必要以上のもの
豊島与志雄



 先年、B君が突然死んだ。夜遅く、ひどく酒に酔って帰ってきて、風呂にはいり、そして寝たのであるが、翌日、十一時頃まで起き出さないので、女中がいってみると、もう冷たくなっていたのだった。その死因に、怪しい点があった。彼は軽い心臓弁膜症にかかっていた。また平素不眠になやんでいて、医者の処法の催眠剤を用いていた。なお大酒の癖が頻繁になっていた。みな悪い条件ばかりだったが、さて、その直接の死因が、心臓の故障による頓死だか、薬剤の多量服用による自殺だか、よく分らなかったという。尤もこの後者の方は、万一そうであっても「酔余の過失」だとなっているが、それを意識的な自殺かも知れないと考えたのは、数名の知人だけのことである。医者の意見は、職業上の特別な秘密に属することだろうし、吾々が尋ねても本当のことは分るまい。

 私が思うに、病死か自殺か分らないような急死が、世の中には随分ある。精神的に云えば、自殺も一種の病死であろうけれど、肉体的に直接に云えば、両者は明かに別のものである。それが、どちらとも分らない場合が随分ある。側近の者にも分らないのである。衰弱しきった重病人については、医学的にも分らない場合がある。ただ、それが明かなのは、文学の中に於てだけである。自殺か病死か分らないような死の例を、文学の中では、私は今ちょっと思い出せない。恐らく文学に於ては、そこまではっきりさせなければならないのであろう。心理主義の文学などという言葉があるくらいだから、それはそうに違いあるまい。

 ところで、B君の死を或は自殺かも知れないなどと推察するほどに、私は彼と親交があったわけではない。面接したのが数回で、それも酒の席でだった。交友という間柄でなく、書信のやりとりさえ一回もなかった。偶然の機会に知り合い、それから偶然の機会に酒を飲みあうというに過ぎなかったし、彼によりも彼の懇意な芸妓に逢ったことの方が多いくらいである。

 或る時、彼と小料理屋で出逢うと、彼はもうだいぶ酩酊していたが、私の方は見ないで宙に眼をすえて、こんなことを云った。「真剣な女遊びは、おかしなもので、まるで登山みたいなものですね。」

 その言葉を今思い出したというのは、最近愛読した登山記が二つあるからである。ウィムパーの「アルプス登攀記」と、ベヒトールトの「ナンガ・パルバット登攀」とだ。両書とも一気に、夜を徹して読み耽った。そして読後へんな気がしたのは、信念にまで高まった情熱の前には、如何に人の命が安価であるかということ、云いかえれば、或る場合には生命などは問題でなくなるほどに、情熱が信念にまで高まるということである。勿論ここでは大自然の中に於てであるが、その或る場合は、吾々の日常生活の中まで延長出来ると思われる。そしてこの或る場合というのは、いつも、情熱それ自体がそうである如く、必要以外のものなのである。時としては、常識的には至って下らないものなのである。

 必要というのは、茲では、喉の渇いてる者にとっての水、腹のすいてる者にとってのパン、性欲に飢えてる者にとっての異性の肉体、無一文な者にとっての金銭、そういうものを謂う。ところで、吾々にとって、必要なものは単に必要であるだけであって、それ以外の何物でもない。吾々がほんとに欲しいものは、別にある。「今何が一番欲しいか。」と尋ねられたら、大抵の場合──凡ての場合と云えないほど吾々は必要なものに不自由してるのを悲しむのであるが──大抵の場合、直接に必要でないもの、而も多くはつまらないものなのである。

 例えば私の経験から云えば、最大級に最も欲しかったものは、或る時は、不吉な因縁話のからんでいる小式部人形だったし、或る時は、四五尺の大きさの梟の剥製だったし、或る時は、幽霊が出ると云う青江の妖刀だったし、或る時は、ちょっと奇異な形をした丈余の自然石だった。つまらないものばかり欲しがってる奴だな、と云うのをやめて貰いたいことには、私はそんなものさえ買えないほど貧しかったし、さし迫って数百円か数千円かが必要だったのであるが、その困窮の中でも最も欲しいのは右のようなもので、屡々それを見に行き、始終空想していたのである。ただ幸か不幸か、その欲望が情熱にまで昂じなかっただけのことだ。とは云え、それは単なる人形や剥製や刀や石でなく、無限の拡がりを持ち得る或物だったのである。

