淪落の青春
坂口安吾
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石塚貞吉が兵隊から帰ってきたころは、日本はまったく変っていた。彼の兵隊生活は捕虜時代も数えて八年にわたり、ソ満国境から北支、南支、仏印、フィリッピン、ビルマ、戦争らしい戦争はビルマだけ、こゝではひどい敗戦で逃げまわっているうちに終戦、捕虜になった。彼が故国へ帰ってきたのは、終戦後一年半も後のことで、おぼろげながら故国の様子も伝わっており、別に感動もなく引揚船から日本本土へ、東京を廻って、故郷の山国へ帰ってきた。
実際彼がふるさとへ帰ってきて、先ず戦争はどうだった、そう質問を受けて答えた言葉は、腹がへった、ということだけで、まったく外に感想がない状態だった。
生き残った僅かばかりの同僚の中にも、祖国の土をふんで感奮する者もあり、再び見る祖国を涙の目で望んで、拾ってきた命だから、これからは新しい日本の捨石になって小さな理想の実現に命を打ちこむのだ、などゝ亢奮している男もないではなかった。女房子供と小さく安穏に暮すだけでたくさんだ、たゞ腹いっぱい食べたい、というのもあるし、約束した娘はどうしたやら、もうお婆さんになっているだろうな、と憂い顔なのもいた。まったく浦島のようなものだ。
人々は何がなし故国に期待はあるのである。そういうなかで、貞吉だけは、まったく期待がないようなものだった。彼はビルマに少しばかり仲良くなりかけた娘がいて、前線へ出動してのち別れたまゝになっているが、いっそあの土地であの娘と土人の生活が許されるならオレはむしろそれを選ぶ、別に特別の愛着があるでもないが、そんなことを収容所にいて思いめぐらしていた。
彼の生家は田舎の旧家で、兄が三人おり、下には母の違う妹が一人居る。貞吉の実母が死んで、新しくきた人は、四人の男兄弟のうち貞吉だけを可愛がった。三人の兄たちはすでに物心ついた年齢だから自然うちとけにくいところがあり、したがって、そのとき、まだ三つの貞吉だけがママ母になついたからであろうが、そういうわけで長じてからは三人の兄から何かにつけて除け者にされ、中学生のとき、父もママ母も死んでからは、彼にとっては面白くもない家だった。
高等学校へ入学した年、夏の帰省に女中と関係ができたのを兄たちに叱責されてからは、学校も面白くなくなり、遊び怠けて落第して、そのとき長兄のすゝめるまゝに退学して、地方都市の兄が大株主の会社で働いているうちに、兵隊に合格、すぐソ満国境へ送られた。彼は別れる故郷の土にいさゝかもミレンがなく、兵隊がひらかれる新天地のように思われたほどであった。
車窓から眺めてきた都市の焼跡にくらべれば、ふるさとの山河は昔のまゝであったが、住民たちは変り果てゝいた。
このあたりでは、旧家の息子が女中に手をだすようなことは、ありふれたことであった。この山間の農地は、農家の娘は晩婚で、二十六七が婚期で、たいがい一度は女工にでたり、都会へ女中奉公にでてきたりする。そういう娘たちに処女はなく、夜這い、密会、青年会と処女会の聯合の集りとなると相手をもとめる機会のような公然たる性格をもっていたが、高等学校の夏休みに帰省したとき、お園という美しい女中がいたのを、貞吉がまださのみ食指をうごかさぬうちに、青年会の集りに村の同窓の誰彼から、みんな狙っていて物にした者がない娘だから手をつけないでくれや、などと言われた。
然し、関係ができて、兄に叱責され、村の噂になって隠れるようにしているとき、村の若者どもは案外淡泊で、それはまア仕方がないようなものだ、と言って、ウマクやりやがった、などと不良に背中をぶたれるような親愛を受けたような有様であった。
元々そういう土地柄であるが、然し昔は村の男女の交際は密通であり、表向きではなかった。
貞吉が村へ戻ってまもなく、こんな山奥へ軽演劇、軽音楽団というのが、かゝった。これを村の小学校の講堂でやるのである。
ハネて帰ろうとすると、ツレの三好光平という疎開者が、これから青年会と処女会の連中がジャズバンドをかりてダンス・パーテーをやるそうだから見物しよう、という。
年寄子供連の帰ったあとで、またゝくうちに客席を片づけてダンスホールに一変した。村の娘という娘がみんなパーマネントをかけて頬紅口紅、アイシャドウ、毒々しいまでにメイキアップをして、中には着物を洋装に着代え靴まではきかえて出てくるのがある。
若い男は大半背広に、頭にポマードを壁のように光らせて、云い合したように頸にマフラーをまいている。
劇団の女優や踊り子たちが、疲れていますからお先に失礼と若い団員にまもられて帰って行くのを、村の青年たちは、ヨウ色男、うまくやってやがんナ、喚声をあげて窓から見送る、娘たちまで、ワーイ、おたのしみ、チェッ、やかせやがら、戦争中軍需工場でみんな半可通の都会ぶりを身につけている。
ジャズバンドと一緒に劇団の団長夫婦が居残って、苦々しげにダンスパーテーを見ていたが、
「どこの村もこんなものですか」
貞吉が話しかけると、昔はケンカで売ったような、五十がらみの六尺ちかい精悍な団長が意外に恐縮して、
