手品師
豊島与志雄
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一
昔ペルシャの国に、ハムーチャという手品師がいました。妻も子もない一人者で、村や町をめぐり歩いて、広場に毛布を敷き、その上でいろんな手品を使い、いくらかのお金をもらって、その日その日を暮らしていました。赤と白とのだんだらの服をつけ三角の帽子をかぶって、十二本のナイフを両手で使い分けたり、逆立ちして両足で金の毬を手玉に取ったり、鼻の上に長い棒を立ててその上で皿廻しをしたり、飛び上がりながらくるくるととんぼ返りをしたり、その他いろいろなおもしろい芸をしましたので、あたりに立ち並んでる見物人から、たくさんのお金が毛布の上に投げられました。けれどもハムーチャは、そのお金で酒ばかり飲んでいましたので、いつもひどく貧乏でした。「ああああ、いつになったら、お金がたまることだろう」と嘆息しながらも、ありったけのお金を酒の代にしてしまいました。雨が降って手品が出来ないと、水ばかり飲んでいました。そしてだんだん世の中がつまらなくなりました。
ある日の夕方、ハムーチャは長い街道を歩き疲れて、ぼんやり道ばたに屈み込みました。すると、遠くから来たらしい一人の旅人が通りかかりました。旅人はハムーチャのようすをじろじろ見ていましたが、ふいに立ち止まってたずねました。
「お前さんは奇妙な服装をしているが、一体何をする人かね」
「私ですか」とハムーチャは答えました。「私は手品師ですよ」
「ほほう、どんな手品を使うか一つ見せてもらいたいものだね」
そこでハムーチャは、いくらかの金をもらって、早速得意な手品を使ってみせました。
「なるほど」と旅人は言いました、「お前さんはなかなか器用だ。だが私は、お前さんよりもっと不思議な手品を使う人の話を聞いたことがある。世界にただ一人きりという世にも不思議な手品師だ」
「へえー、どんな手品師ですか」
そこで旅人は、その人のことを話してきかせました。──それは手品師というよりもむしろ立派な坊さんで、善の火の神オルムーズドに仕えてるマージでした。長い間の修行をして、ついに火の神オルムーズドから、どんな物でも煙にしてしまう術を授かりました。何でも北の方の山奥に住んでいて、そこへ行くには、闇の森や火の砂漠や、いろんな怪物が住んでる洞穴など、恐ろしいところを通らなければならないそうです。そのマージの不思議な術を見ようと思って、幾人もの人が出かけましたが、一人として向こうに行きついた者はないそうです。
「本当ですか」とハムーチャはたずねました。
「本当だとも、私は確かな人から聞いたのだ」と旅人は言いました。
「だがお前さんには、とてもそのマージの所まで行けやしない。それよりか、自分の手品の術をせいぜいみがきなさるがよい」
そして旅人は行ってしまいました。
ハムーチャは後に一人残って、じっと考え込みました。──こんな手品なんか使っていたって 一生つまらなく終わるだけのものだ。それよりはいっそ、その不思議なマージをたずねていってみよう。途中で死んだってかまうものか。もし運よく向こうへ行けて どんな物でも煙にしてしまうという術を授かったら、それこそ素敵だ。世間の者はどんなにびっくりすることだろう。
ハムーチャは命がけの決心をしました。マージをたずねて北へ北へとやって行きました。途中でも村や町で手品を使って、もらったお金を旅費にして、酒もあまり飲まないことにいたしました。
二
北の方へ進むにしたがって、マージの噂は次第に高くなってきました。けれど、マージがどこに住んでいるかは、誰も知ってる者がいませんでした。でもハムーチャは一生懸命でした。幾月もかかって、まっすぐに北の方を指して旅を続けました。野を越え山を越えて進みました。しまいには、人里遠く離れた深山に迷い込んでしまいました。それでもハムーチャは後に引返しませんでした。木や草の実を食ったり、谷川の水を飲んだりして、進んで行きました。獅子の森や、毒蛇の谷や、鷲の山や、いろんな恐ろしい所を通りぬけました。次には闇の森がひかえていました。鼻をつままれてもわからないほどまっ暗な森でした。次には怪物の洞穴がありました。見ただけでもぞっとするような恐ろしい怪物が、幾つもの洞穴の中に唸っていました。次には火の砂漠がありました。広々とした砂漠に一面に火が燃え立っていました。ハムーチャは眼をつぶって、一生懸命に駆けぬけました。火の砂漠を駆けぬけた時には、もう眼がくらみ息がつまって、地面に倒れたまま、気を失ってしまいました。
