いづこへ
坂口安吾
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私はそのころ耳を澄ますやうにして生きてゐた。もつともそれは注意を集中してゐるといふ意味ではないので、あべこべに、考へる気力といふものがなくなつたので、耳を澄ましてゐたのであつた。
私は工場街のアパートに一人で住んでをり、そして、常に一人であつたが、女が毎日通つてきた。そして私の身辺には、釜、鍋、茶碗、箸、皿、それに味噌の壺だのタワシだのと汚らしいものまで住みはじめた。
「僕は釜だの鍋だの皿だの茶碗だの、さういふものと一緒にゐるのが嫌ひなんだ」
と、私は品物がふえるたびに抗議したが、女はとりあはなかつた。
「お茶碗もお箸も持たずに生きてる人ないわ」
「僕は生きてきたぢやないか。食堂といふ台所があるんだよ。茶碗も釜も捨てゝきてくれ」
女はくすりと笑ふばかりであつた。
「おいしい御飯ができますから、待つてらつしやい。食堂のたべものなんて、飽きるでせう」
女はさう思ひこんでゐるのであつた。私のやうな考へに三文の真実性も信じてゐなかつた。
まつたく私の所持品に、食生活に役立つ器具といへば、洗面の時のコップが一つあるだけだつた。私は飲んだくれだが、杯も徳利も持たず、ビールの栓ぬきも持つてゐない。部屋では酒も飲まないことにしてゐた。私は本能といふものを部屋の中へ入れないことにしてゐたのだが食物よりも先づ第一に、女のからだが私の孤独の蒲団の中へ遠慮なくもぐりこむやうになつてゐたから、釜や鍋が自然にずる〳〵住みこむやうになつても、もはや如是我説を固執するだけの純潔に対する貞節の念がぐらついてゐた。
人間の生き方には何か一つの純潔と貞節の念が大切なものだ。とりわけ私のやうにぐうたらな落伍者の悲しさが影身にまで泌みつくやうになつてしまふと、何か一つの純潔とその貞節を守らずには生きてゐられなくなるものだ。
私はみすぼらしさが嫌ひで、食べて生きてゐるだけといふやうな意識が何より我慢ができないので、貧乏するほど浪費する、一ヶ月の生活費を一日で使ひ果し、使ひきれないとわざ〳〵人に呉れてやり、それが私の二十九日の貧乏に対する一日の復讐だつた。
細く長く生きることは性来私のにくむところで、私は浪費のあげくに三日間ぐらゐ水を飲んで暮さねばならなかつたり下宿や食堂の借金の催促で夜逃げに及ばねばならなかつたり落武者の生涯は正史にのこる由もなく、惨又惨、当人に多少の心得があると、笑ひださずにゐられなくなる。なぜなら、細々と毎日欠かさず食ふよりは、一日で使ひ果して水を飲み夜逃げに及ぶ生活の方を私は確信をもつて支持してゐた。私は市井の屑のやうな飲んだくれだが後悔だけはしなかつた。
私が鍋釜食器類を持たないのは夜逃げの便利のためではない。こればかりは私の生来の悲願であつて──どうも、いけない、私は生れついてのオッチョコチョイで、何かといふとむやみに大袈裟なことを言ひたがるので、もつともかうして自分をあやしながら私は生きつゞけてきたのだ。これは私の子守唄であつた。ともかく私はたゞ食つて生きてゐるだけではない、といふ自分に対する言訳のために、茶碗ひとつ、箸一本を身辺に置くことを許さなかつた。
私の原稿はもはや殆ど金にならなかつた。私はまつたく落伍者であつた。私は然し落伍者の運命を甘受してゐた。人はどうせ思ひ通りには生きられない。桃山城で苛々してゐる秀吉と、アパートの一室で朦朧としてゐる私とその精神の高低安危にさしたる相違はないので、外形がいくらか違ふといふだけだ。たゞ私が憂へる最大のことは、ともかく秀吉は力いつぱいの仕事をしてをり、落伍者といふ萎縮のために私の力がゆがめられたり伸びる力を失つたりしないかといふことだつた。
思へば私は少年時代から落伍者が好きであつた。私はいくらかフランス語が読めるやうになると長島萃といふ男と毎週一回会合して、ルノルマンの「落伍者」といふ戯曲を読んだ。(もつともこの戯曲は退屈だつたが)私は然しもつと少年時代からポオやボードレエルや啄木などを文学と同時に落伍者として愛してをり、モリエールやヴォルテールやボンマルシェを熱愛したのも人生の底流に不動の岩盤を露呈してゐる虚無に対する熱愛に外ならなかつた。然しながら私の落伍者への偏向は更にもつとさかのぼる。私は新潟中学といふところを三年生の夏に追ひだされたのだが、そのとき、学校の机の蓋の裏側に、余は偉大なる落伍者となつていつの日か歴史の中によみがへるであらうと、キザなことを彫つてきた。もとより小学生の私は大将だの大臣だの飛行家になるつもりであつたが、いつごろから落伍者に志望を変へたのであつたか。家庭でも、隣近所、学校でも憎まれ者の私は、いつか傲然と世を白眼視するやうになつてゐた。もつとも私は稀代のオッチョコチョイであるから、当時流行の思潮の一つにそんなものが有つたのかも知れない。
然し、少年時代の夢のやうな落伍者、それからルノルマンのリリックな落伍者、それらの雰囲気的な落伍者と、私が現実に落ちこんだ落伍者とは違つてゐた。
私の身辺にリリスムはまつたくなかつた。私の浪費精神を夢想家の甘さだと思ふのは当らない。貧乏を深刻がつたり、しかめつ面をして厳しい生き方だなどゝいふ方が甘つたれてゐるのだと私は思ふ。貧乏を単に貧乏とみるなら、それに対処する方法はあるので、働いて金をもうければよい。単に食つて生きるためなら必ず方法はあるもので、第一、飯が食へないなどゝいふのは元来がだらしのないことで、深刻でもなければ厳粛でもなく、馬鹿々々しいことである。貧乏自体のだらしなさや馬鹿さ加減が分らなければ文学などはやらぬことだ。
