幻の園
豊島与志雄



 祖母はいつも綺麗でした。痩せた細そりした身体付で、色が白く、皮膚が滑かでした。殊に髪の毛が美事でした。多くも少くもないその毛は、しなやかに波うって、ぼーっと薄暮の色を呈していました。際立った白髪の交らない、全体の黒みがいちどに褪せたそういう髪を、私は他に見たことがありません。

 祖母は病身のようでしたが、別に寝つくこともありませんでした。仕事という仕事をしたことがなく、手なぐさみに何かいじくったり、新聞や絵本をよんだり、またよく縁側の日向で、何にするのか、紙縒をよっていました。

 私は兄弟姉妹がなく、ただ、一人ぽっちでした。祖父や両親は用が多かったので、祖母も一人ぽっちのようでした。それで私と祖母とは一番仲よく遊びました。夜になると床を並べてねて、祖母からいろんなお話をきくのが、私の何よりの楽しみでした。

 そのお話の一つ──。

 むかし、或るところに、お化屋敷がありました。誰も住む者もない家の裏庭に、きのこがいっぱいはえていまして、そこにお化が出て、人をとって食べてしまうのです。どんなお化が出るのか分かりませんが、その裏庭にはいって、無事に戻って来た者は一人もありませんでした。

 強い武士たちが、お化退治にやって来ました。先ず家の中にはいって、夜になるのを待ちうけて、裏庭へ出て行きますが、その菌のはえたところへ行くと、みんなお化に食べられてしまいました。どういうお化が出るのか見届けた者さえありませんでした。

 ここに、一人の賢い若い武士がいました。昼間のうちに、その裏庭へ行って、よく調べてみましたが、大きな菌がいっぱいはえてるだけで、何の怪しい点も見つかりませんでした。

「この菌があやしい……。」

 若い武士はそう考えました。そして夜になると、塩を袋一杯用意して、裏庭へ出ていきました。

 ぼーっとした明るみがさしていました。彼はつかつかと庭の中にふみこみました。すると、一面にはえている菌が大きくなり、傘よりももっと大きくなって、彼を包みこもうとしました。その時彼は袋の中の塩をつかんでは、菌にふりかけました。塩がかかると、大きな菌はしおれしなびて、力がなくなりました。彼は刀をぬいて、それを切りはらいました。

 翌朝になると、菌はすっかりなくなっていました。それからはもう、お化が出ることもなくなりました。

 ──それだけのお話です。このお話を、私は一番はっきり覚えています。なぜだか自分にも分りませんが、昨日聞いたもののように鮮かな感銘が残っています。

 恐らくは、そのお話としっくり感じの合うような私たちの屋敷だったからでもありましょう。

 三千坪ほどの土地でした。北の隅に、根本が十抱えほどもある大きな楠が聳えていまして、その傍に榎や椋や椿の古木が並んで、それらのからみ合った根が小高い塚を拵えていて、石の稲荷いなり堂が祭ってありました。楠の枝葉の茂みの下に家がありました。深い井戸には、楠の白根が出ていました。

 家の前に、塀をめぐらした内庭、それから外庭。外庭の先は下り坂で、遠くの山まで見渡せました。坂の両側の傾斜面は、深い竹林で、その中に、清冽な清水のわき出る大きな池があって、黒や赤の鯉が泳いでいました。竹林の片隅に、先祖代々の墓地がありました。墓地のまわりには大きな杉が立並んでいました。そのほかいろんな大木が四方にありました。

 こうした古い家敷には、何かしら、一面に菌でも生えそうな感じがありました。どこかの隅には、お化が出る気味悪い場所もありそうでした。

 けれども、その中に点綴するいろいろな楽しみもありました。

 梅の花が咲き、桜の花が咲き、椿の花が咲きました。梅の実が大小さまざまに沢山なりました。梨の実が一日一日と大きくなっていきました。桃や枇杷が熟しました。柿が房をなして色づきました。蜜柑や金柑が至るところに微笑んでいました。椋や榎の実を食べに小鳥が群れてきました。

 それらのものの下で、私は祖母と遊びました。四季折々の草花も育てました。鶏や山羊や鳩にも餌をやりました。池に玩具の舟を浮べました。墓地一面の金色の苔の上から、落葉を拾いました。

