霊感
豊島与志雄
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第一話
都内某寺の、墓地の一隅に、ちと風変りな碑があります。火山岩の石塊を積みあげて、高い塚を築き、その頂に、平たい石碑を立てたものです。碑面に、身禄山とありますが、その昔、身禄という行者があって、深山に籠り、禅の悟道に参入して生を終えた、その人のために建てた碑です。大正十二年再建とありますが、大正十二年といえば関東大地震の年で、恐らく、土台の石畳の一部が壊れるか、碑が傾くかして、それを修理したのでしょう。全体の構築はたいへん古く、碑の背後には、樫の古木が茂っています。
この身禄山を、附近の人々は、ミロクサンと呼んでいます。文字面の音をそのまま取って、身禄さまではなく、身禄さんと、親しい気持ちをこめたものです。そして朝な夕な、誰がするともなく、白紙に塩や白米を盛ったのが、身禄さんの前に供えられています。
この身禄さんを、三年ほど前までは、ほとんど誰も顧みる者がありませんでした。塚全体が荒れはて、茅草や灌木が生え、といっても火山岩を畳みあげたものですから、気味わるい茂みを作るほどではなく、あたりの立木の蔭にひっそりとして、つまり、人目につかない状態のまま、うち捨ててあったのです。
ただ、江口未亡人とその娘さんとは、身禄さんのそばを通りかかる時、いつも、ちょっと頭を下げました。身禄さんを信仰するかどうとかいうのではなく、自然にそういう習わしになっていました。
戦後のこととて、寺の境内も墓地も、手入が行届いておらず、板塀や垣根なども壊れたままで、通行自由な有様でした。江口さんの家から大通りへ出るのには、墓地をつきぬけるのが一番の近道で、その近道のそばに身禄さんがあるので、そこを通りかかることが多かったのです。そして通りかかると、江口さんも娘さんも、何ということなしに、軽く頭を下げました。
ところが、その江口さんの家に、いろいろ思うに任せぬことがあったり、娘さんの健康がすぐれなかったりして、春の末頃から、江口さんはなんだか気持ちが沈みがちで、不安な影を胸うちに感ずるようになりました。
そのことを、江口さんは、日頃懇意にしているA女を訪れた際、世間話のついでに、訴えてみました。
A女はいわゆる戦争未亡人で、普通のひとですが、実は、彼女自身では誰にも口外しませんでしたけれど、神仏二道の行を深く積んでいて、特殊な能力を会得していました。それを、江口さんは知っていました。二人とも四十五歳ばかりの年配で、未亡人同士なものですから、普通の主婦たちよりは、立ち入った交際が出来たのでしょう。
江口さんはA女の顔色を窺いながら、言いました。
「なんだか気になるから、ちょっと、みて下さいませんか。」
「みるって、なにをですの。」
「まあ、とぼけなくっても、いいじゃありませんか。」
「べつに、とぼけるわけではありませんけれど……。でも、たいへんなことになると、わたくしが困りますからねえ。」
「大丈夫、御迷惑はおかけしませんから……。」
A女はじっと宙に眼を据えました。もともと痩せてる頬ですが、その蒼白い皮膚が引き緊りました。
「だいたい分りますが……。とにかく、助経して下さい。」
江口さんも一通りは読経が出来るのでした。
A女は数珠を手にして、祭壇の前にぴたりと端坐しました。地袋の上の棚に、壁の丸窓を背にして、一方に仏壇があり、一方には白木の小さな廚子に北辰妙見と木花開耶姫とが祭ってあります。
静かに読経が始まりました。
無上甚深微妙法 百千萬劫難遭遇
我今見聞得受持 願解如来第一義
それから声が高くなって、「開経偈」を誦し終ると、他の経文はぬきにして、いきなり御題目にはいりました。
繰り返し繰り返し、御題目を唱えていますうちに、やがて、A女は声がつまってくるのを感じました。肱を張って合掌してる両手に、痺れるほど力をこめ、なお御題目を唱え続けましたが、その声は次第に低く細くなり、瞑目してる瞼のうちに顕現したものがあります。
音なき声が聞えます。
──ミロクだぞ。
間を置いて、また聞えます。
──近々に火が出るから、気をつけたがよかろう。
間を置いて、また聞えます。
──火伏せの神ゆえ、出来るだけは守護してやる。
それから、問答とも知れず会得とも知れない、微妙な境地にはいります。
御題目の声が、次第に安らかに出てきました。気が晴れ、A女は眼を開き、なお暫し御題目を唱え、それからぴたりと切って、最後に、「宝塔偈」と「発願」とを誦し終りました。
A女は江口さんの方へ向き直り、見据えるようにしていました。
「ミロクというかた、御存じですか。」
江口さんはふしぎそうにA女の顔を見上げました。
