新たな世界主義
豊島与志雄


 戦争は終ったが、平和は到来しなかった。人類が待ち望んでいたような平和は到来しなかった。それは遠い過去に置きざりにされている。歴史の歩みは早い。将来に平和があるとすれば、それは過去のものとは異った形態のものであろう。その平和を、吾々は、そして人類は、獲得しなければならないのだ。武器は一応収められたが、破棄されたのではない。ホット・ウォアからコールド・ウォアに移行したが、この両者は紙一重の差である。前途の見通しはつき難い、というのが世界の現状である。それでも、否、それだからこそ猶更、人類は新たな平和を模索するのだ。

 こういう情勢はまだ当分続くだろう。そして恐らく、その情勢の中で、中国と日本とは対面するだろう。今のことではない。日本はまだ連合軍の保障占領下にあって、講和条約は結ばれていない。中日両国の対面は先のことだ。先のことだけれど、その対面の情景を想像することは、ちょっと……楽しい。両国はどんな態度を取るだろうか。

 終戦後、日本は急激に変りつつある。本質的にはあまり変っていないと言う人もあるが、然し、脱皮の意欲と努力とは真実なものである。是非とも脱皮しなければならないのだ。もしここで脱皮しなければ、敗戦の意義も、戦歿者達が流した夥しい血潮も、それこそ本当に無駄となる。そのことを、心ある人々は知っている。そのことを、日本は感じている。脱皮はなされるであろう。そして脱皮の後、日本の相貌は変るであろう。日本はこれまで、請わば四方壁の牢獄の中にいた。将来は、四方開け放しの日本家屋の中に住むだろう。この四方見通しのきく家屋の中から、日本は夢からさめたように、茫然と世界を見渡すことだろう。そこで、深呼吸をして、背伸びをして、起き上らねばならないのだが……。

 中国は、戦争に勝って一息ついた。そして憲法の制定とか国民大会代表議員の選挙とか、其他、近代的統一国家への歩みをふみだした。それが、たとえ戦乱の影響もあったとは言え、民国革命後三十数年たってのことだ。そして今後の国歩は更に一層の困難が予想される。

 中国はあまりに大きくあまりに広い。一の国家であるよりも寧ろ一つの社会であると言われた所以である。そこには特殊な事柄が起る。現在、上海にはインフレの暴風が吹き荒れているが、その風に直接さらされるのは、大都市と政府ぐらいなものであろう。内地の小さな町や農村や漁村など、つまり大部分は、さし当っての暴風の圏外にある。屋台骨はびくともしないのだ。然し、それも長い間にはひびがはいらないとは限らない。また、中国は対外戦に勝ちながら、対内的には武器を収めかねている。国府軍と中共軍とは実に悠長に戦線を波動させている。而もこの悠長な動きの中に、やがて、莫大なエネルギーが蓄積されるかも知れない。ドイツからギリシャからインドを経てシナに至る半月形の曲線は、世界的大地震を起す懸念のある断層なのだ。この断層の最も幅広いそして奥深い底部に、丁度中国は当る。

 戦争に勝って一息ついた、その一息が、実は休憩や安堵のそれでなかったことを、心ある人々は知っている。中国自身が感じている。前途の見通しは暗い。何か特別な光明が必要なのだ。その光明も、空が晴れて太陽の光りがさしてくるような工合のものではない。自力で作り出さねばならないものなのだ。

 そういう状態で、中国と日本とは対面する。顔を見合せてみれば、古くからの隣り同士の仲だ。

 中国はちょっと嶮しい眼付をして見せるだろう。そして慇懃な身振りをするだろう。乱暴で腕白だった日本に対して、一種の警戒心を捨てることが出来ないのである。然しやがて中国は、日本の言葉の調子が以前と違っているのに気付くだろう。真意不明の口先だけのものではなくて、なにか率直な響きが中に籠ってるのである。率直なばかりでなく、苦悩と自信との色合さえも見えるのである。そして日本は時々、自分の真意を表白すべき新らしい言葉を探しながら、吃ったり呟いたり、急に大声で叫んだりするだろう。そこで中国は気を許して笑うだろう。

