女剣士
坂口安吾
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石毛存八は刑務所をでると、鍋釜バケツからタオル歯ブラシに至るまで世帯道具一式を買ってナンキン袋につめこんだ。物事はハジメがカンジンだ。その心になったら、まず何よりもそれにとりかかることがカンジンだ。小さいながらも世帯を持ちたいと思ったら、まず鍋釜を買っちまうのだ。そして鍋釜にかけても世帯を持たねばならぬと盲メッポウ一路バクシンの執念をもつことだ。これが存八の刑務所をでるに際して深く期した心構えで、もう足りない物はないかと何度も考えてみたあげく、惜しげもなく賑やかな市街に別れをつげて、大友飯場へのりこんだのである。小頭の常サンは存八を覚えていて、
「ウム。コソか」
と云った。コソ泥のコソである。存八はこれを云われるのが何よりつらい。犯罪者の前身を思いだしたり人に知られたりするのがつらいのではなくて、コソ泥というチャチな呼び名がつらいのだ。
コソ泥ながら存八は前科四犯だ。しかし、四度目に刑務所入りしても、コソ泥はコソ泥で、彼に限って仲間にそう呼ばれる。よほどコソ泥的に生れついているらしい。自分だけが特別チャチな生れつきのような気がして、コソとよばれるのが何より切ないのだ。そこで存八は顔をこわばらせて、
「へえ、ワタシはそんな名じゃありませんので」
と刑務所からの紹介状を差出した。そこにはちゃんと石毛存八という姓名が明記されているはずだからだ。しかし常サンは存八のこわばった顔なぞには全然トンチャクなく、
「そんなものは見なくてもいいや。二三日前に刑務所からハガキもきてるんだ。明日から働いてもらう。今日は奥へ行って休め」
「へえ、それがそうはいかねえので」
「むやみにそうはいかねえ野郎じゃないか。うるせえ奴だな」
「それがね。この手紙にも書いてあるはずなんで。たのんで書いてもらったんですよ。飯場はよくないと書いてある。小さいながらも小屋の一ツも持たせていただきたいとね。馬小屋の破れたのでも、納屋の傾いたのでも結構で。そのつもりで世帯道具を買ってきたんですよ。村の人にたのんで世話して下さいな」
「飯場はイヤか」
「どうも性にあわないね。これから真人間にならなくちゃアいけねえ」
飯場に住むとここでもコソとよばれるにきまっている。これが不愉快だ。しかし、何よりも存八にはお作という目当があった。
服役中の存八はここの応急の土木工事にかりだされて二ヶ月ほど働いたことがあった。大雨で山くずれがあったのだ。このために下流では洪水になった。山くずれは一二ヶ所にとどまらない。また今後も山くずれの危険が予想されるので、応急の土木工事から、かなり大がかりの治山治水工事に切りかえられたのである。
ダム工事などとちがって下流の村里に直接影響のある工事だから、人夫は飯場の土方よりも麓から通ってくる村人の数の方がはるかに多かった。女の人夫も少くなかった。その中にお作がいたのである。
むろん服役中のことで夜は牢屋まがいの小屋へカギをかけて閉じこめられるのだからお作とできるヒマはなかったが、お作が彼を憎からず思っているに相違ないと存八はきめこんだのである。
存八は天性の怠け者であった。人殺しや強盗などには勤勉でよく働くのが多いものだが、コソ泥などというチャチなのに限ってグウタラで、人目を盗んで精一パイ怠けたがるのが多い。その中でも存八は特別で、隙さえ見ればキリもなく怠けたくて、働くぐらいキライなことはなかった。怠けてさえいれば退屈しないというのだから始末がわるい。こういう性分の存八には、もしも働くことさえなければタダで食わせてくれて失業のない刑務所ぐらいの天国はめったに見当らないのだが、ここも働かせるのが好きなのが玉にキズだ。
ところが、どういう風の吹きまわしか、この土木工事にかりだされた時に、存八はよく働いた。はじめからお作に気があって働いたわけではなく、ここへくるとハナから妙に自然に働いた。これを天のなせる業、すなわち宿命なぞという風に、後日に至って存八は刑務所の中でニヤリとしながらお作と自分の後日の天国を考えたものだが、つまり彼はここで非常に村人の好評を博したのである。
村から出ている人夫の男女は、懲役人の中で存八を一番の働き者、一番の善人と見立ててくれたのである。それというのが、二十一二の青二才の仲間まで四十に手のとどいた存八をさげすんでいる。さげすまれている存八はただ黙々と働いているという一場の情景がいたく村人の同情をかったのだ。存八が一人の時を見はからって、そッと食物をめぐんでくれる村人なぞも現れ、そういう中にお作がいたのである。決して美人ではないが、まだ十九、未婚だときいただけで、存八はもう胸がワクワクして弁天サマよりも可愛い女に見立ててしまったのである。
刑務所をでるとナンキン袋に世帯道具をつめこむに至ったテンマツと云えば、たったそれだけのことである。もっとも存八は応急工事が一段落して刑務所へ戻るとき、
「ワタシの刑期もあと三月だから、シャバへでたらここへ来て働きたいなア」
と村人にもらしたところ、村人の多くはいずれもそれに賛成して、
「それがいい。ここへ来て新しくやり直すがいいだよ」
とはげましてくれた。その中にも、お作がいた。
「きっとおいでよ。待ってるよ」
と云ってくれたのだ。ロマンスはこれで全部だ。しかし、存八はお作の待ってるよは意味深長だと考えた。ヒマな人間を考えこませるには待ってるよなぞはアツラエ向きの文句だ。いくらでも意味深長に考えてみることができる。あれもこれも、人生の全てを待っててくれるようにキリもなく思いめぐらす幅がある。幅そのものであった。存八は鉄の格子の中でその幅と存分に取り組んだあげく、ナンキン袋に世帯道具をつめこむに至ったのだ。
小頭の常サン、そこまでは知らないはずだが、まるでみんな知ってるような薄ら笑をうかべて、
「飯場がネグラの土方だ。テメエの小屋なんぞオレが知るかい。勝手にしやがれ」
と云ったが、仕事が終って村の者が山からゾロゾロ降りてくると、存八のネグラのことをきいてくれたのである。
村の人々は存八を覚えていたが、さて存八が村に住みつくとなると、以前のようによい顔を見せてくれる者がいない。足立という五十がらみの人は村でも旦那の一人だそうだが、人夫仕事が現金になるので働きにきている。この人は存八に最も目をかけてくれた一人であったが、イザとなると存八にネグラを提供しようとしてくれないばかりか、急に挨拶をヨソヨソしく、そそくさと帰り仕度を急いでいる。
存八はお作の姿を探したが、見当らない。お作がいてくれさえすればと思ったが、それも諦めた。むしろ怖しくなったのだ。村の人々が言い合わしたようにこの調子では、お作だって、どうだか分らない。みんなマボロシだったのだ。刑務所を今でたばかりの彼は自分とシャバとの溝の距てを感じるのも早く、その感じ方も特別だ。お作の姿の見当らないのがむしろ幸い、お作に会うのが怖しいぐらいの気持になった。結局飯場の世話になるより仕方がないと思ったが、ふとナンキン袋を見ると、この袋にかけても盲メッポウ執念の鬼となって世帯をもってとわが心に云いきかせたのは本日今朝のことである。泣きたいような切なさだ。
存八は帰りかける足立を急いで追って、
「ねえ、旦那。ワタシも真人間になって世帯の一ツももちたいと覚悟をきめてきたんです。飯場へ寝泊りすると昔のヤクザに戻るばかり、どうか助けると思って、小屋を貸して下さい。二三日で結構です。ヤブの中へ棒キレを集めて小屋を造ってでも住みつきたいと思いますのでね。村の方に迷惑はおかけしません」
「それじゃア、小山内さんへ行ってごらん。あそこはゲボクを求めていらッしゃる。ゲボクが居つかないのでね」
「ゲボク?」
「他家では下男という。小山内さんでは下僕と仰有る。剣の家柄で、道場があって、その道場の下僕だな」
「この山奥にね。門人が大勢いるんですか」
「いない」
「道場は空き家だね。そこへワタシが泊るんですかい」
「下僕だよ」
「へえ、そうですか。どうもありがとうございます」
足立は存八を小山内家の門前までつれてきてくれた。
農家の造りはたいがいそうだが、門をはいると五六百坪もありそうな殺風景な広場があって、雞なぞが遊んでいるものだ。ここには雞もいない。広場の隅に大きな松の大木が一本あって、その根ッこに男と女が腰かけて休息している姿が見えた。タダモノの姿とは見えないから、存八も一見気オクレを感じ、足がすくんで近くへ進めない。
「物売りは用がないぞ」
「いえ、ワタシは物売りじゃないんで。足立の旦那から伺って参りましたが、こちらで下僕を求めていらッしゃるそうで」
「おお、そうだ。キサマが下僕か」
「へ、もう、そうです」
「ちょうど、よい。こッちへこい。なんだ、それは」
「鍋釜の世帯道具で」
「財産家だな。キサマその槍をとって、娘にかかれ」
「槍でどうするんで」
「娘をつくのだ。キサマ槍を使ったことがあるか」
「ありませんねえ」
「なお面白い。なかなか槍は突けないぞ。横にふりまわしても、上から叩きおろしてもよろしいから、存分に娘にかかれ」
「こまったねえ」
「おそろしいか」
「いえ、お嬢さんに悪いんで。ケガでもさせちゃア」
「バカ。存分にやれ」
娘は立ってハチマキをキリリとしめていた。白い稽古着に緑の稽古バカマ。タダモノではないと見たのはこの姿のせいであったに相違ないが、さて立上った娘の姿の雄大さには存八もキモをつぶしたのである。
五尺五寸は充分にある。五尺二寸の存八よりも三四寸は大きいのだ。山で働くお作の姿も見事で、その素足なぞこれぞ造化の妙と存八は思ったものだが、この娘には遠く及ばない。のびのびと全てが美しく雄大で、乳のふくらみなぞも悩ましいばかりだ。しかも絶世の美女であった。
「イザ」
「へい」
「イザ」
「へ?」
娘が素手だから存八が為すこともなくボンヤリしていると、娘はにわかにいらだって飛燕の如くに飛びこみ、
「ヤ!」
「痛い!」
「エイ!」
利き腕を打たれてポロリと槍を落したところを、どういうグアイに跳ねとばされたのか分らないが、枕でも投げとばすように軽々と振りとばされて、横ッ面を土に叩きつけてひッくりかえっていたのである。
「痛えなア。バカ力だなア、この人は。しかし、こッちはまだ用意していないのに」
「用意しなさい」
「だって、アナタ、素手だもの」
「これでいいのです。拳法のお稽古だから」
「こまるねえ。素手に槍じゃア」
「さア、おいで」
「仕方がない」
「イザ」
「来たな。今度は行きますぜ」
「イザ」
「それ!」
突いてでた。大身の槍は身体がのびやすい。トントンと泳ぐところを、槍をつかんで引きよせられ、ノド輪に手を当てがって突きとばされた。忙しいのは存八だけで、敵はセンタク物でも片づけるように悠々たるもの、ゆっくりとノド輪に手をまわし、軽くあしらって突きとばした落着きの程が存八にもよく分った。しかし彼は尻モチついてひッくり返っていた。
「イザ」
「よーし」
「イザ」
「それ!」
また泳いだ。槍をとってまた引きよせられたから、ノド輪に注意してクビをすくめるところを、
「ヤア」
