明治開化 安吾捕物
その二十 トンビ男
坂口安吾
|
楠巡査はその日非番であった。浅草奥山の見世物でもひやかしてみようかと思ったが、それもなんとなく心が進まない。言問から渡しに乗って向島へ渡り、ドテをぶらぶら歩いていると、杭にひっかかっている物がある。一応通りすぎたが、なんとなく気にかかって、半町ほど歩いてから戻ってきてそれを拾い上げた。
油紙で包んで白糸で結ばれている。白糸はかなり太くて丈夫な糸だが、タコをあげる糸らしい。相当大ダコに用いる糸であろう。包みをあけると、中から現れたのは人間の太モモと足クビであった。左足の太モモ一ツ、右足の足クビから下のユビまでの部分が一ツである。楠はおどろいて、自分のつとめる警察へそれを持参した。これが二月三日である。
警察はそれほど重く考えなかった。この辺は斬った張ったの多いところで、その連中が腕や脚を斬り落されるようなことは特別珍しくもないところだ。いずれそのテアイが始末に困って包みにして川へ投げこんだのだろうと軽く考えた。土地柄、当然な考えであったのである。
楠も大方そんなことだろうと同感して特にこだわりもしなかったが、それから二日目、二月五日の午さがりに、用があってタケヤの渡しで向島へ渡り、さて用をすまして渡し舟の戻ってくるのを待つ間、なんとなくドテをブラブラ歩きだすと、また岸の草の中に油紙の包みが流れついているのに気がついた。おどろいて拾いあげてみると、まさしく同じ物。中から現れたのは、左の腕と右のテノヒラであった。
「こいつは妙だ。このホトケがオレに何かささやいているんじゃないかな。一足ちがいで渡し舟が出たこと、なんとなくブラブラとドテを歩きたくなったこと。なんとなく何かに支配されているような気がするなア。二日前に奥山へ遊びに行こうと歩きかけて、なんとなく気が変って渡しに乗ってドテを歩いたのも、思えば今日と同じように見えない糸にひかれているようなアンバイだなア」
楠は妖しい気持に思いみだれつつこれを署へ持ち帰った。
新しい包みは左の二の腕、つまり肩からヒジまでの部分と、右の手クビから下、つまりテノヒラである。最初の包みは片モモと足クビから下の部分。するとこの死体はよほどバラバラに切り分けられているに相違ない。
バラバラ事件もこうまでこまかくバラバラになると、日本語ではまことに説明がヤッカイである。つまり手といい腕といい、また足といっても明確ではないからだ。解剖学なぞではチャンとそれぞれのこまかい部分に至るまで名詞があるに相違ないが、日常の言葉の方では甚だアイマイだ。
肩からヒジまでの部分は昔はカイナなぞと云ったのがここに当るのだそうだが、今は俗に「二の腕」と云って、とにかく名称がある。ところがヒジから手クビまでとなると、これを示す明確な名称がない。上半分を二の腕と云うのだから、下半分は一の腕。そんな名称はないが、つまり上半分が二の腕に対して、下半分はただの「腕」が本来その部分の名称だったのであろう。渡辺綱が鬼の腕を切る。その腕はヒジから下の部分だけで、肩からの全部ではない。昔はたしかにそうだった。
けれども今日通用している日常語の腕は肩から先の手の全部をさすのが普通で、腕と手は同じ意味である。そして、ヒジから手クビまでの部分を特に示している名称は今の日常語には見当らないのである。目下の日常の日本語はこまかいバラバラ事件には不向きで、今年の板橋バラバラ事件は切り方が大マカだから、新聞記者も苦労せずにすんだのである。ところがこッちのバラバラは大そうコマメに切り分けているから、私は思わぬ苦労にぶつかった。ヒジから手クビまでの間だとか、足クビから下方、足のユビまでの部分だとか、一々いそがしくて舌がまわらないね。読者諸賢も小生の舌のまわらぬ苦労のほどを御察しねがいたいです。
さて楠はその日の勤務を終ったとき、帰り支度をととのえてから、ふとアルコール漬けの拾い物の前へ行ってたたずんだ。
「君だけが拾ってくるというのはタダゴトじゃアないぜ。君に惚れたらしいな、このホトケは。いずれユー的が訪ねて行くかも知れんから、その節は戸籍をきいておいてや」
と上役にひやかされる。一同もそんな風に感じているらしい。
一ツのガラス容器に、左モモと右足クビ以下。他の容器が左の二の腕と右のテノヒラ。
「せっかくバラバラに切ったんだから一ツずつ包みにすればよいものを二ツずつ包んでるとは慌てた話じゃないか。筋道が立ちやしない。取り合わせもデタラメだなア。二ツの包みはそれぞれ左と右とマゼコゼだ。ハテナ? そう云えば、どっちも左と右のマゼコゼだ。それにモモと足クビの包みの方はマンナカのスネに当る部分がなく、二の腕とテノヒラの包みの方もマンナカのヒジから手クビの部分がぬけてるな。手と足との二ツの包みがチャンとツリアイがとれてるな。ここに何かホトケのササヤキがあるという次第かね」
妙にインネンが気にかかるから、楠はそれからそれへと考えた。けれども手足の一部分にすぎないものを、いかに長々と睨んでいたところで、ホトケの身許を知る手ガカリなぞ全く現れてきやしない。
けれども彼は家へ帰るとその日からバラバラ日記というものをつけはじめ、職務とは別個に進んで捜査に当ってみようと考えた。そしてこの日記がはからずも後日解決の重要な原因となるのである。その日から折にふれてドテを歩いたが、バラバラ包みと彼とのインネンは以上の二個で終りを告げて、以後の包みはすべて他人が偶然発見した。
九日に顔と左の足クビ以下の部分。
十二日に胴体。
顔が発見されればと当にしていたのが、この顔からは何もでてこない。鼻と両耳がそがれ、両眼がくりぬかれている。かいもく人相が分らない。一ツ残っている口の中には金歯というような都合のよいものはなくて、かなりムシ歯が多いが、特に特徴となるようなものは見当らなかった。
ところが当にしていなかった胴体から意外なことが分った。解剖したら、胃の中から、鳥の肉やタケノコその他が現れたのだ。まだ殆ど消化しないうちに死んだのだ。
そして顔と胴を合わせてみると、クビに絞殺の跡を認めることができた。
男である。五尺四五寸の普通の体格をしているが、肉体労働をしている人間ではなさそうだ。年齢はハッキリは分らないが、二十以下ではなく、また老人ではない。
絞殺された二十から四十ぐらいまでの男。分ったのはそれだけだった。
★
胃の中からタケノコが現れたので、上役たちもやや重視した。
「寒のうちにタケノコを食ってるとは、どういう人種だろう? 大ブルジョアか、百姓か。今ごろタケノコなんか売ってやしない」
当時はカンヅメのない時代だ。胃の中のタケノコはナマのものでなければならない。
「寒のうちで地の下の方にはもう小さなタケノコが生えはじめてますよ。深く掘って探せば指のように小さくてやわらかいタケノコを採ることができます。しかし、そんなタケノコを食ってる人種は知りませんなア」
目黒の方へ問い合わせると、こういう返事だ。とにかくタケノコや鶏の肉から考えると、相当美食家らしいから、ヤクザではないらしくなってきたが、ヤクザが宴会の席でもつれてその帰路に殺すという場合なら胃の中の物もフシギなく当てはまる。
「とにかく行方不明の人間を調べて一人ずつ照合しているうちに身許が分るかも知れない。ほかに手はなかろう。もっとも、バカに根気のいい人物がいたら、八百八町の八百屋と料理屋を全部廻ってタケノコを訊いて歩く役を買って出たまえ。ほかの勤務は十日間休みにしてやるから、誰かバカに根気のいい人物はおらぬかな」
この上役の冗談をきいてスゴスゴと立上った若い巡査がいた。まったくスゴスゴと、浮かない顔だ。これが楠である。
「その役をボクが買っていいですか。とにかくなんとなくインネンですから」
「なるほど。つまりバカのせいではないわけか。そう云えるのはオ前サンだけだ。大いによろしい。インネンによって八百屋と料理屋をシラミつぶしに訊いてまわれ。一軒ももらすな。約束通り他の勤務は十日間休んでよろしいぜ」
そこで楠は根気よく八百屋と料理屋を一軒ずつ訊いて廻った。そこで一日目二日目と浅草をまわり、三日目に気をかえて対岸へ渡ってみると、向島の魚銀という小さな料理仕出し屋がアッサリ答えた。
「この季節にタケノコを使うのはオレのウチぐらいのものだ。もっとも日がきまってるな。一月三十一日。この日だけだ。今年で六年目だな。寺島に才川というウチがある。そこの一月三十一日の法要には毎年必ずタケノコを使わなきゃアいけない。わざわざ目黒の百姓のところへオレがでかけて掘ってもらってくるんだよ」