「いや、どうも、御時世です。ところによって違いがありますが、まア、だいたいは、こんなものですなア。平地の方じゃ普通ですが、山地では、こゝは珍しい方でしょうな。私ども元々春から秋までは在方の百姓ですが、然し、この一座を組織してから、私が二代目の団長で、かれこれ三十年ちかくなります。昔は私どもが農村のヤクザのように言われたものですが、今では、私どもが一番の昔者でして、私どもは親きょうだい、いとこ、たいがい親類同志みたいなもので、それぞれ団員同志結婚したりイイナズケがきまっておりますから、まるで、もう、御時世に合わなくなってしまいましたよ。この節では、在所の顔役よりも、青年会のあたりまえの連中がインネンをつけにやってきますな。それでも、こうして、娘の相手に不自由がないせいで、私共も商売安全というものでさ」
貞吉も、もう二十九であった。青年たちは二十五六が大将株で、十七八の小倅まで、背広にクワエ煙草というアンチャンの方式通りの姿であった。
貞吉は失われた年齢を考えた。然し、特別に悔いのある年齢でもなかった。サルウィン河の河の色を思い出す。密林の息たえそうな孤独を考える。あの熱帯の濃厚な色調にはいつも自分をつゝんでくれていた懐しい情慾があったような気がする。まだ雪は降らないが、もう年も暮れようとする山国は寒々とうらがなしい。若者たちの狂躁は雑然騒然、体をなしていないが、まったく、熱帯の密林よりも原始的に見えてくるのは、なぜだろう。
サルウィン河を渉る兵隊たちには、九州の床屋もいたし、名古屋の坊主もいた。北海道の百姓もいたし、伊勢の客引きもいた。職工も土方もバクチ打もいたのだ。この村の若者も北京に暮し、広東で鶏を盗み、アンコールワットを見物し、まったく村の生活のスケールをはみだして暮してきたに相違ない。女どもだってそうなんだ。名古屋の軍需会社の庭土の上へ伏せて、自分の隣の女工までは吹きとばされたりハラワタが飛び出ていたりした。同じ会社の社員と熱海へアイビキに行ってきたのもいるし、待合で芸者の代りに課長を接待し、いつも絹布のフトンにねむったわよ、という娘もいた。
山河は昔ながらでも、若者たちは雑然と体をなさゞる何物かであるという外に、何物でもない、というのが当然に思われる。然し、村の小学校の講堂で、ともかくジャズバンドの演奏につれて芋を洗うように組つき合ってゴロゴロのたくりまわっている男女たちは、まるで土の中の野菜が夜陰に一堂に会して野合にふけっているような感じであった。
兵隊と戦争、貞吉の見て生きてきた戦争の風景や生態も原始そのものゝ感じであったが、然し、戦争と兵隊もこれほどまでに原始的であったことはない。貞吉もサルウィン河のほとりで土民の娘にたわむれて来たが、そして、そこにはジャズバンドも、電燈すらも、女には紅も着物すらもなかったが、動物や野菜の野合よりもチョット人間的な、小さな虚無と詩があったような気がする。
然し、貞吉は野菜の組うちを憎む気持はない。反撥も怒りもない。すこし、同化しにくゝ、むずかゆいような気がしたが、百姓だの八百屋だの郵便配達だの坊主だの女工だの、小さな自分の生活範囲、二里四方ぐらいの空間に限られた世間の外には考える生活もなかった人々が、自分の意志とは関係なしに北京だの上海だのマニラだのシンガポールという人種の違う国へでかけて、勤労とか経済とか生計という当然の生活通念もなしに漫遊旅行をしてきた。そういう洋行帰りというものが、こんな風になるのも別におかしくはない。そうして、洋行さきのどこにも無かった形のものが、キノコみたいに、珍妙な恰好でこんなところへ出来上ったというのだろうか。まったくこんなキノコは貞吉の洋行さきのどこにもなかった。そのバカバカしさは彼を愉快、陽気にさせる性質のものだった。
「あ、おい、君、ちょっと。オレと踊ろうや」
と貞吉は一人の女を呼びとめた。
この娘はさっきからチョイ〳〵貞吉を意識して、彼にチラチラ視線を向けていた。体格がよくて、肉の厚いサシミみたいな胸のもりあがった娘であるが、シャクレた生意気な顔付で、男をみるとき動物みたいな険しい目をした。二三年間ぐらいは都会で生意気な生活をしてきたような感じであった。
娘は待っていましたと言わぬばかりにうなずいた。腕をくむとワキガの匂いがプンと鼻をつく。汗ばんでいるのだ。
「君は戦争中は東京の工場へ徴用されていたな。当ったろう」
女は首を横にふった。
「戦争が終ってから一年ぐらい行ってたのよ。それまでは田舎の工場で働かされていたの。戻らなきゃよかった。又、東京へ行きたいのよ」
「行けばいゝじゃないか」
「当がないもの」
「東京の何がたのしかった?」
女はそれに返事をしなかったが、
「あんた、いずれ東京へ行くでしょう」
「どうだか。オレこそ何一つ当がない。何をすりゃいゝんだか、分りゃしない」
女は貞吉の気持なぞには取り合わず、
「あんた上京するとき、誘ってね」
そしてウインクした。
村のマフラーのアンチャンが別の女と踊りながら、「今度な」と女の肩をたゝいたから、貞吉はそれで別れて帰ったが、帰るときも、マフラーの男の胸の中からウインクして、手をふって合図をした。
この山奥の娘が! ウインクという奴は日本はおろか東洋の性格にもないけれども、これをこの山奥の日本娘が突然やっても、ともかく板についている。シンガポールのパンパンやサルウィン河の娘がやっても板につくに相違なく、これはつまり国籍に属するものじゃなくて女の淫蕩と獣血に属するものなのだろう。
東洋を股にかけて人種の間をうろついてきた貞吉は思えば異常という感なしに、素直に受けいれられぬ風物であった。まったくそれは風物だ。戦争と兵隊がそもそも風物で、貞吉はその戦争と兵隊の時間のうちに、古さとすべて過去というものを、みんなを忘れてきたような気持であった。