足払い。軽く一払いで、スッテンコロリン。こうなると、存八も真剣だ。
「イザ」
「よーし」
存八も盗みの一つもしようという奴のことで、この手口じゃもう危いナという見切りにカンが働くから突きはダメとさとった。横にふりまわしても、打ち下してもよろしいという話であったから、突くと見せて娘の腰を叩きのめしてくれようとのコンタン。
サッと振りまわしたが当らばこそ。四度、五度、逆上した存八は盲メッポウ振りまわした。娘は突然飛燕の如くに近づいて、
「エイーッ」
拳をかためて腹を打った。わざと水月はさけてくれたのだそうだが、存八の全身が一時にしびれて破裂したかに思ったのである。ドスンとぶっ倒れて、しばらく地上をもがきまわった。タラタラと脂汗がしたたったのである。痛みがいくらか薄らいで物を考えることができるようになったとき、睾丸炎を患った時でもこれほどのことはなかったと思いだしていた。
「もう、ダメだ」
「立ちなさい」
「まだ、立てねえ。水、一パイ、下さいな」
「このぐらいのことでねえ」
「へ、も、下僕はやめます」
こう云った瞬間に、しかし存八は突然アベコベのことが頭に閃いていたのである。薄らぐ痛さを満してくる何かがある。愛情だ。叩きのめされて口からハラワタをだした蛙でも、この娘には愛情をもちそうな思いがした。娘は残酷そのものだ。脂汗をしたたらして地上をのたうっている存八にイタワリをかけようともしないのである。そうかと云って存八の苦悶をたのしむような妖怪じみたところがあるわけではない。全然無関心の様子だから尚さら薄気味がわるいのである。山のように無関心だ。麓にあえいでいるのが存八で、娘は富士山のようだった。存八はそう思った。
下僕というのが毎日娘にぶたれる商売ならやりきれないが、自分がぶたれなければ誰かが代りにぶたれるのだナと考えると、なんとなく嫉妬めくものを覚えた。こういう得体の知れない大物に惚れたはれたの才覚はとてもつかない存八であるが、この大物の身辺に侍して、かたわら、おもむろにお作とアイビキをたのしむ、ぶたれるのと差引勘定、けっして悪いとは云えない。そこでにわかに下僕志願に飜心した。
「ほれ、剣術に面小手というのがありましたねえ。あれをワタシに使わせてくれるなら、棒でぶたれたって我慢しますがねえ」
するとそれまで黙って見ていた父親の方がやおら立って、
「それは心得ちがいだな。人間は万物の霊長とはよく云ったもので、人間の身体は微妙なものだな。この松の木を見るがよい。これだけ隆々と盛大に構えているが斬りつけられて身をかわすことができない。不死身かといえば、ナニ、斧で叩き斬ると倒れて死んでしまうのだな。獅子に牙と爪はあるが、太刀をとって敵に向うことも敵を防ぐこともできないな。しかるに人間の身体は道具を使うことができるばかりでなく、猛訓練によって素手を太刀の如くに使うこともできる。また身体をヨロイの如くにかためることもできるのだ。それ、見ているがよい」
オヤジは稽古着もハカマもぬいで、フンドシ一つになった。着物をつけているときはそれほどとも思わなかったが、裸体姿の怖しさ。身の丈は娘よりも一二寸高いぐらいにすぎないが、満身これ岩石のようなコブのカタマリである。娘も肩幅が女には珍しく雄大であったが、父の肩幅とまたその厚みは充分倍はあるだろう。しかもそれが岩石のような肉のカタマリをつみあげている。両脚をガッシと左右にひらいて娘をよび、
「それ、突いてこい」
娘は拳をかためて充分に身構え、火を吐くごとくに打ちかかったが、オヤジの腹はそれをマトモに発止とうけていささかもタジロギを見せない。むしろ鋼鉄に襲いかかったように娘の手足にタジロギが見られた。娘は心をとり直して再び三たび身体ごと打ちこむように突きかかるが、フシギなもので、火を吐く拳の力はもう認めることができない。なぜなら満身朱にそまり、莫大な火焔を発しているのはオヤジの裸体だったからである。火焔の幕をはりめぐらしているように感じられた。オヤジは稽古を終えて静かに存八を見やり、
「人間の身体は微妙なもので、やる気があればこれぐらいは誰でもできるが、やりぬく者がないだけのことだな。キサマでも、やる気を起して努めればできるのだ。キサマは案外見どころがあるぞ」
「いえ、誰もそうは申しません」
「オレの目はマチガイがない。人間は案外なものだ。今からでもおそくはないぞ。身をいれて修業するがよい」
「そいつは願い下げにしますが、ま、下僕の方はつとまるところまでつとめることに致しましょう。なにぶんお手やわらかに願いあげまするで」
と存八は住みこむことになって、玄関脇の一室を与えられたのである。
その晩、存八が戸締りにかかっていると、小山内朝之助が音もなく現れて、
「これ、戸締りをいたすな」
「へえ、どなたか御来客で」
「誰もこないが、戸締りをいたしてはならぬ。キサマの部屋も開け放しておいた方がよい。当家は戸締りをいたさぬ例になっておる」
「不要心ですねえ。泥棒がはいりますよ」
「その泥棒を待っているのだ」
朝之助は軽く云いすてて立ち去ったが、存八は突然冷水をあびたようにぞッとした。
その晩は存八、なかなか寝つくことができない。襟元がぞくぞくして身体のシンから冷えるような怖しさがふとさしこんでくるのである。タダモノの棲み家ではない。彼が第一感に感じたことがまさに的中したのだ。
小山内朝之助の端然たる起居動作、悠々と礼にかなって、刑務所の所長や彼を裁いた法廷の判事よりも威厳にみちて紳士的であるが、人間を超えた何かがある。その泥棒を待っているのだと軽く云いすてた言葉は実にさりげないただの言葉にすぎなかったが、怖るべき何かがそこに含まれていることを存八のコソ泥のカンが突き当てたのだ。その泥棒をナマスのように斬るために戸を開けて待っているのだろうか。その程度の乱暴者ならヤクザの中にもいるはずだし、刑務所で見た死刑囚の強殺犯人にはその程度の妖気を漂わしている奴もたしかにいた。しかし、その程度の奴では及びもつかぬ人種ちがいの何かがある。こんな怖しさはこの年になるまで、まだどこでもお目にかかったこともなかったと存八は思った。しかしこれもインネンだ。しばらく辛抱してみようと思ったのである。他に行く先の当てがないから、これもインネンとあきらめる以外に手がなかったのだ。
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毎朝この道場へ通ってくる唯一人の門弟があった。小学校の教員で寺田正一郎という人物だ。一見柔和な好男子だが、人をジッと見つめる目に凄みが感じられて、存八はどうも打ちとける気持になれなかった。
そもそもこの山奥の寒村にどうしてこんな道場があるかというと、このあたりの歴史を知ると全く珍しくないことが分るのである。幕末まではこの山中のあらゆる村々に必ずと云ってよいほど道場があった。武蔵の山中も武張ったところで諸村に道場があったものだが、たぶん武蔵七党なぞの流れをくんで、大名やその家来の武士とは無関係に土着の農民が代々武を好んでいたのかも知れない。このあたりは武蔵の山中に輪をかけたところで、山奥のいかなる小村といえども農民たちの道場をもたない村というものがなかった。その代表的なのが馬庭念流であるが、類型の村道場はどの村にもあった。
特にこの赤城の山中は法神流の発祥地だ。この流派は元は富樫白生流と称するのだが、楳本法神が現れてから法神流と称するに至った。
法神は元来金沢の人であるが、諸国の山野を跋渉して妙剣を自得し、立会えば敵する者なく、又オランダ医学にも通じ、神人と嘆称された稀代の人物であったが、晩年この山中に土着し剣を伝えて余生を終えた。
その第一の高弟を深山村の須田房吉と称するのである。これまた村医者の子供であったが、法神について剣を学び、ことごとく秘法の伝授をうけてその後継者に指名された。江戸にでて道場をひらいたが、あまり強すぎたために諸道場の嫉みをうけて帰国し、帰国後も江戸浅草に道場をひらく神道一心流の剣客山崎孫七郎とその門弟三十余名につけねらわれ、弓矢をもって包囲されて殺された。師に劣らざる鬼神と評を得た傑人であった。
小山内家の先祖が須田房吉の高弟だったのである。法神流の允可を受けるとともに、気楽流の拳法に達し、これを代々子孫に伝えて今日に至った。
法神流はそもそも流祖の楳本法神が諸国の山野を跋渉して秘奥を自得したのに端を発し、須田房吉もまた故郷の山中にこもり風雪に身をさらし巌頭を宿として鍛錬した。そのために小山内家に於ては、この山中の苦業をもって家を継ぐ者の条件とするに至ったのである。
朝之助は青年のころ東京にでて諸流を学び、遊学中に父を失って帰国した。家をつぎ、妻をめとり一子歌子をもうけたが、父が早世したために山中にこもって苦業の機を失ったまま家をついでしまったのである。一子歌子の誕生を見るや飜然として家長の重責に目ざめ、妻子をホーテキして山中に姿を没した。実に歌子が十歳の春を迎えるまで山中の苦業をつづけた。鳥獣をくらい、特に熊を屠ってその肉を食う快味を満喫したということであるが、失踪前はそれほどでもなかった朝之助が、熊にもまさる筋骨となって山中から戻ってきたのはマギレもない事実であった。
彼が戻ってきた時は日支事変の真ッ最中で、まもなく太平洋戦争に突入したが、彼は猛獣なみの怪人狂人と村人に怖れられ、聯隊司令部へもその旨を通達した者があったので、彼が熱望したにも拘らず兵隊となって出征することができなかった。
したがって、戦争中彼の情熱はあげて歌子の育成にささげられた。昼夜にかかわらず武芸を仕込み、春夏冬の学期休みには歌子を抱いて山中に入り、共に鳥獣を屠って食い、風雨に身をさらして鍛錬し、巌頭を宿として苦業したということである。良人と娘とがこの有様であるから、万事につけて不自由で何かと義務の多い戦争中、ひとり家をまもりまた勤労奉仕にかりだされて苦労したのは朝之助の妻で、そのためかめっきり衰え、終戦まぎわに死んでしまった。
敗戦以来剣術が禁止されて、この山奥の朝之助にまで風当りがきびしくなった。農地解放なぞということでは人一倍痛めつけられ、家事を委せきっていた妻の死後のことであるから、これらの甚だ不馴れなことに彼自らかかりきって浮世の汗水にまみれなければならず、日夜悲涙をのまなければならなかった。山中にこもって剣を苦業し鬼神の業を得たといっても肉体と剣の上のことだけで人物は至って純情な朝之助であったが、終戦後めまぐるしい浮世の嵐にもみまくられてからはガラリと別人になってしまった。精神的には全く浮世と隔離して別天地にとじこもるようになり、言葉づかいなぞも武芸者の言葉に似るようになり、一見したところ甚だしく浮世の礼にたがわず挙止端正をきわめるようでありながら、異様な妖気を全身に漂わすに至った。というのは、彼自身は意識しないが、人間世界を敵にまわしたあげく、彼自身が人間ではなくなる境地に近づいていた。鳥獣を屠ると同じように人間を屠殺できる境地に接近しつつあったのである。
この朝之助の境地をさとって、にわかに傾倒するようになったのが小学教員の寺田正一郎であった。
