松と藤芸妓の替紋
三遊亭圓朝
鈴木行三校訂・編纂



        一


 今日こんにちより改まりまして雑誌が出版になりますので、社中かわる〴〵持前もちまえのお話をおきゝに入れますが、わたくしだけは相変らず人情の余りお長く続きません、三冊あるいは五冊ぐらいでお解りになりまする、まだ新聞に出ませんお話をお聴に入れます。これは明治四年から六年まで、三ケ年の間お話が続きます、実地あったお話でございます。さて俗語に苦は楽の種、楽しみきわまって憂いありと申しますが、苦労をなすったお方でなければ只今、お楽になって入らっしゃるものはございません。大臣参議といえども皆戦争のちまたをくゞり抜け、大砲の弾丸たまにも運好うんよあたらず、今では堂々たる御方おんかたにお成り遊ばして入らっしゃるのでございますがまだひらけません時分、亜米利加アメリカという処はういう処か、仏蘭西フランスはどんな国だか分らないうちに洋行をなさいまして、うしてまた何うも船の機械も只今ほどく分っても居りませんでしたのに、危険をしのぎ、風波ふうはおかして大洋を渡りなど遊ばして苦心をなすったから、只今では仮令たといお役所へお出で遊ばさないでも、年金を沢山お取り遊ばすというのも、その苦労をなさいましたお徳でございます、だから余り楽をしようと思うと、かえって是が苦しみになりますことで、わたくしなどは毎日喋って居りますから、ちと楽をようと思って、一日喋らずに居たら何うだろうというと、これが苦労の初まりで、一日黙って居るくらい苦しみはありません。何もそんなに黙って居るにも及びませんが、退屈でなりませんから、これは堪らぬ、ちとそろ〳〵表を歩いたら楽に成るだろうというと、これが苦しみの初まりで、寝足ねあしになって居りますから歩くともゝがすくんでまいり、歩行がかないませんから、そこらの車へ乗ってうちへ行ったら楽だろうと思って、車へ乗ると腰が痛くなって堪らないから、仰向あおむけに寝たらば楽になるかと思うと、疝気せんきが痛くなったりしていけませんから、廊下へ出ておどったらかろうというように、実に人は苦の初めを楽しむと云って、苦労の初めばかり楽しみますことを考えますものでございます。「かめに揷 す花見ても知れおしなべてめづるはすつる初めなりけり」という歌の心は、ながめは誠にどうも総々ふさ〳〵とした此の牡丹は何うだい、いねえ水を上げたところは、と珍らしがって居りますが、長くけて置けばばら〳〵と落ちて来ますから、あゝきたない打棄うっちゃってしまえと、今度は大山蓮華おおやまれんげの白いのを活けこの花の工合ぐあいはまた無いと云ってゝも、末になると黄色くなってぱら〳〵落ちますから捨てゝ、今度は秋草がいと云った所が、此れもそう何時迄いつまでも保ちは致しません、すぐしおれてしまいますから揷 さしかえるというように、世の中の事は此の通りでございます。マア何でも苦労をなさらんければいかんということで。これは松平肥後まつだいらひご様の御家来で、若いうちにさん〴〵道楽を致し、青森県の方にお出でがありまして、ちょうど函館の戦争に出逢ってあやうい処をのがれ、よう〳〵の事で世界が鎮まってから横浜へ出てまいり、外国人と取引を致し、図らざる処の幸福を得ました処から、まだ東京は開けません時分故、洋物店ようぶつてん神田美土代町かんだみとしろちょうへ開きましたが、大層繁昌致しました。此のお方は苦労人の果ゆえ、仮令たとい芸人を扱っても、芸者を相手にしても、向うの気に入るような事ばかり云います。今日こんにち身装なりこしらえがくすんでも居ず華美はででも無い様子、ちょっと適当のなりに拵え、旧九月四日の事でございましたが、南部なんぶあい万筋まんすじの下へ、琉球りゅうきゅうの変り飛白がすり下著したぎ、まだ其の頃は余り兵児帯へこおびは締めません時分だから、茶献上ちゃけんじょうの帯を締め、象牙ぞうげへ四君子のってある烟管筒きせるづつ流行はやったもので、烟草入たばこいれは黒桟くろざんに金の時代のい金物を打ち、少し色は赤過ぎるが、珊瑚の六分半もある緒締おじめで、表付ののめりの駒下駄、海虎らっこの耳付の帽子しゃっぽが其の頃流行ったものゆえ、これをかぶり上野の広小路を通り掛ると、大茂だいもうちから出て来ましたのは、其の頃数寄屋町すきやちょうにいた清元三八きよもとさんぱちという幇間たいこもちでございますが、幇間にも種々いろ〳〵有りまして、野幇間のだいこもあれば吉原の大幇間おおだいこもあります、町の幇間たいこでも一寸ちょっと品のいのもあれば、がら〳〵致して、突然いきなり人のとこ飛込とびこんで硝子戸へ衝突ぶツかり、障子を打毀うちこわすなどという乱暴なのもありますが、この三八は誠に人のい親切な男で、真実まめに世話をするので人に可愛がられますけれども、芸は余り宜くは有りません。四入青梅よついりおうめの小さい紋の付きました羽織を着て、茶献上の帯を締め、ずか〳〵と飛出とびでて来て、三橋みはしの角で出会いました。

旦「おい師匠々々」

三「これは旦那………何方どちらへ」

旦「此処こゝで君におうとは思いきやだ」

三「先達せんだっては誠に有難う、あの時旦那がお帰りになったのを知らないで、御酒ごしゅを戴き過して、気を許して寝てしまい、お帰りになったあとで目が覚めて驚きましたが、二度目にお目にかゝった時、寝たの寝の字もおっしゃらないなぞてえのは、実に貴方あなたのような苦労をなすったお方は沢山たんとえって、蔭でのろけて居りますんで」

旦「君にほれられちゃア有難てえフヽヽ」

三「からかっちゃアいけませんが、何方へ入らっしゃいました、此の間おうちへお寄り申そうと思いまして参ると、番頭さんが何とか云いましたっけ、治平じへいさんかえ、武骨真面目なお方で、うんとお店に坐っている様子てえものは、実に山が押出おしだしたような姿で、何となく気がつまりましたから、裏口から這入ってお内儀かみさんにお目通りを致しましたが、坊ちゃんは大層大きくおんなさいましたな」

旦「あれは坊じゃない嬢だよ」

三「へえお嬢さんでげすか、そう仰しゃれば何処かお優しい品のいところが有りましたよ」

旦「何うも君は押付けたような事をいうのが面白い……君に出会ってこのまゝ別れるのは戦争いくさの法にはえようだから、どうだえ何処かでおまんまべてえが付合わねえか」

三「これは恐れ入りやすな、わたくしの腹のった顔が貴方にちゃんと解るなんてえのは驚きやしたなア、何うか頂戴致したいもので」

旦「君何処へ往ったのだえ」

三「なに少し大茂へちょいと」

旦「周旋かえ」

三「いえうじゃア無いんですが、方々へ種々いろんな会がありますと、ビラなんぞをあつらえられてるんでげすが、御飯ごはんを召上るてえなら是非此処じゃア松源まつげんさんでげしょう」

旦「松源てえば彼処あすこで五六たび呼んだしめだのおいとだのと云うい芸者のうちで、年若の何とか云ったッけ、美代みよちゃんかえ」

三「えゝ美代ちゃん、へえ美代吉みよきち

旦「あれは好いだね、品が有って実にお嬢さん然として居るね」

三「成程あれは旦那のお気に入りましょうよ、旦那は種々いろんな真似をなすって諸方で食散くいちらかして居らっしゃるから、かえってあんなうぶなお嬢さん筋で無くちゃアいけますまい、彼はごく温順おとなしくって宜うございますから、おうかれなすっちゃアどうです」

旦「君はすぐ取持口とりもちぐちをいうから困るよ、しかし色気は余所よそにして何となく何うもおれあれしたわしいね」

三「美代ちゃんも然ういって居ますよ、美代ちゃんも旦那の事ばかり蔭で褒めてまして、あんない旦那は無い、あの旦那に会うと何となく心嬉しいてッてます」

旦「なにお幇間たいこを云っちゃアいけない、あれは抱えか又娘分かえ」

三「あれは娘分なんでげすが、彼処あすこばゝあほど運のい奴はありません、無闇に金ばかり溜めて高利を取って貸すんでげすが、二つき縛りで一割の礼金で貸しやアがって、の位の者は沢山たんたア有りませんね、それが何うもあゝいう奴はを抱えると、すぐに美代ちゃんのおっかあが死んでしまうと、き所のえのをさいわいにずる〳〵べったりに娘にちまッたんでげすが、あんな運のい人はありやせん」

旦「何か情夫いろでも有るのかえ」

三「なにそんな者はありません、只温順おとなしい一方で、本当ほんとにまだ色気の味も知らない位でげす、付合つきあい何処どこかへけなんてえと御免なさい、おっかさんに叱られると云っている位なんで」

旦「何うかしてを呼出す工夫をして居るんだが、おっかあに取入ってお母と付合になっちまってから、其ののち彼の娘をお貸しな、上手うわてくとか、一晩どまりで多摩川の鮎漁へ往こうと云っても、若いもんじゃア婆さんも油断はしめえが、此方こっちは最う四十の坂を越えて居るから安心するだろう」

三「貴方上手なんぞへ連れてって何うなさるんで」

旦「いやさ、彼の娘を連れてッて、情夫いろがある種を知って居るから両人ふたりしっぽり会わしてろうッてんだが何うだえ」

三「こりゃア恐れ入りやしたね、何うもこれは出来ないわざでげすな、ちょいとぎょくを付けて、祝儀を遣った其の上で、情夫いゝひとに会わして遣るなんてえ事は中々出来るこッちゃア有りやせん、間夫まぶが有るなら添わして遣りたいてえ七段目の浄瑠璃じゃアねえが、美代ちゃんに然う云ったらどんなに悦ぶか知れやアしませんよ、旦那のことだから往渡ゆきわたり宜くうちへ往って然う云ったら、美代ちゃんの母親おふくろさんもんなにか悦びましょう、しかし彼のばゝあは何うも慾がふけえたッてなんて、んなのも沢山たんとはありません、慾の国から慾をひらきに来て、慾の学校が出来たらすぐに教員にるてえ位な慾張で、あのふとってるのは慾が肉と筋の間へからんで、慾肥りてえのはあれから初まったでげす……じゃア美代ちゃんの家へ入らっしゃいまし」

 と三八が先に立ち数寄屋町へ這入り、又細い横町へ曲り、

旦「此方こっちへ曲るのかえ」

三「此方こちらへ入らっしゃい……えゝ此処で、有松屋ありまつやという提灯ちょうちんの吊してある処で」

旦「法華宗ほっけしゅうなのかえ」

三「何でも金にさえなれば摩利支天様まりしてんさまでもお祖師様そしさまでも拝むんで、それだから神様の紋散もんじらしが付いて居るんで……母親おふくろさん今日こんちは、お留守でげすか……美代ちゃん今日は」

婆「あい誰だえ、やすどんかえ」

三「あれがばゝあの慾から出る声でげすが、ひどいもんで……えゝ三八でげすよ」

婆「いやだよ何だねえ、ずっとお這入りな表からお客様振ってさ」

三「御免なせえまし、ヘヽヽ今日は……」

婆「此の間はあれっきり来ないもんだから、わたしは本当に困ったよ、皆さんからあとで話が有って………これからは持って一々来て見せなくちゃア困るじゃアねえか」

三「ところが梅素ばいそさんの処へくと、びらが一ぺえ来てえるので、待って書いて貰いましたんで、大きに遅くなったんでげすが、その代り美代ちゃんはちゃんと中軸なかじくにして、そこらは抜目無くして置いた事は、後で御覧なすっても解りますが、時に今ね母親さん美土代町の奧州屋おうしゅうやの旦那がね、ほんとにすいな苦労人で、美代ちゃんを呼んで度々たび〳〵お座敷も重なると、うちで案じるといけないから、ちょいとお母さんにあかして仲好なかよしに成りてえと仰しゃるから、お連れ申して来ましたんで」

婆「あれまア何うもまア表に居らっしゃるの……何うぞ此方こっちへお上り遊ばして下さい、まことに思い掛けない事で、何うぞ此方こちらへ……師匠此方こちらへ案内してお上げ申しておくれよ」

三「ヘヽヽ此方こちらへお上んなさいまし」

旦「はい御免……お母さんお初にお目にかゝります、毎度美代ちゃんを呼んで世話を焼かしますが、何うぞ心安く……」

婆「まア何うも宜く入らっしゃいました、毎度またあれ御贔屓ごひいきに遊ばして有難う存じます、宜くまア此様こんな狭い汚ない所へ入らっしゃいました、何時も蔭でおうわさばかり致して居ますの、何うかして一度お目にかゝって置きたいと思いまして、師匠にも然う申しましたら、その内に案内をしようと云ってくれましたが、またおたのしみの処へ出ましてもお邪魔だろうからと存じて控えて居ましたが、毎度御贔屓様になりまして有難う存じます、あんな結構な袂持たもともち合切袋がっさいぶくろや金の指環など見たこともない物を下すって、あれがお湯などにめて参りますから、そんな結構な物を箝めてお湯に這入るのじゃア無いよ、金より其の上に善い物は無いからと云いましても、今の若い者は開化とか何とかいう事を知って居りまして、人のいう事をばちっとも聞かないで矢張箝めてお湯に這入りましたりして、ぞんざいに致しまして、何うももちざっぺいが悪くて仕方がございません、お客様が折角のお志で下すった物を、粗末にしたり落しちゃア済まないよ、お志を無にするからと申しましても、あの通り頑是がんぜがございませんから、何時までも子供のようでございまして仕方が有りませんが、何うぞお見捨なく何時までも御贔屓を願います、此の間もあなた遅く帰って来まして、お母さんお案じでないよ、奧州屋の旦那様がほかんな無理なお客が有っても、十二時を打ったらずん〳〵帰れと云って下すったが、そんなお客様は無いてッて何時も旦那様のお噂ばかり申して居りますので」

三「なんしろ美代ちゃんをちょいと」

婆「今お湯から帰って、ちょいと二階で身化粧みじまいをして居ますよ」

旦「それは丁度い所だった……師匠お母さんに其のオイお土産を………」

三「左様で………母親さんには是だけ……女中はたし両人ふたりでしたねえ……これは旦那から」

婆「まア何うも有難う存じます、どうぞ旦那様へ宜しくお礼を仰しゃって下さいまし……旦那これからは何うぞ何方どちらへ往らっしゃいまして、御膳を上りましても詰らない御散財でございますから、美代吉の所へって惣菜で安く食べてこうと云うようにお心易こゝろやすく、ちょい〳〵入らっしゃッて下さいまし、然うすると此方こちらでも誠に気が置けませんで宜しゅうございますから、これを御縁として何うかちょい〳〵入らしって下さいまし………お前方みん此方こっちへ来てお礼を申しな」

下「誠にどうも有難う存じます」

旦「いや何うもお礼では痛み入ります」

三「おっかさん何か一寸ちょいと飯物まんまものを色取りして何うか……」

婆「はいかしこまりました……ちょいとあの美代吉や下りてお出で、美土代町の旦那様が入らっしったよ」

美「はい」

 と返事をいたし、しと〳〵階子はしごを下りて参り、長手の火鉢の前に坐りましたが髪が、たてでお化粧しまい為立したてで、年が十九故十九つゞ二十はたちというたとえの通り、実に花を欺くほどの美くしい姿で、にやりと笑い顔をしながら物数ものかず云わず、

美「よくお出でなさいました」

旦「今広小路で師匠に会ったからちょいとお母さんにお近附ちかづきに成ろうと思って来たのさ」

三「美代吉さん、何うも私の方は慾でげすが、旦那の方は御厄介になって余り感心しないが、それを一緒にくと仰しゃるのでお供をして此方こちらへ来たのてえのは、其処そこ種々いろ〳〵御親切な話が有るんで、本当にあとでおきかせ申したい事が有るんでげすぜ」

