泥坊
豊島与志雄
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一
ある所に、五右衛門というなまけ者がいました。働くのがいやでいやでたまりません。何か楽に暮らしてゆける途はないかと考えていますと、むかし石川五右衛門という大盗人がいたということを聞いて、自分も五右衛門という名前だから、泥坊になったらいいかも知れないと考えました。
それで彼は家を飛び出して、ある橋の下に住みました。昼間はそこで寝て暮し、夜になると盗みに出かけました。ところが、そうやすやすと人のものを盗めるものではありません。毎晩しくじってばかりいて、ろくろく御飯も食べられない始末になりました。
ある日なんか、一晩中駆け廻っても、物を盗むことはいうまでもなく、ごみだめから食物のあまりを拾い取ることも出来ないで、まだ朝の暗いうちにぼんやり帰って来ました。そして、橋の欄干にもたれて、どうかして上手な泥坊になる工夫はないものかと、しきりに考えていました。
すると、横の方からひょっこり、一人のお爺さんが出て来ました。五右衛門はびっくりしてたずねました。
「あなたは誰ですか」
「わしは仙人じゃ」とお爺さんは答えました。
よく見ますと、まっ白な長い髯がはえていて、手には節くれ立った杖をつき、何だかわからないぼろぼろの着物をきて、なるほど仙人らしいようすでした。五右衛門は喜びました。仙人ならいろんな術を知ってるに違いないから、それを教わって、上手な泥坊になろうと考えました。
「仙人ならいろんな術を知っていますか」と彼はたずねました。
「知っているぞ」
「そんなら、私にそれを教えて下さい」
お爺さんは承知しました。けれども、ただ一つきり教えられないと言いました。五右衛門は色々考えた後に、どんな隙間からでも家の中へはいれる術を習いました。
「わしにまた用が出来たら、ポンポンポンと三つ手を拍くがよい。そうすればいつでも出て来てやる」
そう言ったかと思うと、お爺さんの姿は消えてしまいました。
五右衛門は不思議な気がしました。けれど、もうお爺さんのことなんかはどうでもいいのです。術を授った上は、この上もない泥坊になれるわけでした。
二
翌日の晩、彼は喜び勇んで出かけました。かねて見当をつけておいた質屋の蔵へ行って、その戸口で術を施しますと、不思議にも、戸と壁とのわずかな隙間から、すーっと中にはいり込むことが出来ました。それで、立派な着物や時計などを思うまま盗んで、いざ外へ出ようすると、さあ大変です。同じ隙間ではありますが、はいるのと出るのとは別だと見えて、いくら術を施しても出ることが出来ません。戸を開けようとしましたが、外から錠がおりています。窓の所へ行ってみましたが、太い鉄棒の格子がついていて、身体が通りません。どうにも仕方がありませんので、盗んだ品物をみんなそこに投り出して、暗闇の中に屈み込んでしまいました。けれども、夜は次第に寒くなるし、腹は空いてくるし、もうたまらなくなりました。
夜が明けて、番頭が蔵の戸を明けに来ました時、五右衛門は泣き顔をしながらも、捕っては大変ですから、いきなり中から飛び出して、番頭があっけに取られてるまに、一生懸命逃げ出してきました。
はいるだけはいってもだめだ、と五右衛門は考えました。それで、夜になりますと、橋の上に立って、手をポンポンポンと三つ拍きました。例のお爺さんが、どこからかひょっこり出て来ました。五右衛門は頼みました。
「あの術はだめです。今度は、どんな隙間からでも家の中にはいってまた出られる術を教えて下さい」
「それは駄目だ」とお爺さんは答えました。「出るとかはいるとか、一つの術しか教えられない。それにまた、今度新たな術を教わると、前の術はもう出来なくなるから、よく考えて何なりと一つを望むがよい」
「それでは、どんな隙間からでも家の外へ出られる術を教えてください」
お爺さんは承知して、その術を教えました。
三