彼は小学校の教員としては模範的な人物であった。教え子のために自己をギセイにすること、かくの如き人物は珍しい。劣等児のためには特別の教室をひらいて、せめて字の一ツも書けるようにしてやるために忍耐をいとわず、父兄の病む者があれば代って畑を耕し薬物をめぐみ、また夜間は自宅に無料のソロバン塾をひらいてとかく算数にうとい農村の子弟に実地の勘定法を教えてやるというぐあいだった。だから、とかく教員なぞは無用の長物と考えられがちな山中の村で彼は異例の存在で、若年ながら里人の敬慕をあつめるに至った。
しかし、彼自身は自分の行為にあきたらなかった。微々たる自分がたかが山中の鼻タレどもに自己の全てをギセイにしても、それが何ほどの物であるか、という風に考えていたのである。元々彼が教育のために自己をギセイにすることなぞ彼にとっては持って生れた性分で、当り前のことだった。好きでしていることだ。彼にとっては、好きでパンパンをしている女とすこしも変らぬ自分の実体が分りきっていたのだ。
彼は教育に身を捧げるかたわら、自分の生命が本当に燃焼する何かがないかということに身をもだえていたのである。彼が何より考えがちなのは、この土地からでた国定忠次や鼠小僧のことであった。つまり、アブク銭をしこたま握っている連中の金庫を破ってバラまいてやったら、さだめし痛快だろうということだ。そういうことに身命を賭するのもあながち不満な人生だとは思われない。小学校の教員よりも身命を賭するに足る事業のように思われるのだ。要するに必要なのは、勇気だけだ。その実行の勇気が欠けているので、彼の悶えは深くなる一方だった。
たまたま小山内歌子が女学校を卒業し、当時農地解放なぞで家が困窮していたので、小学校の教員になった。もっとも甚だ不適格であるというので二年間だけでクビになったが、そのために寺田正一郎は歌子を知り、その父の朝之助にも接するようになったのである。彼ははじめて人間世界と隔離した境地の存在を知るに至って、それに傾倒するようになり、すすんで剣法をも学ぶようになったのである。
正一郎には珍しい辛抱強さがあった。身体は至って弱々しいが、痛ければ痛いほど我慢強くこらえるような執念があった。自分は肉体が虚弱だから、人と力業をくらべるには、我慢以外に手がないと思い決してもいたのである。我慢とは負けない手である。
したがって、勝つ一手としては、面を打たずに敵のキンタマを突くということを天性的に思い決してもいた。彼は朝之助に剣を習った第一日目から、朝之助のキンタマを狙ったのである。組みしかれればノド笛にかみつく。動脈をかみきる。目玉に指を突ッこみ、キンタマをつぶす。それがオレの剣法だときめこんでいたのだ。朝之助がどのような剣を教えてくれても、要するにオレはオレの目的とする流儀に添うて法神流の術をとりいれるにすぎない。こうきめこんでいたのだ。
ところが朝之助の剣法が本来そういうものであった。熊や犬や猛禽は元々ノド笛や目玉を狙ってくるものだ。危急に際しては人間とても同じことで、剣法もまたこの真相を外れては有り得ない。
朝之助は正一郎が第一日からキンタマやノド笛や目の玉を狙ってくるので、甚だ見どころがあると思った。鳥獣を相手にするのと同じ手ごたえがあり、これに人間のものを加えれば一つの流儀を完成する人物であろうと見たのである。もとより鳥獣との闘いには馴れている朝之助のことだから、正一郎を組み伏せても、キンタマをつぶされたり、ノド笛にかみつかれたり、目玉へ指を突ッこまれたりするような、不覚な体勢は見せたことがない。正一郎は舌をまいたのである。名人だと思った。
正一郎の奇怪な剣法は師を惑わすには至らなかったが、歌子はしばしばワナにかかった。正一郎はケダモノの剣法である。ケダモノはワナにかかるが、正一郎は人間でもあるから、自分がワナにかかったとみせて相手をワナにかける術を心得ていた。つまり負けたフリをするのである。否、すすんで一応負けることが大切だ。肉を切らせて骨を切るのだ。彼はすすんで自分の片腕やお尻を切らせ、そのヒマに自分は敵のノド笛にかみつくような戦法に先天的な技巧があった。この戦法と技巧は歌子に活眼をひらかせた。もともと女子は目玉を突いたりノド笛にかみついたりする本家本元の戦士なのである。ケダモノと同じように彼女らはおのずからそのように戦う技法にめぐまれている。歌子はそれまでの基本的な修練の上に自己本来の技法について活眼をひらき、にわかに数段の飛躍を示すに至ったのである。基礎の訓練に欠けている正一郎は我流の骨法を見破られるとたちまち歌子をワナにかけることが不可能になった。しかし執念に於いてはヒケをとらぬ正一郎であるから、日ごとに新たな工夫をつみ、これに日ごとの鍛錬を加えて彼自身の上達にも見るべきものがあったのである。
正一郎は日中と夜間は学校と私塾で忙しいから、剣の修練は毎朝の日課であった。早朝からはじまるこの三人の猛練習を見て、存八はおどろいた。彼が見てきたこの世の剣術とはすこし様がちがっている。ヤクザのケンカとも違うし、斬り合いとも違う。ヤクザの斬り合いなぞはもっと紋切型で生易しいところがあるが、正一郎の剣法は斬ると見せてキンタマを蹴り、それを外されてお尻を斬られると待ってましたとばかりそのヒマに半廻転して敵の足もとにとびこみ敵が重なって倒れるところを噛みつくような、素人がウナギをつかむ苦心に似た執念深い戦法だった。執念そのものであった。肉体の鍛錬が不足であるから、どれだけの執念がこもっていてもやられるのは正一郎だけであったが、その執念と狙いの生々しさは存八のキモを冷たくさせた。
しかし、毎朝それを眺めているうちに、存八は次第に剣の本質を会得したのである。稚拙であるから正一郎の狙いがよく分る。それに対する小山内父子の術というものの本体もおぼろげながら分ってきた。術の下に姿を没している名手の狙いの怖しさもおぼろげながら身にしみた。すべては術だ。幻妙な術だ。怖るべきは術であると思った。
そして彼の日常に術を幻想することが多くなり、下僕の業に次第に身を入れて精励するようになった。
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正一郎は歌子との結婚を朝之助に願いでた。朝之助は即答をさけ、熟考ののち返答しようと約したのである。
結局この縁組は成立するに相違ないと存八は思った。正一郎は小山内道場のただ一人の門人である。その狙いと執念は怪異であるが、シンラツであり、師もまた見どころある人物と推奨しているほどだから、これがムコにならなければ他にムコはあり得ない。
ところが朝之助は熟考ののちこの縁組を一応拒否したのである。実に熟考に熟考を重ねたことは存八の目にも明らかで、時に放心し、時にさすらい、時に樹下に端坐して、見るもムザンに考えこんでいた。
一方歌子はといえば、自分自身の縁談に無関心で、全てを父の一存に委せきった様子であった。そして、父が熟考を重ねて苦悶する様にイタワリの眼差をむけることはあっても、彼女自身の縁談について自ら思い悩む様子はミジンも見られなかったのである。
ついに朝之助が熟考にキリをつけた日が訪れ、その朝、正一郎の到着を待って、彼は娘と存八をも道場へ呼び集めた。彼は上段に正坐して三名をうち眺め、
「寺田よりの縁談は一応これを断ることに致すが、それについて一同の者に申しきかせておくことがある。そもそも当法神流の流祖楳本法神と申される御方はあまた日本に剣聖ある中に於ても特に神人と世人に仰がれ一世の崇敬を集められた未曾有の名人におわす。若冠十五にして富樫白生流の玄奥と気楽流の拳法をきわめ、それより数十年山野を跋渉して苦業鍛錬のあげく鬼神の霊動を会得され、また長崎に於てオランダ医学を学び人体の秘奥をさぐってこれを剣の理法に活用されたのである。晩年当地に土着してその秘法をことごとく須田房吉先生に伝えられたが、房吉先生また山野にこもって苦業し秘法を実地に見照して会得されるところがあったのである。当小山内の先祖はこの法神流三代を継いで今日に至ったが、余の代に至るまでともかく流祖の玄奥はこれを伝え得たかと思う。しかるに今日、わが日本は敗戦し、剣は国禁されて、余の門弟たるや諸氏らわずかに三名にすぎない」
朝之助は万感胸にせまったらしく、声をのんだ。心が騒いだのは存八である。この異様なフンイキ、異様な人物の中に自分も加えられてマキゾエを食っては長命の見込みが断たれるように思ったから、
「ワタシはメシを炊きかけておりますんで。失礼ですが、ワタシは下僕で、門弟ではありませんから」
と立ちかけようとすると、朝之助は意外に和やかな眼差でそれを制して、
「イヤイヤ。その方は立派な門弟だぞ。キサマの剣はすでにおのずから法神流の法にかなうものになっておる」
「イエ、ワタシは下僕の方が分に相応しておりますんで」
「世上の分と剣の分はおのずから別の物だ。楳本法神大先生はともかくとして、須田房吉先生も世上の分は山里の百姓にすぎない御方だ。法神大先生の高弟は三吉と称し、深山村の房吉、箱田村の与吉、南室村の寿吉、この三吉に樫山村の歌之助を加えて四天王というが、いずれもタダの水呑百姓だ。余の先祖とても同じこと。剣に世上の分はない。元来、正剣は魔剣でなければならぬものだ。魔剣にあらざれば人剣に勝つことはできない。しかるに寺田の剣は人剣である。人智の剣である。人智の剣はケダモノに勝つことはできるが、正剣には勝てないものだ。寺田の剣は人智の埒を越えることができない。一応の虚実には富んでいるが、人智のこざかしさを脱けだすことができないのだ。流祖法神大先生が長崎に下ってオランダ医学を究められたのはこの理に当るもので、正剣は人智を越えて人体に属するものだ。人智は魔をよぶことができないが、人体には魔を宿すことができる。獅子も虎も剣を握ることはできないが、諸氏らは剣を握ることができる。人智が握るのではなくて、人体が握るのだ。人体の秘奥によって握ることができるのだ。この理が会得できればおのずから人智の剣を越えることができるのだが、それを正しく会得するには山野にこもって長年月の苦行を必要としよう。寺田が魔剣を会得するには尚数十年の年月を要しよう。まだ当流をつぐべき人物ではない。また、存八も見どころはあるが、まだ当流をつぐには程遠いものがある。存八も人智のこざかしさに於て寺田に劣らぬところがあり、ずるさにたけているばかりでなく、その人体におのずから魔を宿しているところがある。人の隙を見ぬく素早さ、見ぬくと同時に動く素早さ、これはコソ泥の天分だな。スリの天分、泥棒の天分だ。キサマにはこれが身についている。キサマは刑務所で仲間からコソとよばれて蔑まれていたときくが、コソ泥に向く動きの妙はめったに見られぬ天分なのだ。その天分を幼少から剣に生かせば大いに見どころがあるのだが、惜しいことには年をとりすぎている。その上、根性までがチャチにかたまりすぎている。惜しいことだが、大きく魔剣をはらむことにはもはや堪えられぬ。しかし、動きの妙がないよりはマシだな。寺田に欠けているものが、キサマにはあるのだ。以上述べた通り、余が熟考のあげくの結論としては、門弟二名、目下のところ、いずれも歌子の良人たるべき資格がない」