私は食ふために働くといふ考へがないのだから、貧乏は仕方がないので、てんから諦めて自分の馬鹿らしさを眺めてゐた。遊ぶためなら働く。贅沢のため浪費のためなら働く。けれども私が働いてみたところでとても意にみちる贅沢豪奢はできないから、結局私は働かないだけの話で、私の生活原理は単純明快であつた。
私は最大の豪奢快楽を欲し見つめて生きてをり多少の豪奢快楽でごまかすこと妥協することを好まないので、そして、さうすることによつて私の思想と文学の果実を最後の成熟のはてにもぎとらうと思つてゐるので、私は貧乏はさのみ苦にしてゐない。夜逃げも断食も、苦笑以外にさしたる感懐はない。私の見つめてゐる豪奢悦楽は地上に在り得ず、歴史的にも在り得ず、たゞ私の生活の後側にあるだけだ。背中合せに在るだけだつた。思へば私は馬鹿な奴であるが、然し、人間そのものが馬鹿げたものなのだ。
たゞ私が生きるために持ちつゞけてゐなければならないのは、仕事、力への自信であつた。だが、自信といふものは、崩れる方がその本来の性格で、自信といふ形では一生涯に何日も心に宿つてくれないものだ。此奴は世界一正直で、人がいくらおだてゝくれても自らを誤魔化すことがない。私とておだてられたり讃めたてられたりしたこともあつたが、自信の奴は常に他の騒音に無関係なしろもので、その意味では小気味の良い存在だつたが、これをまともに相手にして生きるためには、苦味にあふれた存在だ。
私は貧乏を意としない肉体質の思想があつたので、雰囲気的な落伍者になることはなく、抒情的な落伍者気分や厭世観はなかつた。私は落伍者の意識が割合になかつたのである。その代り、常に自信と争はねばならず、何等か実質的に自信をともかく最後の一歩でくひとめる手段を忘れることができない。実質的に──自信はそれ以外にごまかす手段のないものだつた。
食器に対する私の嫌悪は本能的なものであつた。蛇を憎むと同じやうに食器を憎んだ。又私は家具といふものも好まなかつた。本すらも、私は読んでしまふと、特別必要なもの以外は売るやうにした。着物も、ドテラとユカタ以外は持たなかつた。持たないやうに「つとめた」のである。中途半端な所有慾は悲しく、みすぼらしいものだ。私はすべてを所有しなければ充ち足りぬ人間だつた。
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そんな私が、一人の女を所有することはすでに間違つてゐるのである。
私は女のからだが私の部屋に住みこむことだけ食ひ止めることができたけれども、五十歩百歩だ。鍋釜食器が住みはじめる。私の魂は廃頽し荒廃した。すでに女を所有した私は、食器を部屋からしめだすだけの純潔に対する貞節を失つたのである。
私は女がタスキをかけるのは好きではない。ハタキをかける姿などは、そんなものを見るぐらゐなら、ロクロ首の見世物女を見に行く方がまだましだと思つてゐる。部屋のゴミが一寸の厚さにつもつても、女がそれを掃くよりは、ゴミの中に坐つてゐて欲しいと私は思ふ。私が取手といふ小さな町に住んでゐたとき、私の顔の半分が腫れ、ポツ〳〵と原因不明の膿みの玉が一銭貨幣ぐらゐの中に点在し、尤も痛みはないのである。ちやうど中村地平と真杉静枝が遊びにきて、そのとき真杉静枝が、蜘蛛が巣をかけたんぢやないかしら、と言つたので、私は歴々と思ひだした。まさしく蜘蛛が巣をかけたのである。私は深夜にふと目がさめて、天井と私の顔にはられた蜘蛛の巣を払ひのけたのであつた。私は今でも不思議に思つてゐるのであるが、真杉静枝はなぜ蜘蛛の巣を直覚したのだらう? こんなことを考へつくのは感嘆すべきことであるよりも、凡そ馬鹿々々しいことではないか。
新しい蜘蛛の巣は綺麗なものだ。古い蜘蛛の巣はきたなく厭らしく蜘蛛の貪慾が不潔に見えるが、新しい蜘蛛の巣は蜘蛛の貪慾まで清潔に見え、私はその中で身をしばられてみたいと思つたりする。新鮮な蜘蛛の巣のやうな妖婦を私は好きであるが、そんな人には私はまだ会つたことがない。日本にポピュラーな妖婦の型は古い蜘蛛の巣の主人が主で、弱さも強さも肉慾的であり、私は本当の妖婦は肉慾的ではないやうに思ふ。小説を書く女の人に本当の妖婦はゐない。「リエゾン・ダンジュルーズ」の作中人物がさう言つてゐるのだが、私もそれは本当だと思ふ。
私は妖婦が好きであるが、本当の妖婦は私のやうな男は相手にしないであらう。逆さにふつてふりまはしても出てくるものはニヒリズムばかり、外には何もない。左様。外にうぬぼれがあるか。当人は不羈独立の魂と言ふ。鼻持ちならぬ代物だ。
人生の疲労は年齢には関係がない。二十九の私は今の私よりももつと疲労し、陰鬱で、人生の衰亡だけを見つめてゐた。私は私の女に就て、何も描写する気持がない。私の所有した女は私のために良人と別れた女であつた。否むしろ、良人と別れるために私と恋をしたのかも知れない。それが多分正しいのだらう。
その当座、私達はその良人なる人物をさけて、あの山この海、温泉だの古い宿場の宿屋だの、泊り歩いてゐた。私は始めから特に女を愛してはゐなかつた。所有する気持もなかつた。たゞ当もなく逃げまはる旅寝の夢が、私の人生の疲労に手ごろな感傷を添へ、敗残の快感にいさゝかうつゝをぬかしてゐるうちに、女が私の所有に確定するやうな気分的結末を招来してしまつたゞけだ。良人を嫌ひぬいて逃げ廻る女であつたが、本質的にタスキをかけた女であり、私と知る前にはさるヨーロッパの紳士と踊り歩いたりしてゐた女でありながら、私のために、味噌汁をつくることを喜ぶやうな女であつた。
