後記〔『道鏡』〕
坂口安吾
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道鏡といふ題名はよくなかつた。この小説の主人公はむしろ孝謙天皇だ。三人の女主人に維持された天皇家といふ家族政府の独自な性格、家をまもるに鬼の如くに執念の深い女主人の意志によつて育てられ、その意志の精霊の如くに結実した聖武天皇とその皇后と、そして更にそこから生れた孝謙天皇。私にとつてこの小説を書かしめる魅力となつた最大なものは、この女帝だ。
それを私が「道鏡」と題したのは、ジャーナリズムに媚びたので、いはば商品としての題名、私はいささかサモしい魂胆であつたに相違ない。最も題などアレコレ考へるのは、もう面倒だつた。私は昔から題に就てあれこれ悩むのは嫌ひで、題などは、文学自体と何のかかはりもないのだから、作家は小説を書けばよいので、題はなんでも構はない。私の小説は題なしに雑誌社に渡すことが多く、何でも勝手につけてくれ、といふ主義だが、まつたく編輯者のつける題の方が、私の題よりも気がきいてゐる場合の方が多いのである。
小説の題なんて、なんでもいいのだ。
然し、「道鏡」といふ小説の場合は違ふ。明確に主点のおかれた対象がハッキリしてゐるのだから、信長といふ題で秀吉の小説を書いたらをかしいと同じ間違ひを私はやらかしてしまつたのである。この小説の題名は孝謙天皇でなければならぬ。あるひは、女帝時代、家をまもる虫の如き女主人の執拗な意志、その最後の結実としての女帝、さういふものを意味した題名でなければならなかつた。
女帝と道鏡の関係に於ても、私が主として狙つてゐるのは、女帝のかかる独自な性格が創りだす恋愛、その独自な心情によつて選ばれた男が道鏡であつたといふことで、主点はやつぱり女帝にある。
だから私は、今、この小説集をだすに当つて、よつぽど小説の題名を変へようかと思つた。けれども、この小説の題名が短篇集の題名でもあるのだから、商品としての題名といふ考へから、もとのままの「道鏡」にきめた。題だけ変へて、別な作品のやうに売りだしたなどと思はれても、こまる。然し、作家の良心から云へば、この題は変へるのが本当だつたのだから一言、おことわりしておく次第である。
終戦後の作品以外のものは、私が三十歳前後に「作品」といふ雑誌に書いたもので、いままで、ある事情から単行本にすることのなかつたものだ。私にとつては、あのころは忘れられない時代であつた。
あの頃は大森のアパートの一室に、息をこらすやうにして棲んでゐた。あのころ、あの一室で私の頭に燃焼させてゐたドロドロした想念、観念、まるでとりとめのない明滅のなかで私はそのどろどろの理念観念にしめ殺されさうで、それがやがて、そのコントンの星雲やうのものから、ともかく一つの体系を形づくるやうになつて今日の私が生れてきた。
あのどろどろの星雲やうなものから、ともかくあの頃は苦渋にみちた、何か、贋物の文字の塔をきづきあげて、私はその虚しさを呪ひつづけてゐたものだ。それが、これらの作品なのだ。これらの小説は、つくりもの、贋物であるのだらうか。私には分らない。ともかく、しかし、あのどろどろの星雲やうの体系以前の乱雑混濁からの、ゆがんだシボリカスであつたのだ。
文学としての愛着でなしに、私の流された血の一滴として、私には、せつなく、なつかしい小説であるが、然し、見るのも、いやなのだ。私は目をつぶつて読まずにゐたい。ただ私の汚らしい血のシミにすぎないやうな気がする。
底本:「坂口安吾全集 05」筑摩書房
1998(平成10)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「道鏡」八雲書店
1947(昭和22)年10月25日
初出:「道鏡」八雲書店
1947(昭和22)年10月25日
入力:tatsuki
校正:noriko saito
2009年1月19日作成
2016年4月15日修正
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