美「それはほんとに嬉しい事ねえ」

婆「今お土産を戴いたよ」

美「毎度有難う存じます」

三「何か旦那の召上り物を何うかお早く」

婆「此処らでは鳥八十とりやそさんが早いから、彼処あすこへ往って何か照り焼か何かで、御飯ごはんを上るのだから色取をして然う云って来なよ、いかえ、御飯はうちのは冷たいからあったかいのを三人前に、お香物こう〳〵いのを持って来るように然う云ってくんな、あれさ家のは臭くていけないから、これさ人のいう事を宜く聞きなよ、それからお菓子を、なに落雁じゃアないよ、お客様だから蒸菓子の好いのを」

 と下女に云附け、あつらえ物の来る内、何か有物ありものでちょいとお酒が出ました。この奧州屋の新助しんすけは一体お世辞のい人で、芸者や何かを喜ばせるのがきな人だから、何か褒めようと思って方々ほう〴〵見廻したが、何も有りません。三尺の壁床かべどこに客の書いたものが余り宜い手では無く、春風春水一時来しゅんぷうしゅんすいいちじにきたると書いてあり、紙仕立かみじたての表装で一ぷく掛けてありますが、余り感心致しません。其のそばの欄間に石版画の額が掛けてありますが、葡萄ぶどう木鼠きねずみで何も面白い物がありません、何か有ったら褒めよう〳〵と思って床の間の前を見た処が古銅こどうの置物というわけでもなし、浅草の中見世なかみせで買って来たお多福の人形が飾って有り、唐戸からどを開けると、印度物いんどもの観世音かんのんの像に青磁の香炉があるというのでなし、摩利支天様の御影みえいが掛けて有り、此方こっちには金比羅様のお礼お狸さま、招き猫なぞが飾って有るので、何も褒めようが有りませんから、二枚おりの屏風の張交はりまぜを褒めようと思って見ると、團十郎だんじゅうろう摺物すりものや会のちらしが張付けて有る中に、たった一枚肉筆の短冊たんざくが有りましたから、その歌を見ると「背くとも何か怨みん親として教えざりけんことぞ口惜くやしき」という歌が書いて有ったのを見て、奧州屋新助はびっくり致しましたと云うのは、自分が二十四歳の時に放蕩無頼ほうとうぶらいで父も呆れ、勘当をすると云った時に、此の短冊を書いて僕に渡し、おのれの様な親に背いた放蕩無頼の奴は無いが決して貴様を怨みん、おれの教えが悪いによって左様な道楽の者に成ったのだ、此の短冊はが形見で有るから、是を持って何処どこへでもけと云って、流石さすがの父も涙を含んでわしの手に渡した時に、若気わかげの至りとは云いながら手にだに受けず、机の上に置去りにし、うちを出た此の短冊が何うしてこゝに有ったかと、余り思い掛ない事だから驚いたが、素知らぬていで、

旦「美代ちゃん、屏風に張って有るあの短冊は何処から貰ったのかえ」

美「なに、あれはいけないのですよ、張交はりまぜが足りないから何でも安どんが出せと云いましたから、反古ほごの中に皺くちゃになって居たのですが、あれはわちきのおとっさんが書きましたので」

旦「え…おめえのお父さんが……何かえおまえのお父さんは会津様の御家来で、松山久馬まつやまきゅうま様と云って七百石取ったお方だろうね」

美「あれまア旦那何うしてわちき親父おやじを御存じなの」

旦「いえなに……わしは若い時分から歌俳諧が好きであったが、風流の道というものは長崎のはての先生でも、奥州の人とも手紙の遣り取りをして交際つきあいをするものだがね、久馬様はおなくなりになって、惣領のおあにいさまは上野の戦争で討死うちじにをなすったということを聞いたが、お母さんは未だ御存生ごぞんしょうかえ」

美「何もかも旦那はよく御存じですが、わちきは母と一緒に上野の先のという処へ参りましたは、前々ぜん〳〵勤めていた家来のうちで有りますから、そこへ往って暫く厄介になって居ます内に、母がわずらい付きましたが、長煩い故病院へ入れる事も出来ませんようになったので、仕方なく私はこんな処へ這入りましたが、その甲斐もなく一昨年おとゝしの十一月なくなりましたよ」

旦「え、おかくれかい、それじゃアまアお母さんを救うためにお前は芸者になって、云いつけもしない世辞をお客に云って居るのだろうが、宜くまア親のために苦労をして居るねえ」

美「はい、わちきほか親戚みより頼りも有りませんが、たった一人なかの兄のある事を聞いて居ましたが、若い時分道楽で、私が生れて間もなく勘当になって家出をしましたそうですが、随分気性な人ゆえ戦争いくさにでも出て討死もしかねない気性ですから、大方死んでゞもしまったろうと常々母親おふくろが申して居りましたが、その兄さえ達者なれば会う事も有りましょうが、もっとも小さい時に分れたのでございますから、途中で会っても顔は知れませんけれども、何卒どうぞして生きて居るなら、その兄に会いたいと思いまして弁天様へ願掛がんがけを致して居りますけれども、いまだに知れませんから、本当に私は独りぼっちでございます」

旦「然うかえ、お前が生れて間もなく分れたにいさんだから、顔形も知れまいが親身の兄と思えばこそ然うやって神信心かみしんじんをして会いたいと願掛までして居ればこそ、ふといやなに…屹度きっと会うような事になるに違いないが、その事をあにさんが聞いたらさぞ悦ぶだろう、然うかえ……どう云うわけだか松源へ初めてお前を呼んだ時から、何となくわしの子のように思われて可愛いと思ったが、妙なものさね」

三「へえ美代ちゃんは久馬様のお嬢さんなんでげすか、道理で初めから久馬様の相が有りましたよ、何かその遊ばせ言葉などの所はげえねえ、成程七百石のお嬢さまなんで……」

旦「わしはお前のお父さんには歌俳諧の道で御贔屓になったこともあり、十九年振でお前に会うとは誠に妙だ……師匠何うも妙だな」

三「まことに妙でげすね………しかし何だか大変に陰気になったじゃア有りませんか」

旦「どうか此の身請みうけを致しいものだ」

 と是から美代吉の身請の相談に及ぶ。これが一つの間違いに相成るお話でございます。


        二


 奧州屋新助が、美代吉を我が実のいもとと知りまして身請の相談に及びましたが、娼妓の身請はよく有りますけれども、芸妓の身請は深川ばかりで、町芸妓の身請という事は余り昔は無かったものでございますが、ひらけて来るので当時は身請が流行でございます。

新「おい師匠々々」

三「へえ」

新「ちょいとおっかあに君から相談して貰いてえな、何と此のを身請えしてえんだが、馬鹿な事を云われちゃア困るんだ、大概てえげえ相場も有るもんだが、何うだろう、身請をするにはのくらいのものだろう」

三「それは何うも大変に芝居が大きくなって来ましたね、このむすめを身請えすっても御妻君ごさいくんの方は」

新「なに僕がこの娘を受出して権妻ごんさいにしようてえ訳じゃアねえが、あの娘のおとっさんには、昔風流の道で別懇にして御恩を受けたこともあるし、親戚みより頼りもねえという事だから、あのを身請して、好いた男と添わしてやって松山という暖簾のれんでも掛けさせて、何処かへ別家を出して遣りたいのだ、そして久馬様の御位牌を立てさせたいと思うが何うだろう」

三「恐入りやしたねえ、何うも御親切の事で、へえ…しかし貴方の御親切を先方で買うといけれども、の婆アが中々慾が深いから買いませんて、大きな声じゃア云えませんが、あの通り慾でふとってるくらいなんですから、身請となるとんな事を云出すか知れませんよ」

新「だからサ、親類交際づきあいでおめえから話をしておくれな」

三「へえ、兎に角一つ話をして見ましょう……おっかさん〳〵」

婆「はい」

三「ちょいと少し此方こっちへお出でなすって、ヘヽヽヽ旦那の前では話しにくいんで」

婆「厭だよ三八さん、こんなばゝあを蔭へ呼んで何をするんだよ」

三「ときにお母さん、ほかじゃ有りませんが、今旦那がね、美代ちゃんのお父さんと心安くして、むかし御恩になった事もあるてえので、美代ちゃんを身請して松山とか久馬様とかいう暖簾を掛けさせいッてんで、何も色に惚れて権妻にするてえような訳では無いので、親類交際の身請てえのでげすが、これは私も思うのにお前の為になると考えます、あの方の事だから身請をぱなしてえ訳じゃア無いのだからお前も思い切ってお仕舞いなさい、しかし盛りの娘を手放すってえのだから無理だが、あとの為を考えるとね、実は私もちょいと旦那と打合わした処も有るから、思い切って美代ちゃんを手放して下さいな、娘が出世すると思えばいやという訳は有りやすめえ」

婆「まことにどうも有難うございますね……旦那ア本当でございますか……、何だか三八さんは時々おかしな事を言出しますが」

新「実は今師匠にも話したんだが、あんまり贅沢のようでお母さんきまりが悪いが、初めて会った時からんとなく美代ちゃんが可愛くって仕様が無いから云出したのだが、併し話をするのは今日がはじめてゞ、何うかしてお父さんのお位牌でも立てさせたいと思い、またわしは別に兄弟も何もないから、此の娘を請出してわたし妹分いもとぶんたいというは、此の娘の様な真実者なら、わし死水しにみずも取ってくれようとこういう考えなんだが、親類交際で身請を為てしまったからッて、何もこれきりお前の処へ来ないという訳でも無く盆暮には屹度きっと顔を出させるようにします、差支さしつかえは有りますまいが、またういう雛妓こどもを抱えいとか、あゝいう出物でもの著物きものが有るから買いたいと云う様な時にも、お前さんの事だから差支も有るまいが、ういう時には金円きんえん…またわたしが御相談をしても善いのだがねえ」

三「旦那が只何うも美代ちゃんが可愛くって、娘か妹のように思われて、丸めて喰ッちまいい位なんで」

婆「誠に何うもそれは有難い事でございます、実にあれの身の出世でございます、彼も何時までも芸妓をして居ては詰りませんから、い加減な時分に何うか身を固めさせなければならないと申して居たのでございますが、昔は芸妓を受出すにも造作も無い事でございましたが、今では身請というと実に方々ほう〴〵さまの相場が大変な事で……」

三「ほうらそろ〳〵始まった、これだからうっかりした事は云われない……お母さん然う前置からことばふらずに前文無しで結著けっちゃくの所を云って下さらなくっちゃア困りやすで……旦那あなたの思召おぼしめしは」

 とたもとの中へ手を入れて、指を握り合って相談をする。

三「えゝ、成程……お母さんちょいと手を私の袂の中へ突込つっこんで下さい、これが流行物はやりものだから何うでげしょう、このくらいでは」

婆「はい……誠に有難い事でございますけれども、お師匠さん、私どもは外にい抱えも無いのでございます、今美代吉が出てしまえば、いずれ誰かほかい抱えをなければなりませんが、そんならばと云って出たからすぐにお客が附くという訳でもなしますから、それでも何うも少し話が折合いませんねえ」

新「じゃアお母さん何うぞ五百円ぐらいの所で話を極めておくんなさいな」

三「お母さん、そんなら宜うございましょう、こんな相場は有りませんから」

婆「誠に何うも有難い事でございます」

新「僕も少し頼まれた事が有ってその実は横浜まで買物にかなければならんから、それでは明後日あさってという事に極めましょう、何が無くとも赤の御飯ぐらい炊いて、目出度い事だから平常ふだん馴染なじみの芸妓しゅでもんでね」

婆「誠に何うも有難い事で、んなれば是非明後日はお待ち申します……美代吉や、ほんとに御親切なんて、何うもこんな有難い事はありゃアしないよ……お間違い有りますまいね」

新「間違えるどこじゃない、お母さんの方でさい違わなけりゃア、此方こっちで約をたがえる気遣いは無いのだから」

婆「実に何うも有難い事で、左様なら明後日は何時頃なんじごろに入らっしゃいます」

新「二時少し廻った時分迄には屹度来るから、其の積りで約定やくじょうを極めてさえ置けばいのだ」

三「美代ちゃん大変にい事が有るんで」

 と幾らそばで云っても美代吉は少しも嬉しい顔付が無いというは、本所北割下水ほんじょきたわりげすい旗下はたもとの三男で、藤川庄三郎ふじかわしょうざぶろうという者と深くなって居ますが、遣い過ぎて金が廻らなくなったので、有松屋へ行っても不挨拶ぶあいさつをするゆえ来にくゝなり、何うも都合が悪いと見えて、茶屋小屋から口を掛ける事もなし、此の頃では打絶うちたえて逢いませんので、美代吉も気を揉んで居る処へ身請の話になり、胸が痛く、

「はい」

 といやアな返事をしました。所へ来ましたのは藤川庄三郎で、此の頃では深川六間堀ふかがわろっけんぼり蟄息ちっそく致して居ましたが、駿府すんぷから親族の者が出て来まして、金策が出来、商法の目的を附け、んな所へでも開店ようという事に成りましたので、美代吉に悦ばせる心算つもりゆえおおめかしで、其の頃散髪ざんぎりになりましたのは少なく、明治五年頃から大して散髪ざんぱつが出来ましたが、それでも朝臣ちょうしんした者は早く頭髪あたまを勧められて散髪ざんぎり成立なりたてでございますが、また散髪に成って見ますると、この撫付けた姿を見せたいと、惚れている女には尚変った所が見せたく、黒の羽織に白縮緬しろちりめん兵児帯へこおびで格子の外へ立ち、うちの中をのぞきながら小声にて、

庄「美代ちゃんうちかえ」

 と声を掛けると、美代吉は庄三郎の事ばかり思っています処へ、想う男に声を掛けられ、飛立つばかりいそ〳〵しながら、

美「あい」

 と立上るを引き止め、

婆「何だよ、お止しよ、お前お客様が来て入らっしゃる処で、藤川さんだろう、止しなよ、お客様が入らっしゃるから余計な事を云いなさんなよ、出なくってもいんだアね」

新「お母さんいじゃアないか、前に贔屓で呼んでくれたお客なれば、今美代ちゃんを請出せばわしの妹分にもようと思っている、その妹を贔屓にしてくれたお客なら私もお近付になりたいから、お上げ申した方がい」

 美代吉は逢いたいと思う処へこう云われたから、

美「はい」

 とすぐに二畳のあがり口へ出て来まして、障子を開けるとて格子の外に立って居まする庄三郎を見て、莞爾にっこと笑いながら、

美「おや宜くおいでなさいました」

庄「今日はね、少しお前に悦ばせようと思って来ました。」

美「あんまりおいでなさらんから何うなすったかと思ってましたよ」

庄「なにね深川の方の知己ちきの処に蟄息して居たが、遠州えんしゅうの親族の者が立帰って来て、何か商法を始めようと思うのだ、それに就いて蠣売町かきがらちょううちが有るから、その家を宿賃でかりつもりで、品は送ってくれると云うから、その家で葉茶屋はぢゃやを始める事になったので、実は母親おふくろ打明ぶちあけました、云いにくかったが思い切って、実は斯々これ〳〵の芸妓が有りますが、あれは腹から芸人じゃア無い事は会津藩の斯々という者の娘でと、すっかりお前の身の上を明した処が、そういう身柄の者なら宜しい、何うせ一人嫁を貰わなければならんから、早く儲けて金が出来たら、お前を貰うように約束して置くがいとまでの話になったから、お前に悦ばせようと思って来たのさ」

美「それはまア嬉しい事……種々いろ〳〵お話も有りますから、ちょいとお上んなさいよ」

庄「お客かえ」

美「なにわちきのお父さんと心安い人なんで、四五たび私を呼んでくれた人ですが、うちのお母さんと近付に成りたいって来てえるんですよ」

 奥から声を掛けまして、

新「何方どなたですか此方こちらへお上りなさい、お客でも何でも有りませんよ、親類のもので………おい師匠お前ちょいとのお方を此方こっちへ」

三「へえ……まず此方こちらへお上りなさいまし、一切親類付合で、今ちょいとお酒が始まった処で、これから美代ちゃんのおあにいさまになるお方で、へゝゝ何うぞ此方へ入らっしゃいまし…………へえ何うも是は玉柄たまがらで、このくらいなステッキは有りませんな、何うも一切違いやすね…………さア此方へ〳〵」

