明治開化 安吾捕物
その十二 愚妖
坂口安吾
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近ごろは誰かが鉄道自殺をしたときくと、エ? 生活反応はあったか? デンスケ君でも忽ちこう疑いを起すから、ウカツに鉄道自殺と見せかけても見破られる危険が多い。けれども明治の昔にこの手を用いて、誰に疑われもしなかったという悪賢い悪漢がいたかも知れない。法医学だの鑑識科学が発達していないから、真相を鑑定することができないのである。指紋が警察に採用されたのが明治四十五年のことだ。
ところが犯人にしてみると、科学の発達しない時の方が、かえって都合が悪いようなこともあった。その当時は世間の噂、評判というようなものが証拠になりかねない。殺された人物と誰それとは日頃仲が悪かった、という事だけでも一応牢へぶちこまれるに充分な理由となる。だから当時の犯人はアリバイがどうだの、血痕がどうだのということよりも、ふだん虫も殺さぬような顔をして行い澄ましているのが何よりの偽装手段であった。ホトケ様のような人が人を殺したり、孝行息子が親を殺す筈はないと世間の相場がきまっているから、そういう評判の陰に身を隠すぐらい安全な隠れ家はない。殺した人間を遠方へ運んで行って自殺に見せかけるような手間をかけても、評判が悪ければ何にもならない。
ところが、ここに、草深い田舎のくせに珍しい偽装殺人事件が起った。しかも、鉄道自殺と見せかけたものだ。
現代の皆さんは、ナンダ、珍しくもないじゃないか、と仰有るかも知れないが、当時はケゴンの滝へ身を投げるという新風に先立つこと十数年、まして三原山や錦ヶ浦は地理の先生でも御存知ない時の話だ。
すべて新風を起すとは容易ならぬことで、ケゴンの滝や三原山に狙いをつけるのも教祖の才によるらしい。死ぬについてもタタミの上や月並なところはイヤだ。死神につかれたギリギリのところで、こういう慾念を起すのはアッパレな根性で、風雅の道にもかなっている。そこで彼の発見した手口が先例となって後に続く無能の自殺者がキリもないとなれば、彼を教祖、開祖と見立てて不都合はなかろう。
ところが、鉄道自殺の開祖はハッキリしませんナ。明治の新聞をコクメイに調べれば、第一号を突きとめるのは不可能ではなかろうが、その名が喧伝されていないのは、その手口の発見が教祖の名にかなうほど卓抜なものと認定されないせいかも知れない。なるほど、そう云えば、遠い国から志を立ててケゴンの滝や三原山へ身を投げに行く人はあるが、鉄道自殺の方はその土地に有り合せだから、これで間に合せようという性質のもので、汽車の通らぬ山奥の人が、オレはどうしても鉄路を枕に死にたいと云ってハルバルでかける性質のものではないらしい。
現代人は自殺好きだが、昔の人は自殺ギライである。もっとも、自殺する人間は昔も今も変りなく存在したのだが、自殺しない人間の趣味として、現代は自殺好きだが、昔の人は自殺ギライというわけで、ケゴンの滝や三原山だと遺書もあるし飛びこむところを見た人もいるから、いかに自殺ギライの昔の人でも、これを自殺でないとは云えない。ところが鉄路の場合だと、うッかり汽車にひかれた、という。ふだんボンヤリしてる奴だから、とうとう汽車にひかれやがった、ということになる。
誰も鉄道自殺というような概念を持たない時代に、鉄道自殺を偽装した殺人事件が起った。ちょッと妙な話のようだが、調べてみれば、その必然性はあった。──そのタネあかしをしてしまうと話にならない。しかし、鉄道自殺を偽装した殺人事件としては、これが日本最古のものであろう。
轢死体のあった場所は、昔の東海道線、国府津と松田の中間。今の下曾我のあたりだ。そのころは下曾我という駅はなかった。今の東海道線小田原、熱海、沼津間ははるか後日に開通したもので、昭和の初期はまだ国府津から松田、御殿場と、富士山麓を大まわりしていたものだ。
この下曾我というところは、今では小さな駅があって、国府津駅の次である。曾我五郎十郎ゆかりの地。戦後は尾崎一雄先生がこの地で病を養っている。彼の先祖伝来のふるさとである。病気で出歩けないし酒ものめないから、ラジオをきき雑誌をよみ、居ながらにして間に合うものの中にアラはないかと耳目をといでいる。
これもタンテイと云うのであろう。居ながらにして敵のアラを見破るのだからタンテイであるが、彼は本来浮浪を性とする人間で、早慶戦のラジオをきくのは彼の生れつきの仕事ではない。彼はいくつになってもラジオ応援歌の中にまじりこんでるシャガレ声の一ツなのである。万やむを得ず一室にこもって耳目をといでいるのだから、本来の名探偵とは違う。けれども甚だ退屈しているから、村に事あればジッとしていられずヤオラ起き上って指図をやきたがるが、根がタンテイの才がないから悪賢い犯人はつかまらない。彼がまだ生れないうちにこの怪事件が起ったのは下曾我村の慶事であった。
轢断された屍体は首と胴と両脚とがバラバラになって翌朝発見された。轢断した汽車の運転手から報告がなかったから、何時の汽車にやられたのか、電話もない時世のことで、それを調べるだけでもヤッカイなことである。とにかくバラバラの屍体のころげている方向によって、下りの汽車がひいたことだけは分っている。下りの夜汽車は国府津発午後七時十分という神戸行が一ツ。そのあと貨車が一度通っているだけだ。
調査の結果、神戸行の客車の方だということが車輪の血シブキで分ったが、この運転手は非常に臆病な男で、いつ轢いたか、知らぬ存ぜぬで押し通してしまった。ガタッという大きなショックに、見習いのカマタキの少年が、ハッと運転手をふりむいて、
「なにか、ひきましたぜ」
ときくと、運転手は言下に強く否定したが、その顔はまッ蒼だった。それから神戸へ着くまでというもの、少年がプラットホームへ一足おりると、
「オイ。どこへ行く?」
ときいて、少年が便所へ行けば彼も一しょに行き、決して一人だけ取り残されないように必死につとめる様子であったという。そして当局の取調べにも、徹頭徹尾知らぬ存ぜぬ、気がつきませぬ、で押し通した。彼の臆病は有名だったし、彼に罪があるわけでもないから、それで通った。これも運転手君同様物を言わぬが車輪にハッキリ証拠がある。そこを汽車が通るのは午後七時二十分だ。日がくれて四十分くらいしかたたない時刻である。そこは踏切とちがって人家からも道路からも離れていて、まちがって轢かれるのは腑に落ちないところがあった。
死んでいる男はこの村の人間ではなかった。式根楼という小田原の遊女屋のオヤジである。五十がらみのデップリふとった大男で、昔は素人相撲の大関をとった力自慢。幕末までは十手捕縄をあずかるヤクザ、俗に二足のワラジをはくという田舎にありがちなボスの一人である。
「式根楼のガマ六と云えば小田原の憎まれ者だが、俗に目から鼻へぬけるという悪智恵のはたらく奴。汽車にはねとばされる不覚者でもないし、自殺するようなウブな奴ではない。第一、この村へなんの用があって来たのだろう? ゾロリとした着流しだが、足にワラジをはいている。着流しにワラジというのは散歩にも変だし、旅姿にも変だなア。懐中物が何一ツ見当らないじゃないか」
菅谷巡査は考えこんだ。考えこむのはムリがない。こんなところで死んでるのは、この男の柄に似合わぬことで、解せない節が多い。この男の猪クビは有名だが、タアイもなくネジ切られて、バラバラのうちで首が一番遠く十間の余もとんでいる。ガマ六のヤブニラミといえば泣く子もだまるほどニラミのきいたものだが、その目玉の片方はとびだしてホッペタにぶら下っているし、片目はなくなっている。
「頭を強く打つと目玉がとびでるというが、たしかにこの頭は強く叩きつけられて骨が砕けている。すると世間で言う通り、ぶたれると目玉は飛びだすのかなア。まてよ。さては片目はイレ目だな。しかし、イレ目がヤブニラミは変だが、そこがヤクザのことだから、ニラミをきかせるツモリかなア」
いろいろ解せないことがある。けれども田舎の駐在巡査が何を考えたって、どうにもならない。国府津や小田原から上級の警官や縁者がかけつけると、菅谷巡査の存在は全然なくなり、彼に一言の相談もなければ、当局の判断や結論を知らせることもなく、屍体とともに引きあげてしまった。