 日本は初め、極りわるげに眼を伏せるだろう。中国がもう立腹していないし、報復の念を少しも持ってはいないと、よく知っていながら、なにか拗ねてみせるだろう。それから眼を挙げて、中国の様子が変っているのに気付くだろう。中国はやはりでっぷりと肥って逞ましいが、なんだか急に年老いたようだし、淋しそうだし、苛ら苛らしているようである。そのことが、日本にとっては悲しくてつらいのだ。そこで日本は饒舌りだすだろう。思ってることがうまく言えないので、吃ったり呟いたり叫んだりするだろう。それがおかしくて、中国は笑うだろう。日本もそれにつられて初めて笑うだろう。

 こういう情景は、恐らく、中国と日本との外交関係の中には展開されないだろう。私は外交というものをそう易々とは信じない。私がここに描き出したのは、中国の良識と日本の良識との間のことだ。両国の良識の間では、右の空想的な情景も真実として生き上るだろう。果して生き上るとすれば、両者は互に笑って見合せた後、手を差しのべて握手を交わすに違いない。

 この握手の中で、極東という地域が意識される。中国も日本もこの地域の中にある。それは両国の生存の場だ。この地域の安寧が脅かされることは、両国の生存が脅かされることになる。そしてこの地域の安寧のために、即ち両国の生存の平安のために、両国は提携しなければならないのだ。過去にこだわらず、新らしい時代のために提携しなければならない。

 両国の親善提携については、これを望む声が中国に高いと聞く。新らしい日本は固よりそれを希求している。そしてこのことに関する具体的な意見は、識者の間に数々あろう。

 さし当って先ず、中国の天然資材や農産物は日本のために大いに役立ち、日本の技術は中国のために大いに役立つということは、一般の常識である。そして実際に、中国の豊富な資材や農産物が如何ほど日本に輸入されることが出来るか、これは中国の寛大な処置に頼るより外はない。その代り日本では、各種の技術、技師や医師の多数を中国に喜んで供給するであろう。──嬉しい一例を茲に挙ぐれば、中国人呉主恵氏の経営する中華交通学院というのが、名古屋にある。この学校は、学内で一社会を形成するような特殊の組織を持ち、将来中国の鉄道技師として働き得るだけの能力を、多数の日本青年が習得しつつある。

 次に文化的提携交流は、両国の親和に根深い基礎を与えてくれるであろう。既に、両国の過去の文化の交流は、殊に中国文化の日本への流入は、充分なほど成されていること、周知の通りである。然し、真に要望されるのは、直接現在の思想交流である。中国が最も知りたいのは、敗戦後の社会革命途上にある日本のことであろう。日本が何を目指して進んでいるか、何を考え何を求めているか、そのことであろう。また日本が最も知りたいのは、中国の現在の相貌なのである。民国革命後の所謂モダーン・チャイナでさえも、もういくらか過去のものだという感じがする。こんどの大戦を機縁としてまだ始ったばかりのこの新時代に、中国の指導者層は、知識層は、青年男女は、一般大衆は、どんなことを感じ、どんなことを考え、どんなものを求めているか、それが知りたいのだ。

 お互にそういうことを知り合うには、親しく交際するのが最も近道である。次には書物に頼ることだ。言語の障壁は飜訳によって除かれ得る。飜訳書の出版を盛んにすることだ。これについては、中国も日本も飜訳権などのことをうるさくは言わないに違いない。良書の選択と良心的な飜訳と、この二つの条件さえ揃えば、他に面倒なことは起るまい。そしてこの二つの条件は、両国とも容易に具備され得るだろう。見通しは明るい。──其他、共同研究所の開設とか、教授や学生の交換とか、方法はいくらもあるだろう。

