寸情風土記
泉鏡花
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金澤の正月は、お買初め、お買初めの景氣の好い聲にてはじまる。初買なり。二日の夜中より出立つ。元日は何の商賣も皆休む。初買の時、競つて紅鯛とて縁起ものを買ふ。笹の葉に、大判、小判、打出の小槌、寶珠など、就中、緋に染色の大鯛小鯛を結付くるによつて名あり。お酉樣の熊手、初卯の繭玉の意氣なり。北國ゆゑ正月はいつも雪なり。雪の中を此の紅鯛綺麗なり。此のお買初めの、雪の眞夜中、うつくしき灯に、新版の繪草紙を母に買つてもらひし嬉しさ、忘れ難し。
おなじく二日の夜、町の名を言ひて、初湯を呼んで歩く風俗以前ありたり、今もあるべし。たとへば、本町の風呂屋ぢや、湯が沸いた、湯がわいた、と此のぐあひなり。これが半纏向うはち卷の威勢の好いのでなく、古合羽に足駄穿き懷手して、のそり〳〵と歩行きながら呼ぶゆゑをかし。金澤ばかりかと思ひしに、久須美佐渡守の著す、(浪華の風)と云ふものを讀めば、昔、大阪に此のことあり──二日は曉七つ時前より市中螺など吹いて、わいたわいたと大聲に呼びあるきて湯のわきたるをふれ知らす、江戸には無きことなり──とあり。
氏神の祭禮は、四五月頃と、九十月頃と、春秋二度づゝあり、小兒は大喜びなり。秋の祭の方賑し。祇園囃子、獅子など出づるは皆秋の祭なり。子供たちは、手に手に太鼓の撥を用意して、社の境内に備へつけの大太鼓をたゝきに行き、また車のつきたる黒塗の臺にのせて此れを曳きながら打囃して市中を練りまはる。ドヾンガドン。こりや、と合の手に囃す。わつしよい〳〵と云ふ處なり。
祭の時のお小遣を飴買錢と云ふ。飴が立てものにて、鍋にて暖めたるを、麻殼の軸にくるりと卷いて賣る。飴買つて麻やろか、と言ふべろんの言葉あり。饅頭買つて皮やろかなり。御祝儀、心づけなど、輕少の儀を、此は、ほんの飴買錢。
金澤にて錢百と云ふは五厘なり、二百が一錢、十錢が二貫なり。たゞし、一圓を二圓とは云はず。
蒲鉾の事をはべん、はべんをふかしと言ふ。即ち紅白のはべんなり。皆板についたまゝを半月に揃へて鉢肴に裝る。逢ひたさに用なき門を二度三度、と言ふ心意氣にて、ソツと白壁、黒塀について通るものを、「あいつ板附はべん」と言ふ洒落あり、古い洒落なるべし。
お汁の實の少ないのを、百間堀に霰と言ふ。田螺と思つたら目球だと、同じ格なり。百間堀は城の堀にて、意氣も不意氣も、身投の多き、晝も淋しき所なりしが、埋立てたれば今はなし。電車が通る。滿員だらう。心中したのがうるさかりなむ。
春雨のしめやかに、謎を一つ。……何枚衣ものを重ねても、お役に立つは膚ばかり、何?……筍。
然るべき民謠集の中に、金澤の童謠を記して(鳶のおしろに鷹匠が居る、あつち向いて見さい、こつち向いて見さい)としたるは可きが、おしろに註して(お城)としたには吃驚なり。おしろは後のなまりと知るべし。此の類あまたあり。茸狩りの唄に、(松みゝ、松みゝ、親に孝行なもんに當れ。)此の松みゝに又註して、松茸とあり。飛んだ間違なり。金澤にて言ふ松みゝは初茸なり。此の茸は、松美しく草淺き所にあれば子供にも獲らるべし。(つくしん坊めつかりこ)ぐらゐな子供に、何處だつて松茸は取れはしない。一體童謠を收録するのに、なまりを正したり、當推量の註釋は大の禁物なり。
鬼ごつこの時、鬼ぎめの唄に、……(あてこに、こてこに、いけの縁に茶碗を置いて、危いことぢやつた。)同じ民謠集に、此のいけに(池)の字を當ててあり。あの土地にて言ふいけは井戸なり。井戸のふちに茶碗ゆゑ、けんのんなるべし。(かしや、かなざもの、しんたてまつる云々)これは北海道の僻地の俚謠なり。其處には、金澤の人多人數、移住したるゆゑ、故郷にて、(加州金澤の新堅町の云々)と云ふのが、次第になまりて(かしや、かなざものしんたてまつる。)知るべし、民謠に註の愈々不可なること。
