう、おちなさいまし、旅籠はたごへおあそばしてにおはいりなさいますのが、たびするおかたにはなにより御馳走ごちそうだとまをしますね、どころか、おちやさへろくにおもてなしもいたされませんが、の、うらがけりますと、綺麗きれいながれがございますから一そうそれらつしやツておながしがうございませう、)

 いただけでもとんでもきたい。

(えゝ、それなにより結構けつこうでございますな。)

(さあ、それでは御案内ごあんないまをしませう、どれ、丁度ちやうどわたしこめぎにまゐります。)とくだんをけ小脇こわきかゝへて、椽側えんがはから、藁草履わらぞうり穿いてたが、かゞんで板椽いたえんしたのぞいて、引出ひきだしたのは一そく古下駄ふるげたで、かちりとはしてほこりはたいてそろへてれた。

(お穿きなさいまし、草鞋わらじ此処こゝにおきなすつて、)

 わしをあげて一れいして、

恐入おそれいります、これはうも、)

(おまをすとなりましたら、あの、他生たしやうえんとやらでござんす、あなた御遠慮ごゑんりよあそばしますなよ。)おそろしく調子てうしいぢやて。」


第十二


「(さあ、わたしいて此方こちらへ、)とくだん米磨桶こめとぎをけ引抱ひツかゝへて手拭てぬぐひほそおびはさんでつた。

 かみふツさりとするのをたばねてな、くしをはさんでかんざしめてる、姿すがたさといふてはなかつた。

 わし手早てばや草鞋わらじいたから、早速さツそく古下駄ふるげた頂戴ちやうだいして、えんからとき一寸ちよいとると、それれい白痴殿ばかどのぢや。

 おなじくわしかたをぢろりとたつけよ、舌不足したたらず饒舌しやべるやうな、にもつかぬこゑして、

ねえや、こえ、こえ。)といひながら、だるさうに持上もちあげて蓬々ばう〳〵へた天窓あたまでた。

ばうさま、ばうさま?)

 すると婦人をんなが、しもぶくれなかほにえくぼをきざんで、三ツばかりはき〳〵とつゞけてうなづいた。

 少年せうねんはうむといつたが、ぐたりとしてまたへそをくり〳〵〳〵。

 わしあまどくさにかほげられないでつとぬすむやうにしてると、婦人をんな何事なにごとべつけてはらぬ様子やうすそのまゝあといてやうとするとき紫陽花あぢさいはなかげからぬいとた一めい親仁おやぢがある。

 背戸せどからまはつてたらしい、草鞋わらじ穿いたなりで、胴乱どうらん根付ねつけ紐長ひもながにぶらりとげ、啣煙管くはへぎせるをしながらならんで立停たちとまつた。

和尚様おしやうさまおいでなさい。)

 婦人をんな其方そなた振向ふりむいて、

(おぢさんうでござんした。)

ればさの、頓馬とんまけたといふのはのことかい。ツからきつねでなければさうにもないやつぢやが、其処そこはおらがくちぢや、うまく仲人なかうどして、二つきや三つきはお嬢様ぢやうさま御不自由ごふんじよのねえやうに、翌日あすはものにして沢山うん此処こゝかつんます。)

(おたのまをしますよ。)

承知しようち承知しようち、おゝ、嬢様ぢやうさま何処どこかつしやる。)

がけみづまで一寸ちよいと。)

わか坊様ばうさまれてかはつこちさつさるな。おら此処こゝ眼張がんばつてるに、)と横様よこさまえんにのさり。

貴僧あなた、あんなことをまをしますよ。)とかほ微笑ほゝゑんだ。

一人ひとりまゐりませう、)とわき退くと親仁おやぢ吃々くつ〳〵わらつて、

(はゝゝゝ、さあはやくいつてござらつせえ。)

(をぢさん今日けふはおまへめづらしいおきやくがお二人ふたかたござんした、ときはあとからまたえやうもれません、次郎じらうさんばかりではものよわんなさらう、わたしかへるまで其処そこやすんでてをくれでないか。)

いともの。)といひかけて親仁おやぢ少年せうねんそばへにぢりつて、鉄挺かなてこたやうなこぶしで、脊中せなかをどんとくらはした、白痴ばかはらはだぶりとして、べそをかくやうなくちつきで、にやりとわらふ。

 わし悚気ぞツとしておもてそむけたが婦人をんな何気なにげないていであつた。

 親仁おやぢ大口おほぐちいて、

留主るすにおらが亭主ていしゆぬすむぞよ。)

(はい、ならば手柄てがらでござんす、さあ、貴僧あなたまゐりませうか。)

 背後うしろから親仁おやぢるやうにおもつたが、みちびかるゝまゝにかべについて、紫陽花あぢさいのあるはうではない。

 やが脊戸せどおもところひだり馬小屋うまごやた、こと〳〵といふ物音ものおと羽目はめるのであらう、もう其辺そのへんから薄暗うすぐらくなつてる。

貴僧あなた、こゝからりるのでございます、すべりはいたしませぬがみちひどうございますからおしづかに、)といふ。」


第十三


其処そこからりるのだとおもはれる、まつほそくツて度外どはづれにせいたかいひよろ〳〵したおよそ五六けんうへまでは小枝こえだ一ツもないのがある。其中そのなかくゞつたがあふぐとこずえしろい、つきかたちでもべつにかはりはかつた、浮世うきよ何処どこにあるか十三夜じふさんやで。

 さきつた婦人をんな姿すがたさきをはなれたから、まつみきつかまつてのぞくと、ついしたた。

 仰向あふむいて、

きふひくくなりますからをつけて。こりや貴僧あなたには足駄あしだでは無理むりでございましたか不知しらよろしくば草履ざうりとお取交とりかまをしませう。)

 立後たちおくれたのを歩行悩あるきなやんだとさつした様子やうすなにさてころちてもはやつてひるあかおとしたさ。

なに、いけませんければ跣足はだしになりますぶんのこと、何卒どうぞかまひなく、嬢様ぢやうさま御心配ごしんぱいをかけてはみません。)

(あれ、嬢様ぢやうさまですつて、)とやゝ調子てうしたかめて、艶麗あでやかわらつた。

はい唯今たゞいまあの爺様ぢいさんが、やうまをしましたやうにぞんじますが、夫人おくさまでございますか。)

なんにしても貴僧あなたには叔母をばさんぐらゐ年紀としですよ。まあ、おはやくいらつしやい、草履ざうりうござんすけれど、とげがさゝりますと不可いけません、それにじく〳〵湿れててお気味きみわるうございませうから)とむかむきでいひながら衣服きもの片褄かたつまをぐいとあげた。真白まつしろなのがくらまぎれ、歩行あるくとしもえてくやうな。

 ずん〳〵ずん〳〵とみちりる、かたはらくさむらから、のさ〳〵とたのはひきで。

(あれ、気味きみわるいよ。)といふと婦人をんな背後うしろ高々たか〴〵かがとげてむかふへんだ。

(お客様きやくさま被在ゐらつしやるではないかね、ひとあしになんかからまつて贅沢ぜいたくぢやあないか、お前達まへだちむしつてれば沢山たくさんだよ。

 貴僧あなたずん〳〵らつしやいましな、うもしはしません。恁云かういところですからあんなものまで人懐ひとなつかうございます、いやぢやないかね、お前達まへだち友達ともだちたやうで可愧はづかしい、あれけませんよ。)

 ひきはのさ〳〵とまたくさけてはいつた、婦人をんなはむかふへずいと。

(さあうへるんです、つちやはらかでへますから地面ぢめん歩行あるかれません。)

 いかにも大木たいぼくたふれたのがくさがくれにみきをあらはしてる、ると足駄穿あしだばき差支さしつかへがない、丸木まるきだけれども可恐おそろしくふといので、もつともこれをわたてるとたちまながれおとみゝげきした、それまでには余程よほどあひだ

 あふいでるとまつはもうかげえない、十三つきはずつとひくうなつたが、いまりたやまいただきなかばかゝつて、とゞきさうにあざやかだけれども、たかさはおよはかられぬ。

貴僧あなた此方こちらへ。)

といつた、婦人をんなはもう一いきしたつてつてた。

 其処そこや一めんいはで、いはうへ谷川たにがはみづがかゝつてによどみをつくつてる、川巾かははばは一けんばかり、みづのぞめばおとまでにもないが、うつくしさはたまいてながしたやう、かへつてとほくのはうすさまじくいはくだけるひゞきがする。

 むかぎしまたやますそで、いたゞきはう真暗まつくらだが、やまからその山腹さんぷくつきひかりらしされたあたりからは大石おほいし小石こいし栄螺さゞえのやうなの、六尺角しやくかく切出きりだしたの、つるぎのやうなのやらまりかたちをしたのやら、とゞかぎ不残のこらずいはで、次第しだいおほきみづひたつたのはただ小山こやまのやう。」


第十四


「(いゝ塩梅あんばい今日けふみづがふへてりますから、なかはいりませんでも此上このうへうございます。)とかうひたして爪先つまさきかゞめながら、ゆきのやうな素足すあしいしばんうへつてた。

 自分達じぶんだちつたがはは、かへつて此方こなたやますそみづせまつて、丁度ちやうど切穴きりあなかたちになつて、其処そこいしめたやうなあつらへ川上かはかみ下流かりうえぬが、むかふの岩山いはやま九十九折つゞらをれのやうなかたちながれは五しやく、三しやく、一けんばかりづゝ上流じやうりうはう段々だん〴〵とほく、飛々とび〴〵いはをかゞつたやうに隠見いんけんして、いづれも月光げつくわうびた、ぎんよろひ姿すがたのあたりちかいのはゆるぎいとさばくがごと真白まツしろひるがへつて。

結構けつこうながれでございますな。)

(はい、みづみなもとたきでございます、此山このやまたびするおかたみな大風おほかぜのやうなおと何処どこかできます。貴僧あなた此方こちら被入いらつしやるみちでお心着こゝろづきはなさいませんかい。)

 ればこそ山蛭やまびる大藪おほやぶはいらうといふすこまへからおとを。

あれはやしかぜあたるのではございませんので?)

