待呆け議会風景
宮本百合子
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けさ、新聞をひろげたら、『衆院傍聴席にも首相の「若き顔」』として、米内首相の子息の学生服姿が出ている。本当にこの息子さんの面ざしはお父さんの俤を湛えているけれども、この若人も、きのうはやっぱり地下室に蜒々と連らなった人の列に立ちまじって、先ず制服の警官にすっかり身体検査されたのかしらと面白く思った。
十一時までに入らないといけないということをきいたので、議事堂の建物からいえば横裏にあたる門から入って行ったら、もうぎっしりの人の列であった。携帯品預かり所の印半纏の爺さんが「細かいものは風呂敷に包むなり、ポケットへ入れるなりして下さい」と黒山の人の頭越しにどなっている。外套、帽子、襟巻、風呂敷包み、袋、傘、ステッキ。普通携帯品といわれる観念で、それらの品々をあずけた人が、そこから入った柵のところで警官に体をしらべて貰って、困った表情でいるのを見ると、眼鏡のケースを片手に握って当惑しているのであった。へえ、そうですか、こんなものもねえ。そういいながら、黒山の人だかりの方へ視線を向けて弱っている。
そこを通って、綺麗に真鍮の磨かれた階段をいくつか登ると、傍聴券検査所と黒札の下ったところへ入った。そこには詰襟のフロックコートへ銀モールをつけたような制服の守衛とくすんだ色の上被りをつけた四十前後の女のひとが二三人いて、婦人傍聴人は一人一人その女のひとがまたすっかり帯の下へまで手を入れて調べるのであった。財布もここでは出した。外からさわってみてこれは何ですかしら、判ですか、鍵でしょうか。しきりに押している私の財布には、口紅が入っていた。口紅だと思いますけれど。──おあけ下さい。そういうと、女のひとは、失礼しますと財布をあけて、その口紅を見た。これらは、至極丁寧な根気づよい態度でされるのであった。
傍聴人控室へまで入ったときは婦人の傍聴人の誰一人としてハンドバッグを持っている者はないし、男にしろ鉛筆一本も持ってはいない。
控室には弁当、寿司、サンドウィッチなどを売る店があって、なかなか繁昌だ。十一時ごろ控室まで入って、十一時半傍聴席へ入場して、開会は一時というのだから、この店も自然と繁昌する刻限である。地方から上京して来ている相当の年配の、村の有力者という風采の男が相当多い。背中に大きい縫紋のついた羽織に、うしろ下りの袴姿で、弁当などつかっている。
婦人の傍聴人はその間にちらり、ちらりと見えるだけであった。ベンチのとなりに派手な装いの二十四、五の女のひとがいたが、茶色の背広をつけた頭の禿げた男がぶらりぶらりとこちらへ来て通りすがりに何か一寸その女のひとに言葉をかけて行った。そばにいる者にききとれない位にかけられた言葉であるけれども、それに応えてその女のひとが瞬間に示した嫣然たる笑みは、元より妻の笑顔ではないし、娘が父への笑い顔でもない。控室はこんな情景も閃くのである。刻々つのって来る人々の動きに押されたようにして、ここにも守衛が立っている。
やがて十一時半になって、詰め合って並んでいた列が動き出した。こういう場所の光景に馴れない目には、どの人も一様に片手に傍聴券と財布、紙、ハンカチーフなどをもち添えて、後から押されながら顎をつき出す形で一人ずつ狭く扉を入ってゆく様子が何とはなしまことに奇妙である。次のどこかで着物までもぬぐ下準備のような感じだが、もちろんそんなことはなく、そこでやっと議長席と向い合った棧敷の傍聴席に落付くことが出来たのであった。
外からあの白っぽい記念塔めいた陰気な建物を遠望するよりここから眺める内部の方が遙にましな感じである。議席も議長席も傍聴席と同じおだやかな藍灰色の天鵞絨ばりで、下は暗赤色の絨氈がしきつめられている。半円形に並べられている議席はまだ空虚で、一段高くしつらえられた議長席のヨーロッパ風な背高椅子や、そのすこし下の左右に翼をはっている大臣席など出場を待たせる雰囲気を醸しながらステインド・グラスの格天井からさして来る曇った冬の日光の底に静まりかえっている。
