明治開化 安吾捕物
その十六 家族は六人・目一ツ半
坂口安吾



「ねえ、旦那。足利にゃア、ロクなアンマがいないでしょう。私ゃ足利のアンマになってもいいんですがね。連れてッてくれねえかなア。足利の師匠のウチへ住み込みでも結構でさア。どうも、東京を食いつめちゃったよ」

 足利の織物商人仁助の肩をもみながら、アンマの弁内が卑しそうな声で云う。

 めッぽう力の強いアンマで、並のアンマを受けつけない仁助の肩の凝りがこのメクラの馬力にかかると気持よくほぐれる。馬のような鼻息をたてて一時間あまりも力をぬかない仕事熱心なところは結構であるが、カタワのヒガミや一徹で何を仕でかすか知れないような不気味なところが気にかかる。

「何をやらかして東京を食いつめたのだ」

「ちょいと借金ができちゃッてね。小金もちの後家さんにめぐりあいてえよ。ハッハ」

「フン。そッちを探した方が確かだ。田舎じゃア、アンマにかかろうてえお客の数は知れたものよ」

「ウチの師匠は小金もちの後家さんと一しょになってアンマの株を買ってもらッたんだそうですがね。だが、田舎と云っても足利なら、結構アンマで身が立つはずだ。私の兄弟子がお客のヒキで高崎へ店をもちましたが、羽ぶりがいいッで話さ。その高崎のお客てえのが、やッぱりここが定宿の人さ」

 アンマの問わず語り。

 昔は「アンマのつかみ取り」という言葉があった。今の人にはこの言葉の特殊の意味がわからない。アンマが人の肩をつかんでお金をとるのは当り前の話じゃないか。洒落にも、語呂合せにもなりやしない。バカバカしい、と思うだけのことであろう。

 それと云うのが「つかんで取る」の取るというのがピンとこないせいである。アンマ上下かみしも三百文(三銭)。当今は若干割高になって百五十円か二百円。決して特に取りやがるナという金ではない。大きな門構えの邸宅に「アンマもみ療治」の看板が出ているタメシはない。もんで取る金が微々たるシガない商売だから、「つかみ取り」の取るという言葉の力が全然ピンとこないのである。

 ところが、江戸時代はそうではない。料金は当今と比例の同じような微々たるものでも、縄張りがあった。八丁四方にアンマ一軒。これがアンマの縄張りだ。八丁四方に一軒以外は新規開業が許されないという不文律があったのである。

 だから、アンマの師匠の羽ぶりは大したものだ。多くの弟子を抱えて、つかみ取らせる。師匠は立派な妾宅なぞを構えて、町内では屈指のお金持である。直々師匠につかみ取ってもらうには、よほど辞を低うし、礼を厚くしなければならなかったものである。

 今ではアンマの型もくずれたが、昔のアンマは主としてメクラで、杉山流と云った。目明きアンマもいたが、これを吉田流と云い、埼玉の者に限って弟子入りを許されていた。メクラのアンマの方は生国に限定はない。

 明治になるとアンマの縄張りなぞという不文律は顧られなくなって、誰がどこへ開業しても文句がでなくなったから、つかみ取るのも容易な業ではなくなったが、それでも多くの弟子をかかえてつかみ取らせることができれば、アンマの師匠御一人は悪い商売ではなかったのである。

 弁内が住みこんでいる師匠のウチは、人形町のサガミ屋というアンマ屋サン。

 弁内の問わず語りの通り、師匠の銀一は小金持の後家のオカネと良い仲になり、株を買ってもらって開業したのだそうだ。その頃はまだアンマの株なぞがあったのだろう。開業当時は多くの弟子を抱えて盛大につかみ取らせていたが、次第に時勢に押されて、商売仇きが多くなり、今では弟子がたった三人。弁内の兄弟子の角平と、見習の稲吉の三人メクラだけである。

 銀一は小金持のオカネと結婚してアンマの株を買ってもらったが、メクラ以外の者には羨しがられもしなかった。オカネの顔は四谷お岩と思えばマチガイない。メクラ以外の男はものの三十秒以上は結婚していられないという面相だった。

 オカネの片目はつぶれていたが、完全なメクラではなかった。片目はボンヤリ見えるのである。

 二人の間に子供がなかったから、銀一の姪のお志乃を養女にした。十一に養女となって今では十九である。

 銀一は一文二文のことにまでお金にこまかい男だが、オカネはもッとこまかい。一文の百分の一ぐらいまで読みの深い計算をはたらかせている。

 お志乃は銀一の姪だが、養女に選んだ張本人はオカネであった。

 お志乃も片目しか見えなかった。もっとも、残りの一ツはオカネとちがってハッキリ見える目であった。

 オカネがお志乃を選んだのは、第一に片目しかないというのが気に入ったのである。片メクラと云う言葉もあるように、どうやら片目でもメクラのうち。アンマに仕立てることができる。アンマの稼ぎができないような養女はこまるが、全然メクラでもこまる。なぜなら、せっかく養女にもらうのだから、女中の代役がつとまらなければ意味をなさん。それには片目が見えなくては困るという次第で、見えない目ではアンマをやり、見える目では女中をやる。これがアンマの養女というものだ。

 お志乃は美人ではないが、まア、醜いという顔でもなかった。これもオカネの気に入った。女アンマの稼ぎは裏表と云って、裏の稼ぎもあるし、それはアンマの養女にとっても同じことだ。

 オカネの狙いたがわず、お志乃は変に色ッぽい女に育ちあがったから、オカネは旨を含めて、お客に手を握られたのを報告させ、その中からお金持の爺さんを選んで、特にサービスを差許す。そういう旦那が三人あった。

 銀一とお志乃は車にのって稼ぎにでる。車夫を抱えると月給がいるから、近所の車宿の太七という老車夫と予約し、二人のアンマ代には車代も含まれているという仕組みになっているのである。

 もっとも銀一が妾宅へ通うのも太七の車であるから、その車代もちゃんとお客が払うような復難な車代になっている。

 弁内は馬の鼻息をたてて仁助の肩をもみながら、例の問わず語り。

「師匠を悪く云いたかアないが、ウチの師匠夫婦ぐらいケチンボーは珍しいね。アンマと芸者屋は同じことで、女アンマと芸者は表むき主人の養女となっているが、ウチのお志乃さんは本当に後とり娘の養女なんだよ。その養女に三人も旦那をとらせて、まだまだ七人でも十五人でも旦那をとらせるコンタンさね。オカネの化け物婆アときたしにゃア、両手の熊手でカッこむことしか知りやしねえ。両手どころか両の足まで熊手さね。熊足かな」

 仁助の目がギラリと光ったとは知る由もないメクラの弁内、馬の鼻息を物ともせずに語りつづける。修練とは云いながら、鼻と口とを同時に器用に使い分けるもの。

「師匠にゃア妾もあるし、私たちには食わせないが、妾宅なんぞではずいぶんうまい物も食ってるらしいが、化け物婆アときたしにゃア私たちに隠してドンブリ一ツ取りよせて食ったこともないてえケチンボー婆アさ。だから私たちのオカズだって知れてるじゃアありませんか。力稼業の身体がもたないよ。外でチョイ〳〵高い物を食わなきゃアならない。そのくせ一文も金を貸しちゃアくれないね」

