倫敦の一夜
岡本綺堂
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六月二十八日の午後六時、ハイド・パークの椅子によりながら講和条約調印の号砲を聞いた。号砲は池のほとりで一発又一発とつづけて打ち出されるので、黄い烟が青い木立のあいだを迸り出て、陰った空の下に低く消えてゆくのが眼の前にみえる。一隊ごとに思い思いのユニフォームを着けた少年軍が、太鼓をたたき、喇叭を吹きながら、足並をそろえて公園へ続々と繰込んでくる。今にも降り出しそうに暗い大空の下にも、一種のよろこびの色が漂って来たが、そこらに群がっている人たちは左のみに動かない。講和条約の調印──それは既定の事実だと云うような顔をしてみんな冷かに沈黙しているらしくも見えた。これが代表的英国人というのかも知れないと私は思った。
宿へ帰ると、晩餐のテーブルに珍しく日本酒が出ている。いよいよ平和克復の祝意を表するのだと云って、ふだんは無口の主婦も今夜は流石ににこにこしている。われわれも無論祝意を表して、更に夜の市中の光景を観るべくZ君M君と三人づれで再び宿を出た。出るときに空を仰ぐと暗い雲はだんだんに倫敦の上を掩って、霧のような冷い細雨がほろほろと帽子の庇に落ちて来た。部屋へ引返して雨仕度をして出ると、近所の家々の軒にかけられた国旗が湿っぽい夜風にゆるく靡いている。
此頃の倫敦は非常に日あしが長くて、夜も十時頃でなければほんとうに暮れ切れない。しかも今夜は昼から陰っているせいか、まだ八時というのに表はもう暮れている。われわれは薄暗い横町を足早にたどって、先ずオックスフォード・サアカスの大通りに出た。出てみると昼と夜とはまるで世間のありさまが変っている。どこから集まって来たか知らないが、無数の人間が三方から真黒に押寄せて来て、一方のピカデリー・サアカスの方角へ平押しに押してゆく。われわれもその渦のなかに呑み込まれて、殆ど無意識におなじ方面へ押されて行った。
夕刊の新聞記事によると、今夜の賑いの中心はトラファルガー・スクエヤーで、そこで花火が揚がるという。群衆の潮もその方角へ向って流れてゆくらしい。そう思いながら、押されるままに進んでゆくと、路傍のホテルや料理店の二階三階からコンフェッチーが無暗に投げられるので、紅白の細かい紙の雪は群衆の帽子や肩の上に一面に降りかかってくる。もう斯うなると、代表的英国人も何にもあったものではない。沈着と謹慎を売物にしている英国人も今夜は明っ放しの無礼講である。喉が破裂しそうな大声をあげて歌う者がある。訳も無しにわっわっと呶鳴る者がある。旗を振ってあるく者がある。一種の小さい毛箒のようなウィスクを手に持って、誰でも構わずに人の顔をなで廻してゆく者がある。
このウィスクが唯一のいたずら道具で、若い女はみんな一本ずつ用意している。そうして人と人とが摺れ違う途端に男は女の顔を擦る。女は男の鼻を撫でる。うしろからその襟首を撫でまわすものもある。何となく擽ぐったいので、誰も彼れもきゃっきゃっと云って逃げまわる。逃げると云っても、犇々と押詰められている混雑のなかであるから自由に身をかわす余地はない。撫でられて擽ぐられて、きゃあきゃあ云うよりほかはない。われわれも幾度かその擽ったい攻撃を受けた。どこの国でも商売にぬけ目はなく、混雑の間をくぐってこのいたずら道具を売り歩いている商人も沢山あるが、百本や二百本のウィスクは瞬くひまに売れ切ってしまうので、土地馴れない我々には容易に買い付けられない。