大分たって振りかえって見ると、婦人席も満員になっている。まだ大した人が外に待っておりますのよ、といっている声がきこえる。女の人ではなく、それは男の人たちということである。まだ四五百人おりますって。初めの一区切りは六百番まで入ったのだが、傍聴券は数の制限なしに出されるものだろうか。一般傍聴席は婦人席の五六十人分を入れて、七八百ぐらいあるのかしら。きょうは特別多いんでございますって、そういう声もしている。休会あけが十日のびたというばかりでない興味と期待とが、米内内閣の議会にかけられているというところもあるのだろう。
正面、幕のおろされた「玉座」の下の右と左とについている時計が秒から秒を運んで一時に近づくと、守衛が、一きわ声を張って注意を与えた。間もなく開会となりますが、その前に傍聴券をお出しになってもう一度よく裏に書いてある規則をお読み下さい。意見を表示する拍手を一切してはいけないということや、取締り上必要と認めたときには退場させるということなどが、細かい字で印刷されているのである。ほかにすることもないから皆がすなおに出してよみかえした。
やがて一時半となり、今にも、と待つが、二時になっても目の下の議席は空っぽのままである。地下道を入ったときから一列におかれて傍目もふらず席まで運ばれて来たような傍聴人席にも、どこやら、だれたざわめきが漲って来た。しきりに手洗いに立つひとが出来た。それは婦人席にもあって、計らぬ小競合を生じた。というのは、遂に二時も過ぎて倦怠が傍聴席に満ちて来たとき、開会はもう三十分ほどおくれる見込みであるということがやっと通告された。そしたら婦人席のわきにいた守衛の一人が、手洗いに立つならば今のうちに、という意味をいったそうで、数人が立ち、隣席の三人づれも立った。程なく三人の別な女のひとが来て、そこは先着の人がいますというのもかまわず上の守衛がいいといった、出た人には代りを入れるとことわったのだからといって腰をおろしてしまった。婦人席の傍に立っている守衛は、上のひとが独断でそうしたが仕方がないとごちゃごちゃいっているところへ、先刻の三人づれが戻って来た。わり込んで腰をおろした女の人たちの二人は、守衛さんが云々とそれを楯に動こうとせず、先着の一人が化粧の顔に怒気を浮べて、わたしはひとの席までとっては、よう座りませんからと啖呵を切るようにしたら、守衛も、ここのところは先着の人に坐らして下さいと仲に入り、二人はぷりぷりして出てゆき、少なからず興奮した三人づれの人たちが辛うじて元へ納まった。傍聴席はどこも退屈だらけの折柄、衆目がこの小競合の上に集った。女のひとは図々しいもんだね。そういう男の声もした。
五、六時間の席に堪えない習慣で暮している日本の婦人たちの体力や着物の条件についても女として考えさせられるし、議会傍聴というようなことが、女の日常にとって何か特別なことと思われていて、来ている婦人が皆それぞれのつてや背景を脊負っていて、それをまた女の狭い未訓練な社会感情のなかで自分に許されるはずの優位のように我ともなく思ったりしているところもあるらしい。そのことが、こんな小競合のなかにも現れて、妙な女の押しつけがましさや、或はそれへの反撥のあくどさともなって来る感じである。
小波瀾が納まると、再び、待ちくたびれてどんよりとした重苦しさが場内に拡がった、そこへ不意にパッと満場の電燈が打った。わーというような無邪気な声と笑いが一斉に低いながら湧きおこった。国技館でも灯が入った刹那にはやはり罪のない歓声が鉄傘をゆるがしてあがる。人間の心持の天真なところが面白かった。
四辺が煌々と明るくなるとますます目の下の空っぽの議席が空虚の感じをそそる。遠くの円形棧敷の貴賓席に、ぽつりと一人いる人の黒服と白髪の輪廓も鮮やかにこちらから見える。
開会されたのは三時すぎであった。何百何千のひとは、今朝になるまで、この未曾有の遅延が、「質問順位で大荒れ」を理由とするとは知らず、二時間以上待っていた次第であった。きのう知らないばかりか、きょうになっても大荒れの必然はよく理解されまい。何故なら、普通の人の感情では質問の順番が、どうしてそれほど重大なのか、結局前もって告げられていた通りの順で、ともかく過ぎ得たものを何故一応揉まなければならないのか、納得しにくいのであるから。
