貝殼追放
「八千代集」を讀む
水上瀧太郎
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岡田夫人から「八千代集」を頂いた。
ひと昔前の事、自分がまだ中學の時代に、如何いふ心持で讀んだのか忘れてしまつたが、小山内薫氏の「夢見草」と、小山内八千代さんの「門の草」といふ文集を、常に机の上に置く十數册の詩歌集と一緒に並べて持つてゐた。ヲサナイと呼ぶ事を知らずにコヤマウチだと思つてゐた。小山内氏兄妹が、泉鏡花先生の作品の愛讀者であり且研究者だといふ事を、ある雜誌で承知して、その爲に買つた二册だつたかと思ふ。本の裝幀が美しかつたのと、若い兄妹が揃つて文筆に親しんでゐるといふ事が、當時の自分には羨しくも懷しくも思はれたのである。當今思ひつき專門の雜誌が、有島兄弟號谷崎兄弟號長田兄弟號を出し、物好きな世間がそれに釣られる心持を、自分は自分自身持つてゐる事を拒め無い。
「夢見草」は今も自分の本箱の中にあるが、「門の草」は何時かしら古本屋にでも賣拂つたのであらう、自分の手もとには無くなつた。
いろ〳〵の美しい文章が集めてあつたが、それがどんなものだつたか今では全く覺えてゐない。夜寒の門の外で小犬の啼いてゐる景色が、その文集の何處かにあつたやうに思ふがあてにはならない。女の子が集つて、おはじきをしてゐる景色も、おぼろげながら記憶してゐるが、それとてもそれつきりで、後も前もまるで忘れてしまつた。たゞ自分が幼い憧憬をもつて「門の草」を讀んだといふ、自分自身を囘顧して懷しむ心地ばかりが忘れられないのである。
その後「新緑」といふ新派の俳優の話も、誰は誰をモデルにしたのだといふやうな極めて安直な興味から自分を誘つたが、僅かに前篇を讀んだだけで止めてしまつた。後年久保田万太郎氏がしきりに此の小説を推稱するのを聞いたが、それは役者好きの久保田氏の事だから、役者の生活を描いた小説をほめるのか、でなければ久保田氏は岡田夫人が贔負なのでほめるのだと、たかをくゝつて讀まなかつた。雜誌や新聞に出た夫人の作品は隨分澤山讀んだ筈だけれど、あんまり感心しなかつたと見えて、殆どひとつとして記憶に殘つてゐるものも無い。
それなのに今度「八千代集」を讀んで、かなり面白く思ひ、集中の多くの作品は大概二度三度繰返した。夫人からその集を頂いた時、自分は發熱して病牀にあつた。なぐさまぬ心が大層なぐさめられた。本を頂いた禮状にかへて、自分は主として自分の好惡から出た、讀後の感想を、聊か引延して茲に記し度いと思ふ。
序にかへた「鳥のなげき」といふ詩──詩と呼ぶ外に何か適當で、且もう少し安つぽい輕蔑した言葉があれば、喜んでいひかへる──を先づ讀んで不愉快な氣持がした。自分の推察が間違つてゐたら謝る他は無いが、想ふに此の詩によつて、作者は自分の境遇を、暗にうたひ嘆いたのであらう。序にかへてと斷つてゐるのをみても、少くとも作者の一時代の心状を現したものと見て差支へ無いやうに思ふ。無理解の周圍の中に生活する事は、吾々にとつて最も悲しい事であるが、「鳥のなげき」の浮ついた氣障ないひあらはしは、その悲しみを賣物にしてゐるやうな推察を起させる。その點に於て自分は、此の「鳥のなげき」にかへて、どんな序文でもいゝから別のものであつてくれゝばよかつたと思ふ。
「八千代集」中、自分が一番面白いと思つたのは、卷頭の「紅雀」である。茲に面白いといふのは、それが藝術品として勝れてゐるといふ意味では無い。自分をして種々の事を考へさせた點を指すのである。若しも一の作品に覘ひどころといふものがあれば──内容といふ廣い意味の言葉を用ゐるよりも、稍々狹義で且聊か不純な意味を持つ覘ひどころといふ言葉を特に用ゐる──此の作品は、その覘ひどころに於て極めて勝れたものであると同時に、それを一篇の藝術品として形造る形式に於ては、最も拙劣であつた。
