ゴルフと「悪い仲間」
坂口安吾
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六月十五日
昨夜来徹夜。正午すぎ講談倶楽部原稿書きおわる。それから一パイやってるところへ新潮の菅原君来訪。小林秀雄、今日出海両君とゴルフ対戦のことで話があった。両君側の意見ではコースは両居住地の中間ぐらいのところに定めたい由。これには賛成。次にハンディが欲しい由。これには反対。
両君はボクのゴルフを買いかぶっているようだ。ボクのゴルフはうまくない。ボクは去年、家主の書上文左衛門さんにすすめられてゴルフをはじめた。書上さんの邸内には雨の日でも夜間でも練習できるインドアの練習場があって、桐生にゴルフクラブができたとき専用の練習場ができるまでここで最初の練習をはじめた。そのときボクもすすめられて入会したのだが、専用の練習場ができてのちもボクだけはひきつづき書上邸内の練習場へプロを招いて毎週一度ずつレッスンをうけた。三人のプロから約一年半レッスンをうけた。この一冬中はボクの家に若いプロを一人下宿させておいた。けれども身辺にプロがいてくれるとかえって練習を怠りやすく、効果はアベコベであった。
このようにボクのゴルフは基本だけは確実にレッスンをうけたが、近所にコースがないので、実際の競技には経験がすくない。家から自動車で四十五分のところに駐留軍のゴルフコースがあるが、このコースがボクに出入の自由を許可してくれたのはやっと三日前のことだ。それまでは許可を得ている少数の日本人の誰かに許可証をかりてたまにひそかにもぐりこんで練習する以外に手がなかったのである。インドアではアプローチとパターの練習ができないから、コースへでるとスコアはひどくわるい。パターで四ツも五ツもころがさないと穴ボコへはいらない有様である。だから人にハンディをあげられるような腕前には程遠いのである。しかし三日前に近所のコースから許可がおりたところへ菅原君の話であるから、ボクも大そう乗気になった。
十六日
久々の晴天。朝九時にゴルフに出発。女房より、本日ヒルすぎに安岡君来訪の由注意があったが、ヒルすぎにもいろいろある。東京から桐生まで三時間かかるのにヒルすぎてまもなく到着ということは考えられない。そのヒルすぎは正午から夕方まで、つまり夕方や夜ではないというだけの意味で、その中間の三時ごろのことだろうと断定。一時半に帰る予定で出発した。久々のコースは広さに面くらうばかり、タマを打ってるような気がしない。それでも二百二三十が二度でたが、パターは五ツ七ツころがす有様であった。たいがいのアプローチに七番を使うとなんとなく間に合う。こういうのは良くないのだろう。プロに直してもらいたいと思ったが、この日プロは欠勤であった。予定の一時半に帰宅。
安岡君の一行すでに来着。はからざる次第。早朝に文春記者に叩き起された由である。この一週間ほど前に河出書房のF君が来て、自分は安岡君の悪友で「悪い仲間」その他のモデルだと名乗り、安岡君について一席弁じていった。むやみに人に絶交したがる男だと云っていた。しかし、安岡君の方がだいぶおとなしい感じ。外面如ボサツというのかも知れん。絶交するのはもっぱらF君の方ですとは安岡君の説であった。ボクの青年時代にも今は死んだけれどもF君のような悪い仲間がいて絶交したりされたりしたのを思いだした。奴は臨終の瞬間においてすら「幽霊になってでてやる」と云ってボクをおどかしたのである。しかし奴のユーレイはでなかった。
十七日
菊水よりパイプの原木送ったという通知あり。ブライヤーの原木だ。手製のパイプをつくることにしたのである。自分の手製を示してボクにも作ることをすすめたのは入江元彦だ。安岡君の奥さんは入江元彦の従妹だそうだ。彼とF君は同道して桐生に現れ、F君は安野君について、入江元彦はその奥さんについて各々一席弁じて去ったのである。こういう変なのがつながって歩いているというのは珍しい現象であろう。
キングの斎藤君到着。一しょに映画を見に行く。
何を書いてよいか見当がつかないから、夕食中、斎藤君が大声で新聞の「人生案内」をボクによんできかせはじめた。急に気がついて「人生案内」という戯作を書く気になり、すぐひッこんで書きはじめた。
底本:「坂口安吾全集 14」筑摩書房
1999(平成11)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文学界 第八巻第八号」
1954(昭和29)年8月1日発行
初出:「文学界 第八巻第八号」
1954(昭和29)年8月1日発行
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
2006年9月16日作成
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