いえたれでもまをしますもりから三ばかり傍道わきみちはいりましたところ大瀧おほたきがあるのでございます、れは〳〵日本一にツぽんいちださうですがみちけはしうござんすので、十にん一人ひとりまゐつたものはございません。たきれましたとまをしまして丁度ちやうどいまから十三ねんまへ可恐おそろしい洪水おほみづがございました、恁麼こんなたかいところまでかはそこになりましてね、ふもとむらやまいへのこらずながれてしまひました。かみほらもはじめは二十けんばかりあつたのでござんす、ながれも其時そのときから出来できました、御覧ごらんなさいましな、とほみないしながれたのでございますよ。)

 婦人をんな何時いつかもうこめしらてゝ、衣紋えもんみだれた、はしもほのゆる、ふくらかなむねらしてつた、はなたかくちむすんで恍惚うつとりうへいていたゞきあふいだが、つきはなほ半腹はんぷく累々るゐ〳〵たるいはほらすばかり。

いまでもうやつてますとこはいやうでございます。)とかゞんで二のうでところあらつてると。

(あれ、貴僧あなた那様そんな行儀ぎやうぎいことをして被在ゐらしつてはおめしれます、気味きみわるうございますよ、すつぱり裸体はだかになつておあらひなさいまし、わたしながしてげませう。)

いえ、)

いえぢやあござんせぬ、それ、それ、お法衣ころもそでひたるではありませんか、)といふと突然いきなり背後うしろからおびをかけて、身悶みもだえをしてちゞむのを、邪慳じやけんらしくすつぱりいでつた。

 わし師匠ししやうきびしかつたし、きやう身体からだぢや、はださへいだことはついぞおぼえぬ。しか婦人をんなまへ蝸牛まひ〳〵つぶろしろわたしたやうで、くちくさへ、して手足てあしのあがきも出来でき背中せなかまるくして、ひざはせて、ちゞかまると、婦人をんながした法衣ころもかたはらえだへふわりとかけた。

(おめしうやつてきませう、さあおせなを、あれさ、じつとして。お嬢様ぢやうさま有仰おつしやつてくださいましたおれいに、叔母をばさんが世話せわくのでござんす、おひとわるい、)といつて片袖かたそで前歯まへば引上ひきあげ、

 たまのやうな二のうでをあからさまに背中せなかせたが、じつて、

(まあ、)

うかいたしてをりますか。)

あざのやうになつて一めんに。)

(えゝ、それでございます、ひどひました。)

 おもしても悚然ぞツとするて。」


第十五


婦人をんなおどろいたかほをして、

(それではもりなかで、大変たいへんでございますこと。たびをするひとが、飛騨ひだやまではひるるといふのは彼処あすこでござんす。貴僧あなた抜道ぬけみち御存ごぞんじないから正面まともひるをおとほりなさいましたのでございますよ。お生命いのち冥加みやうがくらゐうまでもうしでも吸殺すひころすのでございますもの。しかうづくやうにおかゆいのでござんせうね。)

唯今たゞいまではいたみますばかりになりました。)

(それでは恁麼こんなものでこすりましてはやはらかいおはだ擦剥すりむけませう、)といふと綿わたのやうにさはつた。

 それから両方りようはうかたから、せな横腹よこばらいしき、さら〳〵みづをかけてはさすつてくれる。

 それがさ、ほねとほつてつめたいかといふとうではなかつた。あつ時分じぶんぢやが、理屈りくつをいふとうではあるまい、わしいたせいか、婦人をんな温気ぬくみか、あらつてくれるみづいゝ工合ぐあひみる、もツとたちみづやはらかぢやさうな。

 心地こゝちもいはれなさで、眠気ねむけがさしたでもあるまいが、うと〳〵する様子やうすで、きずいたみがなくなつてとほくなつてひたとくツついて婦人をんな身体からだで、わしはなびらのなかつゝまれたやうな工合ぐあひ

 山家やまがものには肖合にあはぬ、みやこにもまれ器量きりやうはいふにおよばぬが弱々よわ〳〵しさうな風采ふうぢや、せなかながうちにもはツ〳〵と内証ないしよう呼吸いきがはづむから、ことはらう〳〵とおもひながら、れい恍惚うつとりで、はつきながらあらはした。

 其上そのうへやまか、をんなにほひか、ほんのりとかほりがする、わし背後うしろでつくいきぢやらうとおもつた。」

 上人しやうにん一寸ちよいと句切くぎつて、

「いや、お前様まんさま手近てちかぢや、あかり掻立かきたつてもらひたい、くらいとしからぬはなしぢや、此処等ここらから一ばん野面のづらやツつけやう。」

 まくらならべた上人しやうにん姿すがたおぼろげにあかりくらくなつてた、早速さつそく燈心とうしんあかるくすると、上人しやうにん微笑ほゝゑみながらつゞけたのである。

「さあ、うやつて何時いつにやらうつゝともしに、う、不思議ふしぎな、結構けつこうかほりのするあツたかはななかへ、やはらかにつゝまれて、あしこしかたえりから次第しだいに、天窓あたままで一めんかぶつたから吃驚びツくりいし尻持しりもちいて、あしみづなか投出なげだしたからちたとおも途端とたんに、をんな脊後うしろから肩越かたこしむねをおさへたのでしつかりつかまつた。

貴僧あなた、おそば汗臭あせくさうはござんせぬかいとんあつがりなんでございますから、うやつてりましても恁麼こんなでございますよ。)といふむねにあるつたのを、あはてゝはなしてぼうのやうにつた。

失礼しつれい、)

(いゝえたれりはしませんよ。)とましてふ、婦人をんな何時いつにか衣服きものいで全身ぜんしん練絹ねりぎぬのやうにあらはしてたのぢや。

 なんおどろくまいことか。

恁麼こんなふとつてりますから、うお可愧はづかしいほどあついのでございます、今時いまどき毎日まいにちも三てはうやつてあせながします、みづがございませんかつたらういたしませう、貴僧あなた、お手拭てぬぐひ。)といつてしぼつたのを寄越よこした。

それでおみあしをおきなさいまし。)

 何時いつにか、からだはちやんといてあつた、おはなまをすも恐多おそれおほいか、はゝはゝはゝ。」


第十六


「なるほどところ衣服きものとき姿すがたとはちがふてしゝつきのゆたかな、ふつくりとしたはだへ

先刻さツき小屋こやはいつて世話せわをしましたので、ぬら〳〵したうま鼻息はないき体中からだぢゆうへかゝつて気味きみわるうござんす。丁度ちやうどうございますからわたしからだきませう、)

姉弟あねおとうと内端話うちはばなしをするやうな調子てうしをあげて黒髪くろかみをおさへながらわきした手拭てぬぐひでぐいとき、あとを両手りやうてしぼりながらつた姿すがたたゞこれゆきのやうなのをかゝ霊水れいすいきよめた、恁云かういをんなあせ薄紅うすくれなゐになつてながれやう。

 一寸ちよい〳〵とくしれて、

(まあ、をんながこんなお転婆てんばをいたしまして、かはおつこちたらうしませう、川下かはしもながれてましたら、村里むらさとものなんといつてませうね。)

白桃しろもゝはなだとおもひます。)と心着こゝろついてなんもなしにいふと、かほふた。

 するとうれしさうに莞爾にツこりして其時そのときだけは初々うゐ〳〵しう年紀としも七ツ八ツわかやぐばかり、処女きむすめはぢふくんでしたいた。

 わしそのまゝらしたが、の一だん婦人をんな姿すがたつきびて、うすけぶりつゝまれながらむかぎししぶきれてくろい、なめらかな、おほきいし蒼味あをみびて透通すきとほつてうつるやうにえた。