寺田はこの論告をきいて甚だしく無念に思った。彼は人智の妙をもって人体の妙にまさるものとしてきた。しかし朝之助について多少の剣を学びその妙術に舌をまいた今となっては、人体の妙が人智にまさるという朝之助の言葉もうなずけるのである。
しかし、人体の妙は彼の一人娘であり高弟である歌子でタクサンではないか。小山内朝之助は剣客であっても、彼の女房は剣に縁がなかったのと同じことだ。寺田は自分の人智にたのむところがあったから、歌子の馬力に自分の人智を加えれば鬼に金棒のようなもので、自分の人智は歌子の馬力をしのぐものという風に思っていた。
しかるに縁談を拒絶されたばかりでなく、お前の人智はこざかしいだけで埒をこえて魔をはらむ見込みがないときめつけられたから腹が立った。その上、存八と比べてそれに劣るものと断ぜられたのが何よりも無念の火をかきたてた。
負けることがキライなのは寺田の持ち前であるから、むらむらと逆上気分になり、
「御意見ありがたく身にしみましたが、私は残念ながらかけちがってまだ存八君の動きの妙に接したことがございません。後学のためにお手合わせを許していただきたく存じますが」
「とんでもない。ワタシはイヤだね。コソ泥の腕前だって四へんもつかまって刑務所へぶちこまれているのだから、剣術の腕前なんぞタカが知れてるじゃありませんか」
しかし朝之助は冷静に二人を見つめ見くらべて、おごそかに云い渡した。
「寺田の申すのは尤もだ。あいにく朝と晩とにかけちがって寺田は存八の剣を見ておらぬから不審であろうが、存八は案外やるぞ。立会ってみるがよい。後日の役に立とう」
「それはダメですよ。ワタシは下僕の仕事はしましたが、剣術の稽古なんぞはした覚えがないからね」
「あのままでよい。キサマ、面小手をつけたことがないから、面小手をつけてはグアイがわるかろう。素面素小手に袋竹刀でやるがよい」
「へい。それはもうポカポカぶたれるのには馴れていますが、お嬢さんとちがって、寺田さんはキンタマを狙ったり、ノド笛へかみついたりするからね。ワタシはまだ命が惜しいよ」
「命にかかわるほどのこともなかろう。やってみよ」
朝之助まですすめるのだから、逃げることができない。両名素面素小手、袋竹刀を握って立合うことになった。
寺田の戦法は突くと見せて蹴り、蹴ると見せて突く、虚々実々であるから敵の得手にまきこまれるとグアイがわるい。先に突ッかけるにかぎるから、
「ヤア」
といきなり打ちかかった。寺田が剣術の巧者らしくこれを正直に受けようとしたのが運のつき。受ける気勢を見てとると、シメタ! と存八、竹刀を放して頭を下げて寺田の胸へとびこんだ。死にものぐるいの勢いで無我夢中のダイビング。寺田は胃袋にこの頭突きをマトモにくらったから、たまらない。ひっくりかえって、そのままのびてしまった。
存八は倒れた寺田には見向きもしない。飛鳥のように逃げだして台所の釜の前へ辿りつき、敵が追ってきたら尚も逃げようとのコンタン。釜の下の火を落しながら、入口の方をウの目タカの目敵襲にそなえていると、歌子がやってきて、
「バケツと水ちょうだいよ」
「なんですか」
「寺田さんがのびたのよ」
「じゃア追っかけてきませんね」
「追っかけられやしないわよ。そんなにガタガタふるえることないわよ」
「そうですか。安心しました」
寺田は水をかけられて生き返り、スゴスゴと戻った。
歌子が存八に愛情をいだくようになったのは、釜の前でガタガタふるえている存八を見てからであった。彼女は生れてはじめて、父親以外の男にシンから可愛いと思う情をいだいた。そのとき歌子二十五、存八四十二であったが、この愛は順調には育たない。
★
朝之助はある日ふと気がついた。歌子の太刀筋が鋭くなったのである。特に存八をあしらう時に鋭気が一段と光り発するようである。
以前の歌子は打ちかかる存八を下僕のようにあしらっていた。下僕と思えばこそ、彼を打ちすえるにも手心を加え、いたわるところがあったのである。今ではちがう。門弟に稽古をつける鋭さである。否、ともに技をはげみ、みがこうとする必死の真剣さだ。
朝之助は自分の境地をかえりみて、これは変だと思った。即ち彼自身、存八を下僕と心得ていたころは特別な心が起らなかったのであるが、次第に見どころある奴と思うようになるにつけ、彼を上達させたい気持が生れた。これは門弟に対する自然の情である。そして、常住坐臥、飯を炊く時、水を汲む時、一服の時、畑を耕す時、存八に隙さえあれば打ちすえるようになった。隙を見れば打ちすえずにいられなくなったのだ。愛でなくて何であろうか。
これを歌子がやりだしたのだ。まさしく父と同じことをやりだした。単に稽古に鋭さがでてきたばかりでなく、父の目のとまらぬところで、存八に隙さえあれば打ちすえていることに気がついたのである。
ある日野良仕事を早めに終えて帰宅した朝之助は、歌子が存八を散々に打ちすえているのを見た。
「不覚者!」
歌子は存八をののしっていた。存八はほした芋をとりこむところであったらしく、芋の中に尻もちをついて呆気にとられて歌子を見上げていた。
「なにをなさる。とんでもない。ワタシは芋なんか盗み食いしませんのに」
「お芋を盗み食いしたなんて、いつ云いました。コソ泥がお巡りさんをビクビクする根性がしみついているのね。私はお巡りさんではありません。お芋を盗み食いしたぐらいで打ちやしないわ。隙があったから、ぶったのよ。油断だらけよ。ダラシがないわ」
「悪いことをしないのに、ぶつことはないよ」
「まだ言うのね」
「何べんでも言いますよ。悪いことも……」
「このコソ泥!」
歌子はシャニムニ打ちすえる。ジッとぶたれているような存八ではない。隙一ツない槍ブスマの中からでも逃げたい本能の働きは天下一品の存八である。かいくぐって逃げる。歌子は追いつめる。
「悪いこともしないのに……」
「コソ泥!」
「悪いことも……」
「卑怯者!」
「痛い!」
存八、せっぱつまって歌子の足もとにとびこみ重なりあって倒れる歌子をねじ伏せようとしたが、気楽流の拳法に合わせて揚心流の柔術をもお家の芸にしているから、倒れても犬と同じぐらい敏活な歌子である。スルリぬけでて、存八の胃袋に一撃を与える。地上に這った存八は心気モーローと苦悶する。歌子は尚も許さず、そのクビ根ッこを押えて地面に頭をこすりつけ、
「よく、おきき。私はお巡りさんじゃないのよ。お前の剣術の腕を上達させてあげたいから、隙を見るとぶたずにいられないのよ」
「それはムリだ」
「なにがムリさ」
「ワタシは芋と剣術しているわけじゃないから、芋をほしている時に隙があるのは当り前だ。日本中どこへ行ってもホシ芋と剣術している人がいますかね」
「このウチはそうなんだよ」
「化け物屋敷だ」
「化け物屋敷で結構よ」
「アナタは化け物だが、ワタシは人間だからね」
「言ったな」
背中へ一撃を加える。この一撃は弁慶でも七転八倒するのであるが、歌子はジッと七転八倒させてはおかない。耳をつかんで存八の上体を引き起して、
「誓いなさい。ホシ芋と剣術すると」
「できるはずがない」
「できます」
「それはムリというものだ」
「コソ泥のくせに強情ね」
存八はまた散々にぶちすえられた。
物陰に隠れてこれをツブサに見た朝之助は自己の心境にひきくらべて容易ならざる事態を察知した。師が門弟に対する愛情だけでは、割りきれないものがある。なぜなら二人は女と男だからだ。
朝之助はわが子へのやみがたい愛情によって歌子にきびしく剣をしつけた。泣けば打ちすえ、ひるめば打ちすえ、ゆるみを見れば打ちすえた。愛情によって、そうであった。しかし、歌子が女になってきた頃から、もう一つのさらに激しい愛情が加わってきたのを知った。女に対する男の愛だ。そのやみがたい愛によって、さらに一段ときびしく剣をしつけたのである。倒れても打ちすえた。血がにじんでも打ちすえた。そして必死に立ち上り、歯をくいしばり、マナジリを決して立ち向う女の姿のりりしさを見て満足したのだ。その心境が存八に対する今の歌子の心境ではないかと察して、朝之助は思わずブルブル身ぶるいした。獅子にも虎にもたじろがぬ朝之助がブルブルと身ぶるいするのは知れたこと、彼は歌子をわが子としても女としても至上の物と思いつめていたからである。
その日から、朝之助の心は千々にみだれた。春がきた。山の熊も冬眠からさめる春である。草木の芽ばえ花さく春だ。人の心もそぞろ浮きたつ季節であるから、山野の霊気を満身にはらんだ朝之助が猛獣よりも春に目ざめたとしてもフシギではない。
しかし、朝之助には父の心も、家長としての責任感も、その身体の逞しさと同じぐらい逞しくみなぎっていた。歌子を誰かしらと結婚させないわけにはいかない。第一に、結婚させなければ小山内の家も、法神流の剣法も絶えてしまう。
結婚させるとすれば存八か寺田のほかに相手を考えることができないが、二人のいずれをとるかといえば、朝之助も存八をとる。寺田との立合い以来、彼も身を入れて存八に稽古をつけてやるようになったが、別して歌子が激しい稽古をつけている。常住坐臥稽古をつけられているようなもので、特に父が不在の際には命がけの稽古のほどが思いやられるから、存八の上達には見るべきものがあった。
けれども技術には年月が必要で、存八に本能的な機敏さがあっても、それが剣法に生かされるまでは先の遠いものがある。また、中年からはじめた剣には越えがたい限界があるものだ。歌子は心身ともに男まさりで、幼少から鍛えた剣は巧みであるが、免許皆伝には未だしである。したがって歌子のムコは歌子にまさる腕がなければならないのだが、存八は歌子の半分にも至っていない。これでは話にならないのだ。
けれども、歌子のムコを仕込む代りに、歌子に生れた子供を仕込むことを考えれば、問題はそうむずかしくはない。朝之助はまだ五十だから、歌子に生れた子供を充分に仕込む年月が考えられないことはなかった。しかし、長子が男ならばよいけれども、女だったらダメではないか。次子も三子も女なら、もうダメだ。朝之助はこう理窟をつけて歌子の子供のことを諦めようとする。それは彼が卑怯なのだ。実際の心は、歌子を他の男に渡したくなかったのだ。そして、その心が土台である以上は、家長としての責任や父としての義務の念がいかに逞しくあろうとも、彼の心に明るい解決が訪れることはない。彼は日々無益に思い悩んで身もだえた。
結局彼は心を決した。このような時には山へこもるべきである。浮世の風がわるいのだ。山中には剣しかない。
そこで朝之助は存八に留守を託し、歌子をつれて山中へ苦業にでることにした。出発に際して存八と寺田をよび、
「さて留守中には両名とも怠らず剣を学び技を争い、自得するところあるように心がけるがよい。いずれかの剣に見るべきものがあれば、歌子のムコに致す所存であるから、それを励みに勉強せよ」
こう約束して旅立った。
この約束はよくなかった。朝之助は自分の言葉に縛られる男なのである。思いが心にあって、まだ発しないうちはよい。それが発してしまうと、それはもう金鉄なのだ。火もそれを熔かすことのできない力なのだ。法よりも強い約束なのだ。
