群集
豊島与志雄



 大正七年八月十六日夜──

 私は神保町から須田町の方へ歩いて行った。両側の商店はもう殆んど凡てが戸を締めていた。大きな硝子戸や硝子窓の前には蓆を垂らしてる家が多かった、あいだには板を縦横に打ちつけてる家もあった。街路が妙に薄暗かった。黙々とした人影が皆須田町の方へ流れていた。「今夜は須田町から小川町をぬけて神保町の方へ来るそうだ、」と誰が云ったとも分らない言葉が私の耳に響いた。電車がぬるい速力で走っていた。

 然し街路は静まり返っていた。一向「来そう」に思えなかった。

 須田町の四辻には黒山のような群集がたむろしていた。僅かに電車の通れるだけの空地を残して、黙った人影が街路に溢れていた。その上、電車の数も非常に少なかった。

 広瀬中佐の銅像を弧の頂点とした曲線で劃して、万世橋停車場の前には、広い空地が開けられていた。停車場の前には四十人許りの武装した兵士が並んでいた。皆陰鬱な顔をして、身動きもせず言葉をも発しなかった。それは軍隊の規律上当然ではあるが、この場合如何にも陰惨に見えた。空地を劃する曲線の所に、巡査が四、五人歩き廻っていて、寄って来ようとする群集を逐払っていた。それでも時々停車場を出入する者が、足早に空地を通りぬけていた。大胆に平気で歩を運ぶ者はこの場合善良な市民となるのであった。

 私は平気でゆっくりと(多少故意に)その広場の中に歩み入った。誰も何とも云わなかった。兵士等の方へ一瞥を与えて、私は停車場の中にはいった。四、五人の乗客が居るきりでがらんとしていた。片隅には兵卒の背嚢や水筒などが地面にじかに並べてあった、規則正しく並べてあった。駅長室の前まで来ると、その扉に中隊長室と書いた紙片が貼りつけてあった。半ば開いた扉の隙から覗き込むと、長い口髯のある将校が椅子に腰をかけて、卓子の上に拡げた紙面をしきりに見ていた。平然たる横顔をしていた。

 私は停車場からまた出て来た。出る時兵士等の方をじろりと見た。それから広場を横ぎって銅像の影まで来た時、も一度ふり返って兵士等の方を見た。彼等は顔の筋肉一つ動かさなかった。何を見てるのか視線をも動かさなかった。或はまた何も見てないのかも知れなかった。そのくせ、右の方の一隊は「休め」の姿勢で立って居り、左の方の一隊は銃を組んでその後に屈んでいた。そのままの姿で皆じっとしていた。

 銅像の影に立っていると、巡査がやって来て、「此処に立っちゃいかん。」と云った。それで私は電車道を越えて、向う側の角の群集の中にはいり込んだ。

 日本橋の方へ行く須田町の通りには、身動きも出来ないほど市民が一杯になっていた。皆何かを期待し何かを見ようとしていた、そして黙っていた。

 万世橋のガードの方から、一隊の巡査に逐われた群集がどつと流れ込んで来た。それと共に、二人の兵士が馬を駆けさして乗り込んで来た。電車道の中を逃げ迷っている市民の中に、騎馬の兵士はまっしぐらに駆け込んだ。馬の蹄にかかったらもうそれまでである。市民等は右往左往した。然し幸いにも蹄にかかる者は一人もなかった。歩道の上に身を避けてぎっしり重なり合った群集は、逃げ惑っている人々の間を分けて馬を駆けさしてる兵士を、驚異の眼で見守っていた。馬腹や足先で人の肩や帽子を擦過しながら巧みに疾駆し廻っている人馬は、よほどの熟練を経たものに違いなかった。「余り乱暴だ!」と叫んだ声が群集のうちに二度聞えた。然しそれきりまた静まり返った。ただ舗石の上に鳴る馬の蹄の音ばかりが高く響いた。

 二人の騎馬の兵士が、その辺を二三度往復するうちに、電車道からはすっかり群舞が逐払われてしまった。一部は歩道の上に身を避けた。歩道に溢れた者は遠くへ逃げてしまった。