庄「はい何方も暫く………えーおっかア誠に御無沙汰をしましたが、少し訳が有って深川の方に引込ひっこんでいたので、存じながら御無沙汰になりましたが、今ちょいと御近辺まで参ったから、お訪ね申しましたが、生憎あいにくな処へ来てお邪魔をしました」

婆「えゝお茶を上げな……あなたにも此の度々たび〳〵御贔屓で呼んでおくれなすった事も有りますが、明後日あさってから美代吉はうちにいませんよ、こゝに入らっしゃいます美土代町の洋物屋とうぶつやの旦那様が身請をして下さいますので、こんな子供の様なものでございますけれ共、可愛がって身請して下さり、大金を出して引かして下さるので、貴方のようななんじゃ有りませんが、随分中にはふうの悪いお客が、ぎょくの五つ六つも附けて祝儀の少しも出すとね、上手うわてへでも連出して色男振って、ほんとにあなた然うじゃア有りませんか、私も心配した事も有りますよ、明後日からおいでなすった処が婆アばかりで面白くも何とも有りませんよ」

 と云い放たれ、庄三郎顔の色を変え、

庄「むゝ左様そうか…」

 と云ったぎり、ぐいと癇癖かんぺきに障りました、これが奧州屋新助の大難と相成ります。


        三


 藤川庄三郎は、あれ程深く云い交して置きながら、身請をされるというに今まで一言の言葉もなく、手紙一本送らんで、無沙汰に身請をされるというは不実な女だと思いますと、そこは旗下の若様だけ腹に据兼すえかね、ぐいと込上げて来るとひたえに青筋が二本ばかり出まして、唇がぶる〳〵震え出し、顔の色を少し変え、息遣いも荒く、

庄「おっかア、何もんなに云わないでもい、あんまり久しく無沙汰になったから訪ねたのだが、お客様が入らっしってお邪魔になったら帰りますよ、何も然んなに薄情な事を云わないでも宜い……美代吉おめえが身請になる事は少しも知らなかったが恐悦だねえ」

美「あれさ身請たって、まだ今話があったばかりで決りもしないのに、あんな事を云って」

庄「なに宜しい、まことに恐悦だ、洋物屋とうぶつやだか乾物屋だか知らねえが、誠に結構だ……何方どなたも甚だ失敬」

新「まア宜しいじゃアございませんか、おっかあの云いようが悪いから誰でもおこらア、美代吉種々いろ〳〵是には話の有る事だから、後でわしから話をするから、お前往ってあの方の機嫌を直して帰すがい」

美「はい〳〵」

 とおど〳〵しながら庄三郎の出かゝる上り口まで参りまして、

美「ちょいと藤川さん」

庄「なぜ出て来た」

美「出て来たって今身請の話が始まったばかりで、何だか訳も解らないのに、あんな事を云って、色でも恋でも有りゃアしませんよ、わちきのお父さんを歌俳諧の交際つきあいで知って居るから、身請をして妹分にして、松山の姓を立てさせて遣り度いって今話があったばかりなんですのに、気前きぜんを悪くして腹を立ってはいけませんよ」

庄「なに僕は悪いとこへ来ましたよ、他の芸妓と違ってお前は会津藩でも大禄たいろくを取った人の娘だから、よもや己をだますような事は有るまいと思ったから、一昨日おとゝい母にも親族にも打明ぶちあけたのは僕があやまりました、お前はよく今まで己を騙したね」

美「騙す訳も何も無いんです、今急に身請の話が出たのですもの」

庄「身請に成るなら本当に手紙の一本位よこしてもいゝんだ、もう親族にまで打明うちあけ、此方こっちで身請をしようという話がつけばの位金を出すか知れんが、手前てまいだって親族も有るからそれだけにねえことはない」

婆「何だえ、その音は、何うしたんだえ、そんなに機嫌を取るから悪いんだ、機嫌を取りゃアい気になって、色男振りやアがって、人のうちの娘をったり叩いたりしやアがる、全体おかしな奴だ、他人ひとの家へつか〳〵這入へいって、お茶ア飲んで菓子を喰倒しやアがって、ほんとに風の悪い奴だ」

新「師匠美代ちゃんが泣いて居るから見て遣んなよ、お母の云いようも悪い」

三「旦那御心配なさいますな、あれじゃアちょいとグーッとちん〳〵が込上こみあげて来ます、ぽかりとステッキでったんでげすが、本当に素敵すてっきもないことで」

新「ムン何んだ洒落どこじゃアねえ……美代ちゃん泣いたって仕様がない、こゝへお出で、泣かないでもい〳〵、藤川さんだろう、聴いて知って居るから後でにいさんが挨拶を……今から兄さんと云うのは可笑しいが、会って話をすれば、屹度藤川さんの心持も解けようから」

婆「なにい、あんな者に上手じょうずつかうからいけねえ……あなた本当に此のはお客の前へ出るとはら〳〵する性質たちでいけません、あんな小悪こにくらしいぎす〳〵した奴は有りません」

新「お母さんの云いようも悪かったよ……おめえ泣いたりしちゃアいけない、ムウ大層降出して来たな、雨の音が聞えるが、こいつア困ったな。浜まで明日あしたくにしても、帰らなければ都合が悪いから、人力を一挺云附いいつけておくれな」

婆「はい……しかしまアいじゃア有りませんか」

新「いや少し頼まれた事も有るので、是非浜へ往って買物をなければならんから」

婆「うでございますか、それじゃアはるや、大急ぎで車をあつらえなよ、仕立は高いから四つ角へ往って綺麗そうな車を見つけて来な、ほろの漏らないようなのを、大急ぎで早く往って来な」

下女「はい〳〵」

 と下女が有松屋と云うぶら提灯をげて人力を雇いにきますと、向うからがた〳〵帰り車と見えて引いて参るを見付け、

下「ちょいと車屋さん〳〵」

車夫「へい」

下女「あの神田の美土代町まで幾許いくらだえ」

車夫「へい一朱と二百で」

下女「高いよ、そんな事を云ったッてあんまり高いよ」

車夫「高いたって降って来ましたから」

下女「降って来たって、お負けよ、一朱ぐらいに」

車夫「ヘエ何うでも宜うございます」

 とフランケットを身体に巻附け、ずぶ濡になっている車夫が、下女の後からびしょ〳〵附いてまいる所を、藤川庄三郎は丁字風呂ちょうじぶろの蔭に隠れていたは、愚痴な女に男の未練で、腹立紛れに美代吉をん殴って出たが、まだ腹が癒えず、何うも身請をされては男の一ぶんが立たんと、もとの士族さんの心が出ましたから、小蔭に隠れて様子を立聞くと、奧州屋新助が美土代町へ帰るようだから。

庄「ムウ彼奴あいつが美土代町へ帰るならば宜しいたゞア置くものか」

 と煙管筒きせるづゝ合口あいくちを仕込んだのを持って居ます。今新助が車に乗る様子を見ていると、表までどろ〳〵送り出し、

皆々「左様ならば、左様ならば」

婆「何うぞ明後日あさってはお待ち申して居りますが、何時頃なんどきごろおいでになりますか」

新「二時頃には来る積りだよ」

婆「是非おいでを……ちゃんと掃除をして置きまして、みんな子供たちにも話を致して置きます、左様ならば御機嫌宜しゅう……車夫くるまやさん気を附けて成りったけ早くお頼み申しますよ」

車夫「早くたって歩くだけにしか歩けません」

婆「人の悪い車夫だよ、ぶら〳〵歩かれちゃア仕様がない」

車夫「そんなに急がなくっても車が廻るから自然ひとりでかれるんで」

婆「それじゃア車を引くのじゃアない、車に引かれてくのだ」

新「そんな野暮なことを云うな……ムーン破けてるひどい前掛だなア、愛敬のえ車夫だね……車夫さん幌は漏りゃアしないか」

車夫「大丈夫で」

 と是から梶棒の先を掴まえて慣れない奴が持上げて、ごろ〳〵引出したが、何うも思うように走りません。

車夫「はい〳〵」

 幾らか頂戴したら早く引きますと云わぬばかりに故意わざのろく引出し、天神の中坂下なかざかしたを突当って、妻恋坂つまごいざかを曲って万世橋よろずばしから美土代町へ掛る道へ先廻りをして、藤川庄三郎は、妻恋坂下に一万石の建部内匠頭たてべたくみのかみというお大名が有ります、その長家ながやの下に待って居ましたが、只今と違ってお巡りさんという御役が有りません、邏卒らそつとか云って時々廻るかたが有った時分で、雨はどっと降出して来ましたから、往来はぱったり止って淋しい秋の雨で、どん〳〵降る中をのた〳〵やってまいる所を、待伏まちぶせをして居りました庄三郎が、いきなり飛出して提灯を斬って落す。

車夫「あッ」

 と梶棒を放して車夫くるまやが前へのめったから、急に車の中から出られません、車夫は逃げようとして足を梶棒に引掛ひっかけ、建部のみぞの中へ転がり落ちる。庄三郎は短刀を振翳ふりかざし、

庄「覚えたか」

 と突掛けて来ますると、ねらたがわず奧州屋新助の脇腹へ合口を突き通すという一時いちじに手違いになりますお話でございます、一寸ちょっと一息継ぎましてあとを申上げましょう。


        四


 えいさてわたくしは夏休みのうち相州そうしゅう箱根から京阪の方へ廻って、久しゅう筆記を休んで居りましたが、申続きの美代吉庄三郎の身の上、奧州屋新助の事が大分にあとが残って居りますこれは明治四年のお話でございます。明治四五年頃は御案内の通り頓と未だ開けない世の中では有りますが、ようやくに明治五年に此の散髪さんぱつ流行はやりまして、頭を刈る時にも厭がって年をった人などが「何うか切りたく無い、切るくらいなら、いっそぐり〳〵とそりこぽって坊主になった方がかろう」それを取ッつかまえて無理に切るなぞという、実に厭がりましたものであります。ところが只今では切らんければ恥のような訳で、実に昔切り立てには何故いやなんな頭をするか、厭らしい延喜えんぎのわりい、とよく笑いましたものであったが、散髪ざんぎりが縁起が悪い頭だか、野郎頭の方が縁起が悪いのかとんと分りませんが、先達せんだっ博識ものしりの方に聞いたら、前を剃りましたのは首実検の為に剃ったので、大将へ首実検いたさするに指をもとゞりに三本入れた時に(右の手にて攫む)う髻を取って大将の前に備える時に死顔しにがおが柔かに見える、前が剃って有ると又たぶさつかむにも掴み易いと云うので、前髪まえを剃上げて見せたということだから、以前せんの頭はあんまり縁起のい頭じゃアございません、首実検のための頭だと云います、それから追々剃りまして糸鬢奴いとびんやっこが出来ましたが、清元本多きよもとほんだと申して幇間たいこもちやなんかは石垣に蜻蛉とんぼの止ったような頭に結いましたもの、只今では散髪ざんぎりに成ったから、ふうの変え様が有りませんが、此方こちら(右)にまげるとか、あるいは左の方に撫付けたが宜かろう、中央まんなかから取って矮鶏ちゃぼおしりの様ななりに致してすいだという、團十郎刈だんじゅうろうがりいとか五分刈ごぶがりあれが宜しいと、いきな様だが團十郎が致したから團十郎刈と云うと、大層名がいが、よく〳〵見れば毬栗いがぐり坊主だから悪く云ったら仕方の無いもんだが、あれが流行はやりと成ると粋に見えます。今では前の方にばらりッとさがったのが流行ります、あれはまア乱れて下ったのかと思うと結髪床かみいどこでのあつらえです、西洋床の親方なんぞはう心得て居りますから、先方むこうから、

床「どの位に………」

客「前の方に五十六本」

 なんて申したって分りません、仮令たとえ長く下げまして、末には目の上にまでかぶさって、向うが見えないように成って、向うから人が来て、

甲「今日こんちは」

乙「へい(髪を両手にて掻上げ右左とかえりみる)え、何方どなたです」

 なんてえ訳で、両方の手で分けて見たりなんかするのは可笑おかしゅうございますが、其の頃は散髪ざんぎりに成っても洋服を召しても、未だ懐中ふところには煙管筒きせるづゝの様にして、合口の短刀を一本ずつ呑んでったもの、されば徳川の禄をんだ藤川庄三郎、ことには若様育ち、あれ程にまで云いかわし、惚れた美代吉を身請をされては何うも友達へ外聞が悪い、親や親戚に打明けて身請までにと思った処をへ買取られては一分いちぶん立たん………と云う血気にはやって分別も無く、妻恋坂下の建部内匠頭の窓下に待って居るとも知らぬ奧州屋新助が、十九ケ年振りで真実のいもとい何うか身請をして松山の家を立てさせて、思う男の藤川庄三郎に添わしてやりたいと腹で種々いろ〳〵に考えて、明後日あさっては身請をする心持で車夫しゃふを急がしても、車夫くるまやは成りたけのろ〳〵いて、困ると酒手が出たらそれから早く挽こうという、辻車は始末にいかない。幌が少し破れて、雨がぽたり〳〵と漏ります。梶棒の尖端とっさきを持ってがた〳〵ゆるがせて、建部の屋敷裏手までまいると、藤川庄三郎曲り角の所から突然だしぬけ車夫しゃふの提灯を切って落した。車夫は驚いて、どーんと筋斗もんどりを打って溝の中へごろ〳〵と転がり落ちましたが、よい塩梅あんばいに車がかえりません、はずみで梶棒が前に下りたから、前桐油まえどうゆを突き破って片足踏み出すと、

庄「思い知ったか」

 と組附くように合口を持って突ッ掛りまして、ちょうど奧州屋新助の左の脇腹のところをぷつうりと貫いた。

新「うゝん」

 と云いさま、此方こちらも元は会津の藩中松山久次郎まつやまきゅうじろういさゝか腕におぼえが有りまするから、庄三郎の片手をおさえたなり、ずうンと前にのめり出し。

新「暫く〳〵はやまっちゃア成りませんぞ」

庄「なに宜く先程は失敬を致したな、一分いちぶん立たんからてまいを殺し、美代吉をも殺害せつがいして切腹いたす心得だ」

奧「暫く〳〵何うぞ………逸まった事をして下されたなア藤川氏……手前は美代吉の色恋に溺れて身請を致すのではござらん、美代吉の真実の兄で松山久次郎と申す者でござるぞ」

庄「へい、なに松山…──美代吉の兄とはそれは又何ういう訳」

奧「フムそれは………まだ〳〵〳〵………あッあく成りくはみんな不孝のばちである……手前てまい二十四歳の折に放蕩無頼で、元の会津の屋敷を出る折に、父が呆れて勘当を致す時に一首の歌を書いて、その短冊を此の久次郎に渡された………それより青森へ参って、北海道へ渡って、暫く函館地方に居ったが、時治まって横浜に出て参って只今では聊か活計の道を立て……これから僕も世に出ようという心得であった……先達さきだって五六たび呼んだ美代吉が、何となく温順おとなしやかな身柄の宜しい者である、武士の娘と云う事を聞いたが、時世ときよとて芸者の勤め、皆な斯様に成り果てた者も多かろうと存じて………手前てまえ妹と知らず、贔屓にして五六度呼びました………すると美代吉はあなた様と深く云い交してある事をの芸者から聞きましたゆえ、何うぞしてわして遣りたいと、今日美代吉のたくへ参ってふと見たる屏風の貼交はりまぜ、その短冊を見れば、父が勘当の折に書いてくれました自筆の……歌でございます……その短冊から段々問い合せますると、松山久馬の娘である、父も兄も相果て、母が病中斯様な処に這入って芸者を致すとの物語を聞き、あゝ己は不孝で、二十四歳の折家出をして、両親ふたおやに聊かも報恩おんがえしを致さんで、年はもいかぬ女の身で斯様の処へ這入って芸者を致してるか、如何にも不便ふびんな事であると存じました故に、何うぞ美代吉を身請致して別家を為し、松山の名跡みょうせきを立てさせたい、ことには貴方様と何うか御相談の上で、不束ふつゝかな妹では有るが、女房にょうぼに持って貰いたいと存じて、今日こんにち身請を致し、明後日みょうごにちは貴方様をお招き申して、何うぞ妹の身の上をもきに願おうと心得て居ったところが、貴方様がお出でになっても、有松屋のばゝあるから何一つ御相談も出来無い、貴方が思い違いを致して御腹立ごふくりゅうでお帰りの時も、わしは心配して居ったが、まさか手前に、はアッはア………斯様な荒々しい事をなさろうとは思わなかった………しかしそれ程までに妹を思召おぼしめして下さる御心底ごしんていはアッはア……誠にかたじけない、手前てまい此処こゝ金円きんえんを所持してる……此の五百円の金を差上げるから、わがあとに妹をお身請なされて、ほか親戚みより兄弟も無い奴と何うかお見捨て無くはアッはア……末々まで女房に持って遣って下さるように願いたい、こゝにきんが有るからお渡し申す……エお分りに成りましたか」