こう約束してしまった以上、すでに歌子を二人のいずれかに与えたも同然だ。どうしてもそれを実行しなければならない。そして言葉の発せられた瞬間から、すでに約束をせまる力に苦しまなければならなかった。
その苦悶は歌子への恋慕の情をいやが上にもかきたてた。彼は山中で剣をふっても、そこには力がこもらない。剣はウツロであった。かたわらの歌子という女の存在に圧倒され、息がつまってしまうのだ。
夜になると、昔は焚火のそばに二人が寄り添って、抱きあって身体をあたためたものだ。それは自然で、何のこだわりもなかったものだ。しかし今では、朝之助はそれができない。しかし、歌子はすり寄ってきた。父の背に手をまわして胸をよせ、
「ねえ。寒いわ」
「ウム」
「ねえ。もっと抱いて。寒いわ」
「なア、歌子」
「ええ」
「これは決して男としてではなく、父として、父が娘に云う言葉だが」
「ええ」
「父はな。父の子を、お前のオナカに宿らせたいのだ。すこし、お前、父から身を離して、父の言葉をきくがよい」
「こうして聞いちゃ、いけないの?」
「いけない」
「そう」
「父は存八か寺田のいずれかにお前を与える約束をしたが、それはお前もきいていたはずだ」
「ええ」
「しかし、約束はしたが、彼らのタネでは父は不満だ。お前の子供は、この父が生ませたい。法神流六世の血脈をつたえ、口はばったい言葉のようだが当流極意の玄妙はことごとく身につけている小山内朝之助のタネをその方に宿らせたいのだ。父ではあるが、父ではない。法神流第六世小山内朝之助だぞ。その方は娘であるが、娘ではない。小山内朝之助の門下筆頭、小山内歌子だぞ。分るか」
「分ります」
「小山内朝之助のタネを宿してよいと思うか」
「お父様のお心のままに致します」
「かたじけない」
朝之助は歌子をだきよせ、ポロポロと一生に一度の涙で顔をぬらした。むろん歌子は泣かなかった。さしたる感動もなかったのだ。父にしたがうのは彼女の当然であったにすぎない。
★
寺田は存八に負けた後も、一日も休むことなく道場に通っていた。縁談を拒絶されても、下男の存八に不覚の頭突きをぶちかまされて気を失っても、へこたれるような寺田ではなかった。腕ッ節は弱くても、心臓ではヒケをとらない。ひどい目にあうほど不敵になるのが彼の持ち前であった。
その寺田だが、あの時は、くさった。朝之助が旅立つ前に二人をよびよせて、いずれか上達の見るべきものがある方に娘を与えると約束をした時のことだ。まさかに前科四犯のコソ泥をムコの候補に加えようとは思い及んでいなかったからだ。
しかし、そうときまれば、覚悟はある。負けない気持は旺盛な寺田のことで、勝つためにはどんな苦労もしてみせるぞと腹をきめた。ところが、さて、存八と第一日目の練習をやってみると、おどろいた。いつの間に上達したのか、てんで歯がたたない。第一、気組みがちがう。太刀筋の鋭さ、気合の充実、どこにもユルミがない。
その筈だ。存八は昨日と今日では人間が一変しているのである。存八にとっては思いもよらない朝之助の言葉だった。上達に見るべきものがあれば前科四犯のコソ泥でも歌子のムコにしてやると言明してくれたのだから、そのおどろきは寺田の比ではない。渡る世間にヒガミの数々をこめている存八は、いかに化け物屋敷の大将でもコソ泥すらも腕次第でムコにとるコンタンがあろうなぞとは考え及ぶはずがなかった。かりにもそんなことを考え及ぶ余地があれば、今までだってもっと稽古に身を入れたはずだ。ホシ芋とでも剣術しよう。
朝之助の本心が分ったから、にわかに人生に希望を得た存八、一瞬を境にして全くの別人になった。山林と田畑と屋敷と道場と、さらに絶世の美女を所有することができるのだから、四十二年間怠けつづけた根性がとたんに革命を起していた。
根が怠け者だけに、こうなると怖しい。勤労の限界を知らないからだ。他人はよほど働くものだと思いこんでいるから、これでも足りぬ、これでも足りぬと稽古にうちこむ。気合は終日ユルミがない。俗に武芸者は朝夕に千本の太刀をふるなぞということも、根が怠け者の存八ならこそ物ともせずに仕とげることができる。拳法の型、柔術の型、人形へ打ちこみの稽古、突きの練習、終日かかりきって、いささかも苦にしない。ただ怖れるのは、上達しないことだけである。
寺田に対しては旺盛な敵意と闘争心がわきたつばかりで、もはや気おくれがミジンといえどもなくなったから、まさに魔を宿したとはこれで、人智をたのむ寺田はとうてい存八に敵しがたくなってしまった。寺田の負ケン気は人工の物。その不敵さも毛の生えた心臓も人工を加味してのことだ。負けてはならぬと思いつめてこそ負けない気持になりきれるのだが、そこに至るには惑いもあるし、計算もある。ところが存八の方は、一あるだけで、二や三はない。勝たねばならぬ、上達しなければならぬと一途にきめこんでいるだけである。
気合の充実だけなら寺田もさして気おくれは感じなかったであろうが、存八は腕も充実しているのだ。甚だ気合がのらないながらも、日がな一日歌子や朝之助にポカポカやられているうちに、おのずから剣の下のカケヒキを身につけている。半死半生の目にあうのだから、気がのらなくとも真剣で、切実に身につけている。白刃の下で否応なく鍛えられたような充実がある。これに気合と妄執と不屈の闘志が加わったから、寺田の人智の計算ではもはやこれに抵抗する負ケン気をかりたてることができないのである。
「匹夫の勇には勝てねえや」
と、寺田は日ごとに諦める気持がつのった。毎朝、存八にしたたかブン殴られるのがバカバカしくなったのである。
「そんなにお嬢さんのムコになりたいかね」
寺田は存八をひやかして云った。
「当り前よ。前科者の宿なしが、これだけの屋敷と財産に合わせてあのお嬢さんをもらえるのだもの、山へこもって苦業して免許皆伝の名人になれるなら、今からでも山へこもって三年五年の苦業はいとわないね」
存八には懐疑がない。彼の希望も人生もスッキリと割りきれている。度しがたい匹夫だと寺田は心にののしったが、敗色はおおいがたい。心はひるむ一方だ。
「もう一チョウ、やろうよ」
「イヤだよ」
「まだ疲れやしないだろうね」
「イヤだ」
サイソクは存八で、断るのは寺田であった。以前の試合とちがって、面小手をつけて稽古するのだが、寺田の必死の虚実も、全然とどかない。虚から実へ移ろうとすると、存八の構えがとっくにその実を待ちかまえている。応変の敏活、臨機の速度、段がちがう。苦もなくポカポカなぐられてしまう。太刀筋にこもる力は日ましに強くなる一方で、なぐられる痛さが身にしみるようになった。
「お前さん、たしかに強くなったなア」
「まだ、まだ、だ。とても、こんなじゃ、お嬢さんの太刀はうけられるものではないよ。まして、法神流の免許までには、ね」
存八にはウヌボレもなかった。とてもダメだと寺田は諦めざるを得なかった。元々のバカには慢心すらもないらしい。
匹夫の勇を相手にせず。これもやむを得ないが、負けは負けであるから、このまま引ッこむのは残念だと寺田は思った。何かでより以上の自己の偉大さを認めずにはすまされなくなった。
ちょうど春の学期休みとなった。この機会に、多年考えていたアレに着手してみたいと寺田は思うようになった。アレとはつまり国定忠治だ。鼠小僧だ。青梅の七兵衛である。
中里介山の大菩薩峠にもとり入れられているが、青梅の七兵衛は実在の人物だ。レッキとした青梅の旦那だが、実は泥棒でもある。非常に足が早い。一夜に山越えして遠く甲府で盗みを働き、夜明け前に家へ戻ってねているから、この旦那が泥棒とは長の年月分らなかった。元々お金持の七兵衛は、盗んだ金をみんな人に施していた。彼の刑死はいたく人々に惜しまれ、むしろ義人として仰がれ、その屋敷跡はタタリを怖れる人々によって近年まで空地になっていたはずだ。
寺田はこれをやろうと決意したのである。歌子がいかに美女とはいえ、いずれは婆アになり、白骨になる女一匹ではないか。法神流がいかに人体の秘奥玄奥をきわめた武技であっても、たかが一発のピストルにすら負けるのだ。
しかし、彼がかく決意するに至ったのも、お化け屋敷のお化け人物に接したことが力となっていたことは否めない。相当の山林をもち、大きな屋敷と食うに事欠かぬ田畑をもちながら、前科四犯のコソ泥にでも家と娘をゆずる心になりうる人の思いつめた境地が寺田にも移り香を宿している。ゴミクズやウジムシどもの人生とちがって、まことの魂がまことに呼吸し生きている人生とはおそらくそのようなものだろう。寺田はそこにひかれずにいられない。それだけに、この人の魂の世界で彼が存八に敗れたのがバカバカしくて仕方がない。
別に存八その人に敗れたわけではない。存八自身はデクノボーだ。オレはあの人の魂に縁がなかっただけのことだ。なぜならオレはオレの魂に生きることのできる人間だから……寺田はこう考えていた。
オレの魂に生きることだ。まず実行だ、と寺田はここに決意した。
寺田は手さげカバン一ツぶらさげて上京した。転々と五泊して適当の場所を物色した。三日目に、さるマーケットで朝鮮人からピストルを買った。
四日目に泊った宿の近く、あまり人通りのない電車通りに三等郵便局があった。強そうな中年の男が一人、弱そうな青年と女だけだ。大将が強そうなのが気に入った。この先生をしめちまえば、他の者が手段を失うに至る公算が大であるから、これにきめた。
その晩は離れたところに宿をとり、翌朝早めに宿をでて上野駅で帰りの切符を買い、さて当日は土曜日だから、郵便局は正午までだ。
円タクを拾って予定の位置に待たせておき、ちょうど正午に郵便局の前へくると今しも入口をしめてカーテンをひいているところだ。すぐ裏へまわり裏口からズカズカはいると、家族の多くは茶の間に集っている。強そうな大将もそこにいるから、一同にピストルをつきつけ、何の凄味もきかさぬうちに物をも云わず大将に急所の一撃、足で蹴った。これについてはかねて修業をつんでいるから、狂いがない。誰しも怪漢にピストルをつきつけられれば注意は相手の上体に向い、自身の構えも同じことで両足はお留守になっているところを、凄み一ツきかせずに思わぬ足の一撃だ。その足には靴をはいている。まともにこれを食った。唯々諾々と実に存分にくらったから、痛みを訴える呼び声すらも発することができない。急所を押えてフラフラと崩れてしまい、タタミをむしるようにもがきまわるだけである。寺田はそれには目をくれず、一同をハッタとにらんで、
「動くな。オレの言う通りにすれば、悪いようにはしない。郵便局へ行け」
ピストルを突きつけて家族と職員を郵便局に集め、壁に向って立たせた。あの急所にあれほど完全な一撃をくらうと、一番気丈な豪傑でも三分や五分は瀕死の重病人以上の行動はとることができない。三分と見ても、相当な時間だ。それを充分念頭に入れた寺田は自分で予想していたよりも落ちついていた。机の上を見まわす。現金はない。ヒキダシをあける。現金はない。机上に手さげ金庫がある。壁際に大きな金庫もある。
「金庫をあけろ」