 人は必要物によってよりも、むしろ欲望によって生きる。犯罪の原因を調べてみるに、必要によるもの七パーセントで、他の九十三パーセントは欲望による。あらゆる方面で必要にも事欠いている現代に於て、右の数字はおかしく思われるかも知れないが、然し心理的に真実なのである。即ち、百人のうち九十三人までは欲望に生きており、七人だけが必要に生きているの謂である。或る囚人の話によれば、もし終身刑というものが字義通りに確実不動のものであったならば、その刑に処せられた者は到底生きておられないとのことである。クロポトキンがマルクス一派を最も憎悪した点は、人間の欲望の無視ということであった。

 そういうわけだから、私が例えば一個の石に執着したとて、軽蔑されるには当らないのである。その頃私は可なり夢中になっていた。料理屋の女中をつかまえて、今一番ほしいものは何だい、などと口占をひいてみたり、こちらのことを反問されると、即座に得意げに、石だと、それが宛も恋人の名前でも云うように嬉しがったものだ。その私の言葉尻をとらえて、B君は盆石のことを話しだしたことがあった。尤もそれは父親から引継いだ趣味らしく、自分で集めたものは少なかったらしい。盆石といっても、主として水石であって、それも加工しない天然自然のものだけを好んでいたらしい。私はいろいろその話をきいたが、よく分らなかったし、多くは忘れてしまった。ただ苔の話だけは妙に頭に残っている。

「……苔と石とは、全く一体をなすものです。だから、苔が生きてるのか、石が生きてるのか、分らなくなりますよ。またそういう石でなければ、ねうちがありません。箱にしまいこんだ石を、一年も二年もたってから取出して、水をそそいでやりますと、その肌から、苔の美しい緑色がふいてきますからね、話をきいただけでは誰だって不思議に思いますよ。その不思議な、苔の生命というか、石の生命というか、そいつを見ていますと、逆に、人間の生命なんかつまらないものに見えてきますよ。わずか、これっぱかしの石ですがね……。」

 この言葉は、私の頭に残ってるから書くだけのことで、それがB君の哲学だったわけではない。彼はもっと近代人であって、ただ、盆栽芸術の趣味といったようなものがどこか身についていた。

 年齢は三十五歳ほど、腺病質な痩せた蒼白い男だった。大きな陶器商の長男で、もうその主人だったが、未だに独身だという点に、何かの影があるらしかった。学生時代に文学が好きだったとかで、時々文学の話をもち出して、その時ばかりは私は彼を嫌いになった。だが、私が陶器の話をはじめると、彼は嬉しそうにいろんなことを聞かしてくれた。一体、自分の職業に関する事柄を他人にあまり話したがらないのは、文学者や哲学者や美術家や音楽家に最も多いようだが、何故だろうか。平素精神的に余りに苦労してるからだろうか。

 B君の死を自殺だったかも知れないなどと考える根拠は、実は殆んどない。こじつければあるにはあるが、それは文学的なものにすぎないように思われる。

 B君は当時、家運が傾いていた。がこの点については私はよく知らない。但し破産とか或は閉店とか、そんな状態には立至っていなかったことは、其後店もなお立派に立っていることで明かである。

 B君と芸妓K子とのことが、私の知ってる主なものだ。数年に亘る関係だったらしい。ところが、K子に旦那が出来かかって、その世話になるとかならないとかいう話だった。それでみると、K子はB君一人を守ったわけではないらしい。またB君も、ほかの土地ではちょいちょい浮気をしてたことを私は知っている。そしてK子の旦那云々の話を、匂わせられるか感ずるかした時、B君は微笑んで云った。

「旦那をもつのもよかろう。そしたら僕は遠慮するよ。」

「いやいやいや、そんなのいやよ。」とK子は云ったそうである。

 それはまあ、大したことではないかも知れない。旦那があってそして好きな人が半人か一人あるのは当世なんだから。それに彼女の、「いやいやいや、そんなのいやよ。」というのは時々出る言葉らしく、眼のぱっちりした、骨まで細そうな小柄な彼女が、上体をくねらして、上半を駄々っ児らしい早い調子で後半を甘ったるいゆっくりした調子で云うのを、私も二三度きいたことがある。といっても私にではなく、私の飲み相手の芸妓に、何か二人の間のつまらない話の時に云ったのである。彼女たちが親しい間柄だったので、それで私もK子にはよく逢うことがあった。

