一九二三年冬
宮本百合子
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○Aの教えかた(家庭のことで)
○夫妻の品行ということ、
○自分の子についての心持
○母のない子、母というものの大切さ。
○頼られるという人のたち、
○自分のうそ。それにつれて考えた
○人格の真の力の養い、
○西川文子氏の話
○伊藤朝子氏
○Aの「かまわない」
○自分とT先生との心持
◎敏感すぎる夫と妻
◎まつのケット
◎本野子爵夫人の父上にくれた陶器、
◎常磐木ばかりの庭はつまらない。
──○──
Aの言葉の力
◎或ことについての自分の注意が一度うけ入れられると、一度でやめず、幾度も幾度も繰返し、しつこくその効果をためし、きらわれる。
「何々をこうしたらいいだろう」
「はい、これからそう致します」
「本当にそうした方がいい。何でもない一寸したことだもの。自分が働くに働きいい方がよい」
「──」
「ね、本当に、そうおしよ。いそがないが」
きく方でうんざりしてしまう。
○今まで人に思うままのさしずや命令を与えられなかった分を、今しようとするが如く。
私は寂しき微笑を洩す。
志賀直哉氏のものをよみ乍ら
自分達夫婦に、旅行と性慾の問題は密接な関係のあるものとして扱われない。どう云う訳か。例えば私が何処へか出かける。出かけたい、よい連がある。金がある。それですます。又Aが出かけるとしても、先で、彼が別な女と肉体的の関係を生じようなどとは思ったこともないし、殆ど考えたことさえない。それが私共に別々な旅行ということを単純にあつかわせる。
私の心持では
Aが、種々な女の美しさなどにほっこりしない品行方正さ、実は感受性の鈍さが──あるのを知って居る故
Aが、そういう純潔さに自繋せられて居るという知識、私自身のうぬぼれ等、すべてがコムバインして一つの信用と云うものになって居る。
どんな女の人と置いても大丈夫と云うのは、彼が、それを清らかに愉しみつき合い乍ら、なお堕しないと云うのではなく、女の前に出ると、先方が active でない限り、自分はコチンとして居るのを私がよく知って居るからだ。
彼は私に対して、どう思う?
あぶないとは思うらしい。欲情を私の側に認めず、男が独りの私に対して持つ欲情というものを随分思うらしい。自分の淋しさもあるだろう。私が彼を一人で出してやるより、彼が私を一人で出す方をいやがる。
自分の子供というものについての心持
自分が子供というものについて考えるのは、自分がそれを持つのを恐れるのは、自分やAが安心して親となれる人間でないという外に、林町の母達の心持にかなり影響を受けても居ると思う。母が向島の祖母と子供のことについて激しい感情を持ったのもよくわかる。
十二月九日
Jane Eyre をよみつつ。
大瀧のひろ子、基、倉知の子のことを思いあわれになり、国男、スエ子、英男、自分が母を生みの母を持つことの幸福をしみじみと思った。家計が立てば、子には父より母だ。ひろ子の実際的な、感情の流露しない大人びたところを思うとあわれ。又、倉知の子が、休の日に家に居ず活動をあさるのもあわれ。
頼られる人
Jane Eyre をよみつつ。
p. 144 に Rochester が opera-singer にだまされたときの話を Eyre に話しつつ。「不思議だ。私がこんなことを信用して打ちあける人に貴女を選ぼうなどというのは全く不思議だ。(──)が、私は、どういう心持の人と相対して居るか知って居る。特殊な、ユニックな心持だ。幸、私はそれを傷ける意志はないが、よしあったとしても、私などに傷けられるような心ではないだろう。」
〝I know it is one not liable to take infection〟
とある。
頼られる人というのは、こう云うのだ、と思う。理解はあるが、地につき Matter of Fact な、自分の生活を支配されない人が、動揺し、まどい、当を求める者にたよられる。
赤江米子氏/母の或部分のような性格
はっきり自分の行く道 moral の定って居る人が、たよられるのだろう。面白し。
