「草野心平詩集」解説
豊島与志雄
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草野心平のことを、懇意な人々は心平さんと言う。親愛の気持ちをこめた呼称である。肉付き豊かな大きな顔に、ロイド眼鏡をかけ、口髭をたくわえ、そして蓬髪、とこう書けば、なんだか寄りつきにくい人のようにも見えるけれど、知人を認めるとすぐに、如何にも嬉しげな笑みを浮べ、なつかしげな眼色を漂わすところ、まさに心平さんなのである。その全体の風貌が、物事に拘泥せず、茫洋としている。
だが、その茫洋さのうちにも、おのずからに発露してくる一つの志向がある。道を歩いている時でも、居酒屋で酒杯を手にしている時でも、講演の壇上に立っている時でも、心平さんは、しばしば、いやたいてい、空の一角を凝視するか、地の一隅を睥睨する。そこに、心意の焦点が据えられているのだ。
このことを、単にロマンチックなものだと解してはいけない。内に、或は卑近に、思うことの深ければ深いほど、遠くに夢を追うことになるのだ。言い換えれば、身近かな情感と遙かな夢とが、表裏一体をなす。もとより、それのどちらが表とも裏ともつかない一体だ。そしてどこから突っついても、突っつかれたと感ずる時には、心平さんは徹夜してでも談論風発する。或は詩を作る。
これを、自然と人事と言い換えようか。詩集「大白道」に次のような「序詩」がある。本書(草野心平詩集)に採録しなかったから、少し長いがここに引用しておこう。
自然と人間のなかにはいると。
そのまんなかにはいってゆくと。
かなしい湖が一つあります。
その湖がおのずから沸き。
怒りやよろこびに波うつとき。
かなしみうずき爆破するとき。
わたくしに詩は生れます。
日本の流れのなかにいて。
自然と人間の大渾沌のまんなかから。
わたくしは世界の歴史を見ます。
湖の底に停車場があり。
わたくしは地下鉄にのって方々にゆき。
また湖の底にかえってきます。
なきながら歌いながら。
また歌いながらなきながら。
つきない時間のなかにいます。
詩を作る時のきびしさが、ここにある。詩人のきびしさが、ここにある。だが、心平さんにとっては、このきびしさが辛くはなくて楽しいのだ。泣くのも歌うのも同じことなのだ。そういうところから独特な「蛙」の詩が生れた。
「蛙」の詩が独特であるように、心平さん自身、特異な詩人である。今では、詩雑誌「歴程」の総帥として、詩業も貫禄も充分に備わっているが、なんとなく孤峯の感じである。敬愛する先輩として高村光太郎あり、また宮沢賢治あり、彼に兄事する後輩も多く、彼に心酔するファンも多数であるが、然し、日本の詩の系譜から見て、孤立孤高の感を免れない。そしてこれは寧ろ、心平さんにとって名誉なことだ。
知性と感性との渾然たる融合、鮮明なるイメージ、豊潤奔放なる韻律など、心平さんの詩の特長は、そうやたらに存在し得るものではない。
それからまた、心平さんのこれまでの詩業を通覧しても、特殊なものがある。たいていの詩人には、その詩集を以て名づけられる何時代というのがあるものだが、心平さんにはそのようなものは一向ない。例えば、その詩集を取ってきて、「母岩」時代とか、「大白道」時代とか、「日本沙漠」時代とか、そういうことを言ったならば、おかしいだろう。ばかりでなく、「蛙」の詩や「富士山」の詩は、十数年に亘って幾つとなく書き続けられたものである。恐らく今後もまだ続けられるだろう。
そこで、実は、本書を編纂するに当って、私はちと迷った。各詩集の名前を持ち出して、それに収められてる作品を並べる方法は、意義乏しいように思われたのである。考えた揚句、勝手な方法を用いた。作品の内容や性質によって、比較的類似なものを一纒めにすることだ。もとより創作年月の前後は問わない。
斯くして出来たのが、本書の八つの区分である。すべて私の作為だ。著者たる心平さんに一応の了解も求めず、勝手なことをしたことを、ここにお詑びしておく。と共に、このことを読者にも諒恕して貰いたい。ただ、この八つの区分は、私としては、心平さんの詩作に関する解説の総序ともなろうかと考えてる次第である。
一