新堅町、犀川の岸にあり。こゝに珍しき町の名に、大衆免、木の新保、柿の木畠、油車、目細小路、四這坂。例の公園に上る坂を尻垂坂は何した事? 母衣町は、十二階邊と言ふ意味に通ひしが今は然らざる也。──六斗林は筍が名物。目黒の秋刀魚の儀にあらず、實際の筍なり。百々女木町も字に似ず音強し。
買物にゆきて買ふ方が、(こんね)で、店の返事が(やあ〳〵。)歸る時、買つた方で、有がたう存じます、は君子なり。──ほめるのかい──いゝえ。
地震めつたになし。しかし、其のぐら〳〵と來る時は、家々に老若男女、聲を立てて、世なほし、世なほし、世なほしと唱ふ。何とも陰氣にて薄氣味惡し。雷の時、雷山へ行け、地震は海へ行けと唱ふ、たゞし地震の時には唱へず。
火事をみて、火事のことを、あゝ火事が行く、火事が行く、と叫ぶなり。彌次馬が駈けながら、互に聲を合はせて、左、左、左、左。
夏のはじめに、よく蝦蟆賣りの聲を聞く。蝦蟆や、蝦蟆い、と呼ぶ。又此の蝦蟆賣りに限りて、十二三、四五位なのが、きまつて二人連れにて歩くなり。よつて怪しからぬ二人連れを、畜生、蝦蟆賣め、と言ふ。たゞし蝦蟆は赤蛙なり。蝦蟆や、蝦蟆い。──そのあとから山男のやうな小父さんが、柳の蟲は要らんかあ、柳の蟲は要らんかあ。
鯖を、鯖や三番叟、とすてきに威勢よく賣る、おや〳〵、初鰹の勢だよ。鰯は五月を季とす。さし網鰯とて、砂のまゝ、笊、盤臺にころがる。嘘にあらず、鯖、鰡ほどの大さなり。値安し。これを燒いて二十食つた、酢にして十食つたと云ふ男だて澤山なり。次手に、目刺なし。大小いづれも串を用ゐず、乾したるは干鰯といふ。土地にて、いなだは生魚にあらず、鰤を開きたる乾ものなり。夏中の好下物、盆の贈答に用ふる事、東京に於けるお歳暮の鮭の如し。然ればその頃は、町々、辻々を、彼方からも、いなだ一枚、此方からも、いなだ一枚。
灘の銘酒、白鶴を、白鶴と讀み、いろ盛をいろ盛と讀む。娘盛も娘盛だと、お孃さんのお酌にきこえる。
南瓜を、かぼちやとも、勿論南瓜とも言はず皆ぼぶら。眞桑を、美濃瓜。奈良漬にする淺瓜を、堅瓜、此の堅瓜味よし。
蓑の外に、ばんどりとて似たものあり、蓑よりは此の方を多く用ふ。磯一峯が、(こし地紀行)に安宅の浦を一里左に見つゝ、と言ふ處にて、
(大國のしるしにや、道廣くして車を並べつべし、周道如砥とかや言ひけん、毛詩の言葉まで思ひ出でらる。並木の松嚴しく聯りて、枝をつらね蔭を重ねたり。往來の民、長き草にて蓑をねんごろに造りて目馴れぬ姿なり。)
と言ひしはこれなるべし。あゝ又雨ぞやと云ふ事を、又ばんどりぞやと云ふ習ひあり。
祭禮の雨を、ばんどり祭と稱ふ。だんどりが違つて子供は弱る。
關取、ばんどり、おねばとり、と拍子にかゝつた言あり。負けずまふは、大雨にて、重湯のやうに腰が立たぬと云ふ後言なるべし。
いつぞや、同國の人の許にて、何かの話の時、鉢前のバケツにあり合せたる雜巾をさして、其の人、金澤で何んと言つたか覺えてゐるかと問ふ。忘れたり。ぢぶきなり、其の人、長火鉢を、此れはと又問ふ。忘れたり。大和風呂なり。さて醉ぱらひの事を何んと言つたつけ。二人とも忘れて、沙汰なし〳〵。
内證の情婦のことを、おきせんと言ふ。たしか近松の心中ものの何かに、おきせんとて此の言葉ありたり。どの淨瑠璃かしらべたけれど、おきせんも無いのに面倒なり。
眞夏、日盛りの炎天を、門天心太と賣る聲きはめてよし。靜にして、あはれに、可懷し。荷も涼しく、松の青葉を天秤にかけて荷ふ。いゝ聲にて、長く引いて靜に呼び來る。もんてん、こゝろウぶとウ──
續いて、荻、萩の上葉をや渡るらんと思ふは、盂蘭盆の切籠賣の聲なり。青竹の長棹にづらりと燈籠、切籠を結びつけたるを肩にかけ、二ツ三ツは手に提げながら、細くとほるふしにて、切籠ゥ行燈切籠──と賣る、町の遠くよりきこゆるぞかし。
