花は勁し
岡本かの子



 青みどろを溜めた大硝子箱の澱んだ水が、鉛色に曇つて来た。いままで絢爛に泳いでゐた二つのキヤリコの金魚が、気圧の重さのけはひをうけて、並んで沈むと、態と揃へたやうに二つの顔をこちらへ向けた。うしろは青みどろの混沌に暈けて二ひきとも前胴の半分しか見えない。箱のそとには黄色い琥珀の粒の眼をつけた縞馬の置物が、水粒が透けて汗をかいたやうな硝子板に鼻を擦りつけてゐる。

 箱の蓋の上に置いてある鉢植のうす紅梅がぽろ〳〵散つて、逞しい蕊が小枝に針を束ねたやうに目立つ。

 新興活花の師三保谷桂子は、弟子の夫人や令嬢たちが帰つたあとで、材料の残りの枝を集めて、自分だけ慰みの活花をずんどうに挿して、少時しばらく眺め入つてゐたが、俄に変つて来た空の模様を硝子戸越しに注意しながら、少しの天候の変化からもぢきに影響される金魚の敏感な様相を観まもつた。

 空の模様はます〳〵険悪になり、しぶき始めた雨と一緒に光り出した稲妻の尖端が、窓硝子を透して座敷の中の炭炉にさした。

「金魚、縞馬、花、稲妻──まるで幻想詩派サンボリストの文人たちの悦びさうなシーンだね」

 落ちついて水を持つて来た姪のせん子に、聞かせるといふほどの意志もなく桂子はいつた。

 それから桂子は、桂子がフランスを発つて来る間際まで、世紀末生残りの詩人が、まだ飽きずにこんな感じの詩を作つてゐたことを、ちよつとの間、憶ひ出してゐた。

 未完成のまゝ花器の根元を持つてそつと桂子が押しやつたずんどう花活はないけへ、水を差しながらせん子がいつた。

「先生けふは三十日──あしたは晦日──今夜でも小布施さんにお金を持つてつてあげないぢや」

 小布施は桂子の遠い親戚の息子で、もと桂子が画を習つてゐた時の同門でもあつた。不遇で病弱で、長く桂子に物質的補助をうけてゐる画家であつた。

 桂子は花の屑を包んで膝かけを外しながら、いつも病気勝ちな小布施に何かにつけて気を配るせん子をいぢらしいと思つた。ひよつとしたら内心、小布施を愛してゐるのかも知れない。桂子はそれから襟元を少し掻き寛げ、右手の拇指を右の前脇の帯に突き込んで扱くと同時に、体格のいゝ胴を捻つた。博多の帯がきし〳〵鳴つた。

「あゝ窮屈だつた。お弟子達には行儀よくしてなくちやならないから辛いね。せん子、お茶でも持つて来ておくれ」

 茶室造りの畳の根太の下に響いて、やゝ烈しい雷鳴が一つしたあとは、ずつと音響が空の遠くへ退いて行つた。桂子は、姪でも内弟子でもあるせん子を相手に麦落雁を二つ三つ撮んでから漆塗りの巻絵の台に載つてゐる紙包の嵩をあつさり掴んだ。これは今日の弟子達が置いて行つた月謝の全部だ。桂子はそれを袱紗に包んで、

「どれ、若い恋人に会ひに行かうかね」

 なかばせん子の気を牽きながらかういつた。

 せん子はまはりを見廻して眉を顰めた。

「冗談にもそんな云ひ方はよくありませんわ。人聴きが悪い……」

 その声には、伯母でもあり先生でもある桂子の身の上を憶ふ、純粋な響きだけだつた。

「ひとり身の女がこんな口を利くやうになるのはよく〳〵のことよ」

 いくらか桂子は悵然とした口調でかういつた。

 だが空が和んで来て生毛のやうに柔く短く截れて降る春雨を傘に凌いで、内玄関から出て行くときには、桂子は均斉のとれた大柄な身体を、何の蟠りもなくすつくりと伸して、昼間は人目につくと云つて小布施を訪ねるのをとめだてするせん子を見返つて、

「昼間堂々と行く方が、世間の噂に逆襲をして却つていゝんだよ」といつた。

 せん子は今更ながら美しい若い伯母の優しい気立てのなかに、どんな苦労も力強く凌いで行く精神力の潜むのを感じ、それをそのまゝ現はしてゐるやうな桂子の後姿を、信頼の眼差で見送つた。それから自分にもその元気が移りでもしたやうな張つた声で、勝手元の方を向いて云つた。

「ばあや、前庭の桃葉珊瑚あをきに実が一ぱいついてるよ。青い葉の間に混つて青い実がついてるものだから、まるで気がつかなかつたわ。」

 活溌な足音がして内弟子の桑子と書生が、婆やより先にせん子の佇つてゐる洋館の内玄関の扉口の方へ駈けて来た。



 桂子は邸宅と商家と肩を闘はして入れ混つてゐる山手の一劃から、窪地へ低まつてゆく坂道を降りて行つた。桜の並木があり、道の縁を取つてゐるまだらな竜の髭に、品格のある庭木が藪からしや烏瓜の蔓に絡まれながら残つてゐる。むかし相当の庭園の入口でゞもあつたものを、庭は住宅に埋められて、道だけ残されたものであらうか。硬い老幹と、精悍な痩せた枝の緊密な組み合せは、鋼鉄と鋳鉄を混ぜ合せて作つた廊門を想はせる。

 桂子はこの鋼鉄の廊門のやうな堅く老いくろずんだ木々の枝に浅黄色の若葉が一面に吹き出てゐる坂道に入るとき、ふとゴルゴンゾラのチーズを想ひ出した。脂肪が腐つてひとりでに出来た割れ目に咲く、あの黴の華の何と若々しく妖艶な緑であらう。世の中には殆ど現実とは見えない何とも片付けられない美しいものがあると桂子は思つた。

 桂子は一人になつて寂しい所を歩いてゐると、チーズのやうな何か強い濃厚しつこいものが欲しくなつた。講習所の先生として、せん子などを相手にお茶請けを麦落雁ぐらゐな枯淡なもので済ます時の自分を別人のやうに思ふ。外国へ行つてから向うの食物に嗜味を執拗にされたためであらうか。

