葉書
石川啄木



 ××村の小學校では、小使の老爺おやぢ煮炊にたきをさして校長の田邊が常宿直をしてゐた。その代り職員室で使ふ茶代と新聞代は宿直料の中から出すことにしてある。宿直料は一晩八錢である。茶は一斤半として九十錢、新聞は郵税を入れて五十錢、それを差引いた殘餘の一圓と外に炭、石油も學校のを勝手に使ひ、家賃は出さぬと來てるから、校長はどうしても月五圓づゝとくをして居る。その所爲せゐでもあるまいが、校長に何か宿直の出來ぬ事故のある日には、此木田訓導に屹度差支へがある。代理の役は何時でも代用教員の甲田にころんだ。もう一人の福富といふのは女教員だから、自然と宿直を免れてゐるのである。

 その日も、校長が缺席兒童の督促に出掛けると言ひ出すと、此木田は春蠶はるごが今朝から上簇しかけてゐると言つて、さつさと歸り支度をした。校長も、年長の生徒に案内をさせる爲めに待たしてあるといふので、急いで靴を磨いて出懸けた。出懸ける時に甲田の卓の前へ來て、

『それでは一寸行つて來ますから、何卒どうぞまた。』と言つた。

『は、御緩ごゆつくり。』

『今日は此木田さんに宿直して貰ふ積りでゐたら、さつさと歸つて了はれたものですから。』校長は目尻に皺を寄せて、氣の毒さうに笑ひ乍ら斯う言つた。そして、冬服の上着のホックを叮嚀にはづして、山樺の枝を手頃に切つた杖を持つて外に出た。六月末の或日の午後でである。

 校長の門まで行く後姿が職員室の窓の一つから見られた。色の變つた獨逸帽を大事さうに頭に戴せた恰好は何時みても可笑をかしい。そして、何時でも脚氣患者のやうに足を引擦つて歩く。甲田は何がなしに氣の毒な人だと思つた。そして直ぐ可笑をかしくなつた。やかまし屋の郡視學が巡つて來て散々小言を云つて行つたのは、つい昨日のことである。視學はその時、此學校の兒童出席の歩合ぶあひは、全郡二十九校の中、尻から四番目だと言つた。畢竟これも職員が缺席者督促を厲行しない爲めだと言つた。その責任者は言ふ迄もなく校長だと言つた。好人物の田邊校長は『いや、全くです。』と言つて頭を下げた。それで今日は自分が先づ督促に出かけたのである。

 この歩合といふ奴は始末にをへないものである。此邊の百姓にはまだ、子供を學校に出すよりは家に置て子守をさした方が可いと思つてる者が少なくない。女の子は殊にさうである。せはしく督促すれば出さぬこともないが、出て來た子供は中途半端から聞くのだから教師の言ふことが薩張さつぱり解らない。面白くもない。教師の方でも授業が不統一になつて誠に困る。二三日經てば、自然また來なくなつて了ふ。然しそれでは歩合の上る氣づかひはない。其處で此邊の教師は、期せずして皆出席簿に或手加減をする。そして、嘘だと思はれない範圍で、歩合ぶあひを誤魔化して報告する。此學校でも、田邊校長からして多少その祕傳をやつてゐるのだが、それでさへ仍且なほかつ尻から四番目だと言はれる。誠に始末にをへないのである。甲田は初めそんな事を知らなかつた。ところがこんなことがあつた。三月の修業證書授與式の時に、此木田の受持の組に無缺席で以て賞品を貰つた生徒が二人あつた。甲田は偶然その二人が話してるのを聞いた。一人は、おれは三日休んだ筈だと言つた。一人は俺もみんなで七日許り休んだ筈だと言つた。そして二人で、先生が間違つたのだらうかうだらうかと心配してゐた。甲田は其時思ひ當るふしが二つも三つもあつた。そこで翌月から自分も實行した。今でもやつてゐる。それから斯ういふことがあつた。或る朝田邊校長が腹が痛いといふので、甲田が掛持して校長の受持つてゐる組へも出た。出席簿をつけようとすると、一週間といふものは全然まるで出缺が附いてない。其處で生徒に訊いて見ると、田邊先生は時々しか出席簿を附けないと言つた。甲田はひそかに喜んだ。校長も矢張り遣るなと思つた。そして女教師の福富も矢張り、遣るだらうか、女だから遣らないだらうかといふ疑問を起した。或時二人きりゐた時、直接いて見た。福富は眞顏まがほになつて、そんな事はした事はありませんと言つた。甲田は、女といふものは正直なものだと思つた。そして、