氷々、雪の氷と、こも俵に包みて賣り歩くは雪をかこへるものなり。鋸にてザク〳〵と切つて寄越す。日盛に、町を呼びあるくは、女や兒たちの小遣取なり。夜店のさかり場にては、屈竟な若い者が、お祭騷ぎにて賣る。土地の俳優の白粉の顏にて出た事あり。屋根より高い大行燈を立て、白雪の山を積み、臺の上に立つて、やあ、がばり〳〵がばり〳〵と喚く。行燈にも、白山氷がばり〳〵と遣る。はじめ、がばり〳〵は雪の安賣に限りしなるが、次第に何事にも用ゐられて、投賣、棄賣り、見切賣りの場合となると、瀬戸物屋、呉服店、札をたてて、がばり〳〵。愚案ずるに、がばりは雪を切る音なるべし。
水玉草を賣る、涼し。
夜店に、大道にて、鰌を割き、串にさし、付燒にして賣るを關東燒とて行はる。蒲燒の意味なるべし。
四萬六千日は八月なり。さしもの暑さも、此の夜のころ、觀音の山より涼しき風そよ〳〵と訪づるゝ、可懷し。
唐黍を燒く香立つ也。
秋は茸こそ面白けれ。松茸、初茸、木茸、岩茸、占地いろ〳〵、千本占地、小倉占地、一本占地、榎茸、針茸、舞茸、毒ありとても紅茸は紅に、黄茸は黄に、白に紫に、坊主茸、饅頭茸、烏茸、鳶茸、灰茸など、本草にも食鑑にも御免蒙りたる恐ろしき茸にも、一つ一つ名をつけて、籠に裝り、籠に狩る。茸爺、茸媼とも名づくべき茸狩りの古狸。町内に一人位づゝ必ずあり。山入の先達なり。
芝茸と稱へて、笠薄樺に、裏白なる、小さな茸の、山近く谷淺きあたりにも群生して、子供にも就中これが容易き獲ものなるべし。毒なし。味もまた佳し。宇都宮にてこの茸掃くほどあり。誰も食する者なかりしが、金澤の人の行きて、此れは結構と豆府の汁にしてつる〳〵と賞玩してより、同地にても盛に取り用ふるやうになりて、それまで名の無かりしを金澤茸と稱する由。實説なり。
茹栗、燒栗、可懷し。酸漿は然ることなれど、丹波栗と聞けば、里遠く、山遙に、仙境の土産の如く幼心に思ひしが。
松蟲や──すゞ蟲、と茣蓙きて、菅笠かむりたる男、籠を背に、大な鳥の羽を手にして山より出づ。
こつさいりんしんかとて柴をかつぎて、姊さん被りにしたる村里の女房、娘の、朝疾く町に出づる状は、京の花賣の風情なるべし。六ツ七ツ茸を薄に拔きとめて、手すさみに持てるも風情あり。
渡鳥、小雀、山雀、四十雀、五十雀、目白、菊いたゞき、あとりを多く耳にす。椋鳥少し。鶇最も多し。
じぶと云ふ料理あり。だししたぢに、慈姑、生麩、松露など取合はせ、魚鳥をうどんの粉にまぶして煮込み、山葵を吸口にしたるもの。近頃頻々として金澤に旅行する人々、皆その調味を賞す。
蕪の鮨とて、鰤の甘鹽を、蕪に挾み、麹に漬けて壓しならしたる、いろどりに、小鰕を紅く散らしたるもの。此ればかりは、紅葉先生一方ならず賞めたまひき。たゞし、四時常にあるにあらず、年の暮に霰に漬けて、早春の御馳走なり。
さて、つまみ菜、ちがへ菜、そろへ菜、たばね菜と、大根のうろ拔きの葉、露も次第に繁きにつけて、朝寒、夕寒、やゝ寒、肌寒、夜寒となる。其のたばね菜の頃ともなれば、大根の根、葉ともに霜白し、其の味辛し、然も潔し。
北國は天高くして馬痩せたらずや。
大根曳きは、家々の行事なり。此れよりさき、軒につりて干したる大根を臺所に曳きて澤庵に壓すを言ふ。今日は誰の家の大根曳きだよ、などと言ふなり。軒に干したる日は、時雨颯と暗くかゝりしが、曳く頃は霙、霰とこそなれ。冷たさ然こそ、東京にて恰もお葉洗と言ふ頃なり。夜は風呂ふき、早や炬燵こひしきまどゐに、夏泳いだ河童の、暗く化けて、豆府買ふ沙汰がはじまる。
小著の中に、
其の雲が時雨れ〳〵て、終日終夜降り續くこと二日三日、山陰に小さな青い月の影を見る曉方、ぱら〳〵と初霰。さて世が變つた樣に晴れ上つて、晝になると、寒さが身に沁みて、市中五萬軒、後馳せの分も、やゝ冬構へなし果つる。やがて、とことはの闇となり、雲は墨の上に漆を重ね、月も星も包み果てて、時々風が荒れ立つても、其の一片の動くとも見えず。恁て天に雪催が調ふと、矢玉の音たゆる時なく、丑、寅、辰、巳、刻々に修羅礫を打かけて、霰々、又玉霰。
