作男・ゴーの名誉
THE HONOUR OF ISRAEL GOW
チェスタートン Chesterton
直木三十五訳
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一
嵐吹く銀緑色の夕方、灰色のスコッチ縞の着衣につつまれた師父ブラウンは、灰色のスコットランドのある谷間の涯に来た、そして奇妙なグレンジル城を仰ぎ見た。城はその窪地の一方の端を袋町のように塞いでいた、それがまた世界の涯のように見えた。嶮しい屋根や海緑色の石盤瓦茸小塔の聳え具合が仏蘭西蘇格蘭折衷式の城の様式なので、城は師父ブラウンのような英蘭人にはお伽話に出て来る魔女のかぶる陰険な尖り帽を思い出させるのであった。そして周囲にゆらいでいる松林は小塔の緑色と対比して無数の渡鳥の群のように黒く見えた。こうした人を夢幻の世界か、または睡たげな魔界のような雰囲気の中に惹込むのは、ただこの景物ばかりがさせる技ではなかった、なぜならば、スコットランドの貴族の家柄に、人間並をはるかに越して濃厚に纏綿しているところの高慢と狂気と不思議な悲哀との雲がここにも絡みついているからであった。スコットランドは遺伝という毒薬を二服持っている、貴族という血の意識とカルヴィン教徒の因襲の意識とがそれだ。
坊さんはグラスゴーまで用事があって来たので、今一日を割いて、友人なる素人探偵フランボーに会いにやって来たのであった。フランボーは最近伝えられたグレンジル伯の死説の真偽を確めるために今一人警察の本職探偵と倫敦からやって来てこのグレンジル城に滞在していた。疑問の人物グレンジル伯は十六世紀の昔、国内の心根の曲った貴族の間においても、剛勇と乱心とたけだけしい奸智とで彼等を縮み上らせた種族の最後の代表者ともいうべき男であった。
幾世紀にわたってグレンジル城の城主は莫迦の限りをつくした、今ではもう莫迦も種ぎれになったろうと思われても決して無理はないのであった。ところが事実は今の最後の伯爵は、まだ誰も手をつけたことのない珍趣向で、伝家のしきたりを完成させた、すなわち彼は姿をくらましたのだ。といっても彼が外国へでも行ったという意味ではない。どう考えても彼はまだ城内に生きているはずである。もし彼がどこかに居るものとすれば、事実彼の名は教会名簿にも大冊の赤い華族名鑑にもまだ載っているのだ、だが誰にも彼れを太陽の下に見たと云うものがないのだ。もしも何人か彼を見た者があるとすれば、それは馬丁とも次男ともつかない孤独の召使の男である。彼はひどい聾なので、早合点の人は彼を唖者だと思い込み、それより落付いた人も彼を薄鈍物だといった。痩せてガラガラした、赤毛の働き男で、頸はいかにも頑固だが魚のような眼をもった彼はイズレールゴーという名で通っている。そしてこの物佗しい館につかえる一個の無言の召使である。けれども彼が馬鈴薯を掘る絶倫な精力と判で押したように規則正しく台所へ消えて行くことは、見る人に、彼が誰か高位の人のために食事の用意でもしているんじゃないか、そうとすれば不思議な伯爵はやはり城内にかくれているのではないかという印象を起させるのであった。そこで世人が突込んで実際は伯爵が生きているんじゃないかと訊くとゴーは頑固に首をふってそんなはずはないという。ある朝市長と牧師が城に呼ばれた。そこで両人の者はその作男兼馬丁兼厨夫がたくさんの兼職の中へ今一つ葬儀屋の職を加えて、やんごとない主人を棺の中に釘づけにしておいたという事実を発見した。この奇妙な事実がその後どの程度まで取調べられたものか、またはまるで取調べられなかったものか今以てよくは解っていないようだ。何しろフランボーが二、三日前に倫敦から北行して来るまでというもの正式の取調べはまだ行われてなかったくらいだから、行われぬままにしかし、グレンジル伯の遺骸は(それが遺骸だとすれば)小岳の小さな墓地に今日まで葬られてあるわけだ。師父ブラウンが仄暗い樹苑を通って城影の下に来た時、空には厚雲がかぶさり、大気は湿っぽく雷鳴が催していた。緑ばんだ金色の夕映の名残を背景にして黒い人間の姿が影絵のように立っているのを彼は見た。妙な絹帽をかぶった男で肩に大きな鋤を担いでいる。その取合せが妙にかの寺男を思わせた。師父ブラウンはその聾の下男が馬鈴薯を掘るという事をふと思い出して、さてはその訳がと合点したのであった。彼はこの蘇格蘭の百姓がどうやら解けたと思った。官憲の臨検に対する故意から黒帽をかぶらなければならんと考えたのであろう心持も読める、──
