女体
坂口安吾
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岡本は谷村夫妻の絵の先生であつた。元々素行のをさまらぬ人ではあつたが、年と共に放埒はつのる一方で、五十をすぎて狂態であつた。
谷村夫妻の結婚後、岡本は名声も衰へ生活的に谷村にたよることも多かつたので、金銭のこと、隠した女のこと、子供のこと、それまでは知らなかつたり、横から眺めてゐたにすぎないことを、内部に深く厭でも立入らねばならなかつた。
岡本は己れの生活苦が芸術自体の宿命であるやうに言つた。そして己れを蔑むことは芸術自体を蔑むことに外ならぬといふ態度言辞をほのめかした。けれども彼の人生の目的が官能の快楽だけで、遠く芸術を離れたことは否み得ないと思はれた。若い頃はともかく気骨も品位もあつたと谷村は思つた。今はたゞ金を借りだすための作意と狡るさ、芸術を看板にするだけ悪どさが身にしみた。
谷村は苦々しく思つてゐたが、その無心にはつとめて応じてやるやうに心掛け、小さな反感はつゝしむ方がよいと思つた。自分がこの年まで生きてきた小さな環境は、自分にとつてはかけがへのないものであるから、人の評価の規準と別に小さく穏やかにまもり通して行くことは自分の「分」といふものだと思つてゐた。その「分」を乗り越えて生きる道を探求するほど非凡でもなく、芯から情熱的でもない。そして小さな反感をとりのぞけば、岡本の狂態にも愛すべきものは多々あつた。
ところが、ある日のこと、虫のゐどころのせゐで、柄にもなく、岡本に面罵を加へてしまつた。面罵といふほどのことではないが、なるべく自分の胸にしまつて漏らさぬやうにと心掛けてゐたことをさらけだしてしまつたもので、つとめて身辺の平穏を愛す谷村には、自分ながら意外であつた。
彼は言つた。先生は理解せられざる天才をもつて自ら任じていらつしやる。ところが僕一存の感じで申すと、先生御自身そのお言葉を信じてをられるやうでもありませんね。知られざる天才は知られざる傑作を書く必要がありますが、先生は知られざる傑作を書く情熱や野心よりも、知られざる官能の満足が人生の目的のやうだ。先生は僕たちに対して御自分のデカダンスは芸術自体の欲求する宿命のやうに仰有る。さすれば僕たちが芸術への献金をはゞみ得ないと甘く見てゐられるやうです。ところが世間は存外甘くないやうです。なるほど世間は往々天才を見落しますが、それは天才の場合のことで、先生ぐらゐの中級、二流程度の才能に対して世間が誤算することもなく、かりに誤算し見落してもたかゞ二流のざらにある才能の一つにすぎないではありませんか。先生も以前は一かどの盛名を得て、つまり知られざる天才ではなく、才能の処を得てゐられたやうです。今日、なぜ名声が衰へ、世に忘れられたか。画境深遠となつて凡愚の出入を締出したせゐですか。ところが世間の凡俗どもは先生の画境の方が芸術から締出されたと評してゐます。僕も亦凡俗の一人ですからそれ以上には見てをりません。世間なみに先生はデカダンスによつて身を亡し芸術を亡したと解釈してをるのです。たゞ僕が世間といくらか違ふのは、古風な情誼をなつかしんでゐるだけのことです。
岡本はあさましいほど狼狽した。立直る虚勢の翳もなかつた。苦痛のために顔がゆがんだ。それを見る谷村は、根が善良な岡本を不当に苦しめてゐるやうな侘びしさにかられた。然し、ゆがめられた岡本の顔には、卑しさが全部であつた。
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「先生をやりこめて愉しかつたでせう」
岡本の帰つたあとで、素子が言つた。谷村はこのやうな奥歯に物のはさまつた言ひ方に、肉体的な反感をもつ性癖だつた。人に与へる不快の効果を最大限に強めるための術策で、意地悪ると残酷以外の何物でもない。素子はそれを愛情の表現と不可分に使用した。それも亦、一種の肉体の声だつた。
「はつきり教へてちやうだい。もし先生が芸術家だつたら、先生の言ひなり放題にお金を貸してあげる?」
「僕のやり方が残酷だつたといふ意味かい。僕はもう僕自身に裁かれてゐるよ。そのうへ君が何をつけたすつもりだらう。然し、僕はやりこめはしなかつたのさ。たゞ、反抗したゞけのことさ」
「それでも、先生はやりこめられたでせう。先生のお顔、穴があいたといふ顔ね。人間の顔の穴は卑しいわ」
女は残酷なことを言ふものだと谷村は思つた。そのくせ、それを言ふことは彼女の主たる目的と何のかゝはるところもない。素子はたぶん谷村をやりこめようとしてゐるのである。その途中に寄り道をして、道のべの雑草をいはれなく抜きすてるやうに、岡本にたゞ残酷な一言を浴せかけてゐるのであつた。