『それぢややらないのは貴方だけです。』と言つた。福富は目を圓くして、

『まア、校長さんもですか。』と驚いた。

『無論ですとも、盛んに遣つてますよ。』

 そこで甲田は、自分がその祕訣を知つた抑々そも〳〵の事から話して聞かした。校長は出席簿を碌々つけないけれども、月末には確然ちやんと歩合を取つて郡役所に報告する。不正確な出席總數プラス不正確な缺席總數で割つたところで、結局其處に出來る歩合は矢張り不正確な歩合である。初めから虚僞の報告をする意志が無いと假定したところで、その不正確な歩合を正確なものとして報告するには、少なくとも其間に立派に犯罪の動機が成り立つ。いくら好人物で無能な校長でも、この歩合は不正確だからといふので態々控へ目にして報告するほどの頓馬では無いだらうといふのである。そして斯ういふ結論を下した。田邊校長のやうに意氣地のない、不熱心な、無能な教育家は何處に行つたつてあるものぢやない。田邊校長のゐるうちは、此の村の教育も先づ以て駄目である。だから我々も面倒臭い事は好加減にやつて置くべきである。それから郡視學も郡視學である。あの男は、郡視學に取立てられるといふ話のあつた時、毎日手土産を以て郡長の家へ日參したさうである。すると郡長は、君はそんなに郡視學になりたいのかと言つたさうである。それから又、近頃は毎日君のお陰で麥酒は買はずに飮めるが辭令を出して了へば、もう來なくなるだらうから、當分俺が握つて置かうかと思ふと言つたさうである。これは嘘かも知れないが、何しろあんな郡視學に教育の何たるかが解るやうなら、教育なんて實に下らんものである。あの男は、自分が巡回して來た時、生徒が門まで出て來て叩頭おじぎすれば、徳育の盛んな村だと思ひ、帳簿を澤山備へて置けば整理のついた學校だと思ふに違ひない。それから又、教育雜誌を成るべく澤山買つて置いて、あの男が來た時、机の上に列べて見せると、屹度昇給さして呉れる。これは請合である。あんな奴に小言を言はして置くよりは、初めからちやんと歩合を誤魔化して置く方が、どれだけ賢いか知れぬ。──

 甲田は、斯ういふ徹底しない論理を、臆病な若い醫者が初めて鋭利な外科刀メスを持つた時のやうな心持で極めて熱心に取り扱つてゐた。そして、慷慨に堪へないやうな顏をして口をつぐんだ。太い左の眉がぴり〳〵動いてゐた。これは彼にとつては珍らしい事であつた。甲田は何かの拍子で人と爭はねばならぬ事が起つても、直ぐ、一心になるのが莫迦臭いやうな氣がして、笑はなくても可い時に笑つたり、不意に自分の論理を抛出なげだして對手あひてを笑はせたりする。滅多に熱心になる事がない。そして、十に一つ我知らず熱心になると、太い眉をぴり〳〵させる。福富も何時かしら甲田の調子に呑まれてしまつて、眞面目な顏をして聞いてゐたが、聞いて了つてから、

『ほんとにさうですねえ。莫迦正直に督促して歩いたりするより、その方が餘程樂ですものねえ。』と言つた。それから間もなくその月の月末報告を作るべき日が來た。甲田と福富とは歸りに一緒に玄關から出た。甲田は『何うです、祕傳をりましたか?』と訊いた。女教師は擽ぐられたやうに笑ひ乍ら、

