一寸法師
楠山正雄



     一


 むかし、摂津国せっつのくに難波なにわというところに、夫婦ふうふものんでおりました。子供こども一人ひとりいものですから、住吉すみよし明神みょうじんさまに、おまいりをしては、

「どうぞ子供こども一人ひとりおさずけくださいまし。それはゆびほどのちいさな子でもよろしゅうございますから。」

 と一生懸命いっしょうけんめいにおねがもうしました。

 するともなく、おかみさんは身持みもちになりました。

「わたしどものおねがいがかなったのだ。」

 と夫婦ふうふはよろこんで、子供こどもまれる日を、今日きょう明日あすかとちかまえていました。

 やがておかみさんはちいさな男のあかちゃんをみました。ところがそれがまたちいさいといって、ほんとうにゆびほどの大きさしかありませんでした。

ゆびほどの大きさの子供こどもでも、ともうげたら、ほんとうにゆびだけの子供こども明神みょうじんさまがくださった。」

 と夫婦ふうふわらいながら、この子供こどもをだいじにしてそだてました。ところがこの子は、いつまでたってもやはりゆびだけより大きくはなりませんでした。夫婦ふうふもあきらめて、その子に一寸法師いっすんぼうし名前なまえをつけました。一寸法師いっすんぼうしは五つになっても、やはりせいがのびません。七つになっても、おなじことでした。十をしても、やはり一寸法師いっすんぼうしでした。一寸法師いっすんぼうし往来おうらいあるいていると、近所きんじょ子供こどもたちがあつまってきて、

「やあ、ちびがあるいている。」

「ふみころされるなよ。」

「つまんでかみつぶしてやろうか。」

「ちびやい。ちびやい。」

 と口々くちぐちにいって、からかいました。一寸法師いっすんぼうしはだまって、にこにこしていました。


     二


 一寸法師いっすんぼうしは十六になりました。ある日一寸法師いっすんぼうしは、おとうさんとおかあさんのまえへ出て、

「どうかわたくしにおひまください。」

 といいました。おとうさんはびっくりして、

「なぜそんなことをいうのだ。」

 ときました。一寸法師いっすんぼうしはとくいらしいかおをして、

「これから京都きょうとのぼろうとおもいます。」

 といいました。

京都きょうとのぼってどうするつもりだ。」

京都きょうと天子てんしさまのいらっしゃる日本一にっぽんいちみやこですし、おもしろいしごとがたくさんあります。わたくしはそこへ行って、うんだめしをしてみようとおもいます。」

 そうくとおとうさんはうなずいて、

「よしよし、それなら行っておいで。」

 とゆるしてくださいました。

 一寸法師いっすんぼうしたいへんよろこんで、さっそくたび支度したくにかかりました。まずおかあさんにぬいばりを一ぽんいただいて、むぎわらでとさやをこしらえて、かたなにしてこしにさしました。それからあたらしいおわんのおふねに、あたらしいおはしのかいをえて、住吉すみよしはまから舟出ふなでをしました。おとうさんとおかあさんははまべまで見送みおくりにってくださいました。

「おとうさん、おかあさん、では行ってまいります。」

 と一寸法師いっすんぼうしがいって、ふねをこぎしますと、おとうさんとおかあさんは、

「どうか達者たっしゃで、出世しゅっせをしておくれ。」

 といいました。

「ええ、きっと出世しゅっせをいたします。」

 と、一寸法師いっすんぼうしはこたえました。

 おわんのふね毎日まいにちすこしずつ淀川よどがわのぼって行きました。しかしふねちいさいので、すこかぜつよいたり、あめってみずかさがしたりすると、ふねはたびたびひっくりかえりそうになりました。そういうときには、しかたがないので、石垣いしがきあいだや、はしぐいのかげふねめてやすみました。

 こんなふうにして、一月ひとつきもかかって、やっとのことで、京都きょうとちか鳥羽とばというところきました。鳥羽とばふねからきしがると、もうすぐそこは京都きょうとまちでした。五条ごじょう四条しじょう三条さんじょうと、にぎやかなまちがつづいて、ひっきりなしにうまくるまとおって、おびただしい人が出ていました。