十日もすぎてから小田原へでたついでに訊いてみると、ガマ六は酔っ払って汽車にひかれたのだそうだ。下曾我を歩いていたのはナゼだろうと訊ねると、ガマ六は前日旅にでたという。というのは、ちかごろ箱根がひらけてきたので、ガマ六は箱根の諸方に三ツも旅館をひらいた。それが遊女屋とも旅館ともつかないアイマイ宿で、そのために女が必要である。川柳にサガミ女というようにサガミの奥地には女中奉公に適した女がいるという俗説があるから、ガマ六はちかごろ女中さがしの旅にでることが多く、それは今の小田急沿線に沿うて左右の山地にわけいるようなジグザグコースをなんとなくブラブラさがしていたらしいから、下曾我を通るのはフシギではないという話であった。
だが、日が暮れてから、あんな道でもないところをチョウチンなしで歩くとは変だ。
「どこで酒をのんだんですか」
ときくと、ナニ、酔ってるから汽車にハネとばされたんだ。どこで飲もうと、酔うのは同じことだ、という荒ッポイ返事で、おまけに、どうもキサマは理窟ッポイぞ、と叱言をくった。
菅谷巡査も腹が立った。下曾我はもとより国府津、小田原できいてみても、当日ガマ六が酒をのんだという店は一軒もない。小田原で顔を知られていないのを幸い、お客になりすまして式根楼へ登楼し、一番お人よしでお喋りらしい妓を選んでさりげなく楼主のことをききだしてみると、
「旦那がここをでたのは死ぬ日の前日よ。ここを出る時は着流しに下駄だけど、町はずれの店でワラジにはきかえてスゲ笠を買ってかぶったそうですよ。ブラリと旅にでる時はいつもそうする習慣だったそうですよ。オカミサンの話じゃア三千円ぐらいの大金を持って出たそうだけど、お金もスゲ笠もないそうね。人に殺されてお金をとられるような旦那じゃアないけど、敵があるからねえ。ヤクザはこわいよ」
意外な話である。菅谷は大いに力をえて、
「ガマ六の片目がなかったそうだが、片目はイレ目らしいなア」
「チョイト。アンタ。どこか足りないんじゃないかい。ヤブニラミのイレ目をワザワザつくる人があると思うの」
だいぶ足りなそうな女にこう云われて、せっかくハリきった菅谷も戦意トミに衰えてしまった。考えてみればノータリンのこの女がこう云うぐらいだから、その辺のことは警察が心得ていない筈はない。ヤクザ同士のモツレじゃ相手悪しと見てごまかしているのかも知れん。オレだけが名タンテイぶって、あんまり深入りするのも考え物かも知れないなア、と一応悟るところもあった。
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ところが更に奇怪なことが起った。
下曾我からかなり離れているが、丹沢山の山中へ深くはいったスリバチ型の谷に非常に良質のヒノキが自生しているところがある。ここは入会地ではなくて、所有者がハッキリしていて山番も居り、ひそかにこのヒノキをきりだして徳川時代に死刑になった例があるから、大工や普請好きの面々にスイゼンの良材の宝庫であるが、誰も踏み入ることのない秘境であった。
この秘境から一匹の大牛が猛然と走り現れた。この牛は狂っている。牛が狂って全速で走るとゴムマリがはずみながらころがるように、背をまるくして小山のように大きくはずみながらポンポンとマッシグラにとび去るものだ。人里へ現れ、おどろいて怖れ隠れる人々に目もくれず下曾我までとんできた。とまったところはナガレ目のウチの牛小屋である。そこがその牛の小屋であった。ナガレ目の飼い牛ベンケイであった。
ベンケイの角と顔が血で真ッ赤だから大問題になった。里へとびだしてから自分の牛小屋へつくまで人やケダモノに怪我をさせていないから、血を浴びたのは山の奥だ。ナガレ目の姿が見えないから、牛に殺されているのかも知れない。飼い牛に殺されることは田舎に時々あることだ。ナガレ目はアダ名のように子供の時から目がただれてヤニがたまって流れているように見える。実に汚らしくて、子供の時から、人々にイヤがられ、あざけられて育った。そのためにヒネクレて、人にも無愛想であるし、おそらく牛にもジャケンであろう。そこで村人はナガレ目が自分の牛に殺されたものと結論して、大勢の者を呼びあつめて、ベンケイのでてきたあとを逆に山中へたどって行った。ところが誰も通わぬ筈のヒノキの谷の方向に踏みならされた自然の小道があって、ヒノキの谷までつづいており、そこに一人の屍体を発見した。また逃げようとする人影を認めて捕えると、それはナガレ目であった。屍体は誰だか分らなかった。
「オレは何も知らんぞ」
と、ナガレ目は言い張った。
屍体は牛の角に二度突き刺されて殺されたらしい。ほかに傷はないから、犯人は牛であるらしい。ナガレ目は牛をつないだ所から遠く離れて木を伐っていた。仕事中は、突然人が来ても分らぬ場所に牛を隠してつないでおく。彼は深夜山中に入り、日中働いて深夜帰る。そういう秘密の生活を一年ちかくつづけていたが、村で唯一人の炭焼きを副業にしていたから、不規則な生活も人に怪しまれることがなかった。
菅谷巡査も捜査隊に加わっていたから、本署の手にうつる前にフシギな屍体を改めた。
妙なことにはガマ六と同じように、これもゾロリとした着流しにワラジをはいている。またガマ六と同じように所持品が一ツも見当らない。目玉は二ツともチャンと顔についているが右の腕が肩もヒジも骨折している。牛と格闘したのであろう。二ツの角で二度つかれたから四ツの突かれた傷があるが、その傷は胸から腹まで四ヶ所、正面から突かれているが、上下に四ツ並んでいる。
直立の姿勢で牛に突かれれば胸や腹に二ツずつ平行した傷がつく筈である。タテに四ツ並んでいるのは、横に倒れたところを突き刺されたことを示している。腹部の二ツは角の根本まで深くやられて、えぐられた後に角に突きあげ振りまわしてはねられたらしく、傷口は四方にちぎれて大きな口をひらき、ハラワタがとびだしていた。
「牛に追われて逃げそこなって倒れたところを突かれたのに相違ない。だが、妙だなア。正面から突かれているのに、まるで背中から突き伏せられたように、口が土をかんでるじゃないか。鼻の中まで土がついているぞ。突かれたあとで、ころげまわって、もがいて死んだのかも知れない。しかし、手は土を握っていないな。見れば相当な身ナリだが、どうしてこの山中へ来たのだろう?」
菅谷巡査はこう怪しんだが、牛が犯人ときまれば、問題はナガレ目のアルバイトの方だ。徳川時代には死刑になった者もあるという人も怖れるアルバイトを自分の駐在する村の者がやっておって、それを自分が気附かなかったというのが、面白くない。
ところが屍体の身元が分ってみると意外である。小田原の者であるばかりか、ガマ六と同じ町内の者だ。ガマ六の遊女屋と筋向いの「花房の湯」の主人、雨坊主というアダ名のあまり良からぬ人物の一人であった。
彼の銭湯には湯女がいる。土地柄に名をかりて、巧みに手を廻して湯女の営業を公然とやっている。一方に建築請負業もやっているし、漁船も持っている。ガマ六のように腕力に物を云わせるヤクザではないが、どこに秘訣があるのか、雨坊主の政治力にはガマ六がいつも煮え湯をのまされる。とても成功の道はないと思われることを、雨坊主はさしたることもないらしく実現する力があって、いわばガマ六の怖るべき商売仇であった。
ガマ六が美女を探して歩くのも、雨坊主に対抗しうる唯一つの策がそれだけだからで、これだけは政治力があっても、学問があっても、それとこれでは勝負にならぬ。要するに本当の勝負はここできまる。むろん、それぐらいのことは、雨坊主は誰より先に知っているから、サガミ山中を歩くのはガマ六だけではない。彼は建築請負業としては別荘造りが専門で、推古から現代に至る木造建築に秘密というものはない、自分はそのあらゆる様式を再現する能力があると宣伝している。自分の作は他日国宝になるものだ、というのが彼の口癖であったというが、その実は、彼は建築について完全に無学であった。筋も根拠もないことを言いまくるが、彼のコツは相手を見くびって何物も怖れぬということで、素人相手の談議だから、それで通用して、むしろ高く評価されていたそうだ。私が小田原にいたころは彼の仕事をした棟梁(そのころは小僧だ)が生きていて、一パイ飲み屋で問いもせぬのに時々昔話をきかされたものだ。
そういうわけで、雨坊主が丹沢山中へ赴く理由は、建築業からも、湯女業からも筋は立っていた。
ところが、ヤッカイ千万なことには、ナガレ目がタダモノではないということだ。変質者というのであろう。それも利巧すぎての変質者と異って、バカの上に変質者だから、彼がどういう不安や心配があって何を策謀しているか、その筋が普通人に分らない。