『いゝえ。』と言つた。

『何故らないんです?』甲田は、當然すべきことをしなかつたのを責めるやうな聲を出した。すると福富は、今日は自分の組の歩合は六十二コンマの四四四である。先月より二コンマの少しだけ多い。段々野良の仕事が忙がしくなつて缺席の多くなるべき月に、これ以上歩合を上せては、郡視學に疑はれるおそれがある。尤も、今後若し六十以下に下るやうな事があつたら、仕方がないから私も屹度その祕傳を遣るつもりだと辯解した。甲田は女といふものは實に氣の小さいものだと思つた。すると福富は又媚びるやうな目附をして斯う言つた。

『ほんとはそれ許りぢやありませんの。若しか先生が、私に彼樣あゝ言つて置き乍ら、御自分はおりにならないのですと、私許り詰りませんもの。』

 甲田はアハハと笑つた。そして心では、對手に横を向いてわらはれたような侮辱を感じた。『畜生!矢つ張り年を老つてるわい!』と思つた。福富は甲田より一つ上の二十三である。──これは二月も前の話である。

 甲田は何時しか、考へるともなく福富の事を考へてゐた。考へると言つたとて、別に大した事はない。福富は若い女の癖に、割合に理智の力を有つてゐる。相應に物事を判斷してゐれば、その行ふ事、言ふ事に時々利害の觀念が閃く。師範學校を卒業した二十三の女であれば、それが普通なのかも知れないが、甲田は時々不思議に思ふ。小説以外では餘り若い女といふものに近づいた事のない甲田には、うしても若い女に冷たい理性などがありさうに思へなかつた。斯う思ふのは、彼が年中青い顏をしてゐるヒステリイ性の母に育てられ、生來の跛者ちんばで背が低くて、三十になる今迄嫁にも行かずに針仕事許りしてゐる姉を姉として居る故かも知れぬ。彼は今迄讀んだ小説の中の女で『思出の記』に出てゐる敏子といふ女を、一番なつかしく思つてゐる。然し、彼が頭の中に描いてゐる敏子の顏には、何處の隅にも理性の影が漂つてゐない。浪子にしても『金色夜叉』のお宮にしても、矢張りさうである。甲田は女の知情意の發達は、大抵彼處邊あすこいらが程度だらうと思つてゐる。そして時々福富と話して居るうちに自分の見當違ひを發見する。尤もこれが必ずしも彼を不愉快にするとは限らない。それから又、甲田は尋常科の一二年には男より女の教師の方が可いといふ意見を認めてゐる。理由は、女だと母の愛情を以てそれらの頑是ぐわんぜない子供を取扱ふ事が出來るといふのである。ところが、福富の教壇に立つてゐる所を見ると、母として立つてゐるのとはうしても見えない。横から見ても、縱から見ても教師は矢張り教師である。福富は母の愛情の代りに五段教授法を以て教へてゐる。

 そんな事を、然し、甲田は別に深く考へてゐるのではない。唯時々不思議なやうな氣がするだけである。そして、福富がゐないと、學校が張合がなくなつたやうに感じる。福富は滅多な風邪位では缺勤しないが、毎月、月の初めの頃に一日だけ休む。此木田は或時『福富さんは屹度毎月一度お休みになりますな。』と言つて、妙な笑ひ方をした。それを聞いて甲田も、成程さうだと思つた。すると福富は、『私は月經が強いもんですから。』と答へた。甲田は大變な事を聞かされたやうに思つて、見てゐると、女教師はそれを言つて了つて少し經つてから、心持顏を赤くしてゐた。福富の缺勤の日は、甲田は一日物足らない氣持で過して了ふ。それだけの事である。互に私宅うちへ訪ねて行く事なども滅多にない。彼はこの村に福富の外に自分の話相手がないと思つてゐる。これは實際である。そして、決してそれ以上ではないと思つてゐる。人氣ひとけのないやうな、古い大きな家にゐて、雨滴あまだれの音が、耳について寢られない晩など、甲田は自分の神經に有機的な壓迫を感じて、人には言はれぬ妄想を起すことがある。さういふ時の對手は屹度福富である。肩の辷り、腰の周りなどのふつくらした肉附を想ひ浮べ乍ら、幻の中の福富に對して限りなき侮辱を與へる。然しそれは其時だけの事である。毎日學校で逢つてると、平氣である。唯何となく二人の間に解決のつかぬ問題があるやうに思ふ事のあるだけである。そして此問題は、二人きりの問題ではなくて、『男』といふものと『女』といふものとの間の問題であるやうに思つてゐる。時偶ときたま母が嫁の話を持ち出すと、甲田は此世の何處かに『思出の記』の敏子のやうな女が居さうに思ふ。福富といふ女と結婚の問題とは全く別である。福富は角ばつた顏をした、色の淺黒い女である。