一人の青年は、死なばもろともにと誓つた從妹に死に遲れ、死なう死なうと思ひながら生きながらへてゐるうちに、何時しか他の女に戀してしまふ。けれども死んだ從妹との誓に對する良心の惱みから、今戀ふる女にはその戀をなか〳〵うちあけかねたが、遂にそれをうちあけると、女も亦女自身、或他の人に對してうちあけぬ戀を胸に祕めてゐる事をうちあける。傍に第三者の態度でゐた主人と呼ばれる青年は、此の二人の告白を聞いてみると、自分の友の青年が戀しあつて、死ぬ時も共にと誓つた從妹といふのは、曾て自分に戀してゐた女であり、今又その惱ましき同じ人が戀してゐるといふ女は、自分自身戀しく思つてゐると同時に、初めて聞いた女の告白によれば女も亦自分を戀してゐるのであつた。
「紅雀」の中の二人の男と二人の女──一人は死んでしまつたが──の戀愛關係を最も簡短に紹介すれば右の如きものであるが、これ丈でも此の作が、如何によき戲曲の素材であるかを、人々は直に想像する事が出來るであらう。岡田夫人が此の一篇を小説の形式によらず、戲曲の形式で描いたなら、必ず勝れたものが出來たらうと思ふ。その理由は、平面的の描寫で現すよりも、もつと緊縮した立體的の舞臺藝術が、この材料には當然適合する性質のものだといふ一言に盡きてゐる。換言すれば人と人との關係が、長い時間を經過して發展して來るのとは反對に、瞬間的に披瀝されるところが、それを畫面では表現し惡いものにしてゐるといふのである。
一體に、吾々日本人は、舞臺に繪畫を展開する技倆には勝れてゐるが、戲曲らしい戲曲を組立てる事は、今日の所謂新しい戲曲家に於ても最も不得意とするところである。或は、本來戲曲らしい戲曲を構成する能力が無いばかりで無く、戲曲らしい戲曲の材料を掴む能力さへ無いと云ふ方が適當かもしれない。
それなのに此の一篇は、稀に見る戲曲的なもので、自分が「八千代集」中一番興味を覺えたのも、全然この特質の爲である。正直なところ、自分は近頃戲曲を書く人の中で、これ丈戲曲的な人間關係を、時間と場所の適確なる一致に於て描き出した人を外には知らない。兎角女といふと馬鹿にしたくなる傾向を持つ自分も、この作を讀んだ時は、これは馬鹿には出來ないと思つた。けれども不幸にして岡田夫人は、此の戲曲的の場面を把握しながら、心なくも小説の形式で書いた上に、その小説も新派の芝居好み、活人畫の背景好みの、有平糖の綺麗さで飾り立てた極めて感傷的なものにしてしまつた。作者の持つてゐる惡趣味が、鮮明に出てしまつたのだらうか。
時は春「うす紫にうち煙つた朧月夜」で「風も無いのに眞白に咲き滿ちた櫻の梢からは、音も無く花片が、ひらひらひら──ひらひらとしつきりなしに」散りかゝるといふやうな婦人向の、極めて通俗に美しいと呼ばるべき景色である。人物も亦不幸にして、安本龜八作の好い男二人と、その二人と肩を並べても見劣りのしない丈の高い、「うるみを持つた大きな眼が、物云はぬ先に云ひしれぬ氣高い情を語る」婦人である。
自分には、この二青年が、どう考へても、その脱線した服裝、その輕薄な言葉つき、その淺薄な論理から推して、新派の芝居の色男以上には踏めない。新派の芝居の色男といふのは、言葉を換へて云へば、自分ではいゝ男のつもりで、その實氣障で間拔けな男の事なのである。しかもその青年の服裝其他を、作者は十分の好意を以て描いた調子が歴然と見えるのは遺憾である。