一月三十一日。まさしく、これだ。場所と云い、時と云い、まさにかくあるべきところである。楠は心中にコオドリして喜んだが、色には見せず、怪しまれぬ程度に訊きだしてみると、次のことが分った。
寺島の才川平作といえば名題の高利貸しであった。間接に千や二千の人間は殺してるようなものだぜ、という鬼の商法で巨万の財を築いた男。ところが、六年前に長年連れ添う女房をなくして以来、その命日の一月三十一日にタケノコを食う。これは女房の何よりの好物であった。もっとも女房存命中は出盛りの季節に食ってたもので、寒中にタケノコを食うゼイタクを鬼の才川平作が許すわけはない。ところが女房が死ぬと、寒中というムリをいとわず、命日にタケノコ料理とタケノコメシをつくり、近親だけ集めて法要をいとなむ。どうも女房をなくして以来、鬼の心境が変ったようだともっぱらの評判であった。
当日魚銀が才川家へおさめたものは料理の折ヅメ十四人前。タケノコメシが五升。十二時十分前におさめた。つまり昼メシだ。被害者がその折ヅメを才川家で食ったとすれば午すぎに殺されているのだが、ミヤゲに持ち帰って夕食に食っているかも知れない。折ヅメ料理にもタケノコの煮ツケがあった。
「折ヅメ十四人前か。その十四人の名を探りださなければならんぞ」
まさか才川家へ行って訊くわけにいかない。ヘタなことをして警戒されると先輩に怒られたり笑われたりしなければならぬ。幸いにまだ三日目、あと七日もあるから、あせらずに自力でやれるところまでやってみようと決心した。
その法要の坊さんは報光寺の弁龍和尚ときいたからそのへんから、当ってみることにした。うまいことに、この禅坊主はクッタクのないお喋りずきの老坊主で、楠が私は芝居作者の弟子の者で、師匠が今回鬼の才川平作に似せて鬼高利貸しの改心劇をつくるについて、才川家の内情を若干御教示ねがいたい、と手ミヤゲの四合徳利を差出すと、ちッとも疑わずゲラゲラと高笑い。
「オレは年に一度のツキアイだから鬼のことはよく知らんぞ。なくなった鬼の女房は存命中オレの説教を時々ききにきてくれたが、ひところは鬼の女房から相談をうけて力をかしてやったこともある。フン待て、待て。これは芝居に向くかも知れんぞ」
と和尚がきかせてくれたところによると、平作の長男加十は十二年前に勘当されているのであった。十五六から酒と女を覚えて手がつけられないので二十二のとき勘当された。そのとき母の杉代がひそかに加十をつれて報光寺を訪れ、和尚の弟子にして仏門に入れてくれないかと頼んだ。
「鬼が親類一同を集めて申渡すには、ただいまより親子の縁を切って加十を勘当するからには、もしも加十にひそかに情けをかける者はもはや親類ではなくてオレの敵だと思うからお前らもそう思えと云うたそうな。それで親類中に加十の面倒を見る者がない。鬼のことだから友達もおらぬ。恩儀を感じている者もおらぬな。そこで親類が手をひくと加十の味方は天下に一人も居らなくなって路頭に迷うことになる。そこで仏門に入れたい、お前の弟子にしろ、と云いおる。この貧乏寺に弟子が来おるとオレの酒の量を減らしおることになるだけだから、ちょうど本山へおもむく用があったを幸い、鬼の子を連れて行って京都の寺へ捨ててきてやった」
加十はその京都の寺に足かけ二年ほど辛抱したが、ぬけだして遊ぶ味を覚え、やがて寺をでてヤクザの群にはいってしまった。その後の生死も不明だということである。
「奥さんがなくなってから鬼の才川さんも心境が変ったそうですが……」
「そうかいな。年に一度オレをよんでお布施をくれてタケノコメシをおごってくれるから、心境が変っているのかも知れんが、オレは昔も今も鬼とツキアイがないから知らんな。オレがつきあっているのはタケノコメシだけだ」
「その珍しいタケノコメシの法事にはどんな顔ぶれが集りますのでしょうか」
「左様、タケノコメシの顔ぶれは六年間変りがない。平作の弟の馬肉屋の又吉と妹お玉。お玉の亭主女郎屋の銀八。死んだ女房杉代の兄で仲見世の根木屋長助。その妹のお直とお安。そろそろ棺桶に一足をかけはじめた年かっこうの者ばかりだが、六年間に一人も死んだ者がない。あとの顔ぶれはずッと若くなって平作の次男坊の石松。長男勘当でこれが跡目だな。長女伸子とその亭主の三百代言角造。次女の京子とその亭主の三百代言能文。娘どものムコはみんな三百代言だ。三百代言に育てるために学資をだしてやったのだそうな。コヤツらは棺桶のフチからまだ足のはなれたガサツ者でタノシミがない悪タレどもだ。これだけ揃ってタケノコメシを食う」
楠は出席者の名を書きとった。平作の弟又吉は吉原の馬肉屋。妹お玉の亭主寺田銀八は吉原の女郎屋三橋楼の主人。鬼の平作のサカンなころは貸金のカタにしぼりとって女郎屋の七八軒に待合料理屋カタギの商店に至るまで何十軒も持ってたものだ。そのうちの一軒の女郎屋と馬肉屋を妹のムコと弟へヒキデモノにやって自分はワリをかせいだ。
亡妻杉代の兄は仲見世の根木屋というミヤゲ物屋。妹のお直とお安は裕福でない小商人へ縁づいたが、お直の生んだ次男の小栗能文(二十六)が杉代の次女京子(二十二)と結婚し、能文は平作の秘書番頭の役割、夫婦は平作の家に住みこんでいる。
長女伸子(三十)の亭主人見角造(三十三)はトビの子で平作が自分の秘書番頭を目当てに学資をだして三百代言に育てたが、鬼から人間に改心してタケノコメシを食うようになると、手広く荒カセギをやらなくなったから、今では自家用としては不用品。三年前に自宅から追ッ払って吉原の近くに三百代言の店をもたせてやった。そして代りに能文を末娘と結婚させて自宅へ入れて番頭とした。京子と能文は従兄妹同士の夫婦。しかし鬼はコセコセとした血の問題はとりあげない。
次男の石松は勘当された長男同様ちかごろ酒と女に身をもちくずし、跡目相続をカタにして諸方に借金があるらしい様子。兄と云い弟と云い、鬼のタネからはロクな男が生れない。石松は二十六だ。
主人平作もいれてタケノコメシに集る血族十二名。折ヅメの十四ひく十二は二。
「すると坊さんはお二人ですな」
「そんなムダなことはオレが大反対だ。お布施とタケノコメシはオレが一人で充分に間に合う」
「折ヅメは十四本。一本あまりますが」
「それはホトケにあげる。一同がタケノコメシをパクついてる時は仏前にも折ヅメとタケノコメシを飾っておくが、パクついてしまうと仏前から下げて、あとは誰の腹へおさまるのかオレは知らんが、これは坊主のオレに持たせて帰すのがホトケの道にかなってるなア」
「折ヅメもその場でパクつきますか」
「これは一同そッくり持って帰るな。オレもそッくり持って帰る。折ヅメの分量だけタケノコメシを腹につめこんで折ヅメはブラ下げて帰る方が得だなア」
銘々が折ヅメを自宅に持ち帰っては、それを食べる可能性の人物がにわかにひろがってしまう。楠はガッカリした。しかし殺されたのが昼メシ直後でないらしいということは、その方が当然有りうべきことなのだ。ここで勇気を失ってはダメだと自分に云いきかせた。
「オレは鬼とのツキアイが不足でダメだ。鬼があばれていたころの番頭が浅草で天心堂という易者になってるそうだ。鬼の全盛の期間つとめあげた奴だから、これも気の荒い家来だそうでな。鬼の改心を見て奴めの方が見切りをつけて主人にヒマをだしたそうな。その後は田島町で易者になったということだ。鬼の悪業はこの易者が存分に知ってるだろ」
誰々が折ヅメを食べたか? それを思うと気が滅入ってしまうが、まだやっと四日目だ。あと六日と半日あまりある。あせることはない。胃袋の内容から離れることは全然無意味な廻り道か遊びにすぎないような気がしたが、十二名の血族にここでいきなり飛びつくのはそれがアセリというものだ。
楠はこう考えて寺をでると、坊主の言葉にしたがい、田島町の易者天心堂を訪ねることにした。今度は坊主のように楽な相手ではないらしい。
★
楠は自分の年齢から考えて、加十の遊び仲間の弟と名のった。遊ぶ金に窮した加十にたのまれて自分の兄が用立てた金が千円の余になってるが、せっかく証文を握りながら加十の勘当、行方不明でこまっている。行方の心当りはないか、というわけ。これは易者向きの用にもかなってるから、
「見料はいかほどで?」
冗談のつもりだが、ためらって云うと、天心堂は一向にためらわず、
「この見料はチト高いなア。そこを大負けにして三円にしてやろう」
ベラボーな高いことを云う。楠は内心泣く泣く有金をはたくようにして三円払った。
