わが血を追ふ人々
坂口安吾
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その一
渡辺小左衛門は鳥銃をぶらさげて冬山をのそ〳〵とぶらついてゐる男のことを考へると、ちようど蛇の嫌ひな者が蛇を見たときと同じ嫌悪を感じた。この男が鳥銃をぶらさげて歩くには理由があるので、人に怪しまれず毎日野山を歩き廻るには猟人の風をするに限る。この男は最近この村へ越してきて、それも渡辺小左衛門を頼つて、彼の地所を借りうけた。名目は小左衛門の小作であるが、畑などは耕さぬ。毎日鳥銃をぶらさげて諸々方々、天草一円から長崎島原にわたつて歩き廻り、どこに寝てゐるのやら、小屋はあるが、自分の小屋に眠ることなどはめつたにない。ところが一度、小左衛門はこの男の眠るところを見たのである。彼の嫌悪が決定的になつたのは、その時からのことであつた。
この男が水練が達者なぐらゐは驚くに当らぬが、この男は真冬の満潮の海を泳いで上つてきた。鉢巻をしめて頭上に松明をさしこみ、これに火をともして荒れ模様の夜の海を半刻あまりも泳いできたのである。神火が荒れ海に燃えてゐるといふので村の人々は驚愕して海辺に坐つて火を拝む始末であつたが、男は水中で松明を消して小左衛門の裏庭の浜へ上つてきた。こゝならば村の者には見つからない。あいにく小左衛門はたつた一人裏庭へでゝ神火を見てゐた。海から上つてくる男に向つて誰かと叫ぶと、あゝ、あんたか、と、男はすり切れたやうな声で答へたゞけだつた。さすがにこの男も冬の荒れ海の水練に疲労困憊してゐたのである。男は暫く汀にうづくまつてゐたが、やがて起き上つて腰に巻きつけてゐたヂシビリナ(鞭)をほどくと、力一ぱい自分の身体を殴りはじめた。散々に殴り、血にまみれ、喘ぎながら小左衛門の牛小屋に辿りつくと、へたばるやうにもぐりこんで藁をかぶつて寝てしまつた。
この男が何のためにこの島へきて小左衛門の地所を借りたか、だんだん意味が分つてきた。この男は、先づ一冊の本をたづさへてきたのである。この本は二十五年前上津浦に布教してゐたマヽコスといふ外人神父の書き残した予言書で、マヽコスは之を残して追放されたと言ふのであるが、五々の年、日域に善童が現れるであらう、善童は習はざる諸道に通達してゐる、東西の空が焼け、枯木に花が咲き、天地震動し、そのとき人々がクルス(十字架)をかゞげて野山をはせめぐり切支丹の世となるであらう、といふ意味のことが書いてある。
ちようどその年には東西の空が一時に焼けるといふ現象が起つて村人達を驚かし、又、源左衛門の庭の枯木の藤の木に花が咲き、それも以前は白の咲いた木であるのに紫の花が咲いた。又、外のところでは秋の季節に桜の花が咲いたし、温泉岳の麓であるから天地鳴動に不足はない。万事その年に行はれた不思議な事どもにかこつけたもので、善童とあるのは言ふまでもなく益田甚兵衛の子、ヒエロニモ四郎のことであつた。
男には五名の配下があつた。医者の森宗意軒、松右衛門、善右衛門、源右衛門、源左衛門で、いづれも六十前後の老人、天草の諸方に住む切支丹の世話役であつた。五名の老人はマヽコスの予言書を持ち廻つて四郎の奇蹟を宣伝しはじめたのである。
下津浦の浜では漁師が網をひくと貝殻が一つはいつてきた。貝殻の中には紙片があり、表に十字架が描かれ、裏には天の子四郎と書かれてゐた。
小左衛門が一番はつきりと忘れることが出来ないのは、この男が彼の地所を借りるために始めて訪ねてきた時のことで、そのとき男は呆れるぐらゐ陽気であつた。開放的で豪快で何一つ心に隠しておくことの出来ないお喋りといふ風であり、彼の経てきた色々の不思議なこと愉快なことを語つてきかせるのであるが、たつた一度ジロリとレシイナを見た男の眼を小左衛門は忘れることが出来ないのだ。レシイナは彼の妻でありヒエロニモ四郎の姉であつた。