五右衛門はあれかこれかと考えた末に、ふといいことを思いつきました。ある大きな宿屋へ行って、すました顔で泊まり込みました。そして皆が寝静まった夜中に起き上って、隣の座敷へ忍び込み、客の金入れを盗もうとしました。もし眼を覚まされても、戸の隙間から外へ出られるから平気でした。そういう安心があったものですから、大胆にやっていますと、客が眼を覚まして「泥坊!」とどなりました。五右衛門はびっくりして、すぐ雨戸の隙間から外へ術で逃げ出しました。ところがどうでしょう、そこは二階の屋根になっていて、下におりることが出来ません。まごまごしているうちに、宿屋中大騒ぎとなって、家の中はもちろん今にもこちらへ人が見廻って来そうです。五右衛門は命がけで屋根から飛び下り、したたか腰を打ったのも夢中で、逃げ出してしまいました。逃げるには逃げましたが、その時打った腰が後で痛んで、二三日は橋の下にうんうん唸っていました。
それでも五右衛門は、二度の失敗に性こりもなく、また三度目の考えをいたしました。例の通り橋の上にお爺さんを呼び出して、ぜひにと願いました。
「もう今度きりですから、も一つ術を教えて下さい。私の身体が人から見えないようにする術を教えて下さい」
「身体が見えないようにする術だな」
「はい」
そして彼は、その通りの術を教わりました。
四
今度こそ大丈夫だと彼は思いました。自分の身体が誰にも見えないというのだから、どんなことをしたって平気です。昼間から町へやって行きました。
ところが不思議なことには、後からぞろぞろ大勢の人がついて来ます。術をつかっているのだから誰にも見えるわけはないのですが、それでも大勢の人がついて来るのです。変だなと思って注意してみると、がやがやした騒ぎの中に、こういう子供の声が聞き取れました。
「やあ、着物が歩いている……下駄が歩いている……お化けだな……石を投ってやれ……捕えてやれ」
五右衛門はびっくりしました。なるほど考えてみると、身体だけが見えない術だから、着物や下駄は見えるわけです。しまったと思ってるうちに、石がたくさん飛んできました。かれは走って逃げ出しました。
「着物が走り出した。それ追っかけろ!」
大勢の者がわいわい言って石を投りながら追っかけて来ます。五右衛門は一生懸命に駆けましたが、向こうは大勢です。かわるがわる追っかけて来るのですから、彼はへとへとに疲れました。息が切れて走れなくなりました。頭や背中には石を投げつけられて怪我をしました。この上捕まったら、どんな目にあわされるかわかりません。彼は下駄をぬぎ捨て、着物をもぬぎ捨てました、そしてまっ裸で逃げました。身体だけは誰にも見えないものですから、ようよう橋の下まで戻って来ることが出来ました。
彼はもうどうすることも出来ないで、裸の上からむしろをかぶって、がたがた震えていました。頭や背中の傷からは血が流れ出し、それがずきずき痛んで、身動きをすることさえ出来なくなりました。
今度は五右衛門も、まったく閉口してしまいました。夜になると、痛みと寒さとで今にも死ぬような思いをしながら、橋の上まではい出してきまして、ポンポンポンと手を三度拍きました。
白髯のお爺さんがひょっこり出て来てにこにこ笑っています。五右衛門は泣かんばかりに願いました。
「もう術はいりませんから、どうぞ着物を一枚と食物を少し下さいませ。お願いでございます」
すると、アハハハとびっくりするほど大きな笑い声がしまして、「大馬鹿者の五右衛門!」と叫んだ者があります。五右衛門は地面にすりつけていた顔を上げて眺めますと、もうお爺さんの姿は影も形もありません。そして、木の葉を綴った着物が脱ぎ捨ててあって、その上に握り飯が一つちょんと乗っかっていました。
五右衛門はあっけにとられて、しばらくぼんやりしていましたが、やがて正気に復ってから、これはきっと神様が意見をして下さるのか、それとも狐か狸に化かされたのか、どちらかだろうと思いました。どちらにしても、自分が泥坊なんかをやるからこんなことになるのだと考えました。
彼はその握り飯を食い、木の葉の着物をつけ、橋の欄干につかまって立ち上がりました。もうこれから泥坊なんかはよそうと決心しました。
底本:「豊島与志雄童話集」海鳥社
1990(平成22)年11月27日第1刷発行
入力:kompass
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年4月28日作成
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