 雨は止んで、日ざしが黄薔薇色の光線を漏斗形に注ぐと、断れ〳〵に残つてゐる茨垣が、急に膠質の青臭い匂ひを強く立てた。桂子は針の形をしてゐながら、色も姿も赤子のやうに幼い棘の新芽を、生意気にも可愛らしく思つた。

「刺すなら刺してご覧。」

 桂子は、指紋の渦が緻密で完全に巻いてゐる人差指を伸して、棘の尖を押した。

 新芽の棘は軽い抵抗を示しながら、ふによ〳〵と撓んだ。強く押すと芽の腹の皮の外側は、はち切れさうになり、内側は皺が寄つた。するとその芽が切なく叫んだやうに、赤子の泣き声が桂子の耳の奥に幻聴を起させた。桂子は指を引込めた。

 三十八の女盛りでありながら、子供一人生まなかつたことが、時々自分に責められた。幾人か生んでゐべき筈の無形のこどもの泣声だけが、とき〴〵耳についた。今まで数多くうけた処生上の迫害やら脅迫から桂子はいくらか被害妄想にかゝつてゐて、幻想や幻覚はしよつちゆうあつた。桂子は気分を襲つて来た悲惨な蝕斑に少し堪らなくなつて、駆け出して少女のやうに小布施のアトリヱへ転げ込んで、年下の男の友人に何かおいしいものでも喰べさして貰はなければ慰み切れない辛い気持になつた。ごくりと唾を呑むと涙がほろ〳〵とこぼれた。だが、ふと陽がさしてゐるのに気がついて蛇の目を窄め、無理にぐん〳〵上りの坂にかゝると、自分の優秀な肉体が、自分の肉体の優秀なのを足駄を踏みかけて行く両股の上に力強く感じた。男と同じほどの背丈があり、それに豊かな白い脂肉が盛りついてゐる自分を崩折れさすわけにはゆかないと、気持が立ち直つて来る。

 坂を上り切つて、晴れかゝる春先の陽の下の町の屋根々々を見返つたときには、桂子の気分の悲惨な蝕斑は薄れて、腹痛の癒りかけたときのやうな感謝すべき、ほつとした気持になつた。笑ひ度いやうな痛痒い鈍痛だけがかすかに残る。するとほの〴〵とした野心的アンビシアスなものが頭を擡げた。

「苦しい人生をせめて花で慰め度い。私の花を溢らせ度い……。せめてこの都にだけでも一ぱいに……」

 桂子の人生に対する愛撫に似たものが、野心に張り拡げられて、蝋銀色のうすものゝ翼となつて、陽炎の立ちかけてゐる大東京の空を軽く触れ去るやうに感じた。

 桂子は巴里の美術服装家マレイ夫人に招聘されて六年間の仏蘭西滞在中、ロンドン在留同胞有志の懇望で、海一つ越えて一ヶ月程活花を教へに行つた。夜は毎夜露き出しの夜会服の背中を寒がりながら、シーズンの演劇を見て廻つた。一流劇場のクイーン座でバーナード・シヨウの「セント・ヂヨン」を見た。一般の批評では、この著者は仏蘭西の聖少女を痛快に揶揄したやうに取沙汰された。しかし、桂子は聖少女がこの著者の気持よげに薙ぎ廻す皮肉の刃を、身に遣り過して一つも傷をとゞめない不逞の正体を感じ取つた。女には女の観る女の正体がある。他の人意の批判は目の触りにならない。自分でも意識し尽せぬ深い天然の力が、白痴であれ、田舎娘であれ、女に埋蔵されてゐて、強い情熱の鈎にかゝるときに等しくそれが牽き出される。それが場合によつては奇蹟のやうなこともする。または一生埋れ切る場合もある。どつちが女としての幸福か知れないけれど。

 桂子は巴里へ帰つてから、その劇のことをマレイ夫人に話すと、

「しば〳〵作者の意図以上のものが出てしまふのが天才の芸術だといひますね。シヨウはたぶん天才でせう」

 白けてはゐるが敬虔に媚びた笑を交へた彼女独得の美しい笑ひ方をした。

丹花たんくわを口に銜みて巷を行けば、畢竟、惧れはあらじ」

 これは女学校友達の女流文学者K──女史が、桂子の講習所を開くとき掛額に書いて呉れた詞句だ。講習所の娘たちの間に、これを読んで、「丹花の呪禁まじなひ」だといつて、活け剰りの花を口に銜へ、腰に手を当てゝ、映画に出て来るジヨルヂユ・サンドのやうな気取つた恰好で濶歩するのが一時流行つて、やがて廃れたが──。

 桂子は坂の上り口から雨上りの人少なの一筋道に遠見がついて、その両側に邸宅が稀で、新旧の商家がずらりと、行人に対して好奇心に貪慾な大小の口のやうな店先を開けて待ち受けてゐるのを見渡すと、今更たぢろぐ思ひが湧く。小布施へ通ふ桂子の噂がこゝらに一ぱい拡がつてゐるのを、かねて桂子は知つてゐた。桂子を敵視する同業者の家もあつた。ふと、あのK──女史が書いて呉れた詞句のやうに、花の茎でもぎつちり糸切歯と糸切歯の間に噛み締めて歩いて行くなら、この惧れに堪へられさうに思へた。一時の間でも花に離れてはならない。彼女は肩を一つ揺つて、また、肉体の雄勁な感覚から自信を取り出して、真直ぐに歩きだした。



 入口に俥止の杭が打つてある、質素な住宅地の太く通つてゐる筋の道路を右に切れ込んだ角から二軒目に、小布施の住居があつた。下は日本間になつてゐて、二階は画室になつてゐた。

 金目かなめ黐垣の抽き過ぎて出た芽を、二つ三つ摘み捨てゝ、松材の門の扉に手をかけ乍ら桂子が振り仰ぐと、「程君画房」といふ新しい標札がかゝつてゐる。字は小布施の洋画家風の筆蹟である。その雨湿りが乾いたばかりの標札を見上げた時、桂子は何か直覚的に、はあ、また体の工合がよくないのだなと思ふ。