「ヘソクリをためているのか」

「ヘソクリどころじゃないよ。師匠に店をもたせて以来、モウケは二人で折半。アンマの株を買ってやったのが持ちだしだが、その何百倍とモウケたくせに、今でもそれを恩にきせて大威張りさ」

 そのとき、にわかに起った半鐘の音。スリバンだ。

「近いらしいね」

 諸方の家の戸や窓があいて、路上や二階で人々の叫び交わす声。弁内は慌てずあせらず、もむ手を休ませないから、

「火は近いようだが、お前のウチは遠いのかい」

「いえ、遠かないね」

「落ちついてやがるな」

「火事にアンマが慌てたって仕様がないよ」

「なるほど。それにしても、人情で慌てそうなものじゃないか」

「焼ける物を持たない奴は慌てないよ。チョイと慌てる身分になりたいやね」

 そこへこの商人宿の女中がかけこんで、

「弁内さん。火事はアンタのウチの近所らしいよ」

「そうかい。それなら、ここのウチでゆっくり一服しなきゃアいけない。うっかり目アキに突き当られちゃアかなわないからな」

「オレが見てきてやろう」

 仁助は立上り、女中からアンマ宿の所在をたしかめて、火事見物にでかけた。


          


 幸い風のない晩だから三四軒焼きこがして食いとめた。アンマ宿は通りを一ツ距てていたので、近火だったが、被害はない。

 弁内はヤジ馬や火消が退散して、深夜の静けさに戻るまで油をうって帰ってくると、オカネが銀一とお志乃に当りちらしている最中だった。

「ここんちじゃア人間の頭は六ツだが、目の玉は一ツ半しかないんだよ。その一ツはお志乃の顔についてるんだ。家財道具を運びだすにも、メクラどもの世話をやくにも、その目玉がタヨリじゃないか。火事が消えてヤジ馬も居なくなったころになって、ようやくノコノコ現れてくる奴があるかい。そッちのゲジゲジの野郎も唐変木じゃないか。ここはお前のウチだろう。本宅の四五軒先がボウボウもえてるてえのに、妾宅に火の消えるのをボンヤリ待ってるバカがあるかえ。テメエはメクラかも知れないが、車夫やトビの五人十人くりこませるぐらいの才覚がつかねえかよ。唐変木のゲジゲジめ!」

 なるほど、オカネ婆アの怒るのも一理はある。しかし、見習の稲吉はせせら笑って、

「うるせえ化け物婆アだなア。師匠とお志乃さんが戻るまでは、オレたちを散々ガミガミ云やアがったよ」

「メクラが火事場へ駈つけたって、ジャマになるばかりじゃないか」

「ナニ、駈けつける道理があるかよ。オレと兄弟子はお茶をひいてたんだよ。火事だてえと、婆アの奴のドッタンバッタン慌てるッたらありやしねえ。おまけに、オレと兄弟子に庭へ穴をほれと云やアがる。火の粉が降ってくるのに、穴なんぞ掘れるかよ。穴が掘れてないてんで、今の今までガミガミよ」

「ちっとも掘らねえのか」

「掘らねえとも。庭ッたッて、ここんちにゃア便所のまわりに猫の額ほどのものがあるだけじゃないか。そんな臭い土が掘れるかよ。なア、角平あにい」

 角平はフトンをひッかぶッて寝ていたが、

「真夜中に、むやみに話しかけるんじゃないや」

「オヤ? 隣りの部屋にイビキ声がするじゃないか」

「化け物婆アの甥の松之助よ。川向うから火の手を見て、火の消えたあとへ素ッとんで来たのよ。忠義ヅラする奴だ」

 と、ませた口で吐きすてるように言ったのは稲吉だった。

 松之助はオカネの妹の子供であった。お志乃のムコにどうかと云って、妹がしきりに姉に働きかけている若者であった。

 ところが、オカネ婆アはなかなかウンとは云わない。それどころか、せせら笑って、

「松之助は手に職があるかえ?」

「だからさ。私が甘やかして育てたばかりに、手に職がないから気の毒なんだよ。ここの養子になれば、大勢のアンマを使って、ちょうどいいじゃないか。指図ぐらいはできるじゃないか。目があいてるし、手も書けるよ」

「ウチのゲジゲジにひッぱたかれるよ。指図ぐらいできるたアなんだい。お志乃だって、片目があるし、手も書けらア。ウチのゲジゲジは働きのない人間ほどキライなものはないてんだよ。私がウンと云ったって、ウチのゲジゲジがききやしねえ。私にしたって、ゲジゲジに頭を下げてまで、ウスノロをムコにもらいたかアねえヤ」

「ちょッと! 松之助はウスノロじゃアないよ。目から鼻へぬけたところだってあるんだよ」

「よせやい。ぬけたところも、とは聞きなれないね。一ヶ所だけ目から鼻へぬけたてえ人間の話はきかないね」

「じゃア、なにかい。手に職をつけたら、松之助をもらッてくれるね」

「私ゃ知らないから、ゲジゲジに相談しな。ゲジゲジがウンと云やア、私や反対しないよ」

 むろん銀一がウンと云う筈はない。アンマのウチはアンマがつぐにきまったもの、と云うのが彼の断乎たる持説である。彼が常々その持説を主張するから、弟子のアンマもその気になっていた。角平が二十六。弁内が二十四。どッちも良い歳だ。ヨメでも貰ってよそへ間借りして開業しても、ケチンボーの銀一についてるよりはマシな暮しができる筈だが、ここのムコになれるかも知れないと思うから、ゲジゲジや化け物にガミガミ云われながら辛抱している。それは十八の稲吉にしても、そうだった。兄弟子は二人ながらバカヤローだから、こッちへ順が廻るかも知れねえと考えている。

「物を云う時には横を向け。手前の口は臭くッて仕様がないや。ヌカミソ野郎め」

 角平は日に一度や二度は銀一とオカネにこうどやされる。それでも歯をみがこうとしないのである。

 弁内の大飯オーメシ早飯ハヤメシは物凄かった。誰よりも素早く余計にかッこもうというコンタンだ。

「手前のゼニで腹のタシマエができねえかよ。一人前の若い者は、稼いだ金はキレイに使うものだ。唐変木め」

 と、オカネに年中怒られているが、それぐらいのことで弁内の早飯がのろくなったことはない。奴めは稀代の女好きで、アンマのくせに岡場所を漁るのが大好物なのだ。そのために年中ピイピイしているのである。

 稲吉は十八ながら要領がよかった。覚えもよくて、十五の年にはもう流しアンマにでるようになった。見習い中は笛をふいて流しにでるのが昔のキマリだ。奴めは五人お客をとると、今日は三人でござんした、と報告して二人分はうまい物を食ってくる。

