坂
宮本百合子
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モスクワ滞在の最後の期間、私たちは或るホテルに暮していた。ホテルといっても、サボイのようなのではなく、お湯がほしくなると自分でヤカンを提げて下の台所まで出かけて行き、ボイラーから注いで来るような暮しぶりのホテルである。
部屋に大きなテーブルが二つあり、一つを私の友達が、もう一つの方を私がつかって、私のテーブルにはフランスで買って来た藍と黄色の格子縞のやすもののテーブル掛がかけてある。
窓に面してテーブルが置いてあるので、私の目には、二重の窓硝子をとおし市街の微かなどよめきの中に前の『労働者モスクワ』新聞の屋上の一部が見渡せた。さっきからそこへ鳥打帽をかぶって薄外套を著た二人の若者が出て来ている。無帽の赭っぽい髪の毛の男がもう一人いて、それは写真機をもっている。二人を撮してやろうというらしいが、あっちに立たせておいて機械を暫くいじっているかと思うと、フッと手をふって空を見上げ、二人の方へ歩いて行って何かいっている。一人が鳥打帽をぬいで、頭をもしゃもしゃかきながら、その日は曇った六月の空を仰ぎ、何かいって、三人はやがて面白そうに笑い出した。声は私のところまで聞えず、ただうれしそうに互に見会わして動いている若々しい顔や白い歯が音もなく手にとるように見えるのである。
私は、感情を動かされてその様子を眺めているのであった。まる二年前モスクワへ著いたばかりの頃、私たちはやはりこのホテルで暮した。もう十二月であったから雪があって、冬ごもりの封をした二重窓の硝子は夜々すっかり凍った。氷花のついた窓硝子にまっ青な月の光が一面にさし、夜中十二時になると打ち出すクレムリ時計台のインタナショナルの音が厳寒をふるわして室内にまで響いて来た。前の屋上の天井はその頃何年か硝子がこわれたまんまで鉄骨が黒く月の明るみに出ていた。モスクワ市街が急激に様子を変えはじめて今はもうそこが立派に修理され、新聞社と出版労働者の倶楽部になって、夜は音楽が私の窓へもつたわって来るのである。
ひととおりフランスやイギリスなどの大衆の生活ぶりを見てまたモスクワへ帰って来てから、二度目のモスクワ暮しは非常に深く私の心に作用した。そこには、はっきりした比較が生じ、たとえばそうして大したこともない屋上風景を眺めていても、その光景にある意味はベルリンの公園にあるものとは全く違うものであることが、感情として会得されるのであった。私の友達はすでに帰国の準備をはじめ本を買い集めたり、予約出版の引つぎをたのむひとをさがしたりしているのであったが、私の心持にはそれが逆に影響して、益々モスクワの生活に引きつけられた。
だんだん眼の色が凝って燃えだすような視線で私が向いの屋上を眺めていると、もう一つのテーブルのところから友達が仕事をしながらの声で、
「そろそろ時間だよ」
と注意した。
「ふうむ」
私は水色のジャンパーの上から外套を引っかけ黙って部屋を出た。友達のところへ語学の教師が来る。その間、私はいつも街を歩いて来るのである。
トゥウェルフスカヤの広い通りをプラウダ社のある方へ人波に混ってゆるやかな坂を登っているうちに、私は一つの明瞭な苦痛の感じにとらえられ、自分の歩いていることが分らないような心持になって来た。今この通りを右にも左にも前にも後にも陸続として進んでいる群集にとって私は何者であるだろう。様々の風体、様々の顔つきと感情をもった男も女も、彼等は何かの実際的な繋りをこの活々として新らしいモスクワの建設にもって、忙しげに靴の爪先を運んでいる。こうやって彼等と同じテムポで同じ鋪道を歩いている自分が、この社会の生活の意味と値うちをこんなに理解し愛している自分が、実は彼等と全く違ったもので、どんな具体的な組合わせにもあみこまれていない存在であるというのはどういうことであろう。
この実にはっきりと感じられて一種の苦痛を与える自覚は、モスクワ生活の終りに屡々私をとらえたのであったが、今は、果して友達とつれ立ってこのまま帰らねばならないものか、或は自分だけ残って留まろうか。そういう目前の去就についてもモスクワが私を牽く力は強いのである。私は素頭で片手に赤い小さいロシア革の銭入れを握ったなり、内心の止り難いものに押されて纏足をした支那女の物売りなどがいる並木路の間をずっと歩いて行った。
底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
1953(昭和28)年1月発行
初出:「東京日日新聞」
1935(昭和10)年1月28日号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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