二人とも「銀鼠色のルパシュカ」「紺のビロオドの洋袴」といふ、想像する丈でも失笑を禁じ得ないみなりをしてゐる。巴里の一隅に巣をくつてゐる露西亞猶太人や、バルカン半島邊から出て來た下手な畫學生などの中に、たま〳〵つぎだらけのルパシュカを着たのや、古び汚れたビロオドの洋袴を穿いたのなどを見ると漫畫のやうな趣致を感じるが、小ざつぱりしたルパシュカに、新調のビロオドの洋袴で、いゝ男の坊ちやん畫工が、とりすましてゐる樣子は、天長節の夜會に出る洋裝の日本婦人、赤十字社の大會に集る片田舍の村長のフロック・コオトよりも、もつと悲慘な可笑しさを覺える。もつとも、銀座邊をいゝ氣になつて、そんな風をして歩いてゐる所謂藝術家も時々は見受けるから、或はそれも別段をかしがられもしないで通用してゐるのかもしれないが、何にしても作者の爲に、亦この小説を安價にした結果の爲に、自分は此の二青年の服裝を忌々しく思はないではゐられない。
曾て歐羅巴の都で、ビロオドの服を着て得意がつた日本の藝術家が、或商店に買物に行つて、乞食と間違へられた噂を聞いた。又或日本の藝術家がルパシュカを着て巴里の町を歩かうとしたので、その友人達が言葉を盡して反對し、やうやく思ひ止らせたといふ話があつた。面白い揷話として茲に記す。
其の上に又「紅雀」の人々は自稱して江戸ッ子がる、よくある一派の所謂藝術家である。主人の青年の口をかりて出る樂天的な江戸がりに耳を傾けると、世に謂ふ所の江戸ッ子の最も惡い方面ばかりを、最もいゝ性質として、作者は描いてゐるかのやうに推察され、又しても殘念に思ふのである。一體、世間普通に適用する江戸ッ子といふものゝ觀念には、かういふ冷汗の出るやうなのが勢力を持つてゐるのだらうし、實際東京の人間には、多少いやな浮調子なところもある事は否めないが、自分のやうに極端に東京の人間の好きなものにとつては、かゝる種類の人間を江戸ッ子と呼ばれるのは苦痛である。正直のところ自分は、はきちがひの江戸ッ子がりの横行の爲か、近頃は江戸ッ子といふ言葉をきくと、前後の判斷も無く、直に侮蔑の念を抱くやうにさへされてしまつた。
自分は「紅雀」が、立派な戲曲を構成すべき素質を備へながら、あまり出來榮の勝れない小説となつてしまつた事を殘念に思へば思ふ丈、その小説としての價値を殊に安價にした作者の惡趣味を罵倒し度い。この自分が、甚だ強く感じた感歎と殘念とは、覘ひどころに於て秀拔で、小道具と背景、その他の外面的要件に於て劣惡な「紅雀」の持つ不思議に混亂した興味に誘はれて、二度も三度も繰返して讀ませた。
「夢子」といふ小説は、その主人公夢子の數奇な運命が、異國趣味に似た面白さを持つてゐる。殆ど神祕の國の城の中を覗くやうな冒頭の生ひ立ちの記の數頁と、その城の姫の寵愛を一身に集めた身が、父の死の爲に雨露をしのぐ處さへ無くなつて、西の都を去る邊の、豐富な揷話を持つ半生の物語は、全く外國の物語に空想をそゝられて、未知の郷土を憧憬する幼時の心持に自分を誘惑した。殊に前半の簡明でしかも行屆いた文章は、大ざつぱな心持で虚喝恫愒を事とする當時流行の作家などの到底及ばない正當な文章である。その上に、兎角綺麗事になりたがる嫌ひのある此作者としては、きび〳〵と力に充ちてゐる事も感歎に値する。けれどもそれは物語に特有の面白さである。描かれた事そのものが、直ちに實在性を帶びて吾々に迫るのではなくて、その物語が引起す吾々の心持に、より多く頼るべき性質の興味である。從て主人公が、流轉の身を東京に落着けた時から始まる昨日に變る生活を描いた處になつて、作者が物語の筆を捨て、寫實的描寫を專一に爲始めると、全く異國趣味は消えてしまつて、殆ど別の小説を讀むやうな氣になつて來た。同時に作者は、夢子その人の心持にも、囘顧的に書いた前半とは違つて、細かい洞察と温い同情を缺いてゐる。さうして此の破綻が一篇の小説を前半と後半と別々の物にしてしまつて、一貫して變らない興味を失ふ原因になつた。