「身禄さんなら、知っています。」
「どういうかたですか。」
そこで江口さんは、身禄さんのことを話し、通りがかりにただなんとなくお時儀をしていることを打ち明けました。
「それで分りました。そのミロクさんは、御近所の土地の火伏せの神です。近々のうちに火事が起るかも知れませんから、大事にならないよう、お詣りをなさいませ。お塩とお米をお供えなさるだけで、結構です。なるべく皆さん大勢で、お詣りなさったが宜しいでしょう。うち捨てておかれては、災難が起ります。わたくしも、近日、お詣りしてあげましょう。」
それでほっと息をついた様子で、A女は頬笑み、姿勢をくずして、ふだんの親しい調子に戻りました。
江口さんはなお、いろいろ相談しました。A女は助言してやりました。それから他愛ない世間話となりました。
ところで、江口さんが住んでいる家というのが、戦争前は下宿屋でもしていたらしい大きな家で、室がたくさんあって、十近くもの家族が住み、それぞれ自炊しているのです。
身禄さんのことを江口さんは気にかけて、吹聴して廻りました。A女のことは堅く口止めされていました故、ただ漠然とどこからともなく聞いてきたことにして話しました。すると、だいたい三つの説にわかれました。そういうことならまあお詣りをしておこう、という当り障りのないのが一つ。そのようなことはどうでも宜しい、という無関心なのが一つ。この科学の世の中にばかなことを言うものではない、という反対なのが一つ。一向まとまりはつきませんでした。
ただ、江口さんとほかに二家族だけが、身禄さんに時々お詣りをしました。碑のまわりを掃除したり、草をむしったりしました。A女もまた、江口さんに案内されて、お詣りをし、読経を捧げました。
そして、二ヶ月ばかりたったある夜、不思議なことが起りました。
深夜、A女はふと眼を覚しました。へんに息苦しく、異様な気持ちでした。瞳を宙に凝らしていますと、音なき声が聞えました。
──水行。
しかし、その声を聞いたあとで、A女は我に返って、これは厄介なことになったな、と思いました。夏のことではありましたが、夜中に起き上って水を浴びるのは、難儀なことに違いありません。それでも、水行というその無音の声には、どうしても逆らえませんでした。
彼女は起き上って、風呂場にはいり、浴槽に水道の水を注ぎ、そして素裸となりました。
さて水行といっても、バケツで浴びるか、手桶で浴びるか、または洗面器で浴びるかは、その場に至って自然に決定されることです。幾杯浴びるかも、自然に決定されることです。自分の意志によってではありません。過去の経験で彼女はそれをよく知っていました。
その夜、彼女は洗面器を取り上げました。それに水を汲んで肩から浴びました。一杯目はひやりとして、二杯目からはすっきりとして、そして七杯浴びると、ぴたり、手が止りました。
体を拭き、寝間着をひっかけて、室に戻り、衣紋掛の衣類に着替えました。その室は彼女にとって、日常の居室でもあり、寝室でもあり、祈祷所でもありました。彼女は布団を片脇に押しやって、祭壇の前に坐りました。
燈明をあげ、礼拝してちょっと眼をつぶったとたんに、声を立てました。
「あ。」
はっきり見えたのです。大きな二階家の、二階の中程にある、小さな四角な窓から、煙が濛々と吹き出しています……。身禄さん……。「開経偈」を誦しました。次に、「如来寿量品第十六」を誦しました。
自我得佛来 所経諸劫数
無量百千萬 億戴阿僧祇
常説法教化 無数億衆生
令入於佛道 ……………
この経を二回繰り返し、それから御題目にはいって、身禄さんを心に念じました。気も軽く、身も軽くなり、自然に、「宝塔偈」と「発願」とを誦しました。
燈明を消し、寝間着に着替えて、彼女は安らかに眠りました。
翌日になっても、彼女はもう昨夜のことなど気にかからず、家庭の仕事に取りかかりました。
その日の、夕陽がまだ高い頃、江口さんがやって来ました。急いで来たとみえて、額に汗をにじまし、息を切らしています。A女の顔を見ると、いきなり言いました。
「やっぱり、火が出ましたよ。でも、ボヤでよかった。」
「わたくしには、もう分っておりました。まあお上りなさいよ。」
「いえ、そうしてはおられませんの。」
玄関での立ち話しでした。
「どうして、お分りになりましたの。」
A女は昨夜のことを話しました。その落着き払った様子を、江口さんは呆れたように眺めていましたが、こんどはせかせかと、事の次第を話しました。