彼はさっそく明日からあのチンピラを呼びだしてアイビキしたいと考えたが、住所も名前もきゝ忘れた。仕方がないから、それを突きとめるのを明日からの日課にしてやろう。差当ってそんなことをする外には、これと云って何をする目当もなかった。
長兄の正一郎が戸主であるが、この男は昔から兄弟の情などなくて、物質万能の生れつき。田舎の旧家の長男にはこんなのがタクサンあり、生れながらの金庫の番人というような性格で、自然にそうなるものらしい。二男三男などゝいうものは、コクツブシみたいなもの、いくらかでも分禄しなければならないだけ家産の敵みたいなもので、戦国時代と違って矢を三本合せる必要はないから、邪魔になるばかりである。
貞吉はそういうことは出征前から心得ていたから、生きて還ったところで、歓待を受ける筈はない。生きて還るとは、おはずかしい。まことにテレクサイ思いで借金の言い訳に来たようにして生家へ戻ってきたから、万事案の定という奴で、いさゝかも驚かない。追いだされるまで居る気なのだ。それだけのことだ。
けれども伏兵がひとりいた。これは二番目の兄で幸蔵というのだが、満洲から妻子六人ひきつれて、ころがりこんだ。無一物、家どころか、フトンもない。引揚げて生家へころがりこむのは自然であるが、正一郎の考えでは自然ではない。かりにも分家分禄したのだから、生家というものは、もはや特別の何物でもない。分家というものは死んでも生家の墓へは入れぬ。つまり独立した別の一家であるからで、分家には分家の墓を起さなければならないように、わが住む家を失ったから、生家へもどるという性質のものではない。
おまけに妻子六名もつき従っており、これがみんな栄養失調の気味で、やたらに食い倒す。もちろん別々の配給生活にして、大根一本やらないけれども、同じ屋根の下にいるから、子供たちは、こっちの物を盗み食いする。野良犬、野良猫と変りはない。それを人間の子供のように待遇するのは、まことに不快な問題である。
住む家はなくとも甲斐性ある引揚者は戦災学校の窓のないコンクリートにむしろを敷いて雄々しくやっているではないか。それだけの甲斐性もないオヤジの子供だから、盗みをする。どうせ盗癖のある子なら、大阪にはスリの学校というのがあるそうだから、そこで修業させて、親を養わせるがよい。
正一郎という立派に経済科出身の学士が、誇張じゃなしに、こういう思いきったことを言う。シャイロックぐらいに思いきって徹すると、愛嬌のあるところもあり、モヤのかゝったところがないせいか、不潔でないような受けいれ方ができる。
とうとう幸蔵親子七人を土蔵へ閉じこめてしまった。土蔵も二つあるが、幸蔵の住宅になった方は破れて使い物にならなくなった方で、石ウスだの一斗釜だのという置き場にこまる邪魔物の外は置いてない。畳も敷いてないところへ追いやって、内部を住宅向きにフシンしたけりゃ自分の金でやれという。幸蔵は文なしだから、土蔵の中で動物園の動物程度の生活をしている。
この幸蔵が貞吉の生還を喜ばないのである。貞吉というヤッカイ者が一人ふえると益々自分たちが邪魔にされるというらしい様子だが、貞吉にはそれが阿呆らしくて仕方がない。動物園の動物以上に虐待の仕様もないではないか。
けれども、貞吉をいっぱし邪魔物にヤッカイな奴めという風に扱う。それは正一郎が貞吉の生還をウルサガリ、ヤッカイ者に扱うから、それにウマを合わせて正一郎の御機嫌をとり結ぶという様子でもあり、それはお世辞を使ったって一文のタシにもならないのだが、シシとして、たゆまず貞吉を咒い邪魔がっているのである。
異母妹は衣子と云った。五ツ違いであるが、これが又、御多分にもれず当家のヤッカイ者の一人なのである。
十九のとき結婚した。男は土豪の次男坊で、東京で銀行員をしていたが、二人の生活は幸福ではなく、その原因は衣子の我がまゝにあったという話である。男はマジメ一方の秀才であったそうだが、衣子は亭主と打ちとけず、姑とは仲が悪く、昼は外出して映画を見たり遊び歩いていたそうで、男の子が一人できたが、姑にまかせっ放しで母親らしくしてやったことも無かったそうだ。亭主は出征して戦死したが、戦死しなくとも、帰還のあかつきは離縁の肚にきめていたそうで、もちろん婚家へ戻れなくなり、戻る気もない。よって正一郎の完全なるヤッカイ者の一人であるが、子供は婚家にあって一人身であり、なかなか美人だから、いずれはどこか売れ口の見込みがあり、前途があるから家族なみに生活させて貰っている。
貞吉はまだ分家していない。まだ新憲法に半年ほど間のある時で、さすればこれは民法上家族の一員であるから、生きて生家へ戻るとは怪しからん奴めと表向き言うわけにも行かない。
三男の忠雄は戦死した。これは分家分禄して、東京に小さな売家を買ってもらい、女房に二人の子供があるが、家の方は戦火で焼けて、女房子供はその実家へ帰っている。この村から十里ほど離れた村の地主の娘だ。
正一郎は貞吉が帰還した二日目にはもう策戦をあみだして、忠雄の寡婦と貞吉に結婚しろという。忠雄には五万円ほど分禄してやった。それがみすみす他人の生活費になるのもつまらぬ話だから、三男の寡婦のところへ入聟すれば、ムダなものが一つもなくなって、万事都合がよろしい。