そうかと言ってそのため馬鈴薯掘りは一時間たりとも休もうとはしない倹約心も解った。坊さんが通りかかると吃驚して迂散臭そうな眼付をしたのもこうした型の人間に通有な油断のない周当さを裏書するものである。正面の大戸がフランボー自身によって開かれた。側には鉄灰色の頭髪をした痩せぎすな男が、紙片を手にして立っていた。倫敦警視庁のクレーヴン警部だ。玄関の間は装飾の大部分が剥がれてガランとしていた。がこの家の陰険な先祖の仮髪をかぶった蒼白いフフンというような顔が一つ二つ古色蒼然たる画布の中から見下していた。二人について奥の間へはいって行くと、ブラウンは二人が長い柏材の卓子に席をしめていた事をしった。テーブルの一方の端には走書のしてある紙片がひろがっており、そして側にはウイスキー瓶と葉巻とが載っている。その他の部屋には所々バラバラに物品が列べられてある。正体の何といって説明のつかない品ばかりである。あるものはキラキラ光る砕れ硝子の寄集めのようである。あるものは褐色の塵芥の山のように見える。あるものはつまらぬ棒切れのように見えた。
「ホウまるで地質学展覧会を開業している様じゃなあ」とブラウンは腰を下しながら、褐色の塵芥や硝子の破片の方へ頭をちょっと突出していった。
「いや地質学展覧会ではない」とフランボーが答えた。「心理学展覧会と言っていただきたい」
「ああ、後生ですから来られる早々無駄言ばかりは御免下さい」と警察探偵は笑いながら云った。
「まあ聞きたまえ、吾々は今グレンジル卿についてある事件を発見するところです。卿は狂人であったのです」
高い帽子をいただき鋤を担いだゴーの黒い影法師が暮れ行く空に朧げな外線を劃しながら窓硝子を過ぎて行った。師父ブラウンは熱心にそれを見送っていたがやがてフランボーに答えて云った。
「なるほど伯爵については妙な点があるに相違ないとわしは思っている。でなくば自分を生埋めにさせるわけはなくまた事実死んだとしたらあんなに慌てて葬らせようとしなくともよいはずじゃ。しかし君、狂人とはいかなる点を以て云うのじゃな」
「さあそこですが」とフランボーが云った。「このクレーヴン君が家の中で蒐集した物件の品名目録を今読上げてもらうから聞いて下さい」
「しかし蝋燭がなくてはどうもならんなア」とクレーヴンが不意に言った、「どうやら暴模様になって来たようだし、これでは暗くて読めん」
「時にあなたがたの蒐集中に蝋燭らしいものがあったかな?」ブラウンが笑いながら云った。
フランボーは鹿爪らしい顔をもたげた。そして黒い眼をこの友人の上にジッと据えた。
「それがまた妙なんでしてね、蝋燭は二十五本もありながら燭台は影も形も見えんです」
急に室内は暗くなって来た、風は急に吹荒んで来た。ブラウンは卓子に添うて蝋燭の束が他のゴミゴミした蒐集品の中に転がっているところへ来た。がふとその時彼は赤茶色の芥の山のようなものを見出して、その上にのしかかってみた。と思うまに激しいくさめの音が沈黙をやぶった。
「ヤッ! これはこれは嗅煙草じャ!」とブラウンが云った。
彼は一本の蝋燭を取上げて叮嚀に火を点け、元の席に帰って、それをウイスキー瓶の口にさした。気の狂ったようにバタバタとはためく窓を犯して吹込む騒々しい夜気が長い炎をユラユラと流れ旗のように揺めかした。そしてこの城の四方に、何哩となくひろがる黒い松林が孤巌を取巻く黒い海のようにごうごうと吠えているのを彼等はきいた。
「では目録を読上げてみましょう」とクレーヴン探偵は鹿爪らしい顔をして一枚の紙を取上げた。「もっとも目録とは云いながら、実物はすべて城中のあちこちに変な風にチラバッておったものを一所へ集めたものではあるですが。師父さんも城内の装飾が大部分引はがされたり、もぎ取られたりした歴々たる形跡のあるのを既に御覧の事とは思いますが、ここにただ一部屋か二部屋、何者かが住んでおったものと見えて、──それがあの下男のゴーでないことは確かです──粗末ではあるがしかし小綺麗に整頓した室があるのです。では読上げましょう──
第一項 おびたゞしい宝石の山。九分九厘まではダイヤモンド。しかも皆貴金属より抜取られあるものにして金属は見えず。もちろんこのオージルビー家とて家族者の身に帯びし宝石は無数にありたるならんも、今ここに記す宝石類は皆極めて一般の場合特別なる装飾品に象眼さるゝ種類の品ならざるはなし、オージルビーの家族はそれ等の宝石類を抜取りて、あたかも銅貨の如く常にポケット内に弄びしものにはあらざるか。
第二項 剥出しなる嗅煙草のおびたゞしき山。煙草入にも入れてなく、嚢にも入れてなくして、暖炉枠の上、食器棚の上、ピアノの上等至る所に一塊づゝにして載せてある。その様あたかも老伯がポケット内にこれをさぐり、あるひは容器の蓋を開くの懶きに絶えずとしてしかせしならんが如く見ゆ。
第三項 屋内のここかしこに不思議なる金属の細片の小さき山。あるものはぜんまいの如く、あるものは精微なる歯車の形せり。これ等皆あたかも機械仕掛の玩具中より取外せしものゝ如し。