その日の正午頃、二階の中程に住んでる人の室から、火が出ました。アイロンをうっかりつけっ放しにして、買い物に出たあと、過熱のために畳をこがし、襖にも火がついたらしいとのことでした。発見された時は、もう窓から濛々と黒煙が出ていました。みんなで寄ってたかって消し止め、幸に大事に至らないで済みましたが、一時は大騒ぎだったそうです。
「あなたが仰言った通りよ。身祿さんて、すごいんですね。それとも、護って下すったのかしら。将来の警告かも知れませんわね。とにかく、よくお祈りしておいて下さいね。」
「ええ、もう大丈夫でしょう。」
「いやに落着いていらっしゃるのね。わたくし、大急ぎでお知らせに上ったんですのよ。まだいろいろ用があるし、また伺いますわ。」
江口さんは急いで帰ってゆきました。
それから、小火の後始末が一段落つきますと、江口さんは、A女の名前だけは祕して、前後のことをやや詳しく人々に語りました。それはただ偶然の一致に過ぎないと、やはり取り合わない者もありましたが、身祿さんにお詣りする者はずっと多くなり、寺の住職にたのんで、供養の塔婆も建てられました。
江口さんはなお、身禄さんのお祭りをしようとまで考えましたが、余り大袈裟にしない方がよろしかろうとの、A女の助言に、すべて従うことにしました。
そしてその後、身禄山の碑の前には、誰がするともなく、米塩の供物が絶えませんでしたが、それがいつまで続くかは分りかねます。ただ、身禄山は付近の土地の火伏せの神だと、広く知られるに至りました。
第二話
A女の親しい友だちに、村尾さんというひとがありました。これも、同じ年配の未亡人です。
秋のある日、A女はなにか些細な用事で、村尾さんを訪れましたが、女同士のこととて、殊に未亡人同士のこととて、とりとめもないつまらない話が、それからそれへと枝葉を伸ばしてゆきました。そのうちにふと、村尾さんは言いました。
「ねえ、家相とか方位とかいうものが、ほんとにあるものでしょうか。あなたはどうお思いになりますの。」
村尾さんは江口さんとちがって、A女の信仰のことなど、一向に知らないのです。
A女は頬笑みました。
「そりゃあね、世間には、家相をやかましく言ったり、方位にこったりするひとが、あるにはありますが、あなたがそんなこと言いだしなさるのは、おかしいわね。」
「いえ、わたくしが信じてるというのじゃありませんよ。ただ、ちょっと気になることがあって、それからだんだん聞いてみると、どうもへんなんですのよ。」
「へんなこと、つまり理外の理というのでしょうか、世の中にはたくさんありますわ。」
「それがねえ……。」
村尾さんはちょっと考えこんで、頭の中を整理するらしく、そして話しました。
村尾さんの娘の嫁入先のことです。
相良家の広い屋敷が、戦時中の空襲のため灰燼に帰し、その一部に相良家は自邸を新築し、残りの土地を分譲しまして、そこに六軒のこじんまりした家が建ちました。そのうちの一軒が、村尾さんの婿の今井さんの家です。
今井さんは、自分の家を建てるに当って、丹念に設計図を吟味しまして、迷信家ではありませんけれど、鬼門とか裏鬼門とかその他の方位についても、よろしくないとされてる世間的通念は避けたのでした。
そして家が出来上ると、田舎の方にいた母親を引取りました。その母親が、軽い脳溢血で寝込みました。これはやがて快方に向いましたが、今度は、女の児が耳の病気で病院にはいりました。これもやがて恢復しましたが、次には、妻が胸を病んで、未だにぶらぶらしてる始末です。
病気とか災難とかが重なることは、人生にしばしばあるもので、今井さんの家の事態も、そう簡単に片付けてしまえば、それで一向差支えないのですけれど、思いようではやはり気にかかります。
それからふと思い廻してみますと、そこの分譲地に建ってる六軒の家に、みな、ろくなことはありませんでした。一軒は、夜盗がはいって、奥さんの衣類をごっそり持ってゆかれました。一軒は、娘さんが虚弱で、学校も休みがちでした。他の三軒には、みな、肺を病んでる女人がありまして、今井さんとこと同様なのです。
村尾さんは溜息をつきました。
「ねえ、なんだかへんでしょう。」
A女は簡単な合槌をうって話を聞いていましたが、眼尻が少しつり上り、瞳が据ってくると、いきなり言いました。
「それは、地所の障りですね。」
言ってしまってから、A女ははっと気づきました。よけいなことを口に出したという、軽い後悔の念を覚えました。
「え、地所の障りといいますと……。」
村尾さんは真剣に問いかけてきました。他人さまのことならとにかく、自分の娘の嫁入ってる家がそこにありますし、娘がげんに病人の一人なのです。
A女は当惑しまして、なるべくぼんやりした調子を取ることにしました。
「どんなところか知りませんが、女ざわりの地所ではありませんかしら。」
「女ざわりの地所って、そんなのがあるものでしょうか。」
