序〔『逃げたい心』〕
坂口安吾
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「海の霧」は私が始めて職業雑誌といふものへ書いた、つまり原稿料といふものを貰つた最初の作品で、昭和六年夏、私は二十六であつた。まるで私の身辺小説、何か愛人があつてその人との何かのやうな書き方であるが、全然ウソ、私小説ではない。
このときの文藝春秋は新人号といふので、井伏鱒二その他数名の執筆がすでに定まつてゐたのを、急に私が一枚加はつた。私は同人雑誌に短篇三つ発表したばかり、それをみとめられて俄に一枚加へられたものだから、原稿を頼まれたとき、締切までに五日間といふ急場であつた。
「蝉」「小さな部屋」「逃げたい心」は文藝春秋、その他は主として「作品」に、それからの三四年間、つまり私が三十ぐらゐまでのうちにそれぞれ発表したものであるが、一見いづれも私小説、すくなくとも私自身の私生活の何かしらを土台に構想されてゐるやうな書き方の作品ばかりだけれども、いづれも実生活に縁がなく、私小説は一つもない。
「麓」は長篇の書きだしだ。これは「桜」といふ同人雑誌に連載しはじめたが、私は二号までゞ脱退したので、宙ブラリンで終つてしまつた。この「桜」といふ雑誌に就ては、女の事情で、なるべく当時のすべてを忘れたい願ひがつきまとつてゐるものだから、この長篇の続篇も、忘れるやうに、私はまつたく、「桜」といふ雑誌の名を思ひだしても苦痛なのだから、続篇は書く気持がなくなるやうに宿命づけられてしまつた。あのとき麓を完成することができてゐたら、私の青年期にも、ともかく一つ本当の私の足跡らしいものを残すことができたであらうものを、私生活にたゞ単調な読書と思索しか持たなかつた私は、私自身の姿を老幼男女様々な人物のその組合せ関係の大きなロマンによつてしか表現し得なかつたに相違なく、私は短篇は書けなかつた。私の当時の短篇は、観念を消化しきれず、観念にひきづりまはされ、限定されてゐるのだ。
当時私のこれらの短篇小説が一貫してシャニムニ追ひもとめ、くひさがつてゐることは、孤独といふこと、虚無といふこと、そして淫楽に対する絶望だ。すべての作品が最後にもらしてゐる呟きは、すべてたゞ、孤独、人間は最後にそれ以外の何ものでもないといふ一語につきる。どういふ角度やコースで出発しても、いつも最後は同じ穴へはまつてしまふ。
まつたく私は短篇など書くべきではなかつた。私がもしロマンに専心し、それによつて生活を保証されうる立場にあつたら、私はもつとマシな作品を残すこともでき、又、生長することもできた筈であつたと思ふ。
日本文学を支配する雑誌システム、短篇システムといふものは、日本文学を私小説化し、生長をゆがめ、思想の幅を限定してゐる。私が売文生活十五年もかゝつて、何を修業したかと云へば、思想の生長といふことよりも、実に、短篇によつても真実を語りうるといふ技術を習得したにすぎぬ。まことに、みじめ、悲惨な修業であつた。
読者はこの一冊に、私の埒もない虚しい修業の跡を見られるだらう。ゆがむために苦労してゐる不自然きはまる習作だ。そしてもし「麓」が完成してゐたら、ともかく、と思はれはしないであらうか。虚しく悲しい十五年。埒もない夢のあとだつた。
底本:「坂口安吾全集 05」筑摩書房
1998(平成10)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「逃げたい心」銀座出版社
1947(昭和22)年4月20日発行
初出:「逃げたい心」銀座出版社
1947(昭和22)年4月20日発行
入力:tatsuki
校正:藤原朔也
2008年4月15日作成
2016年4月15日修正
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