立入つた話ではあるが、技巧の問題として希望すれば、夫人は此の小説を全く會話拔きで描くべき位置にあつたのだと思ふ。それが夫人の力量に最適の形式だつたやうに考へられる。さうでなければ、種々の境遇の變化の中に現れる主人公の性格を強調した心理描寫の筆を揮ふべきであつたと思ふが、浮雲の如く去來する心持は描けても、より深く根ざす心理の描寫は夫人の最も不得手とするところであるから、これは無理な注文として差控へるのが至當であらう。
話は變るが自分には、夢子の意地張りなところを作者が非常に買つてゐるのが面白かつた。
「餘計者」も亦冒頭の朝子といふ女主人公が、その親、兄、姉にさへ餘計者にされたつきの惡い子だつた生ひ立ちを描いたところが勝れていゝ。讀み出した時、これは立派な小説に違ひ無いと思つた。けれども「夢子」の場合と同じく、現在を描いたところになると、全く調子が狂つて、何の爲にあんな堂々たる生ひ立ちの記が必要だつたのかわからなくなつた。女が夫の家を出る動機とか、その夫との關係、その家の状態、殊に朝子その人のなぐさまぬ心状が、一切不明瞭である。若し朝子がその幼時の如く餘計者であるならば、その餘計者である事と、家を出てからの行爲との間に原因結果の關係が無ければ、折角立派な生ひ立ちの記も無用の贅物に過ぎない。
例によつて臆測を逞しくすると、作者は事實の興味に乘せられて、それ程でも無い事を一大事として取扱つたのではあるまいか。少くとも自分には、内には激しい苦悶不滿に惱み、外には不愉快な境遇の壓迫に苦しんでゐる男女とは思はれなかつた。殊に翼といふ男は、作者が好意を以て描かうとした人間とは全然別種の人間としか考へられない。茲に作者が描かうとした人間とは即ち朝子の信じる翼だと云つても差支へあるまい。朝子は翼をトルストイの小説「復活」の主人公ネフリュドフに比べてゐる。「あのネフリュドフの眞似の出來るのは翼一人だと思つた。翼ならシベリヤまで行く位何でもなく思ふであらう。」と云つてゐる。けれども吾々が此の小説に描かれた丈で見ると、翼は「戀にやぶれ、商法に破れ、遂にみづから掛けたわなにみづから掛つて苦しんでゐながら、それをも強ひて拔けようとはしないで、苦しめる丈苦しまうといふやうな男」と呼ばれる際の悲壯な男ではない。彼は戀に破れたかもしれない。しかしそれは幾多の浮氣な男がしくじつた戀と何處に相違があるのか。「ふとしたことから關係した女」と夫婦になることにも、何んの悔恨も伴はない男としか考へられない男の戀の失敗は、やがて彼が座興として人々にほこり得る程度のものに過ぎない。彼は「苦しめる丈苦しまう」としてゐるのではない。「なりゆきに任して進んでゆくより外に道はない。」といふ、持つて生れた極めて樂天的な考へから、懷疑的な反省的な人間ならば苦痛とする事さへ苦痛でなく過して行ける人間なのだ。ネフリュドフには良心の苛責があり、道徳的倫理的思索反省が常にあつた。彼がシベリヤ迄もゆかなければならなかつたのはその爲である。翼には道徳感は無いのだ。彼がなりゆきに任して、呑氣な顏をしてゐられるのはその爲である。ネフリュドフが、どんな苦しみをも苦しまうとした心には、彼の道徳的意力の伴つてゐる事を忘れてはならない。翼がどんな事も苦にならないのは、彼には何らの道念がなかつたからである。