「オレも鬼の才川平作の手下になって利息の取り立てをやってるうちに、人の人相が読めてきたな。あのころは鬼をあざむき、鬼を泣かせる奴らが多くてこまったな。怖しい奴、ずるい奴、向うところ強敵ばかりでユダンができない。それで敵を知るために必死に人相を読もうという心得が自然にできる。そのオカゲで易者になったが、真剣勝負の心構えで必死に会得した実学だから、オレの人相判断と易の卦はよその易者のヘナヘナの見立てとちがう。思い当って感心したら、またおいで。一々オレの見立てに伺いをたてて世を渡る者は必ず出世するぞ。三円五円の見料はタダのようなものだ」
兇悪そうな目玉を落附きはらってむいている。ニヤリともしない。
「鬼の平作も血のつながる身内の者には目をかけてやる奴で、馬肉屋の弟又吉、妹のムコ女郎屋の銀八、いずれも平作が身を入れて引き立てたおかげで裕福だ。その代り平作の日ごろの訓戒を裏切ると、親でも子でも親類でもない、敵同士だ消えてなくなれとくる。加十の勘当がそれだな。可愛さあまって憎さ百倍。鬼にはそれが強いのだ。加十は杉代のはからいで京都で坊主になったが、またぐれて寺をとびだしてから行方が分らない。この行方を知っていたのは杉代だけで、どうやって通信していたか知らないが、死ぬ日までヘソクリを苦面して月々送金していたようだ。鬼の平作もこれだけは見て見ぬフリをしていたが、それは鬼の心にも有難い女房よと思う心があったせいだ。なぜかと云えば、平作に深い恨みをもつ者が殺しに来たとき、亭主をかばって杉代が二度もフカデを負うている。このオカゲで鬼自身は一度も傷をしたことがない。こういう有難い女房だから、さすがの鬼めも心底では女房に手を合わせている。杉代が死ぬと力を落して鬼が涙もろくなったのは確かだな。アコギな荒かせぎをしなくなった。オレは杉代が死んだ後も半年あまり鬼のウチに勤めていたが、鬼が改心してオレの稼ぎ場も日増しに少くなるようだから、見切りをつけて易者になった。さてそこで加十のことだが……」
天心堂は易者らしく威をはって楠をにらみつけた。オレの目に見えない物はないという自信のこもった目。そして語りつづける。
「加十がどこで何をしているかは杉代だけが知っていたが、杉代の死後はどうなったかなア。杉代の遺言に、加十の改心を見とどけたら家へ入れて元へ直してやってくれ、ちかごろでは心底から心が改まったらしく、勘当の訓戒を忘れず、他人の姓名を名乗り、貧乏しながらも学を修めてだんだん立派になってるそうだから、と鬼の手をとって泣いたそうな。だが平作は、オレがあのウチに居た間は、その遺言に心のうごいた様子はなかったな。改心しても、鬼は鬼だ。可愛さあまっての憎しみながら、いったん親子の縁を切れば、つめたい鬼になりきるのが奴めの心。六年間も音信不通なら、血のツナガリだけではうめられない溝ができて、元のようにシックリしない他人の距てが双方に生れているのは当然だな。なんしろ平作は元々身内にはあたたかく、他人にはつめたい男。それは奴めの生れつきの気持だなア。世間の甘い考えでは人間は持ちつ持たれつ、情けは人の為ならずだが、平作の気持は生れつき違う。他人同士は鬼と鬼、敵と敵のツナガリと見てその気持の動くことがない。平作ぐらい他人を怖れ他人を信用しない奴はないのだなア。だから六年間の溝ができて血のツナガリの中にも他人の影がさしてしまったと見ているから、元のサヤとは云いながら、今では他人の加十。女房の遺言ながら他人を家へ入れる気持は平作の心にはなかなか起るものではないぞ。ところがつい先日のことだが、人見角造と云って平作の長女のムコで三百代言をしている奴が訪ねてきての話によると、どうやら近ごろは平作のこの心境までぐらついてきたらしいぞ」
天心堂は荒ぶる神がゴセンタクをくだすようにカッと目をむいて語りつづける。
「どうしてそうなったかというと、次男の石松が兄同様に身を持ちくずしはじめたからだな。加十は十五六から身を持ちくずしたから、放蕩は若いほど軽いならい、それに加十は元々学問が好きな奴で、その学問をやらせておけばぐれなくてすんだかも知れないのさ。平作は学問ギライで、イヤがる加十をデッチなみに家業の手伝いをさせた。するとぐれて身を持ちくずして勘当となったが、弟の石松は今年二十六、人の話では二十三四からぐれたそうだ。オレが鬼のウチから出たころ二十ぐらいの生意気な小倅だったが、まだ身持ちがわるくはなかった。石松は兄に反して学問ギライ、遊び好き、芸ごとが好きで、唄三味線踊りを習い、寄席や芝居へ通うのが日課だ。平作は兄でこりてるから、石松には好きなようにやらせておいたが、芸ごとに凝って身を入れるぐらいのことは放蕩にくらべれば雲泥の安あがり、それに見た目には表面の風俗が似ているから、かえって他人の放蕩なんぞ羨しがりもせぬような行い澄した遊び人ができ易いように世間では考えられているなア。それも一理はあるが、根はめいめいの人柄によることだ。石松はぐれるにはオクテだったが、ぐれだすと始末のつかない奴で、齢をくッてるからいったんぐれると加十の比ではない。相続してからの約束で、鬼の子がよその鬼から借りてる金はお前さんの兄貴の証文にあるようなのとは二ケタぐらい違うようだな。オレのところへ金策に来たこともあるが、オレはそれ、この霊感の人相判断。ジッと見て、石松の相に立ち枯れる若木の相があって身を食い枯らす悪虫が這っていると見てとったから、金を貸してやらなかった。オレに貸せという金が、なんと二万円。こんな借金をあちらこちらでやられては親の迷惑は知れたこと。三百代言のムコがオレを訪ねてきたのも、石松に金を貸してくれるな、それを承知で貸した金は無効、取り立てできない、そういう証文を取り交してくれというタノミだ。諸々方々の鬼の同類を廻り歩いて、こういう証文を取り交してもらっているのだそうだ。どうやら石松も勘当らしいということだ。なア、するてえと、加十の今の身持によっては勘当が許されるかも知れないと人見角造が言っておった。さア、どうだ。三円の見料は高くはなかろう。お前さんの証文が近々息を吹き返して生き返るらしいぜ」
なるほど、そんなワケがあったか、と楠はうなずき、
「で、加十さんの今の身持というのは、勘当が許されそうな身持でしょうか」
「さ、それだな。加十の身持も知りたかろうが、加十がどこでどんな姓名で暮しているか、それさえも親類の者が知らないそうな。杉代が遺言で誰かに加十の居所姓名をもらしているかも知らぬ。もしも誰かにもらしたとすれば、亭主平作か、妹のお直だ。杉代とお直は子供の時から気の合った仲で、その為に平作にたのみお直の子の能文に学資を与えて三百代言に仕立てさせて、自分の娘と夫婦にしたほどだ。同じように平作の娘の一人と一しょになり、同じように学資をだしてもらって三百代言に仕立てられた人見角造だが、これは出入りの貧乏トビの子。人間を血のツナガリで区別する平作の目にはムコになっても他人は他人。妹ムコの小栗能文にくらべると、姉ムコの人見角造が万事につけて割がわるく、他人なみに扱われているのだな。あの鬼のウチでは他人の距てはどうにもならん。オレがどんなに忠義な番頭でも、他人は他人だ。そういうウチだぜ。その家風は連れ添う女房杉代にもしみついている。血のツナガリの深く温くない者に後事を託す筈はない。たとえば兄の根木屋長助がカタギの商人で、世間では信用のある世話好きであるにしても、亭主の平作の目から見て他人の方に近ければ、杉代の目にもそれが乗り移っていよう。お直なら特に自分と仲もよし、能文がムコとあってカスガイ役もしているから、秘密の後事を託すとすれば、亭主のほかに親類ではまずお直ひとりだな。オレの目の睨んだところではそうだ。どうだな。三円の見料はいよいよ安かろう。加十のことを訊きだすならお直のところだが、それをお直に訊いたところで、加十の身持がよくなって勘当が許されるワケはないから、まアよしときなよ。だんだんお前さんに運が向いてるらしいのは人相にも出ているから、ジッと証文を握って辛抱してるがいいや」
だが天心堂は三円の見料の手前があってか、易を立てて見てくれて、
「尋ね人は西に居るが、だいぶ東京から離れているようだ。わりに身持もよく、身体も達者だ。そこにも運気がうごいているから、近々めでたく行くだろう。安心するがよい」
易の卦をオマケにもらって、楠はイトマをつげる。
そうだ。タケノコメシの顔ぶれに直接当るなら女だ、お直からだと考えた。
★
お直は後家だった。亭主が死んだのは十五年も昔のことで、杉代の助力もあったが、女手一ツで四人の子供を育てた。子供が大きくなって、どうやら今では楽になったが、その日の食物にも困るような苦しい暮しが長くつづいたのである。
楠は自分の身分を天心堂に語ったのと同じウソでお直に自己紹介。勘当中の加十の動勢をその実家へ問い合せに行くわけにいかないからと言い訳をのべると、苦労にやつれた後家の人の好さ。