女が私の属性の中で最も憎んでゐたものは不羈独立の魂であつた。偉い芸術家になどなつてくれるなと言ふのである。平凡な人間のまゝで年老い枯木の如く一緒に老いてみたいといふのである。私が老眼鏡をかけて新聞を読んでゐる。女も老眼鏡をかけて私のシャツのボタンをつけてゐる。二人の腰は曲つてゐる。そして背中に陽が当つてゐる。女はその光景を私に語るのである。さうなりたいのは女の本心であつた。いくらかの土地を買つて田舎へ住みませうよ。頻りに女はさう言ふのだ。
さういふ女だから私が不満なわけではない。元々私が女を「所有」したことがいけないので、私は女の愛情がうるさくて仕方がなかつた。
「ほかに男をつくらないか。そしてその人と正式に結婚してくれないかね」
と私は言ふが、女がとりあはないのにも理由があり、私は甚だ嫉妬深く、嫉妬といふより負け嫌ひなのだ。女が他の男に好意をもつことに本能的に怒りを感じた。そんな怒りは三日もたてば忘れ果て、女の顔も忘れてしまふ私なのだが、現在に処して私の怒りの本能はエネルギッシュで、あくどい。女が私の言葉を信用せず、私の愛情を盲信するにも一応自然な理由があつた。
私が深夜一時頃、時々酒を飲みに行く十銭スタンドがあつた。屋台のやうな構へになつてゐるので二時三時頃まで営業してもめつたに巡査も怒らない仕組で、一時頃酒が飲みたくなる私には都合の良い店であつた。三十ぐらゐの女がやつてをり、客が引き上げると戸板のやうなものを椅子の上へ敷いてその上へねむるのださうで、非常に多淫な女で、酔つ払ふと客をとめる。けれども百万の人にもましてうすぎたない不美人で、私も時々泊れと誘はれたが泊る気持にはとてもならない。土間に寝るのが厭なんでせう、私があなたの所へ泊りに行くからアパートを教へて、と言ふが、私はアパートも教へなかつた。
この女には亭主があつた。兵隊上りで、張作霖の爆死事件に鉄路に爆弾を仕掛けたといふ工兵隊の一人で、その後の当分は外出どめのカンヅメ生活がたのしかつた、とそんな話を私にきかせてくれた。無頼の徒で、どこかのアパートにゐるのだが、女は亭主を軽蔑しきつてをり、客の中から泊る勇士がない時だけ亭主を泊めてやる。亭主は毎晩見廻りに来て泊る客がある時は帰つて行き、ヤキモチは焼かない代りに三四杯の酒と小づかひをせびつて行く。この男が亭主だといふことは私以外の客は知らない。私は女に誘はれても泊らないので亭主は私に好意を寄せて打ち開けて話し、女も私には隠さず、あのバカ(女は男をさうよんだ)ヤキモチも焼かない代りに食ひついてエモリみたいに離れないのよ、と言つた。私と男二人だけで外に客のない時は、今晩泊めろ、泊めてやらない、ネチ〳〵やりだし、男が暴力的になると女が一さう暴力的にバカヤロー行つてくれ、水をひつかける、と言ひも終らず皿一杯の水をひつかけ、このヤロー、男がいきなり女の横ッ面をひつぱたく、女が下のくゞりをあけて這ひだしてきて武者ぶりつき椅子をふりあげて力まかせに男に投げつけるのだ。女は殺気立つと気違ひだつた。ガラスは割れる、徳利ははねとぶ。男はあきらめて口笛を吹いて帰つて行く。好色多淫、野犬の如くであるが、亭主にだけは妙に意地をはるのである。
男は立派な体格で、苦味走つた好男子で、汚い女にくらべれば比較にならず、客のなかでこの男ほど若くて好い男は見当らぬのだから笑はせる。天性の怠け者で、働く代りに女を食ひ物にする魂の低さが彼を卑しくしてゐた。その卑しさは女にだけは良く分り、又、事情を知る私にも分るが、ほかの人には分らない。彼がムッツリ酒をのんでゐると、知らない客は場違ひの高級の客のやうに遠慮がちになるほどだ。彼は黒眼鏡をかけてゐた。それはその男の趣味だつた。
ある夜更すでに三時に近づいてをり客は私と男と二人であつた。女はかなり酔つてをり、その晩は亭主を素直に泊める約束をむすんだ上で、今晩は特別私におごるからと女が一本男が一本、むりに私に徳利を押しつけた。そこへ新米の刑事が来た。新米と云つても年齢は四十近い鼻ヒゲをたてた男だ。酒をのんで露骨に女を口説きはじめたが、以前にも泊りこんだことがあるのは口説き方の様子で察しることが容易であつた。女は応じない。応じないばかりでなく、あらはに刑事をさげすんで、商売の弱味で仕方なしに身体をまかせてやるのに有難いとも思はずに、うぬぼれるな、女は酔つてゐたので婉曲に言つてゐても、露骨であつた。刑事は、その夜の泊り客は私であり、そのために、女が応じないのだと考へた。
私はそのときハイキング用の尖端にとがつた鉄のついたステッキを持つてゐた。私はステッキを放したことのない習慣で、そのかみはシンガポールで友達が十弗で買つたといふ高級品をついてゐたが、酔つ払つて円タクの中へ置き忘れ、つまらぬ下級品をつくよりはとハイキング用のステッキを買つてふりまはしてゐた。私の失つた藤のステッキは先がはづれて神田の店で修繕をたのんだとき、これだけの品は日本に何本もない物ですと主人が小僧女店員まで呼び集めて讃嘆して見せたほどの品物であつた。一度これだけのステッキを持つと、まがひ物の中等品は持てないのだ。
貴様、ちよつと来い。刑事はいきなり私の腕をつかんだ。
「バカヤロー。貴様がヨタモノでなくてどうする。そのステッキは人殺しの道具ぢやないか」
「これはハイキングのステッキさ。刑事が、それくらゐのことを知らないのかね」
「この助平」
女が憤然立上つた。
「この方はね、私が泊れと言つても泊つたことのない人なんだ。アパートをきいても教へてくれないほどの人なんだ。見損ふな」
そこで刑事は私のことはあきらめたのである。そこで今度は男の腕をつかんだ。男は前にも留置場へ入れられたことがあり、刑事とは顔ナジミであつた。
「貴様、まだ、うろついてゐるな。その腕時計はどこで盗んだ」
「貰つたんですよ」
「いゝから、来い」