 もっとも、これはどこの若いアンマもやることだ。けれども、要領が悪いから、みんなバレてしまう。彼らがバカなわけではなくて、どこのアンマの師匠もサグリを入れる天才をもっているからだ。五六十年も目のない生活をしていれば、その期間というものは他の感官をはたらかして常にタンテイしているようなものでもあり、カタワのヒガミがあるから人の何倍も多く深く邪推して、サグリを入れる手法には独特の熟練を持っている。

 銀一もサグリの名人だが、一方オカネ婆アは片目の半分を活用して、メクラどもに泥を吐かせる大手腕をもっていた。

「オヤ。お前の袖口にオソバがぶらさがッてるよ」

 なんて、メクラには何も見えないから、アノ手コノ手と攻めたてて、いつのまにやら泥を吐かせる。角平や弁内はいい齢をしながら今でもオカネ婆アのサグリにあうとコテンの有様である。ところが稲吉は、若いながらもこんなサグリにはかからない。

 その上、商法上のカンと要領が生れながらに発達しているから、上客を知りわけてサービスよろしく可愛がられるコツも心得ており、よその流しアンマの何倍もオトクイがあるのである。しかし上トクイがタクサンあるということなぞはオクビにだしたこともなく、稼ぎの半分は師匠にかくして使っているが、殆ど見破られていないのである。

 このように要領のよい稲吉だから、心の中では兄弟子どもをことごとくめきッていた。オレは十八、お志乃は十九。別に奇妙な組み合わせではない。角平だの弁内なんぞがオレをおいてお志乃のムコになれるものか、と内々思いこんでいた。

 ところが、ちかごろ風向きが変ってきた。

「腕がよくッて、気がやさしくて、利口で、広い東京にも二人と見かけることができないような若いアンマがいるが、お志乃のムコにどうだい」

 と云って、話を持ちかけてきた人がある。オカネと銀一が会ってみると、なるほど気立てのよいメクラだ。そして、腕もよい。

「腕と云い、気立と云い、顔かたちと云い、人品と云い、ウチの唐変木どもとは月とスッポンだよ。ウチの野郎どもときたひにゃア、どうしてこう出来損いが集りやがったのだろう」

 と、まずオカネがことごとく気に入った。そしてこのムコ話がだんだん具体化しつつあった。

 三人の弟子のアンマはよそのトンビに油揚をさらわれそうになったので驚いたが、お志乃と松之助はもッと困った。なぜなら、お志乃と松之助は良い仲になっていたからである。

 松之助の背後には母親がついている。母親がアイビキの指図をして、二人に智慧をつけているから、さすがのオカネも銀一もまだこのことには気がつかないが、松之助よりもむしろお志乃が熱くなっていた。

「メクラと一しょになるなんて、思ッてもゾッとするよ。ねえ、松さん。どうしたら、よかろうねえ」

「なんとか、ならねえか」

「なんとか、しておくれよ」

 と三ツの目玉を見合わせても、この二人には良い智慧が浮かぶ見込みもない。

 この晩も、旦那のところを早目に切りあげたお志乃が松之助とアイビキ中にジャンときた。火が消えてから二手に分れて、二人は何食わぬ顔、松之助の奴は、

「ヘイ、火事見舞いでござい」

 と図々しく、ついでに義理を果して、オヤ御苦労さん。おそいから、泊っておいで、と寝床をしいてもらい、奴めアイビキで疲れているから、良い気持にグッスりねこんでいるという次第であった。

「こんなウチは火事に焼けちまえばいいのに」

 と、弁内は呟きつつフトンをひッかぶり、

「長居は無用だ。この土地にゃア話の分る後家も芸者もいやしねえ」

「テメエの話は人間のメスには分らねえよ。北海道へメス熊の腰をもみに行きな」

 角平がねがえりをうって吐きだすように呟いた。


          


 なま暖い晩だった。長い冬が終ろうとして、どうやら春めきだしたころ有りがちな陽気。

「今晩は火事があるぜ。コタツでウタタ寝しちゃアいけねえよ」

 銀一が呟きのこして出ようとすると、

「ナニ云ってやんでえ。テメエのコタツを蹴とばしてお舟の股ぐら焦すんじゃねえや。ゲジゲジの唐変木め」

 オカネが怒鳴り返した。銀一はそれにはとりあわず、車にのって去った。患者からの迎えであるが、むろんそのあとでは必ず妾宅へまわるのが例であるから、出がけにこれぐらいのヤリトリは無事泰平の毎日の例にすぎないのである。

 銀一をのせて患家へとどけた車夫の太七、カラ車をひいて戻ってきて、待っていたお志乃をのせて去る。浜町の伊勢屋から昼のうちにお約束の口がかかっていたのである。伊勢屋の隠居はお志乃の旦那の一人であった。

 オカネは出ようとするお志乃の後姿に向って、

「一日二十四時間、夜も昼もアンマにゃア働く時間なんだ。一晩に旦那を一軒まわりゃア用はねえと思ってやがる。旦那なんて丸太ン棒はテイネイにさするんじゃねえや。いい加減にきりあげて、さッさと帰ってこい。テメエから身を入れてさすってやがる。助平アマめ」

 貧乏徳利の冷酒を茶ワンについでグイとあおりながら当りちらしている。これがオカネの唯一の人間なみのゼイタクだが、オカズはいつもオシンコだ。

 そこへ表の戸を叩いて、

「今晩は。オヤ。暗いね。もうおやすみですか」

「アンマのウチはいつも暗いよ。チョウチンつけて歩くアンマは居やしねえや」

「石田屋ですけど、弁内さん、いますか」

「弁内! いるかとよ!」

 オカネの吠え声に、二階の弁内、ドッコイショと降りてくる。

「石田屋さんだね」

「ええ。すぐ来て下さいッて」

「お客さんは、誰?」

「いつもの足利の人ですよ。ほかにもお願いしたい方がいるそうです。お願いします」

 と、商人宿石田屋の女中は帰って行く。弁内は二階で着替えながら、

「どうやらお座敷がかかったか。この節は流しでなくちゃア、ダメらしいや。師匠の看板なんざア、てんで物を云やアしねえや。ベラボーめ。腕自慢のアンマが流して歩けるかい。いよいよ東京もつまりやがったな」

「お名ざしで口がかかりゃア結構だ」

「ヘッヘ。チョイと御身分が違います」

 弁内は道具一式を包んだ物をぶらさげて、暗闇の階段を器用に降りて行く。出がけにハバカリへはいる。まだハバカリにいるうちに、又もや表の戸を叩く音。

「頼もう。アンマのウチは暗いな」

「目の玉があると思って威張りやがるな。暗いが、どうした。オカネの顔を見せてやろうか」

「化け物婆アめ。相変らず冷酒のんで吠えてるな。妙庵先生のウチの者だが、アンマを一匹さしむけてくれ」

「自分で脈がとれねえかよ、ヤブ医者野郎め」

 稲吉は流しにでているから、二階に売れ残っているのは角平ひとり。さッそく身支度して階下へ降りる。出会い頭に便所からでてきたのは弁内。

 待っていてくれた妙庵の代診仙友とともに三人一しょに外へでる。十時半ごろだった。四ツ角で、右と左に弁内と別れると、仙友は角平にささやいた。

「例の通り、よろしく、たのむぜ。先生のイビキ声がきこえるとオレはぬけだすから、患者が戸を叩いたら、今日は休みでござんすと断ってくれ。先生にわからねえように、な」

 仙友はオヒネリをだして角平のフトコロに押しこんだ。

 妙庵は持病の神経痛がおさまると、大酒のんでアンマをとってねむる。ふだん睡眠が足りないから、こういう時には正体もなくグウグウと屋根がゆらぐようなイビキをたててねこんでしまう。代診の仙友のほかには下男も女中もいない。ふだんコキ使われている仙友にとって、ゆっくり羽をのばしてくる好機であるから、妙庵のイビキ声とともに、後をアンマにまかせて一パイ飲みにでるのである。