 するとね、夜目よめ判然はつきりとはらなんだが地体ぢたいなんでも洞穴ほらあながあるとえる。ひら〳〵と、此方こちらからもひら〳〵と、ものゝとりほどはあらうといふ大蝙蝠おほかはほりさへぎつた。

(あれ、不可いけないよ、お客様きやくさまがあるぢやないかね。)

 不意ふいたれたやうにさけんで身悶みもだえをしたのは婦人をんな

うかなさいましたか、)うちやんと法衣ころもたから気丈夫きぢやうぶたづねる。

いゝえ、)

といつたばかりできまりわるさうに、くるりと後向うしろむきになつた。

 其時そのとき小犬こいぬほどな鼠色ねづみいろ小坊主こばうずが、ちよこ〳〵とやつてて、啊呀あなやおもふと、がけからよこちゆうをひよいと、背後うしろから婦人をんな背中せなかへぴつたり。

 裸体はだか立姿たちすがたこしからえたやうになつて、だきついたものがある。

畜生ちくしやう客様きやくさまえないかい。)

こゑいかりびたが、

(お前達まへだち生意気なまいきだよ、)とはげしくいひさま、わきしたからのぞかうとしたくだん動物どうぶつ天窓あたま振返ふりかへりさまにくらはしたで。

 キツヽヽといふて奇声きせいはなつた、くだん小坊主こばうずそのまゝ後飛うしろとびにまたちゆうんで、いままで法衣ころもをかけていたえださきながつるさがつたとおもふと、くるりと釣瓶覆つるべがへしうへつて、それなりさら〳〵と木登きのぼりをしたのは、なんさるぢやあるまいか。

 えだからえだつたふとえて、見上みあげるやうにたかの、やがこずえまで、かさ〳〵がさり。

 まばらになかかしてつきやまはなれた、こずえのあたり。

 婦人をんなはものにねたやう、いま悪戯いたづら、いや、毎々まい〳〵ひき蝙蝠かはほりとおさるで三ぢや。

 悪戯いたづらいた機嫌きげんそこねたかたち、あまり子供こどもがはしやぎぎると、わか母様おふくろにはてあるぢや、

本当ほんたうおこす。

 といつた風情ふぜい面倒臭めんだうくささうに衣服きものたから、わしなんにはずにちいさくなつてだまつてひかへた。」


第十七


やさしいなかにつよみのある、気軽きがるえても何処どこにか落着おちつきのある、馴々なれ〳〵しくてをかやすからぬひんい、如何いかなることにもいざとなればおどろくにらぬといふこたへのあるといつたやうなふう婦人をんな嬌瞋きやうしんはつしては屹度きつといことはあるまい、いま婦人をんな邪慳じやけんにされてはからちたさる同然どうぜんぢやと、おつかなびつくりで、おづ〳〵ひかへてたが、いやあんずるよりうむやすい。

貴僧あなたさぞをかしかつたでござんせうね、)と自分じぶんでもおもしたやうにこゝろよ微笑ほゝゑみながら、

やうがないのでございますよ。)

 以前いぜんかはらず心安こゝろやすくなつた、おびめたので、

それではうちかへりませう。)と米磨桶こめとぎをけ小脇こわきにして、草履ざうりひつかけてがけのぼつた。

(おあぶのうござんすから、)

いえ、もう大分だいぶ勝手かつてわかつてります。)

 づツと心得こゝろえつもりぢやつたが、さてあがときるとおもひのほかうへまでは大層たいそうたかい。

 やがまたれい丸太まるたわたるのぢやが、前刻さつきもいつたとほりくさのなかに横倒よこだふれになつてる、木地きぢ丁度ちやうどうろこのやうでたとへにもくいふがまつうわばみるで。

 ことがけを、うへはうへ、いゝ塩梅あんばいうねつた様子やうすが、とんだものにつていなり、およくらゐ胴中どうなか長虫ながむしがとおもふと、かしらくさかくしてつきあかりに歴然あり〳〵とそれ。

 山路やまみちときおもすとわれながらあしすくむ。

 婦人をんな親切しんせつうしろ気遣きづかふてはけてくれる。

それをおわたりなさいますときしたてはなりません丁度ちやうど中途ちゆうと余程よつぽどたにふかいのでございますから、まふわるうござんす。)

(はい。)

 愚図々々ぐづ〳〵してはられぬから、我身わがみわらひつけて、つた。ひつかゝるやう、きざいれてあるのぢやから、さいたしかなら足駄あしだでも歩行あるかれる。

 それがさ、一けんぢやからたまらぬて、るとうぐら〳〵してやはらかにずる〳〵とひさうぢやから、わつといふと引跨ひんまたいでこしをどさり。

(あゝ、意気地いくぢはございませんねえ。足駄あしだでは無理むりでございませう、これとお穿へなさいまし、あれさ、ちやんといふことをくんですよ。)

 わしはその前刻さつきからなんとなくこの婦人をんな畏敬ゐけいねんしやうじてぜんあくか、みち命令めいれいされるやうに心得こゝろえたから、いはるゝままに草履ざうり穿いた。

 するとおきなさい、婦女をんな足駄あしだ穿きながらつてくれます。

 たちまかるくなつたやうにおぼえて、わけなくうしろしたがふて、ひよいと孤家ひとつや背戸せどはたた。

 出会頭であひがしらこゑけたものがある。

(やあ、大分だいぶ手間てまれるとおもつたに、御坊様おばうさまもとからだかへらつしやつたの、)

なにをいふんだね、小父様をぢさまうちばんうおしだ。)

(もう時分じぶんぢや、またわしあんまおそうなつてはみちこまるで、そろ〳〵あを引出ひきだして支度したくしてかうとおもふてよ。)

それはお待遠まちどうでござんした。)

なにつてさつしやい御亭主ごていしゆ無事ぶじぢや、いやなかなかわしには口説落くどきおとされなんだ、はゝゝゝはゝ。)と意味いみもないことを大笑たいせうして、親仁おやぢうまやかたへてく〳〵とつた。

 白痴ばかはおなじところなほかたちそんしてる、海月くらげにあたらねばけぬとえる。」


第十八


「ヒイヽン! しつ、どうどうどうと背戸せどまわひづめおとえんひゞいて親仁おやぢは一とううま門前もんぜん引出ひきだした。

 轡頭くつはづらつてちはだかり、

嬢様ぢやうさまそんなら此儘このまゝわしまゐりやする、はい、御坊様おばうさま沢山たくさん御馳走ごちさうしてげなされ。)

 婦人をんな炉縁ろぶち行燈あんどう引附ひきつけ、俯向うつむいてなべしたいぶしてたが振仰ふりあふぎ、てつ火箸ひばしつたひざいて、

御苦労ごくらうでござんす。)

(いんえ御懇ごねむごろにはおよびましねえ。しつ!、)と荒縄あらなはつなく。あを蘆毛あしげ裸馬はだかうまたくましいが、たてがみうすおすぢやわい。

 そのうまがさ、わしべつうまめづらしうもないが、白痴殿ばかどの背後うしろかしこまつて手持不沙汰てもちぶさたぢやからいまいてかうとするとき椽側えんがはへひらりとて、

そのうま何処どこへ。)

(おゝ、諏訪すはみづうみあたりまで馬市うまいちしやすのぢや、これから明朝あした御坊様おばうさま歩行あるかつしやる山路やまみちえてきやす。)

(もしそれつていまからおあそばすおつもりではないかい。)

 婦人をんなあはただしくさへぎつてこゑけた。

(いえ、勿体もツたいない、修行しゆぎやううま足休あしやすめをしませうなぞとはぞんじませぬ。)

なんでも人間にんげんつけられさうなうまぢやあござらぬ。御坊様おばうさま命拾いのちびろひをなされたのぢやで、大人おとなしうして嬢様ぢやうさまそでなかで、今夜こんやたすけてもらはつしやい。然様さやうならちよつくらつてまゐりますよ。)

(あい。)

畜生ちくしやう、)といつたがうまないわ。びく〳〵とうごめいてえるおほき鼻面はなツつら此方こちらけてしきり私等わしらはう様子やうす

(どう〳〵どう、畜生ちくしやうこれあだけたけものぢや、やい!)