男は馴れてゐるから、さからはなかつた。落付いて立上つて、並んで外へでた。そのとき女は椅子を踏み台にしてスタンドの卓をとび降りて跣足でとびだした。卓の上の徳利とコップが跳ねかへつて落ちて割れ、女は刑事にむしやぶりついて泣き喚いた。
「この人は私の亭主だい。私の亭主をどうするのさ」
私はこの言葉は気に入つた。然し女は吠えるやうに泣きじやくつてゐるので、スタンドの卓を飛び降りた疾風のやうな鋭さも竜頭蛇尾であつた。刑事はいくらか呆気にとられたが女の泣き方がだらしがないので、ひるまなかつた。
「この人は本当にこの女の人の旦那さんです」
と私も出て行つて説明したが、だめだつた。男は私に黙礼して、落付いて、肩をならべて行つてしまつた。そのときだ、ちやうどそこに露路があり、露路の奥から私の女が出てきたのだ。女は黒い服に黒い外套をきてをり、白い顔だけが浮いたやうに街燈のほの明りの下に現れたとき、私はどういふわけなのか見当がつかなかつたが、非常に不快を感じた。私達のつながりの宿命的な不自然に就て、胸につきあがる怒りを覚えた。
私の女は私に、行きませう、と言つた。当然私が従はねばならぬ命令のやうなものと、優越のやうなものが露骨であつた。私はむらむらと怒りが燃えた。私は黙つて店内へ戻つて酒をのみはじめた。私の前には女と男が一本づゝくれた二本の酒があるのだが、私はもはや吐き気を催して実際は酒の匂ひもかぎたくなかつた。女は帰らないの、と言つたが、帰らない、君だけ帰れ、女は怒つて行つてしまつた。
ところが私は散々で、私はスタンドの気違ひ女に追ひだされてしまつたのである。この女は逆上すると気違ひだ。行つて呉れ、このヤロー、気取りやがるな、と女は私に喚いた。なんだい、あいつが彼女かい、いけ好かない、行かなきや水をぶつかけてやるよ。そして立ち去る私のすぐ背中にガラス戸をガラガラ締めて、アバヨ、もううちぢや飲ませてやらないよ、とつとゝ消えてなくなれ、と言つた。
私の女が夜更の道を歩いてきたのには理由があつて、女のもとへ昔の良人がやつてきて、二人は数時間睨み合つてゐたが、女は思ひたつて外へでた。男は追はなかつたさうである。そして私のアパートへ急ぐ途中、偶然、奇妙な場面にぶつかつて、露路にかくれて逐一見とゞけたのであつた。女の心事はいさゝか悲愴なものがあつたが、私のやうなニヒリストにはたゞその通俗が鼻につくばかり、私は蒲団をかぶつて酔ひつぶれ寝てしまふ、女は外套もぬがず、壁にもたれて夜を明し、明け方私をゆり起した。女はひどく怒つてゐた。女は夜が明けたら二人で旅行にでようと言つてゐたのだ。然し、私も怒つてゐた。起き上ると、私は言つた。
「なぜ昨日の出来事のやうなときに君は横から飛びだしてきて僕に帰らうと命令するのだ。君は僕を縛ることはできないのだ。僕の生活には君の関係してゐない部分がある。たとへば昨日の出来事などは君には無関係な出来事だ。あの場合君に許されてゐる特権は僕の留守の部屋へ勝手に上りこんで僕の帰りを待つことができるといふだけだ。君が偶然あの場所を通りかゝつたといふことによつて僕の行為に掣肘を加へる何の権力も生れはしない。君と僕とのつながりには、つながつた部分以上に二人の自由を縛りあふ何の特権も有り得ないのだ」
女は極度に強情であつたが、他にさしせまつた目的があるときは、そのために一時を忍ぶ方法を心得てゐた。彼女は否応なしに私を連れだして汽車に乗せてしまひ、その汽車が一時間も走つて麦畑の外に何も見えないやうなところへさしかゝつてから
「自由を束縛してはいけないたつて、女房ですもの、当然だわ」
もはや私は答へなかつた。私が女を所有したことがいけないのだ。然し、それよりも、もつと切ないことがある。それは私が、私自身を何一つ書き残してゐない、といふことだつた。私はそのころラディゲの年齢を考へてほろ苦くなる習慣があつた。ラディゲは二十三で死んでゐる。私の年齢は何といふ無駄な年齢だらうと考へる。今はもう馬鹿みたいに長く生きすぎたからラディゲの年齢などは考へることがなくなつたが、年齢と仕事の空虚を考へてそのころは血を吐くやうな悲しさがあつた。私はいつたいどこへ行くのだらう。この汽車の旅行は女が私を連れて行くが、私の魂の行く先は誰が連れて行くのだらうか。私の魂を私自身が握つてゐないことだけが分つた。これが本当の落伍者だ。生計的に落魄し、世間的に不問に附されてゐることは悲劇ではない。自分が自分の魂を握り得ぬこと、これほどの虚しさ馬鹿さ惨めさがある筈はない。女に連れられて行先の分らぬ汽車に乗つてゐる虚しさなどは、末の末、最高のものを持つか、何物も持たないか、なぜその貞節を失つたのか。然し私がこの女を「所有しなくなる」ことによつて、果してまことの貞節を取戻し得るかといふことになると、私はもはや全く自信を失つてゐた。私は何も見当がなかつた。私自身の魂に。そして魂の行く先に。
★
私は「形の堕落」を好まなかつた。それはたゞ薄汚いばかりで、本来つまらぬものであり、魂自体の淪落とつながるものではないと信じてゐたからであつた。
女の従妹にアキといふ女があつた。結婚して七八年にもなり良人がゐるが、喫茶店などで大学生を探して浮気をしてゐる女で、千人の男を知りたいと言つてをり、肉慾の快楽だけを生き甲斐にしてゐた。かういふ女は陳腐であり、私はその魂の低さを嫌つてゐた。一見綺麗な顔立で、痩せこけた、いかにも薄情さうな女で、いつでも遊びに応じる風情で、私の好色を刺戟しないことはなかつたが、私はかゝる陳腐な魂と同列になり下ることを好まなかつた。私が女に「遊ばう」と一言さゝやけばそれでよい。そしてその次に起ることはたゞ通俗な遊びだけで、遊びの陶酔を深めるための多少のたしなみも複雑さもない。たゞ安直な、投げだされた肉慾があるだけだつた。