 角平が到着すると、妙庵はサカズキをおさめて、ネマキに着替えて、横たわり、

「陽気がいいせいか、今夜は特別酒がしみるな。あんまり強くもんじゃアいけないぜ。軽く全身のシコリをほぐすように、ゆっくりと静かに、さするとみせてもむようなアンバイ式にもみほぐすんだよ。オレが自然に寝がえりを打たないのに、オレのカラダをヒックリ返しちゃアいけないよ。手のとどかねえ下の方にも手をまわしてもんでくれるのがアンマの親切というものだ」

 口うるさい妙庵、そうでもない、こうでもない、強すぎる、弱すぎると一々文句をつけているうちに、ゴオンゴオンと大イビキをかきはじめる。

 妙庵の夜食をさげて後始末を終った仙友、イビキ声にほくそ笑み、見える筈のないメクラの角平に目顔で別れを告げて、イソイソと立ち去った。

 彼の行きつけの一パイ飲み屋はオデン小料理の小さな縄ノレンの家である。その店でも大切にされるお客ではない。

 妙庵があんまりはやらないヤブ医者だから、その代診の仙友は、実は下男代りのようなもの。給料なんぞもイクラももらッちゃいないから、妙庵がアンマをとって眠る晩に、稀れに抜けだして一パイのむのが手一パイというフトコロ具合であった。それでも当の本人は女中のオタキに惚れて、せッせと通っているツモリなのであった。

 ところがその晩はオタキの情夫か何か分らないが、若い色男のお客のところへピッタリくッついたきり、オタキは仙友の方なんぞは振りむきもしない。

 四本五本とヤケ酒をひッかけて、そのたびごとに、

「オイ。オ代りだ!」

 大きな声で怒鳴っても、てんで相手にしない。

「チョッ。畜生め!」

 しかし、モウ、それ以上は軍資金がつゞかないから、

「覚えてやがれ。テメエだけが女じゃアねえや。アバヨ」

 と、外へでる。にわかに酔いがまわってきた。そして、それからどうしたかハッキリした覚えがないが、どうやら方々うろつきまわったようである。ころんだり、ぶつかったりしたようだ。

 けれども家へ戻ると、さすがにいくらか正気が戻ってくるのは、よっぽど妙庵先生が怖いのだろう。とは云え、酔っ払いの荒々しい動作が全然おさまりはしないから、

「シッ!」

 角平にたしなめられて、

「ヤ。角平か。すまねえ、すまねえ、どうも、長時間、相すみませんな」

 柄になく、あやまって、匆々そうそうに寝床にもぐりこんだ。彼が一パイのんで戻ってくるまで、患家の使いを撃退役にアンマをもみつづけてもらうのがいつもの約束であった。

 仙友が戻ってきたから、角平はさっそくアンマをきりあげて、立ち上る。外へでたが、まッすぐ家へ戻らずに、反対側の賑やかな通りへでて、仙友の行きつけの一パイ飲み屋のノレンをくぐった。

「一本つけて下さいな」

「オヤ、めずらしいね。たまには顔を見せなよ」

「ヘッヘ。不景気で、それどころじゃないよ。今夜はようやく二人目さ。おまけに一人は三時間ももませやがる。仙友の奴め、ずッとここに飲んでたんですか」

「仙友? アア、そうか。妙庵の代診か」

「それよ。私ゃあの野郎が抜けだして一パイ飲んで戻るまで、先生をもんでなくッちゃアならねえのさ」

「あの男はとッくにここを出たぜ。かれこれ二時間になるだろう。十二時ごろだったなア。オタキの奴が客と一しょに出て行くちょッと前だったな。あれから二時間もたったのに、オタキの奴め、いまだに戻ってきやしねえ」

「じゃア、もう二時になりますか」

「二時十分すぎだ」

「こりゃアいけねえ。タップリ三人前もませやがったか。道理で、腹がヘリスケだ」

 お酒を三本キューッとひッかけて、オデンを三皿。茶メシを二ハイかッこんで出た。もうその時は三時であった。

 家へ戻ると、土間には銘々の下駄をそろえておく規定の場所が定められているから、そこに自分の下駄を揃える。他の人の下駄を探ってみると、まだお志乃の下駄がない。目のない彼らは、こうして人々の帰宅を知り、最後に戻ってきた者が戸締りをすることになっている。

 弁内も稲吉もぐッすりねこんでいた。彼もフトンをひッかぶった。一足おくれて戻ってきたのはお志乃であった。お志乃が戸締りをした。お志乃はチョウチンをぶらさげて戻ってきたから、下駄を手でさぐる必要はない。彼女だけは燈りの必要な不自由な人間の一人であった。

 と、次に角平はけたたましい叫び声をきいた。お志乃の声だ。

「タ、タ、大変! 助けて!」

 やがてお志乃が高い山を登りつめたように息をきらして這い上ってきた。

「おッ母さんが殺されてるよ」

 報らせをうけて到着した警官がオカネの死体にさわってみると、もう冷くなっていた。絞殺されていたのである。


          


 オカネの寝床やアンドンは片隅にひきよせられ、部屋のマンナカのタタミがあげられ、ネダ板が一畳分そっくり一枚一枚外されて、ボッカリ大穴があいていた。泥のついた壺が一ツ穴のフチのタタミの上においてあったが、それは縁の下からひきあげたものであろう。壺のフタは外され、中味はカラであった。

 ほかに室内を物色した形跡がなかった。

 角平と弁内が仕事にでたのは十時半。そのときまでオカネは冷酒をひッかけ、相当よッぱらッていた。

 最初に仕事から戻ったのは弁内、一時ちょッと過ぎたころだ。彼はそれまで石田屋で、仁助のほかにもう一人のお客をもみ、お帳場でイナリズシを食べさせてもらッて帰ってきた。彼にはアリバイがあった。

 一足おくれて、稲吉が流しから戻ってきた。つまり、犯行は十時半から一時ごろまでの間であろう。

 三時すぎに角平が戻ってきた。一足おくれて、お志乃が戻ってきた。

 一時すぎから三時すぎまでの間にも戸締りのなかった二時間の空白がある。しかし、警官が駈けつけた午前四時にはオカネの死体はまったく冷くなっていたし、タタミやネダをあげるという大仕事を、耳さとい二階のメクラたちに知られずにやれるとは思われない。弁内と稲吉はしばらく寝つかれなかったというが、怪しい物音はきかなかったと言っている。