第四項 蝋燭二十五本。しかも燭台らしきもの一もなきを以てこれ等は空瓶の口にでも差して使用せざるべからず。
「さて、師父さん、あなたにお願いしておきたいのは奇々妙々なる事実が我々の予想以上じゃという点に御注目下さらんことです。もっとも謎の中心問題に関しては我々にも意見はあります、すなわち我々は一見して故伯爵には何か故障のようなものがあったんだなということをすぐに覚りました。吾々は、彼がここに生きているかどうか、またここに死んでいるかどうか、彼を埋葬したというあの赤毛の異形な男が彼の死去と何等かの関係があるかどうかを知ろうとしてここへ参った訳です。そこで仮にこれ等の仮定の中、事実は最も悲しむべき事態にあったものとして、いわば非常に物凄い、芝居がかりの筋でも想像するとしたならどうでしょうか。すなわちあの下男が主人を実際に殺害したものと仮定するなり、主人が実際に死んでおらんと仮定するなり、主人が下男に化けているんだと仮定するなり、もしくは下男が主人の身代りに生埋めにされたものと仮定するなり、とにかくよろしく想像をめぐらしてみるとします。しかも結果はどうでしょう、蝋燭あって燭台のない理由や、相当の家柄に生れた分別ある紳士が常習的に嗅煙草をピアノの上などに散らしておくなどという理由の説明はどうあってもつかんのです。吾々は話の中心だけは想像が出来ました、疑問はむしろ外縁にあるのです。いかに想像力をたくましゅうしても、人間の心には嗅煙草とダイヤモンドと蝋燭とバラバラの歯車やぜんまいとの関係を推測する事は不可能とはいわなくてはならんです」
「わしらはその関係はよう解せると思うがなあ」と坊さんが云った。「このグレンジル伯なる者は仏蘭西革命に対して熱狂的に反対な王党であった。彼はやはり昔風の王制の讃美者であった。そこでルイ王朝の家庭生活を文字通りに今の社会に再現させようと試みた。彼が嗅煙草を持っとったのは嗅煙草なるものが彼の御気に入りである拾八世紀の奢侈品であったからじゃ。蝋燭は拾八世紀の燈明であったからじゃ、銅鉄製の豆機械というのは、ルイ十六世の錠前道楽を象ったものじゃ。ダイヤモンドは有名なマリー・アントワネット(ルイ拾六世紀の皇后)のダイヤモンド頸飾じゃ」
相手の二人は眼を丸くしてブラウンの顔を見入った。
「オー何と云う奇想天外的な推理であろう」とフランボーが叫んだ。「しかし師父あなたは本当にそうと信じておられるのですか」
「いやそうでない事をわしはきつく信じるよ」と師父ブラウンが答えた。「だがあなたがたは何人といえども嗅煙草とダイヤモンドとぜんまいと蝋燭との関係をよう見破らんとのみ云われるがわしはその関係を一つ出放題に鮮明がしてみたいんでな。事実の真相は、わしはきっと信じるが、もそっと深い所に横たわっているんじゃ」彼はふと言葉をきらして小塔に咽び泣く風音に耳を澄まして、それから更に続けた。
「故グレンジール伯は盗賊であった。命知らずの強盗として裏面に暗い生活を送っておった。彼は蝋燭を短く切って、小さな角灯の中に入れて歩いた故に燭台の必要がなかった。嗅煙草は、最も強暴な仏蘭西の犯罪者が胡椒を使用した様にこれを使用した。というのは、これを引つかんで捕吏もしくは追跡者の面にいきおいよくパッと投げつけるためにじゃ。最後に、ダイヤモンドと鋼鉄の歯車であるが、これは不思議にも一体をなすものと見える。これで何もかもあなた達はがてんするであろうが、ダイヤモンドと小さな鋼鉄の歯車は盗賊には限らない。どんな人でも硝子を切る時にこれがなくては出来ないという二つの道具であるのじゃ」
松の樹の折枝が嵐にもまれて、二人の背後の窓框をバサバサバサとたたいた。強盗の向うを張ったわけでもあるまいに、しかし二人は振向もせず熱心に師父ブラウンの顔を見つめていた。
「ダイヤモンドと小さな歯車、フン」
とクレーヴン探偵が思案に耽るような面持でしきりに繰返した。「しかしそれだけで本当に真の説明になるでしょうか」
「いやわしもそれが真の説明だとは思わんのじゃ」
坊さんはけろりとした顔で「じゃがあなたがたはこの四者の関係を見破る者は誰もないとばかり云われる。もちろん、本当の筋はもっと平凡に相違ない。そうかな、グレンジールは屋敷内で宝石を発見した。もしくは発見したと考えた。というはこうじゃ。何者かがこれ等のバラの宝石を主人に出した。これは城内の洞窟内で発見したものだというて、主人を欺そうとした。小さな歯車はダイヤモンドを彫る道具である。主人はこの山中にすむ羊飼やら野人やらの助けを借りて手任せに掘り出そうとした。嗅煙草は蘇格蘭の羊飼どもにはとても贅沢品じゃ。なあ、これを鼻先へついと突つければ誰だって何ぼうでも彼等を買収する事は出来る、最後に燭台のない理由は、燭台なんかはいらないからじゃ、洞窟内なんぞを照すには裸蝋燭で結構用が足りるもんじゃが」