その瞬時の眼は最も陰惨な心の窓だ。尊貴なる福音の使者たる人にこのやうな眼が有りうるものかと小左衛門は我目を疑る始末であつたが、思へば男の魂は二元で、この陰惨な眼が彼の偽らぬ本性である。この男は悪魔なのだ。彼は神の福音を説いてゐる。けれども、彼の魂は人間の沈み得るどん底に落ち、石よりも重く沈黙し、あらゆる物の破壊を待つてゐるだけだ。レシイナを見たこの男の眼は、幸福又は平和に対する敵意であつた。野卑や好色の翳がないのは、その魂が破壊といふ最後の崖しか見つめることがなくなつてゐる証拠であつた。
男の名は金鍔次兵衛の通り名で日本全土に知られてゐたが、その本名は誰も知らない。大村の生れで、父はレオ落合小左衛門、母はクラヽ、貧乏な武士で、両親共に殉教者であつたといふが、彼は少年時代から有馬の神学校で育ち、欧羅巴人と同じぐらゐラテン語を達者に話した。一六二二年、宗教的地位を得るためにマニラに渡り、二三年十一月二十六日管区長フライ・アロンゾ・メンチエダ神父によつて修道服を受け、ドン・フライ・ペトロ・デ・アルセによつて司祭に補せられた。教会に残る彼の名はフライ・トマス・デ・サン・アウグスチノ神父といふ。日本潜入を願ひでゝ、一六三〇年二月二日乗船、マリベレス島で難船したが助かり、日本逆潜入に成功した。
当時アウグスチノ会の代理管区長グチエレスは大村に入牢中であつたから、次兵衛は長崎奉行竹中采女の別当の中間に住込んで牢舎に通ひ、グチエレスの指図を受けて伝道に奔走したが、彼の名が知れ渡りお尋者になりながら、当の長崎奉行の別当の中間に身をやつしてゐるといふことは約二年間気付かれなかつた。露顕して大村の山中に逃げ込み、このとき次兵衛一人を捕へるために大村藩は十六歳以上六十歳まで領内の男子総動員、唐津藩や長崎奉行、佐賀藩などから応援をもとめて総勢は数万に達し、全員を以て山全体をとりまいて、一人一尺の間隔で山林から海岸まで一足づゝ追ひつめて行つた。夜になると各自立止つた地点を動かず篝をたいて不寝番を立て、三十五日を費して、遂に海まで突きぬけた。海上には数千の小舟を敷きつめて待ちぶせてゐたから漏れる隙間はなかつた筈だが、次兵衛の姿はなかつた。彼はすでに江戸へ逐電、信徒の旗本の手引で江戸城の大奥へまで乗込んで小姓の間を伝道して歩いてゐたが、江戸の生活が約二年、露顕の気配が近づくと風の如くに飄然長崎へ舞ひ戻つてきた。
彼は危急の迫るたびに刀の鍔に手を当てゝ祈念するので、刀の鍔に切支丹妖術の鍵が秘められてゐるのだらうと取沙汰せられて、金鍔次兵衛(又は次太夫)の渾名となつたが、多分彼の刀の鍔に十字架がはめこまれてゐたのであらうと今日想像せられてゐる。刀の鍔に十字架を用ひた例は切支丹遺物の中にも現存してゐる。カトリック教徒が胸に切る十字は、あれが多分後世忍術使ひの真言九字の原形であつたに相違ない。切支丹と言へばバテレンの妖術使ひと一口に言ふが、真に妖術使ひの足跡を正史にとゞめてゐる者は金鍔次兵衛の外にはない。
ポルトガルの商船はまた長崎に入港したが、乗員達はもはや上陸を許されず、早晩貿易禁止は必然で、日本潜入の神父も後を絶たうとし、信徒と教団の連絡は絶望的になつてゐた。潜入の神父はあらかた刑死し、フェレイラは棄教、残存するのは金鍔次兵衛ぐらゐのもので、あとは消息も分らない。