くすぐったい顔をしかめながら、どうにか斯うにかピカデリー・サアカスを通りぬける間に、Z君といつかはぐれてしまった。M君と私とははぐれないように腕を組んでゆくと、その腕のあいだに割込んで通ろうとする人もある。花火の音がそこらでぽんぽんきこえると、その度毎に大勢の人が空を仰いでわっと鬨の声をあげる。玩具の喇叭を吹く者がある。汽笛のような笛を吹く者がある。しかもその喇叭を人の耳のそばで不意に吹き立てて大勢を嚇かしてあるく悪戯者もある。
もう一つ、これらの悪戯者に脅かされたのは彼のタキシーである。タキシーがこの群衆のなかを押割って乗抜けようとすると、群衆は直にその進行を遮って、誰も彼も争って車の中に乗込んでしまって、余った者は馭者台にも腰を掛ける、屋根にも攀じ登る。そうして、鬨の声をあげながら混雑のなかを乗りまわしてゆく。勿論、十分の速力を出して駈るわけには行かないので、唯わあわあ云いながらよたよたと徐行していると、その左右からもうしろからも同じく鬨の声をあげながら後押をして行くものもある。空の自動車は斯うしてみな占領されてしまった。去年の休戦当時にも斯うした例があるので、交通機関の乗合自動車は宵から賢くも運転を止めてしまったらしく、そこらに一台もその姿を見せなかった。
われわれは半分夢中で、目的地のトラファルガー・スクエヤーまで押されてゆくと、彼のネルソン将軍の高い塔にはおびただしい国旗が懸けられている。塔の下の空地で花火が打揚げられるのであるが、とてもその傍へは寄付けないので、どんな仕掛花火かよくは判らない。ただ時々に高く飛びあがる紅や青や紫の星の光がみだれて流れるのを仰ぎ視るばかりである。その花火の光を奪うようにどこからか探照灯がひらひらと閃いて来て、真黒にうず巻いている人々の帽子や顔を蒼白く照して通る。それが通りすぎると、暗い空は再び花火の美しい星に彩られる。空ばかりでなく、地の上もときどきに真紅に灼けたり、真青に光ったりするらしいが、人の垣に隔てられて覗くことも出来ない。ここでも幾たびか顔を撫でられた。
ここを立退いて、少し混雑が薄れるかと思うと、往来のまん中に輪を作って、幾組も踊っているのがある。踊りながら歩いているのもある。自分勝手に花火をぽんぽん打揚げているのもある。鼠花火のようなものを人の足もとへ投付けて、その火におどろいて飛び上るのを喜んでいるものもある。巡査は笑って見ているばかりで、今夜は決して叱ろうとはしない。
群衆は我々と前後して、暗い木立の下を縫ってゆく。バッキングヮムの宮城前へ集まるのである。宮城前の広場にはもう幾万人か屯している。
『キング! キング!』と叫びながら駈けてゆく者がある。我々はそのあとに付いて駈けてゆくと、露台には灯火が燦として輝いて、英国皇帝陛下も皇后陛下もそこに正しく立ってられるのが夜目にも仰がれる。陛下からどう云う御会釈のお詞があったか、遠方からは勿論聴き取れなかったが、幾万の群衆はどっと声をあげて、帽を振るものもある。ステッキやハンカチーフを振るのもある。陛下のお姿が窓にかくれて、露台が闇につつまれた後も、宮城の森に反響する歓呼の声はしばらく止まなかった。
帰りはなるべく混雑の少い抜道を択んで、もとのオックスフォード・サアカスまで帰りつくと、夜風の寒いのが初めて肌にしみた。暗い雲はだんだんにちぎれかかって、その袖の下から白い星が二つ三つ瞬きもせずに下界を視つめているらしかった。宿へ帰って時計をみると、今夜はもう十二時を過ぎていた。
底本:「世界紀行文学全集 第三巻 イギリス編」修道社
1959(昭和34)年7月20日発行
入力:門田裕志
校正:小林繁雄
2006年7月3日作成
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