貞吉はたゞヘラヘラと変テコな笑い顔で、ウンともスンとも返事をしないから、正一郎は馬鹿な奴めという顔をして、
「なア、オイ、お前には分家分禄、そんなもの、ありゃせんぞ。御覧の通り、敗戦以来、地主は田地召しあげ、食う米はない、ヤミの米買う金もない、半年あとに新憲法、どっちみちお前を分家する必要もなし、分禄してやる必要もない。新憲法施行の日から、オヌシは独立の一家の主人、よその旦那だから、このウチから黙って出て行って貰う。分るだろうな。いゝも、悪いもない。承知、不承知もない。法の定めるところだ。だから、忠雄の五万円、お前が継ぐのが身の為だ」
「新憲法はいつからだね」
貞吉がきくと、正一郎は渋い顔を深めて、
「何の用がある?」
新憲法施行の前に、貞吉が訴訟を起すとでもカングッタ様子である。
「兵隊から帰ったばかりだから、新憲法が何だか、オレは何も知らんよ。いつから新憲法になるだね」
「来年の五月五日だ」
「なるほど。その日から他人だね。じゃア、それまでネバろうや」
「何をねばるんじゃ。入聟の返事か」
「居候のことさね。その日がきたら、出て行くことにしよう」
こういうことになっているから、貞吉の生活はあと半年ほど安泰で、村のチンピラ娘でも口説かなければその日を暮す当もないのである。
貞吉にも、それとなく当座の目当はあった。さしあたりヤミ屋をやろうということだ。つとめる当もなく、手に特別の職もないから仕方がないが、便利の時世で、右から左へ物をうごかすと、金になる。敗戦というものが、こんなに気楽に暮しよいものなら、結構なものだ。昔は物を右から左へ動かしたって、一文にもならぬ。
こういう便利な当があるから、貞吉は内々安心している。ノホホンとしていても、それとなく目にふれる限りのヤミ屋の流儀を観察して、他日にそなえる心構えが自然に生れているのである。
然し、正一郎は実際ヤリクリ四苦八苦であった。もっとも火の車だからヤッカイ者を邪魔にするわけじゃない。元々相当の大地主、金満家であったときからヤッカイ者は大のキライで、わが持てる物がいくらかでも減るということは、もてる物が多いほど、尚つらく口惜しく無念なものであるという正一郎の見解であったが、少いものが減るのもヤッパリ同じように無念なものということが分った。
田地は召しあげられて米は配給になってしまった。然し彼は標高一四五〇米という山塊を屋敷の背中にひかえ、又、谷を距てた前面にも標高一二八〇米から一一〇〇米ぐらいの小連峯をひかえ、これがみんな彼の持ち山なのである。
彼の県内にも戦災都市があり、冬は寒い国柄であるから、建築用材、木炭、薪、需要は大いにある。けれどもこんな山奥からでは運賃に食われるから、亭々たる大木が無限にあっても宝の山をいだきながら、一文にもならない。戦争中は挺身隊だの学徒隊だのというのが無賃で運送に来てくれたから、このへんの炭焼きは儲けたものだが、今はそれもダメ、有り余って、村内ではマル公の半値以下で捨売りされており、炭焼もこの節は炭を焼かずに田畑を耕している。その田畑はつまり元は正一郎の田畑をマル公で買った性質のものである。
株券は紙クズであり、預金は封鎖され、この山奥では新円稼ぎに映画館をブッ建てるわけにも行かず、ヤミ会社を始めることもできない。
米もミソ醤油も配給であり、せめて雞を買い卵ぐらい盛大に食いたいと思ってもエサがないとは何事であるか。目下彼の最大の秘宝は三頭の山羊で、この乳だけが魔法の泉、エネルギー、生命の源泉というわけで、彼は人にやりたくないから一斗二升ぐらいずつ毎日でてくる魔法の泉を女房子供一家四人で無理して呑む。幸蔵一族、貞吉、衣子には一滴もくれてやらない。
正一郎はケチのくせに見栄坊だから、自分で田を耕す決断がつかなかった。彼の親類に当る地主たちは、一家ケンゾク各々私田を開墾し、肥タゴかついで勇敢にやっているという時節柄だが、彼だけは一段歩の私田も残さず、それというのが、彼はひところ何々会社取締役というようなことを三つばかり兼ねていたようなこともあるから、実業界でなんとかなろうと見込んでいたせいもあった。然し、戦争中、山奥の疎開がてら引ッ込んだのが運のつき、人情人心ガラリと変って、もう一度切れた糸をつなぐことはできない。本土決戦、然し、本土が戦場になる前に町が燃えてしまう、まるでもうお焼き下さいというようなタキツケみたいな都市なんだから、タキツケの中に火タタキなどを一本そなえて天を睨んでガンバッたってどうなるものか。
そこで彼は都市の住居を売り払い、タキツケを何万で買うとはバカな奴よと、一人しすましたり山奥のふるさとに落付き、然し彼はこのとき意外な失策をやった。
彼は小心臆病であった。嘘かホントか知らないけれども、敵機は夜間に燈火をめがけて投弾する、そこで空襲なぞよその話と電燈つけて高イビキの山奥へ投弾されて、たった一軒ふきとばされたり山林火事になったりする、そんな話もあるところへ、彼の村では燈火を消さずに寝ている奴バラがたくさんある。他人の家はさておき、彼の家のトメという女中とカメという下男は特別に心掛のよからぬ奴で、アカリを消したことがない。何べん言ってきかせてもダメであるばかりか、そんなオメサマ、何千里も海を渡ってとんできて、こんな山奥へ、そんなムダなこと、しませんテバ、と口ごたえする。カメもトメも薄馬鹿であるが、どこできいたか、アメリカの機械といえば日本は遠く足もとへも及ばんもんだ。日本の飛行機ハネ、夜になるとメクラになるからウラトコの山へ落すもんだ、アメリカの飛行機はソンゲナ馬鹿なこと、しませんガネ、と言う。
