天皇小論
坂口安吾
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日本は天皇によつて終戦の混乱から救はれたといふが常識であるが、之は嘘だ。日本人は内心厭なことでも大義名分らしきものがないと厭だと言へないところがあり、いはゞ大義名分といふものはさういふ意味で利用せられてきたのであるが、今度の戦争でも天皇の名によつて矛をすてたといふのは狡猾な表面にすぎず、なんとかうまく戦争をやめたいと内々誰しも考へてをり、政治家がそれを利用し、人民が又さらにそれを利用したゞけにすぎない。
日本人の生活に残存する封建的偽瞞は根強いもので、ともかく旧来の一切の権威に懐疑や否定を行ふことは重要でこの敗戦は絶好の機会であつたが、かういふ単純な偽瞞が尚無意識に持続せられるのみならず、社会主義政党が選挙戦術のために之を利用し天皇制を支持するに至つては、日本の悲劇、文化的貧困、これより大なるはない。
日本的知性の中から封建的偽瞞をとりさるためには天皇をたゞの天皇家になつて貰ふことがどうしても必要で、歴代の山陵や三種の神器なども科学の当然な検討の対象としてすべて神格をとり去ることが絶対的に必要だ。科学の前に公平な一人間となることが日本の歴史的発展のために必要欠くべからざることなのであり、科学の前に裸となりたゞの人間となつても、尚、日本人の生活に天皇制が必要であつたら、必要に応じた天皇制をつくるがよい。人間天皇は機関として存否を論ぜられるのは当然であるが、単純に政治的にのみ論ぜらるべきではなく、一応科学の前で裸の人間にした上で、更に宗教的な深さに戻つて考察せられることが必要だと思ふ。
人間から神を取り去ることはできない。そのやうな人間の立場をも否定しては政治は死ぬ。日本と天皇の関係が神の問題に相応するかどうかは今後の問題だが、一応天皇をたゞの人間に戻すことは現在の日本に於て絶対的に必要なことゝ信ずる。
底本:「坂口安吾全集 04」筑摩書房
1998(平成10)年5月22日初版第1刷発行
底本の親本:「文学時標 第九号」文学時標社
1946(昭和21)年6月1日発行
初出:「文学時標 第九号」文学時標社
1946(昭和21)年6月1日発行
入力:tatsuki
校正:富田倫生
2005年12月11日作成
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