「世の中には、いろいろなものがありますからねえ。」
「女ざわりの地所……どうしてそんなことが、あなたにお分りになりますの。」
「いえ、ただふっと、そんな気がしただけですのよ。」
「わたくしには信じられませんわ。」
A女は口を噤んで、じっと宙を見つめていましたが、ぴくりと眉根を寄せました。
「お嬢さんは、いえ、お娘さんは、だいぶお悪いんですか。」
「そう悪いということもありませんが、どうしても微熱がとれないんですの。」
「まあせいぜいお医者さんの言うことをきいて、充分に養生なさるんですね。それが第一で、それから……そうねえ……。」
A女はしばし黙っていましたが、突然、言いました。
「その、地所内に、なにか祭ったものがある筈です。それから、大きな木を切り倒してあるはずです。御存じありませんか。」
「わたくしは聞いたことありませんけれど……。」
「そんなら、調べてごらんなさいな。」
「それからどうすれば宜しいんですの。」
「まあ急ぐことはありますまい。あとでまた申しましょう。」
地所の件についての話はそれきりになって、A女は辞し去りました。
それから中二日おいて、村尾さんは慌しくA女を訪れてきました。
座敷に通ると、村尾さんは、A女がお茶をいれようとするのももどかしそうに、いきなり言いました。
「ふしぎねえ、あなたが仰言った通りですよ。」
「いったい何のことですの。」
「そら、あの相良さんの地所のこと……。」
村尾さんはあれから、今井さんのところへ行って、A女の告げたことが本当かどうか、問いただしたのでした。
一つはすぐに分りました。相良家の屋敷の隅に、小さな稲荷の祠がありました。石を畳んだ土台の上に、木の御堂が立っております。戦災当時は樹木の茂みにでも護られたかして、焼け残ったのでしょう。その樹木もあらかた燃料に切られたらしく、今では雨曝しになっていました。そしてただうち捨ててありました。
も一つは、今は残っていませんでしたが、聞き合せて分りました。分譲地一帯は、ゆるい傾斜面になっていまして、今井さんの下手の家を建てる時分、そこに大きな樹の切株があったそうです。建築をするため、地ならしをする時、切株は取り除かれたのでした。
A女はその話を注意深く聞き終ってから、小首を傾げました。
「それだけですか。」
「ええ、二つとも確かにありましたわ。」
「も一つある筈ですがねえ。」
「どんなものですの。」
「なにか、捨て去られたもののようです。」
「それでは、も一度行って調べてみましょう。」
村尾さんはしみじみとA女の顔を見守りました。
「でも、まったくふしぎねえ、あなたにどうしてそんなことがお分りになりますの。」
A女はさりげなく笑いました。
「じつは、いくらか信仰の道にはいったことがありまして、今も修業は続けておりますが、なかなか思うようには参りません。ただ、申しておきますが、わたくしは、普通の行者とか占い師とか、この頃はやりの新興宗教の人とか、そういうのとは少しく違いますからね……。だから、というわけではありませんが、わたくしのこと、ほかの人には漏らさないで下さいね、お願いしますよ。」
村尾さんは一挙に言い伏せられたような風で、もう何も言いませんでした。
それから三日後、村尾さんの報告によりますと、第三のものも見出されました。相良家の屋敷から、道路を距てた、焼跡の草むらの中に、約四尺ほどの小さな石の地蔵が、ぽつんと立っていました。
さて、三つのものは発見されましたが、それをどうしたらよいか、村尾さんは尋ねました。
A女は最初に念を押しました。
「申しておきますが、御病人たちは、医療を怠りなさってはいけませんよ。それを充分になさらないと、どうにもなりません。わたくしの方のことは、霊界のことで、謂わば科学の蔭にかくれたことです。医療を充分になさりながら、これをなさると、宜しいんですけれど……さあ、どうですかねえ、なかなかむつかしいかも知れませんね。」
お稲荷さんを新たにお祭りすること──これは相良家にして貰えばよろしい。樹の切株のあった場所をお祓いして浄めること──これは神官でも僧侶でも行者でもよいが、然るべき人に頼んで、皆さんでなさればよろしい。お地蔵さんを新たにお祭りして世に出してあげること──これも然るべき人に頼んで、皆さんでなさればよろしい。以上の三つで、至極簡単なことのようでした。
村尾さんはもうすっかりA女の言うことを信じていましたから、早速、今井さんのところへ行って、夫婦に事の次第をうち明け、実行に取り掛るよう勧めました。
ところが、いざとなると、A女が言ったように、諸人の議がなかなかまとまりませんでした。身禄さんの時と同じでした。