もとより正一郎はレーダーの威力を知っているから、この山奥へ逃げこんで、戦車に体当りの下界のモロモロの低脳どもを冷やかに見下していたのであるが、カメに虚をつかれて逆上した。
カメは正一郎が物心ついた時にはもうこの家に働いていた主のような薄ノロであるが、山羊の乳を飲みへらして持ってくる、雞の卵を朝ごとに四ツ五ツのみこんで三ツ四ツ残して運んでくる、青大将のような奴で、二度と卵と乳を呑むとヒマをやるぞと言い渡してもヘラヘラ笑って、この節は炭を焼いても日に百円にはなるもんだ、オラの月給はたゞみたいの二十円で、マンマは腹に半分食せてくれんガネ、ヒマになったらいゝもんだと捨ゼリフして二三日炭焼き小屋へ手伝いなどに消えてなくなり、三日もたつと忘れた顔して下男部屋に戻っており、すでに卵を四ツ五ツ飲んでいるというグアイであった。
正一郎は都市にいるころは空襲警報にも起きたことがなかったのに、山奥へきてからは、警報がでると猛烈な勢いで屋根裏の下男部屋へ駈け上って、電燈を消す。カメの枕をけとばして、このヤローなぜ消さんか、なんべん言ったら納得するんだ、するとカメは、ねむたい時は返事もせず、枕をけとばされてもグウグウねむり、起きてる時は、
「なアにさ、オメサマ、ここへ落ちれば、いゝもんだ。山奥のコンゲナ古屋敷がミヤコの代りに灰になれば、忠義なもんだ。ウラトコのコンゲナあかりでアメリカのバクダンが釣れるもんだら、陸軍大将だもの、山奥さ電気ならべてバクダン釣るもんだ。アメリカはソンゲナ手にかからんさ。機械文明らからネ」
「キサマは主人のうちが焼ければいゝと思っているな」
「ハア、忠義らがネ。ミヤコの代りに焼ければいゝもんだ。戦争になれば、自分のウチも主人のウチもないもんだ。兵隊は自分のイノチもないもんだがネ。オメサマも兵隊に行って性根直すといゝもんだ」
「キサマ、オレが戦死すればいゝと思っているな」
「ハア、戦死せば忠義なもんだ。ヤスクニ神社の神様らがネ。オメサマみたいな慾タカリのイクジナシれも神様にしてくれるもんだ。神様になれるろうかネ。オメサマ、敵のタマが尻ッペタから前の方へぬけたもんでは、恥なもんだガネ」
「キサマ、主人を慾タカリのイクジナシと言ったな」
「言うたもんだ。ホンキのことらば、仕方がないもんだ」
こんな山奥の地区でも都市とひとまとめに時々空襲警報もでる。空襲警報になると正一郎は国民服にゲートルをまいて、カメの首すじつかんで叩き起す。カメもナッパ服の古物を一着もっているから、それを着せてキャハンをはかせる。首筋をつかんで引きずり下して、火タタキを持たせて玄関前へ見張りをさせ、自分も見張っている。
東京の住人でも近所にバクダンが落ちてから寝ボケマナコでゲートルをまいて逃げだすのが例であるから、山奥の空襲警報に見張りにでるのはバカであるが、意地というものは仕方がない。
気がつくと、カメがいない。
「オイ、カメ、オイ、どこにいる」
手さぐりで探しても、どこにもいない。屋根裏へかけ上ると、まさしくカメは寝床の中にいるのである。なんべん引きずり下しても、ソッと寝床へもどってしまう。
あげくに、とうとう、正一郎は自分でもワケの分らないことをやってしまった。
空襲警報が解除になった真夜中に、土蔵の裏のタキ木のつまった納屋へ火を放けてしまったのである。
火をつけて、カメをおどかしてやろうと思って、カメを叩き起すつもりで戻ってきた。然し、途中で、ほんとに火事になッちゃアいけないと気がついて、戻って見ると、もう勢いよく燃えている。
正一郎は狂気の如く屋根裏へとびあがって、物も言わず、カメをける、なぐる、足をひきずる。
「火事だ。キサマ、火事だぞ」
いくつ殴ったか知らないが、翌日手の指をまげることができなかったから、カメの方でも、顔が土左衛門みたいに腫れていた。
「キサマが寝てやがるから、火事になる。見ろ、火事だ。このヤロー」
燃える火の前へ引きずり下されて、カメはさすがにポカンとしているのを、また打ちのめして、水をかける。のろのろすると、けとばす。けころがす。ふみつける。
村にも消防隊というものがあった。警防団もある。おまけに巡査もいる。これが火の手を見て一とかたまりに駈けこんできて、消しとめた。
正一郎の放火と分り、検事局まで呼びだされたが、百方手をつくして、ともかくカンベンしてもらった。
消防隊と巡査が駈けつけたとき、彼はやたらに亢奮して、放火説にしてしまったが、あのとき、焚火の不始末だとか、ごまかす手段はあったのである。
その翌晩、放火犯人が他にあることの証拠に、彼は深夜に忍びで、村へ放火に行くところであった。架空の放火狂をでっちあげるためである。警報のあとに限って放火する、そういう特殊な手口の狂人を創作する、彼はそれに就いて考えふけったあまり、自分の女房に向って、
「オイ、注意しろ。犯人は気違いなんだ。警報のあとに限って、火をつけてまわる、そういう奴だ。警報が出たら注意しろ。見廻りが大事だ」
警報が出たあとに火をつける気違いだと云っても、火を放けられたのは自分のうちの納屋だけだから、わけがわからず、細君はのみこめない顔をしている。
先ずカメが留置され、追々様子が分って、正一郎がつかまったが、その時村では正一郎は気が違ったという専らの評判であった。