「今まで良くまア催促もせず黙っていて下さいましたね。御親切に加十さんをかばって、勘当の許されるのを待っていて下さる気持は本当にありがとうござんすよ。ですが、残念ながら、私も居所を知りません」
「易者の天心堂さんの話では、こちらだけがそれを御存知だとのことでしたが」
「あの男が才川さんに働いていたころまでは私も加十さんの居所を知っていたんですよ。実はね。杉代姉さん存命中は、姉さんと加十さんの通信は私のところが中継所だったんです。姉さんの依頼で加十さんの様子を見に行ったことも七八回はあります。ところが姉さんがなくなる際にこれを旦那に打ちあけたものですから、旦那はひそかに私をよんで、お前はもう加十のことは忘れなさい、あとは私がするから、という静かだが厳しいお達しですよ。さア旦那からのお達しとあっては私は一言半句もない。かしこまりました、と平伏して、お言葉通り以後は忘れたフリをしていないわけに行きませんよ。加十さんへもお達しがあったと見えて、加十さんからの音信もバッタリ絶えた。姉さんが乏しいヘソクリを苦面して仕送りしていたのが、今はどうなっていることやら。いっぺん様子を見てこなければ姉さんにもすまないと思って、心をきめて出かけたことがあるんですよ。すると、どうですか。今までの居所には加十さん夫婦の姿はなく、赤の他人が住まっていて、前住者の行方なんぞ知りませんと云うのです」
「すると加十さんは結婚なさってるんですね」
「しまった。ウッカリ口をすべらしちゃったが、仕方がないなア。そうなんですよ。姉さんがなくなる半年ぐらい前ですけど、加十さんからお母さんにその許しを乞う話があって、実は私が姉さんにたのまれて、三四へんも往復してヨメさんに会って人柄を検査鑑定したりしてねえ。これは大役ですよ。ですが私もイノチをこめてやりました。貧乏なウチの娘でしたが、立派なヨメでしたよ。これならばと私がイノチにかけて保証して、そこで姉さんから一ツ条件が有ってこの話がきまりました。それはヨメさんに昔の身分姓名を絶対に打ちあけるな、という一条です。これには深いシサイがあって、今ではもう十二年前ですが勘当に際して旦那が堅く申し渡されたことには、親子の縁を切ればお前はここの息子ではないから、今迄の姓名を名乗ってはならぬし、今はこの世になくなった昔の身分を人に語ってもならぬ。それが勘当というものだ。これを破れば、キサマは詐欺漢だと仰有った。あの旦那は自分のお達しを守らぬ者には心を許さない人ですから、私たちも旦那のお達しといえば、怖れおののいて真剣にまもるんですよ。加十さんの場合にしても、いつか勘当が許されるとすれば、旦那のお達しだけは厳しくまもられていての上でなければなりません。ですから結婚はともかくとして、お達しの完全な励行が第一ですよ。むしろ身を堅めることは、放蕩で勘当された加十さんには大切な意味ある事ですからね。こんなわけで、私も力になってあげて、加十さんは結婚したんです。が、それからのことは、ただ今お話いたしたテンマツのように、旦那自らのハカライでしょうが、私の目から消え失せて分らなくなってしまったのです。旦那が加十さんにどうやってあげていらッしゃるか、それは私ばかりでなく、誰にも見当がつきません」
「以前の居所は?」
「今となってはよろしいようですが、旦那のお達しの範囲にふれると困りますから申されません」
「新しい姓名だけでも教えていただけませんか」
「お気の毒ですがダメですよ」
「あなたの御迷惑にならぬように私の努力だけでなんとか加十さんにお目にかかる方法を見つけたいと思いますが、せめて何かの特徴の暗示ぐらいはもらしていただけませんか」
「なんとかしてあげたいと思いますが、どうもねえ。特徴といえば一ツあるんですが、それも言わないことにしましょう。勘当の後日にできた特徴で、知ってるのは私だけですがね。悪く思わないで下さいよ。ふとしたお喋りがモトで、旦那のお叱りをうけることが起ると大変だ。もしも、またそのため加十さんの勘当の許しがでないとなったら、それこそ一大事ではありませんか」
「勘当が許される見込みがあるんですか」
「旦那の胸のうちは誰にも分りませんが、これもウチワの秘密ですけど、もう世間に噂もでていることですから申上げますが、加十さんの弟の石松さんがこのところ身持がわるくて、ひょッとすると、これも勘当じゃないかなんてね。その場合には、今の身持によっては加十さんの勘当が許されるかも知れないなんて、いえ、これは旦那の気持がそうだとは誰に分る筈もないんですが、世間の者が旦那の気持までこしらえあげて勝手に噂している次第なんですよ。世間と申しても、まア私たちの身辺だけのことでしょうがね。噂のようなら加十さんには幸福ですが、全然見込みがないことでもなさそうですね」
「御子息の能文さんと仰有る方が才川の娘さんと結婚して秘書をつとめていらッしゃるそうですが、その能文さんから確かな話が伝わりやしませんか」
「いえ、能文は口の堅い男で。また、能文に限らず、旦那のお達しがあれば、私たちみんな口が堅いですよ。さもなければ私たちがお払い箱ですから。世間では鬼のように言いますが、私たちには情深いよい旦那ですよ。その代りお達しにそむくと怖しい」
このワケが分ってみれば、この先どんなに頼んでも堅い口を開かせる見込みがないことは一目リョウゼンだ。ニセの自己紹介のおかげでタケノコメシの一件をさぐる手がかりは失ったが、それはこの口の堅い連中に当ってムダをくりかえすよりも、むしろ他に求めるべきだろう。
「なんとかして加十さんに会いたいなア。いっそ才川さんでボクを下男にでも使ってくださらないかなア」
冗談にこう云うと、
「才川家には女中二人だけで下男ナシ。あの大きな屋敷に女中二人ッきり。そして、それ以上は人を使いやしませんよ」
これをきいて楠は呆れた。そして心がときめいた。あの大きな屋敷で女中二人だけとは。すると白昼の邸内でも深夜の公園よりも人目が少いようなものだから、白昼でも邸内でいろいろのことが行われうるであろう。人殺しもできるし、それをバラバラにすることもできよう。
「御一族では、そのほかに、最近どなたか行方不明はありませんか」
「そんなにチョク〳〵行方不明が現れるものですか。私たちをなんと思っているんです。みんな心が正しくて、また才川家の者も、根木屋の者も、代々長命の一族ですよ」
お直が腹を立てたから、楠はヒヤリとして、そこでイトマをつげた。ひと目でいいから才川の邸内が見たいものだ。女中の一人とでも話を交したいものだ。こう考えふけッたが、やがて一ツの計略に、気がついて次第に彼の顔は明るくほころびた。
★
楠は親ゆずりの多少の財産があったを幸い、なにがしかの金を握って目黒の里へ急行し、百姓にたのんで土の中の小さなタケノコを一貫目ほど掘りだしてもらった。それを買ってザルに入れて持ち帰り、次には知り合いの百姓から野良着を借してもらい、ホンモノの百姓そッくりに変装し古ワラジをはいて適当にホコリをかぶり、タケノコのザルを背負って、六日目の十一時ごろを見はからって、寺島の才川家の勝手口をくぐった。
「ウチの買いつけの八百屋と行商の百姓はきまった人がいるからダメですよ」
と年増の女中が顔をだして云ったが、
「オレは並の行商の百姓とは違う者だね。目黒の奥のタケノコ百姓だ。実は毎年の寒のうちに向島の魚銀という料理屋がオレのところへタケノコを買いにきてくれるが、今日は手ブラで東京へでる用があったから、背中が軽いのはモッタイないと思って、ついでに魚銀にタケノコでも買ってもらうべいと気がついたね。朝の暗いうちに目黒をでて、道を急いで用をすまして魚銀を訪ねてみると、寒のタケノコを買ってくれるのは才川というウチだから、そこへ行って買ってもらえ。そこがいらないと云えば、ほかに買う当はないから諦めろとの話だ。すまねえが買ってくれ」
「アレ。変ったのが来た。チョイト! お金ちゃん。出てきてごらんよ。変テコな百姓が目黒の奥からでできたから」
こう云って若い女中をよんで、二人になると女たちは気が強くなり、珍しがって、からかいはじめた。計略図に当ったと楠は心中の喜びを隠しつつ、
「ここのほかには東京中に寒のタケノコを買ってくれる当がないてえから、持って帰るのも業バラだなア。次第によってはタダの隣ぐらいの値にまけてもかまうこたアねえが、すまねえが弁当を使うから、お茶くれねえか。四時起きして目黒をでてきたから腹がへって目がまわる。お茶代にこれやろう」
とタケノコ一握りつかんで女中の前カケの中へ落してやる。二人の女中は感激して、