 福富は、毎日授業が濟んでから、三十分か一時間オルガンをく。さうしてから、明日の教案を立てたり、その日の出席簿を整理したりして歸つて行く。福富は何時の日でも、人より遲く歸るのである。甲田は時々田邊校長から留守居を頼まれて不服に思はないのは之が爲めである。甲田は煙管きせるの掃除をし乍ら、生徒控所の彼方むかうの一學年の教室から聞えて來るオルガンの音を聞いて居た。バスの音とソプラノの音とが、かずはなれずに縺れ合つて、高くなつたり低くなつたりして漂ふ間を、福富の肉聲が、浮いたり沈んだりして泳いでゐる。別に好い聲ではないが、圓みのある落着いた温かい聲である。『──主ウの──手エにーすーがーれエるー、身イはーやすウけエーしー』と歌つてゐる。甲田は、また遣つてるなと思つた。 福富はクリスチャンである。よく讃美歌を歌ふ女である。甲田は何方どつちかと言へば、クリスチャンは嫌ひである。宗教上の信仰だの、社會主義だのと聞くと、そんなものは無くても可いやうに思つてゐる。そして福富の事は、讃美歌が好きでクリスチャンになつたのだらうと思つてゐる。或る時女教師は、どんなに淋しくて不安さうな時でも、聖書を讀めば自然と心持が落着いて來て、日の照るのも雨の降るのも、敬虔な情を以て神に感謝したくなると言つた。甲田は、それは貴方が獨身でゐる故だと批評した。そして餘程穿うがつた事を言つたと思つた。すると福富は、眞面目な顏をして、貴方だつて何時か、屹度神樣に縋らなければならない時が來ますと言つた。甲田は、そんな風な姉ぶつた言振いひぶりをするのを好まなかつた。

 少しつとオルガンの音が止んだ。もう止めて來ても可い位だと思ふと、ブウと太い騷がしい音がした。空氣を抜いたのである。そしてオルガンにふたをする音が聞えた。

 愈々やつて來るなと思つてると、誰やら玄關に人が來たやうな樣子である。『御免なさい。』と言つてゐる。まるで聞いたことのない聲である。出て見ると、背の低い若い男が立つてゐた。そして、

『貴方は此處の先生ですか?』と言つた。

『さうです。』

『一寸休まして呉れませんか? 僕は非常に疲れてゐるんです。』

 甲田は返事をする前に、その男を頭から足の爪先まで見た。髮は一寸五分許りに延びてゐる。痩犬のやうな顏をして居る。片方の眼が小さい。風呂敷包みを首にかけてゐる。そして、垢と埃で臺なしになつた、荒い紺飛白の袷の尻を高々と端折つて、帶の代りに牛の皮の胴締どうじめをしてゐる。その下には、白い小倉服の太目ふとめのズボンを穿いて、ダブ〳〵したズボンの下から、草鞋を穿いた素足が出てゐる。誠に見すぼらしい恰好である。年は二十歳位で、背丈は五尺に充たない。袷の袖で狹い額に滲んだ膩汗あぶらあせを拭いた。

『たゞ休むだけですか!』と甲田は訊いた。

『さうです、休むだけでも可いんです。今日はもう十里も歩いたから、すつかり疲れて居るんです。』

 甲田は一寸四邊あたりを見𢌞してから、

『裏の方へ𢌞りなさい。』と言つた。

 小使室へ行つて見ると、近所の子供が二三人集つて、石盤に何か書いて遊んでゐた。大きい爐が切つてあつて、その縁に腰掛が置いてある。間もなくその男が入つて來て、一寸會釋をして、草鞋を脱がうとする。

