虹の橋
野口雨情
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ある山国に、美しい湖がありました。
この湖には、昔から、いろいろな不思議なことがありました。青々と澄んだ水が急に濁つたり、風もないのに浪が立つたり、空が曇つて星のない晩でも、湖の中にはお星様が映つて見えることなぞもありました。それには何か深い理由があるだらうと、村の人達は思つてゐましたが、湖の中におゐでになる水神様のほかには、誰も知りませんでした。
いろいろ不思議なことがある中でも、わけても不思議なのは、この湖の上にかかる虹の橋でした。それは、ほかでは見られない綺麗な大きな虹でした。虹が出るたびに村の人達は、いつも湖の岸へ出て、その美しさに見とれて居るのでした。
この湖に向ひ合つて、二つの村がありました。村の人達は、たいてい漁をしたり機を織つたりして、その日その日を平和に暮して居りました。
さて、この湖の一方の村に、おたあちやんと、おきいちやんといふ、それはそれは仲のよい友達がありました。二人とも同じ歳の九つでした。
二人は、姉妹のやうに、いえいえ姉妹よりも、もつともつと仲よしでした。それに顔や姿までが、どことなく似てゐたものですから、村の人達は双児のやうだとよく云ひました。
しかし、おたあちやんの家は、どちらかと云へば、村でも金持ちの方でしたが、おきいちやんの方は貧乏な家でした。また、おたあちやんには、本当のお父さんも、お母さんもありましたが、おきいちやんには、それがありませんでしたから、赤ン坊の時から伯父さんや伯母さんの手で、やしなはれて来たのでした。
この平和な村にも春はおとづれて来ました。機屋の窓にも、湖の上にも、陽炎がゆらゆらと燃えはじめました。
二人の仲よしは、芹だの、蓬だのと、毎日のやうに、湖に沿ふて遠くまで摘み草に出掛ました。
ある日、二人の仲よしは、土筆を採りに行くことになりました。おたあちやんのお母さんは、いつものやうに、二人にお弁当をこしらへてくれました。そして云ひました。
『土筆を採りに行つたら、気をつけておいでよ、三又土筆と云つて一つの茎から三つの土筆が出てゐるのがあるかも知れないからね。そんなのは滅多にないのだけど、ひよつとしたらあるかも知れないよ、昔から三又土筆を見つけた人は、出世すると云つてゐるから探して御覧』
出世すると云はれて、二人の大くみひらいた眼には、一層喜びの色があらはれました。
『わたし、なんだか三又土筆てのを見つけるやうな気がしてよ』とおたあちやんは行く途々云ひました。
『さう、わたしもそんな気がするわ』
おきいちやんも負けん気になつて云ひました。
『ぢや、二人とも見つけるのね』
『そして二人共出世するのよ』
『オホホホオホホホ』
『オホホホオホホホ』
二人はたわいもなく笑ひ興じながら村境を湖の方へ流れてゐる小川の堤へまゐりました。そこから二人は堤に添ふて、はしやぎながら土筆を採つてゆきました。
一丁ゆき、二丁ゆくうちに、いつの間にかだんまりになつて、先へ先へと土筆を採り採りゆきました。
お昼頃になると、二人は堤の上へあがつてお弁当のお握飯を出して食べました。
『三又土筆て、ほんとにあるのか知ら、おきいちやんどう思つて』
『わたしは、あると思ふわ』
『さう、わたしなんだか判らなくなつてよ』
『だつて、まだこれからだもの』
お互に摘んだ土筆を見せ合つたりなんかして、又二人は摘みはじめました。
さうして、日が余ツぽど西へ傾く頃までには二人の小さい籠は土筆で一杯になりましたが、見つけたいと思ふかんじんの三又土筆は見つかりませんでした。
おたあちやんは、もう飽き飽きして『帰りませう、帰りませう』と云ひましたが、おきいちやんは『もう鳥渡、もう鳥渡』と云つて矢張り摘んでゐました。
『わたし、もう草足たんだもの』とおたあちやんは摘むことをやめて立つて見てゐました。すると、おきいちやんは、
『おたあちやん、あつてよ、あつてよ、ほら三又土筆だわ』と云つて、うれしさうに叫びました。
おきいちやんが見つけた三又土筆を見て、おたあちやんは
『まあ』と云つて、あとの言葉が出ませんでした。そして口惜さうな顔をして、おきいちやんの顔を見ました。おきいちやんは、あんまりのことに吃驚して、気を失つたやうになりました。だつてこんなことは永い間に一度もなかつたんですもの。
おたあちやんは
『わたしも探さう』と云つて、おきいちやんの前に立つてずんずんゆきました。おきいちやんは、おどおどしながら後からついてゆきました。おたあちやんは、いくら探しても三又土筆は見つかりませんでした。