自分は、トルストイのネフリュドフに、かゝる男を比較されたのを見て、失笑を禁じる事が出來なかつた。さうして作者が此の小説に失敗したのは、つまらぬ男女の氣まぐれを、さも悲劇らしく買ひかぶつた結果だと推論した。
ちひさな事を大げさに考へる事、あんまりしつつこい物にも倦きたからお茶漬にしようといふやうな輕い事を、せつぱつまつた事のやうに考へる内容の不充實が、此の比較的に長い、當然複雜な背景を要求する小説を、平淡無味なものにしてしまつた。
たゞ面白いと思ふのは、意地張りの我儘者に對する作者の同情が、露骨に出てゐるところである。甚だ失禮な申状だが、想ふに岡田夫人は意地張りの我儘者であらう。さうしてその爲に餘計者にされる不滿と哀愁を、時に沁々感じる人であらう。その哀愁の伴ふ時、夫人は「餘計者」の冒頭數頁が持つやうな緊張した描寫を可能にし、その憤懣のみが堪へ難く荒ぶ時、やけになる心地を夫人は切實に感じる人であらう。かゝる時、夫人は此の小説の朝子の心を經驗するのではないだらうか。
やけといへば、一體に夫人の作品には、何處かに捨鉢を喜ぶ傾向が顯はれる。それは捨鉢を主張したものでもなく、捨鉢に同情してゐるのでも無い。殆ど無意識に作品の基調を成してゐるのである。それ丈動かし難いものに思はれる。若し此の捨鉢が一層強く深く、色彩を鮮明にして來る日があつたら、夫人の作品には更に遙に純一性を増すに違ひ無い。
「餘計者」の朝子が家出に至る迄の心状は、正面からも、又は背景としても、殆ど描かれずに終つてしまつたが、要するに一切の事になぐさまぬ心がその原因をなしてゐるのであらう。そのなぐさまぬ心、その爲に世を捨鉢の氣まぐれともなる心持は、「青い帽子」及び「假裝」の中に共に現れる二人の女にも見出される。この二人の女は不愉快な新聞語を以て呼べば、所謂新しい女であらう。自分のやうな、女性に對しては、自分自身の主我的な要求から、寧ろ古めかしい優しさを強要する傾向の者には、反感を持たないではゐられない種類の女である。勿論茲に新しい女とは、新聞記者の理解する丈の意味に於ての新しい女で、決してよき意味に於ける進歩した女を意味するのでは無い。殊にこの二人、即ちかし子とつね子とは、決してその思想に於て新しい女ではなく、ただ單に行爲の上に、慣習を破壞したあばずれが現れてゐる際の女なのである。兎に角今此の小説の中では、二人は何か心も躍るやうな刺戟に憧れ惱んでゐる事は確かである。「青い帽子」に於ては、夫人の得意とする細緻な觀察をほしいまゝにした端艇競爭の場景の中に明確に描かれてゐる。うまいと思つた。しかも自分の我儘は、この二人の女の態度の小憎らしさから、この作品を好む事が出來なかつた。作者が彼等の態度を是認してゐるところが、自分を不快にしたのかもしれない。「假裝」の方は散文詩のやうな感觸を持つ小品で、主としてその作品を貫くかし子の、やるせないやうな心持には自分は同感する事が出來た。或時の人の心の動搖をとらへたものとして、極めて氣の利いた作品であるが、あまりに形式を氣にしたわざとらしさがいやだ。
右の二篇の中のつね子といふ女は、作者がより多く同情してゐるかし子よりも、爲す事する事が付燒刄で堪らなく「いやな奴」である。しかしその「いやな奴」よりも、明かに「いやな奴」として描かれたのは「灯」の夏子である。しかも自分には此の「いやな奴」の方が、つね子といふ「いやな奴」よりは、まだしもましに思はれる。それは作者がつね子に對してはその行爲に反感を持たず、寧ろそれを肯定しながら、夏子の態度は一々否定してゐるのが、かへつて吾々をして前者に反感を抱かせるのではないだらうか。つまらない事のやうだけれど、描寫論の一端として、心得べき事に思はれる。