 墓地の隅に、碑銘も何もない小さな円い石が一つ立っていました。

「あなたの兄さんのお墓ですよ。生れてじきに亡くなりましたが……。」

 祖母はそう何度かくり返して云いました。その児が生きていたら……という思いが自然と口に出るのだったでしょう。

 けれど私は、生れてじきに亡くなったその兄のことよりも、もっとほかの同胞のことに気を惹かれていました。同胞……兄か弟か姉か妹かそんなことは分りませんが、何だか私にはまだ同胞があって、それがどこかで丈夫に元気に生きている……という気がしたのです。いつそんな考えが起ったのか分りませんが、しまいにそれは殆んど確信に近いものとなっていました。今に私はその同胞を探し出し、名乗りあわなければならない。けれど、どこを探したらいいか。そのことを、私はどんなにか祖母に尋ねたかったのです。そしてまた何となく尋ねにくかったのです。

 どこかに自分の同胞がいる……それはいつか夢にみて、その夢をどうしても忘れかねてる、そういう気持に似たものでした。本当かどうか、本当にはちがいないがもっと確かめてみたい……。

 椿の花が落ち散ってるのを拾い集めている時、赤い熟柿を小鳥がつっついてるのを眺めている時、私は祖母の顔色を窺いました。けれどやはり尋ねかねました。そのたった一つの秘密を祖母に打明けられないことが、私の何よりの悲しみでした。

 けれども、その秘密を話し合える友だちが一人、私にはありました。近所の、みよ子という私より一つ年上の子供でした。

 私は家の中で、祖母を除いては殆んど一人ぽっちでしたが、村でも殆ど一人ぽっちでした。代々の農家ばかりの村では、二三軒の士族は一種の特別待遇を受けていましたし、その士族どうしはまた妙に冷かな交際ぶりだったものですから、士族のうちの一つである私の家は、親しい交渉を村内には持っていませんでした。そういうことが子供にも影響していました。その上私の家は表が長い坂道になっていましたので、それをわざわざ上ってくる子供もなく、私もそれをわざわざ下りてゆくこともせず、いつも家敷の中で一人遊んでいました。ただ、みよ子だけが時々坂を上ってきてくれました。

 みよ子の家は農家でしたが、何かしら一種の家風を具えた富有な家で、その父親は私の父と特別の交渉があるらしく、屡々訪れて来ていました。そして私とみよ子とは、いつから知り合ったともなく、親しくしていました。みよ子には生れて間もない弟が一人ありました。

「僕には、どこかに兄弟が一人いるような気がするよ。」と私はみよ子に云いました。

「あたしもそうよ。」とみよ子は云いました。「あの赤ん坊とは、あたし姉弟きょうだいじゃないかも知れない。」

 そして私たちは、どこかに同胞があるという秘密をお互に話しあって、手をとりあって籔影に隠れにいくのでした。籔影には、名も知れない小さな雑草に、白い花が咲いていたり、赤い実がなっていたりしました。

「お祖母ばあさんに聞いてみたいんだけれど、どう云って聞いたらいいかしら……。」

「およしなさいよ。ひょっとすると、あたしたちが姉弟かも知れないんだもの。」

「うん、そうかも知れない。」

 そして私たちは眼を見合って、ずるそうに微笑みあうのでした。もし私たちが姉弟だったら、そんなこと、祖母に聞いては猶更悪いような気がしました。

 私の父とみよ子の父とが一緒に町へ出かけますと、私たちは同じようにおみやげを買ってきて貰いました。硝子玉やメンコやお手玉やコマや絵本など。それをみよ子は私の家に持って来、私のと一緒にして箱にしまっておき、二人で共同に使いました。遊びには男と女との区別がありませんでした。一緒にお手玉をしたりコマを廻したりしました。祖母は私たちにお手玉の面白い歌を教えてくれました。御殿で歌われたのだそうでした。御殿というのは、旧藩主の小さな分家で、祖母は若い時、奥女中としてそこにあがっていたことがありましたのです。

 御殿の話を祖母はめったにしてくれませんでしたが、時には面白いことをきかしてくれました。狸のいたずらが何度も話の中に出て来ました。

 狸は人をばかす代りに、人からもだまされるそうでした。人の声や足音をよくまねました。そして月のいい晩には、木の上に登って腹皷をうっています。そこへふいに、大きな声で何か云うと、云われた通りになるのです。狸が死んだと叫ぶと、死んだまねをするし、木から落ちたと叫ぶと、本当に落ちてしまうそうです。