 善良な穏かな群集だった。「米価騰貴」に困難を感じているらしい顔や「不安」に襲われているらしい顔は、一つも見られなかった。

 騎馬の兵士が去ると共に、私は其処の角を離れて、ガードをくぐって万世橋の方へ行った。橋の向うから「わーッ」という大勢の人声がした。後は静かになった。

 万世橋のたもとには、橋で堰かれた一群の人々が居た。橋の上に多くの巡査と在郷軍人とが、提灯を手にして番をしながら通行を止めていた。

 一人の商人体の男が群から進み出て、巡査に何やら小声で懇願しているらしかった。巡査は手を振って大きい声で云った。

「いかん、いかん、昌平橋の方から廻れ!」

 男はすごすごと退いた。皆それを黙って見ていた。

 暫くすると、橋の向うから七八人の者が駆けながら橋を渡って来た。巡査は何とも云わないで通さした。それを見て二三人の者がこちらから橋の上に進んでいった。私も急いでその後に随った。笹も咎めなかった。二十人ばかりの者は、橋を駆けて渡った。然しその後の者は、また巡査に堰き止められてしまった。

 橋の向うは街灯がまばらで薄暗かった。その薄暗い中に群集が溢れていた。大勢の巡査が街路の真中に立っていた。騎馬の兵士が時々往ったり来たりした。遠く広小路の方まで、それらの群集と巡査と兵士とが続いてるらしく思えた。

 橋の上で巡査と兵士等が何か相談をしていた。すると三人の騎馬の兵士が巡査等と協力して、電車通りを松住町の方へ群集を遂込み初めた。人々はなだれをうって退いていった。然しそれは後方の人に支え止められて遅々たるものだった。兵士等は馬の頭を人々の鼻先につきつけて、片端から一人残らず押し退けようとした。河岸かしに並んだ小屋の前に荒い石が積んであった。私はその石の上に上って小屋の戸口に身を避けた。大勢の者が其処に集っていた。兵士等はその方へやって来た。馬の頭をつきつけられて急いで身をかわすはずみに、石の上に転んだ者が一人居た。五十位の老人だった。立ちかけて彼はまたよろめいた。そして着物の裾をまくってみた。向う脛に擦傷がついて血が流れていた。それを見ると兵士等は向うへ行ってしまった。大勢の者がまた集って来た。

 田舎者らしい老人は眼をしばたたきながら地面に屈んで、懐から穢い手拭を出して傷所を結えた。それから周囲の者をじろりと見上げたが、手の甲で鼻を一つすすり上げて、そのまま松住町の方へ去って行った。

 ただじっと眺めていた周囲の人々は、彼がびっこひきながら立ち去ってしまうと、急に頭を上げて、向うを見やった。其処には巡査や兵士等が居た。

「馬鹿野郎!」と誰かが怒鳴った。

「恥知らずめ!」とまた誰かが怒鳴った。

「やっつけろ!」と低くはあったが鋭い声がした。

 その時群集のうちから「わーッ」と一斉に声が上った。小石が二つ三つ向うへ飛んだ。巡査と兵士とが七八人駆けつけて来た。また「わーッ」と群集のうちから声が上った。巡査と兵士とは六七歩前に立ち止った。群集は徐々に退きはじめた。私のすぐ前に、帽子も被らない角刈の職人体の若い男が二人居た。一人は紺絣の着物をき、一人は浴衣をきていた。紺絣の男が浴衣の男の耳に囁いた。私は彼等の後に押しつけられていたのでその声が聞き取れた、「おい手がついたぞ」浴衣の男は紺絣の方を見返した。二人は何やら眼で相図をした。すると彼等は急に人込みを押し分けて逃げ初めた。その時私は、一人の浴衣の背中に銅貨大の赤いしるしがついているのを認めた。二人が逃げ出すと、一人の書生体を装った男がその後を追い初めた。その三人のために、そして恐らくまた他の者のために、群集はかき乱され初めた。非常な混乱を来した。それに乗じて巡査と兵士とが正面から圧迫して来た。群集は一瞬のうちに四散してしまった。

 私は電車通りを広小路の方へ歩いて行った。通りは次第に薄暗くなった。線路の真中を提灯をつけて走って行く男があった。並木の影や横町の角に、黙々として佇んでる群があった。それらの人々の顔も、須田町のより、また万世橋のたもとのより、次第に荒っぽく且つ沈鬱になっていた。腹掛をしてる者や尻を端折ってる者などが多くなっていた。

