チューインガム
寺田寅彦
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銀座を歩いていたら、派手な洋装をした若い女が二人、ハイヒールの足並を揃えて遊弋していた。そうして二人とも美しい顔をゆがめてチューインガムをニチャニチャ噛みながら白昼の都大路を闊歩しているのであった。
去年の夏築地小劇場のプロ芝居を見物に行ったときには、四十恰好のおばさんが引っ切りなしにチューインガムを噛んでいるのを発見して不思議な感じがしたのであった。
二十年前に大西洋を渡ってニューヨークへ着きホボケンの税関の検閲を受けたときに、自分のカバンを底の底までひっくり返した税関吏が、やはりこのチューインガムを噛んでいた。これが自分のチューインガムというものに出会った最初の機会であった。勿論その時はチューインガムという名前も知らず、この税関吏が何故に、何のために、何物をニチャニチャ噛んでいるかも少しも分らなかった。しかし、ともかくもこの最初のチューインガムの第一印象が自分にとってかなりに悪いものであったことだけはたしかである。
ヨーロッパ中の色々な国をあるき廻ったが、税関の検査はほとんど形式だけのものであった。ロシアは八かましいと聞いていたから、自ら進んでスートケースの内容を展開しようとしたら税関吏の老人はニコニコしながら手真似で、そうしなくてもいいと制するのであった。尤もその前に一枚のルーブリの形をした信用状が彼のかくしに這入っていたのであったと記憶する。ドーヴァへ渡ったときは「エネシング、トゥ、デクレアー」と聞かれ「ノー」と答えた、ただそれだけであった。パリのガール・デュ・ノールでは誰だか知らない人が書式へいい加減のことを書いてくれてそれで万事が滞りなくすんだのであった。到る処の青山に春風が吹いていた。
アメリカへ船が着く前に二等船客は囚徒のように一人一人呼び出されて先ず瞼を引っくら返されてトラフォームの検査を受けた。そうして金を千ドル以上持っているかを聞かれた。そうして上陸早々ホボケンの税関でこのチューインガムの税関吏のためにカバンを底の底まで真に言葉通り徹底的に引っくり返されたのであった。これが、ついちょっと前に港頭に聳ゆる有名な「自由の神像」を拝して来た直後のことなのである。
カバンは夏目先生からの借りものであった。先生が洋行の際に持って行って帰った記念品で、上面にケー・ナツメと書いてあるのを、新調のズックのカヴァーで包み隠したいかものであった。その中にぎっしり色々の品物をつめ込んであった。細心の工夫によってやっとうまく詰め合わせたものを引っくら返されたのであるから、再び詰めるのがなかなか大変であった。これが自分の室内ならとにかく、税関の広い土間の真中で衆人環視のうちにやるのであるからシャツ一つになる訳にも行かない。実際に大汗をかいて長い時間を費やした後に、やっと無理やりに詰め込む事が出来たのであった。日本への土産にドイツやイギリスで買って来たつまらない雑品に一つ一つ高い税をかけられた。その間に我が親愛なる税関吏は止みなくチューインガムをニチャニチャ噛みながら品物を丹念に引出し引っくら返しては帳面に記入するのであった。アメリカ人にしても特別に長い方に属するかと思われるこの税関吏の顔は、チューインガムを歯と歯の間に引延ばすアクションのために一層長く見えるのであった。
ホボケンという場所の名までが、何だか如何にも人を馬鹿にしたような名だと思われたのもおそらくこの時であった。
ニューヨークで安ホテルを捜しあてたときに帳場に居たのっぽの番頭がやはりチューインガムを噛んでいた。そうして「イエース」というところを「イエーア」と云うのであった。
便所の扉がたけが低くて、中で用を足している人の顔こそ見えないが、非芸術的な二本の脚は廊下からちゃんとあけすけに見えているのであった。