大きな金庫をあけさせたが、そこにはいくらも現金がない。あるだけポケットへねじこんで、カバンからフロシキをだして手さげ金庫をつつんだ。これをかかえて、
「アバヨ」
ドアをしめる。豪傑が片手で急所を押えながら裏口の近くまで這いつつ辿りつこうとしている。それをとびこして駈けだすと、路地を曲るころになって、ドロボーという女の叫び声が後にきこえた。路地づたいの逃げ路は研究ずみだから、案外落ちついて待たせた自動車に乗りこみ、円タクから円タクへ乗りつぎして、新宿へきて映画館へはいる。この映画館には内側から完全にカギのきく便所があるのを知っていたから、ここで金庫をこじあけ、札束をカバンにうつして、金庫は便所の屑箱へ投げこみ、悠々ここをでて、食事。汽車の時刻を見はからい、どの駅よりも手配が行き届いていそうな上野駅へわざと堂々とのりこんで、目当ての汽車に誰に怪しまれることもなく納ることができた。
この汽車にレンラクするのは終発のバスで、彼の村までは行かない。その終点でも泊めてくれる顔ナジミの家は多いが、懐中電燈もあることだから、夜の山道の深い静寂を満喫しながら三里の道のりを歩いてわが家に到着した。
青梅の七兵衛もこうであったろうと彼は思った。わしが国さの国定忠次も捕吏に追われてこの山中をさまよったはずだが、イカンながら忠次の荒涼たる心境は彼のものではなかった。彼の心はふくよかだった。家に近づく一足ごとに自信が力強くよみがえってくる。まさかこの山奥からポッと出の田舎教師が東京の郵便局を襲ったとは思いつく者があるまい。むろん郵便局のヒキダシにも手さげ金庫にも指紋は残してきたが、磁石じゃあるまいし、それがこの山中を指し示すことはありっこない。彼は自信マンマンだった。
家へ戻ると、盗んだ金とピストルを秘密の場所に隠しこんだ。少くとも今後の何ヶ月間はこの金が自宅のどこにも存在しないと自ら思いこんでしまうことがカンジンだ。
その晩は熟睡したが、早朝には習慣通り目がさめた。彼は躊躇なく跳ね起きた。あのバカ者は例によってすでに今日の猛練習をはじめたころだ。ひとつ、からかってやろうと思った。稽古着に着かえて道場へでかけた。バカ者は朝の千本をふり上げふり下している真ッ最中だ。
「よう。師範代。やってるな」
しかし存八は答えない。いつもの例だ。千本が終るまでは相手にならない。
その日は寺田も自信があった。念願を果した自信、そして快感。それが郵便局の豪傑の急所に見事な一撃を与えたときの手ごたえに変形してよみがえってきた。その力は今や彼の全身にみなぎり、何物をも打ち砕くために破裂しそうだ。
彼はタンポ槍をとって、リュウ〳〵としごいた。すでに昔日の気魄とはおのずからに違っている。この槍先の走るところ、何物をも貫くような無敵なものが宿っている。これをさえぎりうる何物もない。空をきる力強い手応えに満足した。
一瞬、彼は殺気をはらんで、ツと動いていた。満身に気合をこめて存八の後姿に突きかけた。その瞬間に、彼は天上から地上へ、まッ逆様に落ちていたのである。存八の後姿が風に送られるように横にそれ、流れる槍を笑うように振りむいていた。
しかし、存八は怪訝な顔だ。槍を片手で押えて、
「アナタ、槍の使い方も知らないくせに、ムリだよ。武芸は得手なもので、やることだ」
「後から突くのが、分ったのか」
「天下の名人にいつもポカポカ後からやられていたから、アナタでは軽いね。槍をしごいていた時から感じていたのさ」
「おどろいた奴だ。その要心があるようには見えなかったが……」
「アハハ。それ!」
存八の左手の木刀が突然腰へ流れてきた。見えていて防ぐことができないのは、虚を見ぬかれたせいだ。郵便局の豪傑と全く同じように唯々諾々と腰骨をしたたかになぐられたのである。
「ウーム」
バッタリ倒れて身動きのできない寺田に、存八が言った。
「左手だから、それほどのことはなかろう」
存八は道場の片隅へ去り、すでに余念もなく人形に向って突きの稽古をはじめていた。
★
小山内朝之助と高弟歌子の愛慾と苦業は夜となく昼となく打ちつづいていた。
朝之助の稽古は激しかった。わが身をむちうつように荒れ狂うのだが、どこかの心棒が抜けているのか、充実の欠けるところが感じられて、不足と不安定に悩むのだ。どうにも気合が行き渡らない。身と剣の一如の動きに澄みきった真空を感じることができないのだ。「愛慾のせいだろうか」ということを何より先に気にかけずにいられないのは当然であったが、それならば歌子もそうでなければならない筈だが、歌子は日頃にまして殺気充実、すさまじい限りである。
「すぐる二十五年前、オレがこの山中にはじめてこもって法神流の玄奥を自得して以来、このような不満は絶えて覚えたことがなかった。あれから今日に至るまで一日たりとも稽古を怠ったこともなく、病気をしたこともない。のみならず昨今は特にきびしく身を鍛え稽古にうちこんでいるのだが、それでいてこの有様だ。してみれば……」
これはどうしても邪恋のタタリだ。そうとしか思われぬ。それにしては歌子の殺気のすさまじさ、気合の充実、飛燕の動き、どうにも理解に苦しむところだ。
山中に苦業して鳥獣をくらうというと、いかにもその生活は乞食まがいで垢は身につもって異臭を放つような怪しさを考えがちだが、実は浮世の生活よりも清潔なのだ。
まず朝夕に滝にうたれる。これを苦業のうちというのは俗人のことで、下界の沐浴に当るものというでもないが、これぞ山人一体の境地であろう。口中に滝の水をふくんで心ゆくまで山気を身の深奥に至るまでひたす。両眼をひらいて滝の水を吸わせる。クソも水中に於て行う。人界の営みとはおのずからに異って、すべては山気の一端であり、クソにもイバリにも人間の卑小感は失せきっている。
ある白昼、朝之助は歌子から離れて、ひとり滝壺へ降りた。身に清浄の足らぬものが感じられて、垢の重さにたえかねて腰の曲った老爺の如くに心が暗く重いのだ。
ひとつ心棒の足らぬものとは、これではないか、ということが、朝之助はふと気がかりになった。彼はツと滝の裏へ隠れた。
彼は水中の岩に腹をのせ、フグリを掌の上にのせてシミジミとうち眺めた。滝の冷気で小さくちぢんでいるものだから、先をひっぱってゴシゴシと皮をしごいてみる。山気生動とはこの物でなければならないものだ。富岳も浅間も山気生動し雲をひらく如くであるが、真に山気の生動し真に雲をひらくものとはこの一物のほかには有り得ない道理なのだ。
恋愛とは何ぞや。恋愛もまた山気だ。恋愛に邪恋の有りえよう筈はない。百貫の獅子、百貫の虎、百貫の熊の雌雄が山中に木を倒し岩を砕いて荒れ狂う如きもの、あるいは林間の静寂に一体となってただ感きわまって叫ぶが如きもの、これが恋愛である。雌雄のあるのみ。邪恋のあるべき道理はない。
朝之助はかく観じた。罪もタタリもあるべきではない。
しかし、悲しや、彼のシミジミうち眺めるものは、そも何物であるか。生動する山気は影だにもない。ただ皮である。シワである。肉ですらもない。百歳の老爺があわれみを乞う姿であった。
「かくては熊にすらも劣るな。オレがこの山中で殺した熊、熊、熊。今ではその熊にすらも劣っている」
朝之助は長大息した。
その時、その熊が現れたのである。滝の裏はゴウゴウと音がこもって他のいかなる音もきくことができない。しかし、シブキはあるが視界はわりにハッキリしている。水中の朝之助は脳天に熊の一撃をくらった。彼は水中に転落して没した。起き上るところをまた脳天に一撃をくらった。ぜひなく水中をくぐってやや離れ、さて顔をあげてみると、その熊は歌子であった。
彼の脳天をうった太い木の枝をぶらさげて、歌子はしばし朝之助を見つめ何か云いたげであったが、滝の音が言葉をさえぎって用をなさないことを見てとったのか、枝をすて岩をよじて立ち去りはじめた。
意外なところを見られたために朝之助は羞じた。そして歌子の後姿をふり仰ぎ、
「ああまさに熊だ。五百貫、千貫の熊だ」
と思った。そのとき歌子が岩の途中で立ちどまった。木の枝に手をかけ、滝壺の方にふりむいた。両足をひらいて、岩にまたがったのである。何事かと朝之助はカタズをのんだのである。すると歌子の股間からニジのように小便が走りでた。小便を終えると、また岩をよじて立ち去ったのである。
岩をも砕く頭突きの鍛錬のために脳天の二撃は致命に至らず脱するを得たが、かの小便はトドメの一刀であったと朝之助は観じた。むろん歌子が成心あってしたことではないが、無心であるために、なお痛い。なお怖しい。
「見事なものだな。オレはただカタズをのんでウツロに見つめているばかり。歌子のどこにも隙というものがない。それにひきかえ、このオレのダラシなさ。無念といえば、あまりにも無念だが、これもオレの至らぬためだ。五歳にして父に剣の手ほどきを受けてより四十有余年カンナン辛苦の修業の果てに得たものを一朝に失う不覚。思えばこれもここに無用の一物があるためだ。これこそはわが剣のためには無用のもの。この悟りこそは天の声だ。いま歌子を谷底にさしむけられたのは祖先の霊であろう。ああ我あやまてり。さらば、この機を失するなかれ」
彼はにわかに立上り、岩の上に脱ぎすてた着物の上にのせておいた小刀をとってサヤを払い、かの水中の岩の上へ戻ってきた。岩にまたがり、しなびた皮を充分にひっぱってその根本よりブッスリ切り落す。傷口を押えて無念無想、ジッと水中にうずくまる。約一時間の余もジッとそうしていた。
水中よりあがると松ヤニをとって傷口にぬりこめ、かの切りとった一物を指につまんで歌子のところへ戻ったのである。
「歌子よ。そちの教訓、身にしみて忘れぬ。しかし、そちもこのたびは見事に上達いたしたものだな。このたびの山中の修業、もうお前には充分だ。だが、オレはまだまだ、ここに残ってこれからがまことの修業にかからねばならぬ」
「歩く御様子が変ですね」
「ウム。邪魔物を切りとって参った。ここにあるのが、切りとった物だ。この物が山気生動雲をひらくうちはよいが、無用の一物となったときには人心の山気をも枯らす。雲をひらくべき剣をもさえぎる。まことに無用の長物。そちの教訓によって悟ることができた」
「これはアレかしら」
「そうだ」
「かつぐんじゃないでしょうね」
「ほれ、ごらんの通りだ」
朝之助は前をまくって松ヤニをつめた傷口を示した。歌子はシミジミと見て、ふきだした。朝之助もつられて大笑した。
「イヤ、まことにもって笑うべきだ。その方が笑ってくれて、助かったぞ。感謝いたす」
「そんなもの、記念にしまっておく?」
「イヤ〳〵。そちの首実検までに持参いたしただけだ。これはもはや雑兵だから、首オケもいらぬ。葬ってつかわそう」
「私が葬ってあげるわ。谷川へ捨てちゃう方がいいわね」
歌子は一物をつまんで谷川へ捨ててきた。岩の上からポンと投げて、ナムアミダブツとつぶやいた。まさに一人の雑兵を葬ったような気がしたのである。
朝之助は心気爽快であった。
「その方はただいまより家へ戻れ」
「ウン」
「存八と結婚いたしてもよいぞ」
「ウン」
「行け」
「ウン」
歌子は自分の荷をまとめ、木刀に吊してかついで父に別れた。たそがれに近い時刻であったが、浮世の時間は山にはない。