「なるほど京都きょうと日本一にっぽんいちみやこだけあって、にぎやかなものだなあ。」

 と、一寸法師いっすんぼうし往来おうらいの人の下駄げたをよけてあるきながら、しきりに感心かんしんしていました。

 三条さんじょうまでると、たくさんりっぱなお屋敷やしきならんだ中に、いちばん目にたってりっぱな門構もんがまえのお屋敷やしきがありました。一寸法師いっすんぼうしは、

「なんでも出世しゅっせをするには、まずだれかえらい人の家来けらいになって、それからだんだんにしげなければならない。これこそいちばんえらい人のお屋敷やしきちがいない。」

 とおもって、のこのこもんの中にはいっていきました。ひろ砂利道じゃりみちをさんざんあるいて、大きな玄関げんかんまえちました。なるほどここは三条さんじょう宰相殿さいしょうどのといって、ぶりのいい大臣だいじんのお屋敷やしきでした。

 そのとき一寸法師いっすんぼうしは、ありったけの大きなこえで、

「ごめんください。」

 とどなりました。でもこえないとみえて、だれも出てくるものがないので、こんどはいっそう大きなこえして、

「ごめんください。」

 とどなりました。

 三めに一寸法師いっすんぼうしが、

「ごめんください。」

 とどなったとき、ちょうどどこかへおでましになるつもりで、玄関げんかんまでおいでになった宰相殿さいしょうどのが、そのこえきつけて、出てごらんになりました。しかしだれも玄関げんかんにはませんでした。ふしぎにおもってそこらをお見回みまわしになりますと、くつぬぎにそろえてある足駄あしだかげに、豆粒まめつぶのようなおとこ一人ひとりになってつっっていました。宰相殿さいしょうどのはびっくりして、

「おまえか、いまんだのは。」

「はい、わたくしでございます。」

「おまえ何者なにものだ。」

難波なにわからまいりました一寸法師いっすんぼうしでございます。」

「なるほど一寸法師いっすんぼうしちがいない。それでわたしの屋敷やしきたのはなんようだ。」

「わたくしは出世しゅっせがしたいとおもって、京都きょうとへわざわざのぼってまいりました。どうぞ一生懸命いっしょうけんめいはたらきますから、お屋敷やしきでお使つかいなさってくださいまし。」

 一寸法師いっすんぼうしはこういって、ぴょこんとおじぎをしました。宰相殿さいしょうどのわらいながら、

「おもしろい小僧こぞうだ。よしよし使つかってやろう。」

 とおっしゃって、そのままお屋敷やしきいておやりになりました。


     三


 一寸法師いっすんぼうし宰相殿さいしょうどののお屋敷やしき使つかわれるようになってから、からだこそちいさくても、まめまめしくよくはたらきました。たいへん利口りこうで、いているものですから、みんなから、

一寸法師いっすんぼうし一寸法師いっすんぼうし。」

 といって、かわいがられました。

 このお屋敷やしきに十三になるかわいらしいおひめさまがありました。一寸法師いっすんぼうしはこのおひめさまが大好だいすきでした。おひめさまも一寸法師いっすんぼうしたいそうおりで、どこへお出かけになるにも、

一寸法師いっすんぼうしや。一寸法師いっすんぼうしや。」

 といって、おともにおれになりました。だんだんなかがよくなるうち、なんといっても二人ふたりとも子供こどもだものですから、いつかお友達ともだちのようになって、時々ときどきはけんかをしたり、いたずらをしって、いたりわらったりすることもありました。あるときまたけんかをして、一寸法師いっすんぼうしけました。くやしまぎれに一寸法師いっすんぼうしは、そっとおひめさまが昼寝ひるねをしておいでになるすきをうかがって、自分じぶん殿とのさまからいただいたお菓子かしのこらずべてしまって、のこったこなをおひめさまのねむっているくちのはたになすりつけておきました。そして自分じぶんはからっぽになったお菓子かしふくろって、おにわなかに出て、わざと大きなこえでおいおいいておりました。そのこえきつけて、殿とのさまが縁側えんがわへ出ていらしって、

