探偵小説の魅力
南部修太郎



 ある時、Wとふ中年の刑事が私にこんな事を話し聞かせた。

『探偵とふ仕事はちよつと考へると、如何いかにも面白さうな仕事らしく見えます。然し、その性質如何いかんかゝはらず、一たい人の犯罪乃至ないしは祕密を探し尋ねて、それを白日はくじつにさらし出すとふ事はあんまり好い氣持のするものぢやありません。ましてそこには人知れぬ非常な苦心骨折ほねをりがあり、ひよつとすると命のあぶないやうな危險にも出會はなければならず、世間の人達からは妙に無氣味らしい眼を向けられるとふやうなわけで、可成かなりつらい、やな仕事です。で、自分でも始終心にさう思ひ、人にもついそれを訴へたくなる時があります。然し、私はこの仕事に從ふやうになつてからもうかれこれ十五六年になりますが、そんな風でゐながら、心の底ではやつぱりこの仕事が好きなんですね。なぜつて、自分がこの仕事から全く縁が切れてしまふ場合を想像してみると、何だか生きてる甲斐もなくなつてしまひさうな寂しい氣持がするんです。人間も全く勝手な、妙なもんですなあ。』

 私は彼の仕事にたいする氣持が私の文學の仕事にたいする氣持とちよつと似通つてゐる事にひそかな興味を覺えながら、だまつて耳を傾けてゐた。彼はまたことばつゞけた。

『ですが、さう申すからには、つらい、やな仕事だと思ふ一方に、やつぱりこの仕事を捨ててしまふ事の出來ないやうな、ちよつとふにはれない。さあ何てひますか、その魅力チヤアムとでもふものがあるんですね。例へば一つの犯罪が持ち上る。そのやり方がうまいんで、どうしても犯人の手掛がつかない、係長初め何人かの仲間、警察の人達までが一生懸命に奔走し始める。自然、その間に手柄の競爭が起る。日日ひにちが延びると、世間では何のかんのと非難が聞え出す。さうふ中で、人知れずあせつたりぐれたりしながら、東へ走り西へ飛ぶ。まるで身も心も張り切るだけ張り切るんです。その擧句あげくに、全くちよいとした事から人に先んじて一つの有力な手掛を掴み出した時、そのまま飛び上つて踊り出したいやうな、慾得離れた嬉しさとつたら、やつぱりこの仕事をやつてる者でなければ分らない味ですね。變なもので、その手掛から犯人があがつた時には得意とか安心とかふよりも、寧ろ何となく胸を抑へられぬやうなやな氣持がするもんです。まあ要するにその前の嬉しさの味ですよ。私がこの仕事を捨てられない魅力チヤアムふのは!』

 小憎らしい程落ち着いた、冷靜な人だつたが、ちよつと興奮した聲でかうことばを結ぶと、その嬉しさの味のためには一生その仕事を止めないだらうとふ風に、彼は靜かな微笑を唇に浮べた。

 さて、このW刑事が私に話したところの嬉しさの味とは何を意味するものであらうか? いや、それよりも探偵とは一たいどうふ仕事であらうか? ふまでもなく、それは彼もちよつとつたやうに人間の、ひろへば人生に於ける犯罪をあばき出し、祕密を探り出し、或は不思議を解決する事である。ところで、人間は誰しもさうふ事には本能的に興味や好奇心を持ち、強く誘惑される性質をそなへている。そして、實際にさうふ事にぶつかると、本能の滿足から一種の快感を感じる。ふならば、彼の所謂いはゆる嬉しさの味とは、そこまでに到る彼の職業上の苦心努力の報いられた喜びに一そう強められた、その快感に外ならない。然し、彼は普通の人間とは違つて、さうふ仕事を自らの職業とする人である。で、實際にあたつては、彼が私に話し聞かせたやうに職業としてのつらさ、やさを同時に味ははなければならないのである。ところがここにその快感を、彼の所謂いはゆる嬉しさの味を純粹に私達に享樂させてくれるものがある。それがつまり探偵小説だ。ひ換へれば探偵小説とふものは、人間が本能的に惹きつけられるところの祕密の曝露ばくろ、犯罪の摘發、或は不思議の解決とかふ事を作る主題にして、それに筋をからませ、綾をつけて、讀者を享樂させるものである。つまり人間の本能の弱味を巧に捉へてゐるところに探偵小説の魅力がある。興味中心の讀物として探偵小説程私達にとつて面白いものはないとふのは、この理由からに外ならないと、私は思ふ。