百方にツテをもとめて検事局にカンベンしてもらったが、許されて村へ戻ったときは昂然たるもので、女房、子供、衣子、トメ、カメ、一同をズラリと茶の間へ並べて
「お前らが注意が足りん、戦争の認識が足りん、重大なる時局を知らん、緊張が足りんから火をつけられる」
「言うたもんだ、東条大将みたいなもんだ。オメサマが火つけたもんだがネ」
「お前らの緊張が足りんから、オレが火をつけて、ためしたのだ。時局の認識を与え、まがり腐った性根ッ骨を叩き直してやるためだ。挙国一致、戦争に心を合わせているとき、警報の下でアカリをつけて寝ているとは、言語道断の奴め。こらしめのため、神の心がオレに乗りうつって火をつける。だから検事局も感動して、どうかお帰り下さい、お呼び出し致して相済まぬことでした、とあやまる」
「言うたもんだ」
「キサマの性根は、まがりくさって治らんから、たった今、ヒマをやる。トメもヒマをやる。これにこりて、警報が鳴ったらアカリを消せ。一億一心ということを考えれ」
こう申し渡して、ヒマを出した。
彼は尚、妻子、子供、衣子だけひきとめて、
「お前らは今後心を入れ換えて時局を認識しなければならん。女中も下男もいらん。炊事も自分でやる。風呂もわかす、戦地の労苦をしのべば何事でもやれる。一つの握り飯でも、感謝の心をもって、食べねばならん。不平を言うことは許さぬ。上官の命令には従わねばならぬ。この家にあってはオレの命令は至上であるから、それに従う、返答しても、いかん、生殺の権もオレにある。食事でも、オレが命令して食べてよし、というまで、食べてはならんぞ」
戦争が済んで、民主々義ということになった。
若い者は兵隊に行き徴用に去り、残っているのはオイボレ共ばかりであるから、時局の認識を知らん。戦争中は戦争を知らん、敗戦後は敗戦を知らん。然し若い奴らは戦地で又工場でタタキ込まれているから、若い者が帰ってくれば、戦時中よりも却って本当の軍国精神が村によみがえり、筋金がはいる、などと正一郎はゴセンタクを下していたが、戦地から工場から帰ってきた若者どもは、ダンス、芝居、素人レビュー、男はポマードをぬたくり、女はパーマネントに頬ベニ口ベニ、軍国精神どころの段ではない。
もとより正一郎はそこにこだわる人物ではない。彼はもはや村一番の民主主義者となり、働かざる者は食うべからず、平等、同権、又、兄弟も他人である。人間は独立、自主、自由でなければならん。依存することは許されぬ。
衣子には、お前は東京へ行って事務員になってはどうだ。ダンサアもよい。女はパンパンをやっても食える。お前だけの美貌があれば、それが生活の資本で、どこへ行っても、独立の生計が営めるし、栄華もできるかも知れん。それが資本主義のよいところである。共産主義なら、女工になる、そっちでも食える。汽車賃は俺が出してやる。
然し、たった百円の汽車賃も今はもう出してやれなくなってしまった。
このへんでは一升四十円だせば米はいくらでも買える。正一郎には五升の米も気楽に買えない身分となり、時たま都会へ書画骨董を売りにでると、ニセモノだと難グセつけられ、捨て値同様値ぎり倒されてしまう。
幸蔵がにじりよって、
「兄さんはショーバイへたゞから、オレにまかせなさい。土蔵にいっぱい祖先伝来の書画があるんだもの、それでピイピイしていちゃ、笑い者になりますぜ。戦災も蒙らないから、洋服でも着物でもあるじゃありませんか。それで米の五十俵や百俵物交することができなきゃ、不思議なようなもんだな。オレにまかして下さい。手数料に一割だけ下さい。汽車賃、宿の費用、諸がかりは私の一割の手数料からだしますから」
然し、正一郎は不興にジロリと睨んだゞけだった。
彼は幸蔵が土蔵一ぱいの書画を売ることや、洋服や着物を物交することに目をつけたのは油断がならぬと思った。
何も持たない筈の幸蔵が、配給以外の芋や大根を煮ていたり、子供たちにカユをたくさん食わせていたり、何がなカラクリがなければならぬことである。彼は土蔵の中をしらべてみた。鍵もていねいに改めた。
彼はとうとう、幸蔵の土蔵の住居を訪れて、
「オイ、お前の持ち物をちょっと見せんか」
「なぜですか」
「引揚者がどんな品々を選んで持って帰るか見たいのだ」
彼は片隅につまれたフトンやオシメの類までシサイに一々改めて、
「ふん、相当のものを持ち帰っているじゃないか。これなら生活は間に合う。オヤ、この鍋は新しいもんだな」
「ハア、この前、町へ行ったとき、ヤミ市というところで涙をのんで買いましたよ」
「なんだい、品物がへるどころか、却って、ふえてるじゃないか」
「だって何も持たないのだもの、ふやさなきゃ煮炊もできませんよ」
「じゃア、お前はタケノコしないのか」
「タケノコするような余分なものは何一つないじゃありませんか。タケノコできる人は、幸せだと思いますよ。だから兄さんもタケノコやって、私に手伝わせて下さい、というんですよ」
「タケノコせずに、芋や大根や米や、どうして買えるんだ」
正一郎のギロリと光る目の色をみて、幸蔵も気がついた。正一郎は疑っているのだ。持ち物を一々改めたのもそのためで、土蔵の中の物や屋敷の中の何かを盗んで売って暮しているのじゃないかと怪しんでの来訪なのである。幸蔵もゾッとした。
「兄さん、とんでもない。私はこの屋敷のものは何一つ手をつけたこともありませんよ」