『土足の儘でも可いんです。』

『さうですか、然し草鞋を脱がないと、休んだやうな氣がしません。』

斯う言つて、その男は憐みを乞ふやうな目附をした。すると甲田は、

『其處に盥があります。水もあります。』と言つた。その時、廣い控所を横ぎつて職員室に來る福富の足音が聞えた。子供等は怪訝けげんな顏をして、甲田とその男とを見てゐた。

 若い男は、草鞋を脱いで上つて、腰掛に腰を掛けた。甲田も、此儘はうつて置く譯にもいかぬと思つたから、向ひ合つて腰を掛けた。

『君は此學校の先生ですか?』と男は先刻訊いたと同じ事を言つた。たゞ、『貴方あんた』と言つたのが、『君』に變つてゐた。

『さうです。』と答へて、甲田は對手の無遠慮な物言ひを不愉快に思つた。そして、自分がこんな田舍で代用教員などをしてるのを恥づる心が起つた。同樣に、煙草が無くて手の遣り場に困る事に氣が附いた。

『あ、煙草を忘れて來た。』と獨言ひとりごとをした。そして立つて職員室に來てみると、福富は、

『誰か來たんですか?』と低聲に訊いた。

『乞食です。』

『乞食がどうしたんです?』

『一寸休まして呉れと言ふんです。』

 福富は腑に落ちない顏をして甲田を見た。此學校では平常ふだん乞食などは餘り寄せつけない事にしてあるのである。甲田は、煙草入と煙管を持つて、また小使室に來た。そして今度は此方から訊いた。

『何處から來たんですか?』

『××からです。』と北方四十里許りにある繁華な町の名を答へた。

 そして、俄かに思ひ出したやうに、

『初めて乞食をして歩いてみると、却々なか〳〵辛いものですなア。』と言つた。

 甲田は先刻さつきから白い小倉のズボンに目を附けて、若しや窮迫した學生などではあるまいかと疑つて居た。何だか此男と話して見たいやうな氣持もあつた。が又、話さなくても可いやうにも思つて居た。すると男は、一刻も早く自分が普通の乞食でないのをあきらかにしようとするやうに、

『僕は××の中學の三年級です。今郷里くにへ歸るところなんです。金がないから乞食をして歸るつもりなんです。郷里は水戸です──水戸から七里許りあるところです。』

と言つた。

 甲田は、此男は嘘を言つてるのではないと思うた。ただ、水戸のものが××の中學に入つてるのは隨分方角違ひだと思つた。それを聞くのも面倒臭いと思つた。そして斯う言つた。

『何故歸るんです?』

おやぢが死んだんです。』學生は眞面目な顏をした。『僕は今迄自活して苦學をして來たんですがねえ。』

 甲田は、自分も父が死んだ爲めに、東京から歸つて來た事を思ひ出した。

『何時死んだんです?』

『一月許り前ださうです。僕は去年××へ來てから、郷里くに居所ゐどころを知らせて置かなかつたんです。まさか今頃おやぢが死なうとは思ひませんでしたからねえ。だもんだから、東京の方を方々聞合して、此間こないだやう〳〵手紙を寄越したんです。僕が歸らなければ母も死ぬんです。これから歸つて、母を養はなければならないんです。學校はもう止めです。』

 斯う言つて小さい方の左の目を一層小さくして、堅く口を結んだ。學業を中途に止めるのを如何にも殘念に思つてる樣子である。甲田は又此男は嘘を言つてるのではないなと思つた。

『東京にもゐたんですか?』と訊いて見た。

『ゐたんです。K──中學にゐたんです。ところがK──中學は去年閉校したんです。君は知りませんか? 新聞にも出た筈ですよ。』

『さうでしたかねえ。』

『さうですよ。そらア君、あん時の騷ぎつてなかつたねえ。』

『そんなに騷いだんですか?』

『騷ぎましたよ。僕等は學校が無くなつたんだもの。』

そして、色々其時の事を面白さうに話した。然し甲田は別に面白くも思はなかつた。たゞ、東京の學校の騷ぎをこんな處で聞くのが不思議に思はれた。學生は終ひに、K──中學で教頭をしてゐて、自分に目を掛けてくれた某といふ先生が、××中學の校長になつてゐたから、その人を手頼つて××に來た。K──で三年級だつたが、××中學ではその時三年に缺員が無くて二年に入れられた。××でも矢張り新聞配達をしてゐたと話した。