 私はみよ子と、よく狸ごっこをして遊びました。

 住宅のすぐ横手に、土蔵が一つありました。旧藩時代には煙硝蔵だったのを、譲り受けて家にもって来たものだとのことでした。その入口の重い扉が開かれているような時、私はみよ子を誘って、その中で狸ごっこをしました。どんな風の日でも、その土蔵の中はしいんとしていて、高い小さな窓からさす明るみが朧ろで、ほんとに狸になったような気がするのでした。

 二階には畳が敷いてあって、いろんな器物の箱が並んでいました。祖母はそこで器物の手入れなんかをしてることが度々ありました。

 梨の白い花が散りかけた頃のことです。祖母が土蔵の二階に上って、いつまでも出て来ませんでした。私は何だか気になりました。というのは、その前日、見知らない男が二人やって来て、大きな鎧櫃一つと、刀を数本と、掛軸を幾つか、車につんで持っていったのでした。家の中がみんな不機嫌でした。そのことを思い出しましたので、祖母のことが気になって、見に行きました。

 祖母はいろんな器具のとりちらかされた中に坐って、大きな杯をじっと眺めていました。ばかに大きな三組の朱塗りの杯で、その真中に、うちのとちがった美しい紋章が、金ではいっていました。私が一緒に眺めていると、祖母は独語のような調子で云いました。

「これはお殿様から頂いたものです。」

 私はその調子がおかしかったので、祖母の肩につかまって笑いました。祖母は怪訝そうに私の方を見ました。そしてやはり同じような調子で云いました。

「大事な品ですから、覚えておくんですよ。」

「どれが一番大事なの。」と私は尋ねました。

 祖母は眼をしばたたきました。

「三つとも大事なの。」

「ええ。」

 その時、私は祖母をからかうつもりでいましたが、ふと、重大な問題が頭に浮びました。土蔵の中のしいんとした静けさとしっとりとした空気と、高い窓からさす空の反映の薄ら明りが、祖母と私との間の距りをなくしてしまいました。

「お祖母さん、」と私は祖母の肩に顔をくっつけて云いました、「それを一つ分けてやってもいいでしょう。」

「え、誰にです。」

「僕には、どこかに、兄弟があるんでしょう。ね、あるんでしょう。僕逢いたいんだけれど……。」

 祖母はじっと、でも静に、私の顔を見ていましたが、ふいに、私を膝に抱きよせました。

「あなたは何を考えているんです。そんなことはありません。あなたには、あの亡くなった兄さんきり、兄弟はないんですよ。」

「うそ、うそ。兄弟があるんでしょう。ね、本当のことを聞かして……。」

「いいえ、兄弟はありません。……けれど、お父さんには、ほかにもたくさん兄弟があります。」

 私はびっくりして顔を挙げました。

「僕は知らない兄弟があるの。」

 祖母は息をつめたように静かでした。眼が宙にすわって、夢をみてるもののようでした。今迄よりもずっと美しい祖母でした。

「話してあげましょう。お父さんは、お殿様のお子さんですよ。わたしが御殿につとめていました時、お胤を宿して、そのままこちらへお嫁入りしてきたのです。分りますね。だから、あなたもそれを忘れないで、立派な人にならなければいけません。」

 何だか知らない熱いものと冷たいものとが、いっしょに私の心の中にはいってきました。父一人がお殿様の子供だったのか。よくは分らないが、ただ漠然としたその事実だけが胸にきて、私は祖母の胸にすがりついて、涙ぐみました。祖母は私を抱きしめて、いつまでもじっとしていました。私は父の顔をはっきり描きだしました。広い温厚な額、高い鼻、美しい長い口鬚、恥しそうな笑顔……ほかの兄弟──伯父さんたちと違ってる顔でした。

