置土産
国木田独歩



 もち円形まるきが普通なみなるわざと三角にひねりて客の目をかんとたくみしようなれど実はあんをつつむに手数てすうのかからぬ工夫不思議にあたりて、三角餅の名いつしかその近在に広まり、この茶店ちゃやの小さいに似合わぬ繁盛はんじょう、しかし餅ばかりでは上戸じょうごが困るとの若連中わかれんじゅう勧告すすめもありて、何はなくとも地酒じざけ一杯飲めるようにせしはツイ近ごろの事なりと。

 戸数こすう五百に足らぬ一筋町の東のはずれに石橋あり、それを渡れば商家あきんとやでもなく百姓家でもない藁葺わらぶき屋根の左右両側りょうそくに建ち並ぶこと一丁ばかり、そこに八幡宮はちまんぐうありて、その鳥居とりいの前からが片側町かたかわまち、三角餅の茶店ちゃやはこの外れにあるなり。前は青田、青田が尽きて塩浜、堤高くして海面うみづらこそ見えね、間近き沖には大島小島の趣も備わりて、まず眺望ながめには乏しからぬ好地位を占むるがこの店繁盛の一理由なるべし。それに町の出口入り口なれば村の者にも町の者にも、旅の者にも一休息ひとやすみ腰をろすに下ろしよく、ちょっと一ぷくが一杯となり、章魚たこの足をさかなに一本倒せばそのまま横になりたく、置座おきざの半分遠慮しながら窮屈そうに寝ころんで前後正体なき、ありうちの事ぞかし。

 永年ながねんの繁盛ゆえ、かいなき茶店ちゃみせながらも利得は積んで山林田畑でんぱたの幾町歩は内々できていそうに思わるれど、ここの主人あるじに一つの癖あり、とかく塩浜に手を出したがり餅でもうけた金を塩の方でくすという始末、俳諧の一つもやる風流はありながら店にすわっていて塩焼くけむりの見ゆるだけにすぐもうけの方に思い付くとはよくよくの事と親類縁者も今では意見する者なく、店は女房まかせ、これを助けて働く者はおきぬつねとて一人ひとり主人あるじめい、一人は女房の姪、お絹はやせがたの年上、お常は丸くふとりて色白く、都ならば看板娘の役なれどこの二人ふたり衣装なりにも振りにも頓着とんちゃくなく、糯米もちごめぐことから小豆あずきを煮ること餅をくことまで男のように働き、それで苦情一つ言わずいやな顔一つせず客にはよけいなお世辞の空笑いできぬ代わり愛相あいそよく茶もくんで出す、何を楽しみでかくも働くことかと問われそうで問う人もなく、感心な女とほめられそうで別に評判にものぼらず、『いつもご精が出ます』くらいのまり文句の挨拶あいさつをかけられ『どういたしまして』と軽く応えてすぐ鼻唄はなうたに移る、昨日きのう今日きょうもかくのごとく、かくて春去り秋くとはさすがにのどかなる田舎いなかなりけり。

 茶店のことゆえに入れば商売なく、冬ならば宵から戸をめてしまうなれど夏はそうもできず、置座おきざを店の向こう側なる田のそばまで出しての夕涼み、お絹お常もこの時ばかりは全くの用なし主人あるじの姪らしく、八時過ぎには何も片づけてしまい九時前には湯を済まして白地しろじ浴衣ゆかたに着かえ団扇うちわを持って置座に出たところやはりどことなくなまめかしく年ごろの娘なり。