しばらくたつと、「ハムーチャ、ハムーチャ」と呼ぶような声がしましたので、彼ははっと眼を開きました。見れば、白木造りのささやかな家の中に自分は寝ているのでした。枕もとには一人の気高い人が座っていました。まっ白な服装をし、頭に白布を巻いた、年齢のほどはわからない人でした。ハムーチャが眼を開いたのを見て、静かに微笑んで言いました。
「ハムーチャ、わたしはお前が来ることを知って迎えてあげたのだ。今までに幾人となく、わしをたずねて来かかった者はあるが、みな途中で引き返してしまった。それなのにお前は、たとえ命がけとはいえ、よくもこれまでやって来た」
ハムーチャは起き上がって、頭を床にすりつけながら言いました。
「ああマージ様、どんな物をも煙にしてしまうというマージ様は、あなたでございましょう。どうか私にその術をお授け下さいませ」
「授けてもよいが、それには七年間苦しい修行をしなければならないぞ」
「はい、七年でも十年でも一生の間でも、どんな苦しい修行もいたします」
そしてハムーチャは、七年間マージの許で修行することになりました。それがまた一通りの修行ではありませんでした。水一杯飲まないで一週間も座り続けていたり、谷川の水に終日首までつかっていたり、重い荷を背負って山道を上がり下りしたり、むずかしい書物を何千回も写し直したり、一月の間も無言でいたり、いろんな辛いことがありました。そして始終、祭壇に燃える火を絶やしてはいけませんでした。ハムーチャは何度か力を落としましたが、その度毎に思いあきらめて、ともかく七年間の修行を終えました。そして、どんな物でも煙にするという火の神の術を授かりました。その上、がんらいが手品師ですから、その煙をいろんなものの形にするという工夫をしました。
ハムーチャがいよいよ世の中へ戻ってゆくという時、マージは彼へよく言い聞かせました。
「物を煙にするこの術は、善の火の神オルムーズドから授かったのだから、すべて生きてるものや役に立つものを決して煙にしようとしてはいけない。オルムーズドから世の中に遣わされたのだと心得ていなければならない。もしよからぬ心を起こすと、お前の術は悪の火の神アーリマンのものとなって、自分を亡ぼすようなことになる」
「承知いたしました」とハムーチャは答えました。
三
そこでハムーチャは、再び火の砂漠や闇の森や怪物の洞穴などを通り越して、人間の住んでいる方へ出て来ました。そしてようすをうかがってみると、もう七年もたった後のことでしたし、誰もマージの許へ行きついた者もありませんでしたから、マージの噂は嘘だとして消えてしまっていました。
「今に皆をびっくりさしてやる」とハムーチャは一人微笑みました。
ある町まで行くと、ちょうどお祭りの日でした。ハムーチャは人だかりのしてる広場に、新しい毛布を広げて、まず普通の手品を使ってみせました。それから大声で言いました。
「さてこれから、世にも不思議な術を見せてあげまするぞ。これは火の神オルムーズドから授かった術で、どんなものをも煙にしてしまって、その煙でいろいろな物の形を現わすという、天下にまたとない妙術ですぞ。さあさあ、不用な物があったら持っておいで、この場で煙にしてご覧に入れる」
そこで見物人の一人が古い帽子を差し出しました。ハムーチャは受け取って、もう破れこけて役に立たないことを見定めると、それを毛布の上に置き、自分はその側に屈んで、胸に両手を組み合わせ口に何か唱えました。と、不思議にも、その古帽子がふーッと煙になって、その煙がまた大きな鳥の形になって、空高く飛び去ってしまいました。
あまりの不思議さに、人々はあっけにとられました。次には夢中になって喝采しました。そしてお金が雨のように投げられました。ハムーチャは得意になって、なおいろんな物を煙にしてみせました。
それからは、ハムーチャの噂がぱっと四方に広がりました。ハムーチャの行く先々で、もうその地方の人々が待ち構えていました。中には、是非私共の町へ来てくれと、馬車を迎えによこす者さえありました。しかしハムーチャは、馬車なんかには乗らずに、例の赤と白とのだんだらの服をつけ、三角の帽子をかぶって、てくてく歩いて行きました。懐にはたくさんのお金がたまっていました。いくら酒を飲んだりごちそうを食べたりしても、なかなか使いきれませんでした。