 不遇傲岸に見える小布施は、案外、時流に神経質で、十六七年も前桂子と同門で矢来町のY──先生の画室に預けられてゐた時分から、逐次独立するまで、後期印象派、ダヾ、表現派、新古典、超現実派と、およそ日本で尖端的に見える画風は魁けしてこれを取り入れ、通俗派の方面にぶつかつて行つた。

 桂子は常住青年らしい闘志を失はない彼に敬服したが、彼自身何ものをも掘り下げ得ない浮いた忙しさを危んだ。そこにはまたさういふモダンを取り入れて詩示することを意識した彼自らの慊厭の気持が、人を揶揄した筆つきや、どす黒い色調で観者に逆襲してゐた。世間は戸惑つて、彼を将来ある未完成の画家の範疇にあつさり片付けた。勿論売れる絵ではない。

 体質に伏在してゐた結核性がいよ〳〵肺を冒し出すやうになつてから、小布施の焦燥が増すのに桂子は気づいた。

「私は、お金がはいるうちは、生活を保証してあげますから、焦つてはいけませんよ。毒ですよ」

 桂子は何度も云つた。

 すると小布施は、

「いや、そんなことぢやない。人間といふものは、何等かの方法で始終自分の存在を社会に確めて居たいものだ」

 彼は抽象派アブストレートの絵を描いてゐたのを途中から止めて、東洋芸術省顧の風潮に従つて、洋画の道具を片付けて墨絵に凝り出した。程君房とか方干魯とかいふ桂子の耳には縁遠い支那の古墨の作銘の名を、桂子は先頃から屡々小布施の口から聴いたものだが、それを自居の雅名にして、標札にまで書いて出さねばならない気持にまでなつたのか──小布施の時流憧憬は病の進むに従つて、一々、即物化さねば心が安まらない風に見え出した。

 桂子が家へ入つて行くと、小布施は階下の十二畳に桃山風の屏風を引き廻らして、中で床に臥つてゐた。枕元には琺瑯質の鍋だの西洋皿だのが狼藉としてゐて、その間に墨の桐箱と墨の塗沫された画仙紙の上に水筆が転がつてゐた。

「まあ、どうしたの、この有様は。ねえやは?」

 小布施は先程から桂子の入つて来るのを足音で知つてゐたのに、わざと絵葉書のアルバムに眼をむけ続けてゐたが、かういはれると、眩しさうに眼を瞬いて、はじめて桂子を見上げた。疳癖があつて、蛾のやうな眉が高い額に迫つてゐる下に、柔和な細い眼がいくらか血膜炎にかゝつて、怯えを見せてゐた。元来、青白い顔色が急に浅黒くなつてゐる。

「しげ(女中の名)はきのふ暇をとつて行つたよ。今どき独身者の病人の家に、給金だけで永くゐる娘はないよ──遺産つきで女房の契約でもしてやらなけりや」

 ちよつと皮肉にいつたが、すぐ素直な声になつて、

「そんなことはどうでもいゝ。僕はこの二三日、女中がゐないんで、湯を湧かしたりごみ〳〵した用事で疲れて、本読んだり画をかくのが面倒なんで、寝ころんでひとりでに君のことを研究してゐたのだがね。君はやつぱり女であつて、女といふものには持つて生れた貞操といふものがあつて、それが結局、根本で万事を解決するんぢやないかと思つたよ。君どう思ふ」

 小布施はその証拠のやうにペラ〳〵とアルバムの頁を繰つた。そして、曾て見たことのない懐しい顔つきをした。今度は桂子が眩しい眼つきをした。

「何をつまらないことをいつてるんです。あたしのことなぞ今の問題ぢやないぢやありませんか。それよかあんたの病気はどうなんです」

 かうは訊ねたものゝ桂子は、小布施がいひかけた自分のことについての感想を、もう少し聞き進みたかつた。

「何故、今ごろそんなアルバムなんか持ち出してるの?」

 アルバムは桂子が外国へ行つてる間、根気よく小布施によこした絵葉書を挟んで置いた部厚な集成である。今頃珍しさうに見返すまでもない程、二人の間の過去の存在なのであつた。

「今になつてこの絵葉書を見て僕は思ふんだが、君が外国でこれを買ひ集める時は、単に君が自分で興味を牽かれた景色だの、芝居だの絵だの、陶器だの人形だのの絵葉書だらうが、こつちへ送つて呉れた時の趣意は、結局、僕を啓発して呉れるつもりのものになつてゐるらしいね。

 ところで、こゝに一つ面白いことがあるのだ。この三百枚かの絵葉書に書いた君の通信文を見ると、その時々の挨拶やら、旅の印象の報告やらで一枚一枚違ふが、君の主観の思想めいたものを探し出すと、きまり切つてたつた一つなんだ」

「どんな主観や思想なの」

「さういつたら君自身だつて驚くだらう。つまり、かうなんだ──私はどこまでも絵を生きた花で描き度うございます。絵の具ではどうしても物足りません──僕が二十で君が確か二十二のときだつたね。君が初めて想像で描いて来た理想画を僕がうつかり罵つたら、君が二三日欝ぎ込んで考へてゐたが、突然Y先生の前へ行つて、私は絵を生きた花で描き度うございます、絵の具では物足りません。さう云ひ切つてパレツトを割つて仕舞つた」

 桂子はそこまで聞いて、その当時のそのまゝの事をはつきり憶ひ出した。

 当然恋人同志になりかけてゐた二人の仲が、そんな経緯で変に醗酵せず、友情の方へ逸れて仕舞つたのではあるまいか──そして、華道の家元の父親の家へ戻つて、桂子は生花に取りつき出した。娘はその時の執念が、こんなに沢山の絵葉書の通信文の殆ど一つ一つにも一貫して通つてゐる、と小布施は今さらアルバムを桂子の前へ押しつけて云ふのである。

「私いち〳〵そんなことを意識して絵葉書送らなかつたわ」

「ならいゝかい。ところ〴〵読んでみようか。そらこゝに前衛派的な芸術論がちよつと書いてあり──それから、この芸術理論は私の活花芸術にも立派に応用されるのです。とにかく、私は私で私の理論性でも感情性でも凡て私の全生命を表現しなければなりません──ね、それ歴々たるものだ」