さう信じてゐる私であつたが、私は駄目であつた。あるとき私の女が、離婚のことで帰郷して十日ほど居ないことがあり、アキが来て御飯こしらへてあげると云つて酒を飲むと、元より女はその考へのことであり、私は自分の好色を押へることができなかつた。
この女の対象はたゞ男の各々の生殖器で、それに対する好奇心が全部であつた。遊びの果に私が見出さねばならぬことは、私自身が私自身ではなく単なる生殖器であり、それはこの女と対する限り如何とも為しがたい現実の事実なのであつた。もしも私が単なる生殖器から高まるために、何かより高い人間であることを示すために、女に向つて無益な努力を重ねるなら、私はより多く馬鹿になる一方だ。事実私はすでにそれ以上に少しも高くはないのである。だから私はハッキリ生殖器自体に定着して女とよもやまの話をはじめた。
女は私が三文々士であることを知つてゐるので、男に可愛く見えるにはどうすればよいかといふことを細々と訊ねた。女は主として大衆作家の小説から技術を習得してゐる様子であつたが、その道にかけては彼等の方が私より巧者にきまつてゐるから私などそれに附け足す何もない、私がさう言ふと女は満足した様子に見えた。女は学生達の大半は物足らないのだと言つた。私がハズをだまし、あなたがマダムをだまして、隠れて遊ぶのはたのしいわね、と女が言つた。私は別にたのしくはない。私はたゞ陳腐な、それは全く陳腐それ自体で、鼻につくばかりであつた。
女の肉体は魅力がなかつた。女は男の生殖器の好奇心のみで生きてゐるので、自分自身の肉体的の実際の魅力に就て最大の不安をもつてゐた。けれども、さういふことよりも、自分の肉慾の満足だけで生きてゐる事柄自体に、最も魅力がないのだといふことに就て、女は全然さとらなかつた。
単なるエゴイズムといふものは、肉慾の最後の場でも、低級浅薄なものである。自分の陶酔や満足だけをもとめるといふエゴイズムが、肉慾の場に於ても、その真実の価値として高いものでは有り得ない。真実の娼婦は自分の陶酔を犠牲にしてゐるに相違ない。彼女等はその道の技術家だ。天性の技術家だ。だから天才を要するのだ。それは我々の仕事にも似てゐる。真実の価値あるものを生むためには、必ず自己犠牲が必要なのだ。人のために捧げられた奉仕の魂が必要だ。その魂が天来のものである時には、決して幇間の姿の如く卑小賤劣なものではなく、芸術の高さにあるものだ。そして如何なる天才も目先の小さな我慾だけに狂つてしまふと、高さ、その真実の価値は一挙に下落し死滅する。
この女は着物の着こなしの技巧などに就て細々と考へ、どんな風にすればウブな女に見えるとか、どの程度に襟や腕を露出すれば男の好色をかきたてうるとか、そしてさういふ計算から煙草も酒も飲まない女であつた。然しながら、この女の最後のものは自分の陶酔といふことだけで、天性の自己犠牲の魂はなかつた。裸になれば、それまでだ。どんなにウブに見せ、襟足や腕の露出の程度に就て魅力を考へても、裸になれば、それまでのことだ。その真実の魂の低さに就て、この女はまつたく悟るところがなかつた。
私はそのころ最も悪魔に就て考へた。悪魔は全てを欲する。然し、常に充ち足りることがない。その退屈は生命の最後の崖だと私は思ふ。然し、悪魔はそこから自己犠牲に回帰する手段に就て知らない。悪魔はたゞニヒリストであるだけで、それ以上の何者でもない。私はその悪魔の無限の退屈に自虐的な大きな魅力を覚えながら、同時に呪はずにはゐられなかつた。私は単なる悪魔であつてはいけない。私は人間でなければならないのだ。
然し、私が人間にならうとする努力は、私が私の文学の才能の自信に就て考へるとき、私の思想の全部に於て、混乱し壊滅せざるを得なかつた。
するともう、私自身が最も卑小なエゴイストでしかなかつた。私は女を「所有した」ことによつて、女の存在をたゞ呪はずにゐられなかつた。私は私の女の肉体が、その生殖器が特別魅力の少いことに就てまで、呪ひ、嘆かずにゐられなかつた。
「あなたのマダムのからだ、魅力がありさうね」
「魅力がないのだ。凡そ、あらゆる女のなかで、私の知つた女のからだの中で、誰よりも」
「あら、うそよ。だつて、とても、可愛く、毛深いわ」
私は私の女の生殖器の構造に就て、今にも逐一語りたいやうな、低い心になるのであつたが、私自身がもはやそれだけの屑のやうな生殖器にすぎないことを考へ、私はともかく私の女に最後の侮辱を加へることを抑へてゐる私自身の惨めな努力を心に寒々と突き放してゐた。
「君は何人の男を知つた?」
「ねえ、マダムのあれ、どんな風なの? ごまかさないで、教へてよ」
「君のを、教へてやらうか」
「えゝ」
女は変に自信をくづさずに、ギラ〳〵した眼で笑つて私を見つめてゐる。
私はそのときふと思つた。それは女のギラ〳〵してゐる眼のせゐだつた。私はスタンドの汚い女を思つたのだ。あの女は酔つ払ふといつも生殖器の話をした。男の、又、女の。そして、私に泊らないかと言ふ時には、いつもギラ〳〵した眼で笑つてゐた。
私は今度こそあのスタンドへ泊らうと思つた。一番汚いところまで、行けるところまで行つてやれ。そして最後にどうなるか、それはもう、俺は知らない。
★
私はあの夜更にスタンドを追ひだされて以来、その店へ酒を飲みに行かなかつた。そのころは十銭スタンドの隆盛時代で、すこし歩くつもりならどんな夜更の飲酒にも困ることはなかつたのだ。夜明までやつてゐる屋台のおでん屋も常にあつた。もつとも、この土地にはヨタモノが多く、そのために知らない店へ行くことが不安であつたが、私はもはやそれも気にかけてゐなかつた。