そのうちに日は、とつぷり暮れて了ひましたが、おたあちやんは帰らうとはしませんでした。
『おたあちやん、また明日来て探さない』
とおきいちやんが云ひましたが、返事もしませんでした。
もう四辺が薄暗くなつて、土筆も草も見分けがつかなくなりました。
おたあちやんが、口惜さに泣きたくなるのを耐へてゐる様子を見ますと、おきいちやんは言葉がかけられませんでした。おたあちやんは、三又土筆が自分に見つからないで、おきいちやんに見つかつたことが口惜くて口惜くて、友達も仲よしもなくなつて了つたのでした。
二人は、物も云はずに、薄暗くなつた堤の上を、とぼとぼと歩いて元来た途の方へ帰りました。
おきいちやんは、もう嬉しくもなんともなくなつて、却つて三又土筆なんか見つけたことを後悔しました。いつそ、おたあちやんにあげて了はうかと思ひました。おたあちやんが、不図見ますと、おきいちやんの提てゐる籠の一番上に、憎い憎い三又土筆が載つてゐました。おたあちやんは、急に悪い気になつて、その三又土筆を掴むなり小川の中へ抛り投げて了ひました。
『あらツ』と云つて驚いた途端におきいちやんは、ずるずると足を辷らして堤から小川の中へすべり落ちました。
おたあちやんは、後も見ずに堤の上を駆け駆け一生懸命に家まで帰りました。お母さんは心配して表へ出て居ました。
『おきいちやんは、どうしたの』とお母さんから訊かれたとき。
『前に帰つたんだわ』と云つて、なんにも知らない振りをしてゐました。
あくる日になつて、いつもかかさずに遊びに来るおきいちやんが来ませんでした。
『おまへ、おきいちやんと喧嘩でもしたんぢやないのかい』とお母さんは自分が云ひ出した三又土筆のことから、二人の仲よしが、仲の悪い悪い二人になつたとは知らずに訊きました。
『ううム』『ううム』とおたあちやんは頭を横に振つてゐました。
そのあくる日も、そのあくる日も、おきいちやんは遊びに来ませんでした。
お母さんは『喧嘩したんだらう』と幾度訊いても、そのたんびおたあちやんは、頭を横に振つてゐるばかりでした。
そのうちに、おきいちやんが病気で寝てゐると云ふことを近所の人から聞きました。
おたあちやんのお母さんは『見舞にいつておいで』と云つても、おたあちやんは、いつも気のない返事をして、却々行きさうにもしませんでした。
おたあちやんは、今は、あの日のことが沁み沁み後悔されて『悪いことをした』と心で思ふやうになりました。それがだんだん嵩つて来て濁つてゐたおたあちやんの心は、一日一日と澄んで来るやうになりました。おたあちやんは、三又土筆のことをお母さんに話して了ふかと思ひましたが、それでは却つてお母さんに心配をかけるだらうと、一人で胸をいためて居りました。
幾日かたつうちに春もすぎて、夏が来ました。今年も湖の上に虹の橋のかかる頃となりました。
今年も虹は
湖の上さ
太鼓橋かけた
去年も虹は
湖の上さ
太鼓橋かけた
昔も 今も
湖の上さ
太鼓橋かけた
湖の上さ
百間幅の
太鼓橋かけた
今日も、村の子供達は、湖の岸に立つて唄つて居りました。
それから、幾日かたつて、おたあちやんとおたあちやんのお母さんとが、おきいちやんの家の前を通りました。二人は吃驚しました。家には戸が締つてゐて、もう幾日も人の住んだやうな気配が見えませんでした。どうしたのかと思つて近所の人達に訊いて見ますと、おきいちやんの家は今から一月も前、湖の向ふの村へ越して行つたと云ふことでした。
なほ、近所の人達の話によりますと、おきいちやんは、春からずつと病つてゐましたが、近頃になつて、どうにか治つたかと思ふと、こんどは伯母さんが病ふやうになりました。
伯父さんは歳を老つてゐるし、もともと貧乏な家ですから、どうすることも出来なくなつて、病みあがりのおきいちやんは、湖の向ふの村の機場へ機織工女に売られることになつたのです。それと同時に伯父さん伯母さん達は、他の村へ越して行つたと云ふことでした。
おたあちやんのお母さんは『何んと云ふ不仕合せな人だらう』と涙ぐみました。おたあちやんの眼にも涙が一杯浮んで来ました。
おたあちやんは、次の日から、湖の岸の水神様のお宮へお願をかけました。
──水神様、どうかおきいちやんを救つてあげて下さい。ほんたうにわたしがわるかつたのです。三又土筆がなかつたら、こんなにわたしは苦しい思ひはしなかつたでせう、ほんたうにわたしがわるかつたのです。水神様、どうぞおきいちやんを救つてあげて下さい──