 甲田は不圖思ひ出した事があつた。そして訊いてみた。『中學に、與田よだといふ先生がゐませんか?』

『與田? ゐます、ゐます。數學の教師でせう? 彼奴ア隨分點がからいですな。君はどうして知つてるんです?』

せんに○○の中學にゐたんです。そして××へ追拂はれたんです。僕等がストライキを遣つて』

『あ、それぢや君も中學出ですか? 師範じゃないんですね。』

 甲田は此時また、此學生の無遠慮な友達扱ひを不愉快に感じた。甲田は二年前に○○の中學を卒業して、高等學校に入る積りで東京に出たが、入學試験がも少しで始まるといふ時に、父が急病で死んで歸つて來た。それから色々母と爭つたり、ひとり悶えても見たが、どうしても東京に出ることを許されぬ。面白くないから、毎日馬に乘つて遊んでゐるうちに、自分の一生なんかうでもいやうに思つて來た。そのうちに村の學校に缺員が出來ると、縁つゞきの村長が母と一緒になつて勸めるので、當分のうちといふ條件で代用教員になつた。時々、自分は何か一足飛びな事を仕出かさねばならぬやうに焦々いら〳〵するが、何をして可いか目的めあてがない。さういふ時は、世の中は不平で不平で耐らない。それが濟むと、何もかも莫迦臭くなる。去年の秋の末に、福富が轉任して來てからは、餘り煩悶もしないやうになつた。

 學生は、甲田が中學出と聞いて、グッと心易くなつた樣子である。そして、

『君、濟まないがその煙草を一服ましてくれ給へ。僕は昨日からまないんだから。』と言つた。

 學生は、甲田の渡した煙管きせるを受取つて、うまさうに何服も喫んだ。甲田は默つてそれを見てゐて、もう此學生と話してるのが嫌になつた。斯うしてるうちに福富が歸つて了ふかも知れぬと思つた。すると學生は、

『僕も今日のうちに○○市まで行く積りなんだが、行けるだらうかねえ、君』と言つた。

『行けない事もないでせう。』と、甲田はそつけなく言つた。學生はその顏を見てゐた。『何里あります?』

『五里。』

『まだそんなにあるかなア。』と言つて、學生は嘆息した。そして又、急がしさうに煙草をんだ。甲田は默つてゐた。

 稍あつて學生は決心したやうに首をあげて、『君、誠に濟まないが、いくらか僕に金を貸してくれませんか? 郷里へ着いたら、何とかして是非返します、僕は今一圓だけ持つてるんだけれど、これは郷里へ着くまで成るべく使はないようにして行かうと思ふんです。さうしないと不安心だからねえ。いくらでも可いんです。屹度返します、僕は君、今日迄三晩共やしろに泊つて來たんです。木賃宿に泊つてもいくらか費るからねえ。』と言つた。

 甲田は、やしろに泊るといふことに好奇心を動かした。然しそれよりも、金さへ呉れゝば此奴が歸ると思ふと、うれしいやうな氣がした。そして職員室に行つてみると、福富はまだ歸らずにゐた。甲田は明日持つて來て返すから金を少し貸して呉れと言つた。女教師は、『少ししか持つてきませんよ。』と言ひ乍ら、橄欖おりいぶ色のレース糸で編んだ金入を帶の間から出して、卓の上に逆さまにした。一圓紙幣が二枚と五十錢銀貨一枚と、外は少し許り細かいのがあつた。福富は、