ある朝、私はその日のことを奇妙に歴々と天候まで覚えてゐる。朝といつても十時半、十一時に近い頃であつた。うらゝかな昼だつた。私は都心へ用たしに出かけるため京浜電車の停留場へ急ぐ途中スタンドの前を通つたのだが、私はその日に限つて、なにがしかまとまつた金をふところに持つてゐた。ちやうどスタンドの女が起きて店の掃除を終へたところであつた。ガラス戸が開け放されてゐたので、店内の女は私を認めて追つかけてきた。
「ちよつと。どうしたのよ。あなた、怒つたの?」
「やあ、おはやう」
「あの晩はすみませんでしたわ。私、のぼせると、わけが分らなくなるのよ。又、飲みにきてちやうだいね」
「今、飲もう」
私はとつさに決意した。ふところに金のあることを考へた。用たしも流せ。金も流せ。自分自身を流すのだ。私はこの女を連れて落ちるところまで堕ちてやらうと思つた。私は落付いて飲みはじめた。女は飲まなかつた。私は朝食前であつたから、酔が全身にまはつたが、泥酔はしてゐなかつた。
「泊りに行かうよ」
と私は言つた。女は尻込みして、ニヤ〳〵笑ひながら、かぶりを振つた。
「行かうよ。すぐに」
私は当然のことを主張してゐるやうに断定的であつたが、女の笑ひ顔は次第に太々しく落付いてきた。
「どうかしてるわね。今日は」
「俺は君が好きなんだ」
女の顔にはあらはに苦笑が浮んだ。女は返事をしなかつたが、苦笑の中には言葉以上の言葉があつた。私は女の顔が世にも汚い、その汚さは不潔といふ意味が同時にこもつた、そしてからだが団子のかたまりを合せたやうな、それはちやうど足の短い畸型の侏儒と人間との合の子のやうに感じられる、どう考へても美しくない全部のものを冷静に意識の上に並べなほした。そして、その女に苦笑され、蔑まれ、あはれまれてゐる私自身の姿に就て考へた。うぬぼれの強い私の心に、然し、怒りも、反抗もなかつた。悔いもなかつた。さういふ太虚の状態から、人はたぶん色々の自分の心を組み立て得、意志し得る状態であつたと思ふ。私は然し堕ちて行く快感をふと選びそしてそれに身をまかせた。私はこの日の一切の行為のうちで、この瞬間の私が一番作為的であり、卑劣であつたと思つてゐる。なぜなら、私の選んだことは、私の意志であるよりも、ひとつの通俗の型であつた。私はそれに身をまかせた。そして何か快感の中にゐるやうな亢奮を感じた。
私は卓の下のくゞりをあけて犬のやうに這入らうとした。女は立上つて戸を押へようとしたが、私の行動が早かつたので、私はなんなく内側へ這入つた。けれども女を押へようとするうちに、女はもうすりぬけて、あべこべに外側へくゞり出てゐた。両方の位置が変つて向き直つた時には私はさすがにてれかくしに苦笑せずにゐられなかつた。
「泊りに行かうよ」
と私は笑ひながらも、しつこく言ひつゞけた。
「商売の女のところへ行きな」
と女の笑顔は益々太々しかつた。
「昼ひなか、だらしがないね。私はしつこいことはキライさ」
と女は吐きだすやうに言つた。
私の頭には「商売の女のところへ」といふ言葉が強くからみついてゐた。この不潔な女すら羞しめうる階級が存在するといふことは私の大いなる意外であつた。私はアキを思ひだした。その思ひつきは私を有頂天にした。アキなら否む筈はない。特別の事情のない限り否む筈は有り得ない。この侏儒と人間の合の子のやうな畸型な不潔な女にすら羞しめられる女がアキであるといふことをこの畸型の女も知る筈はなく、もとよりアキも、私以外に誰も知らない。この発見のたのしさは私の情慾をかきたてた。私はもう好色だけのかたまりにすぎなかつた。そして畸型の醜女の代りにアキの美貌に思ひついた満足で私の好色はふくらみあがり、私は新たな目的のために期待だけが全部であつた。
私は改めて酒を飲んだ。女は酒をだし渋つたが、私が別人のやうに落付いたので、意味が分らぬ様子であつた。私はビール瓶に酒をつめさせた。それをぶら下げて、でかけた。
アキは気取り屋であつた。金持の有閑マダムであるやうに言ひふらして大学生と遊んでゐたが、凡そ貧乏なサラリーマンの女房で、豪奢な着物は一張羅だつた。その気取りに私は反撥を感じてゐた。気取りに比べて内容の低さを私は蔑んでゐたのである。思ひあがつてゐた。そのくせ常に苛々してゐた。それはたゞ肉慾がみたされない為だけのせゐであり、常に男をさがしてゐる眼、それが魂の全部であつた。
私はアキをよびだして、海岸の温泉旅館へ行つた。すべては私の思ふやうに運んだ。私はアキを蔑んでゐると言つた。そしてこの気取り屋が畸型の醜女にすら羞しめられる女であることを見出した喜びで一ぱいだつたと言つた。さういふ風に一度は考へたに相違ないのは事実であつたが、それはたゞ考へたといふだけのことで、私の情慾を豊かにするための絢であり、私の期待と亢奮はまつたく好色がすべてゞあつた。私は人を羞しめ傷けることは好きではない。人を羞しめ傷けるに堪へうるだけで自分の拠りどころを持たないのだ。吐くツバは必ず自分へ戻つてくる。私は根柢的に弱気で謙虚であつた。それは自信のないためであり、他への妥協で、私はそれを卑しんだが、脱けだすことができなかつた。
私は然し酔つてゐた。アキは良人の手前があるので夜の八時ごろ帰つたが、私はチャブ台の上の冷えた徳利の酒をのみ、後姿を追つかけるやうに、突然、なぜアキを誘つたか、その日の顛末を喋りはじめた。私はアキの怒つた色にも気付かなかつた。私は得意であつた。そしてアキの帰つたのちに、さらに芸者をよんで、夜更けまで酒をのんだ。そして翌日アパートへ帰ると、胃からドス黒い血を吐いた。五合ぐらゐも血を吐いた。
然し、アキの復讐はさらに辛辣だつた。アキは私の女に全てを語つた。それはあくどいものだつた。肉体の行為、私のしわざの一部始終を一々描写してきかせるのだ。私の女のからだには魅力がないと言つたこと、他の誰よりも魅力がないと言つたこと、すべて女に不快なことは掘りだし拾ひあつめて仔細に語つてきかせた。