かうしてゐるうちに、いつとはなしに、向ふの村から、こつちの村へ往き来してゐる船頭達の間にこんな唄が謡はれるやうになりました。
湖の風は
何んと云つて吹いた
明日は 帰ろ
生れた村へ
湖の風は
どこから吹いた
機屋の背戸の
薮から吹いた
水神様のお宮は、湖の岸の、杉の大木の茂つた丘の上にあつて大変見晴らしのよい所でした。天気のいい日には、湖を越えて、ずつと向ふの村まで見渡されるのでした。
おたあちやんは、お宮の境内から向ふの村を眺めて、おきいちやんのことを思ふのでした。
今日もお宮の境内から見てゐると、珍らしく大きな虹が湖の上へ出てゐました。それが丁度向ふの村から、こつちの村へ橋をかけたやうに出てゐました。村の子供達は、湖の岸へ立つて虹の唄を謡つてゐるのも聞えました。
おたあちやんは、はじめは、ただうつとりと見とれてゐましたが、だんだん見てゐるうちに悲しくなつて来ました。それは、まだ二人が仲よしで遊んでゐた、ある夏の夕方、大きな大きな虹が出ました。その時おきいちやんは何にかに憑れたやうな調子で、しみじみ話しました。
『虹の橋の上には、きつと天の御殿があるのよ、そして、そこには綺麗な花が沢山咲いてゐると思ふわ。わたし死んだら天の御殿へゆくの、おたあちやんもおいでよねえ、わたし死ぬとき大きな虹の橋が出てくれればいいと思ふわ』
『わたしも一緒に行くわよ』
『さう』と云つておきいちやんは、どうしたことか、ほろほろと涙を落したことがありました。
虹はいつまで見てゐても消えませんでした。おたあちやんは、ぢツとしてはゐられなく悲しくなつて来て、急いでお宮の石段を下りて家へ帰りました。
家へ帰る途々も、仲よしであつた頃のおきいちやんの云はれたことが思ひ出されて、仕方がなかつたのでした。
それから間もなく、おきいちやんが、機場で亡られたと云ふ話を聞きました。おたあちやんがお宮の境内で大きな虹の橋を見た日が丁度その日だつたのです。
湖の船頭達は、いつどこから聞いて来たのか、又こんな唄を謡ふやうになりました。
湖の向ふのあつちの国の
花が欲しくば
唄聞きたくば
赤い草履はいて
虹の橋渡れ
湖の向ふのあつちの国の
花が見たくば
唄恋しくば
赤い下駄はいて
虹の橋渡れ
虹の橋は湖の上へ幾度もかかりました。
虹の橋のかかるたび、おたあちやんは、きつと水神様のお宮へいつてゐました。
──水神様、あの虹の橋を渡つて天の御殿へゆけるやうにわたしをして下さい。わたしは、おきいちやんの傍へゆきたう御座います、どうかわたしの願ひをききいれて下さい ──
いつも斯う云つてお祈りをしてゐるうちに、おたあちやんの心はだんだん浄められて水晶のやうになりました。
心がだんだん澄んで来るにつれて、虹の橋の上に、これまで見えなかつた美しい天の御殿が見えるやうになつて来ました。それが一日毎にはつきりして来ました。
天の御殿からは、天人が謡ふ、長閑な楽い唄が聞えて来ました。
おたあちやんは、うつとりと聞きとれるのでした。と、
『おたあちやん、おたあちやん』と呼ぶ声がしました。
『あ、おきいちやんの声だ、おきいちやん、おきいちやん、勘忍して頂戴、わたしも御殿へまへりますよ、いままへりますよ。おきいちやん、おきいちやん勘忍して頂戴』
おたあちやんは、気狂のやうに同じことを幾度も幾度も繰返して口ばしりました。
それから幾日もたたないうちに、おたあちやんの姿が見えなくなりました。
虹の橋も、いつとなく小さいのしか、かからなくなつて了ひました。
さうすると、また、船頭達の間に、こんな唄が謡はれるやうになりました。
湖の上さ
天まで続く
虹の橋かけた
ふりわけ髪の
二人の子供
渡つて行つた
赤い下駄はいて
赤い草履はいて
手々ひいて行つた
かうして、湖の船頭達の間には、この不思議な唄がいつまでも謡はれてゐました。それが軈て村の子供等にまで謡はれるやうになりましたが、誰一人この不思議な唄の意味を知つてゐる者はありませんでした。
ただ知つてゐるのは湖の水神様ばかりでした。
底本:「定本 野口雨情 第六巻」未來社
1986(昭和61)年9月25日第1版第1刷発行
底本の親本:「東京朝日新聞 夕刊」
1921(大正10)年5月14日~20日
初出:「東京朝日新聞 夕刊」
1921(大正10)年5月14日~20日
入力:林 幸雄
校正:今井忠夫
2003年11月24日作成
2016年2月7日修正
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