高原
寺田寅彦
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七月十七日朝上野発の「高原列車」で沓掛に行った。今年で三年目である。駅へ子供達が迎いに来ていた。プラットフォームに下り立ったときに何となく去年とはあたりの勝手が違うような気がしたがどこがどうちがったかということがすぐとは気が付かなかった。子供に注意されて気がついて見るとなるほどプラットフォームに屋根が新築されて去年から見るとよほど停車場らしくなっている。全く予期しないものは眼に写っても心には写らないのである。
一昨年初めて来たとき、軽井沢駅のあの何となく物々しい気分に引きかえてこの沓掛駅の野天吹曝しのプラットフォームの謙虚で安易な気持がひどく嬉しかったことを思い出した。
H温泉池畔の例年の家に落着いた。去年この家にいた家鴨十数羽が今年はたった雄一羽と雌三羽とだけに減っている。二、三日前までは現在の外にもう二、三羽居たのだがある日おとずれて来たある団体客の接待に連れ去られたそうである。生き残った家鴨どもはわれわれには実によく馴ついて、ベランダの階段の一番上まで上がって来てパン屑をねだる。そうして人を頼る気持は犬や猫と同じであるような気がするが、しかしどうしても体躯には触らせまいとして手を出すと逃げる。それだけは「教育」で抜け切れない「野性」の名残であろう。尤も、よく馴れたわれわれの手を遁げる遁げ方と時々屋前を通る職人や旅客などを逃避する逃げ方とではまるでにげ方が違う。前の場合だとちょっと手の届かぬ処へにげるだけだのに、後の場合だと狼狽の表情を明示していきなり池の中へころがり込むようである。とにかくこんなになつかれては可愛くてとても喰う気にはなれない。
今年は研究所で買ったばかりの双眼顕微鏡を提げて来て少しばかり植物や昆虫の世界へ這入り込んで見物することにした。着くとすぐ手近なベランダの檜葉を摘んで二十倍で覗いてみた。まるで翡翠か青玉で彫刻した連珠形の玉鉾とでも云ったような実に美しい天工の妙に驚嘆した。たった二十倍の尺度の相違で何十年来毎日見馴れた世界がこんなにも変った別世界に見えるのである。ワンダーランドのアリスの冒険の一場面を想い出した。顕微鏡下の世界の驚異にはしかし御伽噺作者などの思いも付かなかったものがあるらしい。
シモツケの繖形花も肉眼で見たところでは、あの一つ一つの花冠はさっぱりつまらないものであるが、二十倍にして見るとこれも驚くべき立派な花である。桃色珊瑚ででも彫刻したようで、しかもそれよりももっと潤沢と生気のある多肉性の花弁、その中に王冠の形をした環状の台座のようなものがあり、周囲には純白で波形に屈曲した雄蕊が乱立している。およそ最も高貴な蘭科植物の花などよりも更に遥かに高貴な相貌風格を具備した花である。
スカンボの花などもさっぱり見所のないもののように思っていたが、顕微鏡で見るとこれも実に堂々たる傑作品である。植物図鑑によると雄花と雌花と別になっているそうであるが、自分の見た中にはどうも雄蕊雌蕊を兼備しているらしいものも見えた。
カワラマツバの小さな四弁花は弁と弁との間から出た雄蕊がみんな下へ垂れ下がって花心から逃げ出しそうにしている。ウツボグサの紫花の四本の雄蕊は尖端が二た叉になっていて、その一方の叉には葯があるのに他の一方はそれがなくて尖ったままで反り曲っている。こうした造化の設計には浅墓なわれわれには想像もつかないような色々の意図があるかもしれないという気がする。
以上のような花に比べると例えばホタルブクロのような大きな花は却って二十倍くらいに廓大して見てもそれ程びっくりするような意外な発見はないようであった。しかしもっと色々見ていたらまた珍しい見物に出っくわさないとも限らないであろう。