「はあ、それだけですか」ややしばらくしてフランボーがこう訊ねた。「やれやれこれでとうとう不景気な真理に到達した訳ですかね」
「いや、そうではない」とブラウンが答えた。
風が松林の遥かなる涯の方へ、セセラ笑うが如くホーホーホーと長く後を引かせながら消え去った時師父ブラウンがポカンとした顔で言葉を続けた。
「なに、わしはあなたがたが、誰だって嗅煙草と歯車もしくは蝋燭と宝石との関係をもっともらしく説明することはようせんと余り云わるるのでちょっともっともらしい事を云ってみたまでの事じゃ。十把一搦げの似非哲学が宇宙には似つかわしいように、グレンジル城には、十把一搦げの似非推量が似つかわしいといったような訳でな。しかし実はこの城にも実際の説明が無ければならん。時に蒐集品はもう外には無いでしょうか」
クレーヴンは吹き出した。フランボーもニヤリと笑いながら立上って、長い卓子の端の方へのそのそと歩いて行った。
「第五項、第六項、第七項と控えてはいるが、掘出すとかえって蜂の巣をつついた様になります」とフランボーが答えた。「第一に鉛筆心が山のようにあります。これは心だけで鞘がない。それからブッキラ棒な竹の杖が一本、これは頭の金具が剥取ってあります。兇行用の道具としては役立ち得る代物だが別段犯罪らしいものもない。外にはまあ古ぼけた弥撤の祈祷書が二、三冊と小さな旧教の画が何枚かあります。察するにこれ等はこのオージルビー家に中世時代から伝わっているものと私は思う。が、妙にところどころ切り抜いてあったり、顔なぞもえらい事になっているので、これは博物館へでも廻したい代物です」
外では猛烈な嵐が城をかすめて物凄い千切雲を吹飛ばした。そしてこの細長い空の中に闇を投げ込んだ。その時師父ブラウンは、その小さな本を手にとって燦爛と光るその頁をしらべ始めた。やがて彼は口を開いた。闇の影はまだ立迷っている。しかし彼の声はまるで生れ変って来た様な声であった。
「クレーヴンさん」と云った声は十歳も若く聞えた。「あなたはあの山上の墓を発掘すべき正式の、令状をたしかに御持ちでしょうね。善は急げだ。急げばそれだけこの恐るべき事件の底も早くたたいて見られると云うものです。もしわしがあなたであったらすぐさま出立致しますがね」
「これからすぐ、えエどうしてすぐでなければいけないんです」探偵は驚いて訊ねた。
「さあなぜというと、これはなかなか重大問題ですからじゃ、嗅煙草の散らばっている事や宝石の抜き取ってある事に対しては百の理由も想像もなりうるが、この書物をこんな具合に瑕物にしておった理由はただ一つしかない。これ等の宗教画がこの通り汚され、引裂かれ、落書さえされてあるのは、子供の悪戯や新教徒の頑迷からした仕事ではない。これはすこぶる念入りにやった仕事です。またすこぶる不可能なやり方です。神の御名を金文字で大きく書いてある部分は残らず叮嚀に切取ってある。その外にこの手をくっている箇所は嬰児基督の御頭を飾る御光である。じゃによってわし等はこれから直ちに令状と鋤と手斧をたずさえて山へ登った上、棺を発掘しようかとこう云うんです」
「ハア、とおっしゃると、どういう意味ですか」倫敦の探偵がたたみかけるように訊いた。
「と云う意味は」と小さい坊さんの答える声は嵐の咆え狂う中にもちょっと大きくなったかと思われた。「と云う意味は宇宙の巨大なる悪魔が、今この瞬間、この城の大塔の頂上に、百の衆を集めた様にふくれ、黙示録のそれのように咆哮しつつあろうやもしれないというんです。この切抜事件の底にはどこやらに悪魔の魔法が潜みいると見える。とにかく秘密の鍵を開くべき一番の近道は山へ登って墓をあばくのが一番だと想いますじゃ」
二
二人の相手は庭に出て、猛烈な夜嵐におそわれ、頭を吹飛ばされそうになるまでは、いつの間に師父ブラウンの後についてきたのか自分でさえ気がつかないくらいであった。それにも拘らず彼らは自動機械のように坊さんの後について来たのであった。なぜならばクレーヴン探偵は自分の片手にチャンと手斧をつかんでいるのを見るし、ポケットの中には令状もはいっていたからだ。フランボーも疑問の人物ゴーの重い鋤を借り出して持っていたからだ。ブラウンは問題の小型の金製の本をしっかと携えていた。山上の墓地に達する路は曲りくねってはいるが、遠くではない。ただ向い風が身体にあたるので骨のおれる気がした。見渡す限り、そして上の方へ登れば登るほど、松林の海で、それも今風をうけて見渡すかぎり一様に横様になびいている。その一列一体の姿勢には、それが渺茫としているだけに何やら空々たる趣きがあった。ちょうど疾風がどこかの人類の棲息しない目的もない遊星をめぐって咆哮でもしている様に空々たる趣きがあった。彼等は山の草深い頂上に来た。松林は頂上までは続いていないので、そこはさながら禿頭のように見えた。材木と針金とで作った粗末な外柵は、これが墓地の境界だと一行に物語る様に嵐の中にピュウピュウと鳴っていた。しかしこの時既にクレーヴン探偵は墓の一角に立ち、フランボウは鋤の尖を地中に突き立てて倚り掛っていたが二人共に、その材木や針金並びに嵐の中にフラフラと揺れて見えた。