 よそから毎晩のようにこの置座に集まり来る者二、三人はあり、その一人は八幡宮神主のせがれ一人は吉次きちじとて油の小売り小まめにかせぎ親もなく女房もない気楽者そのほかにもちょいちょい顔を出す者あれどまずこの二人を常連と見て可なるべし。二十七年の夏も半ばを過ぎて盆の十七日踊りの晩、お絹と吉次とが何かこそこそ親しげに話して田圃たんぼの方へ隠れたを見たと、さも怪しそうにうわさせし者ありたれど恐らくそれは誤解ならん。なるほど二人は内密話ないしょばなししながら露しげき田道をたどりしやも知れねど吉次がこのごろの胸はそれどころにあらず、軍夫ぐんぷとなりてかの地に渡り一かせぎ大きくもうけて帰り、同じ油を売るならば資本もとでをおろして一構えの店を出したき心願、少し偏屈な男ゆえかかる場合に相談相手とするほどの友だちもなく、ちまけて置座会議にのぼして見るほどの気軽の天稟うまれにもあらず、いろいろひとりで考えた末が日ごろ何かに付けて親切に言うてくれるお絹お常にだけ明かして見ようとまずお絹から初めるつもりにてかくはふるまいしまでなり、うたてや吉次は身の上話を少しばかり愚痴のように語りしのみにてついにその夜は軍夫の一件を打ち明け得ずしてやみぬ。何のことぞとお絹も少しは怪しく思いたれど、さりとて別に気にもとめざりしようなり。

 その次のも次の夜も吉次の姿見えず、三日目の夜の十時過ぎて、いつもならば九時前には吉次の出て来るはずなるを、どうした事やらきのうも今日きょうも油さえ売りにあるかぬは、ことによると風邪かぜでも引いたか、明日あすは一つ様子を見に行ってやろうとうわさをすれば影もありありと白昼ひるまのような月の光を浴びてそこに現われ、

『皆さん今晩は』といつになきまじめなる挨拶あいさつ、黙って来て黙って腰をかけあくびの一つもするがこの男の柄なるを、さりとは変なと気づきし者もあり気づかない者もあり、その内にもお絹はすこぶる平気にて、

『吉さんどうかしたの。』

『少し風邪を引いて二日ばかり休みました』と自ら欺き人をごまかすことのできざる性分のくせにうそをつけば、人々疑わず、それはそれはしかしもうさっぱりしたかねとみんなよりいたわられてかえってまごつき、

『ありがとう、もうさっぱりとしました。』

『それは結構だ。時に吉さん女房にょうぼを持つ気はないかね』と、突然だしぬけにおかしな事を言い出されて吉次はあきれ、茶店の主人あるじ幸衛門こうえもんの顔をのぞくようにして見るに戯談じょうだんとも思われぬところあり。

『ヘイ女房ね。』

『女房をサ、何もそんなに感心する事はなかろう、今度のようなちよっとした風邪かぜでも独身者ひとりものならこそ商売あきないもできないが女房がいれば世話もしてもらえる店で商売もできるというものだ、そうじゃアないか』と、もっともなる事を言われて、二十八歳の若者、これが普通なみならば別に赤い顔もせず何分よろしくとまじめで頼まぬまでも笑顔えがおでうけるくらいはありそうなところなれど吉次は浮かぬ顔でよそを向き

『どうして養いましょう今もらって。』

『アハハハハハ麦飯を食わして共稼ともかせぎをすればよかろう、何もごちそうをして天神様のお馬じゃアあるまいし大事に飼って置くこともない。』

『吉さんはきっとおかみさんを大事にするよ』と、女は女だけの鑑定みたてをしてお常正直なるところを言えばお絹も同意し

『そうらしいねエ』と、これもお世辞にあらず。

『イヤこれは驚いた、そんなら早い話がお絹さんお常さんどちらでもよい、吉さんのところへ押しかけるとしたらどんな者だろう』と、神主のせがれ若旦那わかだんなと言わるるだけに無遠慮なる言い草、お絹は何と聞きしか

『そんならわたしが押しかけて行こうか、きっさんいけないかね。』

『アハハハハハばかを言ってる、ドラ寝るとしよう、皆さんごゆっくり』と、幸衛門の叔父おじさんとしよりも早く禿げし頭をなでながら内に入りぬ。

『わたしも帰って戦争の夢でも見るかな』と、罪のない若旦那のちかかるを止めるように

『戦争はまだ永く続きそうでございますかな』と吉次が座興ならぬ口ぶり、軽く受けて続くとも続くともほんとの戦争はこれからなりとち上がり

『また明日あすの新聞が楽しみだ、これで敗戦まけいくさだと張り合いがないけれど我軍こっちの景気がよいのだから同じ待つにも心持ちが違うよ。』おやすみと帰ってしまえばあとは娘二人と吉次のみ、置座おきざにわかに広うなりぬ。夜はふけ月さえぬれど、そよ吹く風さえなければムッとして蒸し熱き晩なり。吉次は投げるように身を横にして手荒く団扇うちわを使いホッとつく嘆息ためいきを紛らせばお絹