 聞く事ごとに庄三郎、

庄「はあア左様な事で有ったか」

 と。只茫然といたして、どっどと降る中にべた〳〵〳〵と坐った。

庄「左様とは心得ませんで……どうも誠に失敬(失敬たって殺しちまっては間に合いませんねえ)何うかお助かりは……」

奧「えいや助からん」

 と苦しい中で懐からかねを取り出し、

新「……五百円、それに此の金側きんがわの時計も別してしるしのある訳でない、お持料もちりょうになされて下さい、ほかの物は記が有りますから………此処にあなた様が居ると、もし夜廻りの者が参っては相成りませんから、お早く往って、何うぞ早く往って下さい……急にお身請になると感付かれると成りません、一二ケ月経ってからでございますぜ、お早く〳〵」

 早く〳〵という声も最う息もせわしゅうなりまする様子。此の頃は巡査という役もございませんけれども折々は邏卒という者が廻りました時分で、雨は降りますけれども妻恋坂下、何う成るか此方こちらも怖いのに心急こゝろせくから、其の儘に藤川庄三郎は、五百円と時計と持って御成街道おなりかいどうかたに参りますと、見送った新助はのりに染ったなりひょろ〳〵出て、向うの中坂下なかざかしたについて、あの細い横町よこちょうほうに参り、庄三郎に突かれたなり右の手を持ち添えて、左から一文字にぐうッと掛けて切った、此方こっち(左)の疵口きずぐちから逆に右の方へ一つ掻切かっきって置いて、気丈な新助、咽喉のどを一つぷつうりと突いて倒れました。左様なことはちっとも知りませんのは奧州屋新助の女房、昨夜ゆうべは新助が帰らんと云うので、

女「旦那さまがお帰りが無いから、早くお前店を開けて、万事気を附けておくれ」

 福松ふくまつという店を預かっている若者が指図をして、店の飾り附をして居ると、門口へ来ました男はきたないとも穢なく無いとも、ぼろ〳〵とした汚れ切った毛布けっとうを巻き附けて、紋羽もんぱの綿頭巾を被って、千草ちくさの汚れた半股引を穿き、泥足草鞋穿わらじばきの儘洋物屋とうぶつやあがはなに来て、

男「御免をこうむる」

福「今其処そこへ来ちゃアいけない…来ちゃアいけない……今店を出す処だに、何だい」

男「何だって人間だい」

福「冗談云うねえ、今店を明けたばかりの処で其処へ突立つッたって邪魔して居ちゃアいかん、何だア銭貰い」

男「失敬極まる事をいうな……これ銭貰いとは何だ……さ当家の家内に逢いたいんだから是れへ呼んでくんな……おふみを是れへ呼べ」

福「何うもこれは何だろう……お前は一体何処どこのものだい」

男「何処も何もあるものか、人力車夫の徳藏とくぞうという者だと云やア解るから呼んでくれ」

福「呆れて物が云われない、何だって車夫くるまやが此処に来てお内儀かみさんに逢いたいてえのは何ういうわけだ……何ういう縁故をもって云うのだ」

徳「縁故の無い処に云うものか、当家のふみと血を分けたおあにいさまで大西徳藏という者だと云やア分る」

福「はゝあ是れが兄貴のわんちゃん者だ」

 と番頭も分りましたから、

福「今お内儀さんはお加減が悪くてやすんで居ります………誠にお生憎様あいにくさまで」

徳「なにお生憎様てえ事が有るものか、塩梅が悪きゃア奥へ通って逢おう、たらいへ水を汲んでくれ、足を洗うから」

福「困りますナ何うも、今何うも店の処じゃア困りますからよ、暫くお待ちなすって」

徳「待たなくてよ、逢いに来たんでい」

 というに仕方が無いから、番頭は奥にきますると、乳児ちのみごに乳を含ませて、片手で其処此処片付けて居りました。

福「申しお内儀さんえ」

ふみ「はい」

福「あなたのおあにいさんで徳藏様が」

ふみ「あゝ又来たかい」

福「へいぼろ〳〵したおなりで………あなたの前で申上げては済みませんが、実にひどいお服装みなり御酒ごしゅの上の悪いてえことを聞いて居りますが、わたくしは存じませんから、何だかと思って、銭貰いならアノ店を明けたばかりだから、其処へ立っちゃアいけないと云ったら、あべこべに剣突けんつくって、兄上がいもとに逢うのだと申しますが、御様子が悪いから……」

富「あの店に置いちゃア困るから、台所で逢うから此方こっちへ呼んでおくれ」

福「へい……貴方さまお内儀さんがお目にかゝりますが、足を洗うのも始末が悪うございますから、裏からお這入りなすって……すぐに其の蝋燭屋の裏をお這入りなさると井戸の前の処が入口でげすから」

徳「いや店から上って悪いという次第もないけれども、併しながら何処から上っても五分だ………大層代物しろものが店に殖えたな」

福「何うもまことに仕入が間に合いませんで」

徳「なんだア、てまえなんどは生利なまぎきに西洋物を売買うりかいいたすからてえんで、鼻の下にひげなんぞをはやして、大層高慢な顔をして居ても、碌になんにも外国人と応接が出来るという訳じゃアあるめえ」

福「そんな事は兎も角も、お内儀さんがお目に懸るってますからお早く」

徳「あゝうい此家こちらア裏ア何処だ……裏ア」

 ぱたり〳〵と此方こちらの羽目に打突ぶつかり、彼方あちらの壁に打突かって蝋燭屋の裏に這入り、井戸端で。

徳「此処か、奧州屋の新助のたくは此処かな」

ふみ「およしや、そこ開けて遣っておくれ……此方こっちだよ、此方へお這入りなさい……あらまア穢い服装なりでマア、またお出でなすったね」

徳「又だア……其ののち打絶うちたえて……御無音ごぶいんに……何時も御壮健おかわりも無く……大西徳藏大悦たいえつ奉る」

ふみ「何だね困りますね、朝からお酒を飲んで、お前さんは始終は身体を仕舞いますよ」

徳「何うせ果は中風よい〳〵だ、はゝゝだが酒が一滴も通らなけりア口の利けねえ徳藏だ、かねてお前も知ってる通りのことだ、前々まえ〳〵勤務つとめをしている時分にも宜しく無いから飲むなてえが、飲まんけりアたまらん、殊更寒い昨夜ゆうべは雨が降り、くの如く尾羽打枯おはうちからして梶棒につかまって歩るいたって、雨で乗手が少ない、寒くって耐らんから酒を飲むと、自然と車の輪代はだいがたまって、身代もまわりかねるような事に成って、はゝゝ如何んとも何うも進退きわまってね、誠に済まんけれど金え拾両ばかり貸してくれ」

ふみ「何を……判然はっきり仰しゃい」

徳「金を十両拝借致しいという訳だ」

ふみ「私の処にお金を借りに来られる訳じゃア有りますまい」

徳「訳が有りア謝って来やしねえ、訳が少し無いように成って来たから止むを得ず只誠に重々恐れ入って、拝借を願うというようなマア訳だね」

ふみ「はアお前さんは私とは縁が切れて居ますよ、最う此方こっちへ私の籍を送ってしまえば、奧州屋の者でございますから、兄妹きょうだいでもお前さんに私がお金を送る訳は有りませんが、今までに二十四たびお貸し申したよ」

徳「心得て居ります、再度拝借致しました、しかし現在の兄が倒れんとするを救わんというのは何うも道に違って居る、そりゃア縁は切れて居ろうが、血筋は切れん、その何うも兄弟の間柄でもって、他に兄弟の有る訳じゃアえ……重々悪い此の通り(平伏)此の通り恐れ入って居る」

ふみ「何うぞ、お前さんも峯壽院ほうじゅいん様の御用達ごようたしでは無いか………お前さんは立派な天下の御家人では無いか、おとっさんが亡くなると蔵宿くらやどかりつくし、拝領物まで残らず売ってしまって、おっかさんもそれを御心配なすって、あの通りお逝去かくれになりました、私より他に兄妹きょうだいは無いと仰しゃいましたけれど、大切だいじな兄妹と思って下さるかは知らないが、其の同胞きょうだいをお前さんはだまして横浜に連れてって外国人のらしゃめんに仕ようとした事をお忘れなすったか、私が二十一の時だよ」

徳「まことに何うも重々相済まん」

ふみ「貴方は外国人はけがらわしい、日本は日のもとだ、神の国だ、外国の人などを入れるなという日光様の教えもあるものを、背いてこんな事をしたからと、自分の惰者なまけもの余所よそにして、いつもあんな事ばかり云いながら、その汚れた外国人のところに一人のいもとらしゃめんにするとって、私を横浜に置去りにして、五十両の手金を持ってお逃げなすった事をお忘れなすったかよ」

徳「いさゝか覚えて居りますな………重々相済まん、何うも仕方がい、借財で仕方がえよ、借財でなア」

ふみ「私はお前に置去りにされて、知らない横浜の富田屋とんだやさんのうちに泣暮して居ましたよ、処へ富貴楼ふっきろうのお内儀さんが一寸ちょっと富田屋さんへ用が有ってお出でなすって、何ういう訳だと申しますから、是々だって話をすると、あゝいう気性のおくらさんだから、それはお気の毒だと今の旦那に話をして、私の身体を五十円で買われたようなもの、此所こゝに来て居るといって、縁切りで来たのだよ、お前さん其の他にも家の旦那はあゝいう気性だから、お前さんに別に又三十両お上げなすった、もう是切り参りませんと云っても度々たび〳〵来る、それは内証で私も二両や三両の事なら何うにかして上げたが、何度来ても旦那は会いはしない、お前さんも旦那の顔は知るまいけれども、あにさんが借りに来た様子だ、沢山たんとの事でも有るまいから、時々はちっずつ小遣を持たして遣るがいとお前さんが這入って来ると表からはずして出る、貸して遣れと云わんばかりに親切にしておくんなさる旦那の前に対しても、私はお貸し申す訳にはきません、此の盆前に来てお前さん幾許いくら持って往ったえ、二十円持って往ったろう………其の時もう来ないと云ったでは無いか、その口の下からすぐ借りに来るとは実に私は呆れてしまった………貸されませんよ」

徳「まことに済まん、貸されなきゃア致し方がない、無いけれども何うも其の日にわれて飯が食えんという事に成ったから、まことに何うも困る……何うあっても貸されんか」

ふみ「借りに来られた義理じゃア有りませんよ」

徳「義理も道も心得てはるけれども、何うも一向仕方が無い」

ふみ「貸せたってお前さんには返す方角はなし、お金を遣れば遣る程お酒を飲んで、只怠けてしまうだけの事で、お前さんにお金を上げるとわざと酒を飲ましてよいよいにする様なものだから上げませんよ」

徳「よい〳〵……最う是切り来ねええゝッぷ、何うぞ、恐入ったいもうと、妹と云っては縁が切れてるから奧州屋新助殿どんのお内儀さんに対して大西徳藏かくの如くだ(両手を突き頭をさげる)矢張是も親のばちだ、親の罰だから誠に何うも困る、うむ最う己は縁が切れたから己にすると思ってもいけない、親、親にすると思って……」

ふみ「なにお前さんは親のうちを潰してしまった人だわ」

徳「後生だから」

福「大変大変お内儀さん大変でございます」

ふみ「何だね、仰山な」

福「旦那が腹ア切ったッてえ知らせが………妻恋坂下で旦那が腹ア切って居るって、気がちがったんでしょうか」

ふみ「旦那が妻恋坂下で腹、まア誰か往って見たのか」

 これを聞くと徳藏は、

徳「はてな妻恋坂下と云えば昨夜ゆうべ乗せた客だが、あれが奧州屋新助では無いか」

 と気が附いたから少し酒のえいめた。

徳「直ぐに帰るから、ちっと無くてはいけないから、五両でも三両でも……係りあいの事が有って車を置いて来た」

ふみ「何だよ私の家は取込んでいるよ困るね、是でも持って往っておくれ」

 と有合わした小遣を遣り、子供を抱いたりおぶったり致して、番頭立合で往って見ると、なさけなき死様しにようだ、常に落著おちつきまして中々切腹する様な人では無いが、何う云う訳か頓と分らない。よんどころなく此の事を訴えますと、検屍事済ことずみになって死骸を引取りまして、下谷したや広徳寺こうとくじに野辺送りをする事に成りましたが、誰が殺したか頓と知れませんで居りましたが、是が自然に知れて来ると云うは、悪い事は出来んものです。一寸ちょっと一息致しまして。


        五


 えゝお話二つに分れまして、数寄屋町の有松屋のお話でございます。芸者屋の商売などと云うものは、外見おもてはずうッと派手に飾って、交際つきあいも十分に致し、何処に会が有っても芝居の見物でも、斯ういう店開きが有れば其の様にびらを貼るという様な事でございまして、中々物入の続く商売。殊に暮などは抱子かゝえッこを致して居れば、新しくの紋附を染めるとか、長襦袢をこしらえてやるの、小間物から下駄穿物はきものに至るまで支度を致すというので、大した金のるものでございます。ばゞあは少し借財の有る処で身請というから、先ず是でいと喜んだ甲斐もなく、打って違って奧州屋新助は腹を切って死んだと云うので、ぱったり目的が外れました。是から歳暮くれに成りますると少し不都合で愚痴ぐずばかり云っている処へ、幇間たいこもちの三八、

三「おっかさん今日こんちは」

婆「おやお這入んなさいまし」

三「押詰りまして」

婆「何うも月迫げっぱくに成りました、誠に何うも寒い事ねえ、暮の二十五日だからねえ、時々忘年としわすれのお座敷なぞが有るかえ」

三「有るにア有るけれども、昔と違って突然だしぬけ目的あてが外れたりして極りが無いから困りますのさ」

婆「けれどもお前なぞは気楽でいじゃアないか」

三「気楽でも何でも無いのサ、何うもたった一人者でも雇婆やといばアさんの給金も払うなにがえんで、勘定というものは何処にも有るもんでげすが、暮はいけませんねえ、押掛おしかけのお座敷に往っても御祝儀は下さいませんから誠に困りますよ、お歳暮せいぼの時なんぞは御祝儀処か、おやお出でかえ誠に取込んで居るからと云うんで、無しさ、幇間たいこもちなんどは暮はいけませんなア、来春くるはるを待つのですが、お母さんなんぞは土用が来ても歳暮が来ても福々しいね」

婆「何うして大違おおちがいさ、それにの奧州屋の旦那がね、ソレあの時お前も落合って身請ってえから少し苦しい処だから丁度い塩梅だと極りがついて、明後日あさっては身請というからあてにして、私もその支度もし、別に抱えも仕たいと思うからそれに当箝あてはめ、借金も返す約束に成っている処が、ぽかりと外れてしまった実に困ったのサ、だがね何うしてあの方があんな死様しにようを為すったろう」