墓の下方には丈の高い薄気味の悪い薊が枯々とした銀灰色を呈しながらむらがっていた。一度ならず、二度ならず、嵐にあおられた薊の種子がブウと音を立てながらクレーヴン探偵の体を掠めて弾け飛んだが、そのたびごとに探偵は想わずそれをよける様な腰付になりながらピョコリと飛上っていた。
フランボーはざわめく叢の上から鋤の刃をしめっぽい粘土の中へザックリと刺込んだが、思わずその手を引いて棒杭にでもよりかかるようにその柄によりかかった。
「どんどん関わずやりなさい」と坊さんが落着いた声で云った。「わし等はただ真理を発見しようとして試みるだけじゃ、何を恐れる事があるんじゃ」
「いやその真理の発見が実は少々、むずかしい」とフランボーが苦笑いをしながら相槌をうった。クレーヴン探偵は突然赤ん坊の歓ぶような大きな声、話声と歓声とを一しょにしたような声でこういった。
「実際何だって彼はこんな風に身体をかくそうとしたもんだろう、何か恐ろしい事でもあるんかしら。あの男は癩病患者ででもあったのでしょうか」
「いやそれにしんにゅうをかけたようなものさ」とフランボーが云った。
「へえそれにしんにゅうをかけたものというと、はあて」
「なに実は私にも見当がつかないんだ」
かくてフランボーはだんまりのまま惧る惧る何分かの間掘りつづけたが、やがて覚束なげな声でこういった。
「やれやれ死体の原形がくずれていない事を神に祈る」
「それはな、あなたこの紙面だとて同じことじゃ。この紙面を見てもわし等は気絶もせんでとにかく生延びては来たもんな」師父ブラウンが静かにまた悲しそうにこう云った。
フランボーは盲目滅法に掘った。が、嵐は今までの煙のように山々にまつわりついていた息苦しいような灰色雲を既に払いつくして、彼が荒木造りの棺を根こそぎ掘出して、芝生の上に引っぱり出させた頃には星影さびしい夕空をからりとのぞかせていた。クレーヴンは手斧を握りしめて前へ進みよった。薊の頭が彼にさわった。またもやはっとした彼は思わずたじたじとなった。がたちまち気を取直して、フランボーに負けぬ力を揮いながら、手斧を棺へ滅多打ちに打ちこんだ。遂に蓋が飛散った。内部にあるほどのものはすべて灰色の星明りの中に異様な薄光りを放っていた。
「骨だ」とクレーヴンが云ったが、彼は次に、「人骨だ」と言い足した。何にか思いがけない物を発見したように思わず大声を上げた。
「それで君、それはそっくりしているかね」とフランボーが妙に沈んだ声で訊ねた。
「さあ、そっくりしている様だが、まあ待ちなさい」探偵は棺の中に横わる黒ずんだ腐れ骸骨の上に乗しかかるようにして見ながら嗄れ声で云った。たちまちまた彼は、「これは不思議だ、骸骨に首がない」と叫んだ。
クレーヴンもフランボーもしばらくは棒立に立ちすくんでいたが、この時初めて、一大事といわぬばかりに、びっくりして飛上がった。
「何、首がない、へー、首がない」坊さんは元より欠けているものがあるにしても、まさか首ではないだろうと思っていたのに、と云うような意外な調子でこう繰り返した。
たちまち一同の頭には、クレンジール城に首無児の生れた、もしくは、首無少年が城中に人目を避けている。あるいはまた、首無の大人が城中の昔造りの広間や華麗な庭園内を濶歩しつつある馬鹿らしい光景がパノラマのように過ぎ去った。しかし肝心の眼の前の問題については何の名案も頭には浮んで来ず、また首無の理由があるのやらないのやらさえ考える事が出来なかった。一同はまったくポカン、とした面持で疲れはてた馬か何かの様に、嵐の音や松林のざわめきに、ただ聞きいるばかりであった。
考えるにも考える事が出来なかった。とその時、静かにブラウンが話しだした。
「ここに三人の首無男が発掘された墓をかこんで立っておりますな」とブラウンが云った。青くなった倫敦探偵は何か物を云おうとして田舎者のように口をアングリさせたままであったが風は遠慮無くピンピンと空をつんざくように叫んだ。やがて彼は自分の手に持つ手斧を、自分のものではないようにながめてはたと落した。
「師父、師父」とフランボーが取っておきの嬰児じみたしかし重苦しげな声を叫び出した。「この際吾々はどうすればよいのでしょうか」