その年の長崎及びその近郊に行はれた降誕祭のミサは無茶苦茶だつた。信徒達は殺気立ち、捕吏が来たら捕へて殺してしまふ覚悟で、各々の秘密集会所で祈り泣き歌ひ、牛小屋を清めて水をはり、彼らはもう死の狂躁と遊んでゐた。それは神父金鍔次兵衛の指図であり、絶望と破壊の遊戯は彼の姿の影であつた。逃亡潜伏に熟達した次兵衛はとにかく、信徒達の狂躁が捕吏に分らぬ筈はない。彼によつて修道服を受けた数人を始め七百名余りの信徒達が一網打尽となり、刑場に送られて焼き殺されてしまつたが、次兵衛のみは風であつた。彼は天草へ舞ひ戻り、鳥銃をぶらさげて冬山の雑木林をぶら〳〵歩いてゐたのである。
あの男は平和な人々を破壊と死滅へ追ひ立てる気だ、と渡辺小左衛門は悟つた。彼は天草最大の富豪であり、和漢を始め洋学にも通じたディレッタントで引込思案の男であつたが、レシイナに向けられた陰惨な眼を思ひだすと渾身の勇気がわいてきた。それは彼が安穏を欲するからであつたけれども、又、レシイナを熱愛してゐたせゐだつた。あの陰惨な魂の破壊の影が自分とレシイナの平和にまで及ぶだらうと考へると、曾ては最大の敬意を以て迎へた神父であつたけれども、秘密に殺したくなつてきた。気違ひめ。俺は気違ひは嫌ひなのだ。そして天草の人間は、今はもう、一人残らずみんな気違ひにならうとしてゐる。あゝレシイナお前まで、お前はまさか弟の四郎が天人だと思ふ筈はないだらう。いゝえ、とレシイナは答へた。気の毒な農民達は畑の物を根こそぎ税に納めねばならず、食べる物もありませぬ。ゼスヽ様の御名を唱へても殺されます。世の中がこのまゝのやうで宜しい筈はございませぬ。あゝ、小左衛門は絶望した。だが、何といふ女であらうか。彼は異様に新鮮な色情すらも見たのであつた。全てが分らなくなつてきた。神とは何者であるか。四郎は何者であるか。そしてレシイナよ、お前まで俺の分らぬところへ飛び立つてしまひさうな気がする。
金鍔次兵衛は長崎の二官の店でヒエロニモ四郎に洗礼を授けた当の神父であつた。
四郎は八ツの年に二官の店に丁稚奉公にあがつたが、彼はいはゆる神童で、この界隈では四五歳の四郎の筆蹟を額におさめて珍蔵する家もすくなからぬ程だつた。
十三の年に独立して、二官の店の商品、舶来の小間物類を船につみこみ、京、大坂、江戸で売りさばくために父親の甚兵衛と共に出発したが用心棒といふ以外に父親の同伴の意味はなかつた。大人よりも利巧であつたし、商才に富んでゐた。
二官の義弟の陳景は長崎の市長であつたが、四郎は当然王侯たるべき人ではあるが、世を危くする気質まで蔵してゐる、と予言した。二官は四郎先生とよんで自慢のあまり過当に四郎を代理に立てゝ一人前に振舞はせて喜びまはつてゐたのであつたが、応対の礼儀などでも大人以上の落付と余裕があつたし、思慮分別にも富んでゐた。四周にたゞ賞讃の言葉だけしか聞き知ることのなかつた四郎は、何が賞讃の要件であるか、更に賞讃せられるために如何にすべきか、本能的に会得してをり、常に効果を測定してゐた。けれども彼は十三であり、そしてあらゆる少年よりも更に空想的な少年だつた。彼は自在の力を信じ、自己の万能を空想したが、常に賞讃にみたされた通路に狎れて、野放図な子供の空想がそつくり大人の現実的な野心と計画に育つてゐた。
元々大人の年齢は多くは蛇足で、経験といふ不手際なツギハギによつて、要するにその人間の器量に相応したツギの当て方をしてゐるといふだけのことだ。子供の着物はまだツギが当つてゐない。彼らは空想的で大人達が器量相応のこと以上に踏みだす力を失つてゐるのに、彼らは思ひのまゝの何事もできると考へてゐる。だから彼らは利巧のやうでも子供だと言はれ、まだツギの当らぬ着物が、要するに之からの一足毎に破れて、ツギハギだらけになつたときに一人前になるだらうと考へられてゐるのである。