ナガレ目の曰く、オレは死んでいた雨坊主というヤツは今まで一度も見たことがないヤツだ、と云うのである。こういうことを云えば、不利である。それならば誰のために木を伐っていたか。誰かのために伐っていた証拠にはその材木が彼の家にも炭焼き小屋にもないではないか。こう改めて余計なことを追求されなければならない。
ところがナガレ目は平気なもので、前の取調べには一年前から時々伐っていたと云ったくせに、そんなことは眼中にないらしく、あの日はじめて伐りにでかけたのだ、と平然と云う。前に一年前からと云ったではないかと問いつめられても、奴めは全然問いつめられた様子がなくて、そんなことは言わないな、と云う。
しかし、一年前から伐っていた証拠はあの密林をしらべればハッキリ分ることで、ちょうどそれぐらい伐られた跡がある。こう証拠をつきつけられても、彼はいささかもたじろがず、オレはあの日一日伐っただけだから、それでは、それはオタツだろう、オレはオタツが牛でもヘタバるような大きな材木をかついで行くのを何べんも見たことがあると証言した。どこで見たか。あの谷で見た。あの谷で何べんも見たか。何べんも見た。たった一日しかあの谷へ行かない筈のお前がどうして何べんも見ることができたか。木を伐ったのは一日だけだが、オタツを見たのは何べんも見た。こういう応答だからラチはあかない。そこでオタツが逮捕された。オタツが現代の人間なら、下曾我に埋もれている筈はない。ジャーナリズムが彼女を当代の名士の一人に祭りあげない筈はないのである。相撲とりでも片手に一俵ずつ、四斗俵二ツぶらさげて土俵を三べんまわることができるのは少いそうだ。オタツはその上、口に一俵くわえることができる。そのほかにも持つ方法があれば、もう一俵ぐらいは持てるだろう。背負う力は限りを知らず、と伝えられている。
逮捕されて取調べられたオタツは、事実無根を言い張ったが、ナガレ目が彼女に不利な証言をしたことを知ると、顔がカッと真ッ赤になり、ムクムクとふくらみ、眉がつりあがって、目玉が石になって、鼻の孔がにわかに二ツの奥の知れない大きなトンネルができたように思われた。米を炊く泡がみるみる盛りあがるように肩が天井にふくれそびえたが、そのとき大きな鷲が二ツの翼をユーレイの両手のように前の方へそろえてワッとひろげた。そう見えたのは着物の下のことではあるが二ツのお乳が髪の毛を束ねて逆立てたようにフワッとふくれて逆立ったのだそうだね。そのときは署長も探偵も呼吸がつまって死ぬところだったという。しかし、この時はまだ穏かな方であった。ナガレ目はヌラリクラリとラチがあかないが、オタツは断々乎として無実を主張してゆずらないから、二人を会わせた。このときこそは大変であった。
オタツの全身が無限にふくれて、とどまるところがないように見えたが、その一瞬にナメクジよりもノロマなナガレ目が電流の如くに術を使ったという。人々の目は(彼らはタンテイである)如実に認めることができなかったが、オタツのフクラミがとまらぬうちにナガレ目の姿は署長の後に隠れていたのだそうだ。彼は署長の両肩に手をかけてそッと首をだして、
「オレは何も言わないよ」
オタツは益々怒って息をととのえるために苦しみ、頭や額の汗が下方へ流れずに四方へ傘状にとび散った。それは胸から顔へと押しあげる恐ろしいボーチョウの力によるものだということである。
「オレがいつ山の木を伐ったか。お前はそれをいつ見たか」
オタツは唸った。オタツは雄弁ではないから、それを補うためにナガレ目をワシづかみにする必要があったが、それが出来ないので、益々不自由のようであった。
「オレは見たよ」
ナガレ目は落ちつき払っていた。しかし言葉はそれだけであった。
「いつ見たか」
「見たよ」
「お前はオレに伐った木を運んでくれと頼んだろう。オレが運んだのは、お前が伐った木だ」
「お前が運んだからお前が伐った木だ」
「この野郎。ウソツキめ!」
二人の口論はこれ以上に発展しない。同じことをくりかえすだけだ。ナガレ目はオタツとの口論に限って冷静そのものの様子になったが、オタツは亢奮して言葉を失ってしまう。ナガレ目の言葉はこの口論に限って論証的であった。お前が運んだからお前が伐った木だと云う。この時に限って論証的であるのは、事実無根のことを屁理窟で言いくるめているように一応は考えられる。常識的にはそう考えられるが、そう目安が彼に当てはまるかどうかも疑問であった。
オタツとナガレ目がはげしい論争をくりかえして、論争の結果は必ずしもオタツに有利でないことをきいて、オタツの亭主のカモ七が菅谷巡査につれられて警察へ陳情にきた。カモ七を見ると探偵たちは異様の感にうたれた。カモ七の目は流れていなかったが、顔全体が流れているようなものだった。どこにもシマリがない。何かが留守でなければ、こんな顔にはならないだろう。ところが一ツだけ目ざましく雄大で生気があるのは二ツの耳であった。カモ七の頭の中央がピョコンと尖っていなければ、頭と耳の高さが同じぐらいであろう。その幅もカシワモチが包めるぐらい広かったが、しかしウスッペラではなくて人目にふれずに見事に天寿を全うしたキノコのように肉ヅキがふくよかであった。この耳を育てるためにうまれてきたように見え、彼の全体が鉢植えのキノコ、たしかに植物のように見えた。
カモ七は一同にオジギすることを忘れていた。彼が警察へきたとき、ちょうどオタツとナガレ目の第何回目かの対決中であったから、彼はのぼせて、道々言い含められたことを忘れたのかも知れない。菅谷巡査にこづかれると、彼は切なそうに、
「オタツ、やせたなア」
と涙ぐましい声をふりしぼった。それは何物も思い出せなかった代りに、あまりの切ない現実に目をうたれた真情をあらわしていたが、誰の目にもオタツのやせた様子は認められないので、タンテイたちはギョッとして、これから、どうなることかと思った。
けれどもカモ七は見かけは留守のようであるが、実に驚くべき雄弁であった。
「オタツのウチがマンナカで、オレのウチとクサレ目のウチがアッチとコッチにありました」
と、手で地図を説明するように器用にふりながら、誰の存在もそう大して気にかからないように、彼は演説しはじめた。クサレ目というのはナガレ目の他の表現だが、クサレ目の方がきびしいらしく当人がテキメンに立腹するから、彼を侮辱するために呼びかける時はクサレ目を用いるのが普通であった。
「オレが十一のときオタツが九ツで二人は夫婦の約束をしましたが、クサレ目はオタツに惚れてヨメになってくれとたのんだがクサレ目はキライだからとことわられました。そのときからクサレ目はオタツにもクサレ目をうつしてやろうとオタツの通りかかるのを隠れて狙っていたが、オタツに組み伏せられてシマ蛇で手足とクビをしばられてからは、オタツの目がさめていては勝てないと知って寝ているときに忍びこんだが、オタツのイビキが大きいので、ビックリして逃げだすところをオタツのオヤジに捕われ、クサレ目をオタツにうつすためだと分ったから、馬のクソを一ツ食えば帰してやると言われ、食べることはできないから甜めるだけでカンベンしてくれとたのんで、甜めて帰してもらいました。そのときから、クサレ目はオタツにクサレ目をうつすことと馬のクソを食わせることをやりとげるまで生きねばならんと考えてワラ人形の目にクサレ目をぬり口に馬のクソをつめて釘ヅケにしました」
話がどこまでつづくか分らないから、タンテイはもうタクサンだと云う代りにカモ七の口を両手で押えつけた。彼は手足をバタつかせたが、同じことを三度くりかえしてやられるまでは、タンテイが手を放すたび演説をつづけはじめたのである。
菅谷巡査はカモ七の女房思いの心情にホロリとさせられたのである。浮かない顔で帰路をたどるカモ七をなぐさめて、
「人殺しというわけじゃないからな。たかが人の山の木を伐っただけだ。徳川時代とちがって、木を伐ったぐらいじゃ一ヶ月も泊められやせんから、心配するな」
「クサレ目の生きてるうちは、オレはオチオチ安心ができませんや」
「なぜだ」
「まアね」
カモ七はアイマイに言葉をにごした。その様子はさッきの雄弁とは変って、きびしい何かがあるようだ。彼の真実の苦しみが、ふと感じられたのである。この植物にも人間の悩みがあるのかなア、と菅谷は感無量であった。そう云えば、カモ七にもなかなかシンの強い強情なところがある。思いつめると何をやるか知れないようなところがあった。そして菅谷はふと思いだした。
