私の信条
豊島与志雄
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私の仕事と世の中とのつながり。──
私の主な仕事は、文筆の業である。それによってどうにか生活を立てている以上、世の中とのつながりがないわけではない。然し、それを分析してみたところで、消極的な面しか出て来ない。設問の要点は、積極的な面のことであろう。それならば、私自身のことを語るより外はない。
私は生来、孤独が好きで、孤独癖とでも言えるものを持っている。兄弟姉妹のない一人児として育った私だ。母から聞いたところによると、幼時、座敷の真中に置いて、玩具一つ与えておくと、数時間、半日でも、おとなしく一人で遊んでいたそうである。三つ児の魂、百までとやら、そういう性質が今に跡を引いている。
一例を挙げると、私は一人旅が好きだ。長時間汽車に乗っていても、一人きりで少しも退屈しない。なまじっか連れがあって、気を遣ったり応対したりするよりも、一人でぼんやりと、景色を眺めたり夢想したりする方が、よほど楽しい。同様に、私はひとと逢っても、甚だ無口で話題に乏しい。
それからもう一つ、一人児で育った者の常として、妙な潔癖、独占癖が、私にはある。例えば、親しい知人との間でも、着物を貸したり借りたりすることが嫌なのだ。安全剃刀にしろ石鹸にしろ、自分のは自分一人だけで使いたく、他人に使われるのが嫌だし、他人のを使うのが嫌だ。恋人との間は別として、親子との間でもそうである。
右のような私の性癖は、おのずから、他人との共感の範囲を狭め、自分自身を孤独な境地に持ってゆこうとする。そしてこの孤独な境地の中での自由を、私は何よりも好む。この自由を侵害されることが、私には最大の苦痛となる。
だから、例えば卑近な一事を挙ぐれば、お目にかかりたいが何日の何時頃に伺ったら宜しいか御返事を、というような手紙ほど、凡そ手紙の中で嫌なものはない。そのような予約は、私にとっては自由の制約と感ぜらるる。明日のことは今日は分らないのだ。
ところで、孤独な境地の中での自由というものは、考えてみれば、甚だ我儘なものであり、横着なものであり、勝手放題なものである。そのことを私は身を以て知っている。私は嘗て多年の間、片手間の学校の教師をしていたが、決して勤勉な教師であったことがなかった。妻が病死してからもはや二十年、却って独身生活の気楽さを感じている。
原稿を書く場合、止むを得ず徹夜でペンを走らせることもあるが、真の勤勉努力というものが私には足りない。机に向って沈思黙考することなど殆んどない。気乗りがしなければ、ぶらりと外に出かけて酒を飲む。そのアルコールが発散してしまわない限り、仕事は出来ない。ばかりでなく、世の中には、見たいもの聞きたいものが余りに多すぎる。つまり、遊惰な誘惑が多すぎるし、それに対する抵抗力が私に少なすぎるのだ。勿論、これでよいとは私は思っていないし、困ったものだと感じている。
だが、もっと打ち明けたところを言えば、仕事の実践よりも、それ以前の瞑想の方が遙かに楽しいのである。原稿紙に向っての文字による造形には、一つの決定的なものが要請されるが、その一歩手前の瞑想には、無限の可能性が含まれる。この可能性の中を、私は自由に逍遙したいのである。仕事に怠惰であっても、瞑想に勤勉だと、自惚れている始末だ。
このことは、随って、私の作品を、殊に小説を、方法論的に性格づける。現実の形象を観察し描写することは、私にとっては甚だ窮屈なのである。現実の形象を打ち壊したり組み立てたりすることが、私には楽しいのである。固より、個々の素材は現実から得て来たものではあるが、それを文学の世界に転位するに当って、自分の息吹きを可能なる限り通わせたいのである。それ故、何かのために、或るいは誰かのために、小説を書いてると言うよりは、むしろ、自分自身のために書いてるとも言える。
そういうわけだから、私の作品に対する或る種の評言を、私は甘んじて受ける。何を書こうとしたのか分らない、焦点がはっきりしない、抽象的すぎる、現実味が乏しい、などなどの評言である。私の造形的怠慢の致すところだ。この怠慢から、今後、出来るだけ脱出したいとは思っている。
