スパーク
寺田寅彦



         一


 当らずさわらずの事を書こうとするとなかなかむつかしい。真理は普遍だから、少しでも真理に近いことを書けば、すべての人があてられ、痛い所をさわられる。優れた小説を読むとすべての人が自分をモデルにしたのではないかと思う。おれがモデルだと自称する人が幾人も出て来たりする。「坊ちゃん」のモデルの多いのは当然としても、みずから「赤シャツ」と称するのが出て来たりするから面白い。元来作者は自分自身の中に居る「坊ちゃん」「赤シャツ」「のだ」「狸」「山あらし」を気任せに取出して紙面の舞台で踊らせ歌わせる。見物人の読者はそれを見て各自の中に居る「坊ちゃん」「赤シャツ」エトセトラを共鳴させる。気楽なたちの人はそのうちで自分に都合のいい気持のいいのだけを自由に振動させ、都合のわるいのはそっとダンプしておく。あるいは自分の嫌いな人にそれをプロジェクトして一種の満足を享楽する。少し苦労性な素質の人だと自分の中の悪い方のをより強く共鳴させて痛みを感ずる。それが少しペルヴェースな性質の人になると、わざわざその痛みを増大させる事に愉快を感ずる。もしわれわれが自分の中のすべての「人形」すべての「共鳴器」をありのままに認識する事が出来れば幸福だろうと思うが、それは出来ない相談でもあり、それではあまりに世の中が淋しくなるのかもしれない。


         二


 新しい学説が学界から喜んで迎えられるならば、それはその説がその当代の学界の痛切な要求にうまく適合するからであることは明らかである。もう十年も前から世界中の学者が口をもぐもぐさせて云おうとしていたが、適当な言葉が出て来ないので困っていたところへ、誰かが出て来て、はっきりした言葉でそれをすぱりと云って退ければ、世界中の学者は一度に溜飲りゅういんが下がったような気がするであろう。


         三


 運慶うんけいが木材の中にある仁王におうを掘り出したと云われるならば、ブローリーやシュレディンガーは世界中の物理学者の頭の中から波動力学を掘り出したということも出来るであろう。「言葉」は始めから在る。それを掘り出すだけのことである。ニュートンがその一つの破片を掘り出し、フレネル、ホイゲンス等はもう一つの欠けらを掘り出した。それからそれといろいろの欠けらが掘り出されたが、欠けらと欠けらがしっくり合わなくて困っていた。どちらの欠けらも「間違い」ではなくて「真」の一片であった。近頃やっと二つの欠けらがどうやらうまく継ぎ合わされたようである。

 すべての破片がことごとく揃ってそれが完全に接合される日がいつかは有限な未来に来るであろうと信ずるか、あるいはそれには無限大の時間を要すると思うかは任意である。しかしどちらを信ずるかでその科学者の科学観はだいぶちがう。孔子と老子のちがいくらいにはちがいそうである。


         四


 新しいもの好きの学者があるとする。新しいおもちゃを貰った子供が古い方を掃溜はきだめに投込んでしまうように、新しい学説の前にはすべての古いものがみんな駄目になったように思う人が万一あるとしたら、それはもちろん間違いである。もっともそういう人はどこにもないであろうが、ともかくも古いものも新しいものもやはり破片である。今日の新しい破片は明日の古い破片でなければならないことは歴史のエキストラポレーションが証明する。ただ昨日の破片より今日の破片の方が一歩だけ「全体」に近づいて来ただけである。


         五


 科学の進歩を促成するのはもちろん科学者であるが、科学の進歩を阻害するのもまた科学者自身である。学者を尊敬しない世人、研究費を出し惜しみする実業家、予算を通さない政府の官僚、そう云ったようなものがどれだけ多くあっても科学の進歩する時はちゃんとするのである。

 科学を奨励する目的で作られた機関が、自己の意志とは反対に、一生懸命科学の進歩を妨害しているという悲しむべき結果になる事もあるようである。これがいちばん困る。

 科学も草木ものびのびと自由に生長させる方がよいようである。少しくらい雑草も生えても、いい木はやはり自然に延びる。下手な植木屋が良い木を枯らす。

 科学者が利口になると科学は進歩を中止する。科学者はみんな永久に馬鹿でありたい。


         六


 理学部会委員に約束しておいたのを忘れていて、今日最後の通牒つうちょうを受けて驚いて大急ぎで書いたので甚だ妙なものになった。スパークのようなトランジェントな現象である。賢明なる読者の寛容を祈る。

(昭和三年九月『理学部会誌』)

底本:「寺田寅彦全集 第三巻」岩波書店

   1997(平成9)年25日発行

入力:Nana ohbe

校正:noriko saito

2004年813日作成

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