そしてハムーチャは町々をめぐって、ある大きな都にさしかかりました。都の人達は、今にハムーチャが来るとて大騒ぎをしました。いよいよハムーチャがやって来ると、都の一番賑やかな広場に案内しました。広場にはもう立派な毛布が敷きつめられ、不用な品々が山のように積まれ、四方には桟敷が出来ていて、ぎっしり人だかりがしていました。ハムーチャは少しびっくりしましたが、やがて、ようようと場所のまん中に進み出ました。四方から、雷のような拍手が起こりました。
四
ハムーチャはまず、ナイフを使い分けたり、足で金の毬を手玉に取ったりして、普通の手品をやりました それがすむと、いよいよ煙の術にかかりました。ところが、あまりいろんな品物がつまれていますので、どれから先にしてよいかわからずに、しばらく考えてみました。そしてふと思いついて、皆一緒に煙にしてしまおうときめました。例の通りそこに屈んで、胸に両手を組み合わせ口に何やら唱えますと、まあどうでしょう、山のように積まれてる品物が、一度にどっと煙になって、その煙がまたさまざまな花となって、空一面に広がりました。あまりの見事さに あたりの人々はやんやとはやし立てました。
やがて煙の花が消え、狂うような喝采が静まると、人々は少し不満足に思いました。いろんな物を一つずつ煙にしてもらうつもりだったのが、一度ですんでしまったからです。
「もっと何か煙にして下さい。この金入れでもいいから」
そう言って一人の者が、大きな革の財布を差し出しました。
「いや、いけない」とハムーチャは答えました。「これは悪の火の神アーリマンの術ではなくて、善の火の神オルムーズドの煙だから、役に立たない不用な物しか煙にはなせないのだ」
すると、他の一人が言いました。
「ここに敷きつめてる毛布をみなあなたに上げよう。そうすれば、あなたのその小さな毛布は不用になるでしょうから、それを煙にして下さい」
「なるほど」とハムーチャはちょっと考えてから答えました、「この立派な毛布をもらえば、私の小さな毛布はもういらなくなるわけだ」
そこで彼は、自分の毛布を煙にしてみせました。煙は青々とした野原の形となって、空高く消えてゆきました。
すると今度は、ある人が立派な靴を持ち出しました。
「この立派な靴をあなたに上げよう。そうすれば、あなたのその破れた靴は不用になるでしょうから、それを煙にして下さい」
「なるほど」とハムーチャはちょっと考えてから答えました。「この立派な靴をもらえば、私の破れ靴はもういらなくなるわけだ」
そこで彼は、自分の靴を煙にしてみせました。煙は大きな馬の蹄の形となって、空高く消えてゆきました。
都の人々は、それでもまだ承知しませんでした。あまりの不思議さに、もうみんな夢中になっていました。
鳥の羽のついた立派な帽子を持ち出す者がありました。宝石のついた見事な服を持ち出す者がありました。らくだの子の胸毛で織ったシャツを持ち出す者がありました。
そしてハムーチャは、前と同じように身につけてるものをみな煙にしてしまいました。三角の帽子は禿鷹の形の煙となって消えました。赤と白とのだんだらの服は大蛇の形の煙となって消えました。汚れた麻のシャツはなめくじの形の煙となって消えました。ハムーチャはまっ裸となって、立派な衣装の重ねてある側に立っていました。
そこへ十五六歳の娘が一人、肩から胸まで現わにして飛び出しました。金色の髪がふさふさと肩に垂れ、海のように青い眼をし、薔薇色の頬をして、肌は大理石のように滑らかでまっ白でした。
娘は言いました。
「私はこの身体をあなたに上げましょう。そうすれば、あなたの年とったしわだらけの身体は不用になるでしょうから、それを煙にしてみせてください」
「なるほど」とハムーチャはしばらく考えてから答えました、「あなたの美しい身体をもらえば、私の汚ない身体はもういらなくなるわけだ」
そこで彼は、胸に両手を組み合わせ、口に何やら唱えました。すると彼のからだは、ふーっと煙になってしまい、その煙がまっ黒な雲となって、空高く消え失せました。
人々は我を忘れて喝采しました。ところが、ハムーチャはいつまでたっても戻って来ませんでした。戻って来るはずはありません。自分が煙となって消え失せてしまったのですもの。何もかもそれでおしまいになりました。
底本:「豊島与志雄童話集」海鳥社
1990(平成2)年11月27日第1刷発行
入力:kompass
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年4月28日作成
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