 かう云はれて見ると、桂子はたつたさつき坂の上で、都会の屋根々々を見渡して、思はず自分が拡充させた蝋銀色の翼の幻覚を思ひ出した。そしてあの意慾や感情と同じ系統のものが、小布施に送つた絵葉書の一端の通信文からも覚知されたのではなからうか──桂子は小布施の露はな指摘に逢つて、つい今しがたの坂の下での幻想も、何となく恥しいものに思はれた。でも、眼の前の小布施には一種の応戦的な調子になつた。

「それならそれでいゝぢやないの」

 小布施はだん〳〵興奮して来たのを、圧へられないやうに、

「東洋人が東洋人に還つたと自覚したこの頃の僕は、落着いて何でも明かに見えるやうな気がして来たんだ。そこで更に君に就いての穿つた観察を下して見ると、君は昔のあのとき自分の作品を攻撃されて、興奮して反撥して、そこで縋りついて行つたものが、家業の活花であつたればこそ、今日までの半生を花に忠実に仕へて来た。あの時、もし縋りつく目標に君のお父さんの家業の活花といふものが全然なくつて、一箇の男性が代つてその位置に立つてゐたとしたら、娘桂子は今日までの花に対する情熱と貞操を、その男性に注いで来たに違ひないと思ふのだよ。忠実なる主婦なり妻なりになつて──」

 桂子はそれを否定しようとしたが、小布施は抑へた。

「素質からいつても君はさういふ女だ」

 桂子が言葉を返しやうもない必死の独断が小布施の語気にあつた。殆ど病的な独断の強ひ方だ。桂子は何故小布施がこんな独断をして、自ら安心を得ようとしてゐるかと不思議に思つた。が、やがてだん〳〵それが判つて来たやうに思はれ出した。つまり気ばかり立つて体力の萎靡した男性にとつて、個性の確立した女性は負担を感ずる──で強ひてそのものゝ素質を男子の隷属物的なものと観て、自ら心の均衡を得ようとする、その本能に小布施も今や支配され出したのではあるまいか。それならその事の当否よりも、寧ろ小布施の体の容態を先に気遣はなくてはならない。

「それはそれとして、あなたの容態はどうなの今日は」

「うむ、今度は腹の方へ来たね。目出度いことだ」

 小布施が命に係はることさへわざと軽薄ないひ廻し方をするので、桂子はぐつと気持が胸へつかへたが、長患ひする者の自棄的な反語であるのを知ると、むしろ不憫に思へた。

「………」

 桂子は黙り込んで仕舞つた。小布施は身についた病み患ひに飽きて、病気のことゝなるとたとへ親切に慰められるのさへ好まなかつた。桂子などには反語で皮肉な応酬をするやうに、いつからか癖のやうになつて来た。

 桂子はうそ寒く両袖を掻き出した。そして庭を見た。庭は先日までの花壇を取り除けて仕舞つて、俄苔を貼つた平地のところ〴〵に石と寒竹だけが配置されてあつた。半月程稽古に忙しくて、桂子は来られなかつた代りに、せん子を時々見舞はしたのだが、かの女は庭に就いて何の報告もしなかつた。桂子は気がついて、

「いつ庭をかへたの。せん子は何とも云ひませんでしたよ」

「十日ばかり前に。どうせ僕も長くないと判つたから、植木屋を呼んで三日ばかりで急いで慥へて貰つたのさ。この部屋とこの庭は、あなたより他誰も入れたくない。死ぬまで僕一人で満喫する積りだ」

 夕陽が隣の瓦屋根の角と後塀の上を掠つて庭に落ちる。竹も石も片側茜色になつて、反対側に影をひいた。風が来て竹が戦いだ。

「新植の竹でも一人前に葉擦れの音をさせるから妙さ。僕は夜一人でこれを聞いてゐると、十七八年間馬鹿あがきの疲労が一時に捌かれるやうな気がする。もつとも、その下からちよいとした感傷の古傷が顔を出さないこともないがね。まあ、たいしたこともないさ」

 蒼冥と暮れ行く薄暮の裡に、中庭は神秘的に燻んで来た。

「兎に角、人間終末には枯淡な東洋趣味がいゝよ。あつさりしてゐて」

 桂子は余りに多く、余りに一時に攪拌された心を始末しかねて、言葉少なに電灯をつけ、そこらの食器を片付けて、持つて来た金包みを小布施の敷布団の枕の下へ押し込み、

「兎に角、せん子を当分こつちへ世話に寄越しときませう。またお医者でも代へて見て、さうむやみに命を諦めちまふものでもありません」といつて画房を出た。

 桂子は座敷を出しなに、ぐたりと寝てゐる小布施の人並以上の立派な身体をふり返つて、眼を抑へた。



 桂子は自分の講習所の開所五周年記念の大会が、十日ほど先の花の盛りの時分に、Q──芸館で開かれることになつてゐたので、桂子は同業への補助出品の依頼やら、挨拶やら、自分と弟子達の作品の仕掛けの工夫やらで、眼も廻るほど忙しかつた。

 桂子からして疑へば、このQ──芸館を借りることに就いて、既に約定されてゐたものを反対側の連中の策謀と思はれる力で、貸すとか貸さぬとか、開会ももう十日程の目睫に迫つて、故障が持ち上つた。理由はこの芸館で、まだ生花の会をやつたことはないといふのであつた。それから今までやつた美術品にしても工芸品にしても、一流の定評のあるものばかりで、多分に冒険性を含んだ野心家の「試み」をやられては、折角築き上げて来た芸館の一流品展観所としての貫禄を少からず損ずると、支配人が急に主張し出したといふことも仲介者は伝へた。

 講習所五周年記念の大会とはいへ、実は新華道界に於ける桂子のデビユーにも等しいものであつた。普通に使ふアマリヽスとか、チユーリツプ、カーネーシヨン、ダリヤといふやうな洋花以外の、まだ滅多に使つた例しのない奇矯な南洋の花や珍しい寒帯の花、枯れた草木の枝葉などを独創的に使ひ慣らして、華道の伝統感覚の模倣を破つた新興美術的手法の効果を示さうとした。その自信と成績を、桂子が世の中に問うてみる最初の企てなのである。