 右左みぎひだりにしてつな引張ひつぱつたが、あしからをつけたごとくにぬつくとつててびくともせぬ。

 親仁おやぢおほい苛立いらだつて、たゝいたり、つたり、うま胴体どうたいについて二三ぐる〳〵とはつたがすこしもあるかぬ。かたでぶツつかるやうにして横腹よこばらたいをあてたときやうや前足まへあしげたばかりまたあし突張つツぱく。

嬢様ぢやうさま々々〳〵。)

親仁おやぢわめくと、婦人をんな一寸ちよいとつてしろつまさきをちよろちよろと真黒まツくろすゝけたふとはしらたてつて、うまとゞかぬほどに小隠こがくれた。

 其内そのうちこしはさんだ、煮染にしめたやうな、なへ〳〵の手拭てぬぐひいて克明こくめいきざんだひたひしはあせいて、親仁おやぢこれしといふ気組きぐみふたゝまへまはつたが、きうつて貧乏動びんぼうゆるぎもしないので、つな両手りやうてをかけてあしそろへて反返そりかへるやうにして、うむと総身さうみちかられた。途端とたんうぢやい。

 すさまじくいなゝいて前足まへあし両方りやうはう中空なかぞらひるがへしたから、ちひさ親仁おやぢ仰向あふむけにひツくりかへつた、づどんどう、月夜つきよ砂煙すなけぶり𤏋ぱツつ。

 白痴ばかにもこれ可笑をかしかつたらう、此時このときばかりぢや、真直まツすぐくびゑてあつくちびるをばくりとけた、大粒おほつぶ露出むきだして、ちゆうげてかぜあふるやうに、はらり〳〵。

世話せわけることねえ、)

 婦人をんなげるやうにいつて草履ざうりつツかけて土間どまへついとる。

嬢様ぢやうさま勘違かんちがひさつしやるな、これはお前様まへさまではないぞ、なんでもはじめから其処そこ御坊様おばうさまをつけたつけよ、畜生ちくしやう俗縁ぞくえんがあるだツぺいわさ。)

 俗縁ぞくえんおどろいたい。

 すると婦人をんなが、

貴僧あなたこゝへらつしやるみちだれにかおひなさりはしませんか。)」


第十九


「(はい、つぢ手前てまへ富山とやま反魂丹売はんごんたんうりひましたが、一あしさき矢張やツぱりこのみちはいりました。)

(あゝ、う、)と会心くわいしんゑみらして婦人をんな蘆毛あしげはうた、およたまらなく可笑をかしいといつたはしたない風采とりなりで。

 きはめてくみやすえたので、

(もしや此家こちらまゐりませなんだでございませうか。)

いゝえぞんじません。)といふときたちまをかすべからざるものになつたから、わしくちをつぐむと、婦人をんなは、さぢげてきぬちりはらふてうま前足まへあししたちいさな親仁おやぢ見向みむいて、

為様しやうがないねえ、)といひながら、かなぐるやうにして、細帯ほそおびきかけた、片端かたはしつちかうとするのを、掻取かいとつて一寸ちよいと猶予ためらふ。

(あゝ、あゝ、)とにごつたこゑして白痴あはうくだんのひよろりとした差向さしむけたので、婦人をんないたのをわたしてると、風呂敷ふろしきひろげたやうな、他愛たあいのない、ちからのない、ひざうへへわがねて宝物はうもつ守護しゆごするやうぢや。

 婦人をんな衣紋えもん抱合かきあはせ、ちゝしたでおさへながらしづかに土間どまうまわきへつゝとつた。

 わしたゞ呆気あつけられてると、爪立つまだてをして伸上のびあがり、をしなやかにそらざまにして、二三たてがみでたが。

 おほき鼻頭はなづら正面しやうめんにすつくりとつた。せいもすら〳〵ときふたかくなつたやうにえた、婦人をんなゑ、くちむすび、まゆひらいて恍惚うつとりとなつた有様ありさま愛嬌あいけう嬌態しなも、世話せわらしい打解うちとけたふうとみせて、しんか、かとおもはれる。

 其時そのときうらやまむかふのみね左右さいう前後ぜんごにすく〳〵とあるのが、一ツ一ツくちばしけ、かしらもたげて、の一らく別天地べツてんち親仁おやぢ下手したでひかへ、うまめんしてたゝずんだ月下げツか美女びぢよ姿すがた差覗さしのぞくがごとく、陰々いん〳〵として深山しんざんこもつてた。

 なまぬるいかぜのやうな気勢けはひがするとおもふと、ひだりかたから片膚かたはだいたが、みぎはづして、まへまはし、ふくらんだむねのあたりで単衣ひとへまろげてち、かすみまとはぬ姿すがたになつた。

 うませなはらかはゆるめてあせもしとゞにながれんばかり、突張つツぱつたあしもなよ〳〵として身震みぶるひをしたが、鼻面はなづらにつけて、一つかみ白泡しろあは吹出ふきだしたとおもふと前足まへあしらうとする。

 其時そのときあぎとしたをかけて、片手かたてつて単衣ひとへをふわりとげてうまおほふがいなや、

 うさぎをどつて、仰向あふむけざまにひるがへし、妖気えうきめて朦朧まうろうとしたつきあかりに、前足まへあしあひだはだはさまつたとおもふと、きぬはづして掻取かいとりながら下腹したばらくゞつてよこけてた。

 親仁おやぢ差心得さしこゝろえたものとえる、きツかけに手綱たづないたから、うまはすた〳〵と健脚けんきやく山路やまぢげた、しやん、しやんしやん、しやんしやん、しやんしやん、──眼界がんかいとほざかる。

 婦人をんな衣服きものひツかけて椽側えんがははいつてて、突然いきなりおびらうとすると、白痴ばかしさうにおさへてはなさず、げて。婦人をんなむねおさへやうとした。

 邪慳じやけんはら退けて、きツにらむでせると、そのまゝがつくりとかうべれた、すべての光景くわうけい行燈あんどうかすかにまぼろしのやうにえたが、にくべたしばがひら〳〵と炎先ほさきてたので、婦人をんなはしつてはいる。そらつきのうらをくとおもふあたりはるか馬子唄まごうたきこえたて。)」


第二十


「さて、それから御飯ごはんときぢや、ぜんには山家やまがかうもの生姜はじかみけたのと、わかめをでたの、塩漬しほづけらぬきのこ味噌汁みそじる、いやなか〳〵人参にんじん干瓢かんぺうどころではござらぬ。

 品物しなものわびしいが、なか〳〵の御手料理おてれうりえてはるし冥加みやうが至極しごくなお給仕きふじぼんひざかまへて其上そのうへひぢをついて、ほゝさゝえながら、うれしさうにたわ。

 椽側えんがは白痴あはうたれ取合とりあはぬ徒然つれ〴〵へられなくなつたものか、ぐた〳〵と膝行出いざりだして、婦人をんなそば便々べん〳〵たるはらつてたが、くづれたやうに胡座あぐらして、しきりわしぜんながめて、ゆびさしをした。

(うゝ〳〵、うゝ〳〵。)

なんでございますね、あとでおあがんなさい、お客様きやくさまぢやあゝりませんか。)

 白痴あはうなさけないかほをしてくちゆがめながらかぶりつた。

いや? 仕様しやうがありませんね、それぢや御一所ごいつしよしあがれ。貴僧あなた御免ごめんかうむりますよ。)

 わしおもはずはしいて、

(さあうぞおかまひなく、とん御雑作ござふさを、いたゞきます。)

いえなん貴僧あなた。おまいさん後程のちほどわたし一所いつしよにおべなさればいゝのに。こまつたひとでございますよ。)とそらさぬ愛想あいさう手早てばや同一おなじやうなぜんこしらえてならべてした。

 めしのつけやうも効々かひ〴〵しい女房にようばうぶり、しかなんとなく奥床おくゆかしい、上品じやうひんな、高家かうけふうがある。

 白痴あはうはどんよりしたをあげてぜんうへめてたが、

あれを、あゝ、あれあれ。)といつてきよろ〳〵と四辺あたりみまはす。

 婦人をんなぢつみまもつて、

(まあ、いゝぢやないか。そんなものは何時いつでもたべられます、今夜こんやはお客様きやくさまがありますよ。)

(うむ、いや、いや。)と肩腹かたはらゆすつたが、べそをいて泣出なきだしさう。

 婦人をんなこうてたらしい、かたはらのものゝどくさ。

嬢様ぢやうさまなにぞんじませんが、おつしやるとほりになすつたがいではござりませんか。わたくしにお気扱きあつかひかへつて心苦こゝろぐるしうござります。)と慇懃いんぎんにいふた。

 婦人をんなまた一度いちど

いやかい、これではわるいのかい。)

 白痴あはう泣出なきだしさうにすると、うらめしげに流盻ながしめながら、こはれ〳〵になつた戸棚とだななかから、はちはいつたのを取出とりだして手早てばや白痴あはうぜんにつけた。

(はい、)とわざとらしく、すねたやうにいつて笑顔造えがほづくり

 はてさて迷惑めいわくな、こりやまい黄色蛇あおだいしやう旨煮うまにか、腹籠はらごもりさる蒸焼むしやきか、災難さいなんかるうても、赤蛙あかゞへる干物ひもの大口おほぐちにしやぶるであらうと、そツると、片手かたてわんちながら掴出つかみだしたのは老沢庵ひねたくあん

 それもさ、きざんだのではないで、一本いつぽんぎりにしたらうといふ握太にぎりぶとなのを横啣よこくはえにしてやらかすのぢや。

 婦人をんなはよく〳〵あしらひかねたか、ぬすむやうにわしさつかほあからめて初心しよしんらしい、然様そんたちではあるまいに、はづかしげにひざなる手拭てぬぐひはしくちにあてた。