きっさんまだ風邪がさっぱりしないのじゃアないのかね。』

『風邪を引いたというのはうそだよ。』

『オヤ嘘なの、そんならどうしたの。』

『どうもしないのだよ。』

『おかしな人だ人に心配させて』とお絹は笑うて済ますをお常は

『イヤ何か吉さんは案じていなさるようだ。』

『吉さんだって少しは案じ事もあろうよ、案じ事のないものは馬鹿ばか馬鹿うましかだというから。』

『まだある若旦那』と小さな声で言うお常もその仲間なるべし。

それよりか海にこうとお絹の高い声に、店の内にて、もうおそいゆえやめよというは叔父なり、

『叔父さんまだ起きていたの、今しおがいっぱいだからちょっと浴びて来ます浅いところで。』

危険あぶない危険あぶない遅いから。』

『吉さんにいっしょに行ってもらいます。』

『そんならいいけれども。』

 さアと促されて吉次も仕方なく連れだって行けば、お絹は先に立ち往来をはずれ田のくろをたどり、堤の腰をめぐるとすぐ海なり。沖はよくぎてさざなみしわもなく島山の黒き影に囲まれてそのしずかなるは深山みやまの湖水かとも思わるるばかり、足もとまで月影澄み遠浅とおあさの砂白く水底みなそこに光れり。いそ高くき上げし舟の中にお絹お常は浴衣ゆかたを脱ぎすてて心地ここちよげに水を踏み、ほんに砂粒まで数えらるるようなと、海近く育ちて水に慣れたれば何のこわいこともなく沖の方へずんずんと乳のあたりまでずるを吉次は見てふところに入れし鼈甲べっこうくし二板紙にくるんだままをそっとたもとに入れ換えて手早く衣服きものを脱ぎ、そう沖へ出ないがいいと言い言い二人のそばまで行けば

『吉さんごらんよ、そら足のつめまで見えるから』とお常が言うに吉次

『もうここらで帰ろうよ。』

『背のとどかないところまで出ないとおよいだ気がしないからわたしはもすこし沖へ出るよ』とお絹はお常を誘うて二人の身体からだかろく浮かびて見る見る十四、五間先へでぬ。

『いい心持ちだ吉さんおいでよ』と呼ぶはお絹なり、吉次は腕を組んで二人の游ぐを見つめたるまま何とも答えず。いつもならばかえって二人に止めらるるほど沖へ出てここまでおいでとからかい半分おもしろう游ぐだけの遠慮ない仲なれど、軍夫を思い立ちてより何事も心に染まず、十七日の晩お絹に話しそこねて後はわれ知らずこの女に気が置かれ相談できず、ひとりで二日三日商売もやめて考えた末、いよいよ明日あすの朝早く広島へ向けて立つに決めはしたものの餅屋の者にまるっきり黙ってゆく訳にゆかず、今宵こよいこそ幸衛門にもお絹お常にも大略あらまし話して止めても止まらぬ覚悟を見せん、運悪く流れだまあたるか病気にでもなるならば帰らぬ旅の見納めと悲しいことまで考えて、せめてもの置土産おきみやげにといろいろ工夫したあげく櫛二枚を買い求めふところにして来たのに、幸衛門から女房をもらえと先方は本気か知らねど自分には戯談じょうだんよりもつまらぬ話を持ち出されてまず言いそこね、せっかくお常から案じ事のあるらしゅう言われたを機会しおに今ぞと思うより早くまたもくだらぬ方に話をはずされ、櫛を出すどころか、心はいよいよ重うなり、游ぐどころか、つまらないやら情けないやら今游ぐならば手足すくみてそのまま魚のえばともなりなん。