三「解らないよ、泥濘ぬかるみへ踏込んでも、どっこい悪い処へ来たとあとへ身体を引いて、一方かた〳〵の足は汚さねえと云う方だが」

婆「それが何うも腹を切るなんてえのは」

三「なに矢張やっぱ洋物屋とうぶつやの旦那様でも、元が士族さんはてで、何かで行詰った事が有って、義理堅い方だから義がたゝないとかなんとか云う所からプイと遣ったか、それとも人にねえお前さんい年をして芸者の身請を致して、女房子の有る身分からだ了簡方りょうけんがたが違おうとか何とか野暮な小言を云った奴が有って、色に溺れるのじゃアない、美代吉の身請を致して、い亭主を持たせるのだと言っても聞かないで、悪い喧嘩でもしてそう思われたが口惜しいとかなんかでプイと腹ア切る気になったのかも知れない、それとも腹ア切るのは容易の事じゃアえ、善々よく〳〵思切おもいきったのであろう、それとも無理な才覚をなすって美土代町のお宅でも悪借金わるじゃっきん………でもありゃアしないかと思われますねえ」

婆「是が為に外れてわちきは誠に困って居るが、美代吉は身請が外れて嬉しいと云うような顔をしているのが腹が立ちますわね、此の頃美代吉は外れてから元気が出たよ、あゝいう分らない阿魔っちょだから実に私は途方にくれるんだよ、この暮は本当に困りますよ」

 と噂をして居るところへ藤川庄三郎門口へ立ちました。なりは南部の藍万あいまんの小袖に、黄八丈の下着に茶献上の帯に黒羽二重の羽織で、至極まじめのこしらえでございまして、障子戸の外から、

庄「御免……美代ちゃんうちかえ」

婆「はいおかねや、誰か来たから鳥渡ちょっと往って見な…表へ誰方どなたかお出でなすったよ」

兼「はい」

 女中が駈け出して障子をがらりと開けると庄三郎。

兼「おや入っしゃい」

庄「まことに御無沙汰(挨拶をしながら)美代ちゃんは」

兼「今なんでございます、一寸ちょっとお約束で出ました」

庄「お母さんは」

兼「お母さんは居りますからまアお上り遊ばせ」

庄「はい御免なさい」

婆「おい一寸兼や、何だよ、気の利かないだよ、藤川さんだよ、無闇に上げちゃアいけねえなア………この節は何うもいけない、余程よっぽどいけねえ、様子の悪い、それを無闇に上げてさ、居ないと云えばいに何だね………最う上ってお出でなすったアね……さア(急に笑い顔)此方こっちへお出でなさい」

庄「おっかあまことに御無沙汰、一寸来なくちゃアならんのだけれども、駿府の方から親戚の者が出て来て居るもんだにってな何ややと取紛とりまぎれて、何うか僕も親族の者が、遊んで居てもいけないからと云うので、今度商法をね……当節は兎角商法流行ばやりで、遠州の方から葉茶はぢゃを送ってくれると云うので、蠣殻町かきがらちょう空家あきやが有ったもんだから、それを借りてようやく葉茶屋を開店することに極りがやっとついたんで、お馴染には成ってるしするから、悪い耳と違ってい事をおきかせ申したいと思ってね………参ったが、何時もお変りございませんで、次第に月迫げっぱくに」

婆「まことに押詰りましてさぞお忙がしゅう……おゝそれは結構でございますねえ、大分だいぶ皆さんが御商法をなさいますが、仰しゃるお茶屋だの料理屋しるこ屋色々な事をしても、素人で真似をしたのは何うも長持のないもんですね、慣れない事てえものはいけませんよ、士族さん方の御商法は何うも外れ易いものでございますから、貴方も一生懸命にねえ……まア御勉強なすってお遣んなさりア宜しゅうございましょう、生憎あいにく美代吉は居りませんで」

三八「これは何うも暫く………先達せんだっては失敬をいたしました、今という只今貴方のお噂たら〳〵ヘヽヽ」

庄「いや私こそ御無沙汰致しました、お母さん、少し御相談が有って来たんだがねえ、ちっと申しにくい訳だから、一寸どんな小部屋でも有りア」

婆「御存じのとおりわちきのとこは小部屋も何も有りませんが、何の御用でございますか、何うか此処で仰っしゃってねヘヽヽ何うも下さいませんと困りますねえ」

庄「実はお前も知ってる通り、知って知らんふりでお出でだろうけれども、実は僕ア道楽てえものは今迄仕た事はねえが、下谷へ来てから誘われて一度遊んだのが病付やみつきで、其のはお前さんとこの美代吉さんと私は隠れて遊んだ事もある、お前がそれが為に腹を立って私を寄せ付けんという事も知っています」

婆「そう改まって仰しゃっちゃア困りますねえ、何も寄付けねえ訳は有りませんけれども、お前さんも亦、私は遊びましたよ、はい御存じでござりましょうが、お前さんとこの美代吉と隠れて遊んだと仰しゃられちゃ困ります、実はお前さんと美代吉が遊びたいばかりで、それまでは堅いでございましたけれども、お前さんに誘い出されて向島うわてくんだりへ往ってさ、二晩や三晩うちを明けた事も有ります、それもいけど、あんな人のだからお前さんと遊ぶにも、お前さんだって有り余る身代じゃアなし、身上みあがりをしたり、聞けば他で以て高利を借りて、それも是れもまア稼人かせぎにんのこったから私は何にも云いませんけれども、考えて御覧なさい、私はぎょくをいくら取りそこなったか知れやしない、それもまア私は何とも云いはしないが、お前さんにそう改まって御存じだろうと仰しゃられちゃア、私も困りますよ、はい随分困ります、……知らない振で居ましたが、何うぞ是からは遊んで下さらないように願いたいねえ」

庄「だからお前に苦労させて済みませんから、何うか多分の事じゃア出来ないけれども、母にも打明けて話し、親戚の者にも話したが、美代吉はお前の娘という訳でもなし、云わば抱えで流れ込んで居るという事を知って居るが、此の藤川に身請をさせて貰いたいんだ多分の金円きんえんを出せと云っては出来ませんが、何うか身請のとこを御承諾を願いたい」

婆「へえゝ、大層お立派な事を仰しゃいますね、それは藤川さんお前さんも惚れている女ですもの、身請をしてお前さんのうちへ女房にして置きたかろうさ、お前さんも矢張やっぱり旗下はたもとの若様、私も母でございますから、成ろうものなら美代吉も惚れているお前さんのとこへ上げたいがね、昔は安かったもの、五十両も有れば出来ました、立派な花魁おいらんの身請をしても三百両で出来たがね、それが今は法外の話、五十や六十の目腐れがねでは出来ません、相場がねえ何うも誠に申すもお気の毒だが、大した事でございまして、何うしても三四百両のお金がなければお前さん達の何うでも出来る話ではなし、身請をしておくんなさいとも云われません、お前さんも美代吉も惚合ってる中だから出来るかたなら私のほうから願おうが、それがそれ何うもはいと云う事も出来ないような訳、何しろ事柄が大きいから」

庄「じゃア四百円お金を出せば身請が出来るの」

婆「左様さ四百円有れば出来ますねえ」

庄「屹度きっとそれならば身請をさせて下さるか」

婆「そう出ればまア……夢見ていな……恵比寿講えびすこう売買うりかいの様なお話でございますからね」

庄「実はね、母に打明けて話したら、芸妓げいしゃの身請はのくらいのものだろうというから、先ず三百両ぐらい掛ろうと云ったら実は母も驚いて、昔は五十両もあれば出来たものを大分高いと云ったが、実は斯々これ〳〵だと云ったら、まア三百円の金も無いけれども、そうなりゃ身請をしたら宜かろうと、親族から漸くに少し金策が出来て、実は此処に四百円才覚をして来たんだが、此の金で身請をさせて下されば、今日直ぐに書附かきつけ取替とりかわして美代吉だけを連れてきたいが御得心ごとくしんかえ」

婆「あれ、あなた本当のお金……」

庄「本当のお金だって(苦笑にがわらい)」

婆「まア何うも恐れ入りますねえ、まア何うも藤川さん、本当にあなたまア何うも誠に私ゃアホヽヽヽヽ(笑)一寸お音信たよりをしたいと思って居りましたけれども、斯ういう忙がしい中で、まア美代吉にも私ゃアいつでもそう云うの、御贔屓になった方へはお前書けない手でもふみの一本も上げなってねえ、それが芸者の当然あたりまえだと云って、まア子供見た様な者ですから、ついまア存じながら御無沙汰になって本当にね、三八はんそう身請に成ればホヽヽヽヽヽ、もとが旧でおいでなさるからねえ、一寸お話しにさえなりゃア御親類からお金が四百でも五百でも出来て………そうなればねえ」

三「旦那さんの前で急に機嫌が直ったりしちゃア私まで一寸面顔赤かおあかになるが、まアお芽出度めでとうごす、美代ちゃんがお喜びは何のくらいでげしょうか、実は何うも思う男とは添わせたいので」

婆「本当にわたしも嬉しいから美代吉もさぞ喜ぶでございましょう……、わちきは斯うなるとね吾が子のような心持がして……お兼やお茶を入れな、ホヽヽヽヽそうしていお菓子を取って来な」

 とばゝあすぐに機嫌が変りました。是から庄三郎はたちまち四百円で身請をして連れて帰る。強飯こわめしを云附けて遣り、箱屋や何かにも目立たんように仕着しきせは出しませんけれども、相応の祝儀を遣りまして、美代吉を引取ってまいる。これから母も得心だから蠣殻町へ店を借受けまして、駿府から葉茶を引いて、慣れん事だが又慣れた者が附きまして、活計も何うやら斯うやら容易に立ちまするようの事に成った。親族もい縁類も有るから少し足りないからと云えば是れへ往って才覚も出来る、女房も持ってるから融通も附きますと云うので、仲好なかよく其の年も経ちまして、翌年九月までと云うものはごく愉快にして暮していたが、たゞ心に絶えぬのは新助の事です。兄新助のお金でわしは斯うやって身請をして、思う女と夫婦に成ったが、美代吉は知らずに居る事の気の毒さよ。ちょうど四日が命日だというので、毎月四日の日には自分で香花こうはな手向たむけ、仏壇に向って位牌は無いけれども、心のうち回向えこうして居る。九月四日はう一周忌の命日でございますゆえ、

庄「おいお美代」

美「はい」

庄「今日はお茶の御飯ごぜんを炊かないか」

美「お茶の御飯は私ゃきらい、赤のおまんまをお炊きなさいな」

庄「まア今日はおめえを贔屓にしてくれた美土代町の奧州屋さんの丁度一周忌の命日で、此の間美土代町を通ったら彼処あすこうちは変ってしまって今は乾物屋になった、此処に洋物屋とうぶつやが有ったのだと思うと、あんまい心持のものでも無い、おいらも一度でもったのだから、志だから水菓子でも取って仏壇へお茶でも」

美「きまりだよ、お前さんは奧州屋さんのことをおかアしく云うけれども、わちきが何も奧州屋さんと交情わけでも有りはしまいし、あの旦那だって私を色恋で何う斯うという訳ではなし、何かおとっさんと歌のことで仲好くして、世話にも成った事があるから、身請をして遣ろうと云った時に、お婆さんがんな事を云ったもんだから、お前さんもおかしく思いなさるんだが、わたしゃ本当に奧州屋さんばかりは何にもいやらしいことは無いの」

庄「いやさ、いやらしい事が有る無しじゃアない、たとえ何もなくても一度でも呼ばれたお客が死んだと云えば、その命日には線香の一本ぐらい上げるのは、たとえ芸者でも其処そこが人情じゃアないか、今日は両人ふたりの人のお寺詣りをして遣ろうじゃアないか、広徳寺こうとくじへ往って」

美「広徳寺というのは彼の人のお寺、あんたく御存じで、何うして知って居るの」

庄「なゝなに此の間わきで聞いたのだ、一寸志だから」

美「いやだアね、人…たった五六たび呼ばれたお客の死んだたんびにお寺詣りするくらいなら、毎日お墓詣りをして居なければなりやアしない詰らないじゃアないか、お止しなさいな」

庄「おめえのお母さんのお墓参りをして、帰りに上野の彰義隊しょうぎたいのお墓参りをして、それから奧州屋さんのお墓参りに、遊びながら彼方あっちの方へぶら〳〵と一緒にきな、菊時分だから人が出るよ」

美「まだ大変菊には早いじゃアないか」

庄「今日は紋付だよ」

美「いやだよウ一寸何だねえ」

庄「そうでないて事よ、きなよ、おめえもお母様っかさんのお墓参りに往くのなら、紋付の着物であらたまって、香花を手向るのが当前あたりまえじゃねえか」

 と無理に紋付にさせるのも庄三郎心有っての事です。此方こちらのお美代はそんな事は知りませんが、亭主の云う事ゆえ仕方なく紋付を着て。此の節は滅多に着ることが有りません、久しぶりで紋付を着て上等帯を締め、大きな丸髷になでつけまして、華美はで若粧わかづくり、何うしても葉茶屋のお内儀かみさんにいたしては少し華美なこしらえ、それに垢抜けて居るから一寸表へ出ても目立ちます。これよりぶら〳〵遊歩を致して母の墓参りをして、上野を抜けて広小路ひろこうじへ参り、万円山まんえんざん広徳寺に来て奧州屋新助のお墓へ香花を手向けて、お寺には縁類の者であると云って附届つけとゞけを致し、出て来ますると、ぽつうり〳〵と秋の空の変り易く降り出して来ました。

庄「困ったな降って来たよ、何処かへ往っておまんまでも食べて雨をめようじゃア無いか」

美「出る時は降るだろうと思ったから、蝙蝠傘こうもりがさだけは持って来たが、沢山たんとの降りも有りますまいか」

 と夫婦で車坂の四ツ辻まで来ますと、あとから汚ない車夫くるまやが、

車夫「えゝし旦那え、帰り車でございますから、お安くお幾許いくらでもいんですが……へい何方どちらで、日本橋の方へお帰りですか、日本橋なれば、わたし彼方あっちの方へ帰るんですが何方なんですか、四ツ谷の方に、へえわたくしも牛込の方へ帰りでげすが」

 何処へ帰り車だか分らない。

庄「まアい、車が汚いから、あゝ大変に降って来た」

美「わちき久振ひさしぶりですから長者町ちょうじゃまち福寿庵ふくじゅあんへ往っておらいさんに逢って、義理をしてきたいんですが、帰りに他家ほかへ寄っておまんまを食べるなら、福寿庵へって遣っておくんなさいよ」

庄「あゝお前の世話になった以前もとの御用達の福田か」

美「あの旦那は大層立派に暮しをなさったそうだが、今では御亭主が料理屋を」

庄「おい〳〵若衆わけいしさん、あの長者町の福寿庵という汁粉屋な、彼処あすこでお飯を食べて、それから蠣殻町へ帰るんだが、少しの間待ってるようなら御飯おまんまぐらい食わしてやるが」

車夫「えゝ何うも有難うございます、まるっきり今日はあぶれちまって、からいて帰るかと思っていた処で、何うか幾許いくら待っても宜しゅうございます、閑でげすから、お合乗あいのりでへい、少し(空をながめる)なんでげすが大したふりも有りますまいから、幌は掛けますまい」

 フラン毛布けっとを前に押附けて、これから福寿庵の前に車をおろします。車から出て板橋を渡って這入りますと、奥に庭が有りまして、あの庭は余程手広てびろで有りまして、泉水せんすいがございます。その向うに離れ座敷が所々に有りまして、客をしますので、馴染のことでございますから。

妻「まア〳〵美代ちゃん誠にまア久しく、いつもお噂ばっかりして居たの、く………おやそうお寺参り………私もね一寸お尋ね申したいと思っても、御存じの通り一人体ひとりからだで、みんな私にばかり押附けてあるもんだから、私は何処どっこにも出ることが出来ないの………じゃアね奥の六畳の方へ(下女の方をふり向きて)もうお帰りになったろう………汚れて居るか………あゝ、じゃ縁側附の方が宜かろう、あの八畳の方へ御案内申しな」

