観点と距離
寺田寅彦
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ある日、浜町の明治座の屋上から上野公園を眺めていたとき妙な事実に気がついた。それは上野の科学博物館とその裏側にある帝国学士院とが意外に遠く離れて見えるということである。この二つの建築物の前を月に一度くらいは通るので、近くで見たときのこの二つの建物の距離というものについてはかなりに正確な概念をもっている、少なくもそのつもりでいたのであるが、今度はじめて約三キロメートル半の遠方から眺めてみると、この先入概念がすっかり裏切られてしまって、もう一度改めて科学博物館対帝国学士院の空間的関係というものを考え直さなければならないことになってしまった。
どうしてこういう空間的認識の差違が起こるかと考えてみたがよく分らない。色々な原因があるであろうが、その一つとしてはあるいは次のようなことがありはしないか。すなわち、接近して仰向いて見る時には横幅に対して高さの方を大きく見積り過ぎるような傾向があって、そのために二つの高い建物の間隔がつまって見えるのではないかということである。これに反して遠方から見る場合にはもはやふり仰いで見る心持はなくなって、眼とほぼ同水平面にある視角の小さな物体を見ることになるので、それで上下と左右の比率が正しく認識されるのではないかというのである。この解釈は間違っているかもしれないが、しかしいくらかこれを支持するような事実が他にも若干ある。
太陽や月の仰角を目測する場合に大抵高く見過ぎる。その結果として日出後または日没前の一、二時間には太陽が特別に早く動くような気がする。
山の傾斜面でもその傾斜角を大きく見過ぎるのが通例である。
これらと少し種類はちがうが、紙上に水平に一直線を描いて、その真中から上に垂直に同長の直線を立てると、その垂直線の方が長く見える。顔の長い人が鳥打帽を冠ると余計に顔が長く見えるという説があるが、これもなんだか関係がありそうである。
芸術写真の一つの技巧として、風景などの横幅を縮め、従って、扁平な家を盛高く、低い森を高く見せてそれで一種の感じを出すのがある。あれなども、ユークリッド的には真実を曲げた嘘の写真であるが、心理的には却って真実に近くなるという場合もあるかもしれない。
画家のいわゆるデッサンが正しいとか正しくないとかというものも、やはりこういう意味で心理的に真実な描写をするという意味らしく思われる。これを極端までもって行くとカリカチュアが一番正確な肖像画になる勘定である。
これに聯関して思い合わされることは、人の容貌の肖似ということについての人々の考えの異同である。例えば、甲某の眼にはA某とB某とが、よく似ているように見える。
ところが、乙某に云わせると、ちっとも似ていないじゃないかと云う。これは甲と乙とで着眼点がちがうためだと云えばそれまでである。すなわち甲にとってはAとBとの二人の顔の中で、例えば眼だけが注意の焦点となるのに、乙には眼はそんなに問題にならないで口許が特に大切な特徴となって印象される、という場合がそれである。しかしまたこういうこともあり得る。すなわち甲はAの眼を少し大きく見過ぎている代りにBの眼を少し小さく見過ぎている、そのために実際はかなりちがった大きさと形をしたABの眼が似ているように思われるということも可能である。
それからまたこんな場合もある。甲がAという異性の容貌に好悪いずれかの意味で特別な興味をもっているとする。しかし乙はAの顔になんらの興味をももっていないとする。そういう場合に、甲がBやCやDがAに似ていると云っても、乙が見るとちっとも似たところが見付からないであろう。
その場合には、甲の頭の中にはちゃんとAの鋳型のようなものが出来ているので、BCDの中に、ちょっとでもAに似たところがあると、その点をつかまえて、Aの鋳型にあてがって、そうして他の部分をその型に鋳直してしまうらしい。
これとはまた全く別の事であるが、われわれが科学の研究に従事している際にある一つの現象と他の一つの現象との間に著しい形式的ないし本質的類似があると感じ、そうしてその類似を解説し、主張してみても、他の観点に立っている学者から見ると、一向にそんな類似関係が認められないという場合が往々ある。
それがために甲にとってはほとんど自明的と思われることが、乙にとっては全く問題にもならない寝言のように思われることもあるようである。
とにかく、見る眼の相違で同じものの長短遠近がいろいろになったり、二本の棒切れのどちらが定規でどちらが杓子だか分らなくなったりするためにこの世の中に喧嘩が絶えない。しかし、またそのおかげで科学が栄え文学が賑わうばかりでなく、批評家といったような世にも不思議な職業が成り立つわけであろう。
底本:「寺田寅彦全集 第五巻」岩波書店
1997(平成9)年4月4日発行
底本の親本:「寺田寅彦全集 第五巻」岩波書店
1985(昭和60)年12月5日第2刷発行
初出:「文芸春秋 第十二年第八号」
1934(昭和9)年8月1日
※初出時の署名は「吉村冬彦」です。
入力:Nana ohbe
校正:浅原庸子
2005年3月16日作成
2016年2月25日修正
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