ある花はこんなに細小でまたある花は途方もなく大きい。これも不思議である。細かい花は通例沢山に簇出しているような気がする。これも不思議である。そうして多くの草の全体重と花だけの総体重との比率にはおおよそ最高最低限度がありそうな気がしてこれも何かわれわれのまだ知らない科学的な方則で規定されているのではないかという気がするのである。
七月十九日には上田の町を見物に行った。折からこの地の祇園祭で樽神輿を舁いだ子供や大供の群が目抜きの通りを練っていた。万燈を持った子供の列の次に七夕竹のようなものを押し立てた女児の群がつづいて、その後からまた肩衣を着た大人が続くという行列もあった。東京でワッショイ〳〵〳〵というところを、ここではワイショー〳〵と云うのも珍しかった。この方がのんびりして野趣がある。
市役所の庭に市民が群集している。その包囲の真中から何かしら合唱の声が聞こえる。かつて聞いた事のない唱歌のような読経のような、ゆるやかな旋律が聞こえているが何をしているか外からは見えない。一段高い台の上で映画撮影をやっているのが見える。そこを通り抜けて停車場の方へと裏町を歩いていると家々からラジオが聞こえ、それが今聞いた市役所の庭の合唱そのままである。上田から長野へ電線で送られた唱歌が長野局から電波で放送され、それがエーテルを伝わってもとの上田の発源地へ帰って来ているのである。何でもない当り前の事であるが、ちょっと変な気のするものである。
あとで新聞を見たら、この地で七十年ぶりという珍しい獅子舞が演ぜられていたのである。それをちっとも知らないで、ただその見物の群集の背中だけ見物して帰った訳である。生え抜きの上田市民で丁度この日他行のためにこの祇園祭の珍しい行事に逢わなかった人もあるであろうから一生におそらくただ一度この町へ来合わせて丁度偶然この七十年目の行事に出くわした自分等はよほどな幸運に恵まれたものだと思っても別に不都合はない訳である。
上田の町を歩いている頃は高原の太陽が町のアスファルトに照り付けて、その余炎で町中はまるで蒸されるように暑く、いかにも夏祭りに相応しい天気であった。帰りの汽車が追分辺まで来ると急に濃霧が立籠めて来て、沓掛で汽車を下りるとふるえるほど寒かった。信州人には辛抱強くて神経の強い人が多いような気がする。もしかすると、この強い日照と濃い濃霧との交錯によって神経が鍛練されるせいもいくらかはあるのではないかという気がした。信州と云っても国が広いから一概には云われないであろうが、ただちょっとそんな気がしたのであった。
宿の本館に基督教信者の団体が百人ほど泊っていた。朝夕に讃美歌の合唱が聞こえて、それがこうした山間の静寂な天地で聞くと一層美しく清らかなものに聞こえた。みんな若い人達で婦人も若干交じっていた。昔自分達が若かった頃のクリスチャンのように妙に聖者らしい気取りが見えなくて感じのいい人達のようである。
この団体がここを引上げるという前夜のお別れの集りで色々の余興の催しがあったらしい。大広間からは時々賑やかな朗らかな笑声が聞こえていた。数分間ごとに爆笑と拍手の嵐が起こる。その笑声が大抵三声ずつ約二、三秒の週期で繰返されて、それでぱったり静まるのである。こうした場合に人間の笑うのにはただ一と声笑っただけではどうにも収まらないものらしく、それかと云って十声とつづけて笑うことは出来ないものらしい。
毎日カッコウやホトトギスがよく啼く。これらの鳥の啼くのでも大概平均三声くらい啼いてから少時休むという場合が多いようである。偶然と云えば偶然かもしれないが、しかし何か生理的に必然な理由があるのかもしれない。
七月二十一日にいったん帰京した。昆虫の世界は覗く間がなかった。八月にまた行ったとき、もう少し顕微鏡下の生命の驚異に親しみたいと思っている。
底本:「寺田寅彦全集 第四巻」岩波書店
1997(平成9)年3月5日発行
入力:Nana ohbe
校正:浅原庸子
2005年5月7日作成
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