婢「じゃア此方こちらへ入らっしゃいまし」

 とおんなの案内でもって八畳の間に通ります。

庄「何が有る」

 と云うと相変らず、

婢「小田巻蒸おだまきむしに玉子焼、お刺身が出来て塩焼が有ります」

庄「たんとは飲めない口だが一本けてくれ」

 と云ううちに懐かしいから女房が取巻きに出て来た。

妻「まことにまア御無沙汰………くねえ」

美代「私も誠に御無沙汰いたしました」

妻「いことね、此の間もいねちゃんだの小しめさんも来てね、噂たら〴〵さ、心掛けのい人というものは、まア誠に妙なものだ、美代ちゃんのくらい運のいゝ人は無い、世にはとんだ者にだまされて、いくらもひどいめにうものが多いのに、自分の思う所に請出うけだされて行って御新造ごしんぞに成ると云う、そんな結構な事は何うも誠にねえ、おやこりゃア御免なさいましよ、始めておほゝゝゝわたしアまアうっかりとして、只お懐かしいので美代ちゃんの事ばかり………藤川様とか……誠にね、かねてお噂には伺って居りましたが……そうでございましたか、ついね、心安立こゝろやすだてにもうね、まア美代ちゃん〳〵と言慣いいつけて居るもんですから御新造様の事をホヽヽ、わたくしはがら〳〵して居りまして、そうでございましたか………何うもお二人様ともお雛様を一対ならべたようで………御緩ごゆっくりなすって、今旦那が帰って来ますと自分で手料理が出来ますが、生憎あいにく居ないから、まア緩くり遊んで居て下さいな、生憎降って来ましたが大した降りも有りますまいけれども、まア、それに此の間ね新藏しんぞうさんがお出でなすったが、その折あなたがお店に坐って居たって、元が元だから商人あきんどの店にでも官員でも何処へ出しても本当に上品のお内儀さんだってお噂致して居りました、大層お似合いなすったこと、この丸髷は矢張やっぱり彼方あちらの方にも芸者しゅや何かが居ますから、髪結かみいさんも上手だと見えて大層恰好かっこうに出来ました事、いゝ事ね、何て………まだ島田が惜しいようですね、はゝゝかえって凛々りゝしくてね、丸髷の方が宜しゅうございますよ、わたしはいえ最う(盃を受け)有難う、たんとは頂けません……これから私が参って茶椀蒸を拵えますから」

庄「誠に御馳走様で」

 これからしきりにお酒を飲んで車夫くるまやの方にも酒が一本附きましたる事にて、車夫もい機嫌になって、

車夫「へい旦那様有難う」

庄「あゝおめえ草鞋わらじで此処へかけるがいゝ、其方そっちへ踏込まんように」

車夫「えゝ御新造様有難う、何うも閑で仕様のねえとこ言値いいねで乗っておくんなすって、おまけにお酒やなんかア、まアおいしい物で御飯ごぜんを頂くなんてえ、こんな間の好い事はねえ、ゲーッ………有難うございます………御新造様アお何歳いくつでごぜいすか、お綺麗でおいでなさるなア何うも……御紋付がすっかりお似合いなさいますな……御新造様の御紋はお珍らしい、こりゃア何だろう、へえい御紋ですな、是は三蓋松さんがいまつてえので、あんまり付けません、俳優やくしゃ尾張屋おわりやの紋でげすなア」

美代「フヽヽ(笑)野暮な紋だから屋敷や何かでなけりゃア附けない紋で」

車夫「旦那さんの御紋は………花菱だけれども、の花菱で是もあんまり人が付けねえ御紋で………えゝえ妙な事があるもんだ、斯う紋がぴったり揃ってるのは不思議だなア………えゝ旦那え、これは(煙草入を懐より出し)実は洋服持の煙草入でげすが、黒桟くろざん一寸ちょいと袂持たもともちの間に此の鉈豆なたまめ煙管きせるが這入って、泥だらけになって居るのを拾ったんで、掃除をして私が大切に持って居りますが、実はわたくしどもの持つ物ではございませんから、質屋の番頭だってけなしやがッて、わたしどもに有っちゃア仕方がねえ、煙管が何うも実に旦那不思議なんで、私にゃア分らねえが、銀だって云いやすが、この紋がねえ、三蓋松に実の花菱が、そっくり象嵌ぞうがんで出て居るってんだ、こいつア妙じゃアございませんか、これが突込つっこんだなりで有るんでがすが、そっくりお両方ふたかたの紋が比翼に付いて居るてえのは何うも妙で、一寸ちょっとこれは何うです旦那……」

 手に取り上げて庄三郎がびっくりいたした。まだ是は美代吉には話をせずに自分の心のうち惚気のろけに、美代吉の紋と吾が紋を比翼に附けてあつらえた鉈豆の煙管、去年の九月四日の、妻恋坂の下で、これは慌てゝ取り落したものだが、何うして此の車夫くるまやが持って居るかとぎっくり胸にこたえましたが、側にお美代が居るから、

庄「お美代おまえと己の紋が有る、似た紋も有るが不思議じゃアねえか、不思議じゃアねえかよ、えゝそっくり二人の紋が付いてるとは是りゃア不思議じゃアねえか」

美「誰の」

庄「誰のだか分らねえ……車夫くるまやさんおめえがそれを持とうというのか」

車夫「わっちが持って居たって仕様がねえんでがすが、あなた紋がそっくり附着くッついて居やすが、おやすく何うか廉くお買いなすって下さりア有難てえんですがな、わっちが質屋なんぞに持ってきますと手数が掛っていけませんや、そっくり貴方の御定紋ごじょもんだから持って入らっしゃりゃアわっちが是を拾ったとも云いやせんが」

庄「買ってもいけれども幾許いくらで売ろうてえのだ」

車「こんな物で、幾許でも宜うがす、まア人に聞いた処の価値ねうちは五十両が物は有るってえので」

庄「なにが、冗談いっちゃアいけねえ、無垢むくの煙管の誂えで、んなにしたって、何う目方が附いたって五十両なら出来るじゃアねえか、こればかりの鉈豆の煙管を五十円遣って買う奴が」

車「たゞの煙管とは違うんで、紋がちゃアんと御新造様の紋とあなたの紋と比翼に付いて居るとこがこいつの価値ねうちだ、はゝア誂れえりゃア出来るが、わっちが持って居るといけねえものだ、持って居ればよんどころなく訴えなければならねえ、去年の九月四日の晩、妻恋坂下の建部…………サだからって」

庄「む……なに」

車「拾ったとこを云わなければならないが、御迷惑が掛っちゃア済まねえから、売りてえのを我慢して、何うか御当人にお渡し申してえと思って、今まで腹掛のかくし突込つッこんでいた所が、何時までもねエ其の人が知れねえんだ、まア持ち腐れじゃア詰らねえから、旦那御紋所がちゃアんと合って……五十円」

庄「馬鹿ア云っちゃアいけねえ」

美代「おしなさいな、お止しよ………車夫くるまやさん大概におしよ、五十円なんてたれが人馬鹿々々しいじゃアないか、金鈍子きんどんすか何かの丸帯が買えるわ」

車「帯は買えるんでしょうが、これは煙管の紋が………そりア一寸ちっといので」

美「宜いのでたって、そんな高い煙管や何か買える訳のもんじゃアない、だから、あなたお止しなさいよ、(車屋に向い)まア宜いよ」

車「無理にわっちアお上げ申すという訳じゃございませんので、私がこれまで持って居たのは悪いから、それだけ叱られて仕舞いさいすりア……斯ういう訳でがす、私アひどい目に逢いました、建部のわきで私アどぶの中に転がり落ちて何うも物騒で、雨の降る中びしゃアりという訳で、何うも……なアに人てえ者は見掛けに依らねえもんで、まア私は訴えますから」

庄「まア〳〵宜い、若衆わけいしさん、買う買わねえは兎も角も一杯いっぺえ此処で飲みねえ、おめえも何だろう、腹からの車挽くるまひきじゃアあるまいうちは何処だい」

車「家はえんで、ふてっくされ猪武者いぬしゝむしゃ、取っただけは飲んでしまっても仲間の交際つきあいと云うものは妙なもんで、何うか斯うか腹アれば飯い食ってまア……無理にという訳じゃアないんでげすが、お互に時節柄斯ういう訳になって車ア挽くんで」

美「酔って居るからお止しなさいよ、御飯ごぜんを食べさせて帰しましょう、酔って車ア挽けやしない、お内儀さんを一寸ちょっと呼んで、別に車を誂えましょう」

庄「お前往って呼んで来な、手を叩くと旦那じみて極りが悪いから、一寸往ってお出で、(美代吉の跡を見送り)若衆わけいし

車「えい」

庄「煙管を己が買おうが、今は持合せがえんだ、己と一緒に………家内が居るから家内のめえで高い煙管を何で買うかと思われても困る、金を他に借りるとこが有るから、己が一人でおめえの車へ乗るから、往ってくれゝば金を借りて渡すから、此の煙管と引替に売って下せい」

車「宜しゅうございます……御新造さんは知らねえのか……いや承知いたしました、万事心得ました」

庄「そんならば」

 とて福寿庵の女房を呼び、何やら密々こそ〳〵耳こすりを致し、お美代を蠣殻町まで一人で帰す事に相成り、一人乗の車を別に雇い、お美代を先へ帰して置いて、自分は大西徳藏の車に乗って金策に谷中の蛍沢ほたるざわにまいるというお話でございますが、一息つきまして申し上げます。


        六


 へい藤川庄三郎、の大西徳藏という車夫くるまやに供をさせて、人力でどっとと降る中を谷中の笠森稲荷かさもりいなりの手前の横町を曲って、上にも笠森稲荷というが有りますが、下の方が何か瘡毒そうどくねがいが利くとか申して女郎しゅや何かゞ宜くお詣りにまいって、泥でこしらえたる団子を上げます。あの横町を真直まっすぐき右へ登ると七面坂、左が蛍沢、宗林寺そうりんじという法華寺ほっけでらが有ります。その狭い横町をずうッと抜けると田圃たんぼに出て、向うがすうっと駒込の方の山手に続きかすかに藪蕎麦やぶそば灯火あかりが残っている。田圃道で車の輪がはまって中々挽けません。

徳「旦那いけませんな、こんな道じゃア何うもほうが立たねえ、旦那何処へお出でなさるんで」

庄「まア最う少し遣ってくれ」

徳「もう少したってけませんな、何うもこの道じゃア」

庄「じゃア歩こう、まア此処におろしておくれ、何うしたって金策に往くんだから、お願いだから提灯ちょうちんを持って、車は此処へ置いてお前一緒に往っておくれでないか」

徳「へい、それは何処へでも往きやすがな、わっちにゃア………唯でさい歩きにくい道だに、お前さん何処まで往くんだか知らねえが、困りますな何うも」

庄「だがい塩梅に少し小降こぶりになった」

徳「えい大きに小降に成ったが、何うも降りやすね何うも………旦那去年の九月四日の晩も此様こんなに降りましたな」

庄「うむ左様そうかなア、去年も降ったのだか覚えねえ」

徳「へん、降ったか覚えねえ、旨く云やアがる、妻恋坂下のね建部裏まで通りの客を挽いて往った時に、ぴしゃアりと提灯を切られた時にわっちきもを潰して、あの建部裏のどぶにおっこッちまった、い塩梅に少し摺剥すりむいたばかりでたんと負傷けがはしないが、泥ぼっけえ、寒くて仕方がねえから、夜明よあかしに這入って酒え飲んで、転がっちゃった、処がその客は私ア縁が切れては居るが、かたづいているいもと亭主ていしだ、それとは知らねえでおまはんから何うも………あとは妹一人で仕様がえ、今では横浜はまへ往って居りやすが、何うも身上しんしょうを大きくするくらいの奴は無理な算段でもって店を明けるような事が有ろうが、何うもへゝゝゝゝ、借財がまア多く有ったもんだから店を明けている訳にも往かねえで、今では子供を連れて横浜よこはまへ往ってますが旦那、冗談じゃア無え、あの時私ア拾った煙草入だから五十円じゃア安いもんでしょう」

庄「ふむ、おまえは彼時あんときに挽いてた若衆わかいしゅか」

徳「へゝあの時にわっちア……、彼奴あいつを殺しておまはん金えったんでげしょう、その金での別嬪を身請をして、惚れた同志が夫婦になって葉茶屋を出してるなんてえ、へゝゝゝ羨しい話じゃア有りやせんか、此方こっちゃア未だぶらちゃらして居るんですからすぐにまア野暮な事を云わねえでさ、面倒だア買っといておくんなせい、五十円で是をおまはんが買って下さりゃア私ア其の金を資本もとでにして一商法ひとしょうほう、私が宜くなりゃ浜に居るいもうとも引取って、又おめえさんに恩返おんげいしのられねえでもない、そうすりアおまはんのちったア罪も消えると云うもんだ」

庄「うゝ先刻さっきの煙草入はそれじゃア手許てもとに有るかえ」

徳「ふむ有る〳〵それでねえ」

庄「なアにわしが落した煙草入と違っている、紋は実の花菱と云ったが、一寸ちょいと出して見な」

 車夫くるまやの出すのを取って、

庄「提灯を上げて見な」

徳「えゝ是でがす、よく御覧なせえ」

庄「はア此りゃアなんだ違うよ、大変違うよ(懐中に入れる)」

徳「どゝゝゝ懐に突込つッこんじゃいけません、懐に突込んじゃア」

庄「いよ、違っても違わんでもの時に挽いた若衆わけいしと云やア何にも云わず五十円で買おうが、決して他言をしてくんなさんな」

徳「そりゃア必ず云いません、今こそ車夫しゃふだが大西徳藏、いさゝか徳川のくせい米を食って親を泣かした人間だから、云わんと云ったら口が腐っても云いはしない」

庄「それで安意あんい致した……人が来やしないか」

徳「いや田圃の中で此の大雨、来る人はございやせん」

庄「向うに見える灯火あかりは」

徳「ありゃおまはん藪蕎麦だよ」

庄「おゝあれが藪蕎麦か……向うに見えるは」

 と徳藏に向うへ眼を付けさせて、見ると懐から抜出した合口をって、力にまかせぶつうりと突いたからばたりと前にのめりました。この騒ぎを少しも知らないのはお美代です。おんなは元数寄屋町の有松屋に奉公していたのを、お美代が旦那を持ってから自分の手許てもとに呼んで、昔話をするのをたのしみに致して居ります。

美「今帰ったよ」

婢「おやお帰んなさい」

美「お前後生だからおりが二つあるから、お皿を三つばかり持って来て……くッついていけないから……それは栗の金団きんとんだよ、お前は甘い物がきだから是を上げるよ」

婢「これは私は最う何より旨いと思って居りますよ、それとねねえさんお座敷の時のねえ、あれは何でしたっけね、あの斯うしてそら斯うして丸くって、それ付合つけあわせのお肴でございますよ」

美「おゝそう〳〵、むつの子がお前は嗜きだったね、お前に持って来たんだからおあがりよ」

婢「ほんとにねえ、あの有松屋の婆さんのようにしわい人は有りませんわ、何でもたべろという事が有りません、だからねお芋や何か買っても、あなたも知って入らっしゃるけれども、ほんとに何ですのほゝゝゝあなたなんぞは稼人かせぎにんですからだが、私なんかには焼芋を買っても、一番冷たくなったお尻の方で無くてはいけませんの、あれでお金を溜めたってね、本当にまア悪く云っちゃア済まないが、本当にいまだに覚えて居りますよ」

美「そう〳〵あの時分にお前お砂糖を盗んでなめていた処を見附かった事があったね」

婢「そう〳〵、あゝ知れませんよ、時々さじで出して甜めました事がありましてね、一遍知れたよ、私が口のはた附着くッついていて、少しの間板の間に坐らせられた事が有りましたよ………大層結構な、これは福寿庵の、大層お上手ですこと」

美「あの旦那が元御用達で、旨い物は食べつけて居て、それでお内儀さんが元芸者で苦労して、方々の料理茶屋の物を食べて居るから、何うしてもなんだね調理こしらえは上手だよ」