 子供の時からからだが弱くて始終病床に臥せつたり、入院生活を送つたりした私は、十三四の頃から、病氣のなほりがけの徒然の時に、冒險小説などと一緒に、あの妙に好奇心を刺戟するやうな石版刷の毒々しい挿繪のある、外國の飜案物や花井お梅だの、五寸釘の虎吉だのとつた實説物の安い探偵本を讀みふけつた。雪の上に殘つた足跡だの、死人が左手に掴んでゐた三本のちゞれ毛だの、節穴からのぞいた鋭い瞳だの不思議な老人の出現だのと、好奇心は刺戟され、空想は活溌にはね廻り、作中の探偵と共に祕密を探る異樣な快感に醉はされながら、讀み始めると、私は終りまで本を離せなかつた。そして、どうかすると眞夜中過ぎても眠れずに、變に冴えてしまつた頭の中で物語のあとをまた色々に辿りながら、時には隣に寢てゐる祖父母達を呼び起したくなるやうな恐怖感に襲はれたりするのであつた。少年時代と探偵小説と、この頃の少年達がちやうど活動寫眞の探偵物に熱狂するやうにそこに何かの追憶を持たない人はないであらう。さうした讀書から自然に覺えた探偵ごつこ、自分の友達の多少魯鈍ろどんなのを兇賊きようぞくに仕立てたりして、それをわら繩で縛り上げる敏腕な探偵は、私の少年時代のある時の姿だつたから……。

 いや、さうふ少年の日でなくとも、幾つとなく年を重ねたこの頃でも、私の探偵小説にたいする興味はなかなか衰へない。ドイルやルブランの作品の多くはふまでもなく、ポオの『病院横町の殺人犯』チエスタアトンの『青い十字架』など。またその作の性質から自然探偵小説的な匂のするクロポトキンの『革命家の思出』ステプニヤツクの『虚無主義者の經歴』、ロオプシンの『青白い馬』など、いづれも愛讀した。母が好きで買つてくる綺堂さんの『半七捕物帳』とつたごく通俗的な探偵物語さへ、それが探偵物であるが故に病床などで時時讀む。が、何とつても探偵小説でその構想の卓拔、トリツクの妙味、筋の複雜、心理解剖の巧さ、文章の流麗、それに可成かなりな藝術味を加へて、全く興味津々くわんをおほう能はざらしめるものはモオリス・ルブランの作品にまさるものはない。その緻密な推理力(無論探偵的な)に驚くべきものがあつても、全篇の面白味に至つては、コナン・ドイル到底ルブランの比ではないやうに思はれる。單にフイクジヨン作りの手腕の巧さなどとふよりも、とに角あれ程の面白さを持つた相當の長さの作品を續々産み出すルブランはよつぽど好い頭の持主であるに違ひない。

