鳥をとるやなぎ
宮沢賢治
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「煙山にエレッキのやなぎの木があるよ。」
藤原慶次郎がだしぬけに私に云いました。私たちがみんな教室に入って、机に座り、先生はまだ教員室に寄っている間でした。尋常四年の二学期のはじめ頃だったと思います。
「エレキの楊の木?」と私が尋ね返そうとしましたとき、慶次郎はあんまり短くて書けなくなった鉛筆を、一番前の源吉に投げつけました。源吉はうしろを向いて、みんなの顔をくらべていましたが、すばやく机に顔を伏せて、両手で頭をかかえてかくれていた慶次郎を見つけると、まるで怒り出して
「何するんだい。慶次郎。何するんだい。」なんて高く叫びました。みんなもこっちを見たので私も大へんきまりが悪かったのです。その時先生が、鞭や白墨や地図を持って入って来られたもんですから、みんなは俄かにしずかになって立ち、源吉ももう一遍こっちをふりむいてから、席のそばに立ちました。慶次郎も顔をまっ赤にしてくつくつ笑いながら立ちました。そして礼がすんで授業がはじまりました。私は授業中もそのやなぎのことを早く慶次郎に尋ねたかったのですけれどもどう云うわけかあんまり聞きたかったために云い出し兼ねていました。それに慶次郎がもう忘れたような顔をしていたのです。
けれどもその時間が終り、礼も済んでみんな並んで廊下へ出る途中、私は慶次郎にたずねました。
「さっきの楊の木ね、煙山の楊の木ね、どうしたって云うの。」
慶次郎はいつものように、白い歯を出して笑いながら答えました。
「今朝権兵衛茶屋のとこで、馬をひいた人がそう云っていたよ。煙山の野原に鳥を吸い込む楊の木があるって。エレキらしいって云ったよ。」
「行こうじゃないか。見に行こうじゃないか。どんなだろう。きっと古い木だね。」私は冬によくやる木片を焼いて髪毛に擦るとごみを吸い取ることを考えながら云いました。
「行こう。今日僕うちへ一遍帰ってから、さそいに行くから。」
「待ってるから。」私たちは約束しました。そしてその通りその日のひるすぎ、私たちはいっしょに出かけたのでした。
権兵衛茶屋のわきから蕎麦ばたけや松林を通って、煙山の野原に出ましたら、向うには毒ヶ森や南晶山が、たいへん暗くそびえ、その上を雲がぎらぎら光って、処々には竜の形の黒雲もあって、どんどん北の方へ飛び、野原はひっそりとして人も馬も居ず、草には穂が一杯に出ていました。
「どっちへ行こう。」
「さきに川原へ行って見ようよ。あそこには古い木がたくさんあるから。」
私たちはだんだん河の方へ行きました。
けむりのような草の穂をふんで、一生けん命急いだのです。
向うに毒ヶ森から出て来る小さな川の白い石原が見えて来ました。その川は、ふだんは水も大へんに少くて、大抵の処なら着物を脱がなくても渉れる位だったのですが、一ぺん水が出ると、まるで川幅が二十間位にもなって恐ろしく濁り、ごうごう流れるのでした。ですから川原は割合に広く、まっ白な砂利でできていて、処々にはひめははこぐさやすぎなやねむなどが生えていたのでしたが、少し上流の方には、川に添って大きな楊の木が、何本も何本もならんで立っていたのです。私たちはその上流の方の青い楊の木立を見ました。
「どの木だろうね。」
「さあ、どの木だか知らないよ。まあ行って見ようや。鳥が吸い込まれるって云うんだから、見たらわかるだろう。」
私たちはそっちへ歩いて行きました。
そこらの草は、みじかかったのですが粗くて剛くて度々足を切りそうでしたので、私たちは河原に下りて石をわたって行きました。
それから川がまがっているので水に入りました。空が曇っていましたので水は灰いろに見えそれに大へんつめたかったので、私たちはあまのじゃくのような何とも云えない寂しい心持がしました。
だんだん溯って、とうとうさっき青いくしゃくしゃの球のように見えたいちばんはずれの楊の木の前まで来ましたがやっぱり野原はひっそりして音もなかったのです。
「この木だろうか。さっぱり鳥が居ないからわからないねえ。」
私が云いましたら慶次郎も心配そうに向うの方からずうっとならんでいる木を一本ずつ見ていました。
野原には風がなかったのですが空には吹いていたと見えてぎらぎら光る灰いろの雲が、所々鼠いろの縞になってどんどん北の方へ流れていました。
「鳥が来なくちゃわからないねえ。」慶次郎が又云いました。
「うん、鷹か何か来るといいねえ。木の上を飛んでいて、きっとよろよろしてしまうと僕はおもうよ。」
「きまってらあ、殺生石だってそうだそうだよ。」
「きっと鳥はくちばしを引かれるんだね。」
「そうさ。くちばしならきっと磁石にかかるよ。」
「楊の木に磁石があるのだろうか。」
「磁石だ。」
風がどうっとやって来ました。するといままで青かった楊の木が、俄かにさっと灰いろになり、その葉はみんなブリキでできているように変ってしまいました。そしてちらちらちらちらゆれたのです。
私たちは思わず一緒に叫んだのでした。
「ああ磁石だ。やっぱり磁石だ。」
ところがどうしたわけか、鳥は一向来ませんでした。
慶次郎は、いかにもその鷹やなにかが楊の木に嘴を引っぱられて、逆になって木の中に吸い込まれるのを見たいらしく、上の方ばかり向いて歩きましたし、私もやはりその通りでしたから、二人はたびたび石につまづいて、倒れそうになったり又いきなりバチャンと川原の中のたまり水にふみ込んだりもしました。
「どうして今日は斯う鳥がいないだろう。」