父が行けと云えば行く。歌子の人生はそれだった。父が何を考え、何を悩んでいるか、そして何を悟ったか、それは歌子には分らないし、分りたいとも思わない。分らせたいことがあれば分らせるために語り教えてくれるからだ。他は無用だ。
しかし歌子はこの山中へきてから自分がケダモノになったような気がしていた。悪い意味のケダモノではなく、本当に自然に還ったという意味なのだ。今までは余計な皮をきていたが、それを脱いで本当に自然な自分、そしてケダモノに還ったような気がする。
ケダモノ同士がじゃれ合うように父に向って勝負をいどむ。滝壺の父を打ったのも、ただそれだけのことにすぎない。
父と肉体の関係をもつに至ったことについても、父が命じたことだから従うだけの気持であったが、性交にも感じなかったし、それによって特に新しい考えや感動を得たような覚えもなかった。ただ父の子を生むことはわが家の歴史と現実から考えて父の説の如く極めて当然だと思っただけだ。
父がアレを切りとったのも分るような気がした。アレはたしかに無用だ。父がもう無用とみてアレを切ったのは父の場合たぶんたしかにそうなんだろうと思ったのだ。
しかし、人に別れた時というものはいろいろのことを考えついてしまうもので、歌子はたそがれの山径を歩いているとき、ふと眼下の谷底へとびこんで死にたいと思う気持になった。いっそこのまま山に溶け、谷の水に溶けてしまいたいと思った。
道場へ戻れば可愛い存八がいる。可愛い……とたしかに歌子はそう思った。それはちょッと嬉しくもあったが、しかし家へ帰るのもなんとなくつまらない。切りとったアレを父は雑兵と云ったが、それはたしかに雑兵だと歌子も思った。しかし、可愛い存八は人間全体が雑兵そのものだ。魂も根性も雑兵だ。そして、それだから可愛くもあるのだ。
その雑兵と世間なみに一しょになって、身のまわりの世話をやいたりやかせたりして、父としたようなあんなこともして子供を生んで……それもちょッとほほえましいことだと思うのであるが、しかし、そうまでならないうちに、いま山に溶け谷の流れに溶けて死んでしまった方がもっとよいことのような気がしたのである。大自然に溶けてしまいたかったのだ。
歌子は谷底を前にして、岩にもたれて惑った。眼を閉じたり、開けたりして。そして何も考えないで。父のことも考えないで。やがて歌子は放心からさめた。
月の出を待って歌子は歩きはじめた。死ぬことも忘れていたのである。可愛い雑兵が待っている。それでよいのだ。そして父の子を父のように育てるのだ。
歌子は一晩歩いて、翌る早朝わが家へ帰ってきた。彼女が丁度わが家へついたとき、寺田がリュウ〳〵とタンポ槍をしごいて存八の背後から突きかかった時であった。彼女は武者窓からその成行きをみんな眺めたのである。
「アッハッハッハ。それ」
と云って存八が左手の木刀で寺田の腰骨をなぐって打ち倒し、倒れた寺田には目もくれずに人形に向って突きの稽古をはじめたのを見て、歌子はにわかにムラムラと腹をたてた。
「なんて高慢な!」
ムカムカするほど不快がこみあげた。雑兵のくせに、なんたることだ。一刻も我慢ができなかった。
歌子は吊した荷を下して、木刀を握った。道場の戸口をくぐってズカズカと存八の前へすすみ、それに気がついて挨拶しようとする存八をいきなり打ちすえた。しかし存八もタダならぬ歌子の気勢に警戒は怠らなかったので、辛うじてかわして、逃げ腰に構え、
「なにを、なさる」
「お前は留守中にずいぶん傲慢になりましたね。さだめし上達したからでしょう。私が相手になってあげる。さ、おいで」
「木刀はダメですよ。稽古をつけて下さるなら、面小手をつけてやらせて下さい」
「エイッ!」
腰骨にうってかかった。半分かわしたが、したたかな一撃。二撃三撃とこの木刀でやられては命がないから、無我夢中、存八は木刀をすてて身を投げるように武者ぶりついた。一晩ねずに歩いて来た歌子は疲れきっているから、組み打ちになって互格の格闘がつづいたが、存八の奴、勝つ気持がないから非常に強い。体を密着させて蛸のようにからみついていさえすれば致命的な一撃はさけられるから、ただもう強打を喫しない蛸作戦。しかし、いかに要心しても体格も技術も上の歌子に対しては勝味がない。次第に存八の疲れるのを待って、ついに敵の指をとった歌子、指の逆手。これはたしかレスリングでは禁手になっているようだが、日本古来の柔術では指の逆手に数々の秘技がある。まことにどうも素人では受けようのないヤッカイな攻撃だ。
「アイテテテ……」
と身体の立つところをエイッと当身。倒れてもがく存八をハッタと睨んだ歌子、木刀をとりあげて散々に打ちすえた。皮がやぶれて諸々に血がにじみ、存八息も絶え絶えである。歌子は荷物を拾って部屋へ帰り、寝床をしいてねてしまった。
呆れて見ていた寺田が存八の上に身をかがめて、
「オイ。どうした、師範代。お前さん、惚れているから、ダメだなア。敵の急所へ先にドスンとやりゃアいいのに」
「ナーニ。これぐらいは、馴れてるんだよ。ウーム。ドッコイショ」
寺田はおどろいた。郵便局の豪傑とちがって、存八の奴、もう起き上って、それ程でもない顔だ。いよいよバカには勝てないと寺田は眉をしかめた。
★
この山中には巨石が多い。その中に一ツ赤味をおびた巨石があって、これが大そう堅い石だ。原始林の中にあって人目のとどかぬところであるから、この石上の窪みが朝之助のネグラの一つであった。この石上で火もたくし料理もする。実にどうもガンコな石で、斧で叩きつけても刃の跡もつかない。
朝之助は朝の沐浴、朝の鍛錬を終ると、林中深くわけ入って木材をさがしもとめ、巨石の上でこれをけずりはじめる。これを木刀に仕上げるのに小半日かかるのである。それから再び充分に鍛錬を行って、心気を澄ませ、心気の最も充足した頃を見はからって、木刀をひっさげてこの巨石に立ち向うのである。それは夕方の時もあるし、とっぷり夜の落ちてからの時もある。
この巨石の凹みの一点に向って相対し、一分、二分、また五分、また十分、ついには脂汗がしたたっても打ち下すことのできない時がある。その時には再び心気を鎮めその充足を待って改めて必死の覚悟で立ち向うのである。
彼はこの巨石を木刀で打ち割ろうというのだ。そういう悲願をたてたのだ。しかし、いかに法神流の極意の腕でもこの巨石が割れる筈はないから、折れるのは木刀の方だ。彼の腕はしびれる。否、脳天もしびれ、胸はつかえ、腰は跳ねて、ひっくり返って失心状態になる例であった。したがって、毎日木材をさがして木刀を造らなければならない。そして脳天がしびれてひッくり返らなければならないのだ。
彼がこういうバカげた悲願をたてたのには、重々尤も千万なワケがあるのだ。彼はかの雑兵を切断して谷底に葬りカンラカラカラと哄笑して心気甚だ爽快に娘の帰宅を見送ったのだが、すでにその日のたそがれ時から悩みに沈まなければならなかった。
かの雑兵は、そこに雑兵の魂が宿っていたわけではなかったのである。雑兵の魂は彼自身の心中に巣くっていた。かの雑兵を一刀のもとに葬っても、雑兵の魂は生きていた。つまり、なにもならなかったのだ。そして歌子を恋うる思いの切なさに、改めて仰天せざるを得なかったのである。
松ヤニをぬったかの傷口は小用のたびに難渋しなければならなかったが、難渋しているうちはまだしもよかったのだ。なぜならその難儀を天の声ときき、苦痛のゆえに、わずかに慰めることもできたからである。
傷口が治ってしまうと、まるで牢舎から脱けでた悪漢のように悪心をたくましくするばかりで、天の声もとどかなくなってしまった。剣をもつ手もそぞろである。雨につけ、風につけ、恋する心の厳しさを味わうばかりで、苦行の厳しさは身につかない。
かくてはならじと悲願を立てたのが石切りであった。南無摩利支天この石を切らせたまえ、邪心を払いたまえ、と木刀をけずりながらも呪文を唱えつづける。呪文を唱えながらもウカウカすると幻のトリコになっているのである。
しかし、朝之助、よくがんばった。この悲願果さぬうちは里へは降りぬとがんばったものである。そのうちにだんだんものうくなった。習慣的に木刀をけずり、習慣的に心気を充足させて巨石に立ち向い、習慣的に脳天がしびれてひッくり返るけれども、他の事がすべてものうくなった。鳥獣を捉え木の実をとって食事するのもものうくなった。歩む足もものうくなった。
そして何より心気の安らぐのが、かの滝の裏で水浴することであった。彼はかの水中の石の上に腹をのせてひッくり返り、かの一物が山気生動し雲をひらく勢いの時には水面にその姿を現した往時をしのびつつ、かの一物のあたりを探ってみる。ない。雑兵の魂はあるが、もはや雑兵の姿はない。
「アハハハハ」
と彼は笑う。雑兵自身が笑うのだ。雑兵をあざ笑っているのではない。雑兵同士の親睦を意味するような笑いであった。
「よう、大将。貴公、首をチョン切られたのか」
というような笑いなのである。ここでは、いつものようにして、いつも笑う。親愛なる雑兵そのものになりきってひたる静かでかなり安らかな一刻だ。あの岩上ではかの千貫の大熊が岩にまたがってニジをはいたな、と思う。この幻想は美しい。雑兵の目にしみている現実なのだ。汚れのない幻想だ。雑兵はそれにひたりきることもできる。
夏の水浴はたのしかった。しかし、他のことはみんなものうくて、やめてしまった。鍛錬もやめた。ついには悲願の石切りすらもやめた。食事だけはやめるわけにいかなかったが、鳥獣を屠って食う面倒をやめて、手近かな物、蛇や虫の有り合わせの物で間に合わせるようになった。沐浴からあがってくると、いつもうとうとと石上でうたたねばかりしている。腹がへると石から降りて、すぐ近い木のセミやトンボをつかまえる。蛙を追う。ねている石にとまるトンボも食うのである。
ある日、彼の足もとの地面がうごいた。おどろいて地をほると、山には珍しいモグラであった。彼は火をたいて丸焼きにして食った。実にうまい。長らく忘れていた肉の味を思いだしてホロリとしたのだ。おちぶれたな、と思った。ネグラの石にとまるトンボまで食うとは、おちぶれた。手近かな物、そして面倒のいらぬ物の最少限で間に合わせているが、それでも鳥獣を追っかける面倒よりはマシなのだ。そのくせ、ネグラの石にとまったトンボすら逃がすことが多い。トンボの後を見送って、また首を元に戻してうたたねする。おちぶれた。
「まア、いい。どうせオレは雑兵だ」
しかし、モグラの味、うまかった。食うほどにうまい。そのたびにホロリとした。
秋がきた。山の秋は天が落ちるような速力で訪れる。そして、深まる。けぶるような冷い雨がつづく。朝之助には滝の裏の沐浴すらも身にしみて堪えがたいようになった。そして滝壺から上る道が息が切れて難渋するようになった。
「そろそろ里へ帰ろうか」
そう思うようになった。めっきり痩せてしまったが、今さらこの山中で昔日の苦業の気力や体力をとり戻そうとするような意地は残っていなかった。このまま痩せて骨になるか、里へ戻るか、どっちかだ。トンボもいなくなってきたが、トンボの代りに霞を吸ってうたたねができるなら山にいたいが、仙人になる見込みもない。所詮、雑兵であった。