『呉れてやるんですか?』と問うた。

 甲田はたゞ『えゝ』と言つた。そして、五十錢の銀貨をつまみ上げて、

『これだけ拜借します。あれは學生なんです。』

 そして小使室に來ると、學生はまだ煙草をんでゐた。

 屹度爲替で返すといふことを繰返して言つた、學生はその金を請けた。そして甲田の名を聞いた。甲田は、『返して貰はなくても可い。』と言つた。然し學生はかなかつた。風呂敷包みから手帳を出して、是非教へて呉れと言つた。萬一金を返すことが出來ないにしろ、自分の恩を受けた人の名も知らずにゐるのは、自分の性質として心苦しいと言つた。甲田は矢張り、『そんな事はうでも可いぢやありませんか。』と言つた。學生は先刻さつきから其處にゐて二人の顏を代る代る見てゐた子供に、この先生は何といふ先生だと訊いた。甲田は可笑しくなつた。又、面倒臭くも思つた。そして自分の名を教へた。

 間もなく學生は、禮を言つて出て行つた。出る時、○○市までの道路を詳しく聞いた。今夜は是非○○市に泊ると言つた。時計は何時だらうと聞いた。三時二十二分であつた。出て行く後姿を福富も職員室の窓から見た。そして、後で甲田の話を聞いて、『氣の毒な人ですねえ。』と言つた。

 ところが、翌朝甲田が出勤の途中、福富が後から急ぎ足で追ついて來て、

『先生、あの、昨日の乞食ですね、私は今朝逢ひましたよ。』と言つた。何か得意な話でもする調子であつた。甲田は、そんな筈はないというやうな顏をして、

何處どこで?』と言つた。

 福富の話はかうであつた。福富の泊つてゐる家の前に、この村で唯一軒の木賃宿がある。今朝早く、福富がいつものやうに散歩して歸つて來て、家の前に立つてゐると、昨日の男がその木賃宿から出て南の方──○○市の方──へ行つた。間もなく木賃宿の嚊が外に出て來たから、訊いて見ると、その男は昨日日が暮れてから來て泊つたのだといふ。

『人違ひですよ。屹度きつと』と甲田は言つた。然し心では矢張りあの學生だらうと思つた。すると福富は、

いゝえ、違ひません、決して違ひません。』と主張して、衣服きものの事まで詳しく言つた。そして斯う附け加へた。

『屹度、なんですよ。先生からおあしを貰つたから歩くのが可厭いやになつて、日の暮れまで何處かで寢てゐて、日が暮れてから、そつと歸つて來て此村へ泊つて行つたんですよ。』

 さう聞くと、甲田は餘り好い氣持がしなかつた。學校へ行つてから、高等科へ來てゐる木賃宿の子供を呼んで、これ〳〵の男が昨夜ゆうべ泊つたかと訊いた。子供は泊つたと答へた。甲田は愈俺はだまされたと思つた。そして、其奴そいつが何か學校の話でもしなかつたかと言つた。子供は、何故こんな事を聞かれるのかと心配相な顏をし乍ら、自分は早くから寢てゐたからよくは聞かないが、家の親爺おやぢと何か先生の事を話してゐたやうだつたと答へた。

『どんな事?』と甲田は言つた。

『どんな事つて、なんでもあの先生のやうな人をこんな田舍に置くのは惜しいもんだつて言ひました。』

 甲田は苦笑ひをした。

 その翌日である。丁度授業が濟んで職員室が顏揃ひになつたところへ、新聞と一緒に甲田へ宛てた一枚の葉書が着いた。甲田は、『○○市にて、高橋次郎吉』といふ差出人の名前を見て首を捻つた。裏には斯う書いてあつた。

My dear Sir, 閣下の厚情萬謝々々。身を乞食にやつして故郷に歸る小生の苦衷御察し被下度、御恩は永久に忘れ不申候。昨日御別れ致候後、途中腹痛にて困難を極め、午後十一時頃漸く當市に無事安着仕候。乍他事御安意被下度候。何れ故郷に安着の上にて letter を差し上げます、末筆乍ら I wish yuo a happy