としたるもの、拙けれども殆ど實境也。
化かすのは狐、化けるのは狸、貉。狐狸より貉の化ける話多し。
三冬を蟄すれば、天狗恐ろし。北海の荒磯、金石、大野の濱、轟々と鳴りとゞろく音、夜毎襖に響く。雪深くふと寂寞たる時、不思議なる笛太鼓、鼓の音あり、山颪にのつてトトンヒユーときこゆるかとすれば、忽ち颯と遠く成る。天狗のお囃子と云ふ。能樂の常に盛なる國なればなるべし。本所の狸囃子と、遠き縁者と聞く。
豆の餅、草餅、砂糖餅、昆布を切込みたるなど色々の餅を搗き、一番あとの臼をトンと搗く時、千貫萬貫、萬々貫、と哄と喝采して、恁て市は榮ゆるなりけり。
榧の實、澁く侘し。子供のふだんには、大抵柑子なり。蜜柑たつとし。輪切りにして鉢ものの料理につけ合はせる。淺草海苔を一枚づゝ賣る。
上丸、上々丸など稱へて胡桃いつもあり。一寸煎つて、飴にて煮る、これは甘い。
蓮根、蓮根とは言はず、蓮根とばかり稱ふ、味よし、柔かにして東京の所謂餅蓮根なり。郊外は南北凡そ皆蓮池にて、花開く時、紅々白々。
木槿、木槿にても相分らず、木槿なり。山の芋と自然生を、分けて別々に稱ふ。
凧、皆いかとのみ言ふ。扇の地紙形に、兩方に袂をふくらましたる形、大々小々いろ〳〵あり。いづれも金、銀、青、紺にて、圓く星を飾りたり。關東の凧はなきにあらず、名づけて升凧と言へり。
地形の四角なる所、即ち桝形なり。
女の子、どうかすると十六七の妙齡なるも、自分の事をタアと言ふ。男の兒は、ワシは蓋しつい通りか。たゞし友達が呼び出すのに、ワシは居るか、と言ふ。此の方はどつちもワシなり。
お螻殿を、佛さん蟲、馬追蟲を、鳴聲でスイチヨと呼ぶ。鹽買蜻蛉、味噌買蜻蛉、考證に及ばず、色合を以て子供衆は御存じならん。おはぐろ蜻蛉を、姊さんとんぼ、草葉螟蟲は燈心とんぼ、目高をカンタと言ふ。
螢、淺野川の上流を、小立野に上る、鶴間谷と言ふ所、今は知らず、凄いほど多く、暗夜には螢の中に人の姿を見るばかりなりき。
清水を清水。──桂清水で手拭ひろた、と唄ふ。山中の湯女の後朝なまめかし。其の清水まで客を送りたるもののよし。
二百十日の落水に、鯉、鮒、鯰を掬はんとて、何處の町内も、若い衆は、田圃々々へ總出で騷ぐ。子供たち、二百十日と言へば、鮒、カンタをしやくふものと覺えたほどなり。
謎また一つ。六角堂に小僧一人、お參りがあつて扉が開く、何?……酸漿。
味噌の小買をするは、質をおくほど恥辱だと言ふ風俗なりし筈なり。豆府を切つて半挺、小半挺とて賣る。菎蒻は豆府屋につきものと知り給ふべし。おなじ荷の中に菎蒻キツトあり。
蕎麥、お汁粉等、一寸入ると、一ぜんでは濟まず。二ぜんは當前。だまつて食べて居れば、あとから〳〵つきつけ裝り出す習慣あり。古風淳朴なり。たゞし二百が一錢と言ふ勘定にはあらず、心すべし。
ふと思出したれば、鄰國富山にて、團扇を賣る珍しき呼聲を、こゝに記す。
團扇やア、大團扇。
うちは、かつきツさん。
いつきツさん。團扇やあ。
もの知りだね。
ところで藝者は、娼妓は?……をやま、尾山と申すは、金澤の古稱にして、在方鄰國の人達は今も城下に出づる事を、尾山にゆくと申すことなり。何、その尾山ぢやあない?……そんな事は、知らない、知らない。
底本:「鏡花全集 巻二十八」岩波書店
1942(昭和17)11月30日第1刷発行
1988(昭和63)12月2日第3刷発行
※題名の下にあった年代の注を、作品末に移しました。
入力:門田裕志
校正:米田進
2002年5月8日作成
2011年3月20日修正
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