今井さん夫婦は、村尾さんから説かれて賛成しましたし、他に賛成する者もありましたが、全然無関心な者もあり、強硬に反対する者も出て来ました。なにしろ、多少なりと金のかかることですし、常識的に見て迷信めいた事柄でした。迷信はすべて打破しなければならないというのが通念なのです。
それに、相良家の方でも、主人が旅行中で、交渉してみても、はっきりした返事が得られませんでした。
ただ徒らに日がたってゆきました。
村尾さんは様子を聞いて、A女に言いました。
「一向に話がはかどらないそうですよ。先に立ってやろうという人がないらしいんですの。」
A女は静かに答えました。
「おおかた、そんなことだろうと、わたくしも思っておりました。」
村尾さんには、A女自身までが冷淡なように見えました。
するうちに、事情が一変しました。相良家の主人が旅から帰って来て、右の話を聞きますと、稲荷さんを祭るのもよかろうと言いました。そんなことに何もこだわる必要はないし、屋敷内に祭ってあったものなら、新たに祭り直しても構わないし、ついては、どういう人か知らないが、村尾さんのお友だちとかいうその人にも立ち会って貰いたいが、その代り、樹の切株のことや、地蔵さんのことには、うちでは一切関係しない、とそう言うのでした。
分譲地の人たちの方でも、反対者を除いて、地所の祓い浄めをしてみようということになりました。だんだん調べてみると、切株の樹が茂っていた昔、その枝で縊死を遂げた女人があった由でした。
そして、相良家の稲荷さんは、新たに祭り直されました。A女は無理に頼まれ、名前は匿して、古い御堂の開扉の役をしましたが、中を調べてみますと、それは珍らしく、女夫稲荷だったのです。
地所の祓い浄めは、適当な人に頼んで、簡単になされました。
さて、地蔵さんのことですが、その地所の所有者は遠くに住んでいましたので、問い合せてみますと、地所は売りに出してありますし、地蔵さんは適宜に処置してほしい、との返答でした。なお、先方の言葉によりますと、あの地蔵さんは、たしか、祖母がどこからか拾ってきたもので、それ以来、うちの事業がたいへん繁昌したと、伝え聞いてるそうでした。
地蔵といっても、高さ四尺ばかりの自然石の表面を削り、台座を下部に残して、地蔵の姿を浮き彫りにしたものです。そして片わきに、奉○○院○○信女霊位、という文字が刻んでありますので、恐らく、墓碑を兼ねたもので、故人の冥福を祈って地蔵の姿を彫ったのでしょう。他の片わきに、壬辰天二月十四日、という文字がありますが、これだけではいつの頃のものやら分らず、石はだいぶ欠け損じていて、たいへん古いもののようです。
この石を、誰も始末しようとする者がありませんでした。そのことを村尾さんから聞いて、A女は自分でやることにしました。そこからさほど遠くない所に、以前から懇意な住職がいましたので、それへ相談しますと、寺の境内の空地を快く貸し与えてくれました。その寺は格式の高いものでしたが、戦災にあって、小さく再建されたばかりで境内は広々としております。
地蔵さんの供養の費用としては、相良家の分譲地の人々から志だけの金を集め、不足の分はA女が負担しました。住職の方でももとより金額などは問題にしていない事柄でしたから、少いながらもA女の見計らいによったのです。石を運ぶのには、分譲地の一軒に住んでる大工職のひとが、リヤカーと労力とを提供してくれました。
寺の石門をはいって、石畳の道を進みますと、左手に、経塚の碑が大きく建っており、新しく植え込まれた檜葉や呉竹の茂みがあります。その茂みのそばに、地蔵さんは安置され、花が供えられ、無縁仏のための塔婆が立てられました。
分譲地から来た数名の人々を後ろにして、老年の住職と、少しさがってA女とは声をそろえて読経しました。最初の開経偈と最後の宝塔偈との間に、妙法蓮華経のなかの、「方便品第二」と「如来寿量品第十六」が誦唱されました。
斯くして、地蔵さんはそこに落着きましたが、もとは無縁の墓碑を兼ねたものであったとしても、地蔵さんである限り、なにか名前がいります。A女は寺内の座敷で、老住職にお礼を言って対談していますうちに、ふと胸に浮んだものがありました。
「あのお地蔵さま、延命地蔵と申しましては、如何でございましょうか。」
「延命地蔵……宜しいでしょう。」
そこで延命地蔵と名づけることになりましたが、その本来の意味は、普通のものと少し違っています。その地蔵さんは、嘗てうち捨てられていたのを、あの地所の所有者の祖母に拾い上げられ、そしてまたうち捨てられていたのを、今度また拾い上げられて世に出たのであって、地蔵さん自身が延命したという意味なのです。