作者が明白に「いやな奴」として取扱つてゐる夏子に對して、作者が明白に贔負にしてゐる千の助は、複雜な陰影の多い半生を背景にした人らしく所々に説明されてゐながら、結局その心持は極めて淡くしか推察されない。勿論作品の性質が寫生風のものであるから、それに對して廣い背景を要求するのは無理かもしれないが、一體に夫人の作品には、背景の淺い恨みがあるので、ついでを借りて云ひ度いのである。そのかはり、此の夏の夕の一揷話は、平淡に描かれてゐる丈明るい色彩で、男も女も當代の浮世繪のやうに生々とした刺戟性を持つて印象を殘すのである。好きではないけれども、この點に於てうまい作品には違ひない。
うまいといふ方から行くと「雨」「お伊勢」「駒鳥」などは議論無しに推稱さるべき作品である。かういふ作品にあらはれる夫人の特質は、觀察描寫共に細緻な事である。規模の大きい或事件の進展を描いた他の小説には、夫人の最も不得意らしい心理描寫性格描寫の極めて粗雜な事が、明確に觀取されるのに、これらの短篇中の短篇にはさういふ要素を比較的に必要としない爲に、無瑕の寶玉の光を帶びてゐる。夫人は人の心の深い動搖、變化、展開を描く事には拙劣だが、或一瞬時の心の浮動は、極めて親切叮嚀に同情深く描き出す。自分が推稱する作品中の「お伊勢」「駒鳥」などは正にこの好適例である。
「雨」に至つては「八千代集」中最も短いものではあるが、同時に最も完全な短篇として第一に推讚し度い。夫人の寫生家としての冴えた手腕が、他の作品では兎もすると、押へても押へ切れない夫人特有の片意地や、あて氣や、山氣に邪魔されて、本來の光を現さないのが、此處では立派な作品を成し、しかも藝術家に有勝の芝居氣のまじらない純粹の人の愛が、一字一句に籠つてゐて、幾度繰返して讀んで見ても、自分は歡喜に伴ふ涙ぐましい程の心地を覺えるのである。ふと乘合せた電車の中の姉弟の、その境遇性格、全生涯迄も、僅に數頁の文字の中に暗示されてゐるばかりで無く、もつと廣い人間社會が、その背後に横たはる事さへ歴然と示されてゐるのである。集中最も完全な作品であると同時に、波瀾に富んだ長篇よりも、遙に深みのある作品である。靜止せる場合を描いて、尚且動いて止まない人生の一角をまざ〴〵と見せた逸品である。紅葉時代の文脈を引いた誇張の無い氣持ちのいゝ夫人の文體は、此作に於て、初めてしつくりあてはまつたやうな氣がした。自己を語るには、思想を適確に把握し得ない恨みがあり、自己を描くには、あまりに筆の弱過ぎる嫌ひのある夫人は、要するにその持前の細かい觀察に、女性特有の温い同情の伴つた時、寫生家──寫實主義者といふ文字の與へる概念と異なると同時に、ホトヽギスの所謂寫生文を書く人とも違ふ意味で──としての本來の技能が最も自然に發露して、かゝる逸品を創作し得るのではないだらうか。敢て夫人が今後の筆硯の爲に、自分は押切つた事を云ひ添へるのである。
「雨」と並べて、自分が最も愛讀したのは「うつぎ」である。一體に他の作品の多くに見えるあまり感心しない趣味と、かなり力強く働いてゐる芝居氣から、此作品は全然免れて、極めて自然なのが、自分をして幾度も繰返して讀ませた所以である。
元來どの作家でも、追憶囘想の作品には、不知不識詠嘆的になり勝であるが、意力の強い夫人は、全然この弱點を見せずに、飽迄客觀的な態度を持し、しかも面白い揷話のひとつひとつを繪卷物のやうに展開した。殊に一人稱の敍述に似もやらず、作中の人のすべてが、何れも截然とした特色を持つ個々の性格として躍動してゐるのは敬服に値する。さうしてその個々の人々の一生及び相互の關係迄吾々は頭を痛める事なく覗ふ事が出來る。こゝにも亦夫人の寫生家としての特質と、その柔かい色彩と、その靜に寂しい韻律を持つ極めて上品な夫人の文章を推稱し度い。