 なるほど少年せうねんはこれであらう、身体からだ沢庵色たくあんいろにふとつてる。やがてわけもなく餌食えじきたひらげて、ともいはず、ふツ〳〵と太儀たいぎさうに呼吸いきむかふへくわさ。

なんでございますか、わたしむねつかへましたやうで、些少ちつとしくございませんから、また後程のちほどいたゞきましやう、)と婦人をんな自分じぶんはしらずにふたツのぜんかたつけてな。」


第二十一


頃刻しばらく悄乎しよんぼりしてたつけ。

貴僧あなたさぞ疲労つかれぐにおやすませまをしませうか。)

難有ありがたぞんじます、ちツともねむくはござりません、前刻さツきからだあらひましたので草臥くたびれもすつかりなほりました。)

ながれは其麼どんなやまひにでもよくきます、わたし苦労くらうをいたしましてほねかはばかりにからだれましても半日はんにち彼処あすこにつかつてりますと、水々みづ〳〵しくなるのでございますよ。もツとのこれからふゆになりましてやま宛然まるでこほつてしまひ、かはがけ不残のこらずゆきになりましても、貴僧あなた行水ぎやうずゐあそばした彼処あすこばかりはみづかくれません、うしていきりがちます。

 鉄砲疵てツぱうきづのございますさるだの、貴僧あなたあしつた五位鷺ごゐさぎ種々いろ〳〵ものゆあみにまゐりますから足痕あしあとがけみち出来できますくらゐきツそれいたのでございませう。

 那様そんなにございませんければうやつておはなしをなすつてくださいまし、さびしくつてなりません、本当ほんとにお可愧はづかしうございますが恁麼こんなやまなか引籠ひツこもつてをりますと、ものをいふこともわすれましたやうで、心細こゝろぼそいのでございますよ。

 貴僧あなた、それでもおねむければ御遠慮ごゑんりよなさいますなえ。べつにお寝室ねままをしてもございませんが其換そのかはは一ツもませんよ、町方まちかたではね、かみほらものは、さととまりにとき蚊帳かやつてかさうとすると、うしてはいるのかわからないので、階子はしごせいとわめいたとまをしてなぶるのでございます。

 沢山たくさん朝寝あさねあそばしてもかねきこえず、とりきません、いぬだつてりませんからお心休こゝろやすうござんせう。

 此人このひとうまちると此山このやまそだつたので、なんにもぞんじませんかはりひとちツともお心置こゝろおきはないのでござんす。

 それでも風俗ふうのかはつたかた被入いらつしやいますと、大事だいじにしてお辞義じぎをすることだけはつてゞございますが、御挨拶ごあいさつをいたしませんね。此頃このごろからだがだるいとえておなまけさんになんなすつたよ、いゝえまるおろかなのではございません、なんでもちやんと心得こゝろえります。

 さあ、御坊様ごぼうさま御挨拶ごあいさつをなすつてください、まあ、お辞義じきをおわすれかい。)としたしげにせて、かほ差覗さしのぞいて、いそ〳〵していふと、白痴ばかはふら〳〵と両手りやうてをついて、ぜんまいがれたやうにがつくり一れい

(はい、)といつてわしなにむねせまつてつむりげた。

 そのまゝ俯向うつむいた拍子ひやうしすぢけたらしい、よこながれやうとするのを、婦人をんなやさしうたすおこして、

(おゝ、よくたのねえ、)

 天晴あツぱれといひたさうな顔色かほつきで、

貴僧あなたまをせばなんでも出来できませうとおもひますけれども、此人このひとやまひばかりはお医者いしやでもみづでもなほりませなんだ、両足りやうあしちませんのでございますから、なにおぼえさしましてもやくにはちません。それ御覧ごらんなさいまし、お辞義じぎひとツいたしますさい、あのとほり大儀たいぎらしい。

 ものをおしへますとおぼえますのにさぞほねれてせつなうござんせう、からだくるしませるだけだとぞんじてなんにせないできますから、段々だん〴〵うごかすはたらきも、ものをいふこともわすれました。それでもの、うたうたへますわ。二ツ三ツいまでもつてりますよ。さあ御客様おきやくさまに一ツおかせなさいましなね。)

 白痴ばか婦人をんなて、またわしかほをぢろ〳〵て、人見知ひとみしりをするといつたかたちくびつた。」


第二十二


左右とかくして、婦人をんなが、はげますやうに、すかすやうにしてすゝめると、白痴ばかくびげてへそもてあそびながらうたつた。

木曾きそ御嶽山おんたけさんなつでもさむい、

      あはせりたや足袋たびへて。

(よくつてりませう、)と婦人をんな聞澄きゝすまして莞爾にツこりする。

 不思議ふしぎや、うたつたとき白痴ばかこゑこのはなしをおきなさるお前様まへさまもとよりぢやが、わし推量すゐりやうしたとは月鼈雲泥げつべつうんでい天地てんち相違さうゐ節廻ふしまはし、あげさげ、呼吸こきふつゞところから、だいきよらかなすゞしいこゑといふものは、到底たうてい少年せうねん咽喉のどからたのではない。さきこの白痴ばかが、冥途めいどからくだのふくれたはらかよはして寄越よこすほどにきこえましたよ。

 わしかしこまつててるとひざをついたツきりうしてもかほげて其処そこ男女ふたりることが出来できぬ、なにむねがキヤキヤして、はら〳〵と落涙らくるゐした。

 婦人をんな目早めばやつけたさうで、

(おや、貴僧あなたうかなさいましたか。)

 きふにものもいはれなんだが漸々やう〳〵

はいなあにかはつたことでもござりませぬ、わし嬢様ぢやうさまのことはべつにおたづまをしませんから、貴女あなたなんにもふてはくださりますな。)

仔細しさいかたらずたゞ思入おもひいつてふたが、じつ以前いぜんから様子やうすでもれる、金釵玉簪きんさぎよくさんをかざし、蝶衣てふいまとふて、珠履しゆり穿うがたば、まさ驪山りさんつて陛下へいか相抱あひいだくべき豊肥妖艶ほうひえうえんひとそのをとこたいする取廻とりまはしのやさしさ、へだてなさ、親切しんせつさに、人事ひとごとながらうれしくて、おもはずなみだながれたのぢや。

 するとひとはらなかみかねるやうな婦人をんなではない、たちま様子やうすさとつたかして、

貴僧あなた真個ほんとうにおやさしい。)といつて、はれぬいろたゝへて、ぢつとた。わしかうべれた、むかふでも差俯向さしうつむく。

 いや、行燈あんどうまた薄暗うすくらくなつてまゐつたやうぢやが、おそらくこりや白痴ばか所為せゐぢやて。

 其時そのときよ。

 しらけて、しばらく言葉ことば途絶とだえたうちに所在しよざいがないので、うたうたひの太夫たいふ退屈たいくつをしたとえてかほまへ行燈あんどう吸込すひこむやうな大欠伸おほあくびをしたから。

 身動みうごきをしてな、

ようちやあ、ようちやあ。)とよた〳〵からだ取扱もちあつかふわい。

ねむうなつたのかい、もうおか、)といつたがすはなほつてがついたやうに四辺あたりみまはした。戸外おもてあたか真昼まひるのやう、つきひかりひろげたうちへはら〳〵とさして、紫陽花あぢさいいろ鮮麗あざやかあをかつた。

貴僧あなたももうおやすみなさいますか。)

(はい、御厄介ごやくかいにあいなりまする。)

(まあ、いま宿やどかします、おゆつくりなさいましな。戸外おもてへはちかうござんすが、なつひろはう結句けツくうございませう、わたくしどもは納戸なんどせりますから、貴僧あなた此処こゝへおひろくおくつろぎがうござんす、一寸ちよいとつて。)といひかけてつツち、つか〳〵と足早あしばや土間どまりた、あまのこなしが活溌くわツぱつであつたので、拍手ひやうし黒髪くろかみさきいたまゝうなぢくづれた。

 びんをおさへて、につかまつて、戸外おもてかしたが、独言ひとりごとをした。

(おや〳〵さつきのさわぎでくしおとしたさうな。)

 いかさまうまはらくゞつたときぢや。」


第二十三


 此折このをりからした廊下らうか跫音あしおとがして、しづか大跨おほまた歩行あるいたのがせきとしてるからく。

 やが小用こようした様子やうす雨戸あまどをばたりとけるのがきこえた、手水鉢てうづばち干杓ひしやくひゞき

「おゝ、つもつた、つもつた。」とつぶやいたのは、旅籠屋はたごや亭主ていしゆこゑである。

「ほゝう、若狭わかさ商人あきんど何処どこへかとまつたとえる、なに愉快おもしろゆめでもるかな。」

うぞ其後そのあとを、それから、」とには他事たじをいふうちがもどかしく、にべもなくつゞきうながした。

「さて、よるけました、」といつて旅僧たびそうまた語出かたりだした。

大抵たいてい推量すゐりやうもなさるであらうが、いかに草臥くたびれてつても申上まをしあげたやうな深山しんざん孤家ひとつやで、ねむられるものではないそれすこになつて、はじめのうちわしかさなかつたこともあるし、えて、まじ〳〵してたが、有繋さすがに、つかれひどいから、しんすこ茫乎ぼんやりしてた、なにしろしらむのが待遠まちどほでならぬ。