婢「そうして旦那様は何処どっかへ………」

美「あゝお金を何うとかと云って往ったよ」

婢「大層遅いじゃ有りませんか」

美「なアに今に帰るだろう、旦那が帰ったら一口召上るかも知れないからね、少しお肴を支度して置いておくれ」

 いくら待っても帰りませんので案じていると、ちーん〳〵という二時の時計。

庄「大きに御苦労〳〵、若衆わけいし(車代を払う)………帰ったよ」

婢「はい旦那様がお帰りですよ」

美「あれさ起きなくってもいわ、寝ておいでよ……只今明けますから…………おや車で、若衆わかいしゅさん大きに御苦労」

車「へい」

美「お茶でも飲んでお出でなさいな、そう大きに御苦労様………あなたあんまり遅いからお泊りに成ったのだろうから、私も今寝ようと思った処、あゝい塩梅に一時ひときり降ってから小降りに成りましたねえ、それにね蝙蝠傘は漏りはしませんか」

庄「なに車に乗ったから傘は要らなかった。」

美「そう、ひどいのに何処まで往っておいでなすったの」

庄「王子の茶園に往って送りこみを頼んで来た、二三うちに送り込むだろうが、来なければ又往って遣ろうが」

美「着物が大変泥だらけですね」

庄「えゝ着物か、着換えよう」

美「さアお着換えなさい、何うも是からまアほんとに泥が附いて、ま何うしたんだろう、あら血が附いてますよ」

庄「なゝゝなんだ、あアあのなんだ、こゝ駒込の富士めえの方から帰って来たら、青物市場のとこを通ると、犬が五六匹来やがって足へからまって投げられた、其の時噛合かみあった血だらけの犬が来やがって、己に摺附けたもんだから」

美「あらまアきたないじゃアないか、ちっしましょう」

庄「あゝ其方そっちの二畳の部屋の方へ出して置いてくれ、穢らしいから……おい一杯いっぺえ酒を飲もう」

 と是から酒を飲んでぐうッと寝てしまった。翌日あしたになって車夫くるまやが持って来た煙草入に煙管の事を聞いても、知らんと云い、れやそうじゃない、煙管も知らん、と云ってお美代にも隠し置いたから、たれあって知る者は有りませんが、それから翌年に相成りますると、一げつあたりは未だ寒気も強く、ちょうど雪がどっどと降り出して来ました。幇間たいこもち三八の腰障子のって有る台所に立ちましたのは、奧州屋の女房おふみ、三歳みッつに成る子をおぶいまして、七歳なゝつに成るおとよという子に手を引かれて居ります。駒込片町こまごめかたまち安泊やすどまりに居りまして、切通きりどおしの坂を下りてよう〳〵此処まで来るうちに二度転んだと云う俄盲にわかめくらでございます。柳川紬やながわつむぎあわせ一枚、これも何うも柳川紬と云うと体裁がいが、洗張あらいはりをしたり縫直ぬいなおしたりした黒繻子くろじゅすの半襟が掛けてあるが、化物屋敷のみすのようにずた〳〵になって、王子の製紙場せいしばへ遣っても宜しいという結びだらけの細帯、焼穴やけあなだらけのあめとうの前掛が汚れ切って居ります、豆腐屋の物置から引出したと云うような横倒しに歯の減った下駄を穿いて、ぶる〳〵ふるえながら、

豐「おっかちゃん、ちゃア此処こゝだよ〳〵」

ふみ「はい………御免なさいまし」

女「はい………おや〳〵いけない………其処そこを明けちゃアいけない、北向だから、此処のうちは風が這入って寒くていけないから………もう出てしまって有りませんよ」

ふみ「いえ私は物貰いではございません、三八さんのお宅は此方こちらでございますか」

女「あゝあ………はい手前てまいでございます……お師匠さん貰人もらいにんが来ましたよ、一夜ひとよ明ければすぐに来るんだから驚くね何うも」

三八「どなたで……何方どなたで……」

ふみ「はい誠にお久しゅうございます、私は奧州屋の家内で」

三八「へ、へいへいこりゃア何うも御新造ごしんぞ………何うもあなたお目が悪くおなんなすって、おゝこりゃアお目が………おい〳〵婆さん、あのね足を洗わなければならない、跣足はだしだ、雪の中を跣足で、なにを湯だよ、洗濯のたらいでなくてもいてば、何を、えい強情張らなくても宜い、知ってるお客様だ、手拭てぬぐいたのを持ってお出で………さ此方こっちへ」

ふみ「はい〳〵恐れ入ります」

三八「まア〳〵そんなことは御遠慮なしに、えい這入って宜しゅうございますとも、なアにそんな事を、此方こっちへお上んなさい、嬢ちゃん大層おみおおきくお成んなすった、何ういうまア何ですか、お寒うございましたろう、何処から、駒込から、いやそれは大変でした、さゝ此方へお出でなすって火鉢の側へ、婆さん炭取すみとりを持って来て、其方そっちにも火鉢を出しな大勢だから一つの火鉢にかたまる訳にいかねえ、それからお茶を入れて菓子を出しねえ、何い、そう幾つも手が有りませんと、強情ッぱりばゝあだ……さ此方へ………お変りもございませんで……御難渋の事で、かねて承わって居りますが」

ふみ「申し三八さん、私も此様こんなにおちぶれましてございます」

三「へい誠に御無沙汰致しました、横浜にお出でなさる事は聞きましたが、何うも浜だから一寸お尋ね申す事も出来ず、お目の悪い事も存じませんでしたが、いずれ又病院にでもお入りなすってお療治でも致せば」

ふみ「はい有難うございますが、病院へ入りまして、入院中も種々いろ〳〵お医者様も御丹誠なすって下すったが、何うも治りません眼と見えまして、もう何も売尽うりつくしまして此様なにおちぶれ果てました、わたくしはもう前世まえのよの約束だと思って居りますが、親の因果が子にむくうとやら、何にも知りません子供たちにまで(涙をふき)ひもじいめをさせます、何方どちらと云って知っている人もございませんで、始めの程は御懇意様やお慈悲深き方から救われましたが、又二度とも参られませず、新助がお馴染でございますから、何うか三八さん(歔欷すゝりなく)あなたのとこへなんぞ申して参られた訳ではございませんが、能々よく〳〵思召おぼしめして、子供を可愛想と思って、少しばかりお恵みなすって下さい(泣伏なきふす昨日きのうから子供達には未だ御飯ごぜんを食べさせません、今朝程少しばかりお芋を買って食べさせましただけで」

三「おゝゝおや御新造何うも何ともはや、人という者は何うも過ぎて見なけりア事の分らねえもんでげすが、あなたのとこは結構なお身代で、旦那さんは一寸お出での時も金側きんがわの時計を頼まれ物だとおっしゃって、五つも六つも持っておいでなさる、あの御身代が今のお身の上、三八などは前から貧乏だから格別貧を苦にも致しませんが、良い人ががたりと斯うなるというと誠にお困りなさる、矢張やっぱりあなたなんぞは結構のお身の上だけに、貧乏にひどく驚くと云うもんで……旦那様が妻恋坂下で三年あとに御切腹なすったと云うのだから、これが何うも驚きましたね、何うも」

ふみ「はい、それにねあなた、あの時に人様からお預かり申した大金がございます、それと金側の時計が一つ紛失なくなりました、かねもございませんから、若し盗賊にでも取られまして、それであゝいう堅い気性でございまして、はッと取りのぼせましたか、又預り金を取られ申し訳が無いと切羽詰りに成りまして、あゝいうことに成りましたか、もう歿なくなりますると、中々先の貸金は参りませんで、借財も多くございましたから、人様も、道具を運んでしまって、他家わきへ預けて身代限りを出して仕舞え、そうすりアあとの様にも身代が出来ると云ってくれたお人も有りましたが、得心づくで借りた借財、何うしてあなた、そんな事が出来ましょう伽蘭堂がらんどうにしてお渡し申して、残らず店の品物まで売り尽しましてお返し申したから、手許てもとへは僅か百二三十円有りましたが、それから私は眼が悪くなり、病院に這入ったり何や彼やで遣い果し、浜でも富貴楼の御夫婦が御親切になすって下さったが、東京こっち親戚みよりも有りますから、それを力にのぼりますると、昨年の九月其の親戚の者も何ういう因縁でございますか人手に掛って非業な目にい、その葬式とむらいまで困る中で私が出す様な訳、何処と云って頼るとこもございませんから、駒込片町の三春屋みはるやと申す安泊やすどまりに居りまする」

三「おや〳〵何うも間が悪いと悪い事ばかり出来て、間が善くなると一切何うも善い事ばかり出て来るものだから、又是から悪い事ばかりも有りますまいから、御心配なさんな、わたしはお金も何も無いから、芸者屋へきましょう、旦那様から御祝儀を頂いた芸者から勧化帳かんげちょうでなく、小さな一寸した帳面を拵えて往って、志を何程でも、旦那様のなんでがす、御贔屓になすった芳町よしちょう金八きんぱちにお豐も御ひいきに成りました、義理が有るとこで、まず松源と鳥八十、大茂へまいりまして、又下谷の芸妓ではお稻に小〆こしめ小竹こたけ、小ゑつ、おみき………兎も角も私が往って貰うような事にしましょう、若いとこの芸者や何かは会の義理を出すと思えば貴方一寸びらを拵えても、びらが五十銭に贈物おくりものが二円も掛る、大した散財に成るんだもの、それは又僕が何うにも致しやす、何うにか成りますよ、気を落しちゃアいけません、嬢ちゃん何うも温順おとなしくお成んなすったが、何うもお加減が悪うございますか、大層お痩せなすって」

ふみ「なにあなたね、続いて二日ぐらい食べぬ事が有りまして、又食べさして又たたた食べ……(泣沈む)何うもがゞ餓鬼道のようでございますからせます訳でございます」

豐「おっかちゃん、おまんまが食べちゃいなア」

三「おゝ〳〵上げます〳〵………婆さんお膳立をしてくんな、な何を、お飯を何うしたと、ひやではいけませんあったかいのを、おひなさんとこへ往って借りて来な、何か無いかうちに、何を何処かに往って鳥鍋かよせ鍋でも何でも熱い物でさいあれば………なにを雪が降ってる、雪だってお前春の雪、そんなに寒い事はない………さゝ御飯おまんまを」

 これから親子の者にお飯を食べさせたので、大きにあったまりがついた。

三「もし男の胴着や何かは女には着悪きにくいが、うちには独身者ひとりものですから、女がるにはりますが女の部には這入はいらねえで、女の大博士に成っちまって、羽が生えて飛びそうな雇婆やといばゝあです、えいまアお前さんは少し此家こゝにお待ちなさい、集めて見ましょう、いけないと云ったらお前さんも御一緒にお出でなさるよう、先方むこうだって人情ですから出しましょう」

 と是から三八は先ず彼方此方そちらこちらを頼みちらかして歩くと、立引たてひきにア見得張みえばる商売ですから、あの人が幾許いくら出したから、まアわたしも幾許出そうと云うので、多分にお金が集って来ました。

三「もし御新造さん旦那がい方で物を遣って有るから、旦那の愛敬で何うもお気の毒だ、わちきにも出さしてくれと云って呉れます、若い芸者衆やなんども、呼ばれた事は無くてもお名を聞いたばかりで出すから、三八出さしておくんなさいと、これが旦那の徳と云うものは恐ろしいもんで、何うも大したもので、是から柳橋と新橋と吉原へまいりましょう」

ふみ「はい〳〵何ともまア………それもあなた様の御親切で」

三「此の他にはまるで方なしのとこにはかれませんが、あゝい事が有りますぜ、旦那が一番贔屓にしてくれた人という者は何で美代吉さんです、是が運の善い人で、自分がほれた男に請出されて、蠣殻町に居たのだが、越して新らしく此の頃建った家を借りて、それが今御徒町おかちまち一丁目の十六番地へ葉茶屋を出しました、松山園まつやまえんとかいう暖簾のれんを出して、亭主おやだまの方が坊ちゃん育ちの善い人だから、それに美代ちゃんは旦那に御贔屓になったんですから………分らねえ奴は有松屋のばゞアさ、何だかぐず〳〵云いやがって、いやならしやアがれとも云わないが………それとちがい是は大丈夫だ、先方むこうが大きいから二十円や三十円は出してくれるかも知れないが、まアあなたを連れてって見せなくてはいけない」

ふみ「何ともお礼の申し上げ様もございません」

三「何う致しまして、なんにしろ跣足はだしじゃアけません、何に仕ましょうか、車をそう云ってお呉れ、此の嬢ちゃんと合乗あいのりに乗って三人に成ります、それ故に三人乗ってそろ〳〵いて、僕はむだだからぼつ〳〵下駄を穿いて歩いて往く方が便利だ」

 と親切な男で、車を拵えて、余り遠くも有りません御徒町松山園に参り、台所から、

三「へい今日こんちは、夜分おそく出まして、相済みません」

婢「はい入らっしゃい何方様どちらさま

三「えい御叮嚀ごていねいでは困ります、数寄屋町の三八で」

婢「勘八かんぱちさんと仰しゃりますか」

三「勘八ではございません、三八ですとそう仰しゃって下さいまし」

婢「はい、あの何です数寄屋町の雁八がんぱちさんという方が入らっしゃいました」

三「何うでも間違ってやがらア」

美「そう、おやまア何だね、表から這入ればいのに」

三「いえお店の方から這入って茶の壺を引倒した事がございますから……誠に御無沙汰致しました」

美「もし此方こっちへお上んなさいな」

三「お取膳とりぜんで、八寸を四寸ずつ喰う仲の善さ、という川柳があります」

美「何をえ」

三「何でも始めはきたない物を連れて来たが、段々綺麗なお話に成るので……旦那誠に御無沙汰を」

庄「おや、さ、此方こちらへお這入んなさい」

 膳を片附けそうにするを無理に止めます。庄三郎は織色おりいろの羽織をまして、二子ふたこの茶のくろっぽいしま布子ぬのこに縞の前掛に、帯は八王子博多を締めて、商人然としている。かた〳〵の方は南部の乱立らんたつあらっぽい縞の小袖、これは芸妓の時の着替をふだん着に卸したと云うような著物きものに、帯が翁格子おきなごうしと紺の唐繻子とうじゅすと腹合せの帯を締めて、丸髷に浅黄鹿子あさぎかのこの手柄が掛って、少し晴々はで〳〵しい商人の細君然たるこしらえでも自然に垢がけて居ります。仲の善い夫婦で、思いに思った仲でございますから、おまんまを食べても物をつゝき合って食べるが面白いという間柄です。三八も馴染だから、

庄「さ此方こちらへ」

三「旦那追々御繁昌で」

庄「此の間は何うも何ですな、池の端の方へ小僧に持たして遣りました時に多分に買って下さって」

三「いや何でも多量たんとという訳にはきませんが」

庄「なにちっとずつでも度々たび〳〵買ってくれる人が有ればいので」

三「大変に何うも、いえ評判が宜うがす、一つは此方こちらの御新造が御器量がいからお茶の色がよく出ますとね」

美「あら何うもいろが出る、いやな油だ事よ」

三「そういう訳ではない御新造様」

美「御新造様なんて名をお云いな」

三「それ何うも凛々りゝしく成っちまって気が詰ります……おかみさん、誠に何うも御無心に来たんです、芸者衆のとこに斯うやって帳面を持って貰って歩いて、金も集りましたが、是では何うも親子三人行立ゆきたたないので……世帯しょたいを持たしてんな商法でもさせたいと思ってもおっかさんが目が悪いんですから、と云って親の有る者は育児院では入れてはくれますまいから、仕様が無いから、何うか工夫をするにも金さいありア附かない事も有りません、それは他でも有りません、あなたを日頃御贔屓にした奧州屋の」

美「奧州屋の、おや」

三「それ美土代町の新助さん、妻恋坂下の切腹三法南無三法さ」

美「あゝそうかね、それが何うしたの」

三「何うしたって仕ねえって、驚いたね何うも、駒込の安泊やすどまりに居るってえんで、何だか目が潰れてしまって、本郷の切通きりどおしを下りるにも三とか四たびとか転んだが、下へ転がり切らなけりゃア、落著おちついてこれから歩き出すという身の上にゃアかないてえんで」