一寸法師いっすんぼうし、どうした。どうした。」

 とおきになりました。

 すると一寸法師いっすんぼうしは、さもかなしそうなこえをして、

「おひめさまがわたくしをぶって、殿とのさまからいただいたお菓子かしをみんなってべておしまいになりました。」

 といいました。

 殿とのさまはびっくりして、おひめさまのお部屋へやへ行ってごらんになりますと、おひめさまはくちのはたにいっぱいお菓子かしこなをつけて、ねむっておいでになりました。

 殿とのさまはたいそうおおこりになって、おかあさんをんで、

なんだって、ひめにあんな行儀ぎょうぎわるいまねをさせるのだ。」

 ときびしくおしかりになりました。するとこのおかあさんは、すこしいじのわるい人だったものですから、おひめさまのために自分じぶんがしかられたのをたいそうくやしがりました。そしてくやしまぎれに、ありもしないことをいろいろとこしらえて、おひめさまが平生へいぜい大臣だいじんのおむすめ似合にあわず、行儀ぎょうぎわるいことをさんざんにならべて、

「いくらめても、ばかにしていうことをちっともかないのです。」

 とおいいつけになりました。

 宰相殿さいしょうどのはなおなおおおこりになって、一寸法師いっすんぼうしにいいつけて、おひめさまをお屋敷やしきからして、どこかとおところてさせました。

 一寸法師いっすんぼうしはとんだことをいいして、おひめさまがされるようになったので、すっかりどくになってしまいました。そこでどこまでもおひめさまのおともをして行くつもりで、まず難波なにわのおとうさんのうちへおれしようとおもって、鳥羽とばからふねりました。するともなく、ひどいしけになって、ふねはずんずんかわくだってうみほうながされました。それからかぜのまにまにながされて、とうとう三日三晩みっかみばんなみの上でらして、四日よっかめに一つのしまきました。

 そのしまにはいままではなしいたこともないようなふしぎなはなや木がたくさんあって、いったい人がんでいるのかいないのか、いっこうに人らしいものの姿すがたえませんでした。

 一寸法師いっすんぼうしはおひめさまをれてしまがって、きょろきょろしながらあるいて行きますと、いつどこから出てきたともなく、二ひきおにがそこへひょっこりしてきました。そしていきなりおひめさまにとびかかって、ただ一口ひとくちべようとしました。おひめさまはびっくりして、とおくなってしまいました。それをると、一寸法師いっすんぼうしは、れいのぬいばりかたなをきらりといて、ぴょこんとおにまえんで出ました。そしてありったけの大きなこえてて、

「これこれ、このおかたをだれだとおもう。三条さんじょう宰相殿さいしょうどの姫君ひめぎみだぞ。うっかり失礼しつれいなまねをすると、この一寸法師いっすんぼうし承知しょうちしないぞ。」

 とどなりました。二ひきおにはこのこえおどろいて、よくますと、あしもとにまめつぶのような小男こおとこが、いばりかえって、つッっていました。おにはからからとわらいました。

なんだ。こんなまめつぶか。めんどうくさい、のんでしまえ。」

 というがはやいか、一ぴきおには、一寸法師いっすんぼうしをつまみげて、ぱっくり一口ひとくちにのんでしまいました。一寸法師いっすんぼうしかたなったまま、するするとおにのおなかの中へすべりんでいきました。はいるとおなかの中をやたらにかけずりまわりながら、ちくりちくりとかたなでついてまわりました。おにくるしがって、

「あッ、いたい。あッ、いたい。こりゃたまらん。」

 とびたをころげまわりました。そしてくるしまぎれにかっといきをするはずみに、一寸法師いっすんぼうしはまたぴょこりとくちからそとしました。そしてかたなげて、またおにってかかりました。するともう一ぴきおにが、