「お前さん気前がいいねえ。百姓させておくのはモッタイない人だよ。寒のタケノコてえ高価なものをサイバイしている百姓は違うよ。それにしちゃアお前さんの着物はやに汚いねえ」
「これはフダン着だ。どうせお前たちも百姓の娘だろうが、惚れるなら目黒のタケノコ百姓に限らアな。タケノコはモミガラをまいてコヌカで育てる。人間の糞みたいな臭いものをコチトラは使うことがねえや」
大きなお握りをほおばり、女中がつくってくれた土ビンのお茶をすすりつつ、巧みに本題へ運んでいった。
「このウチじゃア寒のタケノコをどうやって食ってるね」
「私達がタケノコ料理を作るんじゃないし、まだお下りを食べた事もないから、よく知らないけど、タケノコメシと煮ツケらしいね」
「まアそんなもんだなア。じゃアお前たちは食ったことがねえのか。毎年オレのタケノコを買ってながら」
「タケノコメシはいただくけどねえ。お料理の折ヅメは、お客さん方は持って帰るし、ウチの方々、旦那と末のお嬢さん夫婦はいつもキレイに食っちまうし、お酒のみで物をあんまり召上らぬ若旦那は惚れた女の子のところへ折ヅメを持ってッてやるから、おさがりはないねえ。ホトケ様へあげる分が一ツある筈なんだけど、これもどこへ行っちまうのか、毎年その姿がなくなッちゃうねえ」
「トンビの人が食っちまうんだ」
「それは内緒よ」
「いいわよ。目黒のタケノコのアンチャンなんかに何きかせても分りやしないさ」
と若い女中。楠はシメタと胸をときめかしたが何食わぬ顔。
「トンビはアブラゲじゃアねえか」
「ここのトンビはタケノコだ。アッハッハ。トンビたって、冬に男が上に着るトンビのことだよ。毎年、タケノコの日に限って、トンビをきた変なのがたッた一人裏口からきて、法事のお客さんには姿を見せずに奥のハナレに身を隠すようにしているんだけどねえ。いつ来ていつ帰ったのやら私たちにも分りやしない。変テコなお客だよ」
「ヘエ、面白いな。天狗じゃねえのか。目黒にはタケノコ好きの天狗がいたそうだ。ここの天狗は誰にも会わずにタケノコ食って帰るのか」
「旦那にはお会いだろうよ。若旦那、お嬢さん夫婦、ここのウチの人たちは別にこの人をフシギがりやしないよ。その日に限ってトンビの客がくるてえことは承知してるんだよ。ただ法事の席のお客さん方には言ってはいけないと奥からの命令さ」
「奥さんの命令か。旦那じゃねえのか」
「奥てえのはつまり主人からてえお屋敷言葉だよ。百姓には分らねえや」
「それはつまり天狗なのか、人間なのか」
「文明開化の世に天狗がでるのは目黒の竹ヤブだけだ。それが三十がらみの男の人だけど、昼間きて昼間のうちに帰っちまうタダの人間にはマチガイないや」
「天狗でなくちゃア面白くないな。タケノコだけが目当なら人間でなくて天狗だがなア」
「タケノコメシをハナレへ持ってッてその人の前へおきッ放してくるんだけど、陰気な人だよ。部屋の中でも寒そうにトンビをきたまま、顔もあげず黙りこくッて坐ってらア。私やタケノコメシを置きすてて逃げるように戻るのさ、その時、話しかけられたら、さぞ怖いだろうよ」
「客人をほッぽりだして、一人ぽっち坐らせておいて、タケノコメシを食わせるだけか。ヘエ! 変なウチだ」
「法事がすむまでは仕方がないよ。お経がすんで、お食事がすんで、ひとしきり話がはずんで、お客さん方が帰ってしまうまでは、ハナレのトンビの方がうッちゃらかしになってるのは仕方がないよ。私たちもお食事とお茶をいっぺんハナレへ運ぶだけで、トンビの来る姿も帰る姿も毎年見たタメシがないよ」
「オレのタケノコを変テコな奴が食ってやがるんだなア。タケノコを食ってから、なにか変テコな、変ったことが起りやしねえか」
「はばかりながら、このお邸に変テコなことなんぞ起ったタメシはないやね。トンビの男の人だって毎年きまってくる人なんだから、変テコてえほどの人じゃアないよ」
「今年も昼間のうちに消えたか」
「トンビのお帰りなんぞ誰も気にかけてやしない。夕方に昼のお膳を下げに行くと、ハナレにはもう誰も居なくて、お膳の物がカラになってるだけのことさね」
例年通りのことが今年も型の如くに行われただけで、他に変ったこともなかったようだ。また法事のお客たちの方にも例年なみのことが行われただけのようだ。すくなくとも女中たちが目新しく印象した事は一ツもなかったらしい。
きくべきことを訊いたので、長居は怪しみをうけるもと、気前よくタケノコをやりすぎるのもいけないから、さらに三つかみのタケノコを女中の前カケに入れてやって、わが家へと戻った。
楠は結論した。
「殺されたバラバラの主はトンビの男。実は勘当された長男加十だ。さて殺したのは誰だか、いよいよ、それが問題だ」
犯人は誰かと考えても、彼が知り得たことだけでは考えの進めようがないし、然らば次の調査をと思ってみると、これ以上は独力で調査の進めようもない。これからの捜査は正式に警察権を用いてでないと進められない。
彼はこれまでの調査の次第を整理して、報告書をつくって、清書した。素人の文章で、この大事件を整理して推論の結論を立てる手際のむずかしさは思いのほかで、残った三日の休みをタップリこれに費して、休みの明けた日、これを上司に提出した。
ところが、ちょうどこの日、久しく現れなかったバラバラの一部が新規に発見されて、今回の包みからは左のスネと左の耳がでた。
すでに三度目の包みからそうだったが、楠がオヤと思って、ここに何かがあるかと思ったバラバラ包みのマゼ方、左右対照、マンナカの脱落、それは今やハッキリと彼の早合点で、ナンセンスな軽率にすぎなかった。それでくさッているところへヌッと現れた老錬の先輩が、
「なにィ。オイ。この報告書キサマか。タケノコを寒中に用いる料理屋は向島の魚銀だけだと? たったそれだけ聞きこむために十日も休みをもらってボヤボヤ歩いていやがったのか。キサマの分担の役目をオレが先き駈けする気持はなかったのだが、ふと気がついたことだし、先をいそぐから、オレは一流の料亭を三ツ当ってみた。するとオレがここと狙った三軒が全部、八百膳も、亀清も、八百松も、たいがいの日にタケノコを使ってらア。キサマ十日間どこを歩いてたんだ。顔を洗い直して、この三軒の板前にきいてこいよ。調査もれも、ひどすぎて、話のほかではないか。このインチキ小僧めが」
こう怒られて、楠は色を失った。一日目と二日目は浅草だけシラミつぶしに聞きこみ、下谷の八百膳まで遠からぬところまで調べて行っておりながら、下谷は後にまわして三日目は対岸の向島へ。ここではわりに早々と魚銀にぶつかったから、あとの調査は中止して魚銀で打ち止め。そこで同じ向島の八百松も両国の亀清も調査には行かなかった。
天下名題のこの三軒の料亭は彼の署を中心に、いずれも遠い距離ではない。先輩が思いついてちょッと行って訊いてみたというのも尤もなところだ。楠は大いにおどろき怖れ、まさに色を失って混乱し、さてこの三軒をきいて廻ると、まったく先輩の云う通り、これらの料亭では寒中にタケノコを用いるのは別に珍しくないことのようだ。楠はバカ正直に一軒ずつ念を入れたおかげで、ムダなところに手間どり、珍しい材料を用いるのはまず第一級の料亭と誰しも第一感で気がつくことを忘れ、その近所まで近づいていながら、タケノコを用いている料亭に限って訊き落している。なんともなさけないバカそのものの大失敗。人々にどんなに罵られても一言も返す言葉がない。いッそ自殺して自分のカラダをバラバラ包みにしてしまいたいと思い悲んだほどである。
そして、バラバラ事件の調査を進める情念を一気に全部失ってしまった。
バラバラ包みは、その後、三月九日と、三月十五日にも隅田川からでた。
三月九日のは左モモと右の二の腕。
三月十五日のは右手のヒジから手クビまで。
以上でバッタリと新規の発見は絶えてしまって、結局、両眼と右の耳と鼻、左手のヒジから手クビまでと左のテノヒラ、右のスネ、これだけが最後の発見から三月半すぎて真夏がきたが現れなかった。それはもう魚の腹におさまって変形したか大海に消えたであろう。
バラバラ事件は被害者の身許不明。他に光明をもたらす可能性の見込みなく迷宮入りとカンタンに片づけられたが、これに不服をのべる刑事もいない。楠も不服どころか、穴あらばはいりたいだけのことであった。
ところが盛夏の一日、結城新十郎が隅田川へ水遊びとシャレて、その途次にちょッとこの署に立寄った折、このバラバラ事件に注目した。と云うのは、かなり離れた物置きの底へムリに隠しこむようにしておいたバラバラのアルコール漬けが、盛夏の暑気に臭気を放って仕様がない。適当に処置の方法はないかと面々がワイノワイノと論争中に新十郎が現れたからで、
「ハハア。迷宮入りのバラバラの実物はこれですか」