飲食店などの入口にも同じような短い扉があって、人はそれを乱暴に肩で押しあげて出入りする。あとで扉はパタンパタンと数回の振動をしなければすぐには静止の位置に落着かないのであった。
電車の中でも人はチューインガムを噛んでいた。そうして電車の床の上へ平気で唾を吐いていた。ヨーロッパでは見たことのない現象である。
ワシントンで生れて始めての「暑さの波」に襲われた。これについては前に書いたことがあるから略する。ワシントンからマウント・ウェザーの気象台へ見学に出かけた田舎廻りのがたがた汽車はアメリカとは思われない旧式の煤けた小さな客車であったが、その客車が二つの仕切りに区分されていて、広い方の入口には「ホワイト」、狭い方には「カラード」という表札が打ってある。自分は少し考え込んだが、どう考えてもホワイトではないからと思ってカラードの方に這入った、そうして真黒なレデーの一人と相乗りで淋しい田舎の果へと揺られて行った。
アメリカでもプロフェッサー達はみんな品のいい、そうしてヨーロッパの国々の多くのプロフェッサーよりもさっぱりした感じの人が多かったが、これらの先生達は誰もチューインガムを噛んではいなかった。
ボストンで、とあるチョプスイ屋へはいって夕飯を喰ったら、そこに日本人のボーイが居て馴れ馴れしく話しかけた。帰りにチップをいつもより奮発して出したら突返された。そうして、自分はここではボーイをしているが日本へ帰れば相当な家もあって、相当な顔のある身分であると云ってひどく腹を立てた。すっかり憂鬱になって、そこを出ると、うしろから来たアメリカ人が「ビグ、ジャーップ」と云って唾をはいた。見るとやはりチューインガムを噛んでいるのであった。
ニューヨークを立つときにペンシルベニア・ステーションで、いきなり汽車に飛び乗ろうとすると、車掌に叱り飛ばされた。「レデース・ファースト」と云うのであった。なるほど自分の側にお婆さんが一人立っていた。この車掌もやはりチューインガムを噛んでいたような気がする。あるいはそうでなかったかもしれないが、今考えてみると、どうしてもそうでなくては勘定が合わないような気がするのである。
ナイヤガラやシカゴでは別段にこれというチューインガムのエピソードはなかったように記憶するが、これはおそらく、自分の神経がこの脅威に対していくらか麻痺しかけたためであったかもしれない。
これは今から二十年前の昔話である。現在のアメリカでチューインガムがどれだけ流行しているかは知らないが、映画などの中に時々これが現われるし、モーリス・シュヴァリエー主演のチューインガムを主題とした映画が昨年あたり東京で封切されたくらいであるから、おそらく今でも相当の命脈を保っているものと考えてさしつかえはないであろう。これが日本でいつ頃から流行しだしたかは知らないが、自分の注意を引くようになったのは近頃のことである。
チューインガムは、自分には、アメリカのヤンキーズムの象徴のように思われて仕方がない。アメリカ文化の特徴がことごとくこの奇妙な物質の中に集中され包含されているような気がするのであるが、その理由は分らない。
アメリカ人には勉強家努力家がなかなか多い。ギャングも居るが真面目な努力家も多い。努力の余波が顎の筋肉に伝わって何かしら噛んでいたくなるのかとも考えてみた。自分の知っている老人で、機嫌が悪くて怒りたいのを我慢しているときに、入歯を止みなく噛み合わせるのが居た。またある精力家努力家で聞えた医者で患者を診察しながら絶えず奥歯を噛み合わせる人がある。昔から「歯噛みをなして」というのは腹を立てた人の形容ということに相場がきまっているくらいである。ともかくものんびりした気持やぽかんとした気持と、この歯噛みの動作とがよほど縁の遠いものであるだけはたしかであろう。
心理学者の説によると、感情があとで動作がさきだということである。怒るという動作をしなければ怒りの感情は発育を遂げることが出来ずに消えてしまうそうである。この理窟を素人流に応用すると、歯を噛み合わせる動作によって緊張努力の気持が幾分かは助長されるという効果があるのかもしれない。