この延命地蔵の前には、その後、時折に、花や供物が捧げられました。相良家の分譲地の人々がお詣りに来るのです。そしてあすこの病気の女人たちも、次第に快方に向いました。
第三話
A女と同じ年配の未亡人には、なお、小泉さんというひとがありまして、これも親しく交際しておりました。世の中にはずいぶん未亡人が多いようです。
あるつまらない用事で、A女は小泉さんを訪れて、つい話しこんでしまいました。春さきのことで、炬燵の温みに引き留められた、とも言えましょうか。
違い棚の上に、見馴れない新しい硯箱が置いてありました。蓋には、渋い朱色に銀象眼が散らしてあります。
「しゃれたものですわね。新しくお求めなすったの。」
「達吉が拵えたんですのよ。気紛れに、つまらないことばかり始めて、仕様がありませんわ。ずいぶん長い間かかって、ようやく出来上りました。」
達吉というのは、小泉さんの息子で、建築が専門であって、美術学校出身なのです。
「ほんとに御器用ですね。」
「勝手なことばかりしていたいのでしょう。少し忙しくなると、不平でしてね。この頃は毎日、松しまへ出かけておりますの。」
小泉さんは達吉が自慢なのである。表面はけなすようなことを言いながら、じつは誉めてる調子でした。
松しまは、少しばかり距ったところにある花柳界のそばの、大きな一流の料亭でした。戦災にあいましたが、元のところに数室の家を新築して、繁昌しておりました。手狭なので、建て増しを始めて、前から出入りしていた達吉も、その方の仕事にかかっていたのです。
ただし、達吉は建築の専門家とはいっても、凝った普請についての技術者で、大きな設計図を弄りまわすことなどは不得意でした。ところが、達吉を贔屓にしてる女将は、なにかと彼に相談しかけました。相当多額の出資をしてもよいと言う人があって、その話がまとまったら、一挙に、昔のような広大な家にしたいと、間取りのことなど、達吉の意見を求めました。達吉はいささか困ってるようでした。
そのようなことを、普通の世間話の一つとして、小泉さんは話しました。
A女は何気なく聞き流していましたが、自分でも気付かぬうちに、ひょいと言ってしまいました。
「その資金の話は、今年中はまとまりませんね。それから、女将さんは手広く商売をしたいと考えなすってるようですが、それはだめですね。まあ一室ずつ建て増しでもして、手堅くやることですよ。」
そこで二人とも、へんに黙りこんでしまいました。A女の方では、由ないことを言ったものだと、後悔の念がきざしたのです。小泉さんの方は、互に知り合いである村尾さんから、A女の隠れてる半面をちらと聞きかじっていましたので、A女の今の言葉を胸に味ってみたのです。
やがて、A女はさりげなく笑いました。
「よけいなことを言って、御免なさい。ちょっと、そんな気がしたものですから……。」
「なに仰言るのよ。松しまのことなんか、わたくしは何とも思ってはいませんわ。」
そして、話は他のことにそれました。
ところが、あとで、小泉さんは達吉に、A女の言ったことを伝えましたし、達吉はそれをまた、何かのついでに、松しまの女将の耳に入れました。
それだけならば、なんのこともなかったのですが、小泉さんは次の機会に、松しまの噂をまたもしました。達吉から聞いたことも伝えるという、それ以外に他意はなかったのでした。とにかく、女というものはお饒舌りなものです。
「達吉が女将さんから聞いたところによりますと、やっぱり、資金の話は、今年中にはまとまりそうもないらしいんですの。そして、手堅くやってゆくことに、女将さんも賛成らしいんですよ。」
「そうでしょうとも、それがほんとうですわ。」
それはただ軽い応対でしたが、A女はそのあとで、忠告するように言いました。
「あのうちには、熱心に信仰したものがあるはずですよ。それが今はうっちゃってあります。も一度信仰なされば、きっとよいことがありますでしょう。どうやら、伏見稲荷のように思われますがね……。」
「そのこと、達吉に聞かせてみましょうか。」
A女は夢から覚めたようにびっくりしました。
「いけません。そんなこといけませんよ。どうか内緒にしといて下さい。わたくし、ちょっと思いついただけですもの。」
A女はよく念を押しておきました。
けれども、小泉さんにとっては、そんなこと、大したことでもありませんでしたが、また、ちと気にかかることでもありましたので、達吉に話してしまいました。
すると、達吉はたいへんな頼みごとをもたらしてきました。