カモ七とクサレ目がうるさい争論をやって駐在所へ持ちこんできたのはそう遠いことではない。二ヶ月ぐらい前のことだ。
カモ七が野良から自分のウチへ帰るにはナガレ目のウチの崖下を通らなければならない。夕方カモ七がそこを通りかかると、上から肥オケが落ちてきた。幸い下敷きにならずに、目の前をかすめて足もとへ落ち、下半身はコエをあびるし、はねかえった桶にヒザ小僧を一撃されて関節がどうかしたのか数日は発熱して歩行ができないほどであった。
カモ七から話をきいてオタツは怒ってナガレ目のウチへかけあいに行ったから、ナガレ目はオタツの怪力にひねられてはイノチにかかわるから駐在所へ逃げこんだ。菅谷は話をきいてオタツの剣幕のひどすぎるのに閉口したから、
「ナガレ目がわざと肥桶を落したのではなくて、まちがって落したのだ。誰にもマチガイはあることで、ナガレ目も二度とマチガイはやるまいからカンベンしてやりなさい」
「いいえ。クサレ目の奴はカモ七を殺すツモリでわざと落したのにきまっています。ちょうどカモ七が通るときマチガイで肥桶が落ちるなんてことがあるもんですか」
「イヤ、イヤ。マチガイはいつ起るか分らんものだ。ちょうどそのとき通り合せた者が不運なのだから、そのときはマチガイで仕方がないとあきらめて、我慢してやらねばならん」
オタツはプンプン怒って帰ったが、それからはナガレ目が道を歩いていると、松の木の上からタクアンの重石のような石が落ちてきたり、自宅の前へきてヤレヤレと思うと屋根の上から大きな石がころがり落ちたりする。松の木やナガレ目の屋根の上にオタツが石をかかえ待ち伏せているのだ。ナガレ目はとても危くていつ死ねか分らないから菅谷にたのんでオタツを叱ってもらった。オタツは涼しい顔で、
「マチガイですよ。シッカリ握ってるツモリだったのにマチガイで手からすべって落ちたんです。クサレ目がちょうど下を通ったから運がわるい。マチガイは仕方がありません」
「バカ云え。ワザワザ往来の上の松の木や、他人の屋根へ登っていて、マチガイということがあるか。そんなところに登っているのは誰かを待ちぶせている証拠だ。マチガイというのはいつも自然に起ることと人のたまたま通りかかったのが重なったときを云うものだ。お前のような理不尽なことをしたり云ったりすると、今度から牢屋へブチこんでしまうぞ」
オタツは散々油をしぼられた。オタツはその後イヤガラセをしなくなったが、足の怪我が治ったカモ七が執念深い。クサレ目が炭焼に山へ行くと、身をかわしようもない細い崖を大石がころがり上からマッシグラに落ちてきたり、頭上の密林から石が落ちたり、生きた心持もない。一度は崖を這うツルにすがりついて一歩あやまれば谷へ落ちる危いツナ渡りをして一命を拾ったこともあった。そこで、また駐在所へ泣きついたが、菅谷もその執念深さに呆れ果てたとはいえ、考えて見れば自分のやり方もまずかった。オタツの剣幕がひどいので一方的にオタツを叱ったが、元来カモ七は肥をあびた上に膝小僧をどうかして数日寝こんでいるのだ。
そこで改めてクサレ目にも注意を与え、カモ七が寝こんだほどだから、何か詫びのシルシに品物を贈って見舞わせ、それで手を打たせたことがあったのである。
これを思いだしているうちに、菅谷はハッと気がついた。これは、どうも、くさいぞ。オタツとカモ七の執念深さというものは大変なものだ。クサレ目にイヤガラセをした時だって、いつも石が的を外れたからよいが、命中すれば人を殺していたのだ。
ガマ六と雨坊主がオタツやカモ七に憎まれ殺される理由があるかどうか調べたことはないが、何か理由があれば、これはテッキリ奴らが犯人だ。なぜなら、ガマ六が汽車にひかれた場所はオタツらの小屋に一番ちかいし、クサレ目のアルバイトを知っているのは、どうやら被害者のほかにはオタツだけではないか。亭主のカモ七もその辺の深いことは多くを知らないらしく、クサレ目が生きているうちは安心ができないと謎のようなことを云っている。ノータリンがこう云うのだから深刻だし、こう云わせる相手の男もノータリン。ここには深いシサイがあるらしい、と考えた。
そこでガマ六と雨坊主を旅行におびきだしたのは誰か。彼らとオタツとカモ七にツナガリがあったかどうか、それを調べることに決心した。
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菅谷は再びお客のフリをしてガマ六の遊女屋に登楼して例の女の客となった。
「ここも花房の湯も旦那方が御直々にサガミ女をさがして歩いていたそうだが、この店にもサガミ女がいるのかい」
「お多福で相すみませんが、私もサガミの女ですよ。鶴巻温泉からずッと山の奥へはいった方でとれたんです」
「じゃア、ガマ六旦那に掘りだされたわけだな」
「いいえ、私はゼゲンに目をつけられてここへ来るようになったんです。ゼゲンと云ったって、本職は炭焼だかキコリをしているウスノロじみた小男ですが、山から山を猿のように渡って歩く妙な早業があって、山奥の村を歩いて女を見て歩くのが人生のタノシミなんだそうですよ。猿の生れぞこないか、山男のように誰の目にも立たないから、この男に目をつけられているのを知りやしませんよ。旦那は主にこの男からきいて女を買ってくるのです。この山男は女を見て歩くのが道楽だから、口銭がタダのように安いせいもあるんでしょうよ」
「その小男は耳が大きいのだね」
「いいえ。耳は当り前ですが、目が真ッ赤でいつもタダれているのです」
的は狂った。サガミ女の手引きをしていたのはクサレ目にまちがいなかった。ガマ六や雨坊主が下曾我へ行くのは彼のためらしい。
「ほかにゼゲンはいないかなア。オレは小男で耳の大きなゼゲンを一人知っているが」
「そんなのはききませんね。もう一人、二十二の好男子がいるにはいますが、そこの花房の湯の隣に質屋があるでしょう。質屋の息子が内職にやってるのです」
「あの質屋はお金持だそうだが息子がゼゲンをやるとはワケがわからないなア」
「息子がゼゲンをアルバイトしてるのを黙って見てるようだからお金がたまるのですよ。ですが、あの息子のはタチがわるくて、山男のように山を渡り歩いて若い娘を見るだけが道楽じゃアないんですよ。色男でしょう。それに女タラシの名人なんだそうですよ。まだ若いくせにねえ。それも商売女には手をださずに、農家の娘を漁って歩いてるんですよ。あげくにそれを仲介してサヤをとって、結構、モトをとって、モウケている始末。一文も親の小ヅカイをもらわずに、存分に道楽してるという達者の倅なんです」
「それは変った話をきくものだ、ここや花房の湯もその倅の世話で女を買うことがあるのかね」
「深いことは知りませんが、そこにワケがあるようですよ。ここの旦那は山男の方を信用していたようですが、ちかごろは山男が花房の仕事にかかりきっていたようです。山男の口ききで新しくここへ来た娘がちかごろは居ませんねえ。ところが質屋の倅は、そのせいか、すっかり花房に袖にされたようですね。花房と質屋の境をごらんなさい。二階の窓よりも高い塀ができてるでしょう。質屋の倅が女湯をのぞいて困るというので、あの塀になったんだそうですが、それ以来、質屋の倅は花房の旦那を憎んで、誰にも分らないように殺してみせると人に語っていたそうです。ウチの旦那は質屋とモメゴトを起したようにはききませんが、花房も怖しいが、質屋の倅は花房よりも怖しい奴だと言い言いしたそうです。そのタクラミは七重にも八重にもいりくんでいて、尋常ではあの小倅に太刀打ちできる者はこの小田原には一人も居なかろうと言ってましたよ。何を企んでたか、私はきいたことがありませんがね」
菅谷は何食わぬ風を装っていたが、心は涯しなく吸いこまれていた。
草深い田舎の山猿や怪力女や耳の化け物どもの仕業としては芸が水ぎわ立ちすぎているようだ。ガマ六のような用心深い悪漢がどんなに酔っても汽車にひかれたり、自殺することは有りッこない。第一、酔ってのことなら汽車にはねられて死ぬが、あれは完全にねてひかれたものだ。五十とはいえあの大男の力持を線路にねじふせてひかせることはむずかしいから、殺したのをひかせて、過失で死んだと見せかけたのに相違ない。だから現場に所持品もないし、かぶっていた筈のスゲ笠もない。
ガマ六の行先や、特に雨坊主が丹沢山中へでかけたことは、ナガレ目とオタツだけしか知らない筈だと思われていたが、質屋の倅なら、ナガレ目こそは不倶タイテンの商売仇、ガマ六や雨坊主が自分の指図でなく旅にでたときはナガレ目訪問とチャンと彼だけは知っていた筈。その後をつけても、先廻りしても二人を殺すチャンスは充分だ。