「お前、何を言う。オレはお前が泥棒だと云うてやせん。タケノコしないで、どうして米や芋や大根が買えるか、きいてるのだ」
「私も一段歩ほど耕していますよ。それに、村の者が気の毒な引揚者だというので時々米をくれたり芋をくれたりしますから」
「お前は乞食か。ふん、気の毒な引揚者か。そして、村の者はオレの悪口を云うてるのだろう。オイ、オレのうちの台所へ来てみろ、米なんか一粒もないぞ。気の毒な引揚者のお前の方がゼイタクなもの食ってるのだぞ。やせても枯れても、第一、オレは乞食はやらん。キサマ先祖の顔に泥をぬるな」
「引揚げ者の無慙な立場も察して下さい。生きるためには乞食もしなければならないのです。子供が五人もいて、泣きつかれては、乞食でも何でも、米が欲しい芋が欲しい、卑屈なことでも、やる気にならざるを得ないのです」
「オレはやらんじゃないか。オレはこの三日一粒の米も食べておらん。オレの子供は芋ばかり食ってる。この村で、こんな悲惨な生活してるのはオレのところだけだぞ。それでもオレは乞食はやらん」
「兄さん、済みません。オレの米、すこしですが差上げましょうか」
「乞食した貰い米はいらん」
「いや、兄さん、マル公の値段は払っていますよ」
「そうか。そんなら、オレもマル公で買うてやる」
正一郎は幸蔵のたった三升ほどの米を、ていねいにはかって、ちょっきりマル公だけの値段を払った。もちろん、その米は衣子や貞吉には食べさせない。握りめしにして、彼らだけ、オヤツに食うのである。
衣子は婚礼衣裳やら、結婚するとき、タンスに七ツほど衣類をいっぱい持たされたから、それを売って、生活には困らなかった。
貞吉は全然自分の所持品というものがない。正一郎が食わしてくれるものはチョッキリ配給のものだけで、余分のものは食事以外のところで、自分たち親子だけで食うようにしているから、貞吉はいつも腹がへっている。
戦争中も、捕虜になっても、腹がへり通しであったが、母国へきてもまだへり通しで、捕虜の時よりもひどい。
倖い、衣子が食べさせてくれる。
子供の時から貞吉は衣子とは本当の兄と妹のように育ったから、彼の帰還をともかく親身に迎えてくれたのは衣子だけで、然し八年の空白をおいて十六の女学生から二十四の出戻り娘にうつると、これが同じ衣子か、さっぱり正体が分らない。
なるほど美人だ。変に色っぽいところがある。多情淫奔のタチかも知れぬ。妙に太々しく、度胸をすえて人生を達観しているようなところもあり、腹の中に何を企らんでいるか見当がつかないような感じであった。
「お前、いつまで、こゝにいる気か」
貞吉がそうきいても、
「先のことは分らないわ。今にどうにか、なるでしょう。成行にまかせているのよ」
と答えて、平然たるものであった。
「オレはそのうちヤミ屋を開業するから、そのとき、お前、資本をかしてくれるか」
「なんのヤミ? 大ヤミ?」
「イヤ、小ヤミだよ。細々と食うだけのことさ。オレには仲間もなければ、然るべきツテもないから、まア、リュックをかついで汽車で往復する、一番しがないヤミ屋だ。この村に間借りをして、そこを本拠にして、東京と往復してもできるじゃないか。戦争に負けると便利なものだ」
「そうね。わりあい便利な世の中だわね。私もタケノコで一人前にやってのけるのだもの。テイチャンが一人前のヤミ屋になったら、東京でくらすといゝわ。私もそのとき東京へ行って、何かするかも知れない」
「何をするんだ」
「まだ、分らないわ。何か、しなければ、ならないでしょう」
衣子の平然たる笑い顔は、まったく腹のわからない妙なものだった。何をやる気だろう。パンパンをやる気かも知れぬ。それぐらいのことは平然と考えかねないところもあるが、また何か、途方もないデッカイ夢をいだいているようなところもあった。
この村へ疎開している三好光平という文士は衣子が好きな様子で、毎日のように遊びに来て、話しこんで行くが、三十六の光平よりも衣子の方が大人に見える。
光平は風景がどうだとか、情趣がどうだとか、伝統がどうだとか、風味とか、風韻というようなことを言う。そういうものは衣子には全然通じないのである。衣子が見ているものは、そういうものゝもっと奥の底の方にあるらしい。
それは、こういう金と慾の原始純粋な形態にだかれて、平然とアグラをかいて一人タケノコ生活をしている衣子だから、お体裁みたいな風流談義が馬耳東風なのであろうが、貞吉も時々小憎らしい奴だと思ったり、可愛いゝ奴めと思うこともあった。
彼はビルマのジャングルとそれからの捕虜生活に、実は文明ということを全く忘れた物思いに耽っていた。つまり彼はあのサルウィン河のほとりのビルマの娘と一緒になって、本当に原始さながらの土民生活がしたい、いや、してもよい。そうして彼は、その空想の中の自分を、空想というよりも全部の思想、自分の全部のもの、つまりそのころは全くほかに思想というものがなかった。もう気持もなかった。今もってそのまゝ何も思想がないようなものだけれども、まったく当時は、もう祖国もなければ、戦争も勝敗もありはせぬ、文明も文化も、進歩もいらぬ、一つの電燈も、一本のハガキもいらぬ。原始の土民にしてくれるなら、そのまゝ、耕したり、猟をしたり、食って寝るだけで一生を終っていいと考えていた。