 どちらからいつても、桂子はこのまゝ引込んで仕舞ふわけにはゆかない意気に燃え上つて仕舞つた。だが結局Q──芸館借入れは不調に終つた。それに対する悩みや華会中止の不面目やが身に喰ひ入り、しんに疲れが浸みたのか、桂子はこの頃珍しく昼寝をするやうになつた。

 いつの間にやら花も散つて、自分の焦る心より先に季節が先走りするのが、ひし〳〵と桂子に感じられた。

 今日も茶室の小座敷で襖に留金を掛け籠枕を頬に当てゝ横になると、桂子は多少、自分の世界を取り戻した気持になる。せん子を小布施のところへ遣つてから、手廻りは何事も不如意で、代つてして呉れる内弟子のカリフオルニヤ生れの桑子はビジネスライクに過ぎて、気持にそぐはないところが多い。それから姪のせん子でなければ、して貰へないこともある。寝室の壁の隠し棚に入れて置く夜壺ナイトポツト、たとへこれがペルシヤ模様の清楚華麗な品であるにしても、この始末など、いくら内弟子でも桑子にはさせられない。自分でしなければならない。だが、年頃になるまで外国で育つた桑子のすることには、日本の習慣に馴れない一種の愛嬌があつて慰むこともある。生花の師には弟子から何かと贈物があつた。ある日下町の割烹家から鰹の土佐焼を美しい祥瑞うつしの皿に盛つて送つて来た。その鰹の肉片が片側藁火に焙られて、不透明な焼肉の色から急速に生身の石竹色にけてゐるのをまじ〳〵と見詰めながら、桑子は師匠に云つた。「先生、このお刺身は腐つてゐません?」さういふときには、桂子は男の子を一人持つたやうな愛感が熱く身に沁み出るのを覚える。かの女は先づ桑子に握手してやるのであつた。それからいふ。

「桑子! まあ、いゝから〳〵!」

 これも桑子のやり過ぎた仕業の一つとして、椽側の金魚の硝子箱は綺麗に掃除され、折角青みどろの溜つた水は、截りたての晒木綿のやうなの水に代へられてあつた。しかし、桂子はこれも夏向きの季節柄悪くはないと思つた。そして暫く忙しくて眼にとめてゐられなかつた庭や椽先の光景を、しんみりと眺めた。

 庭一面にぐんと射当てゝ、ぐんと射返す初夏の陽光は、椽側にも登り、金魚の硝子箱を横から照らして、底の玉石と共に水を虫入り水晶のやうに凝らしてゐる。眩しがる二ひきのキヤリコの金魚は、多少怪訝の動作を鰭の角々のそよぎに示しながら、急に代つた水の爽快さを楽しむらしかつた。

 キヤリコは白紗のやうな鰭に五彩の豹紋を撒いた体を、花と紊し房に紋つてゐる。縞馬は相変らず硝子箱の外側に口を触れて、琥珀の眼を円らにしてゐる。蓋の上の花瓶には青一束ねの麦の穂が挿してある。

 眠くても眠り切れない興奮と困憊の異様な混濁の上に、まだ〳〵先に困難を控へてゐるのを予覚すると、こゝろが却つて生々として来て愉しくないこともない。私は一体どういふ女なのだらう。闘志にさへ時にうづく快感を覚えるなんて……。そのうち桂子はだん〳〵半睡半眠にひき入れられて行つた。瞳孔が弛緩し、目蓋が重く垂れて来るのを、そのまゝにしてゐると、とき〴〵反射的にこれを撥ね返す神経があつて、その度に蛍いろに光る桂子の意識の眼に、庭の花が逞しく触れて来た。

 庭には葉桜を背景にして、大和国分尼寺の遠州系の庭を縮模した、女性的で温雅な池泉が望まれる。目の前のすぐ椽先に大きな花壇がしつらはれ、教へ子や出入りの花屋が、根付きのものを持つて来たり、温室仕立ての鉢の咲き越したのを埋めて行つたりして、それが季節を違へたり、または季節を守つて四季ともに、撩雑に咲く。教へ子たちは、「花の姨捨山」とも、「花の百軒店」ともいつてゐるが、やはり初夏が一ばん花の盛りである。

 桂子がうつら〳〵と夢に入り夢を出るすれ〳〵の境に、ポツピー、ルピナス、小判草、躑躅、アスター、スヰートピー、アイリス、鈴蘭、金魚草、アネモネ、ヒヤシンス、山吹、薔薇、金雀児えにしだ、チユーリツプ、花菱草、シヤスター、デージー、松葉菊、王不留行わうふるぎやう、ベチユニヤなど──そしてこれ等の花々は白、紅、紫、橙いろ、その他おの〳〵の色と色との氈動を起して混り合ひ触れ合つて、一つの巨大な花輪となる──すると幾百本、幾千本とも数知れない茎や葉や幹は、また合して巨大の茎となり葉となり幹となつて、一つの大花輪の支へとなる。

 其処に力声が発する。

うん! うん!」

 白玉の汗が音もなく滴り落ちて大地に散り浸む。大地はいつの間にか透けて、地中で白玉の数本の根枝に纒められて、地上のものを、また支へてゐる巨根がカツーン映画の影像のやうに明かに覗かれる。其処から力声が出る。

うん! うん!」

 これは人類に機械的神秘性の体系を立てようとしたジユールロマンの旧いユナニミズムの精舎アベイの姿かと、桂子は夢との境の半意識の裡に想ふ。

「──」

 これは詩人クローデルが大胆不敵にいひ除けた、「主は現代の停車場にも、劇場にもある」といつた、韻致カソリシズムの象徴かと桂子は想ふ。

 その他、「何々」「何々」

「──」「──」

 桂子が芸術に携はつてからの生涯の折々に、かの女の息を詰める程に感銘させ、すぐまた急ぎ足に去つて行つたいくつかの思想、──それはどんなすさまじい意気のものであらうが、不思議なことには、みな優しい女を労る女性尊重フエミニズムの天鵞絨のやうな触手を持つてゐた。それらが、いま桂子の夢の意識のなかに歴訪する。