自分のうそ(誇張)
十二月十四日、
石橋さんが来たので林町に行きとまり、翌日午後かえる。A前日から風邪のきみ。かえって見ると床について居る。
「いろいろ話し、石橋さんが、
『貴女可愛がられて居ますね』と云ってよ。何故ってきいたら、
『女の人は大抵結婚すると、此処に皺が出来るでしょう』(目尻をさし乍ら)って、そして、『ふふうむ』と云って見て居るの」
と云った。
肥ったこと、その他は話したが、実際に於て此那会話はなかった。
私の想像が働きすぎ、アユ的ウソと云うに近いものとなった。
Aに媚びようとしたのではないのに。──
原因は、(イ)Aに床につかれて居るいやさ、down hearted だと思ったこと、
(ロ)実際うちにかえって愉快だったこと。
(ハ)思いがけずとまって気の毒だったこと──自分はこの頃、女中とだけ居る淋しさつまらなさを理解出来るから、
それ等が、刺戟となって口に出たのだ。考えて見、自分でおどろく。少し悲し、少し面白し、悲しい方がつよい。imagination の abundance から来るという考え方もあるが、出鱈目で所謂暗示にかかり易い弱い性格を示す。その弱さの自覚される clear head が又自分にある。
人格の真の力
そのような(前に書いてある)ことを自分がわかる快心の心持だけで終ることは、結局、there is somethings ということが発見された丈である。発見! それについて自分はどう云う decision を下すかと云うところ迄ゆき、現在の心とその decide されたものとの間にダイナミックな折衝を生じなければ、真実人格を養う力とはならない。あるもののあるのを知るだけでは足りない。知ったそれに自分はどう向うか、その理想に叶うどれ丈の実力を持って居るか、そのしみじみとした反省が大切なのだ。
坪内先生の「実行に急ぎすぎる」と云う言葉を何かに向って云われたのは、先生の作品にさえあてはまる意味深い言葉だ。
近頃、自分の内的生活を、次に次にと新たなものを受け入れる為、一つ一つをたんねんにギンミし、それに一つ一つの decision を与えて居ない傾向がある。只感じるだけ。そこにあるものがあるのを示し、知り、解剖するに止ることが多い。狭き我のバッコはいけないが、decision を持ち得ない砕けすぎは恐ろしいダラクの一段だ。トルストイかぶれの moral でない私の評価をもちたい。世の中に雑作なくけなされることの多いのは、──そう云う社会の中に住むことは、己惚をまさること、更によきものに向っての努力を忘れさせる点で実にいけない。
自分の周囲を批判し、不満な点を認め得るということ丈が、既にその箇人の進んで純な所以であるかの如く誤解するからいけない。これは、私にもあり、Aにもある。
真の向上心は欠け、自らそのことを実行しない、しても渦中にないという丈で、云える批評で、安心するのは低級至極な話だ。わかって居るつもりで、私は自分のきらう口やかましく実力なき批評家の一人になりかけた。どうかしてもっと鋭き wide-awake な敏感さを持ちたいものだ。
西川文子氏の話
西川文子氏は面白い人物だ。
先ず風から見ると、頭髪をわけ、うしろでまるめるはよいが、白いゴムに光る碧石が入った大きなお下げどめをし、紺サージの洋服に水色毛糸帽同色リボンつきといういでたち。顔に縦じわ非常に多く、すっかりあかのつまった長い爪、顔の色あかぐろく、やせる。
西川氏の周囲には浪人ものが多く集って居る。なかに、九州の人で、帝大を卒業するときやめ、車夫になり、体がよわくなってから「梶棒をすて」今は知人に一斤ずつ米をもらったりして、働かなければならないと云うなら死ぬと云って、桃太郎主義を奉じて居る。
私「桃太郎主義って?」
