有島武郎の死によせて
宮本百合子
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七月八日、朝刊によって、有島武郎氏が婦人公論の波多野秋子夫人と情死されたことを知った。実に心を打たれ、その夜は殆ど眠れなかった。
翌朝、下六番町の邸に告別式に列し、焼香も終って、じっと白花につつまれた故人の写真を見たら、思わず涙にむせび、声を押えることが出来なかった。彼の温容が心を打ったこと、並、人生の切なさ、恐ろしさ、平凡の底に湛えた切迫さ、真剣さを、一時に感じ、涙となったと云ってよい。
翌十日、自分は、動乱した心持のやや鎮まりを感じ、気分を更える為に髪を洗った。
今日(十一日)は風の強い、始めて蝉の声のする夏らしい日だ。
朝から仕事にかかる心組みで、食後机に向った。一回分の半以上迄無事に進んだが、そのうち又、心についてはなれない感動の余波で注意が、仕事から逸し勝ちになる。自分は総てこの一事によって経験した自分の心持ちを書いたら、幾分頭はしずまり、仕事につけるだろうと思いついて、此の筆を執ったのだ。
今、自分の心には、人間の畏ろしさがしみついて居る。彼の死には、種々不可解の点があり、それを理論的に批評するに困難がある。然し、彼が、性格的にあれ程殉情的なところと、理想主義、殆どストイックなところとのあったことに、今度のパニックは重大な関係を持つこと丈は争われない。
彼には、実に多くの、美しい、センチメンタリティー、甘さがあった。自分のような女性、若者にもなお且、その柔さで物足りなさを覚えさせるほどの。而も、彼には、人間として精進し、十善に達したい意慾が、真心から熱烈にあった。
作品にその二つが調和して現れた場合、ひとは、ムシャ氏の頼もしさとは又違う種類の共鳴、鼓舞、人生のよりよき半面への渇仰を抱かせられたのだ。
彼は、学識と伝統的なセルフレストレーンの力で、先ずハートに感じるものを、頭の力で整理したと云う人であった。人情によって理解し、直覚し得たところを、理想に燃える知で文学にした。情と知とを二分別し得るものとすれば、彼は第一に情の人で、それを粗野に取扱われなかった情そのもののデリカシーと、後天的の品とがあったのだ。
「此点は、私に性格の或類似からよくわかる。私の感情は、彼より単純で、粗朴で、同時に盲目な生命の力に支配されずに居ない強烈さを持って居る。従って、彼より憎らしい女になる時がある代り、その強さが素直に出た時、私が辛じて、天に達する階子のありかを知ることの出来る足場となるのだ。」
「或女」以後、私は、彼の作品が、或行き詰りを持ち始めたことを知った。読んで見ると、精神の充実したフルーエントなところがなく修辞的でありすぎ、いつまでも青年の感傷に沈湎して居るような歯痒さがあった。「星座」にも同じ失敗を認める。大づかみに、ぐんと人生を掴まず視点が揺れ、作家としての心が弱すぎた。為に、あれ丈文化的価値を裏に持った素材が、明かにこなされ切れなかった。
時に、彼の精神の或面に、私が、物足りなさによる侮蔑に近いものを感じたのは争われない。何か、この先もう一つ、吹っきれば素晴らしいのが見えて居るのに、いさぎよくそこまで踏切ってなぜ呉れないか、と云う愛の変形であったのだ。
何かで「忘れ得ぬ人々」? と云う題で書かれた感想に類したものを見て自分の感じたことも同じだ。
最近、彼が、もう一年近い沈黙の間にどう旧套を脱されるかと云うことが、自分にとって一つの大きな、楽しい期待であったのである。
ところが、彼は、そこを踏み切るにああ云う道に出られた。
男の四十六歳はあれ程危険な年齢か。
彼の青年時代から引続いた精神的緊張の疲労が、深い休安、慰撫を求めて居た時、ああ云う消極的の愛が、あれ程積極の力を出して、彼に働きかけたのか。
芸術家の緊張、その弛緩の深さを知って居る自分は、大きい引潮の力を感じられる。