きっさんおいでよ』とまたもやお絹呼びぬ。

『わたしは先へ帰るよ』と吉次は早々そうそうおかへ上がる後ろよりそんならわたしたちも上がる待っていてと呼びかけられ、待つはずの吉次、かたきにでも追われて逃げるような心持ちになり、衣服きものを着るさえあわただしく、お絹お常の首のみ水より現われて白銀しろかねの波をかき分けおかへと游ぐをちょっと見やりしのみ、みちをかえて堤へのぼり左右にしげかやの間を足ばやに八幡宮の方へと急ぎぬ。

 老松おいまつちこめて神々こうごうしきやしろなれば月影のもるるは拝殿階段きざはしあたりのみ、物すごき下闇したやみくぐりて吉次は階段きざはしもとに進み、うやうやしくぬかづきて祈るこころに誠をこめ、まず今日が日までの息災を謝し奉り、これよりは知らぬ国に渡りていくさちまた危うきを犯し、露に伏し雨風に打たるる身の上を守りたまえと祈念し、さてその次にはめでたく帰国するまで幸衛門を初めお絹お常らの身に異変なく来年の夏またあの置座おきざにてゆうべ涼しく団居まどいする中にわれをも加えたまえと祈り終わりてしばしはかしらを得上げざりしが、ふと気が付いてふところを探り紙包みのまま櫛二枚を賽銭箱さいせんばこの上に置き、ほかの人が早く来て拾えばその人にやるばかり彼二人がいつものように朝まだき薄暗き中に参詣さんけいするならば多分拾うてくれそうなものとおぼつかなき事にまで思いをのこしてすごすごと立ち去りけり。

 お絹とお常は吉次の去ったあとそこそこにおかへ上がりからだをふきながら

『お常さん、これからちょいと吉さんのうちをのぞいて見ようよ、様子が変だからわたしは気になる。』

明日あす朝早くにおしよ、おまいりを済ましてすぐまわって見ようよ。あんまりおそくなると叔父さんに悪いから。』

『そうね』とお絹もしいては勧めかね道々二人は肩をすり寄せ小声にふしを合わして歌いながら帰りぬ。

       *          *

            *          *

 若い者のにわかに消えてなくなる、このごろはその幾人というを知らず大概は軍夫とまりおれば、吉次もその一人ぞと怪しむ者なく三角餅の茶店のうわさも七十五日たぬに吉次の名さえ消えてなくなりぬ。お絹お常のまめまめしき働きぶり、幸衛門の発句ほっくと塩、神主のせがれが新聞の取り次ぎ、別に変わりなく夏過ぎ秋きて冬も来にけり。身を切るような風吹きてみぞれ降る夜の、まだ宵ながら餅屋ではいつもよりも早くめて、幸衛門は酒一口飲めぬ身の慰藉なぐさみなく堅い男ゆえ炬燵こたつもぐって寝そべるほどの楽もせず火鉢ひばちを控えて厳然ちゃんすわり、煙草たばこを吹かしながらしきりに首をひねるは句を案ずるなりけり。

さる小簔こみのをほしげなりというのは今夜のような晩だな。』

『そうね』とお絹がこたえしままだれも対手あいてにせず、叔母おばもお常も針仕事に余念なし。家内やうちひっそりと、八角時計の時を刻む音ばかり外は物すごき風狂えり。

『時に吉さんはどうしてるだろう』と幸衛門が突然だしぬけの大きな声に、

『わたしも今それを思っていたのよ』とお絹は針の手をやめて叔父の方を見れば叔父も心配らしいまじめな顔つき。

『叔父さんあっちは大変寒いところだというじゃアありませんか』とお常は自分の足袋たびの底を刺しながら言いぬ。

『なに吉さんはあの身体からだだものかんにあてられるような事もあるまい』と叔母は針の目を通しながら言えり。

『イヤそうも言えない随分ひどいという事だから』と叔父のいうにいてお絹

『大概にして帰って来なさればよいに、いくらお金ができても身体からだを悪くすれば何にもなりゃアしない。』

『ナニあの男の事だからいったんかせぎに出たからにはいくらかまとまった金を握るまでは帰るまい、堅い珍しい男だからどうか死なしたくないものだ。』

『ほんとにね』とお絹は口のうち、叔母は大きな声で

『大丈夫、それにあの人は大酒を飲むの何のと乱暴はしないし』と受け合い、びんほつれを、うるさそうにかきあげしそのくしは吉次の置土産おきみやげ、あの朝お絹お常の手に入りたるを、お常は神のお授けと喜び上等ゆえ外出行よそゆきにすると用箪笥ようだんすの奥にしまい込み、お絹は叔母に所望しょもうされて与えしなり。