「古事記にこんな話があるぜ」と谷村は素子にやりかへした。「あるとき神武天皇が野遊びにでると、七人の娘が通りかゝつたのさ。先登の一人がきはだつて美しいので、お供の大久米命に命じて今宵あひたいと伝へさせたのさ。すると娘が大久米命の顔を見つめて、アラ、大きな目の玉だこと、と言ふのさ。大久米命は目玉が大きかつたのだ。本当は胸がわく〳〵してゐるのだぜ。なぜなら、娘は神武天皇と一夜をあかして皇后になつたのだからね。そのくせ、ハイ、分りました、とか、えゝ待つてるわ、とか答へずに、大きい目玉ね、と叫ぶのさ。幸福な、そして思ひがけない、こんなきはどい瞬間でも、女の眼は人のアラを見逃してをらず、きまり悪さをまぎらすにも人のアラを楯にとつてゐるのだ。神武天皇の昔から、女の性根に変りはなく、横着で、残酷で、ふてぶてしくて、ずるいのさ。そのくせ自分では、弱さのせゐだと思つてゐる」
谷村は女の意地の悪さに憎さと怖れを感じる性癖であつた。
彼は生来病弱で、肋膜、それから、カリエス、彼の青春は病気と親しむことだつた。病気の代りに素子と親しむやうになつても、病気が肉体の一部であるやうに、素子は肉体の一部にはならなかつた。
素子は谷村といふ人間と、谷村とは別の病気といふ人間と、同時に、そして別々に、結婚してゐるのではないかと谷村を疑つた。
一年に幾たびかある谷村の病気のときは、素子は数日の徹夜を厭はず看病に献身した。煙草をすはぬ素子であつたが、看病の深夜に限つて煙草をふかすことがあるのを、谷村はそれに気付いて、あはれに思つた。
「たばこ、おいしい?」
「えゝ」
「何を考へてゐるの?」
「考へることがないからなのよ」
病む谷村は夜を怖れた。眠りは概ね中断されて、暗闇と孤独の中へよみがへる。悪熱のゑがく夜の幻想ほど絶望的なものはなかつた。夜明けの祈り、たゞその一つの希望のために、悶死をまぬかれてゐるやうだつた。
その苦しみに、素子ほどいたはり深い親友はなかつた。枕頭に夜を明し、絶望の目ざめのたびに変らざる素子の姿を見出すことができ、話しかければ答へをきくことができた。素子は本を読んでをり、書きものをしたり、縫ひ物をしたり、又、あるときは煙草をくゆらしてゐた。薄よごれた眠り不足の素子の顔を胸に残して、谷村は感謝を忘れたことがない。
然し、それのみが素子ではなかつた。
夜の遊びに、素子は遊びに専念する無反省な娘のやうに、全身的で、没我的であつた。素子の貪慾をみたし得るものは谷村の「すべて」であつた。谷村の痩せた額に噴きあがる疲労の汗も、つきせぬ愛の泉のやうになつかしく、いたはり拭ふ素子であつた。
谷村は人並の労働の五分の一にも堪へ得ないわが痩せた肉体に就て考へる。その肉体が一人の女の健康な愛慾をみたし得てゐることの不思議さに就て考へる。あはれとはこのやうなものであらうと谷村は思つた。たとへば、自ら徐々に燃えつゝある蝋燭はやがてその火の消ゆるとき自ら絶ゆるのであるが、谷村の生命の火も徐々に燃え、素子の貪りなつかしむ愛撫のうちに、やがて自ら絶ゆるときが訪れる。
献身の素子と、貪婪な情慾の素子と、同じ素子であることが谷村の嘆きをかきたて、又、憎しみをかきたてた。情慾の果の衰へがやがて谷村の季節々々の病気につながることすらも無自覚な素子に見えた。献身は償ひであらうか。衰亡は死によつて終り、献身は涙によつて終るであらう。数日の、たゞ数日の、涙によつて。
然し情慾の素子と献身の素子には、償ひと称するやうな二つをつなぐ論理の橋はないのだと谷村は思つた。素子は思慮深い人であるから、過淫が衰弱の因となり、献身がともかくそれを償ふことを意識しない筈はない。だが、意識とは何ほどの物であらうか。流れつゝある時間のうちに、そんなことを考へてみたこともあつたといふだけではないのか。
素子の貪婪な情慾と、素子の献身と、その各々がつながりのない別の物だと谷村は思つた。素子の一つの肉体に別々の本能が棲み、別々のいのちが宿り、各々の思考と欲求を旺盛に盲目的に営んでゐるのであらう。素子の理智が二つの物に橋を渡すことがあつても、素子の真実の肉体が橋を渡つて二つをつなぐといふことはない。そして素子は自分の時間が異つたいのちによつて距てられてゐることに気付いたことはないのである。
谷村は咒ひつゝ素子の情慾に惹かれざるを得なかつた。憎みつつその魅力に惑ふわが身を悲しと思つた。谷村は自らすゝんで素子に挑み、身をすてゝ情慾に惑乱した。その谷村をいかばかり素子は愛したであらうか!
