惨めな無我夢中
──福知山高女の事件について──
宮本百合子
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ああいう事の起る第一の原因は、女性も男性も、自分の心を一応考えて見るだけ頭脳の訓練を持っていないことだと思います。偶々外的の関係は教師と生徒であっても、本能の発露は村の若衆と小娘との情事めいています。
男の先生と女の生徒との間には、同性間に見られない特殊な雰囲気の生ずることは誰でも知っていることで、その最も美しい例を私共は、聖フランシスと聖クララとの情宜、良寛の女弟子との交り等に示されています。マダム・キューリーの夫妻関係にも幾分師弟としての影響があり、グレゴリイ夫人のよい作品を今日私共が持つことが出来たのは、友人としてのイェーツが、同時に彼女のよい先生でもあったためと考えられます。男性が最もよく女性の感化を受けた時、彼は天性の最善、最美な光輝を現します。それと同じに、女性は男性の正しいよい影響を受けると、彼女の生命の一番目覚ましい発育を遂げるのです。私共は、それ故、異性の間に生れる特殊な雰囲気は、人生に大切な一種の創造的元素とし、真面目に純粋にそれを扱い、常にその内容と環境とをよりよく仕ようという努力をすてないのです。
都会には多くの女子の学校があり、生徒と教師の数も夥しいものです。けれども、相方がある程度までは異性になれていること、周囲に比較すべき文化、人材の多いこと。並に、当人達も、田舎よりは情操の訓練を受ける機会が多いため、概して軽浮な中にも敏感で、よくいえば趣味よく、悪くいえば狡く打算をもって感情を整理して行くかと思われます。
田舎では女学校などというと、知識程度の低い周囲と比較して一種の別天地です。情感の鈍い、精神の死んだ年長者達と顔をつき合わせておれば、年が若いというだけでも充分溌溂とした女性達は、確に生活が淋しく物足りないに違いない。その感傷が、当人達も自覚しない自然の力にも手伝われて、友達や教師にひどくセンチメンタルな手紙を書かせるようにもなるのでしょう。
そういう場合、異性の教師が、或る程度まで心理的な洞察力のある、人としてよい訓練を経て来た者なら互方の進んでゆく道と限度は凡そ定っています。更に彼がすぐれた指導者であったなら、その憧憬、溜息、孤独の感情をよく守り立てて、箇性の力強い潜勢力としてやるでしょう。
困ったことに、田舎の女学校の教師は時にまるで出鱈目の人が多くあります。若い娘達の生活感情に指針を与えるどころか、彼等自身の足許を、彼女等の示す無自覚なだけ却って抑制のない感情の表現によってぐらつかせられます。人格の陶冶されない男性の共通な癖として、若い女性の気持の夢を認めず、男性同様の現実的慾求が暗示されているものとばかり思い込みます。そして、そのように露骨に押しづよく出ると、若い、自分の肉体も心もどんなものかさえ知らない娘達は、異性間の磁力に圧倒され、自分の求めていたのは何であったか、結果はどうなるか、そんなことは一切夢中で、性の渦巻のうちに巻き込まれてしまうのでしょう。こうなると、彼等は教師でも生徒でもなく、一対の男女として批判すべき位置になると思います。教師であり、学生であったというのは過去の一因縁で、互が最も屡々接近する機会を与えた偶然な一つの社会的関係と見られます。要点は、彼等の恋愛に対する態度にあると思います。
相互に真実な愛もなく、一方は無智による無我夢中、一方は醜劣な獣心の跳梁にまかせての性的交渉が結ばれたとしたら、そして、その百鬼夜行の雰囲気が伝染したとしたら、言葉で云えない惨めさです。とがめ、責める先に暗澹とした心持になります。
こう云う、本当のあやまちを少なくするには、どう心掛けたらいいのでしょう。
近頃頻りにいわれる性教育も、補助的知識の一つとしては無いに勝るでしょう。けれども、人間として自分達が出来るだけ崇高に、豊富に、自由な正義、美を持って生きたいという熱意は、生理衛生の知識からだけは湧きません。総ての知識、学問的知識は、根本の真心があって始めて足場となり助け木となって私共の生活を富せます。
両性間の純な徳義、敏感な礼節、美しい共力はどうして得られるか。今日の生活、社会の習慣はまだまだ此等の獲得を困難なものにしています。男性も女性も、第一というところ、最も理想的というところを絶えず目ざしていて、決して雑作なく其処に着き過たということはない時代です。両性の交渉を考えるには先ず人間はどういう生き方をするのが本当かという大きな疑問が来ます。人間として自分は何を目ざして行く気なのだろうか。私はここに根があると思います。答えを出すには、調べ考えて見なければなりません。私は自分が何をするにでも、確にこれだ、というものが見つかる迄落付いて種々考えて見られるだけ、根気よい、はっきりした自分を磨きあげられれば頼もしいと思います。
底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
1953(昭和28)年1月発行
初出:「婦人公論」
1924(大正13)年5月号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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