 ところで、探偵小説の世界は要するにロマンスの世界である。空想的な、虚構の世界である。例へば、ルブランの好い頭が如何いかにほんたうらしく、起り得るらしく、あり得るらしく作中の事件事實を作り出してゐようと、無論あんなものが私達の現實社會にあり得る筈はない。が、探偵小説の面白さは實際にあり得ない事があり得るらしさに近づいてゐればゐる程強められ深くなる。不思議が如何いかにも不思議らしく、トリツクが如何いかにもトリツクらしく、或は虚構が如何いかにも虚構らしく露骨に作の上に浮いてゐるやうでは、それはまづい探偵小説とつて好い。從つてあんまり露骨に奇々怪々だつたり、ふんだんに血潮やピストルが飛び出したり、やに眼まぐるしく探偵や犯人の隱現出沒する探偵小説はほんとの面白味には乏しい。また別の意味で、例へば可成かなり世間を騷がしたとふやうな、實際に起つた探偵事件が文章に書かれたとしても、一たい現實の事件には讀物的興味をそぐやうな無駄や、まはりくどいいきさつなどのあるのが普通だから、所謂いはゆる實説物などとつても、それが探偵小説としての面白さを増すためには、さうふ無駄やいきさつをはぶくと同時に、やつぱり空想や虚構が織りこまれなければいけないと思はれる。

 さて、探偵小説の世界は空想的な、虚構のロマンスの世界であるが、新しい探偵小説には指紋フインガアプリントだの、顯微鏡ミクロスコオプだの、化學分析ケミカルアナリシスだの、催眠術メスメリズムだの、犯罪骨相學クリミナルフレノロジイだのとつた、實際的な科學的要素も色々に點綴てんてつされて、一そう筋を複雜にし、興味を深めてゐるやうに思はれる。つまり人間のありきたりの心的葛藤かつとうや、因果關係の紛糾に、ピストルだの短刀だのと單純に含ませた古い型の探偵小説では、一面に科學知識の可成かなり深くなつてゐる私達には物足りない。で、ところの犯罪や祕密や不思議が犯人の科學知識の深さの中に複雜にされると同時に、探偵もそれに敵對出來るやうな科學的素養を以てするとつたやうなのが、私達には面白いのである。で、今後の探偵小説の作家は精神科學と實際科學との兩面にわたつて相當の研究と理解とを持たなければならないともへるであらう。

 こないだ雜誌だか新聞だかでひよいと讀んだ話であるが、佛蘭西フランスのある市のある家の一室である朝中年の紳士がピストルで顳顬を貫かれて死んでゐた。紳士から二三間離れた小卓には發射されたままの一丁のピストルがのせてあつた。綿密に嚴重に調べてみたが、犯人が外から室に入りこんだ樣子もなく、他殺の形跡は全然ない。そして、そのピストルは紳士の自用の物だつたが、明に自殺でもなく、また自殺すべき原因も絶對になかつた。そして、事件は型の如く迷宮に入りかけた。一人の探偵があつた。彼は實際科學の知識に明るかつた。ある朝、後日の證據しようこのために事件突發の日のままになつてゐたその室にはひつてみた。窓から明るい光線が差し込んでゐた。その光線の落ちたところには、水を盛つた硝子器があつた。そしてその水面に落ちた光線の反射はちようどピストルの載せてあつた小卓の上に強い焦點せうてんいんしてゐた。事件は解決されたのである。つまり紳士は自用のピストルを前夜何氣なくその小卓の上に置いて、その朝その銃口から飛び出る彈丸の射程直線上の椅子に腰かけて新聞を讀んでゐたのである。光線の強い焦點せうてんはピストルの裝彈篋さうだんきやうを熱した。そして、自働的に彈丸は發射された。紳士は實に微妙な偶然と偶然の吻合ふんがふの中で、實に不幸な死を遂げたのであつた。

 この不思議な事件の犯人は何者だらう? それは私達がからだにあびて時に雀躍じやくやくするところの、あの美しい太陽の光線ではないか? 光線を捕縛する探偵! 若い讀者諸君よ、この材料に依つて何か面白い探偵小説を作つてみては如何いかゞ

──十三年五月──

底本:「新青年 第五巻第十號 夏季増刊『探偵小説傑作集』」博文館

   1924(大正13)年

初出:「新青年 第五巻第十號 夏季増刊『探偵小説傑作集』」博文館

   1924(大正13)年

※底本は総ルビでしたが、一部を省きました。

入力:小林 徹

校正:林 幸雄

2002年57日作成

2014年826日修正

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