菅谷は花房の湯を訪ねて、雨坊主が出立の時のことをきいてみると、奇妙なことに、これもガマ六と同じように牛の角にかけられて死ぬ前日の午さがりに家をでている。懐中には五千円ほどの大金を持っていた。彼は丹沢山の山猿のところへ行ってくるとハッキリいい残したし、大金を持っていても山猿は慾がないから心配はいらないと言っていたそうだ。
ところで、ここに重大な問題が現れた。雨坊主もガマ六と同じようにゾロリとした着流しにワラジをはいていた。ところが雨坊主はワラジをはく習慣がない。彼はいつも草履をはいて道中した。
雨坊主はタビをはいた草履をつッかけて着流しで出かけた。ところが屍体は、素足にワラジをはいており、ワラジはかなりの道ノリをはいて歩いたようにスリ切れていたが、素足の表面にくッついた泥を払うと殆ど素足は全く汚れていなかったし、はじめて素足でワラジをはいたならマメやスレたあとがありそうなものだが、それが一ツもなかったのである。納棺のとき、それに立ち会った者が気がついて、皆々首をひねったが、結論がでないので、警察にも報告しなかったのだと云う。
「この高い塀は質屋の倅が二階からのぞくので造ったそうですが」
「ええ、こう申しては何ですが、お隣りの坊ちゃんぐらい色好みの殿方も世間にたんとありますまい。こう身をのりだして三時間でも五時間でもヨソ見一ツなさらずに眺め入るんですから、恐れ入ります。こんな塀は造りたくないのですが、あの調子で眺め入られては大事のお客様が来て下さいません」
「それで当家と恨みが結ばれたというようなことがありましたか」
「人様の噂では、恥をかかせた、仕返しをしてやる、そんなことを言っていたとかききましたが、直接当方へそんなことを言ってきたことはございません」
菅谷が質問につまっていると、内儀は改まって、
「納棺のとき皆さまがフシギだと仰有ってましたことは、正面から角で突きふせられているのに、うつむいて地面に押しつけられたように口に土をかんでおりまして、鼻の孔の中にもいくらか土がついておりましたことです。これは、どうもワケがわからない。どんな風に牛に突き殺されたのか、まるで謎のようだ、と皆さまがフシギがっていらしたのです」
菅谷はうなずいて、
「それは本官もフシギに思っておりました。御主人はあまり御壮健とも思われませんが、時に挙止に自由を欠くような持病でもお持ちでしたか」
「特別壮健ではございませんが、若いころは船乗りで、相当に身体のシンはできた方で、特に持病もございませんし、オメオメ牛に突き殺されるほどモロイ人だとも思われませんが、あいにく防ぎにくい場所で間が悪かったのかなどと皆さまがそれもフシギの一ツに算えておりましたようです」
そこは牛の姿を隠す特別の場所だから、非常に木立のしげったところだ。菅谷はそれを思い出して考え直してみたが、しげみが深いということは、時に逃げるに不自由かも知れないが、攻撃をよけるに好都合な意味もあるに相違ない。ところが雨坊主が突き伏せられたのは、シゲミのマンナカあたりで、ちょッとした広さのほぼ中央だ。そこに屍体があって血だまりはそこにしかない、ただ一ヶ所しかない小さな広さのマンナカに殺されているということは、つまり、彼は逃げなかったということを意味しているのではなかろうか。
雨坊主はなぜ逃げなかったか? 逃げられない特別な理由が有りうるだろうか?
菅谷は、自分の頭が単に謎を提出するだけで、一ツも解く力がない、ということをイヤというほど思い知って切なかった。どうも観戦記、イヤ、批評家的で、実戦の役には立たんようだぞ、と薄気味が悪くなったのである。
しかし、勇気をふるい起して、質屋のノレンをくぐった。大きな懐中時計を質におくフリをして色々値ぶみをしてもらって、安いだのもっとならないかと、手間どってみたが、倅は店に現れないし、よびたてて会うだけの都合のよい方法も見当らない。やむを得ず、時計は懐中に再び収めて店をでた。会ったわけではないが、人々の話を綜合したところでは、好男子で、無口で、陰気な男だが、田舎娘や女中などをまるめこむには特別の技能があるという。非常に利口で、全てにつけて考えが行き届いているが、痩せ型で至って非力な男だと人々は云っている。ところが、こうと思いこむと執念深くて、必ずやりとげるような根強い実行力があり、人々に、否、ガマ六のような腕ッ節の強い、世渡りに自信のある老獪な渡世人にまで、怖れられていたという。
この事件がもし他殺とすれば、非常に腕力を必要とする。ガマ六のような腕自慢を一人で倒すには余程の力が必要であろう。
誰の目にも非力であると云われる質屋の倅がガマ六を倒しうるか。彼には欠けた力を補うに足る才の力があるらしい。
けれども、ガマ六のような強力な人物を策によって力に代え、これを殺しうる方法がありうるであろうか。しかも、ガマ六が鉄路に横たえられて汽車にひかれたのは日がくれてからたった四十分の後である。
その近くに彼の根拠地があれば話が分るが、そのへんはすべてを暗んじている菅谷の城下お膝元、自慢ではないが、自分の土地について、自分の知らないことを人が知っているような不案内な所が、一ヶ所でもあろうとは思われぬ。たった四十分間に人に知られず殺したり鉄路に横たえうるであろうか。しかも己れの何倍も強力な力持が相手である。前夜に殺したとすれば日中人知れず隠しておいて、たった四十分間に、隠し場所から運びだして処置することは、さらに複雑面倒ではないか。しかし、凡人の考えあたわぬ難事を為しとげるのが、即ち彼の特別の才であろうか、菅谷は地形から可能の場合を考えてみたが、草深い田舎ではあるが、人家がないわけではない。田舎の地形というものは、無人の田圃は平地で隠れ場がなく、人家は繁みの中にあり、またどこの繋みに人目があるか分らぬもので、人知れず事を行うに決して安全というわけではない。隠れ家を考えられないのである。
現場に最も近い人家はオタツとカモ七の家であるが、住む人物が特別だから時々騒ぎも起るし、騒ぎがなくても菅谷も、月に一度ぐらいは見廻りに行って、二人の風変りな男女の生活はよく心得ているが、二人は山腹の痩せ地をよく耕して、苦しい生活もしていないし、陰のある生活もしていない。オタツはカモ七が好きなのだ。こういう世に稀れな力持ちの大女は小男で働きのないカモ七のようなバカな能ナシが好きと見えて、カモ七が十九、オタツが十七の年に両名相談の上、オタツはカモ七の親のところへ、カモ七はオタツの親のところへ二人の結婚の承諾を求めに行った。
カモ七はオタツの父にいきなり飲みかけのお茶をぶッかけられた。するとカモ七は、
「お茶をぶッかけたのはオレとオタツを祝ってくれたのか。オレはお茶だと思うが、しかしお前は白湯をのんでいたのかも知れないな。いまオレにかけたのはお茶だろうか白湯だろうか、どっちの方だ」
云い終らないうちに火吹竹で十あまり殴られて戸外へ投げとばされてノビてしまった。
オタツの方はカモ七の母親に散々からかわれ、おまけに野良帰りの足を洗っていたカモ七の父に足を洗った水をぶッかけられたので、オタツは赤々とふくれ上って、近くにあった火吹竹を一握りするやカモ七の親父の頭を十あまりぶッて、ノビたのを近所のタンボまで運んで投げこみ、その頭から肥をかけた。
村の者が相談の結果、二人風変りの恋人を一しょにさせて、遠い山腹の痩せ地を与えたが、オタツは力に物を云わせ木をぬき肥料をかつぎあげ、立派な畑にしあげて村人をアッと云わせ、二人の生活は至って平和であった。もっとも一週のうち一度や二度は突きとばされたり殴られたりしてカモ七がノビたり、顔を腫らしたり、骨を折ったりしたが、カモ七の骨は粘り気が強いらしく、じき治ってしまう。山腹の畑の方にも小屋をつくって、忙しくなるとオタツは山小屋にこもったが、留守番のカモ七は朝と夕方山へ食べ物を運ぶついでに、トリイレのムギやイモをいくらか運び下す程度で、日中と夜間は何もしない留守番だった。その期間山と下で別々にくらす二人が人に分らぬ秘密の生活をしていたにしても、山小屋は遠く離れていて、ただ歩くだけでも現場から四十分以上はタップリかかるし、ウスノロで非力のカモ七に気のきいた犯罪はできそうにもない。
菅谷はどうしても何か秘密があるし、誰かが殺したに相違ないと思ったが、本署の方では一方は酔っての過失死であるし、他方は牛が犯人だときめて動く様子がないし、いくら考えても自分の力では謎が解けそうもない。そこで上京のツイデに思いきって結城新十郎を訪ね、今までのことをみんな語って判断をもとめた。