松しまでは以前、伏見の稲荷さんを祭って信仰していました。戦災後はそのままになっていましたが、女将さんとしては、再び祭るつもりではいたのです。そこへ、達吉からの話となり、女将さんはすっかり驚きました。伏見稲荷ということまで、どうして分ったのでしょうか。この前の、資金のことや、商売のやり方のことなども、そっくり腑に落ちるし、こんどの話は、一層胸にこたえました。商売柄、易者とか占い者とか、いろんなひとが来たことがありましたが、どこか空々しい感じでした。それが、今回は違います。達吉の母の友だちだとかいうことですが、どういうひとなのでしょうか。
女将さんは、もとは芸妓をしていたことがあり、もう六十歳を越していて、まだ元気で勝気でした。そして一徹な気象で、単純で、性急でした。達吉の母親の友だちというそのひとに、すっかり惚れ込んで、是非とも連れて来てほしいと達吉に依頼しました。丁度、建て増しのために、庭師もはいっているし、稲荷さんを祭るには、早速場所の選定をしなければならないから、それをそのひとにして貰うことにし、そして自分は、伏見稲荷の御礼を受けに、京都へ出かけて行き、日取りは帰ってきてから打合せようと、言い置きました。
達吉の話を聞いて、小泉さんもさすがに慌てました。A女のところへ飛んで来て、なんとかしてほしいと頼みました。
A女は眉をひそめました。
「だから、わたくし、初めから言っておいたじゃありませんか。」
「ええ、それはそうですけれど、まさか、こんなことになろうとは思わなかったものですから……。」
「わたくしはまだ、自分の信仰の道を、売り物にはしたくありませんの。松しまさんのことだから、謝礼とかなんとか、そんなことを言われるに違いありません。なんだか、普通の行者や易者などと、同じように見られてるような気がしますわ。」
「それは、わたくしからよく申しておきましょう。とにかく、考えなおしておいて下さいよ。頼みますわ。」
小泉さんは遠慮して、しつっこくは言いませんでした。
けれども、松しまの女将さんの方は、京都から帰ってくると、やたらに催促しました。達吉に毎度言づてするばかりか、小泉さんのところへ女中を寄来して、先方へ願ってほしいと頼みました。稲荷さんを祭る場所がきまらないので、庭師の仕事にも差支えて困っている、とのことでした。
それを聞いては、A女も無下には断りかねました。名前だけはあくまでも祕して、という条件で、小泉さんと一緒に出かけて行くことにしました。
約束の日に、A女は自分の身に御経がけをして出かけました。普通の行者なみに見られては忌々しいものですから、入念にお化粧をし、お召の着物に塩瀬の帯、紋付の羽織をひっかけました。小泉さんはA女より少し背が低く、なんだか付添いの女中のように見えました。
松しまの入口は、手狭い洒落た造りで、そこをはいると、ゆるやかな上り勾配の地面に砂利を敷きつめたのが、思いがけなく広がり、突き当りに寒竹の茂みがあって、左手が玄関の式台となっています。
A女はちょっと、寒竹の茂みの前に足を止めました。
──ここだ。
音なき声がしましたが、彼女は素知らぬ顔をして、屋内へ通りました。
女中に案内されて、一室に落着きますと、すぐに女将さんも出て来て、みごとな菓子や果物のもてなしがありました。女将さんは顔の色艶もよく、言葉もてきぱきしていまして、髪だけが老年らしく引きつめに結ってあります。いろいろなことを口早に饒舌りました。おもに昔のことで、縁日とか祭礼とか、お酉様の話まで出ました。それにまた、午前中のこととて客はありませんでしたが、用が多くて、しばしば席を立ちました。女中頭らしい年増の女が、女将さんの代りをつとめました。
稲荷さんのことは、一向に持ち出されませんでした。いつまで待っても駄目らしいので、A女がそれとなく合図をしますと、小泉さんがそれを言い出してくれました。
用件の話になると、こんどは急速にはかどりました。女将さんと女中頭とが、A女をあちこち案内しました。地所はまだ広く残っていますが、そこは将来の増築の場所ですし、庭の方にも思うような場所はなく、最後に、女将さんの居間の横手に連れてゆかれました。
「ここならどうかと思っておりますんですが……。」
女将さんは初めからそこを物色していたらしいようでした。
A女の胸にぴんときました。
──不浄の地。
A女自身にもその理由は分りませんでしたが、静に言ってみました。
「ここはなんだか、不浄な場所のような気が致します。」
女将さんと女中頭は顔を見合せて、頷きあいました。そして女将さんが言いますには、居間のそばだから丁度よいと思っていたが、言われてみれば、なるほど、そこの板塀の外が道路になっていて、夜分になると、立小便する人が多い、とのことでした。
そこがだめだとなると、ほかにもう適当な場所はなさそうでした。女将さんは溜息をつきました。
「どうしましょう。」