遊びのはてに谷村のみが我にかへつた。その時ほど素子を咒ふこともなく、その時ほど情慾の卑しさを羞じ悲しむこともなかつた。素子は情慾の余燼の恍惚たる疲労の中で恰も同時に炊事にたづさはるものゝやうな自然さで事務的な処理も行ふのだ。かゝる情慾の行ひが素子の人生の事務であり、人生の目的であり、生活の全てであると気付くのはその時であつた。谷村は目をそむけずにゐられなくなる。彼は一人の情慾と結婚してゐる事実を知り、その動物の正体に正視しがたくなるのであつた。然し素子はそむけられた谷村の目を見逃す筈はなかつた。その眼は憎しみの石であり、然し概ねあきらめの澱みの底に沈んでゐた。
素子は素知らぬ顔だつた。谷村の痩せた額に噴きだした疲労の汗をふいてやるのもその時だつた。彼が憎めば憎むほど、いたはりがこもるやうだつた。それはちやうど、坊やはいつもこの時に拗ねるのね、とからかふ様子に見えた。それに答へる谷村は益々露骨に首を捩ぢまげ、胸をひき、身をちゞめる。その上へのしかゝるやうにして、そむけた頬へ素子が濡れた接吻を押しつけるのもその時であつた。
素子とは何者であるか? 谷村の答へはたゞ一つ、素子は女であつた。そして、女とは? 谷村にはすべての女がたゞ一つにしか見えなかつた。女とは、思考する肉体であり、そして又、肉体なき何者かの思考であつた。この二つは同時に存し、そして全くつながりがなかつた。つきせぬ魅力がそこにあり、つきせぬ憎しみもそこにかゝつてゐるのだと谷村は思つた。
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素子は谷村の揶揄に微塵もとりあふ様子がなかつた。けれども素子は態度に激することのない女であつた。腹を立てゝも静かであり、たゞ顔色がいくらかむつかしくなるだけだつた。
「あなたは先生をやりこめた覚えはないと仰有るでせう。そして反撥したゞけと仰有るのでせう。子供の話にあるぢやありませんか。子供達が石投げして遊んでゐると蛙に当つて死ぬ話が。子供達には遊びにすぎないことが、蛙には命にかゝはることなんです」
と素子はつゞけた。
「私にも先生の肚は分つてゐます。誰にだつて分りますよ。思慮の浅い人なんですから。お金が欲しくて堪らなければ誰だつてあさましくもなるでせう。藁に縋りついてゞも生きたいものだと言ひますから、なけなしの肩書ででも、消えさうな名声でも、ふり廻せるものはふり廻して借金の算段に使ふのも仕方がないぢやありませんか。野卑な魂胆しかないくせに芸術家然とお金をせびられては誰だつて厭気ざさずにゐられません。私は女ですから人のアラは特別癇にさはります。先生の助平たらしい顔を見るのも厭ですよ。芸術家然とをさまる時のあのチョビ髭はゾッとするほど厭なんです。けれども、それはそれですよ。それに向つて石を投げる必要は毛頭ないぢやありませんか」
素子は社交的な女ではなかつた。絵の勉強もしたが、作家特有の華美なるものへの志向も顕著ではない。どちらかと云へば地味な、孤独な性格で、谷村と二人だけで高原の森陰とか田園の沼のほとりで原始的な生活をして一生を終りたいと考へ耽るやうな人であつた。
この性癖は根強いものだと谷村は思つてゐた。病弱な谷村とすゝんで結婚したことも、その病弱が決定づけてゐる陰気な又隠者的な生活に堪へてゐるのも、素子の底にこの性癖があるからで、その自然さを見出し又信じ得ることは谷村の慰めであり、安堵であつた。ほかの男と生活をするよりも、自分とかうしてゐることがこの人の最も自然な状態なのだと信じ得るほど心強いことはない。谷村の現実を支へそして未来へ歩ませてゐる安定の主要なものが、もはやこんな小さな惨めなところにある、と谷村は信じ、そしてそれを悲しむよりも懐しむやうになつてゐた。
二人は稀に口論めくこともあつたが、一方が腹をたてると、一方が大人になつた。二人だけの現実をいたはることでは、素子は谷村に劣らなかつた。そして二人はどんなに腹の立つときでも決して本音を吐かなかつた。いたはりが二人を支へ、そしていたはられる自分を見出すといふことは不快をともなふものであるが、二人だけの場合に限つて、不快を感じることもなく、よし感じてもそれを別の方向へ向けたり流したりできるやうな融通がついてゐるのであつた。これでよいのだらうかと谷村は思ふ。これでよいのだらうと谷村は思ふ。これ以外には仕方がないと思ふ心があるからだつた。
「然し、なぜ君が蛙の代弁をしなければならないのだらう? 蛙自身が喋らないのに。そして、蛙は元々喋らないものだよ。蛙自身が喋りだすのは当事者の良心の中でだけさ」
素子はかすかに頷いた。分つてゐます、といふ意味であつた。よけいなことを仰有いますな、といふ意味だつた。