 ところが、最後に問題が一つ残る。経済や技術や医療など、実用的な方面のことは、隣接の地理的条件、生活条件のため、提携は比較的容易く行われるだろう。然し精神文化の部面に於ては、距離は勘定に入れるわけにはゆかない。またこの大変革の新時代にあっては、旧来の伝統も、大した力を持つとは思えない。儒教も仏教も、実際的には既に中国でも日本でも死んでいる。同文同種などということも、もはや信頼の根拠とはならない。そして近代文化については、中日両国とも後進国に過ぎない。お互について学ぶよりも寧ろ、先進の米英仏露に学びたいのだ。

 こういう事情の下に、最も大切な文化的提携交流が、如何にして可能であるか。単に好奇心から発したものや、後進同士手を執り合うという気持ちから発したものなど、浅薄なもの以外に、真に鞏固な根深いそれが、如何にして可能であるか。互に刺戟し研磨し、互の創造力を助長し合うような根拠が、どこかに見出せないものであろうか。

 吾々の生存の場として再認識される極東の地域は、中日両国の親和提携によらなければ、その安寧は期し難い。然しながら、両国の親和提携のみに頼るわけにはゆかない。現代では、地球は余りに狭い。一局部の波紋は直ちに全世界に伝わる。極東にも全世界の波瀾が押し寄せる。そして全世界は安定ではなく、国際連合の努力にも拘らず、時にはその努力が宙に浮き上るほど、動揺の胚種が地盤に内蔵されている。いつ、いずこに、如何なる爆発が起るか分らない。その時にまき起される波瀾に、極東は自力で対抗出来るか。

 日本は既に武力を捨てた。自己防衛の力さえも持たない。中国はその広大な土地と四億数千万の人口とを持ちながら、内部抗争の紛擾の中にある。忌憚なく言えば、中国は一種の泥沼であって、そこに足を踏みこんだらもう足掻きがとれないと、看做されている。そしてそのことは、外部に対する防壁とはならず、却って、防壁の薄弱を意味する。斯かる極東の地域は、国際外交の契約によって、軍事的な或は政治経済的な取極めによって、一時の安寧は保てようが、もしも事あって押し寄せてくる世界の波瀾に対しては、甚だ微力であるとしなければなるまい。

 とは言え、人は不安の中にも生きる、動揺の中にも生きる、苦難の中にも生きる。生きなければならないのだ。そういう生き方は、安泰の中に生きるよりも強烈だ。外に確固たる地盤がなくとも、内に信頼すべき支柱が拵えられる。斯くなれば、もう精神の問題である。人間の問題である。そして現代のヒューマニズムは、もはや、人間の復活でもなく、人権の回復でもない。それは新たな人間の生誕、新たな人生観の確立である。

 日本人は今、陣痛の苦悶をなめつつある。脱皮して新たな自己を産み出す陣痛なのだ。この陣痛を通りぬけて初めて、自立することが出来るであろう。

 これまで日本人は、上下に貫く強力な組織の中に縛りつけられていた。封建主義、階級意識、官尊民卑思想、其他いろいろな言葉で表現されるこの上下の組織は、つまり権力の上に成立していた。この権力を打倒しなければ、人は自立することが出来ないのだ。而も現代社会に於ける人間の自立は、個人々々の人格的自覚の上にのみ在るものではなく、大衆の有機的一員としての自覚、社会の有機的一員としての自覚、そういうものの上にも在らねばならない。言い換えれば、自己と社会とを含む自治精神によっての自立なのである。この自治精神は、あらゆる種類の強権主義に反撥するが、然し単に政治的にのみ理解されるものではなく、人間の生き方として理解されなければならない。

 それからまた、日本人は世界のあらゆる文物を急速に取り入れながら、自己の殼を脱ぎ捨てることを怠っていた。その最も顕著な現われとしては、国内に於いては、他国の人々に対していつも微笑を示しながらも、自分のまわりに屏風を立て廻し、胸襟を開いて交際することが出来なかったし、国外に於いては、その風土になじむことをせず、いつも自分等だけの特殊部落を拵えた。そういう殼を、日本人は脱ぎ捨てなければならないのだ。一つの民族たることがまた人類たることへ通ずる精神、即ち世界精神こそ、日本が現在あろうとする平和国家の人間には、不可欠の条件である。かかる世界精神は、外交的儀礼の一作法として理解されるものではなく、体得された心理感覚として理解されなければならない。