所謂選良たちを選び出している一般人が、傍聴人となって議事堂の内にあらわれているわけなのだが、これと議員と議会というものの関係は、現実とはちょっと違った風に扱われているのが議事堂内で感じられる実際の空気である。議員は傍聴人というものを、はったりをきかすときだけ念頭に浮べるのかしら。万事、聴かせてやる、工合に塩梅されているのも、独特であろうと思う。
さて、漸く各大臣も着席し議長から開会が宣せられた。指名にしたがって米内首相が登壇した。悠たりとしたモーニング・コートの姿である。その恰幅と潮風に鍛えられた喉にふさわしい低い幅のある荘重な音声で草稿にしたがって読まれる演説は、森として場内の隅々まで響いた。どことなしお国の訛が入る。
つづいて桜内蔵相。内容はともかくとしてやはり声はよく耳に入った。畑陸相が登壇すると、場内が俄にザワザワ、ガサガサいう音響に充たされて、畑陸相の開口を暫らく制する有様である。上から見下すと、只一様に白紙のように議席に置かれていたのは、参考地図であった。米内首相は降壇のときわざわざケースに納めて戻って来た眼鏡をまたかけて、地図をひろげたが、隣の桜内蔵相は、拡げる場所が狭苦しいのか、体を捩って首相のを覗き込んだ。その報告は拍手を浴びたが、畑陸相の声はなかなかききとり難い。武田信玄が万軍を動かした音吐の見事さは歴史にも語られているが、現代の将軍にその必要もないと見えて議席のあちこちから盛んに、もっと大きい声で願いまアす、聴えませんという声がかかる。聴えないぞ、といういいかたのはないところに、今日の時代の何ものかが語られているのだろう。ラジオを大きくしろ、ラジオを! とせき込んだ年よりの声もする。
吉田海軍大臣の声も、華やかなところはないが、聞きなれて来ると不明瞭ではなかった。
質問に入って、小川郷太郎氏が、経済問題を中心に熱弁を振った。特徴のある声の抑揚のつけかた、区切りかた、いかにも議員らしさの満ちた演説ぶりである。型にはまった抑揚でも、今日の社会生活の面にふれて、官僚独善に対する非難は囂々たるものがありますといえば、拍手は議席一体から湧きおこるのである。電力不足、石炭不足、悪性インフレーション防止、円ブロックの問題の対策如何に。米のないこと、マッチのないこと、それはどう解決されるのであろうか、政府の方針を守って買い溜をしなかったものは今日物資に不自由し、命を守らずして買いだめしたものは、不自由を感じていない。正に正直な者が罰せられたのであります。と演壇からいわれるとき、拍手が満堂をゆすって、さっき小競合をした隣りの婦人たちも、ほんとにねえと小声で囁きあっている。漱石の遺作で「暗翳」という未完成の作品がございましてね、なかなかどこにもないんですのよ、それを宅がやっと探して来てくれまして、と指環をいじりながら「明暗」のことを話していたその女のひとの生活の中でも、主婦としての毎日の目にはマッチのないこと、木炭や米のないことは、そのままでの姿で見えているのだと思える。万民協力、この難局を突破しなければならないことは自明でありますが、それには従来の秘密主義で民をして依らしむべし、知らしむべからずではなりません。この態度は改められなければなりません。というようなところで、一きわ張り上げられる小川代議士の声も、やはり活溌な反応をよびおこすのであった。
中等学校への入学試験が内申制になってから、一人の子供を上の学校へ入れるために百円から千円の金がいるようになった、というような記事が、昨今は世人の注目と関心とをひいている。小川代議士の質問にちっともそういう面がとりあげられなかったのは、他の代議士との質問の分担上の関係からであったのだろうか。
質問に答えるために米内首相が再び登壇したが、それに対する議場の雰囲気は、米内首相にしろ、これまで海軍大臣として受けて来た風のあたり工合とは、おのずからそこに微妙なちがいの生じていることを直感しただろう。或はそんなことは、立場としての当然のこととしてのみこんでいるのかもしれない。忽ち日本議会の輝かしき名物である彌次が飛び出した。ダメだ、ダメだ。笑いに混ってそんなこともきこえる。もっと軍人らしくやれ! そういう声もする。傍聴席の右側下政友会中島派というあたりが発源地らしい見当である。黙ってろ! いわせろ! そういう罵声も交々であった。