 其処そこではじめのうちわれともなくかねきこえるのを心頼こゝろたのみにして、いまるか、もうるか、はて時刻じこくはたつぷりつたものをと、あやしんだが、やがていて、恁云かういところぢや山寺やまでらどころではないとおもふと、にはか心細こゝろぼそくなつた。

 其時そのときや、よるがものにたとへるとたにそこぢや、白痴ばかがだらしのない寝息ねいききこえなくなると、たちまそとにものゝ気勢けはひがしてた。

 けもの足音あしおとのやうで、までとほくのはうから歩行あるいてたのではないやう、さるも、ひきところと、気休きやすめにかんがへたが、なかなかうして。

 しばらくするといま其奴そやつ正面しやうめんちかづいたなとおもつたのが、ひつじ啼声なきごゑになる。

 わしはうまくらにしてたのぢやから、つまり枕元まくらもと戸外おもてぢやな。しばらくすると、右手めて紫陽花あぢさいいてはなしたあたりで、とりばたきするおと

 むさゝびからぬがきツ〳〵といつてむねへ、やがおよ小山こやまほどあらうと気取けどられるのがむねすほどにちかづいてて、うしいた。とほ彼方かなたからひた〳〵と小刻こきざみけてるのは、二本足ほんあし草鞋わらぢ穿いたけものおもはれた、いやさまざまにむら〳〵といへのぐるりを取巻とりまいたやうで、二十三十のものゝ鼻息はないき羽音はおとなかにはさゝやいてるのがある。あたかなによ、それ畜生道ちくしやうだう地獄ぢごくを、月夜つきようつしたやうなあやし姿すがた板戸いたど魑魅魍魎ちみまうりやうといふのであらうか、ざわ〳〵とそよ気色けしきだつた。

 いきこらすと、納戸なんどで、

(うむ、)といつてなが呼吸いきいて一こゑうなされたのは婦人をんなぢや。

今夜こんやはお客様きやくさまがあるよ。)とさけんだ。

(お客様きやくさまがあるぢやないか。)

しばらつて二度目どめのは判然はつきりすゞしいこゑ

 きはめて低声こゞゑで、

(お客様きやくさまがあるよ。)といつて寝返ねがへおとがした、さら寝返ねがへおとがした。

 そとのものゝ気勢けはひ動揺どよめきつくるがごとく、ぐら〳〵といへゆらめいた。

 わし陀羅尼だらにじゆした。

若不順我咒  悩乱説法者  頭破作七分

如阿梨樹枝  如殺父母罪  亦如厭油殃

斗秤欺誰人  調達僧罪犯  犯此法師者

当獲如是殃

と一心不乱しんふらんさツいてかぜみんなみいたが、たちましづまかへつた、夫婦ふうふねやもひツそりした。」


第二十四


翌日よくじつまた正午頃しやうごゞろさとちかく、たきのあるところで、昨日きのふうまうりつた親仁おやぢかへりふた。

 丁度ちやうどわし修行しゆぎやうるのをして孤家ひとつや引返ひきかへして、婦人をんなと一しよ生涯しやうがいおくらうとおもつてところで。

 じつまをすと此処こゝ途中とちうでもことばかりかんがへる、へびはしさいはひになし、ひるはやしもなかつたが、みち難渋なんじふなにつけてもあせながれて心持こゝろもちわるいにつけても、今更いまさら行脚あんぎやつまらない。むらさき袈裟けさをかけて、七堂伽藍だうがらんんだところ何程なにほどのこともあるまい、活仏様いきほとけさまぢやといふてわあ〳〵おがまれゝばひといきれでむねわるくなるばかりか。

 とおはなしもいかゞぢやから、前刻さツきはことをけていひませなんだが、昨夜ゆふべ白痴ばかかしつけると、婦人をんなまたのあるところへやつてて、なか苦労くらうをしてやうより、なつすゞしく、ふゆあたゝかい、ながれと一しよわたしそばにおいでなさいといふてくれるし、まだ〳〵そればかりでは自身じぶんしたやうぢやけれども、こゝに我身わがみ我身わがみ言訳いひわけ出来できるといふのは、しきり婦人をんな不便ふびんでならぬ、深山しんざん孤家ひとつや白痴ばかとぎをして言葉ことばつうぜず、るにしたがふてものをいふことさへわすれるやうながするといふはなんたること

 こと今朝けさ東雲しのゝめたもと振切ふりきつてわかれやうとすると、お名残なごりしや、かやうなところうやつて老朽おひくちるの、ふたゝびおにはかゝられまい、いさゝ小川をがはみづとなりとも、何処どこぞで白桃しろもゝはなながれるのを御覧ごらんになつたら、わたしからだ谷川たにがはしづんで、ちぎれ〳〵になつたことゝおもへ、といつて、しほれながら、なほ親切しんせつに、みちたゞ谷川たにがはながれ沿ふてきさへすれば、れほどとほくてもさとらるゝ、したちかみづおどつて、たきになつてつるのをたら、人家じんかちかづいたとこゝろやすんずるやうに、とをつけて孤家ひとつやえなくなつたあたりゆびさしをしてくれた。

 その取交とりかはすにはおよばずとも、そばにつきつて、朝夕あさゆふ話対手はなしあひてきのこしる御膳ごぜんべたり、わしほだいて、婦人をんななべをかけて、わしひろつて、婦人をんなかはいて、それから障子しやうじうちそとで、はなしをしたり、わらつたり、それから谷川たにがは二人ふたりして、其時そのとき婦人をんな裸体はだかになつて、わし背中せなか呼吸いきかよつて、微妙びめうかほりはなびらにあたゝかつゝまれたら、そのまゝいのちせてもい!

 たきみづるにつけてもがたいのは其事そのことであつた、いや、冷汗ひやあせながれますて。

 其上そのうへ、もうがたるみ、すぢゆるんで、歩行あるくのにあきよろこばねばならぬ人家じんかちかづいたのも、たかがよくされてくちくさばあさんに渋茶しぶちや振舞ふるまはれるのがせきやまと、さとるのもいやになつたから、いしうへひざけた、丁度ちやうどしたにあるたきぢやつた、これがさ、あとくと女夫瀧めうとたきふさうで。

 真中まんなか鰐鮫わにざめくちをあいたやうなさきのとがつたくろ大巌おほいは突出つきでると、うへからながれてさツはや谷川たにがはが、これあたつてふたつわかれて、およそ四ぢやうばかりのたきになつてどツちて、また暗碧あんぺき白布しろぬのつてるやうにさとるのぢやが、そのいはにせかれたはうは六しやくばかり、これかはの一はゞいていとみだれず、一ぱうはゞせまい、三じやくぐらゐ、このしたには雑多ざツたいはならぶとえて、ちら〳〵ちら〳〵とたますだれ百千ひやくせんくだいたやう、くだん鰐鮫わにざめいはに、すれつ、もつれつ。」


第二十五


たゞすぢでもいはして男瀧をたきすがりつかうとするかたち、それでもなかへだてられてすゑまではしづくかよはぬので、まれ、られてつぶさに辛苦しんくめるといふ風情ふぜいはう姿すがたやつかたちほそつて、ながるゝおとさへ別様べつやうに、くか、うらむかともおもはれるが、あはれにもやさしい女瀧めだきぢや。

 男瀧をだきはうはうらはらで、いしくだき、つらぬいきほひ堂々だう〳〵たる有様ありさまぢや、これが二つくだんいはあたつて左右さいうわかれて二すぢとなつてちるのがみて、女瀧めだきこゝろくだ姿すがたは、をとこひざとりついて美女びぢよいてふるはすやうで、きしてさへからだがわなゝく、にくをどる。して水上みなかみは、昨日きのふ孤家ひとつや婦人をんなみづびたところおもふと、せい女瀧めだきなかのやうな婦人をんな姿すがた歴々あり〳〵、といてると巻込まきこまれて、しづんだとおもふとまたいて、千筋ちすぢみだるゝみづとゝもにはだへくだけて、花片はなびら散込ちりこむやうな。あなやとおもふとさらに、もとのかほも、むねも、ちゝも、手足てあしまツた姿すがたとなつて、いつしづみつ、ぱツときざまれ、あツとまたあらはれる。わしたまらず真逆まツさかさまたきなか飛込とびこんで、女瀧めたきしかいたとまでおもつた。がつくと男瀧をたきはうはどう〳〵と地響ぢひゞきたせて、山彦やまびこんでとゞろいてながれてる、あゝちからもつ何故なぜすくはぬ、まゝよ!