★
新十郎はきき終って、
「あなたは一番大事なことをよく見ていらッしゃる。汽車にひかれた人に所持品がなく、そこは人の通るところでもないから、自殺や過失でなくて他殺であるということ。また牛に突き殺された人が逃げたらしいところがなく、広さの中央で後向きに突き殺されているし、所持品もないから他殺であるということ。多分、お考えの通り他殺でしょう。また日がくれてから四十分しかなかったから、犯人はその時間中に仕事をしたに相違ないこと、これも正しい判断です。つまり、人間は魔法使いのように決して空をとんだり姿を消したりして仕事をすることはできません。ただ何かを利用すれば姿を消したり空をとぶ魔法と同じことがやれる。夜の暗闇を利用するのがその一ツなのですよ。ところが雨坊主の方は暗夜にはとても辿りつけないような山中の径もない谷底で死んでいる。夜を利用して行けないとすれば、どういうことになるでしょうか。誰か彼が谷の方向へ歩いている姿を見た人があったか、誰にも見られていないとすれば、何を利用して姿を消して歩くことができるか。ここに、それに関聯して考える必要のあることは、ナガレ目は一年前からその谷へ通っていたらしいし、オタツも時にそこへ現れていたらしいが、彼らがそこへ通う姿は誰にも見られていなかったでしょう。しからばこの二人はすでに何かを利用して魔法の代りに身を消す方法を用いていたに相違ないのです。二人の方法を突きとめると、第三人目四人目の人間の用いた方法のヒントをうることができるかも知れません」
実に平凡なことではあったが、急所であった。菅谷は愕然として、名探偵の顔をみた。その顔は親しげな笑みをたたえて彼をやさしく見つめているが、菅谷はその親しみをこめた笑みや眼差しをうけるに値しない身の拙さを省みて、赤らんでしまった。
「次に重大なことは、ナガレ目とオタツが谷へ行くことは秘密のアルバイトですから姿を消して行く必要はありますが、殺された人たちは姿を消して行く必要があるでしょうか。あるとすれば、それは何か。また、ナガレ目とオタツと被害者のほかの誰かがその谷で彼らがアルバイトをやってることを知っていたか、どうか。たとえばガマ六や雨坊主などが、小田原から下曾我方面へ向ってどこまで人に姿を見せているか、それを突きとめてゆくと、彼らがどこから姿を消したか分ってくるでしょう。次の知るべきことは、それと同じところまで姿を見せて同じ方向に歩き去った他の人物があったか、どうか。これを突きとめると限界が分ってきて、誰が犯人でありうるか、というヒントの一ツになります」
新十郎の顔はひきしまった。
「そっちへ歩き去った他の人物の有る無しを探る場合に、たとえば質屋の倅というような特殊な一人を想定してはいけません。いつも白紙で、とりかかることです。小田原の人ばかりでなく、他の土地の人も、同じ村の人も、とにかく誰であってもかまいません。犯人は誰でもありうるのです。その犯人が見つかるまでは、全部の人が容疑者であるし、もしくは誰も容疑者ではないのです。今、申し上げた二ツのことを探してから、また、いらッしゃい」
菅谷は心からの尊敬を新十郎にいだいた。そして、食事を一緒にとひきとめられたが、それどころではなく、事件の解決にはげしい情熱と希望を得て、いそいそと下曾我村へと帰途についた。
ナガレ目とオタツは許されて村へ帰っていたから、二人を訪問して、さりげなく訊いてみると、二人は菅谷とは親しくなっていて警官という特別な考えは元々少いところへ、留置場でいかつい刑事に接して、ふだん親しい菅谷に対しては半ば軽蔑と、それだけ親しみも増すようになっている。そこで谷へ通う方法を警戒もせずに語ってきかせた。
ナガレ目は人のねしずまる深夜に往復していた。ところがオタツは道のない山や谷をわたって昼でも人に知られず谷へ行くことができると云った。ナガレ目も同じことができるのだが、彼は牛をひいているから、なるべく深夜に平易な道をとったのである。
オタツが谷へ通うのは山の畑に山ごもりしているとき、そこから山づたいに誰にも知られず谷へ通うことができるのだ。
オタツは偶然ナガレ目のアルバイトを突きとめて、時々材木を運んでやるから運賃をよこせというのを口実にして、口止め料をかせいでいた。一回一円であるが、ナガレ目は炭の運送料から算定して一銭でタクサンだと云ったが、オタツは腕ップシが強大だし、意地ッぱりだし、秘密を握ってもいるから、時々一円まきあげにきた。その代り、大の男でも一人で担げない材木を三本ぐらいまとめて運んだ。それは親切のせいではなくて、そうしても苦にならないから、やってるだけのことであった。このことは二人だけの秘密であるから、二人が敵味方にわれて大論争になっても、二人とも警察で一言もこれにふれなかった。オタツも自分がたかっているのを言うわけにいかなかったのだ。
「一円は安いから、値上げして、ひどい目にあわしてやる」
と、オタツはニヤニヤしながら菅谷に云った。
「一円が精イッパイだと思ったら、クサレ目は金持だよ。何万円も持ってるのだよ」
オタツは益々ニヤニヤしたが、
「谷の木を伐っているのは秘密ではなくなったし、二度と伐る筈もあるまい。伐らせていた旦那も死んだのだからな」
と菅谷に云われて、オタツは目をまるくして考えこんだ。再び口止め料がまきあげられないことに気がついたらしい。
菅谷はナガレ目を訪ねて、
「オタツに一円ずづ何回まきあげられたか」
ときいてみると、山にこもっている時は三日にあげずきていたし、そうでない時も十日か廿日目にブラリときて、一円ずつせしめて行ったそうだ。ちょうど事件の時はイモほりなぞの季節で、オタツは山小屋にこもっていたから、ナガレ目はさかんにセシメられている時だった。
「雨坊主の死んだ日、オタツがせしめにきたか」
その日はこなかったそうである。オタツのくるのは、いつもヒルごろだ。大食のオタツはいくら食っても食い足りないらしく、ナガレ目の食物を荒して何かとまきあげて食うのがタノシミらしかったそうだ。あの日のヒルごろは人々が現場で騒いでいたから、オタツは近くまで来たかも知れないが、姿を見せずに逃げ戻ってしまったろう。
ナガレ目はオタツのことはみんな喋ったが、雨坊主やガマ六のことは菅谷にも知らぬ存ぜぬで押し通し、ゼゲンでもうけていたことは決して口外しなかった。
ガマ六や雨坊主を誰かがどこかで見かけたか、これはアイマイで、誰の云うことも当にならなかったが、その谷へ行く道筋にあって谷へ行くには必ず通らねばならぬ部落で、谷の方へ行った人の姿を見た者は誰もない。菅谷はガッカリして戻ったが、途中甚しくノドがかわいたので山かげの小さな寺に立ちよってお茶をご馳走になった。すると坊さんは菅谷の探し物の話をきいて、
「そうですか。その着流しの人物かどうかは分らないが、この寺の裏から丹沢山の方へわけこんだ人が、まれにあったようだ」
「この裏からも谷へでる道がありますか」
「イヤイヤ。そんな道はありません。ですから、私はウチへくる用の人かと思ったが、そうではなく寺の裏手へ登ってしまう。村の人もそうとは知らないから、今日はお客さんのようですね、どなたか見えたようだが、などと私に云う。みんなこの寺へくる人と思うらしい」
菅谷はハッとした。胸騒ぎがするほど亢奮してしまった。これだ! 空をとび姿を消す魔法の代用品とは、まさに、これだ。夜のヤミを利用するほかに、姿を消す代用品があるだろうか。あるかも知れないと新十郎は云った。まさに、あったのだ。寺へ行く人と見せかけていたのである。ゾロリとした着流しのナゾもそこにあったらしい、と考えた。ところが菅谷の考えを知らぬ坊さんは言葉をつづけて、
「しかし、この裏を登って、どこへ行くのですかねえ。一尺ぐらいの細い道があるにはあるが、ものの十丁も行くと消えてなくなる。以前はそこに炭炊き小屋があったが」
菅谷はとび上るほどおどろいた。そうだ。むかしナガレ目の炭焼きカマドはここにあったことがある。そう古い話ではない。二年ぐらい前まではここで炭をやいていた。彼は息をはずませてしまった。
「その小屋はいつごろまでありましたか」
「さア。その後のことは知りませんが、炭焼きが他へ移って二三年になるから、小屋はもうないと思うが」