凡そ多くの作家にとつて、最も懷しい作品は、その構想表現に工風を凝らした作品ではなく、極めて自然に自分の心胸に泉の如く湧き上る感情を、そのまゝ筆にした作品であらう。其處には屡々心ある作家が、自ら冷汗を覺える小細工、脅迫、虚僞が無い。恐らくは夫人が自己の作品中最も自らなつかしとするものは「うつぎ」以外にあるまいと思ふ。
「うつぎ」に比べると、同じやうな味ひを多分に持ちながら、比較的に劣るのは「指輪」である。これは事實の面白さを羅列する忙しさに、作者の理解同情が、物語らるゝ事象の中に、滲透し切れなかつた結果であらう。しかしそれも「うつぎ」に比べての事で、他の作品の中では、矢張り自分の好む物のひとつに數へて憚らない。
自分が最もつまらない、馬鹿々々しい作品だと思つたのは「横町の光氏」である。低級子女が見て光氏とする横町の若い人を、夫人も亦同じ程度に肯定してゐるのが馬鹿々々しい。且その男の口吻の氣障な事は、當然カリカチュアとして現さるべきであつたと思ふ。こゝに又不幸にして夫人の惡趣味の流露を見た。
「堂島裏」も「横町の光氏」に見る同じいやみを感じるけれど、この方は作品としての纏りのいゝ事が、彼に比して遙に勝つてゐる。
「鷹の夢」は久保田万太郎氏が、岡田夫人の噂が出ると、必ず「新緑」と共に引張り出して、誇大に感服して見せる作品であるが、それはたま〳〵久保田万太郎氏の淡い趣致を喜ぶ獨特の好みを表白したものとして、久保田氏を評する時により多く面白い證明のよすがとなる可き話で、作品としては可も無く不可も無い、極めて平凡なものだと思ふ。
自分は最後に、上來述べて來たところを綜合して、夫人の作品の特質傾向及び夫人の作品の弱點短所を簡略に抽出し度いと思つてゐたが、それはこゝ迄の長々しい批評の中に斷片的ながら云ひ盡されて居るやうに考へられるのでやめる事にした。
或文壇の老大家が曾て人に語つて「俺は女の書いた物は何でも面白い。女の書いた物だと思ふと惡口は云へない。」と云つたといふ巷の噂を聞いた事がある。けれども明治大正にかけて、吾々の時代が生んだ女流作家中、歌人與謝野晶子氏と小説家樋口一葉女史以外に、無條件に推讚し得る人が何處にあるか。殆どすべての女流作家は、單に女だといふ先天性の爲に、文壇の色どりとして介在してゐるに過ぎない。たま〳〵野上彌生、中條百合子二氏の如き、かなりいゝ素質を持つてゐるらしい人が現れても、自制心の缺乏から、中途にして邪路に踏入つてしまふ時、同じくよき素質を持ちながら、多年創作の筆を續けながら、尚且自己の特質を自覺しないらしい岡田夫人を惜しいと思ふ。
あまり度々引合ひに出して濟まないが、久保田万太郎氏の如きは、今日迄の岡田夫人の作品を見ても、夫人は現代女流作家中唯一の勝れた作家だと云つてゐるが、自分は左程に思はない。しかし夫人が今後ほんとに自己の持つてゐるいゝ物を見出し、しつかりとそれを把握した時、必ず勝れたる作品を發表されるに違ひないと、確く信じて疑はない。
乍末岡田夫人の「八千代集」を贈つて下さつた厚情を感謝し、併せて夫人の健康を祈りつゝ筆をおく。(大正七年四月二日)
底本:「水上瀧太郎全集 九卷」岩波書店
1940(昭和15)年12月15日発行
初出:「三田文學」
1918(大正7)年5月号
※以下のルビ中の拗音、促音などを、小書きしました。
寫生、背景
入力:柳田節
校正:門田裕志
2005年1月19日作成
2012年5月11日修正
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