「六人家族と云っても、目玉は合計一ツ半しかないのです」

 と、新十郎を呼び迎えにきた古田巡査が報告した。

「一ツというのはお志乃。半分はオカネ。オカネの片目はボンヤリとしか見えないのです。そのオカネが殺されて、残った目玉はたッた一ツ。目玉のない連中のことですから、何をきいても雲をつかむようらしいですな」

「縁の下に壺が隠されていたこどは、一同が知っていたのですか」

「さ、それですが、あとの五人は一人もそれを知りません。主人の銀一すらも知らなかったと申しております」

「主人の銀一すらも?」

「そうなんです」

「それは、おもしろい」

 新十郎は呟いた。

 そして、支度のできた新十郎一行は人形町の現場へおもむいた。それはもう二日目で、一応の調査が終って、ネダもタタミも元におさまり、何事もなかったようになってからだ。

 その日は葬式で、身内の者はオカネの遺骸を焼きに出払っており、三人の弟子のメクラだけが留守番をしていた。

 新十郎一行はメクラ三人と一しょにスシを取りよせて食べながら、

「目の見えない人はカンが良いというが、あなた方には、隣室なぞに人の隠れている気配などが分りやしないかね」

「そのカンは角平あにいが一番あるが、私らはダメだね」

 弁内が答えると、角平が口をとがらせて、

「オレにだって、そんな、隣りの部屋に忍んでいる人の姿が分るかい。バカバカしい」

「ハッハ。見えるようには、いかねえや。だが、あにいには大がいのことが分るらしいね。化け物婆アも、お志乃さんも、そう云ってるよ。石頭で、強情ッぱりだが、メクラのカンだけは薄気味わるいようだ、とね」

「バカにするな」

 角平が真剣にムッとしたから、新十郎はとりなすように話をかえて、

「あなた方の御給金は?」

「給金なんてものはありませんや。四分六の歩合ですよ。私らが四分で。もっとも、稲吉は見習だから、稼ぎはそッくり師匠の手にとられます。この節はどの町内もアンマだらけで、もう東京はダメでさア」

 弁内は相変らずオシャベリだった。

「オカネさんの晩酌は毎晩のことかね」

「ヘエ。左様で。私らに食事をさせてから、独酌でノンビリとやってるようで、独酌でなきゃア、うまかアないそうですよ。師匠がウチにいても、師匠に先に食事をさせて、それから一人でやってまさア。もッとも、師匠はいけない口ですがね」

「晩酌の量は?」

「一晩に五ン合とか六合てえ話だなア。キチンときまッた量だけ毎日お志乃さんが買ってくるんで、誰もくすねるわけにいかねえというダンドリでさア。それをキレイに飲みほして、お茶づけをかッこんで、ウワバミのようなイビキをかいて寝やがるんで」

「婆さんは毎晩いつごろやすむのかえ」

「こちとら時計の見えねえタチだから、何時てえのは皆目分りやしねえや。酔ッ払ッて、ガミガミうるさく鳴りたてやがると、そろそろお酒がなくなるころで、あの晩は私らが仕事にでるころ、そろそろ茶づけが始まってたね。私やハバカリにしゃがんでるとき婆アが茶づけをかッこみだしたのを聞きましたよ」

「すると、あなた方が仕事にでると、まもなく婆さんは眠ったわけだね」

「たぶん、そうだろうね。茶づけを食ッちまやがると、たちまちウワバミのイビキでさア。私らには分らないが、なんでも片目をカッとあけて眠ってやがるそうで。怖しいの、凄いの、なんの。二目と見られやしないという話でさアね」

 一人ペラペラまくしたてるのは弁内だけだった。

 今とちがって火葬の設備が悪いから、夜分にならないと家族たちは戻らない。新十郎一行は一廻りして、一同のアリバイを確かめることにした。表へでると、通りを距てて、筋向うが焼跡だった。

「この火事は近頃のものらしいですね」

「十日か、十二三日も前でしたか。夜中の火事でしたが、風がなかったので、運よくこれだけで食いとめたそうです」

 と、古田が新十郎に答えた。

 アンマ宿から一番近いのは妙庵のところ。三四十間ぐらいのものだ。角平のアリバイはハッキリしていた。

 仙友はいかにもお医者然と取りすまして、

「私が迎えに参りまして、それからズッと角平はここに居りました」

「十時半から三時まで、たったお一人の方をもみつづけたのでしょうか」

「軽く、やわらかく、シンミリと。これが先生のおもとめのモミ療治で。持病がお有りですから、特別のモミ療治を致すようで」

 石田屋へ行った。弁内を呼びに行った女中が答えて、

「アンマをよんでくれと仰有おっしゃったのは、足利の仁助さんというチョイチョイお見えになる方です。お泊りの時はたいがい弁内さんをお名ざしで呼ぶのです。仁助さんのあとで、もう一人の方をもみましたが、このお客さんはこの日はじめてお泊りの大阪の薬屋さんとか云ってた方です。アンマをよぶなら後でたのむとお約束して仁助さんの済むのを待ってもませたのです。二人とも堅い肩でめっぽう疲れたと弁内さんはコボシていましたよ。ちょうどお帳場に残り物のイナリズシがあったから、弁内さんはそれをチョウダイして、帰りました」

 これもアリバイはハッキリしていた。

 流しの稲吉にもアリバイがあった。彼は十時ごろ清月というナジミの待合へよびこまれて、十時から十一時ごろまではお客を、十一時から一時ごろまでは待合の主婦をもみ、夜泣きウドンを御馳走になって帰った。

「あのアンマは小僧ながらもツボを心得ていて、よく利くんですよ。チョイチョイよんでやるもんですから、とてもテイネイによくもんでくれます。帰りがけにウドンやオスシなど食べさせてやりますから、それを励みに心をこめてもんでくれるんですよ。子供は可愛いものですね」

 と、稲吉はここで大そう評判がよかった。

 お志乃のアリバイもハッキリしていた。伊勢屋に三時ごろまで居たことは確かであった。伊勢屋の隠居は正直にこう打ちあけた。

「私はアレに情夫イロがあることを知っていますよ。約束の時間を時々おくれたりして、ムリな言いのがれをするのです。しかし、あの晩だけはマチガイなくここに居ました。十時から朝方の三時ごろまで、私の相手をしていたのです」

 銀一のアリバイはさらに動かしがたいものがあった。彼は警察の署長官舎へ招かれて、病気でねている署長の母をモミ療治し、そこへ出先からおそく帰ってきた署長が一ツたのむと云うので、これを一時ごろまでもんでいた。それから妾宅へ廻ったのである。

「流しの犯行ときまったね」

 と、虎之介が軽く呟くと、新十郎は笑いながら、

「犯人はオカネをしめ殺したのち、フトンやアンドンを片隅へひきずりよせて、部屋の中央のタタミとネダをあげて、壺をとりだして金を盗んでいるのですよ。ほかのところには全然手をつけずに、ね」

 彼も軽く呟いた。


          