ところで、自分自身のために書く意味合が多いということは、必ずしも、自分の作意と世の中とのつながりを無視したことにはならない。作家というものは、如何なる作家にせよ、その作中人物の在りかたを、理念に於いては、人間もしくは人類の在りかたの鏡に映して眺めるものである。作中人物はたいてい、断崖のぎりぎりの一線に指定されるが、その在りかたの意義を規定するのは、それを映し出す鏡の位置如何による。自分自身のために書く意味合が多いということは、この鏡の位置により多く忠実だと言うことに外ならない。
私自身のその鏡の位置は、どこにあるのであろうか。固より一定不変とは言えない。少しずつ、移動するのは、思想の生長にともない止むを得ないことだ。然し、孤独な境地の中での自由という基調は、どこまでもついてまわる。私はこの基調に於いて、現代の社会を解体する。解体しては新たにまた組織してみる。これが自然に、作品構想の瞑想裡に行われるのである。
ここで当然、私の社会観もしくは人間観を述べなければならないが、それはなかなか大変なことだから、手取り早く、数言で片付けよう。勿論、文学に関係ある面についてだけである。そして固より、実現の可能性のありやなしやは問題としない。
私は夢想する。何等の権力も存在しない自由な世界を夢想する。この権力という言葉は、拘束という意味にまで拡大して理解する必要がある。つまり権力とは、服従を強いるものばかりでなく、拘束し制約するものを指す。それが一切なくなるのだ。その上での自由である。だからここでは、各人が各人に対して自由であり、各人が各人に対して自主自立である。そういう世界を私は夢想する。
これは、断るまでもなく、人間の在りかたについてのことであり、文学上のことである。当面の政治問題や社会問題ではない。また、国家とか民族とか国際世界とかの当面の問題ではない。それらの問題が文学と無関係だと言うのでもない。ただ、人間の在りかたとして窮極的に考えるのだ。
ところで、何等の権力も存在しない自由な世界に、果して何びとが住み得るであろうか。人間の在りかたとして窮極的に考えられる世界ではあるが、そこに、摩擦なく安楽に、何びとが住み得るであろうか。答えは否定的ならざるを得ない。この点に人間の悲劇がある。私は作品の中で、この悲劇を、作中人物のものとして、また自分自身のものとして、執拗につつきたい。つまり、目指すところは、右様な世界に住み得る人間を育成することにある。
これが結局、私の仕事と世の中とのつながりである。これぐらいな信念がなければ、文学の苦渋な仕事は続けられない。他のいろいろなことは、私にとってはどうでも宜しい。あまり考えてみたこともない。
失いたくないもの、残しておきたいもの。──
これについては、私は当惑する。常識的に言えば、それはすべて物であり、美しいと感ぜられる物であろう。絵画、彫刻、美術工芸品、特殊建造物、名園、などなどを初め、日常の実用品のうち美しいと思われる物に至るまで、数え立てれば際限がない。然し設問の主旨はそんなところにはなく、特定のものを幾つか挙げて貰いたいのであろうし、或るいは風俗習慣や年中行事のうちの何かを挙げて貰いたいのであろう。だが私は今、そういうものを思いつかなかったのである。
このことに関連して、私は告白したいことが一つある。私は毎年、年末に、その一年中に受け取った書信をすべて焼却することにしている。昔からそうなのだ。如何なる関係の如何なる種類の人から来た手紙でも、すべて焼き捨ててしまう。だから、有名な故人の書簡集などが出版される折、それがたまたま私の知人だったりする場合、私宛の書簡の貸与を申し込まれて、ちょっと困ることがある。私信は公表すべきものでないという考えもあるし、第一、焼き捨ててしまっていたのだ。また、いろいろな人の形見にしても、棚の隅っこに埃をかぶって忘れられてることが多い。
こういう私の性情は、失いたくなく残しておきたいものは何か、という事柄から私を縁遠くさせがちである。進歩発展という意味でではなく、時々刻々の推移変転を私はむしろ楽しむ。温故知新は私の柄にない。非常冷淡な情けない奴だとも言えるが、また、現在もしくは将来にのみ生きる喜びを感じないでもない。
そういう次第故、この項の返答は御免蒙りたい。
底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月27日作成
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