生意気なまいきなちびだ。」

 といって、また一寸法師いっすんぼうしをつかまえて、あんぐりのんでしまいました。のまれながら一寸法師いっすんぼうしは、こんどはすばやくおどがって、のどのあなからはなあなへ抜けて、それからのうしろへはいがって、さんざんおに目玉めだまをつッつきました。するとおにおもわず、

「いたい。」

 とさけんで、がったはずみに、一寸法師いっすんぼうしは、の中からひょいとびたにりました。おに目玉めだましたかとおもって、びっくりして、

たいへん、たいへん。」

 と、あとをもずにしました。するともう一ぴきおにも、

「こりやかなわん。げろ、げろ。」

 とあとって行きました。

「はッは、弱虫よわむしめ。」

 と、一寸法師いっすんぼうしは、げて行くおにのうしろ姿すがた気味きみよさそうにながめて、

「やれやれ、とんだことでした。」

 といいながら、そこにたおれているおひめさまをこして、しんせつに介抱かいほうしました。おひめさまがすっかり正気しょうきがついて、がろうとしますと、すそからころころとちいさなつちがころげちました。

「おや、ここにこんなものが。」

 と、おひめさまがそれをひろっておせになりました。

 一寸法師いっすんぼうしはそのつちを手にって、

「これはおにわすれて行った小槌こづちです。これをれば、なんでもほしいとおもうものがてきます。ごらんなさい、いまここでわたしのせいしてお目にかけますから。」

 こういって、一寸法師いっすんぼうしは、小槌こづちげて、

一寸法師いっすんぼうしよ、大きくなれ。あたりまえせいになれ。」

 といいながら、一りますとせいが一しゃくのび、二りますと三じゃくのび、三めには六しゃくちかいりっぱな大男おおおとこになりました。

 おひめさまはそのたんびにをまるくして、

「まあ、まあ。」

 といっておいでになりました。

 一寸法師いっすんぼうしは大きくなったので、もううれしくってうれしくって、ったりしゃがんだり、うしろをいたり、まえたり、自分じぶん自分じぶんからだをめずらしそうにながめていましたが、一通ひととおりながめてしまうと、きゅう三日三晩みっかみばんなんにもべないで、おなかのへっていることをおもしました。そこでさっそく小槌こづちって、そこへべきれないほどのごちそうをして、おひめさまと二人ふたりなかよくべました。

 ごちそうをべてしまうと、こんどは金銀きんぎん、さんご、るり、めのうと、いろいろのたからしました。そしていちばんおしまいに、大きなふねして、宝物たからもののこらずそれにんで、おひめさまと二人ふたり、またふねって、もなく日本にっぽんくにかえってました。


     四


 一寸法師いっすんぼうし宰相殿さいしょうどののおひめさまをれて、おにしまから宝物たからものって、めでたくかえってたといううわさが、すぐと世間せけんにひろまって、やがて天子てんしさまのおみみにまではいりました。

 そこで天子てんしさまは、あるとき一寸法師いっすんぼうしをおしになってごらんになりますと、なるほど気高けだか様子ようすをしたりっぱな若者わかものでしたから、これはただものではあるまいと、よくよく先祖せんぞをお調しらべさせになりました。それで一寸法師いっすんぼうしのおじいさんが、堀河ほりかわ中納言ちゅうなごんというえらい人で、むじつのつみ田舎いなかわれて出来できた子が、一寸法師いっすんぼうしのおとうさんで、それからおかあさんという人も、やはりもとは伏見ふしみ少将しょうしょうといった、これもえらい人のたねだということがかりました。

 天子てんしさまはさっそく、一寸法師いっすんぼうしくらいをおさずけになって、堀河ほりかわ少将しょうしょうとおばせになりました。堀河ほりかわ少将しょうしょうは、あらためて三条宰相殿さんじょうさいしょうどののおゆるしをうけて、おひめさまをおよめさんにもらいました。そして摂津国せっつのくに難波なにわから、おとうさんやおかあさんをせて、うちじゅうがみんなあつまって、たのしくの中をおくりました。

底本:「日本の古典童話」講談社学術文庫、講談社

   1983(昭和58)年610日第1刷発行

入力:鈴木厚司

校正:林 幸雄

2006年728日作成

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