「あなたは先生の芸術家然とお金をせびるのが厭なのでせう。もともと、お金をせびられるのが厭なのです。お金を貸してあげることが厭なのです。あなたは私に比べればお金に吝嗇ではありません。ほかの方々に比べても、お金のことには淡白で、気の毒な方を助けてやりたい豊かな心もお持ちです。けれども、お金をせびられるのが厭で、そのお金を出したくないのも事実でせう。そして、あなた御自身の問題といへば、そのことではありませんか。お金が惜しいなら、惜しいと仰有るがよろしいのです。厭なら厭と仰有るだけでよろしいのです。それをさしおいて、先生の弱点をあばく必要がありますか。それは卑怯といふものです」
なるほど、その通りに違ひはない、と谷村は思つた。然し、それは谷村の自覚の上では軽微なものにすぎなかつた。
別の生々しい思念が彼の頭に渦巻いてゐた。それは、なぜ素子は蛙の代弁をしなければならなかつたか、といふことだつた。
なぜなら、こゝに明白な一事は、素子は蛙の代弁をしながら、蛙に同情してをらず、むしろ谷村以上の悪意と嫌悪を蛙によせてゐるからであつた。芸術家然とをさまるときの岡本のチョビ髭はゾッとするほど厭だと言つた。又、岡本の顔の穴は卑しいと言つた。その言葉には顔をそむけしめる実感があり、単純な毒気があつた。
女の観察はあらゆる時に毒気の上に組み立てられてをり、そのくせ同時に十八の娘のやうに甘い夢想もあるのであつた。毒気は同情の障碍となり得ず、愛情の障碍とすらなり得ぬのかも知れなかつた。けれども、素子の場合は、と谷村は思ふ、岡本に同情してはゐないといふ直感があり、それを疑る気持がなかつた。
それにも拘らず、なぜ? まさか本当に俺を憎んでゐるのではないだらう、と谷村は考へる。まア、いゝさ。今に分るときがくるだらう、と谷村は思つた。
谷村は身体の調子が又ひとしきり弱くなつてきたやうに感じた。そして、さういふ変調のかすかなきざしから、肉体の衰弱よりも、肉体の衰亡を考へるやうになつてゐた。すると必ず素子にひそかな憎しみを燃やすやうになつてゐた。それは素子の肉体に対する嫉妬であらうと谷村は思つた。そして、嫉妬する自分も、嫉妬せられる素子も、ともどもに悲しいさだめなのだと思ふ。だが、近頃は、自分が悲しいのは分る。然し、なんで素子が悲しいさだめであるものか、と疑りだす。俺も我がまゝになつたものだなと谷村は思ふが、なぜ我がまゝでいけないのか、我がまゝでいゝではないか、と吐きだすやうに思ふやうにもなつてゐた。
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それから三月ほど岡本は顔を見せなかつた。その三月のうちに、谷村は例の季節の病気をやつた。
岡本の用件は突飛すぎるものだつた。
岡本夫人は良家からとついだ人で、その持物に高価な品が多いことを素子なども知つてゐたが、岡本の放埒とそして零落の後は、別してそれを死守するやうな様子があつた。
岡本はその品物からダイヤの指環や真珠の何とか七八点を持ちだして、これを大木といふ男に一万五千円で売つた。夫人はこれに気付いたが、売つたことを信用せず、新しい女にやつたと思ひこんでゐる。そして女のもとへ挨ぢこむ見幕であるが、あいにく今度の女といふのが人妻で、女の良人に知れただけでも単なる痴情でをさまらぬ意味があるのだと云ふのである。そこで品物を大木から買ひ戻して貰へまいかと云ふのだが、岡本には金がないので一時たてかへて欲しい、自分の有金はこれだけだからこれに不足の分をたして、と、懐から三千円を掴みだして、これを素子に差出した。
話の桁が違ひすぎてゐた。谷村は親ゆづりの小金のおかげで勤めにもでず暮してゐたが、身体さへ人並なら働きにでゝ余分の金が欲しいと思ふほどであり、きりつめた趣味生活の入費を差引くと、余分の贅沢はできなかつた。谷村が人の頼みに応じ得る金額は微々たるもので、岡本がそれを知らない筈はなかつた。桁の違ひが突飛だから、拒絶の口実に苦しむ怖れもなく、谷村の気持には余裕があつた。岡本の話は正気だらうかと疑つた。
万事につけて常とは違ふものがあつた。先づ第一に、岡本は素子に多く話しかけてゐるのである。素子を通して谷村に言ひかける素振ではなく、主として素子に懇願し、その衷情を愬へた。谷村にやりこめられたせゐばかりではないやうだつた。岡本の話の中に濁りがあつた。岡本の話も態度も何か秘密の作意の上に組立てられた一贋物のやうな感じがした。
それにしても岡本が主として素子に話しかけてゐるといふのは谷村に皮肉な興を与へた。谷村は素子の言葉を忘れたことがなかつた。素子はなぜ蛙の代弁をしなければならなかつたか。そして、素子自身は蛙の突飛な哀願にどういふ態度を示すだらうかと谷村は興にかられた。
素子は感情を殺してゐるから理の勝つた人に見えたが、事実はキメのこまかな感受性を持つてゐて、思ひやりと、広い心をもつてゐた。なるべく人を憎んだり侮つたりしないやうにと心懸ける人であつた。