A女はためらわず言いました。
「いえ、もう場所はきまっております。」
こんどはA女が案内する番になって、一同は玄関から表へ出ました。
A女は寒竹の茂みのあたりを指し示しました。
「ここがお宜しいかと存じます。」
「女将さん。」女中頭が言いました。「わたしもそう申しておりましたでしょう。」
女将さんは頷きました。
事がきまりますと、A女はその足で辞し去ることにしました。お午の食事の支度が出来てるからと、女将さんと女中頭はしきりに引き止めましたが、A女は鄭重に辞退しました。
表の街路に出ると、小泉さんはA女を仰ぎ見るようにしました。
「まったく、あなたには感心しましたわ。」
A女はかるく含み笑いをしました。
「あんなの、なんでもないことですよ。」
それよりも、あとにまた別なことが出来てきました。
場所がきまったとなると、松しまの女将さんは、一日も猶予せず、稲荷さんの祠の建設に取りかかりました。それには先ず、地ならしをして、地所の浄めをしなければなりません。その地所の浄めを、A女にしてほしいと言い出しました。A女の住所は内密にしてありましたので、またもわざわざ、小泉さんのところへ女中が使に来ました。二度も来ました。小泉さんはA女のところへ、往ったり来たりしました。
A女ももう乗りかかった船と諦めました。その代り、条件を一つ持ち出しました。稲荷さんの祠が建ったら、伏見稲荷の御札を納める御魂入れの儀式を取行って、献饌の儀をしたり、祝詞を上げたりしなければならないのだが、それは自分のような素人にはだめだから、必ず正式の神官に頼んで貰いたいと、そういう条件でした。その条件を守って貰いさえすれば、素人の我流のやり方ではあるけれど、地所の浄めは引受けましょう、と返答しました。
それからいろいろ打合せをして、当日、A女はまた入念に化粧をし衣裳を選んで、小泉さんと一緒に出かけました。
寒竹の茂みを背景に、平らに地ならしが出来ていて、そこの小地域、四方に竹を立て、注連縄が張ってあります。中央には、御幣をつけた榊の枝が立っており、塩も盛ってあります。
A女はその細そりした体を、いささか前屈みにして、小揺ぎもなく突っ立ち、拍手を打って、「滌の祓」を読み上げました。
たかまのはらにかむづまります、すめらかむつかむろぎかむろみのみこともちて、すめみおやかむいざなぎのみこと、つくしのひむかのたちばなのをどのあはぎはらに、みそぎほらひたまふときに……
八百万の神たちを念じておいて、それから次に、塩を撒きながら、「心身清浄の祓」を唱えました。
とほかみゑみため、はらひたまひきよめたまふ。
かがみのごとくあきらかに、つるぎのごとくいさぎよく、たまのごとくうるはしく、せいしこんげんはつようなさしめたまへ……
唱え終って、彼女はふっと眼をつぶりました。青空が余りに高く、陽光が余りに冴えてる、と感じただけで、わが身も心もなく、なにか次元の異った境地でした。一瞬、はっと気がつくと、彼女は小泉さんから片脇を支えられていました。その小泉さんを突きのけるようにして、足を踏みしめ、拍手を打ちました。頬は蒼白で、ほとんど血の気を失っていました。それでも、彼女はもうしっかりした態度で、女将さんの方に向き直り、後の始末のことなど注意を与えました。
それから座敷に戻って、お茶を飲んだだけで、この前と同様、昼食を辞退して、帰ってゆきました。
表の街路に出ると、小泉さんは囁くように言いました。
「無理なことお願いして、ほんとに済みませんでした。」
「いいえ、おかげでいい気持ちでした。」
A女は頬笑んで、空の遠くへ眼をやりました。
松しまでは、すぐに、稲荷の祠の建設に着手しまして、石の土台を築きあげ、その上に、屋根に銅板を張った白木の御堂を定着させました。御魂入れの儀式も、神官をたのんで取行われました。昔のように幟を立て幔幕を張って、盛大なお祭りまでしました。女将さんのただ一つの心残りは、そのお祭りにA女が来てくれなかったことだったそうです。
底本:「豊島与志雄著作集 第五巻(小説5・戯曲)」未来社
1966(昭和41)年11月15日第1刷発行
初出:「中央公論」
1952(昭和27)年1月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「秘/祕」「仏/佛」「万/萬」「禄/祿」の新字旧字の混用は、底本通りです。
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年1月16日作成
2009年9月17日修正
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