「わーッ」と声が上った。見ると向うから騎馬の兵士が駆けて来た。然し彼はそのまま万世橋の方へ駆け去ってしまった。あたりは再び静になった。

 何か人々がどよめく気配がしたので顧みると、三人の男が争っていた。横町の角の所に電柱が一本立っていた。横町には群集が一杯だった。三人の男はその先頭に立っていた。一人は電柱にしがみついていた。黒い着物を着、帽子も被らず、跣足はだしのままだった。それを、鳥打帽に駒下駄の二人の男が、しきりに電柱から引離そうとしていた。一人は眼鏡をかけていた。「痛い。」と電柱にしがみついている男は叫んだ。それから必死となってなお電柱に取つきながら泣き声を立てた。「御免なさい、悪い気でしたんじゃない。……おう痛い。ひどいことを! 御免なさい。」私はその男を何ということもなく、牛乳配達夫だと思った。

 そういう風に泣き声に叫んでいる「牛乳配達夫」を、二人の鳥打帽の男は鷲掴みにしていた。「ともかく其処まで来い。」と彼等は鋭い声で云った。そして駒下駄で一つ男の向う脛を蹴りつけた。「痛い!」と男はまた叫んだ。一人は彼の左肩を捉え、一人は彼の右腕を無理にねじ上げた。彼は額に油汗を流してなお抵抗した。然しやがて二人の力で電柱からもぎ離されてしまった。ねじ上げられた腕で一間ばかり引きずられると、彼は遂に観念したと見えておとなしく歩き出した。二人の者は、彼を間に挾んで向うの暗闇のうちに消えてしまった。

 それらの光景を群集はただじっと見ていた。三人が去ってしまっても、後からついて行った四五人の者を除いては、誰も身動きもしなかった。「刑事だ!」と低く囁く声がした。然しその後はまたしいんとなった。陰惨な沈黙だった。皆何かしら腹を立ててるらしかった。私も腹が立っていたというより寧ろ訳の分らぬ苛ら立ちを感じた。然しそれが、深い夜と薄暗い横町と異様な沈黙の群集との間だっただけに、一層不気味な心地だった。

 暫くすると、群集は静にそして徐々に動き出した。私もそれにつれて四五歩あるき出した。その時、通りの向う側の横町にちらと閃いた光りがあった。光りはすぐ消えた。警察の小使らしい男が提灯をつけて走って行った。巡査が二人駆けて行った。向う側の粗らな人影が少し動揺した。後はまた静かになった。

小火ぼやだ!」という声が何処からかした。

 そのうちにも、群集は静に流れてゆきつつあった。凄惨な気があたりに満ちていた。それがまた極端に静まり返っていた。今にも何かに爆発しそうでありながらそのまま静に落付いていた。

 私は広小路の方に歩いて行った。薄暗い軒下や横町などには、沈黙しきった群が静に佇んでいた。

 広小路まで来ると、私は妙に気抜けがしたような心地になった。巡査が四五人立っていた。粗らな人影が電車を待っていた。松坂屋の真黒な戸締りを背景にして、其処の四辻は寂然としていた。その上、ぼんやりと薄暗い中に透し見らるる公園下までの通りには、人の姿もなく、ただ物の影が深く立ち罩めていた。もう十二時にもなかった。

 私はぼんやりして其処に暫く立っていたが、巡査の声に促されて、十人許りの人と共に三丁目の方へ行く電車に乗った。顧みると、四方へ行く電車が少しずつ人を運び去っていたが、また同じ位の人数が何処からか出て来て、四辻にはいつも同じ位に粗らな群を作っていた。

 電車の中で私は、その晩の光景を一々思い浮べてみた。そして種々の感情の後に心の底に残ったものは、結局訳の分らぬ静に落ち付いた陰惨な苛ら立ちの感だった。

 私は三丁目で電車を下りた。

底本:「豊島与志雄著作集 第一巻(小説1)」未来社

   1967(昭和42)年620日第1刷発行

初出:「中央公論」

   1919(大正8)年5

入力:tatsuki

校正:松永正敏

2008年918日作成

2008年1013日修正

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