「──」「──」

 花は一つも頷かない。

 たゞ、「吽! 吽!」と力声を出して、白玉の汗をきらり〳〵滴らしてゐる。

 ひよつとしたら花は思想以前のものであらうか、実感上に蟠る、無始無終、美の一大事因縁なのではあるまいか。一大因縁なるがゆゑに、誰人もこの美をどうすることも出来ない。とすれば、それは既に地上の重大な力でもあるか。

 高雅で馥郁として爽かにも物錆びた匂ひがする。稽古所の方で教へ子たちが水上げをよくするため、切花の芍薬の根を焼いてゐるのだと、うつら〳〵夢から覚め際の桂子は想ふ。桂子の心はしめやかに全意識を恢復して来る。すると、夢のなかの巨大な花は、徐ろに現実の一つ一つの花壇の花となつて一つの巨輪から分裂し、もとの花壇のめい〳〵の位置に戻つた。



 せん子が庭先にぼんやり停つてゐる。

「どうしたの」

と訊くと、腰をかゞめてちよつとはにかん余所よそ行きのお叩頭をした。その褄外れの用心深さ、腰の手際よき纒め方、袖口を気にする工合、家にゐた時とは別人のやうである。それにも増して桂子の胸を衝いたのは、小娘の物憂い表情の中に、覚悟と誇らしげなものを潜めてゐたことだ。

 しじゆう弟子に大勢の処女を扱ひつけ、その上、十六年間花に捧げたつもりで禁慾生活を続けて来た桂子には、人並以上性的鑑識感覚が鋭くなつてゐた。桂子は姪をもはや肉身の伯母の自分すらどうすることも出来ない、一人前の女になつたと、直ぐ見て取つた。何の秘するところもなく親愛し合つた独身女と処女との間柄に段が出来た。そしてこのせん子の相手は? ──「しまつた」とかの女は胸に焼鏝を当てた。

「せん子、なぜ上らないの」

「あの、そこまで小布施さんのお買物に来ましたの……」

 せん子は小布施の名前をわざと白々しく、声高にいふほど度胸が据つてゐた。桂子の方が却つてしどろもどろになつた。

「では、こゝへでも腰をおかけな」

 椽側の金魚の鉢の傍へ座蒲団を出してやつた。自分の相手の他人行儀を庇つて、つい他人行儀に振舞ふのを不思議に思ひながら。

 せん子のいふところによると、小布施の経過はあまりよくなかつた。結核患部にX光線をかけて貰ふのが唯一の頼みであるのを、小布施はどうしても専門病院に入院を肯じないといふのである。

 毎朝鶏の鳴く頃になると、腹の患部は激しく痛み出す。

「痛むときは泣き笑ひしながら、茶を飲んで死ぬるばかりだ、ときまつて仰云るのよ。心細いたらありやしません。けども、あんな立派な体格をして、あたし、絶対そんなこと信じられないわ」

 必ず自分の熱誠で男を助けて見せるといふ哀切な息使ひが、せん子の言葉以上に桂子を刺戟した。いままで恋愛ではないと云つてゐた小布施と桂子の交情に、桂子が顧みていくらか忸怩としてゐたことは、男からの体臭的慰安だつた。小布施の普通より大柄の体格が、ネルのやうに柔い乾草のやうに香ばしい体臭を持つてゐた。彼の持病持ちの体質の弱点から薫じ出るものらしい。それは必ずしも、傍に居ずとも頭に想ふだけで、桂子は心がなごめられた。小布施の体臭からうけるこの影響は、時間も距離も超越してゐた。桂子は殆ど地球の裏と表とに距る大西洋を渡る帰朝途上のアメリカ近くの汽船中で彼を嗅ぐことが出来た。すると、安らかに婦人専用船室のベツドで眠れた。

 仕方がない──何も直接に皮膚に触れ合ふわけではなし──。花にばかり捧げると誓つた桂子の貞操が、こんな言ひ訳を時々自分に向けてしてゐたのだつた。

 何といふことであらう。たゞ、それ程あつさりした間柄と思つてゐた男を、あの体臭ぐるみ他人に独占されたとなると、むら〳〵と苦痛に絶する焔が肉体の内部を転動させて、長年鍛へた魂の秩序も、善悪の判断も、芸術への殉情も一挙に覆りかけるとは──。

 だが、かの女として小布施をもせん子をも咎める筋はなかつた。小布施がかの女の愛人と烙印されてゐるわけでもなく、単に物資の被補助者である以上、ほかの女性との間に愛が生れやうと、結婚しようと自由である。姪は伯母のものを奪つたとは云へなかつた。小布施との交情について、せん子の伯母への遠慮は、たゞ表白の機会に達しないだけの慎しみに過ぎない。

「小布施さん此頃私に何か用で逢ひ度いと云つてゐなかつたかね」桂子は必死にさあらぬ態を装つて訊いた。

「いゝえ、別に──あゝ、さう〳〵近頃煎茶がとても好きになつたから、良い煎茶があつたら貰つて来て呉れつて──」

 桂子は煎茶の箱を探して、それと当分の費用の金包みを添へてせん子に渡してやつた。せん子は小ぢんまりした若妻のやうな後姿を見せて帰つて行つた。



「せん子の帰らないうちに早く聴かせて頂戴。私はせん子にこんな話をちつとでも知せたくはないから」と桂子はいつた。小布施の病室である。桂子は思ひあまつて、忙しい中を訪ねて来た。せん子がいつも銭湯に行く習慣の夜更けを知つて来たのを、桂子はつく〴〵自分も人の留守を覗ふ身分になつたかと情なく感じた。

「頭も悪くなつてるし、もう何も彼もどうでもいゝと思つてるし、返事をするがものはないが──」

 小布施は枕を支へにやつと腹匍ひになつた。

「訊くなら云つてもいゝ。君と僕は昔から本当は愛し合つてたのだ。」

 小布施はまるで他人事のやうに淡々といつた。

「私も急にそれに気がついたの。でも、どう考へても永い年月の間に結婚する気が起らなかつたの」

 桂子も相手の調子に並んで声だけ淡々とさせていつた。

「不思議な同志さ。君には何か生れない前から予約されたとでもいふ、一筋徹つてゐる川の本流のやうなものがあつて、来るものを何でも流し込んで、その一筋をだん〳〵太らして行く。それに引き代へ、僕は僅かに持つて生れた池の水ほどの生命を、一生かゝつて撒き散らしてしまつた──」