彼は祖国へ生還して、山奥の村里にポマードとパーマネントが抱きもつれて野菜ダンスをやっていても、文明を感じずむしろ原始を感じ、ビルマのジャングルを思いだしたが、衣子にだけは、先ず文明、いや、原始でないという意味の、そういうものを感じさせられた。それは又、衣子の坐る地盤、石塚家という一つの性格に就てもそうであり、正一郎という原色さながらの我慾、リンショク、その素裸の慾念にむしろ原始ならぬ何か歴史を感ぜずにいられない。それが家と伝統というのだろうか。長い時間のうちに表土がズリ落ちて出てきた岩盤のように感じられてならないのだった。
衣子が見つめているものは、土民の娘が見つめていたものとは違う。
彼は何か、文化文明というものへ彼が復帰したその手がかりが衣子のように思われ、自分の思想も先ず衣子という存在から出発させられざるを得ないような、迫力ある実体を感じさせられるのであった。
なに、たかゞ、女なんだ、彼は時々、そう思った。
そして彼は衣子を意識するたびに衣子をつき放し、彼自身の土民の感情をなつかしんだ。
そして彼は小学校のダンスパーテーで踊った炭焼の娘を探しだして、ビルマのジャングルをそっくり日本へうつしたような土民のあいびきでもやろうと考えていた。
彼は翌朝、さっそく炭焼きの部落の一つへ行ってみた。そこを歩きまわり、炭焼の山の方へも行きかけてみたが、娘の姿を見かけることは出来なかった。
その翌日、彼はちっとも懲りず、別の炭焼き部落へ行ってみた。
すると山道の泉の下へバケツ一ぱいの洗濯物をもち出してジャブジャブやっている女を見たが、それがお園であると分ったときには、彼も思わず立ちすくんでしまった。
その山道のふちにある荒壁にコッパをふいて石をのっけた廃屋のような農家を、
「お前はこゝへお嫁にきたのか」
「いゝえ、私の生れたうちでございます」
お園は笑ったが、あかるく澄んだ顔であった。彼と二つ違いだから、今年は二十七であろう。昔は可愛く、小さく、クリクリしていたが、今は健康な、土の命をうつしたような逞しい農婦になっている。あのころ可愛いゝと思った顔は、まだいくらか面影はあるが、頬はこの冬空にも陽やけして光り、その手は女中の手ではなく、農婦の逞しくふくれ、盛り上って荒れきった大きな手であった。
明るい素直な笑い方に昔の面影が最も多く残って彼の胸にあるなつかしさを感じさせたが、そのほかには、あまりにも昔と違う別の一人の農婦に変り果てゝいる。
「お嫁に行かなかったのか」
「ハア、亭主が戦死しましたでネエ。坊ッちゃまは御無事にお帰りで、何よりでございました」
「子供は生れなかったのか」
「ハア、坊が一人。あっちのウチのあととりに置いてきましたが」
そのとき、この谷ぞいの山道のふちに、崖下のたった三軒ある家の一軒から、パーマネントにモンペの娘がとびだしてきた。
それが例の娘であった。
「おや、君のうちはこゝかい」
「アラ、まア、昔の恋人が、仲がいゝことね」
お園が大きな冴えた笑いをたてゝ、
「坊ッちゃまはツネ子さんとダンスをなさったそうですね」
貞吉も笑った。するとツネ子がふきだして、ゲタ〳〵笑った。
なるほど、と貞吉は思った。彼を見る娘の視線が、彼の素性を知っての上と思われたのも道理であり、娘はお園の隣家の住人であったのだ。
「おでかけかい」
「えゝ、学校に忘年会と新年会の芝居の稽古があるのよ」
「じゃア、そこまで一緒に行きましょう」
「お園さんに悪くないの」
お園は又、大きな冴えた笑いをたてた。
昼間見るツネ子の顔は、そのハリキッタ体格にくらべて、冴えた顔色ではなかった。頬はベニで真ッ赤であるが、ハダの荒れが感じられた。それはいっそう野性と情慾の野放図もない逞しさを感じさせ、シャクレた顔に妙に小さく引ッこんでいる目が、いつもたゞ好色の湖に物をうつしている、けだものゝように思われた。
「君は役者もやるのか」
「えゝ、男役でも、女役でも、レビュウもやるのよ。エロレビュウ。私が主役よ。エロの主役。素裸になるのだもの」
「君が」
「えゝ、私だけよ。さすがに、みんな、裸になる勇気はないわね。だから、見物にいらっしゃいよ」
「いつ?」
「クリスマス。二十四日だか二十五日だか、目下議論が二派に分れて、どっちが本当のクリスマスの日だか、まだはっきりしないのよ」
「クリスマス・イヴなら二十四日じゃないか。もう、たった三日しかないじゃないか」
「二十四日、ほんとネ。どうもありがとう。今度、町へ遊びに行きましょうよ。つれて行ってネ」
「あゝ行こう」
「これから、学校へ遊びにこない」
貞吉は少しためらったが、止すことにした。彼はこの女と二人、ほかの誰からも切り離されたところに、二人だけの別天地、原色的な野合を持ちたいと思った。学校で、又、町でほかの誰と、どのポマードと、勝手に何でもするがいゝ。
彼自身はそれらから無心に、全てを切り放して、彼自身の土民的なノスタルジヤを満喫すればそれでいゝのだ。
女は又ウインクして、じゃ、さよなら、と学校へ駈けこんで行った。
底本:「坂口安吾全集 06」筑摩書房
1998(平成10)年7月20日初版第1刷発行
底本の親本:「ろまねすく 第一巻第一号」ろまねすく社
1948(昭和23)年1月1日発行
初出:「ろまねすく 第一巻第一号」ろまねすく社
1948(昭和23)年1月1日発行
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
2007年2月15日作成
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