慶次郎は、少し恨めしいように空を見まわしました。
「みんなその楊の木に吸われてしまったのだろうか。」私はまさかそうでもないとは思いながら斯う言いました。
「だって野原中の鳥が、みんな吸いこまれるってそんなことはないだろう。」慶次郎がまじめに云いましたので私は笑いました。
その時、こっち岸の河原は尽きてしまって、もっと川を溯るには、どうしてもまた水を渉らなければならないようになりました。
そして水に足を入れたとき、私たちは思わずばあっと棒立ちになってしまいました。向うの楊の木から、まるでまるで百疋ばかりの百舌が、一ぺんに飛び立って、一かたまりになって北の方へかけて行くのです。その塊は波のようにゆれて、ぎらぎらする雲の下を行きましたが、俄かに向うの五本目の大きな楊の上まで行くと、本当に磁石に吸い込まれたように、一ぺんにその中に落ち込みました。みんなその梢の中に入ってしばらくがあがあがあがあ鳴いていましたが、まもなくしいんとなってしまいました。
私は実際変な気がしてしまいました。なぜならもずがかたまって飛んで行って、木におりることは、決してめずらしいことではなかったのですが、今日のはあんまり俄かに落ちたし事によると、あの馬を引いた人のはなしの通り木に吸い込まれたのかも知れないというのですから、まったくなんだか本当のような偽のような変な気がして仕方なかったのです。
慶次郎もそうなようでした。水の中に立ったまま、しばらく考えていましたが、気がついたように云いました。
「今のは吸い込まれたのだろうか。」
「そうかも知れないよ。」どうだかと思いながら私は生返事をしました。
「吸い込まれたのだねえ、だってあんまり急に落ちた。」慶次郎も無理にそうきめたいと云う風でした。
「もう死んだのかも知れないよ。」私は又どうもそうでもないと思いながら云いました。
「死んだのだねえ、死ぬ前苦しがって泣いた。」慶次郎が又斯うは云いましたが、やっぱり変な顔をしていました。
「石を投げて見ようか。石を投げても遁げなかったら死んだんだ。」
「投げよう。」慶次郎はもう水の中から円い平たい石を一つ拾っていました。そして力一ぱいさっきの楊の木に投げつけました。石はその半分も行きませんでしたが、百舌はにわかにがあっと鳴って、まるで音譜をばらまきにしたように飛びあがりました。
そしてすぐとなりの少し低い楊の木の中にはいりました。すっかりさっきの通りだったのです。
「生きていたねえ、だまってみんな僕たちのこと見てたんだよ。」慶次郎はがっかりしたようでした。
「そうだよ。石が届かないうちに、みんな飛んだもねえ。」私も答えながらたいへん寂しい気がして向うの河原に向って又水を渉りはじめました。
私たちは河原にのぼって、砥石になるような柔らかな白い円い石を見ました。ほんとうはそれはあんまり柔らかで砥石にはならなかったかも知れませんが、とにかく私たちはそう云う石をよく砥石と云って外の硬い大きな石に水で擦って四角にしたものです。慶次郎はそれを両手で起して、川へバチャンと投げました。石はすぐ沈んで水の底へ行き、ことにまっ白に少し青白く見えました。私はそれが又何とも云えず悲しいように思ったのです。
その時でした。俄かにそらがやかましくなり、見上げましたら一むれの百舌が私たちの頭の上を過ぎていました。百舌はたしかに私たちを恐れたらしく、一段高く飛びあがって、それから楊を二本越えて、向うの三本目の楊を通るとき、又何かに引っぱられたように、いきなりその中に入ってしまいました。
けれどももう、私も慶次郎も、その木の中でもずが死ぬとは思いませんでした。慶次郎は本気に石を投げたのでしたが、百舌は一ぺんにとびあがりました。向うの低い楊の木からも、やかましく鳴いてさっきの鳥がとび立ちました。私はほんとうにさびしくなってもう帰ろうと思いました。
「どこかに、けれど、ほんとうの木はあるよ。」
慶次郎は云いました。私もどこかにあるとは思いましたが、この川には決してないと思ったのです。
「外へ行って見よう。野原のうち、どこか外の処だよ。外へ行って見よう。」私は云いました。慶次郎もだまってあるき出し、私たちは河原から岸の草はらの方へ出ました。
それから毒ヶ森の麓の黒い松林の方へ向いて、きつねのしっぽのような茶いろの草の穂をふんで歩いて行きました。
そしたら慶次郎が、ちょっとうしろを振り向いて叫びました。
「あ、ごらん、あんなに居たよ。」
私もふり向きました。もずが、まるで千疋ばかりも飛びたって、野原をずうっと向うへかけて行くように見えましたが、今度も又、俄かに一本の楊の木に落ちてしまいました。けれども私たちはもう何も云いませんでした。鳥を吸い込む楊の木があるとも思えず、又鳥の落ち込みようがあんまりひどいので、そんなことが全くないとも思えず、ほんとうに気持ちが悪くなったのでした。
「もうだめだよ。帰ろう。」私は云いました。そして慶次郎もだまってくるっと戻ったのでした。
けれどもいまでもまだ私には、楊の木に鳥を吸い込む力があると思えて仕方ないのです。
底本:「新編 風の又三郎」新潮文庫、新潮社
1989(平成元)年2月25日発行
1989(平成元)年6月10日2刷
底本の親本:「新修宮沢賢治全集 第九巻」筑摩書房
1979(昭和54)年7月
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2007年2月18日作成
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