とアルコール漬けに眺め入り、
「すると、この被害者らしいと思われる行方不明者が見つからないのですか」
「行方不明の届出は相当数ありましたが、諸条件の全部にピッタリ合うものがなく、ややムリをして合わせても七割方合わせる可能性のものすらもないのです」
「東京市の行方不明者ですね」
「そうです。その周辺の郊外も含め、特に隅田川流域の町村のものは含まれています」
「よっぽど不用な人間らしいですなア、このホトケは」
新十郎はバラバラ事件の書類を入れた分類箱の中のものを改めていたが、やがて一冊を読みだすと次第に目に情熱がこもり、やがて一心不乱に読みはじめた。それは楠の苦心の報告書で長文の六冊だから、この場所はその読書に適さないと見切りをつけたが、書類をふせて、
「これを書いたお方にお目にかからせていただきたいものですね」
「それを書いた大人物は──と。その大仕事ができるのは沈着な楠のダンナに限る筈だが。ハテ、楠のダンナはどこへ行ったかや? 探す時には必ず見えないという人物だなア。どこにいるか。ハハハ。そこにいたか。ごらんのように、これだけワイノワイノと呼びたてられてからオモムロに溶けたような顔をあげて見せるという落ちついた大人物で」
「ヤ、どうも。あなたがこれをお書きになったのですね?」
「ハア。イカン。シマッタ!」
「ハ? シマッタ、ですッて? なんのことでしょうか。この報告書に『わがバラバラ日記が、当日の印象を記録せるを引用すれば』とありますが、バラバラ日記はお手もとに保存なさっているでしょうか。それを拝見させていただきたいのですが」
「もう焼きすてちゃッたかも知れんですが」
とマッカになってモゴモゴとごまかしたのは実はウソで、焼きたいとは思ったけれども、なんとなく惜しくて焼かなかったのが本当。
新十郎にたって所望されて、是非なくそれを家から取ってきた。新十郎はそれを受けとって、大よろこび。
「報告書とバラバラ日記はお借りしますよ。あなたは大タンテイの素質をお持ちのスバラシイ方ですね。見かけによらず、日本は人材の国だ。あなたの存在を知って、日本がたのもしくならなければ、その人は目がフシ穴で、頭は大方左マキだ」
新十郎は楠にこういうお世辞をささやいて、益々楠を赤面させて、消え去った。
★
新十郎がその報告書と日記を返しに来たのは一週間ほどの後である。人気のない別室へ楠に来てもらって、差向いに坐って、くつろがせて、
「あなたはこの報告書の次にくるべき調査をなぜ中止なさったんですか」
「その報告書を書きあげて持参した日に、一人の先輩がふと思いついて、たッた三軒の料亭に狙いをつけて訊いてまわると、三軒とも連日のようにタケノコを使っていたと分ったんです」
と、その日のことを新十郎に語った。新十郎はそれをきいてただただ呆然また呆然たる顔。
「実に運が悪かったですね。運が悪い時は、まさにそんなものですねえ。こんなことが、いつかは、誰にでも起りうる。実にユダンできぬ怖しいのがその偶然ですよ。あなたにとっては貴重なイマシメだと思いますが、その三軒の料亭でもタケノコを使ってる、また、そのほかにも使ってる店があるかも知れないと分った上で、もう一度この報告書へなぜ戻る勇気を失ったのでしょうか。あなたは他の場合にも、不当に勇気を失いすぎていますね。いまその例を示して説明いたしますが、己れの無力を怖れ悲しんで勇気を失うことを知る者は賢者です。怖れを知る故に、その賢者の力は生ある限り伸び育ち発展します。ですが怖れ悲しむ次に、大勇猛心をふるい起して死するとも己れの道を退かぬ正しい勇気を忘れてはいけません」
新十郎は可愛くて仕方がない子供をさとすようだ。そして語った。
「あなたの日記は面白いですね。整理したものでなくて、人に読ませる気兼ねがないから、大胆率直で面白いですね。そもそもこの事件にあなたが深入りした発端は、最初の二ツの包みをあなたが拾ったインネンですが、またそのインネンを裏づけたものは、第一と第二の包みの中味が右と左の部分のマゼ合わせが同じくて、またマンナカの部分が欠けているのが対照的でそこに何かがあるんじゃないかと思われたせいですね。日記にはそれが正直に情熱的に語られてますね。あなたはこうも見ていますよ。バラバラにしたくせに、二ツ一しょに包むなんて筋道の立たないことをするものだ。そこにワケがありそうだ……」
新十郎は顔をあげて、いかにもうれしげに楠に笑みかけ、同じ文句をくりかえした。
「バラバラにしたくせに、二ツ一しょに包むなんて筋道が立たないことをするものだ。そこにワケが……ねえ、楠さん。あなたはスバラシイことに気がついたのですよ。ですが、なぜそのワケをもっと追求しなかったのですか」
楠は恥じて赤面して仕方なしに答えた。
「三ツ目の包みから、左右のマゼ合わせもなく、またマンナカの欠けてる一致も存在してやしなかったからです。早合点で、軽率すぎました」
「そう。左右対照とマンナカの欠けてる一致という点についてだけは、たしかに早合点で、軽率でした。ですが、早合点と判明したのはその二ツだけですよ。バラバラにしながら二ツ合わせて、一包みにするなんて筋道が立たないから、そこにワケがありそうだ、という疑いがあって、そこには確かにいろいろのワケが考えられるではありませんか。あなたは一ツの早合点に気がつくと、にわかに勇気を失ってしまい、他のいろいろのワケをも追求した上で、早合点と判ったものから順に一ツ一ツ取り除いて行くことまで全部やめにしてしまったのですね。せっかくスバラシイ発見から出発しながら」
新十郎の言葉には、可愛さのあまりに叱るきびしさがこもった。
「さ、これが一ツのヒント。そのあらゆるワケを考えて順に追求して捨てるべき物を棄て取る物を取って進むのが、あなたの新しい出発の一ツ。さて、その次には……」
新十郎はパラパラ日記の頁をめくって、話につれて一々その箇所を探しだして示しながら語りつづけた。
「魚銀から弁龍和尚の名をきいてまず坊さんを尋ねたのは賢明でした。この坊さんからのキキコミには特に重大なことはないようですが、次に訪れた天心堂以下は次へうつるにしたがって次第に重大そのもののキキコミでしたね。そのキキコミは全部が全部と云ってよいほど意味の深いものでした。あなたはそれを整理して、殺されてバラバラにされたのはトンビの人物、実は加十と結論なさった。まさにそれにマチガイありますまい。しかし、その結論一ツだけでは不足ですね。キキコミはまだまだ多くの暗示に富んでいますよ。その五ツ六ツをザッと列挙しても、次の通りです。天心堂が石松の勘当と加十復帰の噂を耳にしたのは人見角造からであった。この人見は小栗が京子と結婚して平作の新しい秘書になるまでは、彼がその位置におり、才川家の家族の一員として邸内に同居していた。彼が小栗に位置をゆずって、代言人の事務所をひらいて別居したのは三年前です。次には狡智にたけた元番頭の天心堂も加十の居所変名を知らないこと。特に注意すべきは居所ならびに変名ですよ。加十という存在は今や地上になくて、その変名が親類たちにすら知られていないのです。そしてそれはお直の言葉からさらに発展します。そのヨメすらも加十の身分と本名を知らないというのです。ところで、お直がそのあとで語った言葉なんですが、この時のあなたの問いかけには特に深い意味が含まれていなかったようですが、それに対してお直はなんとなく薄気味わるくて妙に真に迫るような返事をしているじゃありませんか。それ。この返事がそれですが、読んでみましょう。加十さんの特徴といえば、そう、そんなのが一つ確かにあるんですが、そしてそれは勘当後に新たにできた特徴で私だけしか知らないものですが、それを申上げるわけにゆきません、ね。お直はこう云ってるのです。私だけしか知らない特徴だと断言してるんです。ただし、それはお直さんがそう思いこんでいることが私たちに分っているというだけで、他人がそれを証明しているワケではありませんがね。とにかくお直さんの言葉は重大なものを暗示していますよ。なんしろ杉代さんの死ぬまでは、加十と杉代の音信の中継所で、おまけに加十の居所を実地に訪ねて会見している唯一の人物ですからね。ところが杉代が死ぬとお直は平作によびよせられて加十との交渉を断つことを命ぜられ、一方、加十からの音信もバッタリ絶えたし、また心配のあまり居所を訪れると、加十は他へ越して行方不明だったそうですね。むろん平作のハカライでしょうが、そこからの結論として一ツ弁えておくべきことは、加十の新居と変名は杉代の死後では平作が知っていて、お直は知らないということ。しかし、平作が知ってることは確かだが、その他の誰かが知っていないとは限らない。お直は知らなくなったが、それは他の誰かが知らないという証明にはならない。しかし、確実に知っていると判っているのは平作だけですね。こんな風に確実なものと、可能性のものとをハッキリしておくことは、手順としては大そう大切なことなんですよ。お直のクダリはこれぐらいにして、次は目黒の百姓に化けてタケノコを売りこみに才川家へ赴いた件。これは傑作だな。百姓に化けることはどのタンテイもできますが、こんな風に会話を交すことはできません。あなたには大タンテイの天分があるのです」