するとこれに応じてブラウンは小銃弾が出て行く時のシューッというような怪速度を以て、「眠る事じゃ」と叫んだ。「眠る事じゃ、わし等は路のどんづまりまで来た。眠るとはどう云う事かな。あなたは知っているかな、眠る所の凡ての人は神を信じる人であるということを、故に眠りは聖礼である。なぜならば眠りは信仰の行いであるからじゃ、吾等の糧である。でわし等は今何かしら聖礼を要する。それも自然の聖礼だが、何やら人間の上に滅多には降りて来んものがわし等の上に下って来る。おそらくそれは人間の上に下る事の出来る最悪のものでもあろう?」するとクレーヴン探偵の唇が「一体それはどういう意味なんですか」と訊くために上下から寄り添った。
坊さんは城の方に顔を廻しながら答えた。
「わし等は真理を発見はしたのじゃ。がその真理は意味を吾々に語らんのじゃ」
こういって彼は彼としてはごく珍らしい、馬が無鉄砲に飛跳ねるような足取りをしながら、二人の前に立って山を降った。そして城へ到着するかしないかに彼は犬のように無雑作に身体を眠りにまかせた。
三
妙に勿体をつけて睡眠を讃美したのに拘らず師父ブラウンは唖者のような作男ゴーをのぞいた外誰よりも一番早く起出でた。そして大きなパイプを吸いながら、その黒人が菜園で無言に働いているのをジッと見守っている彼の姿が見られた。夜の明け放れる頃には夜来の嵐は篠つくような驟雨を名残として鳴りをひそめ、ケロリとしたようにすがすがしい朝が一ぱいに訪れていた。作男は坊さんと何か話をしていたような素振りさえ見えたが、官私二人の探偵姿を見ると、俄にプリプリしたように鋤を畝の中に突込んだ。そして朝飯の事について何やらほざきながら、キャベツ菜の作列に添って台所の方へ姿を掻き消してしまった。
「あの男は見上げた男ですぞ」ブラウンが口をきいた。「あの男は馬鈴薯をたまげるほど掘るのでな。ただし」と彼は妙に落着いた情深い心になりながら「あの男には欠点もあるのです。いやお互に欠点のないものがどこにあろうかな。すなわち、あの男は畑の畝を真直に掘らん事じゃ。まあ諸君ここを見なさるがいい」
彼はこういって突然ある一点を踏みつけてみせた。「時に私にはどうもあの馬鈴薯が怪しいと思われるのじゃ」
「ヘエなぜです」クレーヴン探偵は、小男の坊さんが新趣向を提出したのを面白がりながら訊ねてみた。
「どうもあの馬鈴薯が怪しいと云うのは、第一作男のゴー自身を怪しいと想っているからじゃなあ、ゴーは外の箇所はきっと掘るが、どうもここだけは変な掘りかたをしている。大方この下には大へん立派な馬鈴薯でも埋まっている事じゃろう」
フランボーは鋤を引抜いて、いきなりザクリとその地点に突込んだ。彼は土塊の下に馬鈴薯とは見えずしてむしろ醜怪な円屋根形の頭をもった、蕈のような形をした変なものを掘り出した。がそれは冷たいコチリという音がして鋤の尖にぶつかって手毬のようにコロコロと転がりさま一同の方へ歯をむき出した。
「グレンジール伯爵様じゃ」とブラウンが悲しげに云った。そして悄然として髑髏を見下ろした。それからしばし彼は黙祷するものの如くであったが、やがてフランボーの手から鋤をとって「さあこうして元の通りに土をかけねばならん」と云いながら頭葢骨を土に深く押やった。やがて彼は小さな身体と大きな頭を地中に棒のように立っている鋤の大きな把手にもたれさせた。その眼はからっぽで額には幾条も襞がただしくならんでおった。
「そうじゃ、もしこの最後の怪異の意味さえ合点が出来るものならなあ」
彼はこう独語をつぶやきながら、鋤頭によりかかったまま、教会で祈祷をする時のように両手に額を埋めた。
空の雲々が銀碧色にかがやき出した。小鳥等は玩具のような庭の木々の中でペチャクチャとさえずり合った。その音があまりにやかましいので、まるで木自身が掛合噺をやっているかのようであったが、三人の人物はじっと無言の態であった。
「やれやれ、もうこれで御放免が願いたいもんだ」とフランボーがたまらなくなってガンガン呶鳴った。
「この頭とこの世界とはどうもシックリ合わんもうさらばだ。やれ齅煙草だの、やれ汚された祈祷だの、やれなんだのだって」
ブラウンは額に八の字を寄せ、いつもに似合わぬ気短になって鋤の柄をバタバタとはたいた。
「とっととやれ」と彼が叫んだ「何もかも火を見るように明白なんだ。嗅煙草も歯車も何にもかもなんだ。今朝眼をさますと同時に解ったんじゃ、そうしてわしは外へ出て来て作男のゴーとも話したんじゃ。どうして、あの男は阿呆で聾に見せかけているが、なかなか聾や馬鹿どころではない。ところで諸君あの条項書はあのあの通りでキチンと筋が通っている。わしは破れた。
弥撤書についてもカン違いをしていたが、あれはあれで穏かなもんじゃ。しかしこの最後の件ですぞ。墓をあばいて人物の頭を盗みおろうというここに確かに穏かならんもんがあると見た。確かにここにばかりは魔法があるようだ。どうもこればかりは嗅煙草や蝋燭というたようなわけのない話とは筋が違うようじゃ」