素子は岡本にたのまれて、岡本の女の面倒を見たことがあつた。その娘も岡本の弟子の一人で、岡本の子供を生み、家を追はれて、自殺をはかり、子供は死んだが自分だけは助かつた。その後、素子が手もとへ引取つて自活の道を与へてやり、娘は美容術を習ひ、美容院の助手となつたが、自活できるやうになり素子の手もとを離れると、岡本とよりを戻した。
岡本には外にも多くの女があつた。その多くは弟子の娘達だつたが、慰藉料とか、子供の養育費とか、その支払ひに応じぬために暴力団に強迫されて、女への支払ひの外に余分の金をゆすられたこともあつた。
その娘は家を追はれて衣食に窮し自殺をはかつたが、岡本に金銭的な要求をしたことがなかつた。岡本はそこにつけこんだのであるが、つけこまれた女にも消極的にそれを欲した意味があると谷村は断じた。そのとき谷村はかう思つた。金銭は愛憎の境界線で、金銭を要求しないといふことは未練があるといふ意味だ、と。この谷村の考へに、素子は自分の意見を述べなかつた。素子は自分に親しい人をそこまで汚く考へるのが厭な様子に見受けられたが、又一面には、人間の心の奥をそこまで考へてみたことがなかつたやうにも見えたのである。
然し、谷村はそれに就てもかう考へた。素子が自分の意見を述べないのは、実は人間の心に就て、又愛憎の実相に就て、谷村以上にその実相の汚らしさを知つてをり、あまりの汚らしさに語り得ないのではないか、といふことだつた。一度男を知つた女は、再び男なしでは生きられない。たとへば、さういふ弱点に就て、素子は己れの肉体そのものが語る強烈な言葉を知つてゐる、その肉体の強烈な言葉は客間で語る言葉にはなり得ないのではないか、と疑つたのだ。
素子は社交婦人も嫌ひであつたし、慈善婦人も嫌ひであつたし、倹約夫人も嫌ひであつたし、インテリ婦人も嫌ひであつた。総じて女が嫌ひであり、世間的な交遊を好まなかつた。女の心は嫉妬深くて、親しい友に対するほど嫉妬し裏切るものだから、と素子は言つた。なるほど素子は寛大で、なるべく人を憎まぬやうに、悪い解釈をつゝしむやうにと心掛ける人であつた。心掛けはさうではあるが、その正体は? 谷村はそれに就て疑りだすと苦しくなる。素子はあらゆる女の中の女であり、その弱点の最大のものをわが肉体に意識してゐるのではないか、といふことだつた。
二人が結婚のとき、谷村は二十七で、素子は二十六であつたが、その結婚を躊躇した素子は、その唯一の理由として、二人の年齢が一つしか違はないから、と言つた。かやうに躊躇する素子は、谷村が素子を恋するよりも、決してより少く谷村を恋してはゐなかつた。技巧と解すべきか、真実の魂の声と解すべきか。或ひは又、女にとつては真実と技巧が不可分なものであるのか。その解きがたい謎に就て、谷村が直面した第一歩であつた。
二人の年齢が一つしか違はないから、といふ、それに補足して素子は言つた。女は早く老けるから。そしてあなたはいつか私に満足できなくなるでせう、と。けれども事実はあべこべであつた。そのときから十一年、谷村は三十八となり、素子は三十七になつた。素子はいくつも老けないやうに思はれた。素子には子供がなかつた。子供が欲しいと思はない? と素子が言つた。すると谷村は即坐に答へた。あゝ、欲しいさ。そのおかげで、君がお婆さんになるならね。
素子の皮膚はたるみを見せず、その光沢は失はれず、ねつちりと充実した肉感が冷めたくこもりすぎて感じられた。谷村はそれを意識するたびに、必ずわが身を対比する。痩せて、ひからびて、骨に皮をかぶせたやうな白々とした肉体を。その体内には、日毎の衰亡を感じることができるやうな悲しい心が棲んでゐた。
俺が死んだら、と谷村は考へる。素子は岡本のやうな好色無恥な老人の餌食にすらなるのではあるまいか、と。恋愛などいふ感情の景物は有つても無くても構はない。たゞ肉体の泥沼へはまりこんで行くだけではないのか。するとそのとき、素子のひろい心だのあたゝかい思ひやりなど、それは烏がさした孔雀の羽のやうにむしりとられて、烏だけが、肉体といふ烏だけが現れてくるのではないか。
俺は恋がしてみたい。肉体といふものを忘れて、たゞ魂だけの。そのくせ盲目的に没入できる激烈な恋がしてみたい。ならうことなら、その恋のために死にたい、と谷村は時に思つた。もうその恋も、肉体のない恋ながら体力的にできなくなつてしまひさうな哀れを覚えた。
そして谷村は、そんな時に、信子のことを考へた。
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素子に話しかける岡本は、哀訴のたびに、媚びる卑しさを露骨にみせた。弟子に対する師の矜持は多少の言葉に残つてゐたが、それはむしろ不自然で、岡本自身がそれに気付いてまごつくほどになつてゐた。年下の男が年上の女に媚びる態度であつた。