天についての代表的な作品である。天とは、時空を絶した場であり、且つ時空を含んだ場である。この場を、心平さんは凝視し、把握しようとする。多彩に染められても無色なるに等しく、如何に傾斜しても水平なるに等しく、如何に荒れ狂っても静謐なるに等しい。これを表現するのは、容易なことではない。「天をじかの対象とすることは私には重すぎることだ、」と心平さん自身も言う。こういう重荷を持ってることは、詩人として却って幸福なことだ。
然し、天をじかの対象とせずとも、それを背景として、いろいろな表現が為され得る。その時、天の比重はさまざまになる。心平さんの近著「天」の後記の一節を見よう。
「数年前、私の天に就いての或る人のエッセイが詩の雑誌にのったことがあった。私はそれまで天というものを殊更に考えたことはなかったのだが、ふと……従来の詩集をひらいて天のでてくる作品に眼をとおした。あるあるあるある。私のいままで書いた作品の約七十パアセントに天がでてくる。」
「富士山の詩を私は永いあいだ書いてきたように思うが、もともと富士山などというものは天を背景にしなければ存在しない。」
つまり、天は心平さんの、意識的にせよ無意識的にせよ、バック・ボーンなのだ。本書に採録してる作品の多くにも、天が出てくる。だからここには、代表的なもの五篇だけに止めておいた。
二
ああ天の。
大ガラス。
薄氷をジャリリと踏んで自分はこの道を曲る。
同じ所に突っ立っていても、自然の夜明けは来るのだけれど、詩人の決意は、一つの道へ進み行かせるのだ。いずれの道へかと問う必要は、ここにはなく、ただ信念の道へというだけで充分であろう。
然し、道は暗い。殊に敗戦日本の道は暗い。誰だって泣きたくなるだろう。居酒屋の酒にも酔い痴れたくなるだろうじゃないか。だが、もう飲み疲れた。家に帰ろう。帰って眠ろう。それにしても、
時間よおれはおまえにきくが。
おまえの未来はギラギラ光るか。
おれだって、夢は持ってる。いつまでも持ってる。甞てもそうだった。友と二人で、曇天の下、芝浦埋立地にじっとしていたことがあり、お互に夢を持ってそうしていたことが、泣きたいほど嬉しかったのだ。其後、死んでいった友もあり、別れていった友もある。
これを、甘い感傷と言う勿れ。心平さんの敏感なそしてやさしい心根なのだ。
三
人事は常に変転するが、自然のうちには、些細なものにも幽遠な影が宿っている。一塊の石にも、億年の姿がこもり、或は壮大な光りが映る。
竹のたたずまいの、雄々しさよ、またやさしさよ。降る雪の静けさよ。皿に置かれてる塩鮭の一切にも、なんという美があることか。
春ともなれば、大地は泣きたいほどの豊満さにふくれ上り、いつ如何なる時でも、江戸川の水は流れ動いて、常に新らしい悠久さを失わない。
それらを観取するのは、詩人の眼であり、眼の映像を夾雑物なく鮮明に浮き出させるのは、詩人の表現である。──ここでは、心平さんはすっきりした詩人である。だから、「東京公園」の如き種類の幻想も、いやな臭気を立てないのだ。
四
心平さんにとっては、中華民国は第二の祖国とも言えるかも知れない。中国に対してただに親愛感を持ってるばかりでなく、実際に、広東の嶺南大学に学んでいる。なお後年、南京に長く定住し、そのほか、中国の各地を歩き廻った。
だから、中国の人事風物は、エキゾチックな感懐を心平さんに起させはしない。特殊な事柄だけが詩情を煽るのである。ここに採録した数篇を見てもそれは分る。
個々の作品について云々するのは止めよう。全体として、支那大陸の雰囲気が漂ってることと、表現が壮重になってることとを、指摘しておけば充分であろう。
五
ここには、壮麗な絵巻物が繰り拡げられる。
古代狩猟の景観は、銀壺の文様に制約されて、いささか窮屈な憾みなしとしない。
ところが、「牡丹圏」になると、突如、絢爛たる大舞台の幕が切って落され、咲き乱れてる牡丹の花を背景に、大猩猩が存分に舞い狂う。次の大舞台では、牡丹の花と天女の音楽のなかで人間と鬼との、奇怪な、滑稽な、実は真面目な出会。そして最後に、螺鈿の天の大満月。──表現は奔放自在、韻律を無視した語彙。まさに歌舞伎のそれである。
「鬼女」になると、同じく大舞台ではあるが、歌舞伎から能へと、引き緊った感じである。詩としての格調も整ってくる。
これらの絵巻物は何を示すか。心平さんの、覇気と冒険と能才とであろう。
六
海は天と照応する。
自然のうちで海こそは、心平さんが最も心惹かるるものであろう。心平さんが地の一隅を睥睨する時、その瞳には、地平を超えて、遙かに海が映らなかったであろうか。