西「──つまり桃太郎がすきんですね。この間九州から出て来ましてね、今このさむいのに、代々木の方で夜警をやって居るのですよ。夜中は震えますってさ。そりゃあひどく震うんですって。余り震えるからって、うちへ来なさいましたから古洋服だの靴まで貰ってよろこんでかえりなさいましたよ。偉いんですよ。気違いじゃあないんです。少し頭が変なんです。この間来なすった時、明治神宮の前できび団子でもこさえて売ろうかって云いなさるから、そりゃあ面白い、うんとおやりなさい、後援してあげましょう、と云いましたが、まさか、実際にそれをするのはいやなんですね。考案は、大きなのや小さなのや種々雑多なのを作って売ろうと云うのだったのですがね。」
又、
「いいえ、真面目な気狂いもあるものですよ。私のところに手伝って貰って居た人で名士訪問会という会へ出かけ、一日でも家にじっとして居られないという人がありましてね」
皆笑う。
「ほんとうに真面目なんですよ、気違いでも何でも真面目だからいいって手伝って居て貰って居ましたが、気違いの気狂いたるところは、刺戟を求めずに居られないのですね。
矢島さんが私とこでお助けしたいいうてね。」
──○──
西川氏は、真面目 ということを独特につかう。
伊藤朝子氏のこと(彼女の話)
私は七つの時、病気ですっかり頭髪がぬけてしまいました。それから二十七まで、一歩も外に出ないような生活をして来ました。私の苦しかったのは、内には女としての熱い熱い燃えるような思いがあるのに、それを出そうとすると、そとから阻まれ阻まれ押えられて来たことです。
それが伊藤によって充され、道徳的な限界から自由に自分と云うものをあらわして生活してゆくことになったのですね。
私の或青年との恋愛は、伊藤によってみたされなかった美の感情がその人に向ってほとばしったとでも云いますか。
私自身始めっからそれは自覚して居ましたから、その男の人がほかに好きな女の出来たとき、やっと、役目のすんだような気がしました。
──○──
自分の浮気を押えようとして居るうちは、まだ浮気は小さい。
私などは、人間は浮気に出来て居ると思って居ますよ。
西川文子氏の観察
あの人は告白病にかかって居るのです。どんな女の人でも経験することだのにあの人は、ああ云う頭で、ひとからまるで特殊な生存あつかいにされるため、その経験を特別なもののように告白せずには居られないのですね。私はよく云うんですよ。
「貴女が考えて居る位のことは皆誰でも考えて居ますよ。ただ黙って居るばかりです。だから貴女もだまって居たらいいでしょう」ってね。
あの人は、あの告白病で雑誌をつぶして居るんですよ。
先も、あの人がお国へかえって居た間に伊藤さんがほかの女の人に手紙をやったと云うことで大層なけんかになって、それを雑誌に書いて、うんとことわられてしまったでしょう。
今度だって貴女、変な若い男と何だかで、それを又、雑誌に告白し駄目にしてしまったんですもの。
三宅「そう云う風に、くらりと告白し、雑誌の方の打算なしにおやりになってしまうところが一寸変って居ますわね。ね、一寸出来ませんわね、」
西「それにあの人は、男の人が、女と云うことを忘れまるで平気にあの人と議論するし、伊藤さんも他の人とは異うと寛大にしていらっしゃるので、あの方はそれをかん違いし、皆、自分を愛して居るかと思いなさるのですよ。だから男の人が、そんなに思われて居るのは迷惑だって云います。あの人は私共の仲間の愛嬌ものですよ。」
──○──
私の思うのに。
このことは、愛嬌以上だ。朝子の方は所謂醜女の深なさけで、男が、女と思わず手にさわり喋りするのを、自分が卓越して居る為とか、愛されて居る為とか思って幸福に人生を麗らかにして居るところ痛ましきかぎり。又良人が自由にさせたい通りさせて置くのを、一層深き理解と愛の為と思い込んで居る女の愛らしさ。殆ど涙の出るものがある。
その関係を書いて見たい。なかなかむずかしい。
Aの「かまわない」
△「何をあがりますか」
A「何でもかまわない」
食事になる。終りに近づいてから。
A「今日は僕のすきなものばっかりだ。」
△心でよろこび「そうでございますか」
A「ちっともたべられやしない。皆ぼくのきらいなものばっかりだ。」
Aはきかれると何でもよい、どうでもよい、と云うくせに、心持ではちっとも何でもよく、どうでもよいのではない。自分の思うようでないと、不平を洩す。故にする方は、前もって、その底まで考える必要あり。陰性の我ままと云うべし。