それを見てゐる谷村は、別の意味に気がついた。それは一人の魂が媚びてゐるのではなく、一つの男の肉体自体が媚びてゐる、といふことだつた。そして媚びる肉体が五十を越えた男であり、媚びられてゐる肉体が三十七の女であるといふことに異様なものを感じた。谷村は媚びる岡本に憐憫と醜悪だけを感じたが、媚びられてゐる素子の肉体に嫉妬をいだいた。
岡本の媚態は本能的なものに見えた。それは亦、素子の本能に話しかけ訴へかけてゐるのであつたが、語られてゐる金銭の哀願よりも、無言の媚態がより強烈に話しかけてゐることを見出した。金談は媚態の通路をひらくための仕掛にすぎないやうでもあつた。
岡本は人の常時につとめて隠さるべきもの、羞恥なしに露はし得べからざるもの、弱点をさらけだしてゐるのであつた。人の最後の弱点がともかく魅力であり得ることを、谷村は常に怖れてゐた。谷村が素子に就て怖れ苦しむ大きな理由はそこにつながるものであつた。岡本の媚態には、その弱点をむきだしにした卑しさがほのめいてゐた。
その岡本に対処する素子は概ね無言であつた。冷然たる位の高さを崩さなかつた。純白な気品があるやうだつた。もとよりそれが当りまへだと谷村は思ふ。岡本の狂態が今の素子にさしたるものでないことは当然ではないか。そして素子は岡本の媚態に谷村以上の嫌悪を感じ、不快をこらへてゐる筈だつた。それを岡本が知つてゐる。岡本は「今」の素子を問題にしてはゐないのだ。彼の媚態が話しかけてゐるのは、素子のどん底の正体だつた。それ自身羞恥なき肉体自体の弱点だつた。そして谷村が岡本の媚態から感じるものも、岡本の媚態でなしに、そこから投射されてくる素子の羞恥なき肉体だつた。谷村はその肉体への嫉妬のために苦しんだ。正視しがたくなつてきた。
素子の落着きは冴えてゐた。
「奥様に打開けてお話しになりましては? そして御一緒に大木さんをお訪ねになりましては、月賦でゞも支払ふことになさいましては?」
「それがねえ、大木は人情の分る男ではありませんよ。耳をそろへて金を持つてこいと言ふにきまつてゐるのですから」
素子は頷いた。
「私どもに買ひ戻せる金額ではございません。先生は私どものくらしむきを御存知の筈ではございませんか」
「いゝえ、奥さん。買ひ戻していたゞく上は、女房に事情を明して、品物は必ず奥さんに保管していたゞくですよ。実際の値打は三万を越える品物ですよ。あの大木の奴が一万五千だすのだから、どれだけの値打のものだか推して分るぢやありませんか」
「先生はお金持ね。私どもは三千円のお金なんて、もう何年も見たことがないわ」
素子は三千円の金の包みを岡本に返して、立上つた。そしてキッパリ言つた。
「金額だけの問題ではございません。私どもは先生の正しいお役に立つことにだけ手伝はせていたゞきたいと思つてゐます」
そのまゝ素子が立去る気配を示したので、岡本はよびとめた。
「奥さん」
岡本の顔がくしや〳〵ゆがんだ。岡本は素子をよびとめるために左手を抑へるやうに突きだしてゐた。その手がゆるやかに戻つて、なぜだか自分の顎を抑へた。同時に右手で腹を抑へた。そして顔をグイと後へ突きのけるやうな奇妙な身振りをした。すると突然ヒイといふ声をたてゝ泣きふしてゐた。
あさましい姿であつた。素子はそれを見すくめてゐたが、すぐ振向いて立去つてしまつた。谷村には一瞥もくれなかつた。
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岡本の女のひとりに藤子といふ人があつた。彼女も昔は岡本の弟子で、一時は喫茶店の女給などもしてゐたが、岡本と手を切つてのち、今では株屋の二号になつてゐる。谷村の散歩の道に住居があるので、時々立寄ることがあつた。五尺四寸五分とかの良く延びた豊艶な肉体美で、絵を書くよりもモデルの方が適役だと絵描き仲間に噂のあつた人である。
この人の立居振舞にはどことなく下卑た肉感がともなうので、素子は谷村が足繁く訪ふことに好感を持たなかつた。あなたもエロだわと、谷村をひやかしたり、嫌つたりしたのである。ところが、谷村はあべこべに、肉感を露骨にあらはしてゐる女であるから、藤子に気がおけず、のび〳〵と話ができるのであつた。谷村は男同志でも言へないやうな露骨な話を気楽に藤子に言ふことができた。藤子の立場も同様で、男女の垣にこだはる必要がなかつたのである。
藤子からきいた話に岡本の失恋談があつた。岡本のお弟子の一人に美貌の令嬢があつた。冷めたい感じの、しつかりした人であつたから、岡本も手をだしかねてゐた。ところがこの令嬢が婚約したといふ話をきいたとき、おまけに相手の男が三国一の聟がねで幸福な思ひで一ぱいらしいといふ註釈がついてゐるのに、岡本は急に思ひたつて口説きにでかけた。わざと無性髭をぼうぼうさせ、おまけに頭から顔の半分を繃帯でつゝんで、杖に縋つて呻きながら出かけて行つたさうである。そして令嬢に愛の告白をしたところが、令嬢はさすがにしつかりしてゐて、私は戯談がきらひでございます、お引とり下さいませ、とハッキリ言つたさうである。