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私は女のねがひは何と悲しいものであらうかと思ふ。馬鹿げたものであらうかと思ふ。
狂乱状態の怒りがをさまると、女はむしろ二人だけの愛情が深められてゐるやうに感じてゐるとしか思はれないやうな親しさに戻つた。そして女が必死に希つてゐることは、二人の仲の良さをアキに見せつけてやりたい、といふことだつた。アキの前で一時間も接吻して、と女は駄々をこねるのだ。
かういふ心情がいつたい素直なものなのだらうか。私は疑らずにゐられなかつた。どこかしら、歪められてゐる。どこかしら、不自然があると私は思ふ。女の本性がこれだけのものなら、女は軽蔑すべき低俗な存在だが、然し、私はさういふ風に思ふことができないのである。最も素直な、自然に見える心情すらも、時に、歪められてゐるものがある。先づ思へ。嫌はれながら、共に住むことが自然だらうか。愛なくして、共に住むことが自然だらうか。
私はむかし友達のオデン屋のオヤヂを誘つてとある酒場で酒をのんでゐた。酒場の女給がある作家の悪口を言つた。オデン屋のオヤヂは文学青年でその作家とは個人的に親しくその愛顧に対して恩義を感じてゐた。それで怒つて突然立上つて女を殴り大騒ぎをやらかしたことがある。義理人情といふものは大概この程度に不自然なものだ。殴つた当人は当然だと思ひ、正しいことをしたと思つて自慢にしてゐるのだから始末が悪い。彼が恩義を感じてゐることは彼の個人的なことであり、決して一般的な真実ではない。その特殊なつながりをもたない女が何を言つても、彼の特殊な立場とは本来交渉のないことだ。私は復讐の心情は多くの場合、このオデン屋のオヤヂの場合のやうに、どこか車の心棒が外れてゐるのだと思ふ。大概は当人自体の何か大事な心棒を歪めたり、外したまゝで気づかなかつたりして、自分の手落の感情の処理まで復讐の情熱に転嫁して甘へてゐるのではないかと思ふ。
まもなく私と女は東京にゐられなくなつた。女の良人が刃物をふり廻しはじめたので、逃げださねばならなかつたのだ。
私達はある地方の小都市のアパートの一室をかりて、私はたうとう女と同じ一室で暮さねばならなくなつてゐた。私は然しこれは女のカラクリであつたと思ふ。私と同じ一室に、しかも外の知り人から距つて、二人だけで住みたいことが女のねがひであつたと思ふ。男が私の住所を突きとめ刃物をふりまはして躍りこむから、と言ふのだが、私は多分女のカラクリであらうと始めから察したので、それを私は怖れないと言ふのだが、女は無理に私をせきたてゝ、そして私は知らない町の知らない小さなアパートへ移りすむやうになつてゐた。
私は一応従順であつた。その最大の理由は、女と別れる道徳的責任に就て自分を納得させることが出来ないからであつた。私は女を愛してゐなかつた。女は私を愛してゐた。私は「アドルフ」の中の一節だけを奇妙によく思ひだした。遊学する子供に父が訓戒するところで「女の必要があつたら金で別れることのできる女をつくれ」と言ふ一節だつた。私は、「アドルフ」を読みたいと思つた。町に小さな図書館があつたが、フランスの本はなかつた。岩波文庫の「アドルフ」はまだ出版されてゐなかつた。私は然し図書館へ通つた。私自身に考へる気力がなかつたので、私は私の考へを本の中から探しだしたいと考へた。読みたい本もなく、読みつゞける根気もなかつた。私は然し根気よく図書館に通つた。私は本の目録をくりながら、いつも、かう考へるのだ。俺の心はどこにあるのだらう? どこか、このへんに、俺の心が、かくされてゐないか? 私はたうとう論語も読み、徒然草も読んだ。勿論、いくらも読まないうちに、読みつゞける気力を失つてゐた。
すると皮肉なもので、突然アキが私達をたよつて落ちのびてきたのだ。アキは淋病になつてゐた。それが分ると、男に追ひだされてしまつたのだ。もつとも、男に新しい女ができたのが実際の理由で、淋病はその女から男へ、男からアキへ伝染したのが本当の径路なのだといふのだが、アキ自身、どうでもいゝや、といふ通り、どうでもよかつたに相違ない。アキは薄情な女だから友達がない。天地に私の女以外にたよるところはなかつた。
私の女が私をこの田舎町へ移した理由は、私をアキから離すことが最大の眼目であつたと思ふ。それは痛烈な思ひであつたに相違ない。なぜなら、女はその肉体の行為の最大の陶酔のとき、必ず迸しる言葉があつた。アキ子にもこんなにしてやつたの! そして目が怒りのために狂つてゐるのだ。それが陶酔の頂点に於ける譫言だつた。その陶酔の頂点に於て目が怒りに燃えてゐる。常に変らざる習慣だつた。なんといふことだらう、と私は思ふ。
この卑小さは何事だらうかと私は思ふ。これが果して人間といふものであらうか。この卑小さは痛烈な真実であるよりも奇怪であり痴呆的だと私は思つた。いつたい女は私の真実の心を見たらどうするつもりなのだらう? 一人のアキは問題ではない。私はあらゆる女を欲してゐる。女と遊んでゐるときに、私は概ねほかの女を目に描いてゐた。
然し女の魂はさのみ純粋なものではなかつた。私はあるとき娼家に宿り淋病をうつされたことがあつた。私は女にうつすことを怖れたから正直に白状に及んで、全治するまで遊ぶことを中止すると言つたのだが、女は私の遊蕩をさのみ咎めないばかりか、うつされてもよいと云つて、全治せぬうちに遊ばうとした。それには理由があつたのだ。女の良人は梅毒であり、女の子供は遺伝梅毒であつた。夫婦の不和の始まりはそれであつたが、女は医療の結果に就て必ずしも自信をもつてゐなかつた。そして彼女の最大の秘密はもしや私に梅毒がうつりはしないかといふこと、そのために私に嫌はれはしないかといふことだつた。そのために女は私とのあひゞきの始まりは常に硫黄泉へ行くことを主張した。私が淋病になつたことは、女の罪悪感を軽減したのだ。女はもはやその最大の秘密によつて私に怖れる必要はないと信じることができた。彼女はすゝんで淋病のうつることすら欲したのだつた。