 一同は夜分になるのを待って再びアンマ宿へ行ったが、家族たちはまだ戻ってこない。ちょうど弁内が仕事にでようとするところだった。

「大そう精がでるね」

「ヘッヘ。腕が物を云いまさア。お名指しのお座敷でござい、とくらア」

「石田屋かい」

「アレ。旦那も大そうカンがいいね。もっとも、ほかにお名ざしの口てえのはないからね。人殺しがあったてえから、話をききたい人情もあらア。物見高いものさ。昨日今日はウチの前が人ダカリだってネ。あの旦那は火事の晩、ちょうど私があの人の肩をもんでる最中だったが、火事はウチの近所だてえと、メクラの私の代りに火事見舞いに行ってくれたよ。これも大そうなヤジウマさ」

「手伝いに来てくれたのかえ」

「まさか、それほどでもないでしょう」

 すると、稲吉が頓狂な声をあげた。

「そう云えば、その人は、たしかに、来たぜ。なア。角平あにい。石田屋の者だが、メクラばかりで手が足りなけりゃア、手伝ってやるが、どうだ、と云って、表の戸をあけて声をかけた人があったよ。そのとき、下火になった、下火になった、てえ人々の叫び声がどッとあがったから、下火になったらしいじゃありませんか、と訊くと、しばらくカマチへ腰かけて話しこんで戻って行ったね」

弁「オレにはそんな話はしなかったが、それじゃア本当に寄ってくれたんだなア」

新「あの晩はメクラばかりで困ったろう」

稲「いえ、困ったのは婆アばかりで。あの婆アのドッタンバッタン慌てるッたら有りゃしねえな。たしかにタタミもあげていましたぜ。そのときウチに居たのは婆アのほかには、私と角平あにいだが、婆アの奴め、庭へ穴を掘れと云やアがる。表は一面に真ッ赤じゃないか。メクラにも火の色ぐらいは分らア。おまけに火の粉は降ってきやがる。穴なんぞ掘ってられやしない。とても庭に立ってられやしないよ。コチトラは焼けて困る物がないから、落ちついたものよ。イザといえば逃げられるように、出口に近いところで、外の様子をうかがっていたね」

新「婆さんがタタミをあげているとき、石田屋の人が居合わしたかえ」

稲「さア。どうかねえ。下火になったころは、婆アもどうやら落ちついたようだ」

新「その人は部屋の中へ上らなかったかね」

稲「上りやしません。私らがカマチの近いところに居たのだから、その人はカマチに腰をかけたぐらいで、中へ上るわけにはいかないね」

新「それじゃア、あなた方は婆さんの逃げ支度のお手伝いはしないんだね」

稲「致しませんとも。メクラはそんな器用なことはできませんや」

新「そのほかに誰か手伝いに来た人はありませんか」

稲「こんな因業なウチへ手伝いにくるバカは居ねえや。もっとも、とっくに火が消えてから婆アの甥の松之助がきて泊って行きましたよ。一足おくれて、お志乃さんと師匠が戻ってきました」

 弁内は話の途中から仕事にでかけた。その姿が見えなくなると、新十郎は話をきりあげた。外へでると、

「いろいろなことが分りかけてきましたね。足利の仁助という人の隣りの部屋が空いていて、弁内との話がききだせると面白いが」

 新十郎がこう呟くと、古田巡査が、

「私が石田屋の主人にたのんで、やってみましょうか」

「では、そうして下さい。私たちは角平が夜更けの三時ごろ一パイのんで食事したというオデン屋でお待ち致しております」

 新十郎らは古田に別れて、その一パイ飲み屋のノレンをくぐった。ちょうど夕食の時間ではあるが、この辺はお店者たなものの縄ばりで、彼らはお店で食事をいただくから、こういう飲み屋を利用するのは夜更けに限るらしく、あんまり客はいなかった。

 こんな所でなんとなく話をひきだすのは田舎通人が巧妙であった。彼は二三杯でもう赤く顔をほてらせながら、

「二日前のことだが、この先の清月てえ待合でオレがアンマをとっていたと思いなさい。ちょうどその時刻に、アンマのウチで婆さんが殺されていたそうだ」

 オデン屋のオヤジがふりむいて、

「へえ、そうですかい。あすこのアンマはウチへもチョク〳〵見えますが、旦那をもんだてえのはどのアンマで」

「十七八の、まだ小僧ッ子よ。しかし、ツボの心得があって、器用な小僧だ」

「あの小僧ですか。あれは目から鼻へぬける小僧でさア。婆さんが殺された時刻てえと、いつごろでござんす」

「チラと耳にしたところでは、十一時から一時ごろの間だそうだが、その時刻はちょうどオレが小僧にもませていた時さ」

「その時刻かねえ。あの晩は、二時すぎごろに、ウチへも一人見えましたぜ。角平という一番齢をくッたアンマさ」

「そう、そう。そのアンマもオレがゆうべ清月へよんで肩をもませたよ。マッコウくさいお通夜の晩だから、よろこんで、もみに来たな。こッちは話がききたくてよんだんだから、いろいろきいたが、敵はメクラだから、要所要所は一ツも知らないねえ。ちょうど人殺しの時刻には妙庵先生をもんでたそうだ」

「そうでしたねえ。その帰りにウチへ寄ったんだそうですよ。三時間の余ももませやがったとブツブツ云ってましたがね。その晩は妙庵先生の代診の仙友がウチへのみに来てるんです。仙友の奴、アンマに先生の肩をもませておいて抜けだすのだそうで。先生はアンマにかかると高イビキでねこんでしまう。そこで、あとはアンマにまかせて抜けだす。患者のウチから迎えがくると、今日はアイニク先生は不在でとアンマに断り口上を云ってもらう。その約束だから、アンマは仙友の奴が一パイキゲンで戻ってくるまで先生をもんでいなきゃアいけないそうで。仙友の奴はその晩ウチの女中にふられやがったもんで、中ッ腹で十二時ごろどこかへ消えてしまやがったが、ウチの女中もその晩、男とドロンでさア」

 話がさッぱり分らない。

「仙友とここの女中がドロンかい?」

「いえ、そのとき情夫イロが店に来ていたもんで、仙友はふられの、女中はそのまま男とドロン」

「ふられの、ドロン? ふられた方がドロンじゃないのか?」

 新十郎はふきだして、立上った。

「私はお酒がのめない気持になったから、ちょッと頭をひやして来ますよ」

 と外へでた。一時間ほどすぎて、新十郎は戻ってきた。まもなく古田も現れたから、一同そろってオデン屋を出た。

「古田さんの方は、どうでしたか?」

「石田屋の主人にたのんで、幸い隣室が空いていたから忍ばせてもらいましたが、やっぱり仁助はあの晩の様子がききたいのですねえ。根ぼり葉ぼり訊いてましたが、相手がメクラのことですから、仁助の知りたいところに限って弁内がまったく不案内というワケなんです」

