目をあいて見る
宮本百合子
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帝銀事件として、帝国銀行椎名町支店におこった全行員から小使一家までの毒殺事件は、意味のわからないほど惨酷な毒殺方法で、すべての人の心を寒くした。犯人の目星がついた、つかないと、推理小説家まで動員されてのさわぎのうちに、日は一日と過ぎている。人の噂も七十五日、という日本らしい健忘症のうちに消しさられないことを切望する。
この帝銀事件が、わたしたちに教えていることは極めて意味がふかい。人間を殺すことを平気でやれるように、日夜教育し実践させた戦争の犯罪性が、まざまざと反映している上に、おどろくような権力への屈従癖が惨劇の発端をなしていることである。椎名町支店長は、痛恨をもって、自分が、怪人物の腕に巻いていた衛生局の腕章にけおされて、行員にも服薬させたことを告白している。そして、日本人のわるい癖で役所からというとつい服従する、と歎いて語った。
日本の人民は、久しい絶対主義と封建性とで、お上、役所、役人、何でも官僚的な権力に対して、殆ど独立人としての判断さえ示さない習慣がある。長いものには巻かれろ、という封建時代のことわざを、言葉として否定していても、精神は屈従し、打算保身は膝をかがめさせる。そのために毒薬さえすらりとのまされた。青酸加里を毒物と知っている人民も、政府予算の八五%は働く人民の懐からまき上げるという、間接殺人は頂いて、更に二百万人の馘首をしようとしている保守政府を頂いてもよさそうな輿論を示すものさえある。中毒する大豆粉にも、政府の命令ならば感謝する日本人というものを、軽蔑しないものがあろうか。日本の反民主的な勢力は、自分の失敗をなくすのに、二つの英語の略語を利用する。
わたしたち日本の人民は、人民の合議の上で決定される社会の運営法があるのだ、ということを、もっと現実的に知るべきである。民主主義ということは、わたしたち一人一人の常識と正義感と人間らしい矜持に立つ毅然とした態度であることを自覚しなければならない。人民の汗と血が八十一億の金となって官僚をやしない二六四億の終戦処理費となっている。こういうことについて、はっきり目をあけて、自分たちの運命の主人となってゆく努力をしなければならない。
底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
1953(昭和28)年1月発行
初出:「サン・ニュース」
1948(昭和23)年5月10日号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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