けれども経験といふ不手際なツギハギが叡智の栄光でないことは大人達も認めてをり、彼らはツギの当らない着物の美しさを忘れてゐないばかりでなく、眩惑されたり、時に本能的な喝采を送りたがる愚昧な感動を忍ばせてゐる。それはもう愚昧の外の言葉はない。このツギハギを取り除けば大人は子供に附け加へた何の値打も持つてはをらず、分別の殻を負ふてゐるだけ始末の悪い気違ひだつた。彼らは間違ひを合理化し益々愚昧に落込むことを急ぐのだ。
すべてそれらの大人達の愚かさを四郎は別の角度から見抜いてゐた。彼らは正直で狡猾で一定の複雑な内容を持つてゐるが、発育の止つた身長と同じやうに全てがすでに限定せられて、要するに使役に馴らされてゐるといふことだつた。自分を常に大人達のその上に置いて、彼は絶対の王者を夢み、やがて確信しはじめた。
彼らが商品を船に積みこみ明朝出発するといふ前夜のことだが、その晩長崎の二官の店では四郎父子を主賓に小さな饗宴がひらかれてゐた。そのとき飄然訪れたのが金鍔次兵衛で、彼は江戸から逃げ戻つて、長崎の二官の店へ辿りついたところであつた。
逃亡と潜伏、死の戯れの半生に次兵衛の魂は孤絶したが、孤絶せる魂には死生も亦たゞ退屈にすぎず、魂の結び目をとく何物もなかつたけれども、たゞ人間の肉体、容貌の美といふことが異常な刺戟になるのであつた。彼は九ツのそして十のヒエロニモの目覚めるやうな可憐さを忘れる筈はなかつたが、今眼前に再会した十三のヒエロニモは処女よりも清く美姫よりもなまめかしく、そして全ての効果を意識した利巧さが娼婦の本能であることをどうして次兵衛が見逃さう。彼は美なる肉体の猟犬であり、悪魔の臭覚をもつてゐた。彼の魂は昏酔し、恍惚として肉体の上を遊楽した。孤絶せる魂に恋はない。毒血の麻薬的な明滅だつたが、この少年を自己の運命の圏外へ手放すことに異常な恐怖に襲はれた。
四郎はかゝる不自由な身動き、否、全然予期せざる身動きが自然に流れでゝ行くことを曾て記憶にとゞめてゐなかつた。それは娼婦がその正体を見抜いた人に接した時に自然に動く媚態であるといふことに気付く筈はなかつたが、彼はいくらか困惑し、意識の底では訝しげに眉をひそめてみるのであつたが、その顔色は益々冴えるばかりであつた。彼は次兵衛が怖かつた。そして次兵衛に傾倒した。
翌朝、次兵衛はまだ夜の明けぬうちに目が覚めた。朝ごとに訪れる怒りと悔恨が、その日は特別ひどかつた。彼は不快な夢を見た。夢の中では捕吏や役人と談合し、その歓心を得るために卑屈に振舞ひ、数々の卑劣なことをするのであつた。この安らかな蒲団の奴が、と彼は蒲団をはねのけて腰のヂシビリナ(鞭)を握りしめたが、わけの分らぬ絶望のために放心し、両手に顔を掩ふてゐた。まだ街はねむつてゐたが、二官の家では四郎父子の出発のために立働く音がしてゐる。彼らはこの蒲団を、そして寝室を、さらに広大にするために働いてゐるのであらう。あのヒエロニモまで。彼はなぜ京や大坂や江戸の町へ異国の小間物を商ひに行くか。次兵衛は唐突な怒りのために狂乱した。
彼は直ちに着物をつけて四郎の部屋をたゝき、彼をよびだして、まだ明けきらぬ丘へ登つた。
「ヒエロニモよ。お前は大坂や京や江戸の町へ、商ひのために首途につく。だが、ヒエロニモよ。よく考へてみるがよい。お前はなぜ商ひにでかけるのか。そのわけが分つてゐるかね。お前はお金をもうけるためか。さうして、そのお金で何をするつもりだらうか。さア、わたしに考へを語つてきかせてごらん」
「お父さんやお母さんを安楽にさせてあげるためです」
「そのお金でか!」
「いゝえ、神父さま、私はお金のことばかり考へてゐるわけではありません。霊のたすかりのことを第一に忘れてはをりませぬ。また、慈善の心も忘れてはをりませぬ。幸ひ多少の富ができたなら、父母と同じやうに、他の人々をも幸せにすることが出来るでせう」