菅谷は寺をでると、さっそく裏の山へ登った。倒れそうな小さな小屋が、今も残っているではないか。炭焼きの場所を移せば、小屋もそっちへ移しそうなものだが、他へ移さないとすれば、ほかに小屋をつくる材料が豊富にあってのことか、小屋を残す必要があってのことだ。小屋の中をあけてみると、二畳もない小屋の中にムシロがしかれ、片隅に余分のムシロをまいたものがつまれているだけで他に何もないが、ふと隅を見るとちょッと気のつかぬ暗がりにキセル入れの筒とタバコ入れがある。手にとると、非常に高価な品のようだ。金の模様の銀ギセルがそッくり入れたままだ。筒に名が彫られておって、大内とある。それはガマ六の姓だ。つまれているムシロをどけてみると、別に何も隠されていない。荒ナワだのはき古したワラジなどが何足かすててあっただけだ。いずれも炭焼きの用いたムシロであるから炭だらけだが、その黒いのをよく見ると、黒いのは炭のせいだけではない。どうも古い血のようだ。菅谷はおどろいて、ムシロを一枚一枚ひろげてみた。しかれているムシロの上の方の三ツのタバはキレイだが、他の二枚はボロボロで、その黒いのは血のようであった。荒ナワにも血のしみついたのがあった。
菅谷はそッと元通りにしてタバコ道具と血のムシロとナワだけ持ち帰ったが、その翌日ナガレ目を訪ねた。しかし、いくら問いつめようと試みてもムダであった。知らぬ存ぜぬ、もう二年間あの小屋へ行ったことがないと主張してゆずらなかった。
菅谷はガッカリして、ひきあげた。そして、上京して新十郎に報告した。新十郎は慰め顔に、
「ガッカリなさることはありませんとも。いろいろのことが分ったではありませんか。特に、ガマ六や雨坊主の魔法の代用品が分ったのは何よりですよ。おまけに、古い炭小屋の存在まで分った。ナガレ目が白状しないのは問題ではないのです。たしかに着流しで裏山へ登った人々はその炭小屋をめざしていたのでしょう。あなたはすでに事件を解いているのですよ。たッた一ツ、いろいろのことを結び合わせるもの、結び目が足りないです。その結び目は炭焼小屋の近くか、小田原か、どこかになければならない。しかし、それが分らなくとも、すでに事件は解かれております」
きいていた菅谷も花廼屋も虎之介もアッとおどろいた。特に菅谷は冷汗を流して、
「どうも私には分りません。ガマ六の屍体をムシロにつつんで夜に入るのを見すまして汽車の線路へ持って行くには、ただ歩いても一時間半、二時間ちかくかかりましょう。まして重い屍体を運ぶなどとは人間業ではありません。怪力無双のオタツだって、そんなことはとてもできません」
「むろん、できませんとも。しかし、この事件はそんな風に行われたものではないのです。とにかく、下曾我へ行って、結び目をさがしましょう。それが分れば別に複雑な事件ではないのです。明朝一番で出発いたすと致しましょう」
★
明朝の一番では海舟邸の朝詣りが間に合わないから、虎之介が慌てて海舟邸へかけつけたのは夕食前だ。その時間が訪問に不都合だなどと云っていられぬ。
しかし、それから二時間後、クラヤミの氷川町へ現れた虎之介はガッカリしたように首をふりふり、感無量であった。
「先生がモウロクされたとは思われぬが、年のせいか、どうも夕食すぎはにぶっておられる。キリンも老ゆれば虎に及ばずか」
虎之介はシャレにならないことを呟きながら、ブリブリしている。
翌朝顔がそろって、一番列車にのりこむ。花廼屋が虎之介をからかって、
「どうだ。氷川詣での御神託は?」
「夕食後はいかんわい。ボケておられる。オタツの怪力は分ったが、美人であろう、どうだと仰有る。知りませんナ。美人らしくもないようですな、と答えると、そこを知らずにタンテイができると思うか、オタツは美人にきまっている。世界中に一番助平なのは、遊女屋の客ではなくてそこの亭主だとさ。奴らが女をさがしにでるのはお客のためではなくて自分のためだ。どこかに今まで見たこともないような珍しい女がおらぬかと考えている。タダの女にあいてるのだな。そのような色ガキにオタツのような女はふるいつきたいような魅力だ。そこで言いよる。オタツも色を好む女だから、炭焼小屋で身をまかせたが、大金を所持しているのを知って男どもをヒネリ殺してしまった。オタツは小男を可愛がるが、大きな男や偉ぶった男はひねりつぶしたがる女だそうだ。虎もひねりつぶされないように気をつけろ。オタツは大そう美人だぜ、だとさ。アッハッハ。海舟先生も衰えたなア。年寄が諸事助平と見たがるのは、危い年頃だぜ。これを後世、老年期、あるいは老いらくの危機と云うなア。お前なんぞは若いうちから、危機つづきだなア」
虎之介は海舟先生のミタテ違いに腹をたてて、花廼屋にまで毒づいている。
国府津から人力車を急がせて小田原へ。ガマ六の家へ行ってタバコの道具を示して彼がこのたび持って出たものに相違ないのをたしかめたが、
「旅にでる前に、誰か人がきて御主人と打ち合わせていた様子はありませんか」
「別にそんなこともございません。フイに思い立ったように旅にでる習慣でした」
「御主人の毎日のきまった習慣はどんなことでしたか。朝起きて、顔を洗って、それから」
「夜がおそい人ですから、起きるのはヒル近いころですが、目をさますと花房さんへ朝湯につかりに参ります。ちょうど目をさますころ、十一時ごろが、あの銭湯の開店時刻なんです。ですが最近は遠い銭湯へ行ってましたネ」
「それはいつごろからでしょうか」
「そうですねえ。そうそう。お隣りの質屋の息子が窓から女湯をのぞくとかで高い塀をたてたでしょう。主人はヒドいことをしやがる、とブリブリ怒ってましたが、そのころから行かなくなったようです」
「それは珍しい話ですね。質屋の息子とこちらの御主人は仲がよかったんですね」
「以前はいくらか、何か、あったようですが、近ごろは訪ねて来なくなりましたね」
風呂から戻って飯を食うと、箱根の店を三軒見廻りにでて、それからよそへ廻ったりして、おそく帰ってくる。それだけの生活だという返事であった。
新十郎は花房の湯でも同じことを内儀にきいた。この内儀は良人の死因に疑いをもっているから、よく考えながら、
「そうですねえ。旅にでる前に特別誰かと打ち合わせもしませんでしたね。いつも急に思いたつのですよ。毎日の習慣と申しますと、私たちは夜がおそい商売ですから、朝寝で、おヒルちかくまでねていますが、あの人は建築業をやってますから、早起きで毎日九時ごろには起きて店の表へ出て『本日十一時開店』の札をだします。いえ、札を裏がえしにするんです。私たちがねる前に『本日終業』の方をだしておきますから、その裏を返すと『十一時開店』がでるのです。それから食事して、私たちの知らないうちに仕事にでてしまうのです。ですが、最近は、夜あけごろに一度目をさまして、入口の札を直したそうです。その後また一ねむりしたそうですが、そんなこまかいことが気にかかるのも、こうなる知らせと申しましょうか。なんとなく神経質でしたよ」
「塀を高くしたのも、朝早く起るようになったのと同じころからですね」
「塀を高くしたのは、それよりも早かったようです。私が高くしたのです。お隣りからのぞく人がいて困るというお客さんの言葉を再々きくようになりましたから。それは半年以上も前のことで、主人が朝早く起るようになったのは、それから三月四月もたってからでしょう。死ぬ二月前ぐらいからです」
新十郎は厚く礼をのべて去ったが、再びガマ六夫人を訪れて、
「失礼ですが、御主人がよその銭湯へ行かれるようになったのは、御逝去の一月か一月半ぐらい前からではないでしょうか。ちょッと大切なところですから、よく思いだしていただきたいのですが」
「そうかも知れませんねえ。私にはハッキリ分りませんよ」
「で、それから何か他の習慣にも変りがありませんでしたか」
「そうですねえ。花房の湯は色街のくせに開店がおそい。それを怒ってましてね。朝がえりのお客の間に合わないでしょう。主人も目を覚すのが早くなって、花房のひらかぬ時刻に、店のお客の朝がえりと一しょぐらいによその朝湯へ行くようになりましたよ。六時ごろでしょうねえ。五時半か六時半ごろ」
「朝湯のあとで一眠りなさらなかったでしょうか」
「よく御存じですね。朝酒をのんで、ヒルすぎまでグッスリ一ねむりでしたよ」
「どうも、ありがとう」
新十郎はそこをでるとニコニコして、
「どうやら結び目が分りましたよ」
彼は小田原の警察署で署長と密談していたが、たっぷり二時間もたってから、ようやく現れて、待っていた三人に、
「事件は最後です。さア、参りましょう」
一行は出発した。(犯人は誰でしょうか?)