 二十八年三月の末お絹が親もとより二日ばかり暇をもろうて帰りよとの手紙あり、珍しき事と叔父幸衛門も怪しみたれどともかくも帰って見るがよかろうと三里離れし在所の自宅へお絹は三角餅を土産に久しぶりにて帰りゆきぬ。なんぞと思えば嫁に行けとの相談なり。継母ままははの腹は言うまでもなく姉のお絹を外に出して自分の子、妹のお松をあとに据えたき願い、それがあるばかりにお絹と継母ままははとの間おもしろからず理屈をつけて叔父幸衛門にお絹はあずけられかれこれ三年の間お絹のわが家に帰りしは正月一度それも機嫌きげんよくは待遇あしらわれざりしを、何のかのと腹にもない親切を言われ先方さきは田が幾町山がこれほどある、婿はお前も知っているはずと説かれてお絹は何と答えしぞ。その夜七時ごろ町なるなにがしという旅人宿はたごやの若者三角餅の茶店に来たり、今日これこれの客人見えて幸衛門さんに今からすぐご足労を願いますとのことなり。幸衛門は多分塩の方の客筋ならんと早速さっそくまかりでぬ。

 次の日奥の一室ひとまにて幸衛門腕こまぬき、茫然ぼうぜんと考えているところへお絹在所より帰り、ただいまと店にはいればお常はまじめな顔で

『叔父さんが奥で待っていなさるよ、何か話があるって。』

お絹にも話あり、いそいそと中庭から上がれば叔父の顔色ただならず、お絹もあらたまって

『叔父さんただいま、自宅うちからもよろしくと申しました。』

『用事は何であったね、縁談じゃアなかったか。』

『そうでございました、難波なんばへ嫁にゆけというのであります。』

『お前はどうして』と問われてお絹ためらいしが

『叔父さんとよく相談してとなま返事をして置きました。』

『そうか』と叔父は嘆息ためいきなり。

『叔父さんのご用というのは何。』

『用というのではないがお前驚いてはいけんよ、吉さんはあっちで病死したよ。』

『マあ!』とお絹はあおくなりて涙もでず。

『実はわたしも驚いてしまったのだ、昨夜ゆうべ何屋の若者が来て、これこれの客人がすぐ来てくれろというから行って見ると、その人はあっちで吉さんとごく懇意にしていた方で、吉さんが病気を親切に看病してくださったそうな。それで吉さんの死ぬる時吉さんから二百円渡されてこれを三角餅の幸衛門に渡し幸衛門の手からお前に半分やってくれろ、半分は親兄弟の墓を修復しゅふくする費用にしてその世話を頼むとの遺言、わたしは聞いて返事もろくろくできないでただ承知しましたと泣く泣く帰って来ました。』

『マアどうしたらよかろう、かあいそうに』とお絹は泣き伏しぬ。

『それでは遺言どおりこの百円はお前に渡すから確かに受け取っておくれ』と叔父の出す手をお絹は押しやって

『叔父さんわたしは確かに受け取りました吉さんへはわたしからお礼をいいます、どうかそれで吉さんのあとを立派に弔うてください、あらためてわたしからお頼みしますから。』

(明治三十三年九月作)

底本:「武蔵野」岩波文庫、岩波書店

   1939(昭和14)年215日第1刷発行

   1972(昭和47)年816日第37刷改版発行

   2002(平成14)年45日第77刷発行

底本の親本:「武蔵野」民友社

   1901(明治34)年3

初出:「太陽」

   1900(明治33)年12

入力:土屋隆

校正:蒋龍

2009年328日作成

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