「たとえば、どんなところが……」

「たとえば、オカネは燈りをつけてねていたか。ふだんは燈りをつけているか。その晩は燈りがついていたか」

「わかりました」

 新十郎はうなずいたが、その目は驚愕のために大きく見開かれていた。

「実に天下は広大だ。怖しいものですよ。一足おくれれば……」

 彼は何事かをはげしく否定するように首をふって口をつぐんだ。やがて気を取り直して、

「私は妙庵先生のところで、オデン屋のオヤジの言葉が正しいのを確かめてきましたよ。仙友さんは仲々うまい抜けだし方をあみだしたものだ。あの方はアンマのくる日でなければ抜けだせないのですよ。なぜなら、その晩だけ、先生はお酒をのんでグッスリ眠るが、ふだんは夜更けまで目玉をギラギラさせている習慣だからですよ。そしてアンマにもまれている時仙友さんが外でお酒をのんでることを妙庵先生は全く御存知ないのです」

「十二時頃女中にふられてオデン屋を立ち去ってから、彼はどこをブラついていたのですか」

 花廼屋はなのやがこう訊くと、新十郎は首をふって、

「さア、それがとりとめがないのです。諸所方々をうろつきまわっていたようだが、ハッキリ覚えがないと云うのですよ」

 一同は、またアンマ宿へ戻ってきた。まだ家族たちは戻っていない。角平の姿も見えなくて、稲吉がただ一人ションボリ留守番をしているだけだ。

「日が暮れると、にわかに注文殺到でさア。物見高いんだねえ。ふだんは一晩に三口か四口も口がかかりゃアいい方なんですよ。私も人殺しのウチに留守番なんてイヤだから、仕事にでたいが、家を明けて出るワケにもいかないから、困ってるんだよ。留守番を代って下さいな」

「もう、ちょッとの辛抱だよ」

 新十郎はズカズカ上へあがって、

「間取りのグアイを見せておくれ。ここは二軒長屋だね。典型的な二階建長屋づくりだ」

 彼は階下階上ともにテイネイに一部屋ずつ見てまわり、台所も、便所も、便所の前の三坪ほどの庭も、眺めて廻った。特にオカネの殺された部屋では中央のタタミをあげ、ネダの板を一枚ずつ取りのぞいた。どの板も元々クギを打った跡がなかった。

 この日の彼の調査は、それで終りであった。彼らは帰途についた。

「銀一とお志乃に会うのは明日にしましょう。急いで会う必要もありますまい。家族は六人、目は一ツ半。古田さんでしたね、そう仰有ったのは。見える方の一ツ半を考えるよりも、見えない方の十半を考える方が重大かも知れない。しかし、まだ私には分らないことが一ツある。それをやッぱり私自身が頭の中で突きとめなければ意味をなさない」

 新十郎の思いつめた呟きをきいて、花廼屋も虎之介も古田巡査も呆然また呆然の顔々。

 虎之介は血を吐くような深所からフワフワした声をふりしぼって、

「バ、バカな」

「ナニがですか」

「犯人が判ったわけじゃアないだろう」

「犯人は判っております」

「春さきはフーテンがはやるものだね」

 新十郎はクツクツ笑って、

「明日、正午に私の書斎に落合いましょう。そして、人形町へ参りましょう。犯人を取り押えに。もっとも泉山さんは、氷川町から人形町へ直行なさる方が近道ですね。では、おやすみ」(ここで一服。犯人をお考え下さい)


          


 海舟の前にかしこまって、すべてを語り終って後も、虎之介のフクレッ面はとがッたままだった。昨夜の別れ際に、氷川町のことまで新十郎に先廻りして云われたのが癪にさわって堪らないからである。

 海舟はナイフを逆手に後頭部の悪血をしぼりとり、それを終って、左の小指の尖を斬った。ポタリ、ポタリ、と懐紙にたれる血を見るともなく考えふけっているようであったが、ふと顔をあげて、虎之介のフクレ面をからかった。

「虎は大そうムクレているな」

「よくお分りで」

「誰が見ても、よく分らアな。だが、ムクレているワケを言ってやろうか」

「そこまで見破られるほどのバカではござらん」

「犯人が皆目分りやしないからよ。まるッきり分らなくッちゃア、ムクレの他に手がねえやな。概ねムクレて一生を終る面相だぜ」

 せッかく悪血をしぼりながら、こんなことを言っているのは、海舟も概ね犯人が分らないせいではないかと疑いたくなる。しかし悠々綽々しゃくしゃくとして、一向にムクレた様子がないのは、そこが凡人と偉人の差かも知れない。あんまり見上げた差ではない。要するに、海舟先生、苦吟の巻であった。海舟は小指の悪血をしぼり終って、静かに語りはじめた。

「犯人は足利の仁助さ。六人家族に目が一ツ半。この理に着目すれば謎はおのずから解けらアな。新十郎の云うように、ほかのことには手をつけずにタタミとネダをあげて壺を取りだした犯人は、かねて壺の在りかを知る機会にめぐまれた奴にきまッてらアな」

 虎之介が益々ムクれてさえぎった。

「軽率でござるぞ。オカネが人々の不在を見すまして壺を取りだして中を改めている所へ賊が忍び込んで参ったのかも知れませんぞ」

「虎にしちゃア、できたことを言うじゃないか。だが、オカネがネダをあげたにしちゃア解せないところが一ツあるのさ。タタミ一枚分のネダがそッくりあがっていたそうじゃないか。壺を隠した当人がネダをみんなあげるようなムダなことをするものかえ。また、壺を改めている最中に賊が現れた際には、格闘の跡もなければならない道理だよ。オカネは寝こみを襲われているぜ。非力とは云え因業婆アが目をさまして盗ッ人を迎えたならば、鵞鳥どころの騒ぎじゃすみやしねえやな」

 この反駁は明快だった。さすがに海舟、虎之介とちがって、全てのことが一応整理された上での結論なのだ。虎之介はムクレたままうなだれて、返す言葉もない。

「火事見舞いにでむいて、はからずもオカネのヘソクリの在りかを見てとった仁助は、弁内をおびきだして肩をもませつつオカネが酔って熟睡のこと、他の五名が出払って無人のことを確かめ、弁内に後口のかかったを幸いに、ひそかに忍びでてオカネを殺し、金を奪ったのさ。あとで弁内に現場の様子を根ぼり葉ぼり訊きただすのは古い手だ。物見高いヤジウマのフリをしてみせるためと、また一ツには己れに不利な証拠を落しやしなかったかと不安にかられての自然の情というものさね」


          


 虎之介は人形町へ直行した。新十郎の図星のようになってしまって、何から何まで癪にさわるが、時間がないから仕方がない。

 しかし、見事な反駁のあとの推理だから、時がたつにつれてその爽快さがしみてくる。馬を急がせているうちにムクレは落ちて、胸がふくよかになってきた。

「さすがに天下の海舟大先生だなア。オレとしたことが海舟先生に反駁なぞとはゴモッタイもないことだ。しかし、先生も話せるなア。虎にしちゃアできたことを言うじゃないか、とおいでなすッたぜ。アッハッハ。居ながらにして全てタナゴコロをさすが如し、それに比べると、あの若僧のフーテン病みは……」