私はそのやうな心情をいぢらしいとは思はなかつた。いぢらしさとは、そのやうなことではない。むしろ卑劣だと私は思つた。私は差引計算や、バランスをとる心掛が好きではない。自分自身を潔く投げだして、それ自体の中に救ひの路をもとめる以外に正しさはないではないか。それはともかく私自身のたつた一つの確信だつた。その一つの確信だけはまだそのときも失はれずに残つてゐた。私の女の魂がともかく低俗なものであるのを、私は常に、砂を噛む思ひのやうに、噛みつゞけ、然し、私自身がそれ以上の何者でも有り得ぬ悲しさを更に虚しく噛みつゞけねばならなかつた。正義! 正義! 私の魂には正義がなかつた。正義とは何だ! 私にも分らん。正義、正義。私は蒲団をかぶつて、ひとすぢの涙をぬぐふ夜もあつた。
私の女はいたはりの心の深い女であるから、よるべないアキの長々の滞在にも表面にさしたる不快も厭やがらせも見せなかつた。然し、その復讐は執拗だつた。アキの面前で私に特別たわむれた。アキは平然たるものだつた。苦笑すらもしなかつた。
アキは毎日淋病の病院へ通つた。それから汽車に乗つて田舎の都市のダンスホールへ男を探しに行つた。男は却々見つからなかつた。夜更けにむなしく帰つてきて冷めたい寝床へもぐりこむ。病院の医者をダンスホールへ誘つたが、応じないので、病院通ひもやめてしまつた。医者にふられちやつたわ、とチャラ〳〵笑つた。その金属質な笑ひ方は爽やかだつたが、夜更にむなしく戻つてきて一人の寝床へもぐりこむ姿には、老婆のやうな薄汚い疲れがあつた。何一つ情慾をそゝる色気がなかつた。私はむしろ我が目を疑つた。一人の寝床へもぐりこむ女の姿というものは、こんなに色気のないものだろうか。蒲団を持ちあげて足からからだをもぐらして行く泥くさい女の姿に、私は思ひがけない人の子の宿命の哀れを感じた。
アキの品物は一つ一つ失くなつた。私の女からいくらかづゝの金を借りてダンスホールへ行くやうになつた。しかし男は見つからなかつた。それでも働く決意はつかないのだ。踊子や女給を軽蔑し、妙な気位をもつてをり、うぬぼれに憑かれてゐるのだ。
最後の運だめしと云つて、病院の医者を誘惑に行き、すげなく追ひかへされて戻つてきた。夕方であつた。私が図書館から帰るとき、病院を出てくるアキに会つた。私達はそこから神社の境内の樹木の深い公園をぬけてアパートへ帰るのである。公園の中に枝を張つた椎の木の巨木があつた。
「あの木は男のあれに似てるわね。あんなのがほんとに在つたら、壮大だわね」
アキは例のチャラ〳〵と笑つた。
私はアキが私達の部屋に住むやうになり、その孤独な姿を見てゐるうちに、次第に分りかけてきたやうに思はれる言葉があつた。それはエゴイストといふことだつた。アキは着物の着こなしに就て男をだます工夫をこらす。然し、裸になればそれまでなのだ。自分一人の快楽をもとめてゐるだけなのだから、刹那的な満足の代りに軽蔑と侮辱を受けるだけで、野合以上の何物でもあり得ない。肉慾の場合に於ても単なるエゴイズムは低俗陳腐なものである。すぐれた娼婦は芸術家の宿命と同じこと、常に自ら満たされてはいけない、又、満たし得る由もない。己れは常に犠牲者にすぎないものだ。
芸術家は──私はそこで思ふ。人のために生きること。奉仕のために捧げられること。私は毎日そのことを考へた。
「己れの欲するものをさゝげることによつて、真実の自足に到ること。己れを失ふことによつて、己れを見出すこと」
私は「無償の行為」といふ言葉を、考へつゞけてゐたのである。
私は然し、私自身の口によつて発せられるその言葉が、単なる虚偽にすぎないことを知つてゐた。言葉の意味自体は或ひは真実であるかも知れない。然し、そのやうな真実は何物でもない。私の「現身」にとつて、それが私の真実の生活であるか、虚偽の生活であるか、といふことだけが全部であつた。
虚しい形骸のみの言葉であつた。私は自分の虚しさに寒々とする。虚しい言葉のみ追ひかけてゐる空虚な自分に飽き飽きする。私はどこへ行くのだらう。この虚しい、たゞ浅ましい一つの影は。私は汽車を見るのが嫌ひであつた。特別ゴトン〳〵といふ貨物列車が嫌ひであつた。線路を見るのは切なかつた。目当のない、そして涯のない、無限につゞく私の行路を見るやうな気がするから。
私は息をひそめ、耳を澄ましてゐた。女達のめざましい肉慾の陰で。低俗な魂の陰で。エゴイズムの陰で。私がいつたい私自身がその外の何物なのであらうか。いづこへ? いづこへ? 私はすべてが分らなかつた。
(附記 私はすでに「二十一」といふ小説を書いた。「三十」「二十八」「二十五」といふ小説も予定してゐる。そしてそれらがまとめられて一冊の本になるとき、この小説の標題は「二十九」となる筈である)
底本:「坂口安吾全集 04」筑摩書房
1998(平成10)年5月22日初版第1刷発行
底本の親本:「新小説 第一巻第七号」
1946(昭和21)年10月1日発行
初出:「新小説 第一巻第七号」
1946(昭和21)年10月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:深津辰男・美智子
2009年7月8日作成
2013年10月29日修正
青空文庫作成ファイル:
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