粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)
弄月庵主人
鈴木行三校訂



 今を去る三十年の昔、三だいばなしという事一時いちじの流行物となりしかば、当時圓朝子が或る宴席において、國綱くにつなの刀、一節切ひとよぎり船人せんどうという三題を、例の当意即妙とういそくみょうにて一座の喝采を博したるが本話の元素たり。其の時聴衆みな言ってえらく、ばかりの佳作を一節切のはなずてに為さんはおしむべき事ならずや、宜敷よろしく足らざるを補いなば、あっぱれ席上の呼び物となるべしとの勧めにもとづき、なお金森かなもりに充分の枝葉しようを茂らせ、國綱に一層のとぎを掛け、一節切に露取つゆとりをさえ添え、是に加うるに俳優澤村曙山さわむらしょざんが逸事をもってし、題して花菖蒲はなしょうぶ沢の紫と号せしに、この紫やあけより先の世の評判を奪い、三十年後の今日迄こんにちまで依然として其の色を変ぜざるのみか、一度ひとたびやまと新聞に写し植字うえたるに、また時期に粟田口あわだぐち鋭き作意と笛竹ふえたけの響き渡り、あたか船人せんどうの山に登るべき高評なりしを、書房ふみやすかさずこの船人の脇艪わきろを押す事を許されたりとて、自己おのれをして水先見よと乞うて止まねば、久しく採らぬ水茎みずぐき禿ちびたるさおやおら採り、ソラ当りますとの一言いちげん新版発兌しんぞおろしの船唄に換えて序とす。


弄月庵主人記

底本:「圓朝全集 巻の三」近代文芸資料複刻叢書、世界文庫

   1963(昭和38)年810日発行

底本の親本:「圓朝全集 巻の三」春陽堂

   1927(昭和2)年128日発行

※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。

また、総ルビの底本から、振り仮名の一部を省きました。

底本中の「其」は、「其の」としました。

入力:小林繁雄

校正:門田裕志、仙酔ゑびす

2010年1016日作成

2011年213日修正

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