こういって彼はコツコツ歩きまわりながら不機嫌そうに煙草をすった。
「皆の衆」とフランボーがわざと勿体らしく云った。「諸君俺に注意するがよい、俺が昔は犯罪家だった事を忘れぬがよい。あの時分は実に面白かった。俺は自分でズンズン話の筋道を組立ててズンズン想いのままに実行したもんだ。その俺だ、こんなのらくらした探偵事件は仏蘭西ッ児の俺に堪え得る事ではない。俺はオギャアといって、この世に生れて以来、善悪ともに片端から手ッ取り早くかたづけたものだ。決闘の約束をするにしても翌る朝は必ずチャンバラやったもんだ」
「勘定書はいつでも即金でガチャガチャと支払ったもんだ。歯医者へ行くんだって約束日を延ばしたりなんかはせん」
と突然師父ブラウンのパイプが口からすり落ちて花崗岩の廊下の上で三つに割れた。彼は阿呆の様に眼球をクルクル廻転させた。
「オー神よ、何として私は大根だったろう」
こう叫びながら彼は泥酔漢が故なく笑う様にワハワハと笑い出した。
「歯医者歯医者」彼はフランボーの言葉を繰返した。「アアわしは六時間も精神的に奈落の底に沈みおった。これと云うのも皆今の歯医者と云う事に気がつかないばっかりだった。
「オー何という簡単なそして美しい、そして平和にみちた考えじゃろう、諸君よ、わし等は一夜を地獄に過した。しかし今は太陽の輝き、小鳥はうたい、そうして歯医者の輝かしい姿が世界を慰撫していられるを見られい」
「アー、私にもその意味がわかるでしょうか、もし地獄の拷問を受ける気で辛抱強くその意味を考えると」とフランボーが大股に前方にのり出して叫んだ。
師父ブラウンは今やわずかに日の輝いた芝生の上に踊り出したい歓びを押えかねる様な顔付をした。彼は気の毒そうに子供の様に叫んだ。
「オーわしは何となしに嬉しくなって来る。だが今までわしがどのくらい苦るしんだか、あなたがたに見せてやりたいくらいだ。しかし今わしはこの事件には深い犯罪というたようなものが全然ない事を知る事が出来た。だが少し気狂いじみたものがあるばかりじゃ」
こういいながら彼はもう一度大きく廻って、二人の相手の方に勿体らしく顔を向けた。
「諸君この事件は何も犯罪の物語りではないので」と彼が始めた。「これはむしろ正直の物語というべきである。吾々はこの地上に於ける自分の分前以上のものを決して取らんところの一個の人間を論ずるのじゃ。だからこの種の宗教族であるところの野蛮な生きた論理の研究でありますぞ。
グレンジール家を諷して歌った。『生木にゃ青い血、オージルビーにゃ金の血』という名高い鄙歌はあれは修辞的の意味ばかりでなく文字通りの意味があるのじゃ。すなわち、グレンジール家は単に富を集めたばかりでは無く文字通りに黄金を集めたものでじゃ」
「彼等は黄金製の装飾品や器具を山のように集めたんじゃ。彼等は実にけちん棒でその果は狂人のようになったんじゃ。わし等が城内で発見した、あらゆるものをこの事実に照らしてみる事が出来るんじゃ。それはダイヤモンドの指輪があっても金の指輪がない。
「齅煙草はあれども、金の煙草入がない。散歩杖はあるけど金の頭飾りがない。ぜんまいや歯車はあるが金側時計がない。そしてこれは全く気狂いのような話しじゃが、あの古い弥撤書にある基督像の後光や神の御名でさえも、やはりあれが純金であったものじゃによってこれもまた抜き取られてしまったんじゃ。庭は輝くが如くに見え、草は光をまし行く陽光の中にいっそう楽しげに見えたのじゃ」
この気狂のような真理を話した時フランボーは巻煙草に火を点けた。
「そして取去られたんじゃ」と師父ブラウンが語をついだ。
「取去られたんであって、盗み去られたんではない。いつかな、盗賊の仕業なら、こうした謎を残しては行かない、盗賊は純金製の齅煙草函を盗めば中味の煙草も何も皆んな持って行く。金の鉛筆鞘にしても中の心も何も皆な持って行く」
「そこで吾々は一個の奇妙な良心を、確かに良心に相違ない、持つ男を論じなくてはならんのじゃ。わしはその狂人のような律儀者を今朝向うの野菜畑で発見した。そして一語一什の物語りを聴いたのじゃ」