どのツラさげてわが家へ帰れるか、というような意地もなくなってきたのである。雑兵である、愚人である、むしろ石にとまった一匹のトンボのようなものだ。わが家へ帰るとは、石の代りにタタミにとまりに行くようなものだ。しかし、いかに一匹のトンボでもわが家へ戻るには門をくぐり入口を通らなければならないから、多少は山帰りの何物からしい作法というものが必要だ。
「三年間物を言わないことにしよう」
こうきめた。そして誓を立てたのだ。たらふく食う。そしてねむる。物を言わない。こういう誓だ。要するにタタミにとまったトンボなのだ。山の石にとまっていたトンボが里へ住みかえるだけの話だ。そのうちに、いつか人間に戻ることができたら、そのときはまた何とかしようと思う気持もあったが、あの一物を失ったようにもはや全てを失ったという切なさを感じることが強すぎる。あの一物は全てであった。もはや全てを失ったのだ。そしてトンボになってしまった。彼は腰をひきずって山を降りた。
★
山から降りた歌子は、山にいたころ里のことを考えた時のやさしい気持をみんな失っていた。あのころのやさしい気持は思いだすこともできない。下界は愚劣そのものだ。
存八が事もあろうに一流の武芸者然と軽く寺田を打ち倒した高慢な様を認めた時の歌子の激怒はその場だけのものではなかったのである。日がたつにつれて、だんだんたかまる一方だった。
もはや歌子は存八について考えるたびに、あのいやらしい高慢な様をはなれて存八を思いうかべることができない。今さら存八がどのように小さくなっても、あの高慢な様をはなれて存八を見ることができないのだ。釜のうしろへ逃げてきてブルブルふるえていた可愛い存八はもはや存在しないのだ。歌子はバカらしくて、そんな存八はもはや考えてみる気にもならなかった。歌子は気が立つごとに、木刀をぶらさげて気がすむまでは一日中でも存八を追いまわしていた。存八は逃げるばかりが能ではなくなり、いくらかは身をかわすことも、太刀をうけとめることもできるようになっている。隙があればつけいるぐらいの手筋や気合を見せることもある。これがまた歌子を一そう怒らせた。
時日のわりに存八の上達は見るべきものがあったが、幼少から筋の正しい剣を仕込まれている歌子にはとうてい勝てない。結局ポカポカぶん殴られてしまう。その日のお天気次第で、このポカポカが一日に何度も何度もくりかえされるから、存八の全身はコブまたコブ。傷また傷。コブの上にまたコブ。存八は仕方がないから真夏のさかりでも厚く綿をつめた刺子をきて、同じく綿入れの手甲、スネ当てを一着、同じく厚く綿をつめた飛行帽のような面をかぶっている。この装束を寝た間もはなせない。これだけの装束をしていても木刀の乱撃をうけたあげくに七転八倒あるいは悶絶をまぬがれがたいのである。
しかし歌子も時々存八の反撃をうけて、小手にアザをつくったり、額にコブをつくることもあるようになった。その時の歌子の怒りはものすごい。存八が悶絶してもまだぶん殴ることもある。
存八も真剣だった。あまりにも容赦ない攻撃だから、身をまもるには同じく戦う一手である。逃げて済むことができないのだから、もはや必死の反撃あるのみ。
ある日、存八の反撃を歌子が受け損じ木刀が手から放れたので、したたか肩をうたれた。しびれる痛みにわずかの一瞬動きを忘れてしまったところを、胃袋に拳の一撃をうけたのである。歌子はウッと背をまるめて地上に倒れてしまった。その時の存八、思わず破顔したのである。一度でもこういうことがありたいと思いつづけていたことだ。まるで彼がやられるようにやることができた。おのずから満面に得意の微笑、禁じることができない。そのあげくには音をたてて、
「ハッハッハッハッハア」
バカのようにトメドなく笑いだしてしまったのである。地上に倒れて痛みをこらえながら、歌子はこれをツブサに見た。まさに下司下郎の高慢、不潔、下品、堪えがたいものだ。
「オノレ!」
立ち上った歌子はシャニムニの攻撃、逆に存八の木刀を打ち落して、右から上から左から、メチャ〳〵に打ちすえ、ついに倒れて身うごきのできなくなった存八を組みしき、刺子、面小手の武装を解除し、奴めの胃袋からはじめてアゴも鼻柱も口もミケンも存分に殴ったのである。
ホッと一息、満足して立ち上った歌子は、地上にダラシなくのびている存八の肉体が意外にも逞しいのにおどろいた。刺子の下ではうかがいようもなかったが、昔の存八とはまるでちがう。リュウ〳〵たる筋骨である。そのはずだ。コブの上にコブ、またまたコブといつしかコブを肉にした存八である。骨にもコブぐらいできたろう。父朝之助を小型にしたような逞しさであった。
思わず、キャッ、と叫びたい気持になった。目をそむけて逃げだした。
彼女は山にいたときのことを思いだした。山では殺気だっていた。しきりに父に打ちかかったあのころは、充分には気がつかなかったが、彼女はたしかに父を打ちふせたいと思っていた。それは剣の上達のため、当然なことだと思っていたのだ。
しかし、存八の父を小型にしたようなリュウ〳〵たる筋骨を見たとき、一瞬、彼女はそれを父と幻覚した。彼女に打ち倒された父の姿と幻覚した。まるで身体の中心にブッスリと針をさされたような恋心を感じた。朝之助への恋心であった。
歌子は部屋へ逃げてきて、机に向い顔をおおうたのである。世の中に男は父しかいない。父は唯一であり、全ての男だ。父ではあるが、父ではない。師でもある。恋人でもある。まさに全てにして唯一の男だ。
なぜその心を早く知ることができなかったか。存八という俗世のくだらぬ幻にあのころ目を眩ませていたからだ。俗世の約束にとらわれていたのであろう。父をただ父のようにしか見てはならない俗世のくだらぬ約束に。
自分が愚かであったために、全てはもう、すぎ去ったのである。父は娘が恋人になってくれないために、悩みに悩んだあげく、とうとう一物を切りすててしまった。そして全ては取り返すことができなくなった。しかも父は男らしくカラカラと哄笑し、彼女を存八のもとへ返した。あのときのリリしく逞しい巨人のような父の立像。山気に木魂する哄笑。それもこれも自分が愚かであったためだ。その巨人には一物がない。
かえすがえすも憎むべきは存八だ。下司下郎のくせに高慢で、筋骨だけは妙に逞しくなり、しかも一物すらも具備している。不潔なケダモノのような奴だ。
あまりにも呪うべき奴、歌子は顔をおおうた手を放すと、悪鬼の形相で立ち上った。押入の中から家宝の日本刀をとりだしてサヤをはらい、ジッと刃を見つめていたが、ようやく気をとり直して再びサヤにおさめ、その刀をたずさえて庭にでた。のびている筈の存八はもういない。
ツルベの音がするので井戸端へ行ってみると、存八はツルベに口をつけて水をのんでいる最中である。
「コレ、存八」
「ハ? もう、カンベンして下さい」
「今、すぐに出て行け」
歌子は刀のサヤをはらって存八に突きつけた。存八はツルベを落してガタガタふるえた。声もでない。
「すぐ出て行け。また、コソ泥になるがよい。戻ってくると、一刀両断だぞ。この村にウロウロしていても斬りすてるから、そう思うがよい。立て。早く、でてゆけ」
刀で軽く突く。軽くと云っても、血がたれてきた。
存八は歯の根が合わない。それでもようやく泣き声をふりしぼって、荷造りの時間を与えてもらい、ナンキン袋の世帯道具一式を背負って立ち去ったのである。
朝之助が戻ってきたのは、それから三日目のことだった。
歌子はおどろいた。昔の父の面影はどこにもない。痩せ衰え、蒼ざめて、むくんでいる。眼がドロンと濁って、口にシマリがなく、全身に力がぬけているのである。そして、全然喋らないのだ。何を問いかけても返事をしない。そして一日中ねているだけだ。
歌子が食事を運んで行くと、モリモリとくう。その時だけは妙なグアイに生気があった。食い物を狙う野犬のような生気である。そして実に大飯をくらう。歌子の分がなくなってしまうのだ。
「仙人になって帰ってきたかと思ったら、そうでもないわね」
歌子はウンザリした。これがいったい父朝之助だろうか。父とは何ぞや。剣である。それしかないはずだ。歌子は道場から木刀を二本持ってきた。そして父の食事が終ったとき、その前に一本の木刀をおいた。
「お父さま。一手御教授下さいませ。山中でさだめし秘剣を会得されたのでしょう。それを見せて下さいませ」
しかし父はいかにも食に充ち足りてただもう睡たげに坐っているばかり。木刀を手にとろうともしない。坐ったまま、いまにも睡りこんでしまいそうな様子を隠そうともしないのだ。
「モシ」
歌子はたまりかねて肩をゆすった。なにぶん朝之助は衰えた身体ににわかに大食しているから、消化が不充分だ。そのためにガスがたまっている。尻にシマリがなくなっているから、肩をゆするたびにオナラがプップップップッとでるのである。また、ゆする。プップップッ。面白いように必ずでる。しかも本人は半分ねむりかけているのである。バカバカしさを通りこして、歌子は妖しさにうたれた。
「さすがに、お父さま。この無為無防の姿こそ秘剣の構え、玄妙極意の境地かも知れない。ああ、つたなかった。よくも会得なされたなア。無為、無言。ああ、気がつかなかった。なんという気高いお姿」
その気持で見れば、イワシの頭も信心から、このダラシのない姿でもなんとなくそう見えるから、歌子はすっかり感動して、
「では、参ります。お父さま」
木刀を構えて、エイッ、と打ち下した。坐りながら睡ってしまった朝之助、グラリとひッくり返ったから、木刀はそれて肩をうった。その時には朝之助、小さな呻きと、大きな屁をたれた。ともかく家へ戻ってはじめての人語ではないが、呻きをもらした。それが最期であった。朝之助は再び生き返らなかったのである。
しかし歌子は父が武芸の玄妙を示して死んだと思いこんでいた。身をもって武芸の玄妙を示したのだと思ったのだ。
まさに打ちおろす一瞬にグラリとゆれて岩の如くに倒れた自然さ。歌子の狙いきめたあの太刀が肩しか打てなかった。大自然、大自在、無碍の境、人智を絶した円熟の境地だ。これを示して、そして火の消ゆるが如くに息絶えた父は、まさに天地カイビャク以来の大往生であろう。大いなる岩の往生である。なんたる偉大な教訓であろうか。ありがたい父よ、と歌子は感きわまり感涙にむせんで父の徳をしたった。
そして父の境地に至るために夜となく昼となく、益々技をみがいているということである。
底本:「坂口安吾全集 14」筑摩書房
1999(平成11)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「小説新潮 第八巻第八号」
1954(昭和29)年5月1日発行
初出:「小説新潮 第八巻第八号」
1954(昭和29)年5月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年3月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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