 小布施はいよ〳〵肉体さへ枯れて行くやうな嗄れ声で、番茶に咽喉を潤しながら語つた。

 彼は人間の本能は悧巧のやうで馬鹿、馬鹿のやうで悧巧、何とも判らないといふ。彼は最初から桂子を愛しながら、桂子の生命の逞しい流れにたゞ降服してゐるだけだつた。根気よく寸断なく進んで川幅を拡めて行く生命の流れの響きを聞くものは、気が気でないものだ。まして、定り切つた水量を撒き散らす運命に在る人間に取つては、自分のものを端から減されるやうに、一層こゝろを焦立たされる。

「君が最初に描いた画は牡丹の絵だつた。僕はそれを見て、単なる画では現はし切れない不思議なものが欝勃としてゐるのにびつくりした。そこにはカンヴアスの上の絵画を越えた野心が、はげしい気魄となつて画面に羽搏つてゐた。そこで僕は思はずこれは画ぢやないと怒鳴つた」

「さう、花が青ざめて燃えてゐるやうな白牡丹の絵でしたね」

 その絵の意図は根気よく追求したら絵画部門で将来性を見出すものかも知れない。或は全然芸術の方途を誤つてゐるものかも知れない。けれども、そこまで眼を通さないうちに小布施の本能は排撃してしまつたのであつた。

「仕方ないよ。人間には感情でもなく理智でもなく、むら〳〵としたものが湧き上つて、自分でおやと思つてるうちもう行動を起してゐることがあるよ」

 小布施はせん子とのことで自分の命のコースから桂子を逐ひ除けて、ほつとしたと同時に、理由のない寂しさに充たされた。

「逞しい生命は」と小布施はまたいつた。

「弱い生命を小づき廻すものだ。小づき廻すといふに語弊があつたらちようして気にしていぢくつて仕方のないものだ。ちやうど、こどもが銭亀を見つけたやうに、水に泳がしたり、桶の椽に匍はしたり、仰向けにしてみたり、自分と同じ大きさの人間でないのが気になるのだ」

 小布施は欧洲の桂子から精力的に書き寄越した新興画派の紹介なり、自説の感想なり、意見なりに、どの位悩乱され衝動されたか知れないのであつた。桂子はそれ等を流行着として、着ては脱ぎ捨てる。小布施は一々それに肉体や精神を截ち直しては着合せようとする。結局、一定の定つた生命の水量を撒き散らす彼の運命に役立つことであつた。

「嘘、嘘です。私はあなたを、どうかして独自性のある立派な画家に仕立てたかつたのです」桂子は堪らなくなつて、思はず小布施の半ば剥いでゐた掛蒲団に手をかけて、「たゞそれだけだつたのよ。利己的や遊戯的の気持なんか微塵もなかつたのよ」

 小布施はだん〳〵疲れて来た。

「嘘ぢやない本当です。そしてそれは擬装した愛なのだ。生命量の違ふものゝ間に起る愛は悲惨だ」

 今は桂子も小布施のいふことが或ひは尤もかとも思へた。だが、それよりも何よりも、小布施がもはや自分に全く関係のない人間であるのに気付いて、俄かに泣き崩れて仕舞つた。

「けど、私はあなたのいふやうな強いばかりの女ではありません。もう何も張り合ひがなくなりました」

 小布施は体に一つ大きく息を入れて起き上り、憐み深く桂子の肉付きのいい背を撫でながら、

「なんだ〳〵。大きな体をして、三十八にもなつて、美人の癖に。ちよつとの間は辛らからうが、君の弾力性が承知しないよ。君はまたぢきにむく〳〵と起き上るから」

 桂子はいふべきことをいはねばならぬと思つた。

「せん子とのことは、あれは私に面当てなの?」

「いや、さうぢやない」と小布施は撫でゝゐた手をぴたりと止めた。暫くして、またそろ〳〵撫でながら、「云はゞ自然の意志に従つたといふのだらうな。すべてこの世で未完成だつた人間に、自然は一人の子供でも残させなけりや……」

 小布施は疲れ切つて、またベツドへ横になり、爪先を立て、寝ながらいくらか反身になつた。そして額に手を組んで誰にいふともなく、

「僕の子供の育つ時分には、医術が発達して、結核なんかはたいして体の毒にはならんだらうな……」



 Q──芸館借入れの不調や、小布施の事件で、桂子が無気力虚脱に過ぎてゐた一年の間に、桂子の信用や名声は高められ、Q──芸館からむしろ懇望の形で桂子の大会は迎へられた。

 桂子自身はもはやその幸運にさほどの感動もうけなかつた。「出来るときは、もう要らないときだ」とは桂子がいつも物事の運びの上に感ずることだつた──が、結局桂子は無気力から立ち上る力が必要だつた。