新十郎は日記帳のその会話のクダリを開くと、一寸一目見ただけで、おかしくて堪らぬ事を思いだすらしく込上げる笑いをせきとめかね、遂にはハンケチを取出して、涙をふく始末だ。平素の彼らしくないフルマイであった。
「目黒にはタケノコを食いたがる天狗がいるんですッて! 実にどうも、あなたという人は……」
こみあげる笑いの苦しさに、新十郎は両手で胸をシッカと抑えた。
「さて、寺島のトンビの天狗の方ですが、女中の言葉はカンタンながら印象的で、むしろ面白すぎるほどではありませんか。この天狗の習慣は珍ですよ。女中がハナレへタケノコメシを運んで行くと、天狗の先生、毎年決ってトンビをきて黙って坐ってるそうですが、火がないハナレなんでしょうかね。蓋しタケノコに対するや、目黒の天狗に負けないぐらい深刻な何かがあるんでしょうか。ですがこの天狗が才川家に於てうける待遇は上等なものではないですね。来る姿も帰る姿も女中にまで問題にされず、女中がタケノコメシをハナレに突ッこんで逃げ去る他には法事のすむ迄彼はただハナレにほッぽりだされているのだそうだから、天狗の身にとっては物騒な話ですよ。ですが、この天狗の話は、女中以外の人々の口からはまだ語られていませんね。然し、それを他の人々に確かめて答を求めるのは不可能でしょう。ところで女中の話では、石松は折ヅメには手をつけずに女の子のところへ持ってッてやるそうですね。寒のうちというのに珍しいタケノコ料理の折ヅメだから貰う方も幾らか印象的でしょう。後日に至って印象を引出す為にはタケノコ料理の折ヅメという存在がなかなか得難い好都合な差し水の役を果してくれる意味があるのですが、それにしても今では時間がたちすぎましたね。あなたがこの報告書を作った時分でしたら、その印象はまだ鮮度を落さず生きていたでしょうに。タケノコ料理の印象なら、まア一ヶ月位の中は死にかけたのを生き返すことができそうだなア」
楠は顔をやや紅潮させて訊いた。
「すると、その婦人をさがしだして、その日の印象をさぐって、つまり……」
「つまり?」
「それは彼のアリバイの為に?」
「いえ。今はそこまで考えなくともよいのです。石松の場合に於ては、タケノコ料理の折ヅメを自分で食べずに女の子に持ってッてやるという事実が分ったことによって、その女の子を探すこと、また、その女の子にその日のテンマツを折ヅメの印象をたどって訊くことができるという割に有利な事柄が発見されたこと。それに気がつけばよいのです。そして、折角の発見ですから、とにかく確かめてみる実行を知るに至ればよろしいでしょう。タンテイの心得はそれだけのことです。推理を急ぎ、結論を急ぐ必要はないですね。発見を捉える度に、幾らかでも価値のある部分だけは事実を確かめて、そんなコマゴマした事実がタクサン手もとに集って自然に何かの形をなすまで、ほッとくだけでよろしいのですよ」
「分りました。ボクは今からその婦人をさがして訊きだせることを訊きだしたくなりました。もう一度やり直してみたいのです」
今にも直ちに女を探しにでかけたくてジッとしていられぬ様なもどかしい様子。新十郎はその意気込みに一応軽く頷いてみせたが、
「ですが、そのほかにも発見を捉えて確かめて帳面の隅ッこへ記入しておくべきことは、ないわけではありません」
楠はうなずいて、
「それは自分でバラバラ日記を辿りつつ新しい目で考えて、自分自身の発見を捉える工夫や努力をしてみたいと思います。力の足らない事は分っていますが、自分の進む方向だけは先生のお教えでハッキリ会得致しました」
「そのお言葉をうけたまわって、うれしくてたまりませんね。署長には私が了解を得てあげますから、明朝からあなたの独特の目で発見を捉えては一ツずつ確かめて取捨しつつ進みなさい。私がこのバラバラ事件を解決するにはほぼ一週間かかりましたが、あなたも私と同じように一応一週間の区切りをつけておきましょう。ハンディはつけない習慣がよろしいですよ。そして一週間目に、あなたと語り合う日が、実にたまらないタノシミですね。では、御成功を祈りますよ」
そして、更に一言、咒文の様につけたした。
「ムリハツツシメ」
★
一週間目の夕方、楠は新十郎を訪問し、二人は食卓をかこんでミュンヘンビールを傾けつつ、楠は新たに捉えた発見とその確かめた結果を語り、新十郎はそれぞれに批評を加えて、うむことがない有様だ。
「で、捉えた発見を確かめて、取捨したあげく、こまかな事実が積り積って自然に何かの形をなしましたね」
新十郎にこう訊かれて、楠はちょッと返答をためらったが、
「確かめて得た物をつないで一ツの物にまとめるにはまだムリが多すぎるのです。特にボクが重大と見て今もこだわっているのは石松から折ヅメを貰った女の記憶ですが、その婦人から得た答は、そんな古い記憶は今さら思いだすことができませんという返答でして、それ以上は得られないのです。そのためにボクの推理は体をなしません」
「私もその婦人からはあなたと同じ返答しか得られませんでしたよ。ですが、そのほかにも一ツのことが分りました。婦人は折ヅメを貰ったことは確かに覚えていたのです。ですが、この折ヅメの件はここで一応壁にぶつかってしまったものと仮定して、これに代るべき他の発見が捉えられませんでしたか」
「そのような自在な頭のハタラキは思いもよらぬことです」
「では私がその壁にぶつかったとき、代りに捉えた発見を申しましょう。私たちは加十にヨメがあることを知っておりましたね。ですが、行方不明になったはずの加十の捜査願いが見当りませんでしたね。しかしヨメさんが健在なら心配している筈でしょう。で、今度はそのヨメさんの居所を突きとめ、加十の側から見た事実が平作たちの側からの物とズレの有る無しを確かめる方法はあるまいかと考えたのです。するとまず何よりも早く思いだすのはお直の言葉で、つまり加十には勘当後にできた特徴が一ツだけあるということですね。ところが女中たちの記憶によると加十その人らしい天狗はいつもトンビをきて黙って坐ってる以外には特徴らしいものの印象がないと云うのですね。着たり脱いだりするトンビは特徴にはなりません。また、今まで発見されたバラバラの死体にも特別に目立った特徴というものはないのです。特徴と申せば、身体に附属した何かでしょうが、もしも身体に特徴があるとすれば、今まで発見のものに見当らないから、それはまだ発見されない部分にある筈です。あるいはまた、室内でもトンビをきていつも黙りこくっているという女中の言葉から唖という特徴も考えられなくはないのですが、他にその特徴を暗示したり証明の助けとなる何かが見当らないようですから、これは一応除外しておきましょう。さて身体の一部に特徴ありとすれば、それはまだ発見されていない両眼か右耳か鼻か左手のヒジと手クビの部分か左のテノヒラか右スネでしょう。ところが右耳と鼻は顔にそぎ落されたアトがあるから、一応そこについてた物はあった。畸形の物にしても、とにかく一応ついていた。次に右スネは上の太モモと下の足クビ以下が発見されてるから、マンナカのスネだけ無かった筈はない。そこにイレズミとか傷アトぐらいは考えられるが、お直の目にわかる特徴だからたぶん着物の下に隠れる種類のものではありますまいね。すると、本来存在しなかったかも知れないものは両眼と、左手のヒジから先の指までの部分です。成人後の両眼失明なら遠路の一人歩きはできそうもないから、片目の失明とか義眼ぐらいは考えられるかも知れない。ちょッとした目立つ特徴と申せばいろいろと考えられますよ。ですが、ここで、この事件の特殊な性格と申すべきバラバラということを考えていただきたいのです。片眼の失明や耳や鼻の畸形や怪我を隠す程度のことに、関節という関節の全部にわたって一々こまかく切断する必要があるでしょうか。クビ、肩、ヒジ、手クビ、モモ、ヒザ、足クビ。これだけの関節を一々こまかく切るのは甚だ御苦労千万な話で、それに要する長時間の作業中には人に知られ易いかなりの危険がともなっていますよ。