美「何うぞ此方こっちへお這入りなすって………お初にお目に懸ります、かねてお噂には聞いて居りましたが、さア此方へお這入んなさい………この火をなんして上げな」

ふみ「お初にお目に懸ります、新助はお心安いそうでございますが、わたくしはお目に懸った事も無いに、新助がんな訳に成りましてから、だん〳〵零落いたして………親子の難儀を三八さんが可愛相と仰しゃって下さって、此方様こちらさままで御無理を願いに上って………お蔭様で親子の命が助かります、誠にお気の毒様で」

庄「お、いゝや御心配しなさんな、三八さんわたくしは何でもお力に成りますから、まア〳〵心配しなさんな」

 と庄三郎親子ぐるみ引取って世話をにゃならんがなまじいに云い出してはと庄三郎思案にくれました。お美代は知りませんから此方こちらと是から昔物語になりますと云う、ちょっと一と息。


        七


 そこでお美代が火鉢に沢山たんと火を取りまして、親子の者を五徳に並べて、たっぷりとした茶碗に茶を入れて出します。有合わしたお菓子を紙に包んで子供にあてがい、

ふみ「おや有難うございます、お構いなすって下さいますな、有難う存じます」

美「おや可愛らしい事ね、女のお子さん、お何歳いくつに成ります」

ふみ「はい七歳なゝつでございます、豐と申します」

美「おゝそう親の無いかた温順おとなしいもんですね、可愛いじゃないか何うも、おちいさいほうは」

ふみ「はい男でございまして、三歳みッつで新太郎と申します」

美「そう、温順しい事ね、叔母ちゃんとこに今夜は最う遅いから泊ってお出でよ、泊ってもいかい」

豐「あゝおっかちゃん、あの叔母ちゃんが泊れと仰しゃるから泊るよ、泊っても宜いかえ」

ふみ「いえもうきたない姿で……何うかお邪魔に成りませんお台所だいどこの隅にでもおかしなさって、今居ります安泊りのような、あんな穢いとこに居るものでございますから、只を明かさしてさえ頂けば……これ、そう戴いてすぐに食べるものではない、お行儀の悪い……久しくお菓子も買って食べさせる事が出来ませんから……こんな育て様は致しませんが、この頃はがつ〳〵致しまして、幾ら小言を申しても、下さると直に食べるので……そんなにお口に入れる者じゃアないよ」

豐「だってもね、わたいは食べたいもの、あのぽんぽが空いてるから」

三「まことにお可愛そうじゃア有りませんか、これが奧州屋のお嬢ちゃんやお坊ちゃんとは思われません………えゝなに子供しゅだから気儘いっぱいにさせて置くが宜しい、実に乱暴なが有りますからな、此の間も私のうちに這入り込んで、鍋や何かの物を掴み出して食ったり、種々いろ〳〵器物ものほうったりして何うも……それに旦那のないのちに此のお内儀かみさんが正直な気性だから、身代限を出す時にも大概の横著おうちゃくの奴なら、道具や何かは親類にこかして空明からあきにして預けて、あとでずうッと品物が廻って来るようにと云うのが普通あたりまえだのに、残らず店の品物まで売ったという、そうして先方むこうに心配を掛けないなんて……矢張やっぱりあなたそう〳〵悪い事ばかりはございませんから、まアお眼を…何うか一番上手なお医者さんにてお貰いなさい、おゝ永田町の伊藤方成いとうほうせい先生が、私はあの方に御贔屓になった事がございますから、そのうち又願いに出ましょう、貧乏人にはお薬をたゞくれるてえんでございますから、私が頂いてまいりましょう、それはお上手な事は、お医者さんがわるいと伊藤さんにかゝると云うくらいだから、内瘴そこひが眼が明いて駈け出したりなんかするんで、何うも不思議じゃア有りませんか、それにお嬢ちゃんも七歳なゝつにお成んなさりゃア学校に入れて教育しなくては、そして御親類と申すのは何ういうなんです」

ふみ「はい、私の兄で元徳川の士族でございまして、大西徳左衞門おおにしとくざえもんという者の総領で、この兄の名は徳造と申して、これも峯樹院様の御用達をして百俵も頂いて居りましたが、放蕩無頼で、蔵宿くらやどには借財も出来、頂戴物やら先祖の遺物ゆいもつまで何もも遣い果し、しまいには私の身体まで売ろうとして、私をだまして悪いとこへ沈めようと掛りましたくらいの磊落者らいらくものでございます、それでもたった一人の兄でございますから、また相談に乗らない事も有るまいと浜から出て来て見ますと、昨年の九月四日谷中の蛍沢というところで非業の死をいたし………是も乱暴のばちでございましょうが、殺した奴は何者でございますか、多分御酒ごしゅを飲んで暴れか何か致して斬り殺されてしまいましたのでございましょう、その検屍の事から葬式も此の難儀の中でわたくしが出す様な事でございまして」

三「へいえ何うもお不仕合せ、なれども御新造さんは根が武士のお嬢さんだから何うもと平常ふだん私が申して居りました、一昨年おととし花の時に御新造様の御様子が何うも町人とは違いますと云いますと、旦那が、えゝなアになんてごまかして仰しゃらなかったが、何うも違うと思って居りました、兄様あにさんと云うのはひどうございますね、一体何をしてお居でなさったので」

ふみ「はい、零落おちぶれまして車をいて居りました」

三「車夫くるまやを殺して何もる訳もないのですからな、何うも中に筒ッぽの古いのが丸めて這入ってるだけですからな」

ふみ「はい、矢張やっぱりお酒を飲むかなんかして、暴れて斬られたのでしょう……あれが」

三「いえ何うもそれに、あなたの処の旦那の何うも腹切りが、何うしても、分らないというのです、そりゃア何方どちらでも評判です、あのように沈著おちついて居る方がね何うも」

美「ちょっと三八さん、あの何だね、一昨年おととしの九月四日にね………贔屓だって情夫いろでも何でも無いのですが………あの晩にお帰りなさらなきゃア彼様あんなことは無いものを……あれをお帰んなすった晩だよ」

三「そうですな、何ういう訳でがしょうな、あれは」

ふみ「はい何うも御検屍を願いまして腹を切ったという事には成りましたけれども、もう実は仰しゃる通り沈著者おちつきもので、種々いろ〳〵に分別して、人という者は事を落著おちつけ心を静めて見れば、んな事でも死なずに済むものだと申して、おれなんぞは是まで苦労をして来たから何んな貧乏に零落おちぶれても困りはしない、又工面が宜く成っても困りはしない、何でも詰らない事をくよ〳〵思うな、心を広く持ってと、一寸寝酒を飲みましては私共の心の落著くように云ってくれまする、貯えて居りました金子は他人ひとの預かり物ですが、それが有りませんでしたから、多分盗賊ものどりだろうと思います、それに金側きんがわの時計がございません、何うも腹ア切ったあとで、まさかあんな姿をしている処を盗賊どろぼうも掛りますまいとは思いますが」

三「そう云えばの時に何ですね、乗ってお帰りなすった車夫くるまやね、何だかぶき〳〵した奴ね、車夫さん急いでお呉れったら、急げたって人間の歩くだけきゃア歩けやしないって、私ア忌々いま〳〵しくていまだに忘れられねえ、彼奴あいつが何うもなんとも云えませんよ、何うも変な奴だね、実に何うも腹を切るというは妙ですな、それとも預かり物を取られまして、先方に申訳が無いという堅いお気性で」

ふみ「はい、私の良人つれあいは元は会津様の藩中でございまして、少しばかりお高を頂いて居りましたから、今では商人に成りましても武士の心は離れません、あゝ済まないと、堅い気性から切羽詰りに相成って」

美「もしあの奧州屋の旦那様は会津様の御家来ですの、会津様の何というお方、重役おもやくのお方でございますか」

ふみ「はい、私もくわしいことは知りませんが、お高も余程頂戴致した様子………松山久馬の次男の久次郎と申す者だとよく私に申しました」

美「あらまア、まア何うも、あら松山さんていの、あらまア一寸三八さん旦那は私のあにさんだよ、何うもまア」

ふみ「はゝア、あなたはお妹御いもとごあらまア」

美「私がね生れると、道楽で御勘当になったという話をおっかさんが死ぬ前に私に申したんですよ、おあにいさんは家出をしてしまったッて、私が生れて間もない折ですよ、お兄さんにいさいすれば力に成ると思って、私は神信心かみしんじんして居たが………道理で、それ私のおとっさんの書いた短冊が貼って有ったら、うちへ来て」

三「そう〳〵、そう仰しゃれば思い出した、あの時ぽろりとお泣きなすった……それからあなたの身請の相談、これは本心放埓ほうらつで、かたきを討つ所存はねえにきわまったとも云わないが、請け出しに掛った時は変だと思って居りました」

美「だからねにいさんは只可愛がりなすったのだよ、それで無くてあんなに可愛がる筈はありゃアしないね、知ってたから」

三「あの何うもその短冊が何うとか云いましたね、親が何うとかして何うとかだって………あれからお上りになって、それで身請と成ったんでしょう、だけれども間夫まぶが有るなら添わして遣ると、何うも由良之助見ていな事をおっしゃったが、その帰りに與市兵衞よいちべえ見ていに殺されるていのは何うも分んねえ」

美「殺されたのならば私も何うも残念でたまりませんよ」

ふみ「私も何うも人手に掛ったと存じますが、もし殺した奴でも分ったら、眼が見えなくとも武士のいえに生れた女、亭主のあだを尋ね探して討ちたい心も有りましたが……あゝ斯様に盲人めくらに成りましては」

美「おゝ不思議な御縁でお目に懸りました、私の兄の女房なら私の為にはやっぱりねえさん、あにさんの敵だって討てない事は有りません、ねえ庄さん、おねがいですから若しも敵が知れましたら、藤川さん貴方も以前はお旗下はたもとではありませんか、たとえ女の細腕でも武士の家に生れた私です、一生懸命になりますから、助太刀して、屹度きっと知れたら、敵を捜して討たして下さい」

 というのを聞いて居りましたおとよが七歳なゝつでは有りますが、怜悧りこうな子でありますから、

豐「おっかちゃん、おとっちゃんを殺した奴が有れば、豐ちゃんも敵を討ちます、この叔父ちゃんに手伝って頂いて、ね叔父ちゃん手伝って敵を討たして下さいよ」

ふみ「あい〳〵よくお云いだ〳〵、死んだお父さんが草葉の蔭で聞いたらさぞお喜びなさるだろう………親孝行の事を云っておくれだ」

三「へい感心々々感心」

ふみ「只今の世の中では敵を討つことの出来ない世の中とはかねて聞いては居りますが私は昔風で、何うか敵を討ちとうございます、もし敵が知れたらば私さえ殺されゝば宜しゅうございましょうから、何うぞ敵を討たして下さいまし」

三「まア〳〵感心だ、実に年はかないが、是は矢張やはり松山さんのおたねだけ有って、私ア聞いて居てぽろりと来ました、いやこれは誰でもポロときますよ、私はね芝居でも世話場でちょっと此様こんな子役の出る芝居へ往って見物していると、子役が出て母様かゝさまというと、まだ何だか解らないうちにぽろ〳〵と直ぐお出でなさる、誠に何うも恐れ入りました」

庄「三八さん、此の親子の衆はわしが引取って又敵を討たせる時も有ろうし、なんにしても親切にしておくれで、今夜は雪が降るからお泊め申すから、安心して置いて帰って下さい」

三「有難う、だから此方こちらに参ると申したんです、有松屋の婆さんは出しませんね、何うかお前さん旦那も来て始めて逢った時にもあゝしてくれたんだからと云っても、決してそんな事をする義理合ぎりあいは有りませんと云うような顔附から、慾にばかり目を附けるばゝあで、彼奴あいつは腹でも切りそうな婆です………まおいとま致しましょう、へい左様なら御機嫌宜しゅう」

美「まことにお草々そう〳〵致しました、車でも」

三「えい私のうちに帰るんですから、なに車も待たして置きましたから、ちょうどあの車に乗って帰ります、へい左様ならお女中、御新様ごしんさまそれじゃおとまんなすって………左様なら」

 と三八は帰ってしまう。これからあったかい物でおまんまを食べさせて、親子の者を丁寧に客座敷のかたに寝かして、自分は六畳の茶の間の方に寝ました。が明けると、お美代が側に床を並べて寝ていた庄三郎の居ないに驚いた。

美「何処へ往ったろう………旦那は何処かへお出でなすった………かねや(下女の名)旦那はお手水ちょうずかえ」

兼「いゝえ存じませんよ、先刻さっきから此処で焚き附けて居りますが、知りませんよ」

美「何処へ往ったんだろう」

 と呼んでも音も沙汰も無い。はて変だ。と思って二畳の処を開けに掛ると、栓張しんばりってあって唐紙からかみが明きません。

美「旦那」

 と、ゆすぶるとたんにがらりと転げた音がする。飛び込んで見ると藤川庄三郎は何時いつの間にか合口を取って、立派に腹一文字に掻切って死んで居りました。びっくりしたのはお美代。

美「さアみんな起きてお出でなさい、良人うちのひとが腹を切りました」

 というから店の者も出てまいった。店もまだ開けないうちでございますが、目の見えないおふみまでも来て子供も死骸に取りすがって泣き出しまする。するとかたわら硯箱すゞりばこの上に書残した一封が有ります。これを開いて見ると、

書遺かきのこし候我等一昨年いっさくねん九月四日の奧州屋新助殿をおひさの実の兄と知らず身請されては一分立たずと若気の至りにて妻恋坂下に待受まちうけして新助殿を殺害せつがい致し候其の時新助殿始めて松山の次男なる事を打明うちあかし十九ケ年の年月としつきを経ていもとお久に巡り合い身請をして此の庄三郎と夫婦にさせんと存じて約束致し候其の帰りみちなりかくなるは不孝の罪持合もちあわせたるかね五百両は其方様そなたさまに差し上げ候間是にて妹お久を身請して女房にょうぼとなし松山のいえを立てさせくれと今際いまわの頼み其の場はのがれ去り其のきん五百円にてお久を身受致みうけいたし夫婦と相成候それ故に苗字をとって松山園となづけ居りしが昨夜親子の困難を見殊に助太刀の頼み人は知らねど心の苦しさ又昨年蛍沢にて殺害したる車夫しゃふ徳藏は妻恋坂下にて新助殿を殺したる時に乗せたる車夫にて其の時取り落したる煙草入を所持なし居り是を買いくれよと云いかけられ是非無く殺害したるに新助殿妻おふみ殿の兄御あにごとは露知らず昨夜の物語に始めて知り兄良人おっとあだ申訳相立たず自害致し相果て候我等なき後々あと〳〵は我が財産は松山の御子達おこたちへ引渡し候処実証じっしょうなり松山の家名は二人の子供を以て跡目相続を頼み入り候妻お久は年若故再縁致し候様我は兄貴の仇なり心を残さぬ様にかく書残し候

 との書置に皆打驚き、匆々そう〳〵差配人差添えの上で訴えに相成ります。漸く事済ことずみになって、此のおふみの子供をもて相続人に相定めまする。又お美代は後、後家を立て通して居りましたという。おふみが死去の後に子供等が引続きまして松山の家を立てまする。御徒町の腹切はらきりと人の噂を聞きまして、愚作なれど一冊のお話にまとめました、松と藤のお話でございますが、先ずこれで全尾ぜんびでございます。

(拠酒井昇造、佃與次郎速記)

底本:「圓朝全集 巻の二」近代文芸資料複刻叢書、世界文庫

   1963(昭和38)年710日発行

底本の親本:「圓朝全集 卷の二」春陽堂

   1927(昭和2)年1225日発行

※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。

ただし、話芸の速記を元にした底本の特徴を残すために、繰り返し記号はそのまま用いました。

また、総ルビの底本から、振り仮名の一部を省きました。

底本中ではばらばらに用いられている、「其の」と「其」、「此の」と「此」、「の」と「あの」は、それぞれ「其の」「此の」「彼の」に統一しました。

また、底本中では改行されていませんが、会話文の前後で段落をあらため、会話文の終わりを示す句読点は、受けのかぎ括弧にかえました。

入力:小林繁雄

校正:松永正敏

2005年1019日作成

青空文庫作成ファイル:

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