「その考へは誰でも、当然さうでなければならないことだ。ヒエロニモよ。お前はこの世をどう考へてゐるか。切支丹の尊い教は邪教の人々によつて禁制せられてゐる。清い正しい奉教人がその清さ正しさのために捕へられて、見よ、あの殉教の丘で何人の人々がその血を流し、又、生きながら焼かれて死んだか。私たちが生きながらへて奉教人の道を失ふまいと思ふなら、私のやうに野に伏し山に寝て人目をくゞるか、さもなければ聖像を足にふみ不信を天主様に詫びながら悔恨の多い一生を辿らなければなるまい。このまゝで良いとお前は思ふか。このやうな汚れた世に、あくせくとお金をもうけ、そのお金で身の小さな安穏をはかり、それを孝養だの慈善だのと呼ぶことが怖しいとは思はぬか。それが天主様のお心にかなうことだとお前は考へてゐるのかね」
「神父さまのお言葉の意味が良く分りませぬ。教へて下さいませ。私はどうすればよろしいのですか。私は間違ひを改めます。天主様のお心にかなひ、神父さまのお心にかなう正しい道があるならば、私は必ずその道を歩きます」
「よし、よし。たゞ、それだけで良いのだ。お前は安心して江戸へ行つてくるが良い。商ひをしてくるがよい。だが、ヒエロニモよ。私の言葉、天主様のお心にかなう正しい道がたゞ一つあるといふことを忘れるな。やがてその道がお前の眼前にひらかれてくるだらう。それはな、世の中がこのまゝであつてはならぬといふことだ。旅にでゝ、異教徒どもの世の中、奉教人の許されぬ世の中が、どのやうな汚れにみちみちてゐるか、良く見てくるがよい。世の中がこのまゝであつてはならぬといふ御主の声がお前の耳にひゞくであらう。その日その時を忘れるな。そしてそれからお前が何を考へるか、お前の口からきく日まで、私はそなたの旅の帰りを何よりの楽しみに待ちかねてゐよう。さア、人々が待つてゐる。お前はでかけて来るがよい」
次兵衛の胸ははれてゐた。彼は美しい少年を見てゐるうちは安心しきつてゐられたし、やがては彼のもとに戻り、同じ運命を辿るであらうといふことを信じることもできるのだ。夜明けの冷めたさが彼の壮烈な活動力を気持よくなでゝゐた。するともはや彼は瞬時もとゞまりがたい活気のために幸福でいつぱいだつた。この町、あの村に残して行つた信徒たち。もし彼らが殉教をまぬかれて生きてゐたら、苦しみを分ち、新しい勇気を与へるために、次兵衛は希望の豊かさに満足した。彼の三十四の肉体は流浪の生活に衰へを見せぬばかりか、その感情は二十の若さから全く老けてゐなかつた。あゝ、二年ぶりで見るなつかしい港、四郎に別れて丘の藪をかきわけながら、口笛を吹き、枯れそめた木々に呼びかけてゐた。金鍔次兵衛神父様の御帰還だ。さア、新しい闘争が、この丘で、また、始まるぜ。忘れ得ぬ捕吏の顔まで、友達のやうに思はれるのだ。
一年の歳月が流れ、再び秋が訪れて、商品を売りつくした四郎父子はやうやく帰途についてゐた。
異郷の空で日毎に見知らぬ顧客に対して、歓心をひき、計算し、秘密な心理の勝敗を意識しつゞけた四郎は、急速に特異な発育をつゞけてゐた。医者が患者を見るときの物質的な冷めたさが、人に対する彼の心の底面積になつてゐた。それが全て人々の賞讃から得た果実であり、人の世の平凡、常識、低俗に、虚無的な退屈を負ふた。すでに彼は十四にして断崖に孤絶し、足もとの奈落を冷然と見て、遠いふるさとに呼びかけてゐた。絶対の王者。呼べばすでに答へがきこえる。彼は聖処女の山師であつた。