 新十郎一行はアンマ宿の前で馬のクツワを押えていた。虎之介は馬から降りずに、

「こんなところに立っていたって仕様がないぜ。石田屋へ行かなくちゃア、ラチがあかないよ」

 新十郎は笑って答えた。

「仁助は朝早く足利へたちましたよ」

「シマッタ! 一足おくれたか。それ、足利へ。オレに、つづけ」

「お主は馬よりも泡をふくねえ。馬をのせて足利へ走るツモリだな」

 と、花廼屋が虎之介をからかった。

 そこへ古田巡査の案内で到着した警官の一行。一同そろってアンマ宿へはいった。

 主人銀一、養女お志乃、弟子が三名。オカネの妹オラクとその子松之助が来合わせていた。

 せまい部屋に一同が着席すると、新十郎は家族の者を見まわした。メクラ一同オモチャの鳩のように無表情でハリアイがないことおびただしい。

「全てのことを推理したいと思ったのですが、一ツのことは今もって見当がつかない。メクラは、盗んだ物をどこに隠すか。たぶん、身から離すことを非常に怖れる気持が強いに相違ないが、しかし、目アキの気附かない隠し場所に確信があれば……」

 新十郎は呟いたが、微笑して云った。

「もしも私たちの来訪に怖気づいて捨てたのでなければ、たぶん身につけているのではないでしょうか。古田さん。角平のカラダをしらべてごらんなさい」

 角平は慌てて色を失った。古田と花廼屋がとり押えたが、必死の抵抗は目アキとちがってキリがないほど凄まじいものだった。

 着ているものの一番下に、シッカと肌につけた札束の包みが現れた。角平は巡査によって引き立てられてしまった。

 新十郎は語った。

「この犯人はほかの物には手をふれずにまッすぐにタタミとネダをあげて壺をだしているのですから、そこに壺のあることを知る機会に恵まれた者にきまっていますが、またメクラでなければならない理由があったのです。オカネの寝床と一しょにアンドンも片隅へ寄せられていました。アンドンをつけて物を探す必要のない犯人だったからでしょう。しかも、ネダはタタミ一枚分そッくりあげてありました。光と目を利用することができる人なら、こんなムダをする必要はありません。また縁の下から取りだした壺は、その縁の下からとりだしたタタミのフチで、フタをあけたり中味をとりだしたりされていました。これもクラヤミで処理されたことを示しています。全てがクラヤミで処理されたことを示しているにも拘らず、現場は実に整然として、クラヤミにつまずいてひッくり返した物品すらもないのです。クラヤミの動作に熟練した者でなければ、よそのウチへ忍びこんで人殺しをして、タタミやネダをあげながら、こんなにムダのない仕事の跡をのこせるものではないでしょう。しかもいつ誰が戻ってくるか分らない限られた時間のうちの仕業なんですから」

 新十郎は虎之介の方を見た。彼はムクレて大目玉をむきながら、うつむいた。新十郎は語りつづけた。

「オカネは結婚後も良人おっとと財産を別にしていました。それほど己れの貯蓄を熱愛する者が人に知れるところへ金を隠しておく筈はありますまい。しかし、いかに要心深いオカネでも、度を失って隠し場所をさらけだす場合がありうるのです。その最もいちじるしい例が近火の場合です。まさしくオカネはドッタンバッタン慌てふためいてタタミをあげネダをあげました。そのときここに居合せたのは角平と稲吉でした。角平は石頭にも拘らず無類にメクラのカンがよかったそうで、よほど耳が発達しているのかも知れません。彼はこうして偶然にもオカネの貯金場所を突きとめる機会にめぐまれました。その上、人形町はアンマがふえて仕事が少くなり、お志乃のムコも殆ど定まってしまったから、ここを立ち去る自然の時期もきている。いつヒマをとっても人に疑われる怖れがないのだから、行きがけのダチンに、とさッそく機会を狙いはじめたのでしょう。あの晩はその絶好の機会でした。銀一は妾宅へ、お志乃は旦那のところへ、二人の帰宅はおそいにきまっています。流しの稲吉は一時すぎなければ戻ってこないし、自分と一しょにここを出た弁内はいつものお客のほかに後口もあるという。これもタップリ二時間あまりは戻る筈がない。しかも彼自身がよばれた先は、妙庵はいったん眠りこむと正体もなく、また仙友は自分に後を託して居なくなるというオキマリのところです。オカネは彼の出がけにはすでに茶づけをかッこんでいたから、妙庵よりも先にねこむに相違ない。そこで、妙庵がねこみ、仙友が抜けだした後に彼もそッと抜けだして、ここへ戻ってきてオカネを殺し金を奪って肌身につけ、何食わぬ顔で妙庵のところへ戻ってもみつづけていたのでしょう。こんなときに、妙庵がふと目をさましても、その目をさましている時間は長いものではないし、程へて再び目をさましても、前後の目覚めにハッキリしたレンラクや時間の距離の念があるものではありませんから、ちょッと便所へ行っておりまして失礼しました、と云えば、ああ、そうか、ですんでしまい易いものです。酔っ払いをねむらせておいて一時間ぐらい遊んできて再びもみつづけてもたいがいは分るものではないのです。もっとも、一部分だけもんで手をぬくと、敏感なお客には目がさめてのち、もまれたところと、もまれないところがハッキリ区別がつくそうですが、角平は再び戻ってきて、それからタップリ二時間ももんでいたのですから、妙庵は彼が中座したことを全然気がついていないのです。角平は非常に巧妙に自分がメクラであることを利用して事を行いましたが、あんまり巧みにやりすぎたので、犯人はメクラであろうという証拠まで残してしまった始末なのでした。あんまり巧みにやりすぎるのも、良し悪しですよ」

 と、新十郎は語り終って、微笑した。


          


 海舟は虎之介の報告をきき終ってのちも、しばし余念もなく悪血をとっていたが、

「なるほど。メクラがアンマの途中に中座して人を殺してきたのかい。石頭のメクラには、目をさましている目アキの心は分らないが、もまれてグッスリ寝こんだ人間の動勢は手にとるように心得があるという、大きに有りそうなことだ。石頭のアンマなんぞとバカにしてかかッちゃア、目アキがドジをふむことになる。道によって賢しさね。大そう勉強になりましたよ」

 虎之介は素直な海舟が気の毒になって、云った。

「あとで結城さんがひそかに語ったことですが、足利の仁助が根はり葉ほり部屋の燈りのことを訊いたのはメクラの犯行と狙いをつけての詮議だろうとのことでした。そこを詮議するというのも、奴めがオカネの虎の子を狙っていたせいであろうとの話でした」

「余計なことだ」

 海舟はつまらなそうに呟いた。

底本:「坂口安吾全集 10」筑摩書房

   1998(平成10)年1120日初版第1刷発行

底本の親本:「小説新潮 第六巻第五号」

   1952(昭和27)年41日発行

初出:「小説新潮 第六巻第五号」

   1952(昭和27)年41日発行

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※表題は底本では、「明治
開化
安吾捕物」となっています。

※初出時の表題は「明治
開化
安吾捕物 その十六」です。

入力:tatsuki

校正:松永正敏

2006年523日作成

2017年525日修正

青空文庫作成ファイル:

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