 六月二十八日午前六時○○市出發に臨みて。

 甲田は噴出した。中學の三年級だと言つたが、これでは一年級位の學力しかないと思つた。此木田老訓導は、

うしました? 何か面白い事がありますか?』と言ひ乍ら、立つて來てその葉書を見て、

『やア、英語が書いてあるな。』と言つた。

 甲田はそれをみんなに見せた。そして旅の學生に金を呉れてやつた事を話した。○○市へ行くと言つて出て行つて、こつそり木賃宿へ泊つて行つた事も話した。終ひに斯う言つた。

『矢張氣がとがめたと見えますね。だから送中で腹が痛くて困難を極めたなんて、好い加減な嘘を言つて、何處までもあの日のうちに○○に着いたやうに見せかけたんですよ。』

『然し、これから二度と逢ふ人でもないのに、何うしてこの葉書なんか寄越したんでせう?』と田邊校長は言つた。そして、『ういふ積りかな。』と首をかしげて考へる風をした。

 葉書を持つてゐた福富は、この時『日附は昨日の午前六時にしてありますが、昨日の午前六時なら丁度此村こゝから立つて行つた時間ぢやありませんか。そして消印スタンプは今朝の五時から七時迄としてありますよ。矢張今朝○○を立つ時書いたんでせうね。』と言つた。

 すると此木田が突然大きい聲をして笑ひ出した。

『甲田さんも隨分好事ものずきな事をする人ですなア。乞食してゐて五十錢も貰つたら、俺だつて歩くのが可厭いやになりますよ。第一、今時は大抵の奴ア英語の少し位噛つてるから、中學生だか何だか知れたもんぢやないぢやありませんか。』

 この言葉は、ひどく甲田の心を害した。たとひ對手が何にしろ、旅をして困つてる者へ金を呉れるのが何が好事ものずきなものかと思つたが、たゞ苦笑ひをして見せた。甲田は此時もう、一昨日金を呉れた時の自分の心持を忘れてゐた。對手が困つてるから呉れたのだと許り信じてゐた。

『いや、中學生には中學生でせう。眞箇ほんとの乞食なら、嘘にしろ何にしろこんな葉書まで寄越す筈がありません。』と校長が口を出した。『英語を交ぜて書いたのは面白いぢやありませんか、初めのマイデヤサーだけは私にも解るが、しまひの文句は何といふ意味です? 甲田さん。』

『私は貴方に一つの幸福を欲する──。でせうか?』と福富は低い聲で直譯した。

 此木田は立つて歸りの仕度をし乍ら、

『假に中學生にしたところで、態々人から借りて呉れてやつてさまされるより、此方こちとらなら先づ寢酒でも飮みますな。』

『それもさうですな。』と校長が應じた。『呉れるにしても五十錢は少し餘計でしたな。』

『それぢやお先に。』と、此木田は皆に會釋した。と見ると、甲田は先刻さつきからのムシャクシャで、今何とか言つて此の此木田父爺ぢぢい取絞とつちめるてやらなければ、もうその機會がなくなるやうな氣がして、口を開きかけたが、さて、何と言つて可いか解らなくつて、徒らに目を輝かし、眉をぴり〳〵さして、そして直ぐに、何有なあに、今言はなくても可いと思つた。

 此木田は歸つて行つた。間もなく福富は先刻の葉書を持つて來て甲田の卓に置いて、『年つた人は同情がありませんね。』と言つて笑つた。そして讃美歌を歌ひに、オルガンを置いてある一學年の教室へ行つた。今日は何か初めての曲を彈くのだと見えて、同じところを斷々きれ〴〵に何度も繰返してるのが聞えた。

 それを聞いてゐながら、甲田は、卓の上の葉書を見て、成程あの旅の學生に金を呉れたのは詰らなかつたと思つた。そして、呉れるにしても五十錢は奮發し過ぎたと思つた。

底本:「石川啄木作品集 第二巻」昭和出版社

   1970(昭和45)年1120日発行

初出:「スバル 第十号」

   1909(明治42)年101日号

※底本の疑問点の確認にあたっては、「啄木全集 第三巻 小説」筑摩書房、1967(昭和42)年730日初版第1刷発行を参照しました。

入力:Nana ohbe

校正:松永正敏

2003年320日作成

2012年917日修正

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