豊島與志雄著『高尾ざんげ』解説
太宰治



 私は先夜、眠られず、また、何の本も読みたくなくて、ある雑誌に載っていたヴァレリイの写真だけを一時間も、眺めていた。なんという悲しい顔をしているひとだろう、切株、接穂、淘汰まびき、手入れ、その株を切って、また接穂、淘汰まびき、手入れ、しかも、それは、サロンへの奉仕でしか無い。教養とは所詮しょせん、そんなものか。このような教養人の悲しさを、私に感じさせる人は、日本では、(私が逢った人のうちでは)豊島先生以外のお方は無かった。豊島先生は、いつも会場の薄暗い隅にいて、そうして微笑していらっしゃる。しかし、先生にとって、善人と言われるほど大いなる苦痛は無いのではないかと思われる。そこで、深夜の酔歩がはじまる。水甕みずがめのお家をあこがれる。教養人は、弱くてだらしがない、と言われている。ひとから招待されても、それを断ることが、できない種属のように思われている。教養人は、スプーンで、林檎りんごを割る。それにはなにも意味がないのだ。比喩ひゆでもないのだ。ある武士的な文豪は、台所の庖丁ほうちょうでスパリと林檎を割って、そうして、得意のようである。はなはだしきは、なたでもって林檎を一刀両断、これを見よ、亀井などというじんは感涙にむせぶ。

 どだい、教養というものを知らないのだ。象徴と、比喩と、ごちゃまぜにしているのである。比喩というものは、こうこうこうだから似ているじゃねえか、そっくりじゃねえか、笑わせやがる、そうして大笑い。それだけのものなのである。しかし、象徴というものはスプーンで林檎を割る。なんの意味もない。まったくなんの意味もないのだ。空が青い。なんの意味もない。雲が流れる。なんの意味もない。それだけなのである。それに意味づける教師たちは、比喩だけを知っていて、象徴を知らない。そうして、生徒たちが、その教師の教えを信奉し、比喩だけを知っていて、象徴を知らない。ほんとうの教養人というものは、自然に、象徴というものを体得しているようである。馬鹿な議論をしない。二階の窓から、そとを通るひとをぼんやり見ている。そうして、私たちのように、その人物にしつこい興味など持たない。彼は、ただ見ている。猫が、だるそうにやってくる。それを阿呆みたいに抱きかかえる。一言にしていえば、アニュイ。

 音楽家で言えば、ショパンでもあろうか。日本の浪花節なにわぶしみたいな、また、講釈師みたいな、勇壮活溌な作家たちには、まるで理解ができないのではあるまいか。おそらく、豊島先生は、いちども、そんな勇壮活溌な、喧嘩けんかみたいなことを、なさったことはないのではあるまいか。いつも、負けてばかり、そうして、苦笑してばかりいらっしゃるのではあるまいか。まるで教養人の弱みであり、欠点でもあるように思われる。

 しかし、この頃、教養人は、強くならなければならない、と私は思うようになった。いわゆる車夫馬丁にたいしても、「馬鹿野郎」と、言えるくらいに、私はなりたいと思っている。できるかどうか。ひとから先生と言われただけでも、ひどく狼狽ろうばいする私たち、そのことが、ただ永遠のあこがれに終るのかも知れないが。

 教養人というものは、どうしてこんなに頼りないものなのだろう。ヴィタリティというものがまったく、全然ないのだもの。

 ああ、先生も、私と同様に、だらしがない。

 そうして、日本で、いちばんの教養人だってさ。

 最後に、末筆で失礼であるが、私は、学生時代、先生にひどいお世話になったことを、附記しておかねばならぬ。そうしてそれは、いつも、私の遠い悲しい思い出になっている。

底本:「もの思う葦」新潮文庫、新潮社

   1980(昭和55)年925日発行

   1998(平成10)年101539

入力:蒋龍

校正:今井忠夫

2004年616日作成

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