顎の張った人は意志が強いというから、始終チューインガムを噛んで顎骨でも発育したらあるいは意志が強くなるというのかもしれない。
こう考えて来ると少なくも彼の税関吏の場合はやや従前とはちがった光の下に見直すことが出来る。税関吏の仕事は要するに一般にはあまり面白い仕事でないであろう。それを忠実に遂行するに要する努力の興奮剤としてチューインガムを使用しているとすれば、いくらか尤もらしく思われて来るのである。しかし銀座を歩いている二人の洋装婦人のチューインガムが何を意味するかはどうしても分らない。
クーシューというフランス人は『アジアの詩人と賢人』と題する書物の一節において、およそ世界の中で日本人とアメリカ人と程にちがった国民は先ずないという意味のことを云っている。これには自分も同感であった。しかし事実において服装でも食物でも建物でもまたスポーツでもジャズでもチューインガムでも、現在滔々として日本の社会のあるレヴェルを押し流しているものはこういうアメリカ文化であるように見えるのは一体どういう訳のものであろうか。地球上層の風は西から東へ吹いており低気圧でも大体西から東へ動くのに、ヤンキー文化が太平洋を逆に西向きに渡って押しよせるのは何故であろうか。日本人はアメリカでは始終排斥され侮辱されていても、それとは無関係に寛大な日本人はアメリカ文化にあくがれるのである。そうしてあの一種特有なアメリカ人の歩き方までを真似ようとするのである。
日本の固有文化は外国人には一体に分かりにくい。中でも最も分かりにくいものは俳諧であろう。言語の根本的な相違は別としても国民的潜在意識の相違は如何ともすることが出来ないのである。それにしてもフランス人やロシア人にはいくらかは俳諧の理解があるということは文献に徴して証明することが出来そうである。しかしおそらくアメリカほど「俳諧の世界」から遠くはなれた国はどこにもあるまいと思われる。日本では泥坊にでも俳諧があるが、アメリカのギャングにはそれがない。チューインガムを噛む税関吏の顔は日本人から見れば俳諧があるかもしれないが税関吏の胸の中には一滴の俳諧もありそうもない。
チューインガムの流行常用によってその歯噛みの動作の反応作用から日本人が生理的並びに心理的にだんだんアメリカ人のようなものに接近して行くというようなことはあり得ないものか。そういう日が来れば我国の俳諧は滅亡するであろう。そうして同時に日本魂もことごとく消滅してしまうであろう。こんな極端な取越苦労のようなことまで考えさせられるのである。
こういうことを書いている自分が、実はまだ一度もそのチューインガムなるものを口に入れたことがないのである。従ってここでいうところのチューインガム亡国論も畢竟はただ一場の空論に過ぎないと云われても仕方がないであろうが、しかしこの些末な嗜好品の流行の事実もそう軽々には見遁すことの出来ないものではあろうと思われる。
また考え直してみると日本という国は不思議な国であって古い昔から幾度となく朝鮮や支那やペルシアやインドや、それからおそらくはヘブライやアラビアやギリシアの色々の文化が色々の形のチューインガムとなって輸入され流行したらしいのであるが、それらが皆いつの間にか綺麗に消化されてしまって固有文化の栄養となったものらしい。それで俳諧でも「カピタンをつくばはせ」たり「アラキチンタをあたゝめ」たりしながらいわゆる正風を振興したのであった。現在のチューインガムも、それが噛み尽されて八万四千の毛孔から滲み出す頃には、また別な新しい日本文化となって栄えるのかもしれないのである。
底本:「寺田寅彦全集 第七巻」岩波書店
1997(平成9)年6月5日発行
入力:Nana ohbe
校正:noriko saito
2004年11月24日作成
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