岡本はその話を藤子に語つてきかせて、成功の見込みのないことが分つてゐたから、かへつてフラ〳〵口説く気になつたんだ、かういふ惨めな口説き方をしてみることに興味を感じたまでのことさ、と言つたさうだ。
岡本は性格破産者で、根柢的に破廉恥な人であつた。けれども谷村は世間的には最も指弾さるべき岡本の性癖に於て、却つて心を惹かれ、ゆるす気持が強かつた。たとへば傷もないのに顔中に繃帯をまき無性髭をはやして見込みのない令嬢を口説きにでかけるなどゝいふことが、善悪はともかく、生半可な色事師にはやる気にならない馬鹿らしさがあり、通俗ならぬ試みに好奇心を賭けてみる行動の独創性があるのであつた。ともかく、こゝらあたりは持つて生れた芸術家の魂で、汚らしくても、面白さがある、と谷村は思つてゐた。
この日の一万五千円の金談も、繃帯の訪問と同じことで、始めから仕組まれた芝居のやうに谷村には思はれた。
一万五千円といふ金額が抑々突飛きはまるものでこの金談のとゝのはぬことは岡本自身知りすぎてゐるにきまつてゐる。金の必要の理由に就ても、しどろもどろで、一向に実感がない。実感がこもつてゐるのは媚態だけであつた。
「ねえ、素子。先生の話はをかしいね。一万五千円の入用だなんて、作り話ぢやないかね。出来ない相談だといふことは分りきつてゐるぢやないか。然し、作り話だとしてみると、なぜこんな馬鹿らしいことをやる必要があるのだらう」
素子はそれに答へてきつぱりと言つた。
「あなたが先生をやりこめたからよ」
思ひがけない答であつた。
「なぜ? 僕が先生をやりこめたのが、なぜこの馬鹿げた金談の原因になるのかね」
「先生はいやがらせにいらしたのよ。復讐に、こまらしてやれといふ肚なのよ、あなたが先生にみぢめな恥辱をあたへたから、うんとみぢめなふりをして私たちを困らしてやるつもりなのでせう」
「そんなことが有り得るだらうか。第一、僕たちは一向に困りはしないぢやないか」
「でも、人の心理はさうなのよ。みぢめな恥辱を受けるでせう。その復讐には、立派な身分になつて見返してやるか、その見込みがなければ、うんとみぢめになつてみせて困らしてやれといふ気になるのよ。復讐のやけくそよ」
妙な理窟だが、一応筋は通つてゐた。さういふ心理も実際に有りうるに相違ない。
だが、岡本の場合、それが果して真実だらうか。先づ何よりも素子がそれを果して信じてゐるのだらうか。
素子は岡本の媚態を「みじめ」と言ふ。そして素子はみじめな男が何者に向つて話しかけてゐるか、話しかけられてゐる者が自分の中に棲むことを「今」は気付かぬのかも知れない。そしてたぶん今は気付かぬといふことが本当だらうと谷村は思つた。そして、今は気付かぬといふことの中に多くの秘密があることを見出したやうに思つた。
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近所に住む大学生で、谷村夫妻に絵を見てもらひにやつてくる男があつた。仁科と云つた。絵の才能はもとよりのこと、絵の趣味すらもない男だ。たゞ物好きがあるだけで、マッチのペーパーを集めるやうな物好きで、絵をかき、それを見せにくるのである。今では大学を卒業して、官庁の役人になつてゐた。
絵は下手くそだが、画論だけは一人前で、執念深く熱論にふけり谷村を悩ますのだが、例の物好きで手当り次第に画論だの美学の本を読み耽るから雑然として体系はないが谷村を悩ますためには充分であつた。
仁科は身だしなみがよかつた。ポマードも入手難の時世であつたが、彼の毛髪は手入れよく光つてゐたし、ネクタイから靴の爪先に至るまで、煙草ケース、ライター、時計、ペンシル、パイプ、こまかな一々の持物にも何国の何製だの何式だのと語らせれば一々数万語の説明が用意されてゐる。それに反して心象世界の風物には色盲であり、心の風も、雲も、霧も、さういふものには気もつかず、気にもかゝらず、まつたく手入れがとゞいてゐなかつた。
「君は何のために絵をかくのだらうね。仁科君。人が写真をうつすには、記念のために、といふやうな目的があるものだがね。そして、記念とか、思ひ出のためにといふことは、下手クソな絵を書くよりは充分意味のあることさ。ところが、君の絵ときては、記念のためでも思ひ出のためでもないことが明かなやうだが、違ふだらうか。そして、自然が在るよりも大いにより汚く、無慙きはまる虚妄の姿に描き上げてゐるのさ。これは君の美学では、どういふ風に説明するのかね」
