今年こそは
宮本百合子
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今年はいろいろな意味で非常に重大な年だと思います。それで個人の抱負と云う様な小さいものでなく、大きく日本人全体としての心構えとでも申しましょうか、それでよろしいでしょうね……
私達の生きている二十世紀も今年で丁度一九五〇年、真中の一つのけじめにかかりました。去年はアジアにとってきわめて意味深い大きな出来ごとがあって、遂に中国は新しい中華人民共和国として誕生しました。
支那と云えば明治の始めから私達日本の人民は何時もなんとなしにおとった人民の様に思いこまされて居って、日清、日露そして第二次世界大戦に於ての中国全土にわたる日本軍の侵リャクを大して人道的に罪だとも思わせられない様になっていました。
しかし中国の人々は日本軍から受けた惨ギャクと永年の搾取に対して、決して忘れてはいないと思います。丁度吉田内閣で首切られた全逓のどんな組合員でも、自分がどういう政府によって生活を奪われたかと云う事、そしてそれに対する抗議さえも奪われたと云う事に対して忘れる人がない様に……
中国が人民共和国になったという事はアジアの婦人達みんなにとって、まったく人ごとではありません。何故ならこうして新しい社会に生きられる様になった中国人民、婦人達こそ、日本の人民が婦人が帝国主義の戦争によってどんなに苦しめられ、そして今も尚買弁的な政府のもとで不幸を解決されずにいるかと云う事を真に理解し、同情する事の出来る人々です。
彼女達の処にも不安定な条件は大きくあるけれども、もう一日一日と生活を向上させてゆく目あてはハッキリつきました。
私達はこの地球でもっとも広い地域を示している新中国の人民の勝利を、ただ「いいわね」と云って眺めたり、やたらにノボセタリしてはいられないと思います。
一九五〇年の私達の課題は日本が全面的な講和によって、次の戦争に利用する事の出来る従順な八千五百万の住民と云うノロワシイ条件を克服しなければなりません。
私達は優しい日本の心、素直な女のものわかりよさと云う、オアイソに乗って、自分達の上に実際に影を落しているものがなんであるかを考えもしないでいては大変です。講和というような事柄は大きい問題だからそれが働く人に関係のある事なら男の組合員がなんとか決議してくれるだろうし、政府もまさか日本のみんながドレイになる様な事は出来まいと考えているとすれば、あんまり、あま過ぎます。吉田首相は去年の秋頃、読売新聞の馬場社長と対談の中で、日本の将来について、先ず「外国人の安住の地に」したいと云う意味の事を話していました。(国内では何万の人々を首切りながら)私はその一言がどうしても忘れられません。日本は日本の人民の祖国であり、皆がそこで真面目に働いて、愛する土地での生活を美しく、人間らしくしたいと願っているのです。
講和の出た去年の十一月下旬、新聞が集めたアンケートでは面白い事に、警視総監のような政府の役人と株屋と徳川夢声等が単独講和でも早いほうがよいという回答をしています。そして石川達三、石坂洋次郎、丹羽文雄、その他の作家や学者のある人は、全面講和でなければいけないと主張しています。
実際に世界の平和と日本の自立の為には、日本管理に関係のあるソヴェト同盟、中華人民共和国、その他オーストラリヤ、イギリスその他の国々の同意がなければなりません。
私達はうっかりしていて、思いもかけない事になるような講和は御免です。
今年の前半は去年から引続き三鷹事件の公判が続くでしょう。この公判には組合の人々も都合して一人でも多く傍聴する必要があります。検事が不当な取調べをしたと云う事は公判第一日から五回迄の陳述の中に、ハッキリ述べられています。林弁護人の陳述の中では検事団が三鷹事件の証人を検事側に有利に利用する為には偽証罪をふりかざし、証人呼び出しの不意打ちなどの技術を指導している事実が語られています。権力が私達すべての人民に共通な人権を踏みにじってゆく方法はこの様に計画的であり、普通の心では信じにくい程です。
講和と云う様な我々人民の運命を決定する重大な場合、私達はまさかと云う言葉を放逐しなければいけません。
世界の民主的な勢力が、私達日本の健気に働く女性の一人一人を支援している力を確信してアジアの幸福と日本の幸福が一つものとして解決されてゆく様に努力致しましょう。
私は去年の暮から大変体を悪くして、外出や講演が出来なくなったのでいろいろな組合からの御依頼も果せずにおります。組合の中には随分文学好きな方もあって、全逓の作品集『檻の中』が出ている位ですから私も健康が許す様になったらサークルにも出席してみたいし、いろいろな御依頼も果してゆきたいと思います。
底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
初出:「ぜんていグラフ」
1950(昭和25)年1月号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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