 丹花を銜みて巷を行けば、畢竟、惧れはあらじ。

 友の書いて呉れた詞句に依るべく、桂子は花を銜むといふより、むしろ花に噛みつき、花へ必死に取り縋つた。

 そこに必然性以上の気力が湧き、卓越した思考力が与へられた。



茲で一応読者の前に桂子の花に対する愛と理解を原則的に纒めて見ると、大体かうである。

花の色はどれもみな花の生命から直接滲む精色である。人工で練つた絵の具より、より純粋な色飾、花をもつて桂子は自分の絵を描き度い。==人工の絵の具には反対色があり、往々不調和に反撥する。花に於ては花自体の物体色が取りも直さず太陽の光線が映す色光である。花の色一々が原色に於て濃淡のヴアリユーを出してゐる。二つのものに分けられない。分けたときはもう花ではない。そして混ぜ合された間色と見えるものもいつも最大色度の純度である。最純度なるものは、如何に混然雑然と組まれても、反撥、牴触、不調和等が無い。故に花は一つでも寂しくなく、沢山寄つても煩さくない。==花の姿と形、それは万有そのものゝ理想である。この世界では性器さへ荘厳され得る。桂子はバルザツクの「知られざる傑作」の主人公である画家が、絵画の絶対の完成を求めてその画布を人間の眼には何物とも判じ得られぬ狂的な形象に塗殺し尽して仕舞つた記述を読んで、悲涙を流した。その涙が止んだとき桂子は、切実にこの主人公に花といふものを知らせ度い欲望に駆られた。==夜中にふと眼を醒まして闇の中にまさぐつて見る花の姿、何といふデリカで秘密な感触の歓びであらう。==花には見るものゝホルモン線を芸術的に刺戟する作用がある。(だから私は若いのだらうかと桂子は思ふ)==茲でこの小説の作者は東洋の古い経典に花を説明して、「それは人生のあらゆる苦難を忍んで理想の種子を養ひ育て、やがてそこに開敷する完成の人格を宇宙が植物に於て象徴されたものだ」また一花を愛することは未就身が無意識に於て成就身を嘆慕することである」と書いてあつたのを、桂子が花に対する註解に付記する。そして、更に、また桂子自身の「たとへ小米の花の一輪にだに全樹草の性格なり荷担の生命を表現してゐる。地中のあらゆる汚穢を悉く自己に資する摂取として地上陽下に燦たる香彩を開く、その逞しき生命力。花は勁し」といふ主観をも書き足して置く。



 さて、いよ〳〵桂子の花で描いた絵の公開展である。それはQ──芸館の階上階下、全部の室々を当てゝ開展されたのである。

 その主なるものを茲に紹介すれば、

 階下==玄関衝立代りとして、漆塗り大船型の器に截り据ゑた松の大幹、その枝々に揺れる藤浪。マホガニイ、白真鍮、鼠色大理石の材料で成層圏の印象を与へる炉を作り、マントルピースの上には紅木爪が寂しく一枝。窓際=如輪木の胴に赤銅の箍を嵌めた酒筒から、大小二本の蔓の根が窓框を捲いて延び上り、緊密な濃緑色の葉立ちの陰に、練絹へルビーを包んだやうな小花を綴るびなんかつら。床の一隅、幽欝な鉛製の八つ橋の角々に、王朝時代の情熱を想はせる燕子花。

 階上==階段を昇り詰めた取付きの右=小丘がある……否、小丘の如き素焼の大器に、それよりもなほ広い輪郭に枝葉を張つた樹齢幾十年の大紅椿の一株活け。同じく左=籐製の大鳥籠に鳥の代りに三彩の南洋花が囀つてゐる。円柱の陰=其処の菱提灯に薄紫のリラの一房が灯つてゐる。壁の一ヶ所に張り出たボツクスの上の几帳面な薄端に聖者風の枯葦とそれに献花してゐるやうな海竿三輪。と見る真正面の大花壇は、後に月の出の白光の照明、前は太陽のやうな牡丹花の大花群。

 三階==黒書院の大床。百済観音の右手が施無畏の印を示しながら、尊式の口の麻の花に均衡つりあつてゐる。背景には雪村軸の夏景山水。脇床=洒脱な松皮菱の花器に、鹿鳴館時代の華奢を偲ばせる黄ばら。紅ばら。

 茶室==小床にたつた一つ、古油壺に莢になりかけた菜の花。背景=八大山人作蘭の光筆画。

 とある廊下の一角==白磁の大水盤に紅白カーネーシヨンの群花入り乱れたる「戦ひの図」

 食堂==ミユンヘン国立ビール飲用場の陶製ジヨツキーに石楠花、すかし百合、耳付一輪挿にマーガレツト、スヰートピー。ヴヱニス硝子大皿に金魚藻と水蓮。

 花には一々表題がついてゐた。葦屋の宇奈比処女。竪琴。たゞごと歌。フアーストの沈思。わび栞り。白髪。文芸復興時代。放牧。ジヨルジユ・サンド。寧楽。ゴシツク。紫式部。初恋。大饗宴。押韻の詩。等まだ〳〵数へ切れない。

 特別室がある。大広間。弟子達の諸作とやゝ離れた一場に、この大会中特に評判作になつた二作がある。一つの名は「揺籠」、一つは「柩」と題するもの。銑鉄と人造維質で可憐な揺籠が編まれ、縁にチユーリツプの莟の球が一つ挿され、一見至極単純に見えて雅純新鮮な効果を出し、大形の柩は、材に秩父産の蛇紋石を用ゐ、中を人型にけて、底に軟い鈴蘭が安らかに活けてある。

 この日桂子は殆ど純白とも見える薄青い洋装をしてゐた。その服装はどの活花の傍に桂子が立つても少しも色調に抵触しなかつた。桂子は絶えず微笑し乍ら、都会の諸方から集まつて来る観衆に交つてゐた。たま〳〵知人に逢つて褒祝の言葉に逢へば、桂子は頭を下げて謝辞を返した。桂子の勇気ある新興芸術の報道にあらゆる激励の辞を用意するといふ新聞記者達にも。

 夜。会場に人は絶えた。自宅から自動車で迎へに来たせん子は、赤子を抱いたまゝ会場を廻つたので疲れて、今食堂で何か飲物を摂つてゐる──桂子はたゞ一人闇空の下に立ち現はれてQ──芸館の屋上庭園を靴の底に踏み締めた。

 ……………

 ……………

 小布施さん……桂子はハンカチを眼に当てゝよゝと泣いた……小布施さん……

 だが、死んだ小布施の名を呼びながら、桂子の涙は、実は桂子自身の異常な運命や悲痛な忍苦、はげしい潜情に向けて送られてゐる。

 だが、ふと桂子は気づいた。

 桂子の足下に在る全館の花々は、今一斉に上なる桂子を支へてゐる。

 それこそは桂子自身の生命が、更に桂子の生命を支へ上げんとする健気な力、そして永遠に新しき息吹である。

桂子はもう泣いてゐなかつた。

「花は勁し」

と云つて、桂子は大きく頷いた。夜風が徐ろに桂子の服の裳を揺ると、桂子それ自身が一つの大きな花体となつて佇つてゐるのであつた。




定本:「岡本かの子作品集」沖積舎

   1990(平成2)年720日初版発行

   1993(平成5)年630日新装版発行

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:松下哲也

校正:門田裕志、小林繁雄

2004年1213日作成

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