自分とT先生との心持
自分とT先生との心持──寧ろ、自分のT先生に対する心持は深く、強く、ごまかし難いものだ。
師弟の関係に於て何かのよいきっかけを見つけ、書きたい。
この心持、佐藤春夫の見失われた白鳥の話にある。
「妙に根本的に考える」私の性癖によるのだ。
○敏感すぎる夫と妻
妻、ひとりで家に居、女中が留守になったので朝食事の用意を簡単にする為、オートミールでもあればよいなと、考えて居る。──夫の着物を火鉢にあぶったり、炭をなおしたりし乍ら。すると、玄関があき夫がかえって来、「今日明治屋によって来た」と云う。
「まあ! 珍しいのね、どうして」ふっとオートミールのことを思い出し、ふざけ半分にきく
「買っていらしったもの、当てて見ましょうか」
靴をぬぎつつ
「うむ、何だと思う?」
少し余裕をおき
「オートミールでしょう?」
「当った。形でわかるね」
「買って来て下さればいいと思って居たのよ。」
以心伝心でうれしいような、不気味なような心持。
その次にも、又次にもそんなことがあり、終に或日、何かでけんかをし、相手を死ぬと云うように思う。考え乍ら、或ことが閃き、フと妻が顔をあげて夫を見る。夫の顔の暗さ。妻、獣のような眼の光で
「同じこと? 考えて居らっしゃるのは。──私の考えて居るのと」
夫、烈しく
「馬鹿!」
静かな夜、戸外を走る自動車の音。
○まつとケットウ
まつ、女中が辛棒しきれず、べっとうと結婚する。すぐいやになったが、ケットウが惜しくてわかれられない、と云う。
ケットで代弁させて居る未練。
×本野子爵夫人のくれた陶器
父、母と本野子爵に呼ばれた。
父、あの調子ではしゃぎ mantelpiece の上のオランダをほめる。(まがいと知っては居たが)
子爵夫人、夫をすすめ、建築の少ない礼の足しにそれをよこし、父、母に叱られる。
常磐木ばかりの庭はつまらない
うちの庭は、殆ど常緑樹ばかりだ。東の南の背の高い、よく雀が来てとまるひば、一杯の引かぶった松、あすなろう。八つ手、沈丁、梅、花のさかないかれた梅、*中、つやのない葉を隣りの家の西日のさすはめにうつして居るバラ。
先に住んで居た人の置いて行った箱庭にさえ、小さなつげとつつじが、黒い、緑のよごれた毛糸のたまのようにくっついて居る。
私は、秋になると葉をおとす紅葉やポプラーや、鈴かけのようなものが欲しい。
冬、細そりした裸の枝は美しい。夏の空想の美くしさ。
十二月三十日(一九二三)
佐藤春夫氏の都会の憂鬱に、
「しかし何時如何なる場合にも、『父と子』とは『父と子』であることを忘れてはならない」
と云う一句がある。
これは、本当の言葉だ。誰でも、文学に志して其を感じないものはないだろう。
先日、私が林町に行った時、(九月一日の震災後で、佐野利器氏や何かが復興院の顧問になったこと等が新聞にも出る時であった。)母が突然
「百合ちゃんもタイトルでもとるといいね。」と云われた。
自分は寧ろ驚き、同時にひどく不快を感じて
「何故? 学者と芸術家とは異うことよ。芸術家は学者以上と云えてよ一方から見ると。学者には学んでなり得る。芸術家には、勉強丈ではなれない。」
傍に居られた父上が
「そうだ。偉大な芸術は、総てを包含するものだ」と云われた。
すぐ前後の社会的事情を考え、母の心持に潜むものを感じ、父上に気の毒のような、単純さが滑稽のような心持になった。
本当に親は子を愛す。然し子を殺すものも親だ。
底本:「宮本百合子全集 第十八巻」新日本出版社
1981(昭和56)年5月30日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第2版第1刷発行
初出:同上
※「*」は不明字。
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2004年2月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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