 たきげてなうより、もと孤家ひとつや引返ひツかへせ。けがらはしいよくのあればこそうなつたうへ蹰躇ちゆうちよをするわ、そのかほこゑけば、渠等かれら夫婦ふうふ同衾ひとつねするのにまくらならべて差支さしつかへぬ、それでもあせになつて修行しゆぎやうをして、坊主ばうずてるよりは余程よほどましぢやと、思切おもひきつてもどらうとして、いしはなれておこした、背後うしろから一ツ背中せなかたゝいて、

(やあ、御坊様ごばうさま、)といはれたから、ときときなり、こゝろこゝろ後暗うしろぐらいので喫驚びつくりしてると、閻王えんわう使つかひではない、これが親仁おやぢ

 うまつたか、身軽みがるになつて、ちひさなつゝみかたにかけて、に一こひの、うろこ金色こんじきなる、溌溂はつらつとしてうごきさうな、あたらしいそのたけじやくばかりなのを、あぎとわらとほして、ぶらりとげてた。なんにもはずきふにものもいはれないでみまもると、親仁おやぢはじつとかほたよ。うしてにや〳〵と、またとほり笑方わらひかたではないて、薄気味うすきみわる北叟笑ほくそゑみをして、

なにをしてござる、御修行ごしゆぎやうが、このくらゐあつさで、きしやすんでさつしやるぶんではあんめえ、一生懸命しやうけんめい歩行あるかつしやりや、昨夜ゆふべとまりから此処こゝまではたつた五、もうさとつて地蔵様ぢざうさまをがまつしやる時刻じこくぢや。

 なんぢやの、おら嬢様ぢやうさまおもひかゝつて煩悩ぼんなうきたのぢやの。うんにや、かくさつしやるな、おらがあかくツても、しろいかくろいかはちやんとえる。

 地体ぢたいなみのものならば、嬢様ぢやうさまさはつてみづ振舞ふるまはれて、いままで人間にんげんやうはずはない。

 うしうまか、ひきがへるか、さるか、蝙蝠かはほりか、なににせいんだかねたかせねばならぬ。谷川たにがはからあがつてさしつたとき手足てあしかほひとぢやから、おらあ魂消たまげくらゐ、お前様まへさまそれでも感心かんしんこゝろざし堅固けんごぢやからたすかつたやうなものよ。

 なんと、おらがいてつたうまさしつたらう、それで、孤家ひとつやさつしやる山路やまみち富山とやま反魂丹売はんごんたんうりはしつたといふではないか、それさつせい、助倍すけべい野郎やらうとううまになつて、それ馬市うまいちおあしになつて、おあしが、そうらこひけた。大好物だいかうぶつ晩飯ばんめしさいになさる、お嬢様ぢやうさまを一たいなんじやとおもはつしやるの。)」

 わたしおもはずさへぎつた。

「お上人しやうにん?」


第二十六


 上人しやうにんうなづきながらつぶやいて、

「いや、かつしやい、孤家ひとつや婦人をんなといふは、もとな、これもわしにはなにかのえんがあつた、あのおそろし魔処ましよはいらうといふ岐道そばみちみづあふれた往来わうらいで、百姓ひやくしやうをしへて、彼処あすこ以前いぜん医者いしやいへであつたといふたが、いへ嬢様ぢやうさまぢや。

 なんでも飛騨ひだゑん当時たうじかはつたこともめづらしいこともなかつたが、たゞ取出とりいでゝいふ不思議ふしぎは、医者いしやむすめで、うまれるとたまのやう。

 母親殿おふくろどの頬板ほゝツぺたのふくれた、めじりさがつた、はなひくい、ぞくにさしぢゝといふあの毒々どく〴〵しい左右さいうむねふさふくんで、うしてあれほどうつくしくそだつたものだらうといふ。

 むかしから物語ものがたりほんにもある、むね白羽しらは征矢そやつか、もなければ狩倉かりくらとき貴人あてびとのおまつて御殿ごてん召出めしだされるのは、那麼あんなのぢやとうはさたかかつた。

 父親てゝおや医者いしやといふのは、頬骨ほゝぼねのとがつたひげへた、見得坊みえばう傲慢がうまん其癖そのくせでもぢや、勿論もちろん田舎ゐなかには苅入かりいれときよくいねはいると、それからわづらう、脂目やにめ赤目あかめ流行目はやりめおほいから、先生せんせい眼病がんびやうはうすこつたが、内科ないくわてはからつぺた。外科げくわなんとにやあ、鬢付びんつけみづらしてひやりときずにつけるくらゐところ

 いわし天窓あたま信心しん〴〵から、それでも命数めいすうきぬやから本復ほんぷくするから、ほか竹庵ちくあん養仙やうせん木斎もくさいない土地とち相応さうおう繁昌はんじやうした。

 ことむすめが十六七、女盛をんなざかりとなつて時分じぶんには、薬師様やくしさま人助ひとだすけに先生様せんせいさまうちうまれてござつたといつて、信心しん〴〵渇仰かつがう善男ぜんなん善女ぜんによ 病男びやうなん病女びやうぢよわれわれもとける。

 それといふのが、はじまりは嬢様ぢやうさまが、それ、馴染なじみ病人びやうにんには毎日まいにちかほはせるところから、愛相あいさうの一つも、あなたおいたみますかい、甚麼どんなでございます、といつて手先てさきやはらかてのひらさはると第一番だいいちばん次作兄じさくあにいといふわかいのゝ(りやうまちす)が全快ぜんくわい、おくるしさうなといつてはらをさすつてるとみづあたりの差込さしこみまつたのがある、初手しよてわかをとこばかりにいたが、段々だん〴〵老人としよりにもおよぼして、のちには婦人をんな病人びやうにんもこれでなほる、なほらぬまでも苦痛いたみうすらぐ、根太ねぶとうみつてすさへ、びた小刀こがたな引裂ひツさ医者殿いしやどの腕前うでまへぢや、病人びやうにんは七てんたうして悲鳴ひめいげるのが、むすめ背中せなかへぴつたりとむねをあてゝかたおさへてると、我慢がまん出来できる、といつたやうなわけであつたさうな。

 一しきりやぶまへにある枇杷びは古木ふるき熊蜂くまばち可恐おそろしおほきをかけた。

 すると、医者いしや内弟子うちでし薬局やくきよく拭掃除ふきさうぢもすれば総菜畠さうざいばたけいもる、ちかところへは車夫しやふつとめた、下男げなん兼帯けんたい熊蔵くまざうといふ、其頃そのころ二十四五さい稀塩散きゑんさん単舎利別たんしやりべつぜたのをびんぬすんで、うち吝嗇けちぢやから見附みつかるとしかられる、これ股引もゝひきはかまと一しよ戸棚とだなうへせていて、ひまさへあればちびり〳〵とんでたをとこが、庭掃除にはさうじをするといつて、くだんはちつけたつけ。

 椽側えんがはつてて、お嬢様ぢやうさま面白おもしろいことをしておけませう、無躾ぶしつけでござりますが、わたしにぎつてくださりますと、はちなか突込つツこんで、はちつかんでせましやう。おさはつたところだけはしましてもいたみませぬ、竹箒たけばうき引払ひツぱたいては八ぱうちらばつて体中からだぢうたかられてはそれしのげませぬ即死そくしでございますがと、微笑ほゝゑんでひかへる無理むりにぎつてもらひ、つか〳〵とくと、すさまじいむしうなりやがつてかへしたひだり熊蜂くまばちが七ツ八ツ、ばたきをするのがある、あしふるふのがある、なかにはつかんだゆびまた這出はひだしてるのがあツた。

 さあ、神様かみさまさはれば鉄砲玉てツぱうだまでもとほるまいと、蜘蛛くものやうに評判ひやうばんが八ぱうへ。

 ころからいつとなく感得かんとくしたものとえて、仔細しさいあつて、白痴ばかまかせてやまこもつてからは神変不思議しんぺんふしぎとしるにしたがふて神通自在じんつうじざいぢや、はじめはからだつけたのが、あしばかりとなり、さきとなり、はてあひだへだてゝても、みちまよふた旅人たびゞと嬢様ぢやうさまおもふまゝはツといふ呼吸いきへんずるわ。

 と親仁おやぢ其時そのとき物語ものがたつて、御坊ごばうは、孤家ひとつや周囲ぐるりで、さるたらう、ひきたらう、蝙蝠かうもりたであらう、うさぎへびみんな嬢様ぢやうさま谷川たにがはみづびせられて、畜生ちくしやうにされたるやから

 あはれ其時そのとき婦人をんなが、ひきまつはられたのも、さるかれたのも、蝙蝠かうもりはれたのも、夜中よなか𩳦魅魍魎ちみまうりやうおそはれたのも、思出おもひだして、わし犇々ひし〳〵むねあたつた、

 なほ親仁おやぢのいふやう。

 いま白痴ばかも、くだん評判ひやうばんたかかつたころ医者いしやうち病人びやうにん其頃そのころ子供こども朴訥ぼくとつ父親てゝおや附添つきそひ、かみながい、兄貴あにきがおぶつてやまからた。あし難渋なんじう腫物しゆもつがあつた、療治れうぢたのんだので。