恋愛に面し、人によって、そとから、人生の明るい半面のみを感じ得る者、又消極のみを感じ得る者、消極を先ず見、後、そこを通して奇異な光明を認める者、等の差、類があるのではあるまいか。
彼の恋愛は、始めのものから、所謂不幸なものであったように思う。彼はその不幸のそこから、人生に徹し得ると云う求道的の歓によって光明を得て来た。
今度の恋愛は、彼の大きい一生上の一つの引潮に際し、不幸は以前に倍して大きいとなれば、常識の云う最大の不幸、「死」をとおして光明を感じたことを、認めない訳には行かない。
彼の死を、長谷川如是閑のように、理智と本能の争いの結果とも見得るし、内的の力の消長の潮流の工合とも見られるのだ。
自分にとって、波多野氏の方から誘惑したとかどうとか云うことは窮極の問題ではない。誘惑と云うものは、あって無いものだ。誘惑される主体さえ無ければ。
どっちが先に死の問題を持ち出したか、と云うことは、前の問題よりは重大だ。が、これとてもつきつめれば、何でもない。生活力の旺盛なものに、誰が死の話を持ちかける!
自分にとって、何より大切な、心を掴むことは、彼が実に真面目な人間として最後まで持ちこたえた、と云うことである。
足助氏その他に相談しながら血縁の誰にも一言洩さなかったことの意味もよくわかる。とにかく力一杯にやって来、終に身を賭して自己に殉じてしまった心は、私に人生の遊戯でないことを教え、生きて居る自分に死と云うものの絶対で、逆に力を添える。
自分の一生のうちに、此事は、大きな、大きな、関係を持って居ることだ。
私は、死ぬ気でかかることの力強さを知った。ひとを死なせてもよいと云う信念の崇高さ、厳さも知った。
自分とAとのことも、或底力を得た。とにかく、行く処迄、真心を以て行かせよう。彼が死ぬことになるか、自分がどうかなるか、どちらでもよい。信仰を持ち、人生のおろそかでないことを知ってやる丈やって見ようと云う心持がはっきり来たのだ。
此は、一方から云えば恐ろしいことだ。二人の終りを、此世の終りを見ると同じ厳粛さで見ようと云うのだから。然し、こう云う心持の一方には、その時が来る迄、腰を据えて、自分の道に進むことを可能ならせる。
Aにも、大きな影響を与えて居ることと思う。
彼には、一層、感傷的に行ったろうと思う。手紙をよこし、『有島さんのことで深く心を打れました。「自分は出来る丈の力で堪えて来た」と云う言葉は何と悲壮な、心持を充分表した言葉でしょう』と云う文句があった。彼には、堪える丈堪えたのだと云う自己に対する承認とともに万事を放擲した心境が、一種の感傷癖でなつかしく思われたのだろう。
又、彼のすばしこさで、この事件に対する世人の good will も分ったに違いない。彼の、「自分の決心は定って居る」と云うことに対する自分の merit は、一層、ましたと云うべきであろう。彼のそう云うことに対する不純さ。彼がすねて、其那ことをするのを見るに堪えない自分の心持。一方から云うと、彼が得々として善事をしたと思って居られるのが堪らない憎さ。
私達の心持も複雑に且つ恐ろしい関係にあると思う。
私は、有島氏の死が、どうか自分の浮々した、弱さに満ちた魂を守り力づけて、どんどん芸術家としての道に進ませてくれることを祈る。
私は、心の奥では彼を愛して居たと云ってよいだろう。それ故にこそ、彼より、芸術に於て*で、彼を死なせたものを、我筆に*え、活かし、価値づけて見たい。せめて机に向って居る間、Holy Scribe の力のインボークされるように。
底本:「宮本百合子全集 第十八巻」新日本出版社
1981(昭和56)年5月30日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第2版第1刷発行
初出:同上
※「*」は一字空白。
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2004年2月15日作成
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