彼らは大垣の宿をでゝ、南宮山を眺めながら関ヶ原を歩いてゐた。たゞこの古戦場を見るために帰りの旅に陸路を選んだ甚兵衛は感無量であつた。小西行長の祐筆の家に生れた彼は幼少のため関ヶ原の合戦に参加せず、故郷の宇土で主家の没落を迎へた。出発前に軍記をあさつて関ヶ原の地形だけは心に控えた甚兵衛だつたが、似た山ばかりで、どれが主家の陣地を構へた天満山やら、それすらもしかと分らない。たゞ伊吹山は静寂な姿を横へ、敗残の身を山中にさまよふドン・アゴスチノ行長を思へば千丈の嗟嘆あるのみ、踏む足毎にはらからの白骨に当る思ひであつた。
「この草も、木も、屍に生えたものなんだな。四郎よ。強者共の鯨波の声、馬蹄のひゞき、剣の触れ合ふ音までが、きこえるやうな気がするわい。思へば無念なことだ。ドン・アゴスチノ様がお勝ちになつてゐたならばな」
「さうすれば、三ツのルシヤも、四ツのマキゼンシヤも火に焼かれては死にますまい」
「なに?」
四郎の眼はうるみの深い熱気によつて燃えてゐた。その唇は無限の訴へにふるへ、祈る眼で父を見つめた。
「出発の朝パードレ様の仰有せられたお言葉が耳にきこえてゐます。私たちは勝たなければなりませぬ。異教徒どもを亡ぼさなければなりませぬ。江戸の街で人々が噂してゐました。将軍家光は癩病で狂ひ死に死にました。けれども諸国の大名が反乱を起す気配があるので、生きたふりをさせておかねばならないのだと言つてゐます。いつ反乱が起るだらうかといふことは、宿場々々で、必ず五人や十人の人々が噂してゐるではありませんか。もし諸国の切支丹が力を合せて反乱するなら、異教徒の大名どもまで騒ぎ立ち、悪魔の将軍は亡びます。そのとき諸国の切支丹が聯合して異教徒の大名どもを屈服せしめ、そしてもし切支丹の将軍ができるなら」
四郎の眼にはすでに王者の確信があつた。ふるさとの答へる声がきこえてゐる。絶対の王者。その威圧に圧倒せられた最初の人は、父親甚兵衛であつた。
甚兵衛父子が大矢野島へ戻つたのは、冬の始めの降誕祭に近い頃だつた。八ツの年に神童の名を残したまゝ長崎の二官の店へ去つた四郎が六年ぶりでふるさとへ戻り、その聡明な商法によつて巨大な富を得てきたといふ風聞は島民たちの人気をわきたゝせた。けれども、実際に四郎の美貌や綽々たる態度に接した人々は、風聞の上に確信を添へて、無いことまでも誇大に断言するのであつた。そして、四郎の顔がサンタ・マリヤに似てゐると気付いたときには、四郎の通る道ばたに土下座して拝むことを誇りとする女達まで現れてゐた。
サンタ・マリヤ。それは日本の切支丹のふるさとであつた。切支丹の荒武者達は胸にマリヤの絵姿を秘めて戦場を走つてゐたし、ミサの讃美歌に恍惚と泣く大衆達はマリヤの顔に更に愁ひを清めるのだ。それは永遠のあこがれであつた。維新の折、キリスト教が復活して長崎の大浦に天主堂が許されたとき、三百年の潜伏信仰をつゞけてきた浦上の信徒達がひそかに教会を訪れて、プチジャン神父に最初に尋ねた言葉は「サンタ・マリヤ様はどこ?」といふ問ひであつたと記録せられてゐる。神父が彼等をマリヤの像の前へ案内すると、さう、ほんとうにサンタ・マリヤ様、御腕にゼスス様を抱いてゐらつしやる、と叫んで跪いてしまつたといふ。彼らの祈りの対象はマリヤ観音であり、それが切支丹大衆の心の在りかであつたのだ。サンタ・マリヤの顔は東洋的な哀愁を宿し、日本のどこかにいつかしら見かけた思ひが誰しもの心に必ず起る顔であつたし、伏し目の忍従と清浄は日本婦道の神秘自体にも外ならない。四郎の顔はサンタ・マリヤに似てゐた。
金鍔次兵衛が飄然大矢野島へ現れて、渡辺小左衛門の地所を借りたのは、その時だ。獣の皮のチョッキを着て鳥銃をぶらさげ、五尺に足らない小男のくせに、ひどく大きな声だつた。
四郎と共に、否、かの妖美なる姿態と共に同じ運命を辿ることは彼の願望であつたけれども、彼の真実の願望と余りにも同じことが起つたので、重い地底にどろ〳〵した彼の陰鬱な毒血の中から眠りかけてゐた希望や諧謔的なキャプリスまで身を起してきた。