 その頃から殊に、B君の深酒が、時には自暴自棄かと思われるほどの深酒が初まったとのことである。そして簡単に、私の飲み相手の女の言葉をかりて云えば──「K子さんておかしなひとよ。Bさんがよく、最後に……って云うのが、あんまり度々なので、気になりだしたんですって。最後に、今晩はうんと飲もうとか、最後に、芝居へ行こうとか、最後に……浮気をしようとか、そういった調子なんでしょう。そのたんびに、例のいやいやいや……だったんだろうと思うわ。それが、その時はそれですんだけれど、Bさんが急に亡くなってみると、あの最後にが気になりだしたんですって。あの時は、これがお別れだというくらいの、ただの嫌味で、また初まったという風に軽くきき流していたのが、後になってみると、生涯のほんとの最後に……というんじゃなかったかしらって、涙ぐんでるのよ。ああした仲だったんだもの、どっちだったかくらい、初めから分りそうじゃありませんか。今になって泣くなんて、おかしいでしょう。そうじゃありません?」

 K子はさんざんぐれだしたが、三ヶ月ばかりして、仙台にいってしまった。まだそこで芸妓に出てるという話である。

 それはそれとして、B君の面白い言葉がある。

「田舎の芸者はあぶないですよ。すぐにむきになってきますからね。そこにいくと、東京の芸者は安全なもので、決して真剣になんかなりませんね。何かこう、愛情以上の大きな伝統といったようなものがあって、男によりも、その方によけい頼れるんでしょうね。」

 ここで、文学者の頭の中に、おかしな連想がわくのである。「狭き門」のなかのアリサは、清浄な結合という宗教的な伝統によりかかって、容易にジェロームの腕に身を投じなかった。B君の芸妓観がもし正しいとすれば、例えばK子は、混濁そのものを無垢にする特殊な伝統によりかかって、容易にB君の腕の中に飛びこんでいかなかった、のかも知れない。少くともそういう風に考えなければ、小説になりにくいのである。

 B君はまた、或る時云った。

「どうにもならないように思われることは、案外どうにかなるもので、どうにでもなると思われることが、実はどうにもならないんです。」

 酔ったあげく、それをくどくくどく説きたてたのであるが、真意が奈辺にあったかは私は知らない。

 B君の死は、恐らく自殺ではなかったろう。万一自殺であったとしても、いろいろな原因があったのだろう。けれど、K子と彼との関係に於て、何かしら、B君にはK子が、必要ではなかったが必要以上のものであり、K子にはB君が、必要ではなかったが必要以上のものであったろう、と思われてならないのである。それがB君の自殺の何分の一かの原因でもなかったのなら、その欲望が情熱にまで高まらず、その情熱が信念にまで高まらなかったためなのである。

 こういう事柄を、これを一般に云って、私が小説に書かない所以は、右のことがはっきりしないからに外ならない。小説というものは、必要事にのみ止るリアリズムでは成立し難い。欲望や情熱のリアリズムまで高まらなければ、少くとも私には書きづらい。B君の死が自殺であって、そしてその原因がK子とのことにあるとすれば、直ちに一篇の作品が出来そうである。それで作品の筋骨は出来上るのであって、他の特殊性、即ち雰囲気や環境や性格などは、努力によって如何ともなるだろう。

 スタヴローギンにとっては、自殺するに当って、一本の紐は必要なものであり、一片の石鹸は欲しいものであったろう。そしてどちらがより多く重要だったかと云えば、紐よりも石鹸だったろう。創作家にとっては、紐の発見は容易であるが、それはその辺にいくらも転っているが、石鹸の発見は容易でなく、それはそこいらにやたらにあるものではない。

 B君のことを茲にこんな風に述べたのは、彼を辱めることになるのであろうか。私はそうでないことを希望する。こういう考え方をすることによって、彼の真実に探り入る糸口がつかめるからであり、また吾々自身の真実にも探り入る糸口がつかめるからである。そしてなお云えば、文学は必要なものに奉仕するの低劣さをやめて、必要以上のものに奉仕しなければならないし、吾々は必要なものにも多く事欠く現代に於てさえ、必要なものを蔑視して、あらゆる欲望を燃え立たせるがよいと、そう信ずるのである。

底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社

   1967(昭和42)年1110日第1刷発行

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:tatsuki

校正:門田裕志

2006年424日作成

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