また労働時間の長短について考えると、両眼をえぐったり両耳と鼻をそぎ落す作業はその全部を合計してもものの五分間とかからぬ程度でしょう。すると、顔のどこかにゴマカシの主点がある場合に、顔の特徴を取り除き、またゴマカシの手を加えても五分間ですむのに、その御相伴として全身バラバラの大作業を加えて、わずかばかりゴマカシの引立て役とするのは、普通人のよくなしうることではありますまい。全身バラバラのこの手数のこんだ作業と、それに伴う危険を考えると、それ相応の必然性があるべきで、顔の造作をごまかす程度の目的のためにこれだけの時間と危険を賭けることは有り得ないと見るべきでしょう。そこで顔を除外すると、残った部分は、左手のヒジからテノヒラまでが最後に残る唯一の疑問の部分です。さて、この部分にどんな特徴が考えうるかと云えば、イレズミなどもあるでしょうが、尚それよりもバラバラ作業をほどこすに必然的な理由をそなえているのが、元々この一部分がなかったということ。加十は生きてる時から左手のヒジから下がなかったのだと考えてみることができましょう。犯人は加十を殺す目的を果したが、その死体に左のヒジから下がないと分れば、顔を斬りきざんで人相をごまかしても身許がさとられやすい。そこでそれをごまかす方法を施すとすれば、全身バラバラに切断して、その一部分がついに現れてこなくともフシギではないと思わせること。即ち元々なかった部分が現れないのは当然ですが、それが存在しなかったせいではなくて、他の理由によってその姿を地上から失うことがフシギではないと思わせる手段を施すに限るでしょう。このバラバラ作業の状況から判断すると、一応この想定を立てることは許されてよかろうと思われます。これほどコマメにバラバラにしておきながら、二ツまとめて一包みにしているなぞは甚だ奇妙で、要するにコマメにバラバラにしたのは小さくして別々に運んで棄てる便宜のためでないことは明らかですね。そしてただ細かくバラバラに切断するということに目的ありと仮定することが可能で、そのバラバラの目的としては、つまり肉体の一部分が失われて現れてこなくともフシギがられぬ状況をつくることです。死体をバラバラにする理由として、とにかく不自然ではない。又、これは、甚だ消極的な蛇足のタグイかも知れませんが、かのトンビの天狗、つまり加十その人ですが、彼に六回も面識を重ねた女中たちが、その天狗の腕があるかないかは今も答えることができないのです。なぜなら、天狗は室内に於ていつもトンビを着たままションボリ坐っているだけで、女中たちは毎年例外なくトンビ姿を見ただけだからです。そして、トンビの下に腕がないということは誰もそれを証明することはできませんが、また反対に、腕があるということを証明することもできません。また勘当されてのち片腕を失った加十がそれをトンビで隠したがる心境を考えても不自然ではありますまい。それらを考え合わせて、加十の特徴とは左ヒジから下がないこと。こう結論して、私は思いきってバクチをやったのです。私はお直さんを訪ね、加十さんの勘当中の友だちであると自己紹介しました。その私が加十さんの特徴を知ってるのは当然でしょうから、加十さんの左腕がないのは万人衆知の事実としてこれを話題にとりいれ、お直さんがイエスかノオかの反応を表さざるを得ない話術を用いたのです。するとお直さんの反応はアッサリとイエスでした。また私は京都でも加十と遊んだ、大阪でも、名古屋でも、横浜でもと誘導することによって、お直さんが加十の家を訪ねたのは横浜であると突きとめましたから、平作が加十を転居せしめてもそこから遠くはなかろう。横浜近辺か東京だろうと、横浜でまず行方不明者の届けをさがすと、そこにチャンと加十の該当者がありましたよ。加十のヨメのカヨさんの居所を突きとめてさっそく会いました。そして疑惑としていたことをたしかめてみると、まず第一に、平作が転居を命じたときには彼自身が横浜へ現れて指図したこと。またその彼と一しょに来て事の処理に当ったのは、当時の秘書たる人見と、まだその時に二十の見習い代言の小栗能文とでした。そのとき平作は毎年の杉代の命日に上京を命じ、そのとき一年ぶんの生活費を与えると、約束しました。すでにそのとき居合わす一同の前で、改心を見届け次第なんとかしてやると言明したそうで、カヨさんに自分の身許を隠すような秘密くさいところもなく、六年前の再会の時から親子のヨリは半分以上もどっていたのです。いずれ加十がなんとかしてもらえることはその瞬間から既定の事実で、人見も小栗もそれを見あやまる筈のない出来事でした。ただ改心を見届けて、どの程度になんとかするのか、それだけが察しかねることだっただけなんですね。そんなわけで、母の命日に上京の加十はスッとハナレにもぐったきり人々に顔を見せなかったと云っても、特に秘密にする必要があってではなく、まだ表向きは勘当の故に遠慮するだけのことだったらしいのです。やがてノンキな石松にも母の命日ごとに兄の上京が分ったから彼は大いに混乱もしたでしょう。兄の勘当が許されると、相続者は兄で、彼はその一介の寄人にすぎなくなる。父の例に当てはめればその弟又吉は馬肉屋を開業させてもらっただけ。ムコの銀八は女郎屋をもらっただけ、鬼の才川平作の巨万の財産をつぐ身と、馬肉屋のオヤジの身とは差がありすぎますね。それを苦にして悶々と日をくらし、ヤケになって、放蕩に身をもちくずした石松であったかも知れませんよ。彼が相続の日を約束に高利の金を借りられるだけ借り放題にあさッているのは、ウップンの原因を問わず語りにあかしているようにも見られますね。さて私がカヨさんの居所をつきとめて会うことができて、つまり、石松が折ヅメをとどけた婦人から目当ての返答が得られなかった代りとして、カヨさんから訊きだすことができたことは、加十の上京後、その帰りをまる二ヶ月の間待ちくらしたのち、ついに不安を抑えきれずに表向き禁制と知りつつも才川家へ問い合わせの手紙をだしたのに返書があって、勘当中の加十が当家に居る筈はないというアッサリした文面でしたという。また、ついにたまりかねて上京して才川家を訪ねてみると、応待にでて、返書と同じように勘当中の加十は当家に居るべき道理がないとアッサリした言葉を与えて追い返したのは小栗能文でしたという。この返答は異様ですね。なぜなら、表向き勘当ながら内容が次第にそうでないことを能文は心得ている筈だからです。まず何よりも、加十の行方不明に対して親身のものにせよ事務的なものにせよ心配を一ツも見せないことが、この男の身分としては更に異様ですね。私が石松の折ヅメを貰った婦人に期待した返答も、これと同じことを裏附ける事実、つまり放蕩者の石松がだらだら酒をのんだり泊ったりで、バラバラ作業のヒマがありッこなかったという裏附けだったのでしたが、生憎この婦人はタケノコ料理に興味がない超人でしたから、折ヅメをもらった特定の一日にてんで記憶がなかったのです。加十を殺し、石松が勘当となれば、相続人のオハチが自分に廻ることになり、まさにその事の有り得るチャンスの気配が濃厚でしたから、能文は計画を立てておいて、加十を殺して予定のバラバラ作業を行った。或いは京子も片棒担いでるかも知れませんよ。鬼の子は鬼でフシギはありませんし、人間はもともと鬼になり易いです。京子は十二年前に勘当された加十に兄者人としてのナジミがないから、他人に財産をとられるような怒りや呪いがあったかも知れません。バラバラのコマメな作業がかねての計画としても一人の手に余るようですから」
そして、能文が捕われ、訊問の結果は京子の非常に積極的な共犯が明らかとなった。
「女を甘く見てはいけませんよ。女は心がやさしくて、気が弱くて、ケンカが弱くて常に平和を愛するかよわい動物だなんて、大それた逆説の支持者となってはいけません。それを信用してはタンテイはつとまりませんよ」
と新十郎はあとで顔をあからめて楠にささやいた。
底本:「坂口安吾全集 10」筑摩書房
1998(平成10)年11月20日初版第1刷発行
底本の親本:「小説新潮 第六巻第一〇号」
1952(昭和27)年8月1日発行
初出:「小説新潮 第六巻第一〇号」
1952(昭和27)年8月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※表題は底本では、「明治
開化安吾捕物」となっています。
※初出時の表題は「明治
開化安吾捕物 その二十」です。
入力:tatsuki
校正:松永正敏
2006年5月23日作成
2016年3月31日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。