 この二つのもの、自治精神と世界精神とを、日本のエリット達は己が旗幟として掲げようと必死になっている。障碍は多い。然し努力は挫けないであろう。そしてこのことに、中国のエリット達は必ずや衷心から同感するに違いない。中国にはこの二つの精神が、意識的にせよ無意識的にせよ、既に多分に存在するのだ。

 私は嘗て、中国の現在の或る人々について、彼等が中国人であるよりもより多く世界人であると、驚嘆と同感の念を以て言ったことがある。その時、中国の知人達から、それは皮相な見解であるとされた。或は実際そうであるかも知れない。欧米で修学した人々が、欧米の風習を容易く身につけている、その外見だけに囚われた見方かも知れない。そうであるかも知れないが、然し、他の見解も成り立たないであろうか。

 魯迅の作品には、民俗的な生活雰囲気が余りに色濃く描かれているが、それに対する愛憐と嘆息との色調があり、この色調の源泉を重視してもよいであろう。林悟堂の真姿は、彼の中国語の文章の中にあるというのが本当だとしても、英文の著作の中にある彼の姿もまた、虚偽のものではなかろう。他国にある華僑たちは、その相互間に、連帯責任と相互扶助との密接な連繋があるとしても、異境に悠々自適するその生活態度は、重視するに価しよう。中国の社会は広大で複雑で、互に通じ合わぬ幾つもの言語が現存し、頭脳の回転の速度も北部と中部と南部とでは可なり異り、政治経済の情勢も時と処とによって変るが、そういう社会に生きてる或る人々の社会的訓練は、そのまま国際的なものにまで通用する性質のものではなかろうか。その他、例証はいくらもあるが、それらのものが、或る人々の身に着いて、その精神状態の基盤となる時、それはもはや一のローカル的特色ではなくて、世界精神の温床であり萠芽であると言ってもよかろう。

 また、自治精神については、これは既に中国民衆の智慧となっている。彼等が、あらゆる権力に背を向け、政治に対して無関心でさえあり、而もさまざまの動乱の中に怜悧に身を処していることは、周知の通りである。──知識階級の若い人々の熱烈な政治論議が、往々にして宙に浮くのは、この民衆の智慧を見落していることに由来するのではあるまいか。

 世界精神と自治精神、この二つのものの追求に於て、中日両国のエリット達は、堅く結ばれるであろう。暗澹たる不安動揺の世界情勢の中に、それは一つの灯火ともなり得る。大戦後に模索される新たな平和形態は、この二つの精神に貫かれたものであるだろうと、否、それでなければならないと、私は思う。ここに一つの世界主義が生れる。

 東洋流の諦念は、吾々の精神生活をも肉体生活をも、つまり吾々の生活を、余りにも無力な貧しいものにした。然しこの諦念は、人間の生き方の自然主義から来たものであり、そしてこの意味の自然主義は、自然をも同化するという積極的なものを本来は持つ。それは西洋流の合理主義或は科学主義と、対立するものではなくて、表裏の関係にある。この裏をも表をも呑みこんで身につけることは、言われるところの人類の危機の時代に於いて、生きる上に力強いことなのだ。

 そのような意味に於いて、東洋流の諦念は脱却されなければならない。そしてその上での新たな世界主義の提唱なのだ。これを、吾々の芸術に、思想に、政治理念に、文化一般に盛り込むべきである。自治精神と世界精神とによる世界主義、これに中日両国の人々は同感するであろうか、否か。同感するであろうと私は信ずる。

底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社

   1967(昭和42)年1110日第1刷発行

入力:tatsuki

校正:門田裕志

2006年427日作成

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