「誰にも云ってはいけませんよ。あなた一人にだけお話するんですから……。」

 そして祖母はまた長い間私を抱きしめてじっとしていました。

 私が鼻をかんで、黙って離れますと、祖母は三組の杯を丁寧に箱に納めました。そして私たちは土蔵から出て来ました。外の光がまぶしく思われました。

 そのまぶしい光に眼も馴れると、私はひどく力強くなった気がしました。もう何の秘密もないんだ。私は何もかもみな知ってるのでした。

 私は家敷の中を歩き廻りました。青竹を切って弓矢を拵えたりしました。

 みよ子が遊びに来ると、私は云いました。

「お祖母さんに聞いたよ。僕には兄弟はないんだって……。」

 みよ子は眼をくるくるさせました。

「僕は一人っ児なんだ。君とも姉弟じゃないよ。」

 みよ子の眼が大きくなって、それから小さくなって、涙がぽろぽろ落ちました。

「泣かなくてもいいよ。」そして私は一寸傲慢な気持で考えてから云いました。「その代りやっぱり姉弟になろう。」

 私はみよ子を引張って、奥の十畳の座敷に行きました。そこはいつも綺麗に片付いていて、床の間には大きな山水の軸がかかり、青銅の花瓶や刀掛などが置いてありました。

「僕はね……。」

 云いかけて私は、座敷の真中に立悚みました。祖母から聞いたことをうっかり話すつもりだったのが、誰にも云ってはいけないという言葉を思い出すと一緒に、本当に誰にも云ってはいけないという気がしました。それが私をとても淋しくしました。私はみよ子を引張ってきて、何をするつもりだったんでしょう。お殿様ごっこ……姉弟の誓い……そんなものも頭から消えてしまいました。

 私は頭を振りながら室の中を歩きまわりました。

「何をするの。」

 みよ子は私の様子を見て、もう笑っていました。

「坐り相撲をとろう。」

「いやよ。」

「なぜ。」

「だって……おかしいわ。」

 室の中を見廻すと、屏風がありました。みよ子に手伝わして、屏風を二枚もちだし、それを座敷の真中にまるく立廻しました。

「この中なら大丈夫だ。坐り相撲をとろう。」

 みよ子は笑いながら屏風の中にはいって来ました。天井につきぬけてる十二角の塔の中は、全く別天地でした。私とみよ子とは、その中で取組み合って笑いこけました。

「まあ、誰ですか。」

 声と一緒に足音がしました。

「屏風の中で何をしているんです。」

 私たちは息をつめました。ふと、身体中真赤になりました。どうにも仕様がなくて、私は逃げ出しました。みよ子も後から逃げてきましたが、私は知らん顔をして、籔の中にかけこみました。

 その時私たちを叱ったのは、誰だったか覚えがありません。けれどそれは確かに祖母ではありませんでした。祖母なら叱りはしなかったろうと思います。

 其後みよ子はやはり時々遊びに来ましたが、私たちの間には一脈の距てが出来ていました。そして彼女は小学校にあがるようになると、だんだん来なくなって、私はまた一人ぽっちになりました。

 みよ子から遠のくにつれて、私の心は益々祖母に接近していきました。私をじっと眺めてる祖母の頭の美しい髪の毛が、かすかに神経質におののくのを、私ははっきり覚えています。

 冬になって雪が積ると、私は竹馬を拵えてもらって、高い塀の上の綺麗な雪をとりに行くのが楽しみでした。下げてきたあかのやかんに一杯雪をつめて戻ってくると、祖母はそれをゆるい火の上にかけて、雪解の水をわかし、それで玉露をいれるのでした。それは祖母にとって、何かしら一種の贅沢なたしなみみたいなもののようでした。

 夕食後、家の人たちが茶の間でいろいろな用談を初めます時など、私は祖母についてその居間に退き、炬燵にあたりながらうつらうつらするのでした。祖母は昔噺をやめて、じっと外の物音に耳をすますようなことがありました。そういう時に限って、屡々、裏の大楠の高い茂みのなかに、異様な鳴声がしたり、激しい物音がしたりしました。

 私がぞっとして、眼付で尋ねますと、祖母は柔かなたるんだ頬にやさしい笑みを浮べて云いました。

こわがることはありません。狐ですよ。お稲荷様が祭ってあるでしょう。」

      *

 この物語に、祖父や父母や其他の面影が立現われぬからといって、咎めないで下さい。それらの人々のなまなましい面影が浮ばなかったことは、筆者にとってせめてもの慰めです。これは古里の幻の園で、いにしえの心の港です。

底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社

   1967(昭和42)年1110日第1刷発行

入力:tatsuki

校正:門田裕志

2006年426日作成

2011年126日修正

青空文庫作成ファイル:

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