谷村は仁科の顔を見るたびに、からかはないといふことはない。仁科は焦つてムキになつて画論をふりかざしてくるのであるが、谷村はまともに受け止めることがない。体をひらいて、横からひやかす戦法を用ひるのだつた。
「日本の諺に──諺だか何だか実は良く知らないのだがね、犬が西向きや尾は東、といふ名言があるぜ。君の美論にどれほどの真理がこもつてゐるか知らないけれど、この寸言はともかく盤石の真理ぢやないか。ところが君は、犬のシッポの先をちよつと西へ向けて、御覧の通り犬のシッポの先は東の方に向いてはゐないと言ひ張るのさ。君の画論の正体なるものは、ざッとかういふ性質のものではないかね」
谷村はこの種の論法に生来練達してゐた。仁科に対しては心に余裕があつたから、この論法は仁科の焦りにひきかへて辛辣さを増すばかりであつた。
谷村にやりこめられる仁科は、素子に媚びた。
仁科の媚態は、谷村の毒舌の結果の如くであつたから、谷村は多くのことを思はずに過してきたのである。岡本の媚態を見るに及んで、谷村には思ひ当ることがあつた。
仁科の媚態は岡本の如く卑しくはなかつた。仁科は弱点をさらけだしてはゐなかつた。身を投げだしてはゐなかつた。元来素子と仁科には十歳以上年齢のひらきがあるから、媚びることに一応の自然さがあつたのである。
精神的に遅鈍な仁科は本来肉感的な男であつた。彼の態度のあらゆるところに遅鈍な肉感が溢れてゐたから、特に一部をとりあげて注意を払つてみることを谷村は気付かずにゐた。仁科の媚態にも、岡本と同じものがあつた。それは素子の肉体に話しかけてゐることだ。岡本の媚態によつて、谷村はそれを発見した。
そのとき谷村は更に意外な発見をつけたした。それは蛙の正体に就てであつた。
谷村は思つた。この数年来、仁科に対して見せてゐる谷村の態度が、素子の反感をそだててゐたのではなかつたか、と。谷村は常に仁科をやりこめる。その作品を嘲笑する。みぢめな思ひをさせてゐる。そして怒らせて悦に入つてゐる。素子はその谷村にひそかな憤懣をよせてゐた。そして、やゝ似た事態が岡本の場合に起つたとき、岡本に仮託してかねての憤懣を吐きだしてゐるのではないかと。
かゝる憤懣をひそかに燃す素子は、いつか仁科を愛してゐるのであらうか、と谷村は思ふ。
素子は谷村を精いつぱい愛してをり、昔も今も変りはなかつた。変つたのは、年をとり、新鮮味が衰へて、愛情でなしにいたはりを、献身でなしに束縛を意識しがちであるといふことだけだつた。谷村は素子の魂の純潔を疑る思ひは微塵もなく、長い旅路の大きな感謝があるだけだつた。
あらゆる人々に夢がある。この現実は如何なる幸福をもつてしても満し得ず、そして夢は束縛の鎖をきつて常に無限の天地を駈け狂ふものであつた。それを許さずに、どうして人が生き得ようか。又、夢すらも持ち得ぬ人を、どうして愛しなつかしむことが出来ようか。人に魅力がありとすれば、その胸に知り得ぬひめごとが有るからであり、その胸に夢も秘密も失せ果てたとき、何人が無慙なむくろを愛し得べき筈があらうか。
然し、素子の夢とは? この現実の束縛を逃れて、素子は何を夢みてゐるのであらうか。夢の中に、仁科を思ふこともよい。然し、仁科の何を思ひ、何を夢みてゐるのであらうか。
谷村は二人の男の媚態に就て考へる。二人の男は、自分の知り得ぬ素子の心、ひめられた素子の夢の在り方に就て知り得てゐるのではないか、と。この現実では満し得ぬ素子の夢、そして、素子の満し得ぬ現実とは彼自らに外ならぬのだが、要するに素子の夢は彼に欠けた何かであり、素子の夢を知り得ない唯一の人は彼自らであるといふ突き放された現実を見出さゞるを得なかつた。
俺が死ぬ、すると素子はいつたいどこへ歩き去つてしまふのだらう? 谷村は常に最悪を考へた。そして、最悪以外に考へることができなかつた。谷村は死ぬ怖れに堪へ得なかつた。
考へすぎてはいけないのだ、と谷村は思ふ。このさゝやかな現実、さゝやかな生命に、精一ぱいのいたはりと愛情だけをそゝがなければ、と。
然し、谷村は熱烈な恋がしたいと思つた。肉体といふものゝない、たゞ精神があるだけの、そしてあらゆる火よりも強烈な、燃え狂ひ、燃え絶ゆるやうな激しい恋を。その恋とともに掻き消えてしまひたい、と谷村は思つた。
底本:「坂口安吾全集 04」筑摩書房
1998(平成10)年5月22日初版第1刷発行
底本の親本:「文藝春秋 第二四巻第七号」
1946(昭和21)年9月1日発行
初出:「文藝春秋 第二四巻第七号」
1946(昭和21)年9月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:深津辰男・美智子
2009年6月12日作成
2014年7月28日修正
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