「故アーキポールド・オージルビー伯爵はかつてこのグレンジール城に生れた人の中では珍らしい美男であった。しかし彼の俊厳な徳は遂に彼を人間嫌いに変じた。彼はこの城の先祖の不正直なことを知って怏々として楽しまなかった、それから幾分彼は一般に人間というものは不正直なものであると思うようになった。とりわけ彼は慈善とか施財とかいうものを信ずることが出来ないようになった。そしてもし正直に自分に与えられただけの権利以上に決して貪ることを知らぬ人間がこの世にあるなら、その者にグレンジール城内の黄金を残らず譲ってやろうと心に誓った。人間に対してこの挑戦を宣言した後、彼はしかしそうした人間が何としてこの世にあろうものかと考えながら、城内ふかく人目を避けて閉籠もっていた。しかしながらある日、聾で一見白痴のような一人の若者が遠方の村から、一通の電報を彼のところへ持って来た、伯爵は苦笑いをしながら彼に新鋳の一銭銅貨を一枚与えた。少なくともその時は銅貨を与えたのだと思っていた、やがて財布をあけて貨幣をしらべてみると、新鋳銅貨はそのままあって十円金貨が一枚無くなってるのを発見した。この偶然の出来事は伯爵の皮肉な頭に対して好ましい光景を与えた。いずれにしても、その若者は人間らしく貪慾の炎を燃やすであろう。すなわち貨幣盗財として姿をくらますか、褒美ほしさに返しに来るか。その夜の真夜中にグレンジール伯爵は寝込みをたたき起された──彼はたった一人で住んでおったんじゃ──そして最前の白痴のために扉をあけさせられた。白痴は果して持って来た、ただし最前の金貨ではのうて、九円と九十九銭、キチンと釣銭を持って来おった。
「そこで、この馬鹿正直行為を見て、狂的な伯爵の頭は火のように燃えた。彼は自分が永い間一人の正直な人間を求めた今様ディオゲネスで、遂にその一人を求め得たのだというた。彼は新たに一枚の遺言書を書いた、それはわしも見せてもろうたが。彼はその律儀な若者を巨大な人気のないこの城中に引取って、無言の下男として、また──奇妙な方法で──自分の後継者として訓育した。そこで、この奇妙な男が伯爵の言をいかほど理解したとしても、とにかく次の二つの訓言だけは絶対に理解した。第一に「正直」という文字が万能であること、第二に彼自身がグレンジールの「富」の相続者にされたのであるということ。そこまでは簡単である。男は家中のありとあらゆる黄金を剥取りはじめたんじゃ。しかしじゃその代りに黄金にあらざるものは何一つとして手を触れなんだ。嗅煙草は無論のことである。彼は古い美くしい本さえも引張出して中から金の類を切取った。しかしそれで他の部分には正直に手をつけんと思うておったようなわけですじゃ
「これだけの事実をわしは知った、しかしわしには髑髏の一件が了解出来ん。馬鈴薯畑から人間の首が飛出したのを見ては心中すこぶる安からざるものがあった。わしは困り抜いた──そこへフランボー君、君が『歯医者』という一言を提供してくれたんだ。
「したがまあよいわ、金歯さえ抜取ってしまえば、髑髏は元の墓の中へ納めるじゃろうからな」
そして、実際、フランボーがその朝、例の小山を通りかかった時、彼は例の不思議な人物、正直一轍の吝嗇漢が一度汚した墓をまた堀返しつつあるのを見かけたのであった、格子縞のスコッチラシャを頸のまわりで山風にひるがえしながら、そしてジミな絹帽を頭上にいただいて。
底本:「世界探偵小説全集 第九卷 ブラウン奇譚」平凡社
1930(昭和5)年3月10日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、以下の置き換えをおこないました。
「或→あ・あるい 恰も→あたかも 貴方→あなた 雖も→いえども 如何→いか 何れ→いずれ 一層→いっそう 於て→おいて 恐らく→おそらく 斯→か・こ 反って→かえって 彼処→かしこ 曽て→かつて 位→くらい 此→こ・この 極く→ごく 此処・此所・茲→ここ 是・之→こ・これ 左様→さう 然・而→しか 而かし→しかし 暫し→しばし 暫く→しばらく 直様→すぐさま 頗る→すこぶる 凡て→すべて 直ぐ→すぐ 即ち→すなわち 其→そ・その・それ 而→そ 其処→そこ 沢山→たくさん 唯→ただ 忽ち→たちまち 度事→たびごと 給→たま 為→ため 丁度→ちょうど 一寸→ちょっと て居→てい・てお て頂→ていただ て置→てお て見→てみ 何→ど・どう 何処→どこ 兎に角→とにかく 取りわけ→とりわけ 何故→なぜ 成程→なるほど 筈→はず 程→ほど 迄→まで 又→また 寧ろ→むしろ 若→も・もし 知れない→しれない 勿論→もちろん 尤も→もっとも 貰→もら 矢張→やは・やはり 俺→わし」
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※底本中の「グレンジル」「グレンジール」、あるいは「フランボー」「フランボウ」、「燈」「灯」の混在はそのままにしました。
※底本は総ルビですが、一部を省きました。
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(加藤祐介)
校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)
2004年6月2日作成
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