まだ長崎の港には、ともかくポルトガル商船が入港だけは許されてをり、マカオやマニラの教団と彼らを結ぶかすかな糸がともかく残つてゐるのであつた。この船も早晩入港を禁止せられるに相違ない。時は今。そして、それが、最後のそして唯一の時機だ。サンタ・マリヤに似た四郎の美貌を利用して天草全島の信徒達を煽動する、一方長崎と島原半島の信徒達に働きかけて同時に反乱を起すなら、九州各地の切支丹武士が合流するに相違ない。有馬、黒田、大村、宗など幕府に迎合して棄教はしたが曾てはいづれも有力な切支丹の保護者であつたし、細川はガラシャ夫人の昔には信者ではなかつたけれども同情者ではあつた。切支丹ならざる諸侯の家臣にも切支丹武士は多かつたから、彼らに合流の機会を与へれば全九州の反乱、占領、平定、統治は決して架空の業ではない。反乱は日本全土に波及して幕府は倒れ諸侯は各々勢力を争ひ混乱の嵐は吹きまくるが、九州を平定した切支丹は諸国に散在する信徒達に働きかけてその統一を次第にひろげて行くのである。ポルトガルやイスパニヤの商船がマカオやマニラから援軍と武器をもたらして陸続到着するのがその時だ。背後の海に強力な補給をひかへて九州はもう微動もなく、切支丹の勢力は日本全土の統一によつて完成するに至るであらう。それが次兵衛の見込であつた。なつかしいマニラの街が目に見える。海一杯に日本へ走るマニラの商船の帆の雲が見え、あの神父、あの船乗の陽気な顔まで見えるのだつた。走れ。帆よ。彼は夢に叫んでゐた。
彼の睡りに必要な牛小屋や納屋はどこにもあつた。彼は熊の胴皮を着て鳥銃をぶらさげ、あらゆる場所に現れてゐた。呼びかけ、そして、さゝやいてゐた。小さな然し逞しい彼の身体は疲れを知らない弾力性の鞠であつたが、彼の孤独な魂は、然し、時々、わけの分らぬ発作のために悶絶した。何者に向けるか分らない不思議な憎しみが起るのだつた。あらゆる者を憎んでゐた。そして、自らの魂すらも憎しみによつて刺殺した。劇烈な疲れが涯の知れない遠い厚さで四辺をとつぷり包んでゐた。
彼はレシイナを思ひだし、そして、その名を呼んでゐた。ふと気がついて飛び上るほど混乱したが、彼の魂は血に飢えた。彼は渡辺小左衛門を本能的に憎悪した。果してそれは恋であつたか? 彼はたゞレシイナの肉体を想像し、それがある人の自由のまゝであることを考へると、気が遠くなり、彼の感官は分離して、四方八方の予期せざる箇所に苦痛な不安がはゞたくのだつた。彼はひどくボンヤリし、呻き声をだすのであつた。みんな死ぬ、みんな死ぬ、彼の重い魂が呟いてゐた。
その呟きの声が渡辺小左衛門の耳にきこえてくるのであつた。あの男はあらゆる平和な人々をみんな殺してしまふのだ。間違ひもなくそれを彼が直覚してゐた。野も山も、人も木も、静かな小さな島よ。どうなるのだらう。神とは何者であるか。そして、四郎は神の子であるか。あゝレシイナ、お前だけは私のそばから離れてくれるな。彼は気違ひになりさうだつた。
底本:「坂口安吾全集 04」筑摩書房
1998(平成10)年5月22日初版第1刷発行
底本の親本:「近代文学 第一巻第一号」
1946(昭和21)年1月10日発行
初出:「近代文学 第一巻第一号」
1946(昭和21)年1月10日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
2006年11月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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