海は流転きわまりなく、ことごとに色を変え、ことごとに相貌を変え、千古を通じて新らしく、永劫を通じて古く、非情のうちにすべてを呑みつくして、万鈞の重みに静まり返ってるのである。
その海が、心平さんの心眼の中にあって、そして心平さんは機会ある毎に、方々の個々の海を肉眼で見たがる。見てはそれを歌う。日本海を歌い、エリモ岬を歌い、オホーツク海を歌い、ベーリング海峡を歌い、タスカローラ海溝の底にもぐってまで歌う。
雨雲の垂れた寒い日、知らず識らず、浦安の泥海のほとりまで行って、心平さんは甞て叫んだ、「実際汝、アルノミ、海、」と。然し、海のみではなかった。
黒燿石の微塵ノヨウニ。
キシム氷ノ黒イ。
海。
これに照応して、
満満ミチル無数ノ零ノ。
黒ガラス。
天。
海の詩はなお今後も書かれることだろう。
七
漸く「富士山」に辿りついた。
心平さんは富士山の詩人とも言われる。十数年来、富士山の詩を幾つも書き続けてきたからだ。今後も続くことだろう。
ところが、心平さんは富士山そのものだけを歌ってるのではない。存在を超えた無限なもの、日本の屋根、民族精神の無量の糧、として歌っているのだ。そして殊に、前に引用しておいた文章が示す通り、もともと富士山などというものは天を背景にして存在するのだ。
斯くて、富士山はもはや象徴である。現実の富士山の姿態などは問題でない。けれども、象徴は具象を離れては存在しない。心平さんの富士山はやはり美しい。その美しさが、平面的でなく、掘り下げられ深められてるのを見るべきである。
これらの作品に於て、知性と感性との比重がどうなっているか。比重の差は多少ともある。その差の少いもの程、すぐれた作品となすべきであろう。
なお、ここに私は「阿蘇山」の一篇を採録しておいた。いずれ阿蘇山にも取っ組んでみたいという、心平さんの言葉を記憶してるからである。然しこれはどうなることやら、今のところ保証の限りでない。
八
心平さんは、富士山の詩人であるよりも、より多く「蛙」の詩人である。そしてここに於て、最も独特である。
心平さんが著した最初の印刷詩集は、たしか、蛙の詩を集めた「第百階級」だった筈だ。そして最近にも蛙の詩を書いている。つまり、最初から蛙を歌い続けておるし、なおいつまで続くか分らないのだ。
第百階級とはよくも名づけたものである。この原始的動物を心平さんは掘り出し、大事に護り育ててきた。蛙を歌った詩歌の類は古今東西に散見されるが、心平さんのようにこれを愛育した例は、他にない。
富士山が象徴であるように、心平さんにとっては、蛙も一種の象徴である。一種の、と言うのは、富士山の場合と少しく意味合が異るからだ。心平さんは先ず蛙を、あくまでも蛙として追求する。時によっては客観的にさえ追求する。追求してるうちに、しぜんと、他のものが付加されてゆく。何が付加されるか。それは、蛙自体の成長そのものだ。よそから、持って来られたものではない。蛙自体が成長して、やがて、人間と肩を並べる。蛙の本質的脱皮だ。蛙はあくまでも蛙だが、もはや昔日の蛙ではない。そこに、一つの世界が創造される。
新たに創造されたこの世界で、蛙は独自の言語さえ持つ。この言語の日本語訳までが必要になる始末である。
こういう蛙を歌った諸作品で、心平さんの豊潤な韻律は、鮮かなイメージを造形する。眼で読むよりは、耳で聴くがよい。心平さんが「蛙」の自作を朗読する時、聴者の脳裡には、その韻律の美しさにつれて、さまざまな形態がくっきりと浮び上ってくるし、妖しい情景が顕現されてくる。
作者の呼吸と、作品の呼吸とが、ぴったり合っているのだ。
そして、それらの蛙の或る者は、時に、心平さんと同じくヴァガボンドの風貌を帯びるし、時に、心平さんと同じく根元的な歓喜や悲哀におののくし、時に、心平さんと同じく地の一隅を睥睨して遙かな海を偲ぶし、時に、心平さんと同じく空の一角を凝視して天に憧れるのである。
斯く言えば、言い過ぎであろうか。もし言い過ぎであるならば、心平さんと読者とにお詑びをしましょう。
底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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