 もとより一借受かりうけて、逗留たうりうをしてつたが、かほどのなやみ大事おほごとぢや、大分だいぶんさねばならぬこと子供こどもろすにはからだ精分せいぶんをつけてからと、づ一にちに三ツづゝ鶏卵たまごまして、気休きやすめに膏薬かうやくつてく。

 膏薬かうやくがすにもおやあにまたそばのものがけると、かたくなつてこはばつたのが、めり〳〵とにくにくツついてれる、ひい〳〵とくのぢやが、むすめをかけてやればだまつてこらへた。

 一たい医者殿いしやどののつけやうがなくつて、おとろへをいひてに一にちばしにしたのぢやが三つと、あにのこして、克明こくめい父親てゝおや股引もゝひきひざでずつて、あとさがりに玄関げんくわんから土間どまへ、草鞋わらぢ穿いてまたつちをついて、次男坊じなんばう生命いのちたすかりまするやうに、ねえ〳〵、といふてやまかへつた。

 それでもなか〳〵捗取はかどらず、七日なぬかつたので、あとのこつて附添つきそつて兄者人あにじやひと丁度ちやうど苅入かりいれで、此節このせつが八ほんしいほどいそがしい、お天気てんき模様もやうあめのやう、長雨ながあめにでもなりますと、山畠やまはたけにかけがへのないいねくさつては、餓死うゑじにでござりまする、総領さうりやうわしは一ばん働手はたらきて、かうしてはられませぬから、とことわりをいつて、やれくでねえぞ、としんめり子供こどもにいひかせて病人びやうにんいてつた。

 あとには子供こども一人ひとり其時そのとき戸長様こちやうさま帳面前ちやうめんまへ年紀とし六ツ、おや六十で二十はたちなら徴兵ちようへいはおこぼしとなに間違まちがへたかとゞけが五ねんおそうして本当ほんたうは十一、それでも奥山おくやまそだつたからむら言葉ことばろくにはらぬが、怜悧りこううまれ聞分きゝわけがあるから、三ツづつあひかはらず鶏卵たまごはせられるつゆも、いま療治れうぢとき不残のこらずになつてることゝ推量すゐりやうして、べそをいても、兄者あにじやくなといはしつたと、こらへてこゝろうち

 むすめなさけうちと一しよぜんならべて食事しよくじをさせると、沢庵たくわんきれをくわへてすみはう引込ひきこむいぢらしさ。

 いよい明日あす手術しゆじゆつといふは、みんな寝静ねしづまつてから、しく〳〵のやうにいてるのを、手水てうづきたむすめつけてあまりの不便ふびんさにいててやつた。

 さて療治れうぢとなるとれいごとむすめ背後うしろからいてたから、脂汗あぶらあせながしながられものがはいるのを、感心かんしんにじつとこらへたのに、何処どこ切違きりちがへたか、それからながしたまらず、る〳〵うちいろかはつて、あぶなくなつた。

 医者いしやあをくなつて、さわいだが、かみたすけかやうや生命いのち取留とりとまり、三ばかりでとまつたが、到頭たうとうこしけた、もとより不具かたわ

 これ引摺ひきずつて、あしながらなさけなさうなかほをする、蟋蟀きり〴〵す𢪸がれたあしくちくはへてくのをるやう、もあてられたものではない。

 しまひには泣出なきだすと、外聞ぐわいぶんもあり、少焦すこぢれで、医者いしや可恐おそろしかほをしてにらみつけると、あはれがつてきあげるむすめむねかほをかくしてすがさまに、年来ねんらい随分ずゐぶんひとにかけた医者いしやつて腕組うでくみをして、はツといふ溜息ためいき

 やが父親てゝおやむかひにござつた、因果いんぐわあきらめて、べつ不足ふそくはいはなんだが、何分なにぶん小児こどもむすめはなれようといはぬので、医者いしやさひはひ言訳いひわけかた〴〵親兄おやあにこゝろもなだめるため、其処そこむすめ小児こどもうちまでおくらせることにした。

 おくつてたのが孤家ひとつやで。

 其時分そのじぶんはまだ一ヶのさういへ二十けんあつたのが、むすめて一にち、つひほだされて逗留たうりうした五日目かめから大雨おほあめ降出ふりだした。たきくつがへすやうで小留をやみもなくうちながらみんな蓑笠みのかさしのいだくらゐ茅葺かやぶきつくろひをすることは扨置さておいて、おもてもあけられず、うちからうち隣同士となりどうし、おう〳〵とこゑをかけつてわづか人種ひとだねきぬのをるばかり、八を八百ねんあめなかこもると九日目こゝのかめ真夜中まよなかから大風たいふう吹出ふきだしてそのかぜいきほひこゝがたうげといふところたちま泥海どろうみ

 洪水こうずゐ生残いきのこつたのは、不思議ふしぎにもむすめ小児こどもそれ其時そのときむらからともをした親仁おやぢばかり。

 同一おなしみづ医者いしやうち死絶しにたえた、さればかやうな美女びぢよ片田舎かたゐなかうまれたのもくにがはり、だいがはりの前兆ぜんちやうであらうと、土地とちのものは言伝いひつたへた。

 嬢様ぢやうさまかへるにいへなくたゞ一人ひとりとなつて小児こどもと一しよやまとゞまつたのは御坊ごばうらるゝとほりまた白痴ばかにつきそつて行届ゆきとゞいた世話せわらるゝとほり洪水こうずゐときから十三ねん、いまになるまで一にちもかはりはない。

 といひてゝ親仁おやぢまた気味きみわる北叟笑ほくそゑみ

うへはなしたら、嬢様ぢやうさま不便ふびんがつて、まきつたりみづ手扶てだすけでもしてやりたいと、なさけかゝらう。本来ほんらい好心すきごゝろ可加減いゝかげん慈悲じひぢやとか、なさけぢやとかいふにつけて、一やまかへりたかんべい、はてかつしやい。白痴殿ばかどの女房にようぼうになつて、なかへはもやらぬかはりにやあ、嬢様ぢやうさま如意自在によゐじざいをとこはよりつて、けば、いきをかけてけものにするわ、こと洪水こうずゐ以来いらいやま穿うがつたこのながれ天道様てんたうさまがおさづけの、をとこいざなあやしのみづ生命いのちられぬものはないのぢや。

 天狗道てんぐだうにも三ねつ苦悩くなうかみみだれ、いろあをざめ、むねせて手足てあしほそれば、谷川たにかはびるともととほりそれこそみづるばかり、まねけばきたうをる、にらめばうつくしいつる、そでかざせばあめふるなり、まゆひらけばかぜくぞよ。

 しかもうまれつきの色好いろごのみ、ことまたわかいのがすきぢやで、なに御坊ごぼうにいうたであらうが、それまこととしたところで、やがかれると出来できる、みゝうごく、あしがのびる、たちまかたちへんずるばかりぢや。

 いや、やがこひ料理れうりして、大胡座おほあぐらとき魔神ましん姿すがたせたいな。

 妄念まうねんおこさずにはや此処こゝ退かつしやい、たすけられたが不思議ふしぎくらゐ嬢様ぢやうさまべツしてのおなさけぢやわ、生命冥加いのちみやうがな、おわかいの、きツ修行しゆぎやうをさつしやりませ。)とまた一ツ背中せなかたゝいた、親仁おやぢこひげたまゝ見向みむきもしないで、山路やまぢうへかた

 見送みおくるとちいさくなつて、一大山おほやま背後うしろへかくれたとおもふと、油旱あぶらでりけるやうなそらに、やまいたゞきから、すく〳〵とくもた、たきおとしづまるばかり殷々ゐん〳〵としてらいひゞき

 藻抜もぬけのやうにつてた、わしたましひもどつた、其方そなたをがむとひとしく、つえをかいみ、小笠をがさかたむけ、くびすかへすとあはたゞしく、一さんりたが、さといた時分じぶんやま驟雨ゆふだち親仁おやぢ婦人をんなもたらしたこひもこのためにきて孤家ひとつやいたらうとおも大雨おほあめであつた。」

 高野聖かうやひじりのことについて、あへべつちうしてをしへあたへはしなかつたが、翌朝よくてうたもとわかつて、雪中せつちう山越やまごしにかゝるのを、名残なごりしく見送みおくると、ちら〳〵とゆきるなかを次第しだいたか坂道さかみちのぼひじり姿すがたあたかくもしてくやうにえたのである。

底本:「新編 泉鏡花集 第八巻」岩波書店

   2004(平成16)年17日第1刷発行

底本の親本:「高野聖」左久良書房

   1908(明治41)年220

初出:「新小説 第五年第三巻」春陽堂

   1900(明治33)年21

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※表題は底本では、「高野聖かうやひじり」となっています。

※初出時の署名は「鏡花小史」です。

入力:砂場清隆

校正:門田裕志

2007年212日作成

2016年222日修正

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