★
菅谷の案内で東京の三人組はナガレ目の昔の小屋へ行った。と、そこにはすでに小屋がない。菅谷は呆れて、
「ハテナ。私が小屋を見たのは、昨日、オトトイ、サキオトトイのことだ。たった三日のうちに小屋をこわしたわけだ。もっとも、こわすのに十分もかかりませんが」
「なくなってる方が自然ですよ」
と、新十郎は一応その辺の土の上や樹木などを見て歩いた。
「ここからヒノキの谷まで何時間で行かれますか。山伝いに」
「そうですねえ。道がないところですから、我々は三四時間かかるかも知れませんが、山になれてるクサレ目やオタツは一時間半か、急げば一時間ぐらいで行きましょう」
「クサレ目の今の小屋までは?」
「それは谷と反対の方向ですが、ここからならクサレ目の足で三四十分で行きましょうか。それからもう二三十分でオタツの山小屋へつきます。つまりクサレ目の今の小屋から谷へは一時間半から二時間ぐらい、オタツの山小屋から谷迄は二時間から二時間半ぐらいでしょうか。私たちならもっともっとかかりますが」
新十郎はうなずいた。彼らが次に行ったのはクサレ目の新しい小屋だった。クサレ目は炭にやく材木を小屋の前で切りそろえていた。
「お前は早いとこ古い小屋をこわしたなア。何か珍しい物が出なかったかい?」
新十郎は声をかけた。ナガレ目は知らない人に声をかけられてビックリしたらしいが、黙っていた。新十郎はズカズカ歩みよって、きびしい態度、きびしい声。
「お前を警察へ連れて行かねばならぬ。オタツがみんな白状したぞ。お前はガマ六と雨坊主をおびきよせて、金を奪って殺したな。お前が二人をおびきよせるために深夜小田原へ行って花房の湯の終業の札を裏がえしにして合図しておいたのも分っている。もうジタバタしても逃げられない」
新十郎はナガレ目の腕をつかんで、逆をとって、ねじあげた。ナガレ目はマッ蒼になって、怖しげに目をとじた。これを観念の目をとじると云うのであろう。バカバカしい大きな溜息を一ツもらして、必死に云った。
「オレが花房の湯のフダを裏がえしにするのは三年も前から花房の旦那と相談の上のことですよ。それはあの人にたのまれた女の子のことで、新しい話がある、という報らせでさア。おびきだすなんて、ウソだ。それに、ガマ六の旦那とは二年前に手を切ってらア。花房の旦那にガマ六と手をきるようにたのまれたからですよ。私はあの日も花房の湯の札を裏がえしにして花房の旦那に合図しただけだから、どうしてガマ六の旦那の方が来たのか話が分らねえ。あとで花房の旦那にきいたが、ガマ六の旦那は札を裏がえしの合図を見破って、花房の旦那の起きないうちに札を見にきて、裏がえしの札を元にかえして、自分が身代りに来たんでさア。それを見破ったから、早起きして札をしらべるようにしたが、又、やられたのだそうだ。オレのせえじゃアねえや」
「それから、どうした」
「オレは知らねえや。そのときオタツが谷へ遊びにきていて、二人で一しょに帰っただけだ」
「二人はなぜ一しょに帰ったのか」
「花房の旦那でなくてガマ六が来たからオレは新しい女の話を教えてやらなかったのだ。旦那はあきらめてオタツが帰るとき一しょに帰ったのだ。オレは何も知らねえや。その後で、花房の旦那が牛に殺された時だって、オレは知らねえや。あの日、旦那がくるのは知ってたよ。目印しの札を裏がえしにしてきたからね。旦那があの日くるのは分ってたから谷へきて待ってたんだが、あの牛があの日まであばれたことは一度もねえや。今までに旦那が何十ぺんきても、マチガイがないじゃないか」
「二人は道を歩いてきたのか」
「道を歩くと人目につくから歩かねえよ。お寺詣りのフリして、炭焼小屋で夜を明して、翌日くるのだ。あの小屋から谷までは夜は暗くて分らないが、昼は目ジルシもあるし、歩くのは楽だ」
「その日オタツが来ていたか」
「前の日来たが、その日は来ない」
「前の日来たとき花房が明日くることをオタツに話したな」
「オタツはガマ六とオレの話をきいて、時々花房の来ることを知っていたから、それから後は谷へくるたび花房のことをいつもきくようになったのだ。オレはいつも谷で待ってるだけだ。オレは小屋がなくても、木の下にねられるから、雨風の日も谷でくらしていられる。あの炭焼小屋をでてから後は、オレは一度も炭小屋でねたことはないや。ただその巡査が変なことを云うから、炭焼小屋をこわしただけだい」
「それが本当かウソか、警察へきてオタツの前で言ってみろ。オタツはそうは云うていないぞ」
「オタツはウソつきだ。オレが人を殺すもんか」
一行はナガレ目をひったてて、警察へ戻った。戻ってみると、オタツはすでに捕えられて留置されていた。腕の立つ猛者を十名もさしむけてオタツを捕えたそうだが、それでも甚だ難儀な立廻りであったという。
犯人はオタツであった。ナガレ目は無関係であったし、カモ七もオタツの犯行を全然知らなかったのである。新十郎は語った。
「オタツとガマ六はその晩炭焼小屋で一夜をあかしましたが、ガマ六の大金を見てムラムラと殺意を起し、重い棒か何かでガマ六の後から頭を一撃して、殺したのです。一撃によって頭がくだけて、目がとびだすという強襲でした。それをコモ包みにして山小屋へ運び、畑の物と一しょに下の家へ運び下して、いったん自宅へおき、夜行列車の通る直前に線路へすててきました。また、花房がくるのを知ると炭小屋で待ちぶせていて、二人で一夜をあかし、翌朝花房をねじふせて、ナワか何かで後手にいましめてコモで包み、谷へ運んで牛の角をめがけて花房を上へふりかぶって投げおろした。牛がおどろいて、角をぬくと、もう一度花房を突きあげて自分のナワをきって盲メッポウ走りだしたのでしょう。花房は牛の角につかれるまで生きていたのです。花房をねじふせてコモにつつむとき、抵抗に対してちょッと手荒にやったから、口中に土がつまったり、右腕が折れたりしたのでしょう。コモに包んでから、花房のタビをぬがせて、炭焼小屋の中にすてられていた古いワラジをはかせた。それはオタツが花房の習慣を知らないからで、谷へ降りたと見せかけるには当然誰にでもワラジをはかせる必要があると考えたのでしょう。ガマ六もワラジをはいていた。花房でも誰でもワラジをはくのが当り前と、そこは田舎者ですから自分の生活の常識通りにワラジをはかせた。質屋の倅の犯行でないこと、田舎者の犯行だということは、これで殆ど察しがついたのですよ。オタツは怖しい女ですね。ガマ六を殺して以来、持って生れた妖しい毒血のようなものがうごきだしたのでしょう。男と一夜のチギリをむすんで殺す。生きたままコモ包みにして牛の角で殺す。そういう殺し方でないと満足できないような妖しい気持が生れたのでしょう。犯行が分らなければ、さらに里へ進出して、見知らぬ男にハダをゆるしてはムザンな殺人を犯したろうと思いますよ」
そこまできけばタクサンだった。虎之介は海舟のおどろくべき心眼の鋭さを思い知り、氷ヅメにされたように力を失ってしまった。
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海舟の前へ現れて物も云わずに平伏したまま五分たっても頭をあげないのは虎之介であった。彼の頭は青坊主である。スッカリ頭を涼しくそり清めてきたのは敗北のシルシであろうか。その頭を見ると、「石」という字が書いてある。頭へどうやって字をかいたかと、海舟が一膝よせてよく見ると、これが頭の中央へお灸をすえて字の形を表したものだ。字をかきあげるまで一時間もかかったろう。石という字は石頭をわびる意を現しているのかも知れない。
「書かなくとも分ってらア。ムダなことをする奴だ」
海舟は笑った。それをきくと虎之介は罪の許しを得たと解して安心したのか、頭を起して、
「今後は夕食後に参ります」
と、ムッツリと妙なことを一言云って帰って行った。
底本:「坂口安吾全集 10」筑摩書房
1998(平成10)年11月20日初版第1刷発行
底本の親本:「小説新潮 第五巻第一三号」
1951(昭和26)年10月1日発行
初出:「小説新潮 第五巻第一三号」
1951(昭和26)年10月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※表題は底本では、「明治
開化安吾捕物」となっています。
※初出時の表題は「明治
開化安吾捕物 その十二」です。
入力:tatsuki
校正:松永正敏
2006年5月11日作成
2017年5月25日修正
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