米内首相の答弁ぶりは、一つも気の利いたところのないものであるが、答弁の精神的態度とでもいうべきものは、正面に自分の体の幅全体を向けて端然としているこのひとの体の構えと全く一致していて興味ふかい。壮重な声が一見、余りあたり前の、努力いたす決心であります。というようなことをくりかえすので、議員は笑う。首相に就任したときの軍装写真で、何となく下げている右手の拇指と人さし指をひとりでに軽く円くよせて、丁度仏さんの右手を下へ垂れたような工合になっていたのが、目にのこっている。あれは、このひとの粗笨でない心の或るリズムを語っているように感じた。しかし、一人の人としてのうまみというようなものが、多難多岐な客観的局面をどう展開させ得るだろうか。二つのことは常に必ずしも一致し得ないことを、過去の歴史も多くの実例で語っている。
桜内蔵相の答えかたには、首相とまるでちがう一種の話術のようなものがあって、議席の空気はおや? とひかれ、なーんだとゆるんで、そこへ彌次がとび入るという工合である。強制貯金をさせるという気はないという意味にとれる答えが、いくつかの答えの中にあったが、その朝、貯蓄組合加入の紙が市役所のビラと一緒に町会からまわって来て、各戸最低五十銭以上の貯蓄をすすめられているものには、では、あれはちがうのかしら、と思われた。法律としてつくられていないものは、強制にはならないとあれば、民間の実感からいつとなし強制貯金という言葉が生れて使われていることもまた別様の意味で面白い。
今日の電力不足は旱天が大半の理由でありましてと、勝逓相の答弁が始められると、議場にどっと笑いがおこり、傍聴席も何となし口元をほころばした。
藤原銀次郎という名に対して、あの演壇に立っての柔らかな声、物腰とは、会社の会議じゃないのだゾという彌次を誘い出したほど、いかにも社長さんらしい。実は事務引つぎもまだすっかりすんでいませんので、とお得意の頭を下げれば、の手であろうか、度胸はよい。
歌舞伎芝居でも大向の彌次というものは、あなどりがたい批評家である場合があるし、その道の通でなければ、大体ああいう声そのものからして普通の喉から突嗟にしぼり出せるものではない。彌次は庶民の瞬間的批評の発現の形でもある。議会で彌次をとばすのは、日本だけのことではないのだろう。しかし、日本のは、一つの特色にまでなっているのではないだろうか。多数のなかには彌次の名人というような代議士もいるのかもしれない。今議会中での彌次の秀逸は誰のどれという茶話も出るかもしれない。彌次というものを、庶民的な短評の形、川柳、落首以前のものとして考えれば、その手裏剣めいた効果、意味、悉く否定してしまうことは出来ないけれども、その形そのものが、徳川時代のものであって、彌次馬ほどこわいものはなし、に通じる要素をも持っていることは、やはり考えさせられるものがあると思う。
纏って討論する理路と機会とを持たなかった昔の庶人の間に発達したこの批評の直観的な形は、今日の社会生活の内容に向っての批評としては、議会などで、とかく規模が小さく個人へ向って放たれる悪童の吹き矢の範囲を出ないのが多い。
きのうなどでも、有田外相の答弁には、英国の極東支店長みたいなことをいうナとか、駐日公使! とかいう彌次が盛んにとんだ。辛辣のようだけれども、本当の心持で日本の対外関係を案じている傍聴人の耳に、そういう彌次の濫発が果して頼もしい代議士連の緊張した態度としての印象を与えただろうか。今日の社会人は、幾十人の大臣を演壇で彌次り倒し得たとしても、現実を合理的に展開させる力を示すのでなければ本質の信頼は代議員に対して抱けないのである。これが、政治の職業人でない国民の本心だと思う。
全き沈黙を条件としてベンチに並んでいる傍聴人とああいう騒々しい彌次満々の議員席と、その間どこか距離をもって行われてゆく議事の進行とを一つにして今日の心に感じとると、その感想にはなかなか小器用な一つらなりの彌次をもっては表現しきれない質と量とがあると感じられた。
底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
1953(昭和28)年1月発行
初出:「週刊朝日」
1940(昭和15)年2月18日号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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